素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

「巨大すぎる謝罪状」(22日毎日夕刊・憂楽帳)

2024年05月23日 | 日記
 夕刊は余り読むところがないが、50年以上続く社会面掲載のコラム「憂楽帳」は面白い。編集局の副部長クラスが交代で執筆し、記者個人の身近なテーマを取り上げている点が他とは違う味である。450字余りで読みやすく夕方の楽しみの一つである。

 22日の「巨大すぎる謝罪状」は興味深かった。「それはあっけにとられるほど巨大だった。16日まで三重県伊賀市の前田教育会館で展示されていた実業家・田中善助(1858~1946年)の謝罪状のことだ。9メートル四方の紙に躍る墨痕豊かな文字。わらぼうきで書いたらしい。
 善助は伊賀地方の近代化に貢献した人物。水力発電所を開業して伊賀の電気王とも呼ばれた。鉄道や下水道事業のほか、金融業も手掛け、旧上野町長も務めた。」
という書き出しで始まる。いつも志摩に帰る時に通過する馴染み深い伊賀市が舞台の話ということもある。

 「謝罪状は市内の寺の住職にあてたもの。ため池を掘る際、寺院所有の山林を荒らした件をわびている。住職はその大きさに驚き、わび状を返却して一件を収めたという。
 善助は当時の帝国議会に「風景保護」に関する請願を初めて行ったことでも知られる。その理由を記した書で、徐々に自然豊かな風景が破壊されていくのを嘆き、「風景保護ノ制」を立てる必要性を訴えた。
 戒めていた自然破壊の当事者になってしまったとの深い後悔が、巨大な謝罪状を書かせたのかもしれない。が、もらった住職の困惑を思うと、笑いがこみ上げてきた。」
とコラムを書かれた衛藤達生さん。

 森友、桜を見る会、裏金問題などで政治家、官僚ののらりくらりとした開き直りとも見える答弁に辟易していたところなので潔いよいわび状が清涼剤となった。

 自戒も込めて、自分の非を潔く認め謝罪する勇気を持ちたいものだ。
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