「企画脳」秋元康著より。
秋元氏はよく、スタッフに「カルピスの原液をつくれ」といっているそうだ。それは要するにいろいろなものに応用のできる骨太でパワーのある企画という意味だったのだ。それを「原液」と表現している。
瓶に入っているカルピスの原液は、その後「カルピスソーダ」にもなり、薄めずにそのまま飲める、自販機でも買える「カルピスウォーター」にもなっている。さらには、さまざまなフルーツカルピスも登場している。もともとは、それらはすべてカルピスの「原液」が元になりその時代に合わせて作られてきていた。
コンテンツや企画自体に価値があれば、アナログだろうがハイテクだろうが、メディアは選ぶことができる。パソコン自体はツールや手段であって、それを使って何ができるかのほうが問題だった。コンテンツがなければどんな素晴らしいソフトやハードがあっても役には立たない。そこで、自分のことを振り返ってみた。もしかしたらそうかもしれないと思うものがあった。
それは“オリジナル一筆箋”だった。約15年前のことになるが、時どき仕事で一筆箋を使っていたが、気に入ったデザインのものが見つからなかった。そこで、パソコンで作り始めたのが始まりだった。数週間遊びながら作っている間に、数十種類のテンプレートが出来上がったのだ。
その後はいくらでも応用でオリジナルなものを作ることができ、自分で使うばかりでなく周囲の人にもプレゼントできている。それは実用ばかりではなく、作ること自体がおもしろいから続いている。根底には、ちょっとしたサプライズを演出したいというような、エンターテイメント感覚があるということも確かだが。
秋元氏はよく、スタッフに「カルピスの原液をつくれ」といっているそうだ。それは要するにいろいろなものに応用のできる骨太でパワーのある企画という意味だったのだ。それを「原液」と表現している。
瓶に入っているカルピスの原液は、その後「カルピスソーダ」にもなり、薄めずにそのまま飲める、自販機でも買える「カルピスウォーター」にもなっている。さらには、さまざまなフルーツカルピスも登場している。もともとは、それらはすべてカルピスの「原液」が元になりその時代に合わせて作られてきていた。
コンテンツや企画自体に価値があれば、アナログだろうがハイテクだろうが、メディアは選ぶことができる。パソコン自体はツールや手段であって、それを使って何ができるかのほうが問題だった。コンテンツがなければどんな素晴らしいソフトやハードがあっても役には立たない。そこで、自分のことを振り返ってみた。もしかしたらそうかもしれないと思うものがあった。
それは“オリジナル一筆箋”だった。約15年前のことになるが、時どき仕事で一筆箋を使っていたが、気に入ったデザインのものが見つからなかった。そこで、パソコンで作り始めたのが始まりだった。数週間遊びながら作っている間に、数十種類のテンプレートが出来上がったのだ。
その後はいくらでも応用でオリジナルなものを作ることができ、自分で使うばかりでなく周囲の人にもプレゼントできている。それは実用ばかりではなく、作ること自体がおもしろいから続いている。根底には、ちょっとしたサプライズを演出したいというような、エンターテイメント感覚があるということも確かだが。
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