ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

チームプレイの中で偶然生まれるものを大切にする。

2013年07月16日 | Weblog
チームプレイの中で偶然生まれるものを大切にする。

「あのプロジェクト成功の法則」齋藤孝著より。

ここでの小タイトルは“アイデアが増幅する現場の空気”となっていた。そこであのダース・ヴェイダーの不気味なマスクについて述べらていた。

あのマスクのデザインがどうしてできたのかも興味深い。ある時スタッフの一人がヴェイダーはどうやって宇宙で息をするのかというところから、あのようなデザインになったという。

つまりスタッフの何げないアイデアが増幅していくような空気がチーム内にあったというのがいいらしい。一人の天才デザイナーがあのマスクを生み出したわけではなかった。

誰かが発した言葉をもとに、いろいろなアイデアが出てきた結果、一つのものに出来上がったということだった。そして、筆者はチームプレイの中で偶然大きくなっていくものが、実はいいものだと指摘している。

最後のほうには、仕事場の空気が、仕事の質に大きな影響を与える、という言葉もあったが、まさにその通りだろう。ノリの良くない職場では、決していいアイデアなど生まれるとは思えない・・・な。


いちばんおもしろいもの、肝心なものを最初にもってくる。

2013年07月15日 | Weblog
いちばんおもしろいもの、肝心なものを最初にもってくる。
「あのプロジェクト成功の法則」齋藤孝著より。

この本の第2章では「最初にベストを投げる力」と題して、シリーズ化を成功させた『スターウォーズ』プロジェクトについて述べられていた。シリーズ化も成功すれば何度もおいしい、ということになる。

しかも、この映画はその点で成功していたのだ。スターウォーズは全九部作の第四話、つまりストーリーの真ん中からスタートしていた。それはこそがいちばんノリがよくておもしろいからだったそうだ。

いちばんおもしろいものを冒頭にもってくることで、次が期待されるということになる。しかも、その期待を裏切らなかったということが強みでもあるようだ。プレゼンテーションでも前置きばかりに時間を費やしてしまうと肝心の説明の前に相手が飽きてしまうものだ。

最初にベストを投げるというのが、シリーズ化に限らず、成功のコツだった。はじめの成功があったからこそ、「エピソード1」「エピソード2」ができていた。ポイントは出し惜しみせずに、いい要素を全部入れるということだった。


相手を認めて褒めることが自然にできるだけで、その人の人生は恐ろしく楽になる・・・

2013年07月14日 | Weblog
相手を認めて褒めることが自然にできるだけで、その人の人生は恐ろしく楽になる・・・

「キラークエスチョン」山田玲司著より。

人生とまで言ってしまうと、なんだかかなり大げさな気もするが、相手を不快にさせないことがポイントだった。つまり良くないところが目についても、できるだけいいところだけ伝えればいいという意味だろう。

相手がして欲しいことをまず、こちらからしてあげるというがいいようだ。それは、人は誰も認められたい、褒められたいと思うものだからだった。

それができればキラークエスチョンになるようだ。質問にリスペクトという名の砂糖とミルクを入れるのを忘れてはいけないと筆者はアドバイスしている。

いずれにしてもコミュニケーションを円滑にするには、相手を認めて褒めることだった。それで好意と敬意を示すことができるならベストということになる。

本当に人と良い関係を築きたいなら、つかむ話よりつかむ質問・・・

2013年07月13日 | Weblog
本当に人と良い関係を築きたいなら、つかむ話よりつかむ質問・・・
「キラークエスチョン」山田玲司著より。

サブタイトルは“会話は「何を聞くか」で決まる”とあった。まさにこれこそが本のテーマだろう。自分が面白いネタで話をするより大事なことがあった。

それは、相手に気持ちよく話をしてもらえるような質問をすることだった。うまくいけば、それで相手の本音も引き出せる。これが、「キラークエスチョン」というものだった。

単に「聞く」といえば、人の話を聞くことかとも思えるが、ここでは「質問」という意味になる。わからないことを人に「聞く」ということは、意外にも簡単にできそうでできなかったりもする。

