素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

年末の恒例イベント「第九コンサート」

2011年12月11日 | 日記
 近所の人で、“大東第九をうたう会”に入っている人がいる。毎年、チケットをいただく。今年は2枚いただいたので私も行くことにした。会場の大東市立総合文化センター『サ-ティホール』までは車で20分ほどで行くことができる。
 第一部は高校1年生である星野勇輝さんのピアノでショパン作曲♪ピアノ協奏曲 第1番ホ短調 作品11♪。この曲は1829年に完成し、翌年にショパン自身の演奏により大成功したそうだが、その時のショパンは20歳。恋人である歌手のコンスタンティア・グラドコススカも一緒に出演してショパンはとても緊張していたと曲目解説にあった。2歳ほどしか変わらない星野さんのフレッシュなタッチでの演奏を聴きながら、当時もこんな感じやったんかなとも思った。

 都はるみの♪北の宿♪の出だしの「あなた かわりはないですか?」のメロディーは、この協奏曲のモチーフを使ったことはまちがいのない事実だろう。それだけ日本人にとっても心地よい響きとなって伝わってくる協奏曲である。

 第2部はおなじみベートーヴェン作曲♪交響曲第9番 ニ短調 作品125「合唱付き」♪2年前のことも思い出しながら、年末が近いことを実感した。第1楽章から第4楽章までを通して溢れ出てくる苦悩と歓喜の響きを新鮮な感覚で聴いた。

 音楽でも、文学でも、その作品には作者を通じて時代が投影されている。1770年に生まれたベートーヴェンはフランス革命とナポレオンのヨーロッパ征服そして敗退、政治反動と復古という激動の時代を“自由で自立した個人”を貫いて生きた。1814年のウィーン会議を経てからのウィーンはヨーロッパの反動の中心としてメッテルニッヒ宰相による恐怖の思想・言論弾圧が吹き荒れ、ベートーヴェンの庇護者や友人の多くは獄につながれて行った。

 その弾圧の対象である詩に、曲をつけて謳い上げたベートーヴェンの芸術に対する思いは想像をはるかに超える強いものがあったのではないかと推察される。1822年、52歳の時からおよそ2年かけて完成し、ウィーンのケルントナートーア劇場で1824年5月7日に初演されて以来(日本での初演は1924年、それより6年前に徳島で第一次世界大戦によるドイツ人捕虜たちの演奏はある)200年近く演奏され続けてきた。

 それは時代や地域によって異なる形で現れてくるが、人間が生きていく上で避けることのできない“苦悩と歓喜”(昨日の談春は鬱と躁という表現していた)が支柱になっているからではないのだろうか。

 帰りの車の中から見た山から上がったばかりの月は大きく美しかった。「自分なりの1年の締めにとりかからないとな」と思った次第。
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