「R25」2008.9.11号より。
こう言っているのは吉村作治先生だった。この人=(イコール)エジプト発掘というイメージがある。それもそのはず、もう50年以上もブレずに追求してきているからだろう。しばしばマスコミにも登場してエジプト発掘について熱く語っている。
学問が知的エンターテイメント、といえるのは自身で進んで楽しんでやってきた経験からそう感じるのだろう。もし、それが義務感でやらされるものなら、とてもエンターテイメントどころではないはず。
例えば、物が発見されたら、それが何であるかを確定する。→なぜその物がそこにあるのか。→検証し解釈する。→自分なりの答えを証拠をあげながら論理を組み立ててゆく。つまりそれはある意味ドキュメンタリーの推理小説を読むよなものだという。きっとそれが、知的エンターテイメントといえる所以だろうな。
吉村先生がエジプトに魅せられたのは、10歳の時に小学校の図書館で読んだハワード・カーターの『ツタンカーメン王の秘密』がきっかけだったようだ。そして、まだ先生が10代の頃、エジプトを志す考古学者は皆無だったという。「エジプトで発掘」という夢を65歳になる今でも続けているとはすごいこと。
高校時代は演劇部と山岳部に所属していたという。山岳部はエジプトへ行くための体力作りのつもりだったようだ。東大を目指して浪人中に落語家にもなりたかったという。幸い(?)そちらの方の才能はなかったらしい。
吉村先生はおばあちゃんに言われた言葉を忘れていないという。それは「お前は変わっているから、平凡になっちゃだめよ」「人が左に向いたら右に向きなさい」だった。実際、そのようにして生きてきたらしい。それにしても、吉村先生みたいに熱く語れる何かをもっているだろうか・・・
こう言っているのは吉村作治先生だった。この人=(イコール)エジプト発掘というイメージがある。それもそのはず、もう50年以上もブレずに追求してきているからだろう。しばしばマスコミにも登場してエジプト発掘について熱く語っている。
学問が知的エンターテイメント、といえるのは自身で進んで楽しんでやってきた経験からそう感じるのだろう。もし、それが義務感でやらされるものなら、とてもエンターテイメントどころではないはず。
例えば、物が発見されたら、それが何であるかを確定する。→なぜその物がそこにあるのか。→検証し解釈する。→自分なりの答えを証拠をあげながら論理を組み立ててゆく。つまりそれはある意味ドキュメンタリーの推理小説を読むよなものだという。きっとそれが、知的エンターテイメントといえる所以だろうな。
吉村先生がエジプトに魅せられたのは、10歳の時に小学校の図書館で読んだハワード・カーターの『ツタンカーメン王の秘密』がきっかけだったようだ。そして、まだ先生が10代の頃、エジプトを志す考古学者は皆無だったという。「エジプトで発掘」という夢を65歳になる今でも続けているとはすごいこと。
高校時代は演劇部と山岳部に所属していたという。山岳部はエジプトへ行くための体力作りのつもりだったようだ。東大を目指して浪人中に落語家にもなりたかったという。幸い(?)そちらの方の才能はなかったらしい。
吉村先生はおばあちゃんに言われた言葉を忘れていないという。それは「お前は変わっているから、平凡になっちゃだめよ」「人が左に向いたら右に向きなさい」だった。実際、そのようにして生きてきたらしい。それにしても、吉村先生みたいに熱く語れる何かをもっているだろうか・・・
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます