素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

楠葉の二ノ宮神社にちょっと寄り道

2021年10月23日 | 日記
 今日は楠葉のHさん宅の元ガレージの片づけ、改装に出かける予定にしていた。朝食を済ませると妻が「Hさん宅へ行くついでにスタンプ押して来てほしんだけど」とチラシを差し出した。一瞬「???」となった。見ると「路線バスで行こう!バス!にのってスタンプラりー」とあった。妻はスタンプラリー大好き人間である。

 枚方にある王仁公園、パナソニックアリーナ、鍵屋資料館、二ノ宮神社の4カ所でスタンプを押して「くらわんか茶碗を探せ!」の答を見つけるというものだ。

 地図で二ノ宮神社を調べると確かに途中で左折して150mほどの所にある。道草好きにとっては断る理由がない。整然とした宅地の中にうっそうとした森が現れ驚いた。誰もいない社務所の前にスタンプはあった。道草の時間は15分足らず。神社の趣きに歴史を感じたので帰宅してから調べてみた。
「ふるさと枚方発見・二ノ宮神社」(https://old.shoai.ne.jp/hirakata-s/jinjya/f130910/f130910.html)によれば
【二ノ宮神社の由緒】
二ノ宮神社は、枚方市の北部、船橋本町(旧大字船橋)北方村里に接し、杉、桧、楠、榊、等の樹林の中の社域に鎮座しています。御祭神は健速須佐之男命、奇稲田姫命、大己貴命の三柱(みはしら)の神様です。社記に依れば二ノ宮神社は西暦342年に仁徳天皇が建てられ、聖徳太子の父の用明天皇も非常に信仰されたという事です。また京都を都とした桓武天皇も西暦797年に右大臣藤原継縄(つぐただ)を使者にして、神様にお供えをし、西暦856年には文徳天皇も右大臣藤原良相を使者にして、お供えをしたとあります。
戦国時代には交野郡の二宮牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)と称され、織田信長は深く信仰し、土地を寄進して社殿に修繕を加えています。その後も大阪城鬼門除(きもんよけ)のお社として修理や寄進が豊臣家や徳川家などからありました。明治時代になり、それまでの牛頭(ごず)天王社 から二ノ宮神社へ名前が変わり、樟葉、船橋、養父、宇山、東山、高野道、家具団地、北山などを守る氏神様として信仰されています。
二ノ宮神社の境内社には【猿田彦神社】【愛宕神社】【稲荷神社】【天照皇大神(あまてらす・すめら・おかみ)】、二ノ宮神社の境外社として【御旅所】があります。
また18世紀後半に祀官(しかん)をつとめた井上桐亭・金橋は詩歌にすぐれ、坂村の岡田本房・三浦蘭阪らと文人サロンを形成しました。彼らが当社に奉納した和歌も多数残されています。
なお、当社の付近には船橋遺跡(弥生時代中世)がひろがっています。中には古代の瓦が多数出土する地点があり、幻の寺跡が地中に存在する可能性を秘めています。

   

 Hさん宅のガレージの改装は、不用品として山積みになっているものを最大限活用してゴミを減らすことを目指した。答えのないものを試行錯誤しながら考えていく作業は楽しい。15時30分まであれやこれやと作業を進め半分ぐらい片付いた。残りは30日(土)。ハプニングなく完了!としたいものだ。
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