ついついつまらない質問になってしまうことも多い。まずは、相手に関心や興味がなければ聞きたいことも出てこないだろう。質問のなかにも相手をリスペクトできればなおいいようだ。

たとえば、こんな質問でもそれに該当するらしい。「その服、どこで買ったんですか?」だけでもいいようだ。これだけで、相手に興味があって、褒めているのかなと思わせるらしい。


上級者は「ながら」ができる。

2013年07月12日 | Weblog
上級者は「ながら」ができる。

「上達の法則」岡本浩一著より。

「ながら」ができるということは、負担がないということでもあるだろう。いくつかの例があった。ピアノの上級者は、かんたんな曲なら、雑談をしながら演奏できる。また、英会話の上級者は、自転車をこぎながらでも会話ができる。

さらにソロバンの上手な人も、雑談をしながら暗算をしていることがあるという。これはすごい。もし、中級者がそれを真似てもどちらも中途半端になってしまうのだろう。

筆者はその理由を次のように述べていた。「上級者のほうが、習熟度が進んでいるので、技能の自動化がすすんでいる。したがって、思考を介さずに実施できる技能の種類が多く・・・」と。

英文タイプの初心者はthe程度なら、自動化できているが、chrysanthemum(菊)など長い単語では、上級者ほど自動化されているという。つまり頭にあまり負担をかけなくても、自然に指が動くということだろう。

別の表現では、上級者のほうがワーキングメモリーの余裕が大きくなっているとも述べていた。だからこそ「ながら」ができるということになる。


一般に、上級者は自我関与が高い。

2013年07月11日 | Weblog
一般に、上級者は自我関与が高い。
「上達の法則」岡本浩一著より。

まずは、この「自我関与」という言葉がふだんあまり見かけなかったので気になった。それは、その課題に本気で取り組む度合いのことだった。

そして、自我関与が高いほうが、長期記憶の形成が促進されるという。つまり逆にいえば、上級にたどりついた人達は、自我関与を高くできた人達ということになる。

そこでのポイントは、上達の喜び楽しみを味わうことでもあった。楽しいから上達する、また上達するからまたやる気も出る、といういいサイクルが回せるということだろう。

上達するためには、ふだんの生活をしながらも、一定の時間とエネルギーをたえず割いておかねばならないということも指摘している。できればそれが生活のリズムに取り入れられたらいいのだろう。


美しいものを育てる陰には数えきれないほどのグチもある・・・

2013年07月10日 | Weblog
美しいものを育てる陰には数えきれないほどのグチもある・・・

「相鉄瓦版」平成25年7月1日号より。

(前日のつづき)
実におもしろい表現だと思った次第。この直前には、「美しいものにはトゲがあるといいますが」という言葉があった。それに引っかけたフレーズでもあった。

バラは確かに花の中でも人気も高く、華やかで女王といわれ実に見栄えもする花だが、それを育てるまではいろいろと苦労があるらしい。この農家のバラは平成16年に「神奈川県花き展覧会」で最優秀賞にあたる農林水産大臣賞を受賞していた。

この農家が育てているバラには自信があるという。その理由は花がきれいなのはもちろんで、葉や茎も濃い緑色で、厚みがしっかりしていることだった。

そのような、どこにでも出しても恥ずかしくないようなバラを育てるためには、やはり手間暇がかかっているということだった。だからその大変さで、グチもできてきてしまうようだ・・・


バラは品種ごとにパテントがある・・・

2013年07月09日 | Weblog
バラは品種ごとにパテントがある・・・

「相鉄瓦版」平成25年7月1日号より。

この号の特集は「この道一筋な一芸農家」となっていた。アロエだけ、サボテンだけ、バラだけを生産する一芸に秀でた農家の方にインタビューしていた。

そして、私が気になったのは、バラだけを栽培している農家の人の言葉だった。意外に知らないことばかりで、バラは品種改良した苗屋さんには植物著作権があってパテントを有していたのだ。

