ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

過去の日記。2005.1-1

2007年07月24日 | Weblog
どんな健康法も「絶対に効く」と自分で信じなきゃ効果は半減する。
at 2005 01/30 20:56 編集

朝日新聞1月29日土曜版「フジマキに聞け」より

藤巻幸夫氏が言っている言葉。外見から判断すると頑丈で健康そうな人でも実際は体が弱い人はいる。
藤巻氏ご本人もそうらしいが。

たとえば、自分が信じる健康食品を継続することで健康が確認できるなら、かなりラクな健康法ともいえる。

彼は健康の最大の敵は「イライラすること」に尽きるという。当然ストレスは体に悪い。好きなことをしている間は体調が悪くなることは少ないはず。また、体調がイマイチならどんなことも十分楽しめない。

まあ、そこそこ健康でなけりゃ、インターネットも楽しめないか。ところが、パソコンにトラブルが発生したりするとこちらの体調までイマイチになってしまう・・・こともある。








年をとるのは必修科目、老け込むのは選択必修科目である。
at 2005 01/28 07:03 編集

「失敗を恐れない人生術」より

筆者は大学の先生のためか、大学の授業にたとえている。きわめてわかりやすい。年をとるのは避けられないが、老け込むのは自分の意思である程度は左右できる。

ものごとに対する興味を持ち、選択科目をとっていけば顔のしわは防げなくても、心のしわは防げるらしい。

「二十歳だろうと八十歳だろうと、成長しないものは年寄りだ。学び続けている人は若い。大事なことは心を若く保つことだ」というヘンリー・フォードの言葉も紹介している。

昨日お会いした私の知り合いの方は80歳のおばあさまですが、昨年11月には傘寿記念にエベレストに登っていました。別に途中まででもそこに行こうという気持ち自体がお若い。拝見したどの写真にも笑顔があふれれいましたね。なかなか凡人にはまねが出来ないことだな。

身近な年配の人でもファッションに関心がある人は若いですね。

身近にいる元気なお年寄りを手本にするのもいいかもしれない。なにか魅力的に生きる秘訣がわかるかも。






何回やりそこねても、あきらめるまでは失敗ではない。
at 2005 01/27 06:37 編集

「失敗を恐れない人生術」より

本をいったん閉じた後で、そうだその通りだ、とじわじわと心にしみこんでくる言葉の断片がある。それが、上記のフレーズだった。

もし何かちょっとしたことで失敗をやらかしても、“なんちゃってね”などといいながら何度かトライしてうまくいけばもうけものかもしれない。かえって何事もうまくいくことのほうが少ないもの。就職や受験を考えればまさにその通りじゃないかな。

昔から言われるように「失敗は成功の母だ」などどいわれるより分かりやすく感じられる。

すべてのことに通用してしまう便利なフレーズでもあるか。いわば、マスターキーのようなものだ。

でも、失敗そのものを楽しめたら最高かもしれないとも思いましたね。(あきらめの早い私にはね)




好きな仕事をみつければ、労働をしなければならない日なんて一日もない。
at 2005 01/26 21:07 編集

「失敗を恐れない人生術」古郡廷治著より

タイトルのフレーズは英国生まれのジェイムズ・フォックスという俳優が父親から言われた言葉らしい。もともとこの本はひと味違った楽観的人生の法則について語られている。

実際はその好きな仕事を見つけるまでが大変なことなのだ。まず好きな仕事にめぐり合えることは稀だろう。

現実を考えたら、今やっている仕事をいかに好きになれるかくらいなものだ。自分のペースで仕事が出来たときはそこそこの満足感はあるもの。

今の仕事でどれくらい自分らしさを出せるだろうか・・・どんなこと(仕事も含め)もやり始めるのは簡単かもしれないが、やり遂げるってことが困難そうだ。




文学と絵画の交響する空間の創造
at 2005 01/25 06:55 編集

「花のレクイエム」辻邦生著、山本容子銅版画より

これはやはり小説家ならではの表現かな、とちょっと気になりましたね。漢字二字の言葉がいくつも並んでいる。もし、今ふうに言うなら文学と絵画のコラボレーションなんていってしまうかもしれない。それよりずっと重みのある表現になっている。

