ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

総ケータイ依存症になっているから、自分たちを変だとは思わない。

2009年09月24日 | Weblog
「壊れる日本人」柳田邦男著より。

今の小中学生のほとんどは生まれたときから、インターネットやケータイが当たり前に家にあったのではないだろうか。だからたとえば、「文通」という意味もわからないかもしれないな。

ケータイは確かにスピードという面では便利ではあるが、別の面ではじっくり考えて結論を出すということを忘れさせていたのかもしれない。ケータイのメールも国内外にかかわらずすぐに届いてしまう。かつての文通という言葉は死語になってしまったかもしれない。

高校生の頃には海外の学生の方たちと文通をしたことがあるが、じっくり考えて書いていた覚えがある。そして数週間後の返信も待ち遠しかったもの。相手の個性的な筆跡、インクや便箋の色、お国柄の封筒や切手など、一通のエアメールにもいろいろな楽しみがあったものだ。

手紙の文字もいったん書いては消したり、訂正されたりしている部分を見れば、じっくり考えながら書かれたものだと感じたものだった。デジタルの文字と違ってクセや個性がリアルに感じられるところも嬉しかった。

今の時代は若者に限らず、総ケータイ依存症になっているから、自分たちを変だとは思わないのだろう。むしろケータイやネットを使わない人のほうが変人と思われるかも。まあこんな麻薬中毒的なケータイとは全く別世界の、古き良き一時代を過ごせてよかった・・・かも。

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