素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

やっと16日のことを書けるまで回復しました

2011年12月19日 | 日記
 パソコンの不具合のため、写真も取り込むことができないでいた。いたし方がないので17日、18日は携帯を使ってブログを書いていた。かれこれ1週間近くグズグズしているので、訪問サポートを受けることにした。明日の予約を取ったのだが、取り終わった後しばらくすると突然、普通に動き出した。「何だこれは?」という感じである。

 16日は、主催団体の1つである毎日新聞をとっている関係で『飛鳥アートプロジェクト』の招待チケットがあったので、行ってみることにした。冬型の気圧配置となり前日より5度ぐらい気温が下がり雪がちらついてもおかしくない空模様であった。明日香村の各所に展示されているアート作品をゆったりと巡るには風も強く、寒すぎたので石舞台と万葉文化館にしぼった。

 石舞台には10時50分に着いたので11時からの霧の発生を見るのにちょうど良いタイミングとなった。石舞台の四方に巡らされた堀の各所に設置されたノズルから霧が噴出される。その日の気象環境条件に呼応して形状、動き、ボリューム、濃度などが刻々と変化すると解説されていた。風がなければスッポリと石舞台を包んでしまうほどだが、今日は風が強かったので霧の河という具合になった。
  「やっぱり自然のほうが良い」という感想は無粋だろうか。

 おなじみになった万葉文化館では2つの展覧会が開催されていた。


絹谷さんの展示では、同じテーマの作品が平面と立体で上下に展示されているものがいくつかあり興味深く観させてもらった。原始的なエネルギーが湧いてくるようだった。

“堂本印象とその門下東丘会の歩み”展では絵も素晴らしかったが東丘会の歩みにも考えさせられるものがあった。1934年(昭和9年)に設立され、1938年(昭和13年)の第1回東丘展から2011年(平成23年)までの計51回の展覧会ポスターが展示されていたが、その中で一番印象的であったのが1942年(昭和17年)の第5回のものである。戦時下での統制が垣間見えたのである。そして翌年から1947年(昭和22年)までは戦争のため展覧会休止となっていた。また、冊子の中にも“第二次世界大戦に多数の塾員が中国、南方アジアへ従軍”という記述があった。

 キョンナムさんの『私たちは幸せになるために生まれてきた』の中にある“無言館”を建てた窪島さんの話とが重なった。
コメント
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