「朝日新聞」2008.1.3付けより。
上記のフレーズは星野仙一(北京五輪野球日本代表監督)氏が述懐したものだった。星野氏は「その通りだと思う」と語っている。その理由として、犠牲バントを例に取り上げている。野球後進国に教えに行くと、子供たちが「どうして打たせてくれないんだ」と言うそうだ。
そこで、星野氏は「野球というのは自分が犠牲になったりアウトになったりして得点を競うスポーツなんだよ」と教えている。結局それは社会生活でのなかでも同じことだから、長嶋氏が言った“人生そのもの”、に通じているのだ。
自分が自分がといっているだけでは、チームで戦うスポーツも社会生活も成り立たない。野球でいえば、一、二番と四番打者では期待される役割や能力が違うことを考えれば容易に想像できる。
たとえいくら投手がゼロで抑えようが味方がゼロでは勝ちはあり得ない。試合展開によってはどんな強打者でも死四球、犠牲バントや犠牲フライも要求されることもある。いずれにしても得点を入れることを前提として勝ちを競うスポーツなのだから。
星野監督の指導方針の根底には明大の恩師島岡監督の影響があるようだ。試合がピンチの時は「何とかせい」が口癖だったという。細かな指示はないから、自分たちで考えなければならなかったようだ。
そのため“とりあえずインコースは当たってでも塁にでよう”とさえ工夫をしたらしい。もしこれを日々の生活に置き換えたらどうだろう。もし、生活が厳しかったら、とりあえずどんな仕事でもいいから就かなければと思うかもしれない。
ニートと呼ばれる人たちを除けば、きっとそういう気持ちで働いている人が多そうだ。また今している仕事がうまく運ばなかったらどうかと考えれば、モチベーションや創意工夫が足りないことにも気付くかもしれない・・・な。(と、自分に言い聞かせたりして)
蛇足
このインタビュー記事の最後のほうで星野氏は「私はまだ、熱さでは若者に負けないと思っている」と述べていた。この熱血監督はオリンピック代表の前に“団塊の世代の代表”でもあるかな。
上記のフレーズは星野仙一(北京五輪野球日本代表監督)氏が述懐したものだった。星野氏は「その通りだと思う」と語っている。その理由として、犠牲バントを例に取り上げている。野球後進国に教えに行くと、子供たちが「どうして打たせてくれないんだ」と言うそうだ。
そこで、星野氏は「野球というのは自分が犠牲になったりアウトになったりして得点を競うスポーツなんだよ」と教えている。結局それは社会生活でのなかでも同じことだから、長嶋氏が言った“人生そのもの”、に通じているのだ。
自分が自分がといっているだけでは、チームで戦うスポーツも社会生活も成り立たない。野球でいえば、一、二番と四番打者では期待される役割や能力が違うことを考えれば容易に想像できる。
たとえいくら投手がゼロで抑えようが味方がゼロでは勝ちはあり得ない。試合展開によってはどんな強打者でも死四球、犠牲バントや犠牲フライも要求されることもある。いずれにしても得点を入れることを前提として勝ちを競うスポーツなのだから。
星野監督の指導方針の根底には明大の恩師島岡監督の影響があるようだ。試合がピンチの時は「何とかせい」が口癖だったという。細かな指示はないから、自分たちで考えなければならなかったようだ。
そのため“とりあえずインコースは当たってでも塁にでよう”とさえ工夫をしたらしい。もしこれを日々の生活に置き換えたらどうだろう。もし、生活が厳しかったら、とりあえずどんな仕事でもいいから就かなければと思うかもしれない。
ニートと呼ばれる人たちを除けば、きっとそういう気持ちで働いている人が多そうだ。また今している仕事がうまく運ばなかったらどうかと考えれば、モチベーションや創意工夫が足りないことにも気付くかもしれない・・・な。(と、自分に言い聞かせたりして)
蛇足
このインタビュー記事の最後のほうで星野氏は「私はまだ、熱さでは若者に負けないと思っている」と述べていた。この熱血監督はオリンピック代表の前に“団塊の世代の代表”でもあるかな。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます