素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

五木寛之著『蓮如』(岩波新書)

2011年12月25日 | 日記
 金正日総書記の死去で、北朝鮮のことがマスコミに報じられる機会が増えた。その中で、経済政策の失敗で貧困と飢餓に苦しむ地方の民衆の様子をとらえた映像には心が痛んだ。先のワールドカップアジア予選の会場となった首都ピョンヤンの映像では思っていたよりましではないかという印象を受けたが、ピョンヤンは他所向きに見せる特区であるということをはっきり認識できた。

 それらの映像を見ていて、なぜか15世紀半ばの日本のことが重ね合わされた。今、私の中にあるキーワードの1つが“歴史の転換点(端境期)”である。政治混乱と大飢饉の中であえぐ民衆の姿をそこに見たのである。ドラマなどでつくられたものでない“生”の映像の訴える力は強い。

 すると連想ゲームのように、金閣寺・銀閣寺に代表される室町時代の文化とは裏腹の民衆の悲惨な実態というものが意識の上に浮かびあがってきた。天の機、時の利を得たというのか、そういう世相を背景に急速に広まり、力をつけていった親鸞を開祖とする浄土真宗(一向宗)のことへと意識は流れた。

 おそらく、京都の堀川通りを車で走るたびに見ていた、親鸞の750回忌を迎え大修理を終え、大きな旗がなびいている西本願寺や大阪城に行った時に見る石山本願寺跡なども意識の底で働いてのことだと思う。

 急に、以前読みかけてやめていた五木寛之さんの『蓮如』を読みたくなった。2年前ぐらいに買って読みかけたが、おもしろさを感じなくてすぐやめってしまったものである。今回は全く違った。昼過ぎから読み始め、一気に読み終わった。うまく言葉では表現できないが考えさせられることが多かった。

 井沢元彦さんに連れられて古代から現代へと歴史を歩み、NHKの“逆のぼり日本史”で現代から鎌倉までと歴史を行ったり来たりしながら自分の中に欠落していたものを埋めたり、バラバラにあったものをつないだりしてきたが、信長の比叡山焼き討ち、石山本願寺との攻防以前の部分が少し深まったように思える。

 そういう意味合いでも今度のNHK大河ドラマ“平清盛”には少し期待を持っている。
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