甲子園(?)おもしろ校歌決戦! 南波高校 vs 池田模範堂高校

2016年04月29日 | 音楽

 前回(→こちら)の続き。

 高校野球を見ていると、試合後の校歌斉唱で時折おもしろい歌詞やメロディーに出会うことがある。

 我々世代としては「池田模範堂高校 校歌」(→こちら)もはずせないが、大阪人としては、やはり地元からもひとつ取り上げたいところだ。

 そう、南波高校の校歌。

 南波高校は、水島新司先生の名作『男どアホウ甲子園』の主人公である藤村甲子園が通う学校。

 ここに、藤村甲子園を知らないヤングたちに説明すると、『男どアホウ甲子園』とは水島先生お得意の野球漫画で、内容としては、


 極道ハーケンクロイツを旗印とする極右学生が戦ったり、ヒロインのあだ名が「美少女」だったり、「剛球仮面」なるマスクマンが甲子園のマウンドにあがったり、主人公がカンニングで東大に合格したり色々あったりしながら、藤村投手が「かたわ」「めくら」「びっこ」のナインを率いて甲子園を目指す。


 というもの。

 どんな話やねんという勢いだが、昭和のマンガは、まあだいたいが、こんな感じなんです(ホンマかいな)。

 で、その南波高校校歌の歌詞。

 私が最初に知ったのは『どアホウ』本編ではなく、スピンオフ作品『一球さん』。

 藤村甲子園の双子である球二球三のバッテリーを擁する南波高校は、優勝候補の大本命に数えられながらも、真田一球率いる巨人学園に、なんと九回二死までノーヒットノーランに抑えられるという大苦戦。

 そこから藤村兄弟の活躍で、執念の大逆転勝ちを見せるのだが、その熱い展開よりもなによりも、釘付けになるのが試合後の校歌斉唱

 ごちゃごちゃ言うより、聴いてみましょう。


 沖のカモメと どアホウものはよ
 
 どこで死ぬやら 果てるやら ダンチョネ

 俺が死んだら 三途の川で

 鬼を集めて 野球する ダンチョネ

 鬼の野球はよ、地獄のサインよ

 えん魔さまでも見とおせぬ ダンチョネ



 なんというのか、高校野球史上これほど

 「どこからどう、ツッコミを入れていいかわからない」

 という歌も、めずらしいであろう。

 高校の校歌に、まさかのダンチョネ節。ソリッドすぎるセンスである。

 しかも歌詞がすばらしい。三途の川で、を集めて野球

 鬼も、まさか亡者に「来たれ、野球部」とか言われても困るであろう。

 もし鬼が、見かけによらず、趣味が読書とかの文化系だったらどうするのか。

 そもそも「校歌」なのに、野球に特化しすぎである。サッカー部バスケ部が、インターハイとかで勝ったときは、気まずいのではないか。

 甲子園にこれが流れたら、椎名高志さんのマンガに出てきた「悪徳商業高校 校歌」に匹敵する事件であろう。

 これはもう、やはりナンバつながりで、ぜひNMB48にカバーしてもらうしかあるまい。

 秋元先生、ぜひよろしくお願いします。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

甲子園(?)最強のおもしろ校歌はこれだ! かゆみにムヒ 池田模範堂高校

2016年04月28日 | 音楽

 高校野球を見ていると、試合終了後の校歌斉唱で、時折おもしろい歌詞が流れてくることがある。

 昨今では、


 「やればできるは魔法の合い言葉」

 「Be together!」



 といったポップなものが話題となったらしいが、私の世代だと、これにつきて「池田模範堂高校 校歌」。

 

 ムッヒ~がおかにィ~、かゆみをとめてェ~池田、池田、模範堂ォ~♪



 昭和後期生まれは、たぶん、みんな歌えるはず。

 テレビで見たときのインパクトは、なかなかにすごかった。小学生ながら、思わずテレビに「天才あらわるか?」とか身を乗り出してしまったものです。

 まあ、今のヤングはこれだけ聴いてもなんのこっちゃろうが、要はパロディで、ムヒを作っている株式会社池田模範堂と、当時高校野球界でブイブイ言わしまくっていた、徳島の池田高校とをかけているわけです。

