素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

志摩の実家から帰る~好奇心旺盛な両親~

2013年02月23日 | 日記
 母は、テレビ、新聞、雑誌などで紹介されているいろいろな料理を作ってみたいと思っている。しかし、父は若い時から偏食で新しいものを受け付けないので普段の生活ではなかなかその欲求を満たせない。決まったものを作っていればいいので楽ではある反面、つまらないらしい。そこで、私が帰ると新しいレシピを試すことにしているらしい。私は好き嫌いは全くない。その点ではとっても便利だと思う。今回もいくつかあったが、一番は″エノキ茸茶”であった。エノキ茸を2時間ほど乾燥させることは前回のこと、今回はさらに煎じてお茶仕立てにする運びとなった。もともと癖のないものだから煎じたところでほのかな甘みがあるだけで飲みやすい。中性脂肪に良いと聞くので機嫌よく飲んでいたら第二弾、乾燥したゴーヤを煎じた″ゴーヤ茶”が出てきた。これは昔の煎じ薬を思い出す味であった。乾燥野菜に興味を持っているみたいである。

 父は、新聞や雑誌で見つけた興味あるものを切り取っている。今回は公立共済だよりにあった86歳の方の「ブログ発信中」という投稿に興味をひかれたみたいである。ブログ昭和2年生まれの雑記帳を読んでみたいというのである。PCはないので携帯でつないでだしてみたが、小さい携帯の画面にギブアップ。どういう感じのものかはわかったので満足したみたいだった。

 3月の寝屋川ハーフマラソンと京都マラソンの間に、四国の義姉の3回忌に行くという話をしたら、それならというので新聞の切り抜きを出してきた。中日新聞の日曜版にある「全国旨いもん・香川県」の『讃岐巻物うどん』の紹介記事である。金刀比羅宮表参道にある中野うどん学校で売っているらしい。妻の実家から金刀比羅宮までは車で10分ぐらいと記憶していたので、是非買ってきてほしいということである。

 両親とも形こそ違え、食に対しての好奇心は衰えることなく強くある。

 棚を見るとレトルトカレーの箱が数種類目に入った。私が小さい時はカレーの日は父が当直か旅行でいない日と決まっていた。母も基本的にはカレーは嫌いなので不思議に思ったら、最近父はカレーの食べ比べに熱心になっているという。私には隔世の感があった。

 「食べる楽しみがなくなったらおしまいやね」というのがみんなの一致したところであった。

 治療した歯の噛み合わせが悪く、楽が苦になっているというので父をかかりつけの歯科医院に連れていくことになった。わざわざ浜島まで通っていることを知った。生まれ育ったところでもあるし姪が受付にいて融通をきかしてくれるのでと車の中で話してくれた。帰りに馴染みの魚屋で鰹を塩でしめたものとプリンスというてこね寿司で有名な小さな食堂でてこね寿司弁当を買って帰る。

 わたしにとって浜島という町の空気は特別で磯の香りや波の音、はるかに広がる水平線、交わされる口調がなんともいえないなつかしさを覚えるのである。父の歯の不調のおかげでカツオを堪能する昼食となった。

 午後からは家回りの仕事をして早目の夕食を終え大阪に向かった。新しくつくった押し入れに入れるため不要になっている布団をひと揃えもらったため軽自動車なので後部は荷物でいっぱいになった。

   夕暮れに引っ越しのごとく荷をつめて 走る高速ナベサダを聴く

   単調なエンジン音も心地よく 志摩のかおりを心に抱き
 

 21時過ぎに予定通り家に着く。新名神を使うとやはり早い。
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志摩の実家へ~虎屋のういろうを食す

2013年02月22日 | 日記
163号線から西名阪を使った。気温の表示は2℃や3℃が多くよく冷えていた。年度末ということもあり、工事が多く、都合7ヶ所で片側通行があったりしていつもとはリズムが違った。関ドライブインで予定通り、虎屋のういろうを購入。
昼食は亀山名物のみそ焼きうどん2011年中日本・東海B-1グランプリでゴールドグランプリを獲得しているもの。1時過ぎに家に着き、ういろうを食す。やっぱりうまい。

