素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

大学の同窓会で名古屋へ・ついでに思い出の場所にも

2011年11月06日 | 日記
名古屋への行き方はいろいろあるが、先日の“3人寄れば文殊の知恵”でのように特急、新幹線を使わず在来線を乗り継ぐことにした。
星田発8:16快速同志社前行8:36京田辺着新田辺発8:56急行京都行9:19京都着

京都発9:30新快速長浜行10:24米原着米原発10:33新快速豊橋行

名古屋11:43着 
名古屋駅周辺はすっかり様変わりしていた。方向がわからなくなったが尋ねるのも癪。30年以上前の記憶を頼りに開始の12時ジャストに名鉄ニューグランドホテルに到着。教科ごとにテーブルが用意されていてなつかしい面々が坐っていた。会いたい人の40%に会うことができ、あれやこれやと話しているとアッという間にお開きの時間になった。♪学生歌“山脈(やまなみ)遠く”♪を最後に全員で歌った。学生歌を歌うなんて思ってもいなかったが、応援団で誰よりもたくさん歌ってきた身、38年ぶりでも問題なかった。


 みんなと別れた後、もう1つの目的、浪人時代をふくめ5年間お世話になった“成田屋旅館”のあったあたりを歩いてみることにした。親元を離れ18歳から23歳までを過ごした思い出のつまった地である。
再びすっかり変わった名古屋駅周辺を昔の記憶をたよりに歩く。太閤通さえみつければ後は何とかなる。
交差点を左(東)に行けばテレビ塔、名古屋城のある栄方面に行く広小路通、右(西)に曲がると秀吉の生まれ育った中村村のあった中村公園に続く太閤通である。

 私のいた頃は市電が走っていたが、今は地下鉄になっている。その分太閤通は広くなったが、駅裏と呼ばれたこのあたりは駅前の開発の波は押し寄せていない。何となく昔の雰囲気が残っている。
太閤通を30分弱歩くと大門に着く。市電に乗っていた時はここで下車していた。名前の通り名古屋では名の通った中村遊郭の入口にあたる。私のいた頃はまだその空気が残っていて何ともいえない猥雑さがあった。下宿は左へ行くのだが、その前に右手に行ってみた。すっかり街はさびれてしまったという感じで、かつての面影はほとんどない。メインストリートをそれるとところどころに古い家屋が残っていて遊郭であったということをしのばせる。
銭湯の入口だが、看板に“廓温泉・草津温泉”の文字がある。ぐるっとひとまわりして太閤通に出ると正面に“海苔”の看板が見えた。
ここは、母方の祖母の叔父が創業した店で、今は代替わりをしたが、私がいた時は健在で“磯小町”という商標で焼海苔、味付海苔をつくっていたが、その苦労話を聞いた。学生の私にはとっても食べることのできない料理屋に連れて行ってもらったのでありがたかった。中元、歳暮の時期には店のほうでアルバイトもさせてもらった。“成田屋旅館”も祖母の叔父に母が相談に行って紹介された。色々な意味でお世話にもなったし、人生勉強もさせてもらった。

 海苔屋の裏にまわって5分ほど歩くと私の暮らしていた“大倉旅館”がある。私が大阪に移ってから数年後に引越しをされたと風の便りで聞いていたので、もうないだろうなと思っていたが、意外や意外、そのままの状態で建っていた。標札を見ると近くにある天理教関係の施設として使っているみたいである。当時でもかなり古かったと思うが、まだ現役とはと驚いた。
庭のあった所は駐車場になっているが家の外観はそのままである。裏にまわると私の部屋が見える。2階の右端である。エアコンの室外機があるが、私の時はうちわが涼をとる道具。トタンの照り返しの暑さは半端ではなかった。“今流している汗はきっと無駄にはならない!”なんて青臭い台詞を吐いていた。

 3畳一間であった。4年生の時♪神田川♪が大ヒットした。♪さんじょう ひとまの ちいさな げしゅく♪という下りでは、ここの生活とももうじき終わりだという思いもあっておセンチな気分になっていた。

 思い出の地ウォークの締めくくりは山本屋本店の“みそ煮込みうどん”。 友人に「きしめんもいいが、みそ煮込みうどんもいいでよぉ」と連れて行ってもらって初めて食べた時の驚き。湯がくのを失敗したできそこないで取り替えてほしいと言いそうになった。とにかく固い。うどんは“伊勢うどん”の柔らかい食感しか知らなかった私にとってはとんでもない代物だった。鍋のふたに麺をとって食べる流儀をおそわり食べたが、いつもそうなのか腑に落ちず何回か一人で通っているうちに病みつきになってしまった。

 30数年ぶりに食べたが同じであった。

 帰りは近鉄特急にした。近鉄名古屋駅に向かう途中に巨大な人形と中日ドラゴンズの応援歌。名古屋ややなぁと実感した。クライマックスシリーズも煮込みうどんのように煮えきらない、中日らしい勝ち方でヤクルトを破り、日本シリーズをソフトバンクと戦う。とっても興味のある組み合わせとなった。

  近鉄特急に乗るのも本当に久しぶりであった。16:25発鶴橋18:38着。JRを乗り継いで星田着19:39。



 



 




 
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