 後に巨人で活躍する水野雄仁投手を中心に、1982年夏の甲子園と、翌年春のセンバツを連覇

 「やまびこ打線」「阿波の金太郎

 なんて、今なら間違いなく、流行語大賞にノミネートされていたであろう。

 私も野球好きの友人に連れられて、池田高校の試合を甲子園で見た記憶があるけど、超満員で、試合終了後に外に出るのが大変だったのをおぼえている。なんせ、暑かったし。

 そんな池田高校とのコラボ(?)と楽曲のセンス、さらには「池田模範堂」という語感のおもしろさなども手伝って、このCМは一気にメジャーに。

 草野球のあとは、みんなでこれを熱唱したものだ。あとファミスタで勝ったときとか。いやあ、アガるっスわ(実際のCМは→こちらとか、こちらとか)。

 このころの少年が大人になって、昔の高校野球シーンを振り返るとき思い浮かぶ言葉は、

 

 「大ちゃんフィーバー」

 「KKコンビ」

 

 など様々であろうが、私のようなボンクラはもう断然、

 「かゆみにムヒ

 ということになるのである。

 マジでもういっそ、池田高校の校歌は、これにしてもよかったんじゃない?

 

  
 (南波高校編に続く→こちら

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ベルトルト・ブレヒト『ガリレオの生涯』と枝雀落語で泣いてしまった男 その2

2016年04月24日 | ちょっとまじめな話
 前回(→こちら)の続き。

 「泣ける話」に泣けない私が、桂枝雀師匠の落語を聞いて、なぜかブワッと涙が吹き出してきた。

 爆笑噺で大号泣。これには厚切りジェイソンならずとも「ホワイ、ジャパニーズピーポー!」だろうが、私には妙な癖があり、小説でも映画でもお芝居でも、ハイレベルな芸の上に成り立つ楽しいもの、笑えるもの、愉快なものに接すると、感動のあまり泣いてしまう。

 学生時代、ビリー・ワイルダー監督の『あなただけ今晩は』を観て、そのあまりの楽しさに深夜ボロボロ泣いてしまったし、近鉄小劇場で観たアラン・エイクボーン『パパに乾杯』(原題『Relatively Speaking』)も、劇場を出たあとオイオイ泣いてしまった。

 エイクボーンのお芝居など、本当にただの喜劇というか、ストーリーだけ取り出すと

 「若い恋人グレッグとジニーは結婚することになるが、グレッグが「キミのお父さんにあいさつに行きたい」といいだしたからさあ大変。実は彼が恋人の父親だと思いこんでいるのはジニーの浮気相手であり、しかも妻子持ちの男。ジニーはあの手この手でグレッグをごまかそうとするが……」

 という、いわゆる「ウェルメイド・プレイ」であり、泣く要素などまったくといっていいほどないコメディーだ。

 それでも泣いた。あまりの感動で号泣して、次の日の公演も観に行ったくらいだ。

 でもって、また泣いた。隣の席にいた人は、「コメディーやのに、なんやこの人?」と、さぞや不気味に感じていただろうが、それでも止めることができなかった。

 レイ・クーニーの『ラン・フォー・ユア・ワイフ』でも泣いた。二ール・サイモンの『映画に出たい!』でも泣いた。フランツ・モルナールの喜劇でも。

 それと同じ涙が、枝雀師匠の落語を聴いて吹き出してきた。

 その理由はなんなのかと嗚咽しながら想像してみると、それはやはり「生きることの苦痛の軽減」についてのことではないか。

 創作や表現というのは、なんのために存在するのか。

 すぐれた詩や小説、マンガに映画に舞台に絵画、喜劇悲劇、漫談落語。こういったものの役割といえば、人によっては自己表現の手段であり、また商売でもあるが、それよりもなによりも

 「だれかを幸せにすること」

 である。

 歌でもダンスでも、コントでもものまねでもいい。この世にある創造物はみなすべて、どこかにいる誰かを幸せにするために存在する。

 もっと散文的にいえば「生きることの苦痛の軽減」のためだ。

 ベルトルト・ブレヒトの『ガリレオの生涯』で、ガリレオ・ガリレイは弟子にこう問う。

 「すぐれた科学技術の役割とは何か?」

 真理の追求か、それとも金と名誉か、否、違う。答えは、


 「科学の唯一の目的は、人間の生存のつらさを軽くすることにある」


 これはおそらく、人間が開発するもの全部が同じ解答を持っているのだろう。詩も、音楽も、喜劇も、哲学、数学、家族も性愛も嘘も真実も、そのすべてがひとつのゴールに向かって走ることを決められている。