最初の仕事は夏みかんとり。今年は豊作で年明けから知人にも配ったりしてきたがまだ残っているので全部取ってほしいとのこと。40ぐらいかなと言っていたがなんのなんの。

全部で95個。どうする?という感じ。
後はこまごまとした用事をこなす。
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映画『旅の贈りもの~明日へ~』

2013年02月21日 | 日記
 午前は寝屋川市民会館へ映画『旅の贈りもの~明日へ~』を見に行った。寝屋川一中の前にあり、サッカー部の顧問会議でよく使った所なので妙になつかしかった。
 例によって招待券をプレゼントされたものだったので会場に着くまでは中身については皆無であった。

 入口にあったチラシには

『鉄道の旅を通して人々の再生を描くヒューマンドラマ。それぞれ人生の岐路を迎えた3人が、春の福井県を旅する過程で人生を見つめなおしていく姿を描く。
 独身のまま定年退職を迎え、ふとしたきっかけで42年前の初恋の人を思い出した孝祐、恋人との結婚に踏み切れずにいる結花、スランプに陥ってしまったバイオリニストの晃の3人は、それぞれの思いを胸に福井を旅する。』 
とあった。

 上映までの時間に読んで、勝手にストーリーを想像し「ちょっと苦手な映画やな」と思った。しかし、上映後は「好みの映画やな」になっていた。

 たとえるなら、上品に味付けられ、隠し味のきいている懐石料理のようなもの。絵手紙とメールという対照的な小道具の使い方がにくいし、音楽のからめ方も心地良いものだった。説明し過ぎず、ほど良い間のあるストーリー展開にほっこりとした。

映画『旅の贈りもの~明日へ~』予告編


 午後は、「どこを切ってもらうの?」と家族からいつも言われるのだが、自分としては昨日の30km走が一区切りだったので30年余り通っている理髪店で髪を切ってきた。この気分転換の儀式は、次へのエネルギーを与えてくれるものである。「髪よ永遠なれ!」と祈ろう。
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代表幹事さんのご心配ごもっともです。

2013年02月20日 | 日記
 本人が一番心配しています。春は3月10日の京都マラソンに当選しただけで御の字だと思っていましたが、いつも練習の拠点にしている寝屋川公園をスタートとゴールにする寝屋川ハーフマラソンの企画が実現したことを知り、ほぼ衝動的にエントリーをしてしまいました。交野市民ですが、交野マラソンのコースよりこちらのほうが馴染みもあり家からも近いのです。交野マラソンのスタート・ゴール地点のいきいきランドは歩いて40分ほど、寝屋川公園だと半分の20分ほどです。

 42.195kmの苦しさの記憶がうすれ去ったことも一因かもしれない。終わった後はフルマラソンはもう充分だという思いが強かったがジムや寝屋川公園を中心にコツコツと練習をしていくと自分の身体の変化を感じる。となると試したくなる。今回、ハーフを走ったことが1週間後のフルマラソンにどんな影響がでるかということも経験の一つだと考えている。「やってみないとわからない」ということで幾たびとなく失敗してきた。さて今度は吉か凶か?

