素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

十二代目市川団十郎さん死去・「外郎売り」

2013年02月04日 | 日記
 娘の部屋の改装の際、いらないと残していった本の中に、『日本語の発声レッスン・改訂新版一般編』(川和 孝著・新水社)というのがあった。おそらく保育士のための教育課程で必読書として買わされたものであろう。帯の付いたままのまっさらな状態であった。他のテキストや本は処分のために結わえたが、この本だけは私の手元に置いた。発声・発音も興味のあることの一つである。

 ジムのトレーニングの時にななめ読みをしてみたが、けっこう面白い。その中の″アーティキュレーション”(歯切れ、活舌)の練習の1つに「外郎売り」があった。その解説には次のように書いてあった。

 《これは、1718年(享保3年正月)、江戸の森田座で初演されたもので、二代目市川団十郎が、「若緑勢曾我(わかみどりいきおいそが)」に畑六郎左衛門という役名で外郎売りに扮して登場し、滝のような弁舌で、いい立てをしたということから評判になり、以後、時と所を変えて、独立した一幕としたり、他の狂言に織り込まれたりして上演されてきた。
 鎌倉建長寺を開いた大覚禅師に従って日本へ渡ってきた外郎(ういろう)という人物が、小田原に住んで売りひろめた「透頂香(とうちんこう)」を、俗に外郎といい、婦人病に特効があったというのだが、この芝居はその外郎を宣伝して歩く行商人の身振りを巧みに舞台にとり入れた面白さと、団十郎独得の雄弁術が評判になって、その後も演じられ、1980年5月に歌舞伎座で40年ぶりに十代目市川海老蔵が復活台本を骨子に演じて評判になった。》
 


 その時は、その解説を何気なく読み、104の文節に分けられた「外郎売り」のセリフを黙読していただけだった。これを9回の息継ぎで、発音を正確で明瞭なものにするために、さらに語句と語句のつながりをはっきりさせるために、舌の回りを滑らかに唇の開閉を的確に、洗練された明快な言葉で発音できるようになるために、納得がいくまで練習をしてみるとよい。という著者の言葉に「面白そうだけど、これはむずかしいな」と思ったぐらいで後はランニングに専念した。

 夕方から夜のニュースのトップは十二代目市川団十郎さんの死去のニュースであった。「勘三郎さんといい、次々と惜しい人が亡くなっていくなあ」と思いつつ見ていたら、外郎売りを演じている団十郎さんの舞台姿が映った「ああ!」と声を上げてしまった。40年ぶりに復活させた十代目海老蔵と十二代目団十郎が結びつきあらためて本を取り出して「外郎売り」のセリフを音読してみた。エベレスト登山並の難しさである。イメージをつかみたいので検索してみると案の定あった。その中で一番「いいな!」と思ったものである。

 外郎売り


 「外郎売り」のセリフを音読しながら団十郎さんのすごさを体感している。チャレンジするものがまた1つできた。




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