同じく、「蓮下絵百人一首和歌巻断簡」(江戸時代、本阿弥光悦筆、
彩䇳墨書、33.2/55.8cm、一幅、京都・樂美術館)、同(33.3/83cm)
は、光悦の代表作と評される和歌巻の一つ。
後鳥羽院の「人もをし 人もうらめし あぢきなく 世をおもふ故に
物おもふ身は」。
そして、順徳院の「百敷や ふるき軒端の しのぶにも 猶余有 昔成
けり」の一首。
末尾には「大虛庵光悦」の自筆と花押が添えられている。
総体的に、定家が撰した百人一首は、かつて定家が撰集に加わっ
た「新古今和歌集」が、“花(詞)”が“実(心)”に過ぎた和歌集になん
てしまったことを悔やみ、改めて“実”を重視して撰したと伝わる。
本阿弥行状記には、この花実論を踏まえた記述がある。さらに法
華経の主要な注釈書「法華玄義」によると“妙法蓮華経”という経題
が、釈尊の教えを蓮華に例えているのは、開花と同時に実がなる花
であるからだという。
光悦は、この花と実に関するこれらの説を結びつけ、蓮の下絵に
百人一首を揮毫したのではないだろうか。つまり光悦にとって、本
作が法華信仰と古典の造詣が両立した最高傑作と自負した和歌巻で
あったといえる。
TNM(台東区上野公園13-9)
彩䇳墨書、33.2/55.8cm、一幅、京都・樂美術館)、同(33.3/83cm)
は、光悦の代表作と評される和歌巻の一つ。
後鳥羽院の「人もをし 人もうらめし あぢきなく 世をおもふ故に
物おもふ身は」。
そして、順徳院の「百敷や ふるき軒端の しのぶにも 猶余有 昔成
けり」の一首。
末尾には「大虛庵光悦」の自筆と花押が添えられている。
総体的に、定家が撰した百人一首は、かつて定家が撰集に加わっ
た「新古今和歌集」が、“花(詞)”が“実(心)”に過ぎた和歌集になん
てしまったことを悔やみ、改めて“実”を重視して撰したと伝わる。
本阿弥行状記には、この花実論を踏まえた記述がある。さらに法
華経の主要な注釈書「法華玄義」によると“妙法蓮華経”という経題
が、釈尊の教えを蓮華に例えているのは、開花と同時に実がなる花
であるからだという。
光悦は、この花と実に関するこれらの説を結びつけ、蓮の下絵に
百人一首を揮毫したのではないだろうか。つまり光悦にとって、本
作が法華信仰と古典の造詣が両立した最高傑作と自負した和歌巻で
あったといえる。
TNM(台東区上野公園13-9)