昨日書店で見つけて買ったものだが、もしこれが短編小説集だけだったら買わなかったはず。もともと植物には関心があったので、手にとってみたがその中に花ごとにちょっと不思議な感じの山本容子の版画がちりばめられているので読んでみる気にもなった。
以前から山本の作品は見る度に不思議な楽しさを感じていた。文庫本での発行は平成15年1月1日となっているが、はじめて出版されたのは平成8年10月だった。

これまで辻の作品を読んできたわけでもないがあとがきによれば、彼は文学と音楽、文学と絵画を組み合わせてその両ジャンルから生まれる独特の効果を楽しむというジャンルを超えた芸術作品を試みてきたという。

たまにはこんな読み物もいいかもしれない。読んだもの観たものが化学変化を起こして新しい物質が自分のなかで生まれる・・・かな。





「努力すれば」なんて野暮じゃないかな。
at 2005 01/24 06:15 編集

朝日新聞朝刊広告(1月23日)より

これは朝日求人というコーナーで「好きな仕事も簡単ではない」というタイトルで立川談志が書いている部分。

落語家を例にとってこんなことを語っている。淀みなく語ったからといってお客を喜ばせたり心をつかむことができるわけではない。落語が好きなこととお客が面白いと感じることはべつものだ。

そこで努力するわけだが、それでも壁にあたってしまう。一生懸命にやっているのに、といったところで、それが何だってことよ、ということになる。本物を追求する人は結果がすべてということなのだろう。

彼自身の言葉では「私の落語だって自分のアイデアを次々と試し、笑いのセンスをぶつけている。努力してるんじゃなくやらずにいられないの。」ということになる。

考えてみれば、無意識のうちにやらずにはいられないという気持ちは、努力をはるかに超えたところにあるものにも思えてきたな。やはり、本物のプロは次元が違うところにいるもんですね。





自信のあることでも他人に相談する。
at 2005 01/22 09:25 編集

「ビジネスマンの葉隠入門」奈良本辰也・高野澄著より

もう、これで十分だと思っていても、ひょっとすると他人に聞けばもっといい意見や方法があるかも知れない。本当にすぐれた人はそれができるらしい。

自己満足しているうちはまだまだなんだろう。並かそれ以下の自分はほとんど自分だけの意見で済ませてしまうことが多い。

プロといわれる人も素人の素朴な意見がけっこう参考になるに違いない。まあ、盲点というようなものかもしれない。

もともと自信のない人ははじめから人に相談してしまうことのほうが多い。でも、それもちょっと・・・どちらかといえば、これが自分に近いかも。う~む・・・




博物館はバイキング料理と同じ・・・
at 2005 01/21 21:38 編集

「今日から奇跡が起きる120の法則」より

そのあとにも、もう少し続いている。「・・・選択肢はいろいろあるが、すべてを食べる必要はないのだ。」

それにしても、博物館とバイキング料理を並べるっていうのもすごい比較だと思える。

別に博物館に限らず、美術館や画廊でも同様なことがいえるだろう。

興味あるお気に入りの作品だけを集中して鑑賞するっていうのも、いいかもしれない。また、反対にいろいろな作品をちょこっとづつ眺めて異なる刺激を受けたり比較したりして味わうのも一つの方法でもあるだろう。

要するにただなんとなく意味もなく鑑賞するだけでは感動も少ないのだろう。いい作品も料理もしっかりと味わいたいもの。そうすれば心や身体の栄養にもなるかな・・・





幸せにとっての敵は、ルーティーンと自己満足だ。
at 2005 01/20 21:19 編集

「今日から奇跡が起こる120の法則」エプスタイン著 渡部昇一訳より

この本を買ったのは5年も前のこと。きっと何かを模索していた頃だったかもしれない。(いまだってそうかもしれないが。)だからこそこんなタイトルの本を買う気になったに違いない。奇跡が起こって欲しいなどと願うのはまっく都合のいい甘い考えだ。まあ、どこまでが奇跡と思えるかは個人差があるだろう。

この本は『今日一日、“自分の人生”の楽しみ方』という書名を改題したものだった。さらに、この原題は“How To Be Happier Day By Dayとなっていた。直訳すれば、「日に日にもっと幸福になる方法」となろう。

つまり、私がちょっと気になった箇所が偶然この本の答えの一つでもあるかなとも思えたのだ。

前置きが長くなったが、著者は人生はビジネスに似ているともいう。 要するに将来性、顧客層、店舗数、販路、商品やサービスなどすべての点でどれか一つでも伸びない点があれば、健全なビジネスとは言えない、と指摘している。幸せも同じようなもので、毎年無難なワンパターンの幸せばかり目指していると人生全体までも幸せから遠ざかるようだ。