この農家ではその苗屋さんにパテント料を払って、苗を購入し、育てたバラを切り花として市場に出荷したり直売していた。意外に複雑だったりするものだ。

バラにははやりすたりや人気の浮き沈みがあるという。だから、この農家では30種類を毎年栽培し続けているわけではなかった。数種類は毎年新しいものに植え替えをしていくそうだ。

長年にわたってバラだけを栽培していくといっても、そこには地道な苦労があるようだ。常に情報を広く収集していかなければ、家業を継続するのは大変なのだろう。


自分の得意を見つける。

2013年07月08日 | Weblog
自分の得意を見つける。

「上達の法則」岡本浩一著より。

もし、もともと得意なものがあれば、それは上達の大きな原動力になるようだ。もし、将棋が好きだったら、得意な戦法を見つけ出すというのも上達のコツらしい。

自分の「好き」にこだわってみることも必要だった。それはある意味自分の個性ともなっていくこととも考えらる。

筆者はさらに、好きなものを決めるプロセスそのものが上達を生むということもあると指摘していた。きっとその間には、いろいろとチャレンジして、創意工夫するからだろう。

自分の得意なスタイルを確立できれば、それは別な分野でも、たとえば仕事でも生かせることもできるだろう。しばしば野球の戦法や戦術が一般のビジネスに応用できたりするのもその例だろう。


上達の対象を持っていると、それをとおした新しい人間関係ができる。

2013年07月07日 | Weblog
上達の対象を持っていると、それをとおした新しい人間関係ができる。

「上達の法則」岡本浩一著より。

この項目のはじめの一行は次のようになっていた。「定年を迎えたときに、新しいことにチャレンジする気持ちを持てる人は幸せな人だと思う」と。

この時期に大切なのは、社会的関係の豊かさだという。そして、「ソーシャルネットワークの豊かな人ほど、心理的に明るく、健康状態にも恵まれた老年期も迎えることができる」ともあった。

フレーズにあげた上達の対象を持つ、ということは何かにチャレンジているかどうかということにもなってくる。できれば、それは人とかかわりあいがあるほうがいいようだ。

職業生活から解放された後で、もし何か新しい自分の可能性が見つかれば、それは大きな喜びにつながる、というのは理解できる。これは定年後の人に向けたメッセージでもあるようだ。


上達を積み重ねていくと、ある日突然、ものの見え方が変わる・・・

2013年07月06日 | Weblog
上達を積み重ねていくと、ある日突然、ものの見え方が変わる・・・
「上達の法則」岡本浩一著より。

この本のサブタイトルは、“効率のよい努力を科学する”となっていた。何ごとも上達するためには、それなりの法則を会得すれば、効率的だという意味らしい。

そして、上達はたんに鍛錬の量や費やした時間だけできまるものではないという。英会話も何年やってもマスターできない人もいるし、ほんの数年やっただけでもかなりの会話ができる人もいたりする。

一芸に秀でた人は、他の芸でも優れた能力を発揮するということもあったりもする。それはやはり上達の法則が身についている可能性もあるからだろう。

どんなことでも深く上達する経験こそが大事らしい。そして、上記フレーズのような、ものの見え方が変わるような経験をすると、いままで見過ごしていたものがよく見えるようになるという。

筆者はある意味これは心理的な余裕とも考えている。確かに、仕事でもスポーツでも遊びでも、ある程度上達してくると、全体を眺められる余裕がでてきて、それがさらにいい結果をもたらすことは理解できる。


何か一言、心のこもった言葉を顧客は求めている・・・

2013年07月05日 | Weblog
何か一言、心のこもった言葉を顧客は求めている・・・

「ビジネス革新の極意」鈴木敏文・齋藤孝著より。

齋藤氏は、接客マニュアルはあっても、その域を一歩も出ていなければ、やはり引きつけられないと指摘していた。確かにそれは当然だろう。

鈴木氏は、お客様がどんな人かによって、かける一言が異なっていて当然だというようなことも述べていた。しかもそれが普通にでることが大事だったのだ。

齋藤氏が家族でよく食事に行く店があって、そこの店員さんが家族全員を受け入れてくれ、心に潤いを与えてもらっている気がするという。そんな店だからこそ好意を抱くようだ。

コミュニケーションで最も大切なのは、相手に反応することだった。心が通じるからこそ買いたくなるというのも当然だ。ものを買う時は(その人の)「気持ち」を買っているというのも頷ける。


現状に安住してしまいがちな自分自身こそ、戦うべき競争相手・・・

2013年07月04日 | Weblog
現状に安住してしまいがちな自分自身こそ、戦うべき競争相手・・・

「ビジネス革新の極意」鈴木敏文・齋藤孝著より。

齋藤氏は、セブンイレブンは消費者の目から見ると、時代の流れに敏感に反応しているように映ると表現していた。それは常に新しい何かを取り入れて変化しているということなのだろう。

さらに一種の生物に近いのではないかと考えていた。気温など自然に対応しているところが、生物とダブっていたのだ。企業を生物にたとえるなど、実に面白い。

それに対して、鈴木氏はお客様のニーズは一定でなく、常に動き続けていると指摘していた。だからこそ、その変化に対応することが大事だったのだ。

また競争相手は他者よりも、お客様のニーズであった。変化に合わせて自分をどれだけ変えていけるかがポイントだった。これを端的に表わしたのが上記フレーズなのだろう。


1個しかなくても、人に見せないようなものでも、立派な収集。

2013年07月03日 | Weblog
1個しかなくても、人に見せないようなものでも、立派な収集。

「思い出した夢は、実現する」中谷彰宏著より。

この章のタイトルは“たくさん集めて、ワクワクしよう”、だった。確かに何かを集め始めて増えていくとその過程が楽しいものだ。

私が子どものころの収集モノの代表は切手だった。しかし、金額が高いものは買えないし、お金には限度があるから、長くは続けられない。

むしろ、お金では買えないものを集めたりもしていた。箸袋やマッチ箱もあった。グリコの小さいおまけを集めたこともあった。

大人になってからは、自分で作ったものを集めるというより、何となくがらくたが集まったともいえる。自分で描いた絵画なども、人にあげられなかったり、捨てられないものだ。

またオリジナルな小物や工芸作品などもなども大量に作って集めておけば、個展を開いたりフレーマーケットに出品する人もいるだろう。そうなれば、ある意味ライフワークとも言えそうだ。


収集は、よく考えたら意味のない行為・・・

2013年07月02日 | Weblog
収集は、よく考えたら意味のない行為・・・

「思い出した夢は、実現する」中谷彰宏著より。

子供のころを思い出してみれば、ほとんど意味のないものでも楽しんで収集したものだった。河原へ行ったらきれいな形の石を拾い集めたりしたこともあった。中谷氏は牛乳ビンのふたも凝って集めたという。

私はこれを書きながら思い出したのは、中学生の頃、新聞に映画の広告が掲載されていて、その英語のタイトルを切り抜いて集めたことがあった。日本語の題名と異なっているのが面白いと思ったものだった。

あと、新聞のスクラップをやったこともあった。別にテーマは決めてはいないが、その時関心があることを後でまた読もうと思ったのだ。しかし、ほとんど再読はしなったが。

ただ単に集めること自体が面白かったのだろう。すると、それから40年以上経った今では知らないうちに、“ちょっと気になるフレーズ”を集めていたのだ。やや共通しているような気もして驚いた次第。意味のないことを繰り返すのが好きなのだろうか・・・