素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

「自彊術入門」(池見酉次郎著・ゴマブックス)をじっくり読む

2014年12月28日 | 日記
 歌番組が大好きだった父だが、耳が聞こえにくくなるにつれ遠ざかっていった。補聴器をつけても歌手の歌が音程がはずれたように聞こえ、ちっとも楽しくないという。補聴器もいくつか試しおたがしっくりいかないようで、通院などよほどの場合でない限りつけることはない。夜にテレビを見ながら会話を楽しむということもできなくなった。そういうこともあって夜は読書タイムとなる。

 同行させた「自彊術入門」(池見酉次郎著・ゴマブックス)を20年ぶりにじっくり読んだ。前半部分は池見さんが日本初の「心療内科」を立ち上げた理由と、自彊術に出会った経緯についてていねいに書かれている。自分自身の体験を踏まえての理論的な話には説得力がある。

 私自身が人間の心というものに強い関心をもつようになった部分と重なるところもあり興味深かった。第二章にある自彊術との出会いの部分を長くなるが紹介しておきたい。これがエッセンスだと思う。

 『幼児から人一倍ひ弱な体質と過敏な神経の持ち主だった私は、成育過程における複雑な環境が影響して、中学生のときに神経性の胃腸障害にかかりました。以後何年にもわたってこの病に苦しめられた私は、なんとかそれを治したいという願いが高じて医師の道を志しました。そしてこの病気は、当時のわが国の身体医学では治すことができず、もっと人間の精神面に着目し、自ら病気を克服するセルフ・コントロールの道を追究する必要があるということに気づきました。
 
 それからの私は心理学、哲学、宗教、民間療法の中にその答えを求め、啓示を受けてはその限界も知るということを繰り返しながら、ついには心身医学の道にたどりつきました。当時、心身医学は世界的に見ても新しい分野であり、日本においてはほとんど周囲の理解を得られぬままスタートを切らねばなりませんでした。

 道なきところに道をつくる。その作業がけっして楽ではないことははじめからわかっていましたが、その想像をはるかに超えるストレスが体にかかり、私は著しく健康を損ねてしまったのです。

 そんな折に出会ったのが自彊術でした。私は心身医学をスタートさせてから、セルフコントロール健康法をずっと研究してきました。人間には本来、自分で自分の病気を治す能力が備わっています。その力を補助するのは医学にとって重要な役割のはずなのですが、近代的な西洋医学ではこの点がほとんど無視されています。そこで必然的に東洋医学に目を向けざるを得ませんでした。

 気功、ヨガ、瞑想、そして日本の座禅などを研究していくと、いずれもすぐれたセルフコントロール法であることがわかりました。ところが、自彊術にはそれらを凌駕してしまうほどの長所がいくつも見出せたのです。このことについてはすでに第一章でも申し上げましたが、そこに、私が長年求めつづけてきたセルフコントロール健康法の理想的な姿がありました。・・・・・』


 第三章で自彊術の31動作について図入りで一つずつ解説されているが、これはジムで月、水にやっているピラティスと重なるというのもいくつかある。またボクササイズの動作とつながるものや独自に朝やっているストレッチを取り入れた体操と同じなどと自分の体を通して感じてきたことも多いので違和感がない。20年前の私は鍛えるということが第一義であったので自彊術に目が向かなかったこともよくわかる。

 今の私は、インナーマッスル、姿勢、関節(首・腕・肩・股関節・膝・足首)を動かすこと、関節周りの筋肉を柔軟にすること、呼吸(胸式と複式)、丹田が大切だと思っている。その視点から見れば自彊術は注目に値する。2015年の課題の1つが見つかった。

 どんな立派な人が推奨していても、自分の体を通してみないと気がすまないのである。

 自彊術体操31動1/2
 年末の運命的な再会であったことは確かである。
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