素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

高校の先輩 小津博司さん新検事総長に

2012年07月21日 | 日記
 前にも触れたが、初めての衛星放送があった時の最初に流れたのがケネディ大統領の暗殺というショッキングなニュースであった。スイッチを入れた瞬間、オープンカーに乗った大統領の崩れ落ちる体とジャクリーヌ夫人の姿が衝撃的だった。

 また、夏の教育研究会と家族旅行をかねて小倉で滞在した帰りに琴平の近くにある妻の実家に立ち寄るために豊後水道をフェリーで渡り愛媛から香川へと入った。27年も前なので高速道路も整備されていなかったのでハードな旅だった。実家に着いた時は夕方であった。ヤレヤレとテレビのスイッチを入れた時飛び込んできたのが日航ジャンボ機墜落事故現場からの映像であった。運転の疲れも吹き飛んで茫然と見ていた。

 阪神淡路大震災の時もそうだった。いつものようにクラブの朝練のために5時30分頃起きて、テレビのスイッチを入れるとNHK京都支局の内部の揺れる映像が流れ、大きな地震が京阪神地区に発生したというアナウンサーのくり返す声。私の家の揺れはわずかだったので「ああ、あれか」という程度で軽く考えていた。同じ映像と地震発生を告げるアナウンスがくり返されるのでスイッチを切り身支度をして6時30分過ぎに家を出た。車で30分ほどかかるのでラジオのニュースを聞くと被害の模様がどんどんわかってきて、大変な事態になっていることを知った。学校に7時過ぎについてテレビのスイッチをつけると無残な姿の神戸の様子が飛び込んできた。

 このように事件報道に接する時、事の重大さ加えタイミングの良さでインパクトの強さが増した経験をいくつかしてきた。今朝も事件ではないが久しぶりに「オッ!」と思わせられる映像とパッと出会った。

 6時頃起きて、窓をあけ、新聞を取り行くという一連の流れの中で、テレビのスイッチを入れると「今度、検事総長に就任した小津東京高検検事長の会見・・・」というアナウンサーの声。「フ~ン」と思って画面を見ると静かな口調で語る新検事総長のアップ。思わず「アッ!小津博司や!」と声が出た。不意でもあったし短い映像だったので確信が持てなかったのですぐに朝刊を開いた。こういう人物は“ひと”欄に取り上げられる公算大と考えたからだ。思った通りであった。「やっぱり高校の先輩の小津博司さんや」とスッキリした。
 小津さんは私の高校時代の忘れられない先輩3人の中の一人である。直接面識があったわけではないが、存在感が飛びぬけていたのである。学園紛争の余波が伝わってくる中、生徒会長をつとめ、クラブ活動に勤しみ、東大法学部にストレートでスッと合格していった。“すごい人”が世の中にはいるのだと実感した最初の人であった。

 私の高校では体育で年間を通じて週1回のマラソンと月末に月例マラソンという全校マラソンがあった。その全校マラソンでも小津さんは10位以内に入っていたと思う。ふがいない成績の私たちに担任は月例マラソンの上位者一覧表を指しながら「小津を見ろ。こういうのを文武両道というのや。わしはこういうのが好きや。」とハッパをかけた。「そうは言われてもなあ」というのが率直な気持ちであった。“キャパシティーの大きさの違いはいかんともし難い”と悟った。

 新聞によると「思考が柔軟」で調整能力が抜群であるとある。かつての部下たちは「難しい案件も小津さんの助言通りに修正するとするするとうまくいく」というので尊敬を含めて『オヅの魔法使い』というあだ名をつけていたという。

 高校時代の演説もそうであった。熱くなく、冷ややかでもなく説得力のあるものだった。テレビで15秒ほど流れた会見での談話でも同じ印象を持った。検察の危機の中での就任、「ここは、やはり小津さんか」と妙な納得の仕方をしたのである。

 
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