幸せをつかむには新しいもの、違うものにも感動して、再活性化を図るのが懸命ということになる。いまはいいとは思っていることも、繰り返しはほどほどにしておかねば。




最もよく仕事を遊べる者が、最もよく仕事が出来る者である。
at 2005 01/19 21:03 編集

「遊び力をつける」より

仕事は仕事、遊びは遊びときっちり分けているうちは限度があるのだ。

つまり、遊びを仕事にしてしまった人、仕事を遊びのように楽しめる人だけが仕事に集中できるという。そして結果としてプロ並みの感性をもつ顧客たちの支持を集められるらしい。

確かにそのとおりで、ただ普通程度に知っているだけでは説得力に欠けるものだ。また伝わってくるものが少ない。好きでやっている人にはかなわないだろう。

たとえそこそこの努力や根性があったところで、「好き」のパワーの代用にはなりはしない。そこで、もっとも仕事を遊んだものが仕事が出来るということになる。

たまに、そんな感覚を味わうこともあるが、その時はけっこういい成果がでるものだ。いつもいつも仕事で遊べたら最高なんですがね。




スポーツが現代の「遊び」系ソフトの代表であることは反論の余地がない。
at 2005 01/18 11:04 編集

「遊び力をつける」谷口正和著より

スポーツががいわゆるソフトの一つであることを忘れていた。実際にスポーツはやれば楽しいが、それをする人より観戦して楽しんでいる人のほうが圧倒的に多い。

エンターテイメントとしてのスポーツを提供することでビジネスになる。だからこそ、楽天もソフトバンクもプロ野球に積極的に新規参入してきたのだろう。テレビ放映権、入場料、関連グッズ、様々な版権使用料など莫大なマネーが動く。

しかし、そのスポーツの発明は100年以上も前のものだった。サッカー、野球、アメリカンフットボール、ゴルフ、テニス、ヨット・・・そのどれもが19世紀の英国で始まったもの。また、陸上、水泳、格闘技の発明は古代ギリシャということになる。

結局、現代人は昔の人が作り上げたものを改良しながら楽しんでいるだけだったのだ。パソコンやソフトがバージョンアップしていくのともちょっと似ていそう・・・




目標には4つの条件がある。対象・程度・期限・方法論。
at 2005 01/17 20:37 編集

PRESIDENT 2005年1.3より

私たちは目標というと、日常生活ではただ漠然と「今年の目標は~~をすることだ」としか思ったりしない。しかし、そんなものは大抵数日か数週間程度しか憶えていられない。本当にそれを実行するためには最低限4つは決めておく必要があることがわかった。

1.対象・・・何を。2.程度・・・どこまで。3.期限・・・いつまで。4.方法論・・・どのように。の4つだ。

いままで、私自身もこの4つが揃っていないのに目標だと思っていた。かなりいい加減だったことにも気づく。なんでも目標を持つってことはいいことには違いない。出来るかどうかは1~4の程度次第ということになるかな。

とりあえず、今年の自分の目標を決めることが目標かも・・・なにを、どこまで、いつまで、どうのように・・・

まあ、小さなことからこつこつといきましょうかね。





人生の価値はどれだけの美しい思い出をもっているかによって測られる。
at 2005 01/15 07:54 編集

「ジョークの哲学」加藤尚武著より

この本自体はジョークのいろいろなタイプというものについて解説したような内容になっている。そのなかで、上のジョークでないフレーズが少し気になったのです。それに関しての思いは人様々に違いない。賛否両論あるだろう。まあそれはともかくとして、次のようなショート・ジョークがあった。

女1「若い頃を思い出すと、無性に腹がたつのよ」

女2「何かあったのね」

女1「何もなかったのよ」

というものだ。あえて、解説の必要はないとは思うが、何もなかった青春の空しさが表現されている。そこで、思い出の価値ってなんだろうって、考えたりしてしまう。

もし、美しいと思えるような思い出があれば得したと思うべきかも知れない。日記のようなものを継続するのはそれを思い出すためにも役に立つかもしれないな。でも、いつまでつづくか・・・

“そういえばあの頃ウェブで日記なんかつけて掲示板に書き込みなんかしていたっけ”、ということ自体が思い出になってしまうかな・・・



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