素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

基本的な行動パターンはそうそう変わらない

2010年05月06日 | 日記
大念仏寺・万部おねり 二十五菩薩来迎会 (大阪市平野区)


 「仕事をやめて時間ができたので、好奇心旺盛に動いているのか、もともとそういう人だったのか?」と聞かれたことがある。自分では余りそういうことは考えなかったが、改めて振り返ってみると、小さい頃から同じようなことをやっていたことに気づいた。

 小学校の頃は、横山という山に登り、頂上付近の展望台からリアス式海岸の志摩半島の景色をよく見に行ったし、麓では友人と化石探しに夢中になっていた。


 中学2年の春の遠足の時、先生の手違いで電車が出た後で駅に着いてしまい、次の電車まで30分ぐらい待たなければいけなくなった。4駅の区間なので友人2人とで「30分待つ間に走った方が早く学校に帰ることができるんと違う?」という話になり「行こか!」の一声で先生の止める声を無視して一目散に走った。当然途中から歩きになり、2つ目の駅を過ぎたあたりでみんなの乗った電車に追い抜かれてしまった。翌日、こっぴどく叱られた。正座させられながらも自分の中には反省よりも「チャレンジした充実感」が満ちていた。

 1965(昭和40)年の2月13日に、志摩市磯部町恵利原から標高約240mの逢坂峠を越え、伊勢神宮神域の島路山を流れる島路川に沿って伊勢市宇治館町をつなぐ伊勢道(15.2km)
が開通した。今は無料になっているが当時は有料で、自転車は10円だった。休みの日に住んでいた鵜方から約10kmの磯部に、そして伊勢道路を通って伊勢まで自転車で走った。峠越えと「ナナマガリ」と呼ばれていたカーブの連続に苦労した。行ったら帰らなければいけないということを「行く!」と決めた時は頭から飛んでいて、後から後悔しつつ疲れた体にムチ打つのである。

 この類の話は書き出したらキリがないほどである。いったい何のために?どうして?と問われても答えに窮する。生きていくということは「こうすれば こうなる」という単純なものではない。いろいろな体験の積み重ねの中で、予想できない化学反応が起きて新たなものが生み出されていくのである。何が起きるか本人にもわからないのだから他の人にわかるはずがない。したがって、もし私という人間に興味があるなら、最期まで見届けてください。という以外に答えはないのです。
コメント
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