 金土と志摩へ帰るので今日は最後のロングランをした。昨日は雨上がりの午後に新10kmコースをスピードを上げることを意識して走ってみた。1時間1分26秒であった。今日は30kmを余力を残して走り切るペースをつかむことを意識して2回目の鶴見緑地往復コースを走った。前回の1月25日同様寒さ厳しい中であったが、前回の経験をいかしてウェアーなどを工夫した。また給水やエネルギー補給なども信号待ちを利用してきちっととることにした。結果は3時間13分22秒。前回より15分短縮し、余力も残すことができた。これで寝屋川ハーフまでは軽い調整でいけるのではと思っている。
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免許とは?を考えさせられた

2013年02月19日 | 日記
 昨年4月の亀岡での暴走事故の判決が京都地裁であった。19歳の少年が起こした事件だけに少年法ともからみ難しい裁判である。未成年者が引き起こす凶悪事件には被害者、遺族側の思いと量刑の間にギャのップがあることは理解できる。一方で更生という観点も看過できない。いつも悩んでしまうところである。

 12歳~15歳という難しい年代と長く接してきた私の中にも、″厳罰に処する”と″更生への期待”という相反する2つの心が常に葛藤していた。このことに関してはまた折をみて考えをまとめてみたいと思っている。

 今回は、無免許運転について考えさせられたことをまとまらないまま書いてみたい。ちょうど判決のニュースをしている時息子が帰ってきた。ポツリと言ったのは「無免許運転運転って、そんなに軽いのか?」である。私も同じことを思っていた。

 今回の裁判にあたって、自動車運転過失致死傷罪ではなく、より刑罰の重い刑法の危険運転致死傷罪の適用を遺族側は求めたが、京都地検は「運転技術はあるので、危険運転致死傷罪の構成要件の未熟運転には当たらない」として見送った部分に???と感じるのである。

 素朴に考えれば「無免許」=「未熟」となる。そこに「無免許だけど運転技術はある」という別の尺度を入れるのでややこしくなる。こうなると「免許制度って何だ?」ということになってしまう。世の中には免許の必要な職業が多くある。美容師、理容師、医師、看護師、教師、弁護士、税理士、調理師、・・・・・。免許がないのにこれらの仕事に従事していて摘発されるケースが多々ある。その時は、「無免許だけどとっても髪を切るのが上手ですよ」「無免許だけど手術はうまかった」「無免許だけど味は絶品です」なんてことは入る余地のないほど「無免許である」というだけで厳しく社会的制裁をうける。

 その一方、免許があっても、その後の努力が足りなくて免許に値する技量を持ち合わせていない人が存在することも事実である。しかし、免許制度を堅持するためには免許の取得と中身の問題をしっかり区別して考えないとだめであろう。

 免許をとる過程においてはお金も使うし、さまざまな勉強をしなければいけない。そういう過程までも含めての免許であると思う。だから誇りとか責任感が生じるのである。技術だけの問題ではないのである。

 したがって、免許の「有る」と「無し」の間にはもっと厳しい線を引き、無免許にかんしては厳罰に処すれば良いと考える。

 意外と免許に関しては甘い社会じゃないかと思う。特に、教育界においてはそう思う。

 私が教育大学の受験を決めた時、どの科にするかでずい分考えた。得意、不得意がはっきりしていて偏りのある私では小学校教師は無理だと考えた。かといって高校生レベルを教えるほどの高い学力も持ち合わせていないことも自覚していたので中学校教師を目指した。教科も自分が好きで得意というだけでなく、教える立場ということからも考えて数学にした。幸い中免数学科に入学できた。そのカリキュラムを履修すれば中学と高校の数学免許が取得できる。常識的には中免で入った人も履修科目を増やし、小学校への実習も3回生の時に行い(中学校の実習は4回生)小学校の免許を取得して卒業するのだが、私はしなかった。指導教諭からは「今までそんな人はいなかった」と諭されたが「小学校では教えるつもりはないので免許もいらない」と必要最低限の履修で卒業した。

 三重県の中学校の採用試験で不合格になった後、小学校なら採用できるという話があった。「免許持ってませんから」と答えると「臨免を出すから」ということを言われた。若かったので「何それ」とことわった。しかし、大阪府の枚方市の面接では理科も受け持つならば採用という条件が示された。中学教師への道を拓くために妥協した。1年生の理科を2クラス担当した1年間は針のムシロであった。

 その教科ができるということと教えるということは違うのである。

 
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