 私が無信仰なうえ、あれだけの戦争や悲劇を起こしているにもかかわらず、宗教をどうしても否定できないのは、それがもっとも人にとって根源的な「生きるつらさ軽減アイテム」だからだ。

 そのことに思いをはせるからこそ、私は喜劇で泣く。笑いというのは、宗教に続く、もっとも強力な「生きるつらさ軽減アイテム」なのだから。

 枝雀師匠はそのパワフルでどこまでも楽しい落語でもって、圧倒的な量の笑いを生み出す。その爆弾でも破裂したような笑い声の、なんと幸福そうなことであることよ。

 笑いというのは、素晴らしき人生を生み出す錬金術だ。そのはなれわざを、あざやかに演じてみせる。
 
 かつて松本清張先生はおっしゃった。


 「われわれ推理作家がすべき仕事というのは、結局だれかの眠れない夜をなぐさめることなんですよね」



 言っていることはみな同じだ。

 私もまた多くの物語や音楽に、眠れない夜をなぐさめられた。

 生きることのむずかしさを、解決はしてくれなくても、その心にしっとりと沁みこみ、痛苦を少しだけやわらげてくれた。私の涙は、それへの感謝と崇拝のためにある。

 私もそれにあやかりたい。そして、その数えきれない幾多の夜の恩返しがしたい。

 人が生きる目的は、だれかから受け取ったバトンを、それを待つ次の人へと渡していくことだ。

 だから私は今日も、だれも読まないであろう笑かし文章を書いて、見も知らない誰かの夜のために、せっせと更新を続ける。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ベルトルト・ブレヒト『ガリレオの生涯』と枝雀落語で泣いてしまった男

2016年04月23日 | ちょっとまじめな話
 最近、落語で、うかつにも泣いてしまった。

 日本人はなぜか「泣ける話」が好きである。本でも映画でもお芝居でも、なにかといえば「涙が止まらない」「声をあげて泣きました」みたいな宣伝文句が並べられて正直辟易している。

 というと、なんだか私がひねくれもののようであり、実際

 「これで泣けないなんて、感性が鈍いんじゃないの?」

 とかいわれたりもする。

 感性が鈍くない人間は、人のことを「感性が鈍い」呼ばわりはしないと思うけど、それはともかく、私はなにも泣ける話を全否定しているわけではない。フランク・キャプラ『素晴らしき哉、人生!』とか、そういう「泣ける」映画で涙することもある。

 ただ、なんでもかんでも十把一絡げにして「泣ける」で売るのは芸がないというか、逆にいうと

 「泣ける以外では売れない」

 と考えているということわけであり、売り手側に

 「観客の知性を信じていない」

 という一面があるのではという危惧もあるわけだ。そこがどうにもしっくりこない。

 泣ける話に懐疑的なことに関しては、簡潔に言葉で説明してくれた人がいて、まず翻訳家の大森望さん。

 「キミは泣ける話が嫌いなのかね」といわれて、


 「そんなことないですよ。でも泣きって、感動の要素の中ではもっともハードルが低い分野でしょ。だから自然に点が辛くなるんです」


 まったくその通り。「泣き」というのは喚起が容易なぶん、方法論が安易なものになりやすいのだ。『さよなら絶望先生』でもつっこまれてたような、「死んだら感動」とか「動物が出たから感動」とか。

 いや、死ぬのはいい。動物が出て心が揺さぶられるのもアリだろう。だが、「それだけ」というのがあまりに多くてガッカリなのだ。

 問題は、それら素材を「どう料理するか」なのに。

 もうひとつは、斎藤美奈子さんの


 「多様な読み方や解釈が可能な小説というジャンルにおいて、「泣き」だけに特化されるというのは、作家としての敗北ではないだろうか」。


 捕捉すると、「(もっともハードルが低い)「泣き」だけに特化されるというのは、(それしか売り物にならないと判断されたというわけで)敗北ではないか」ということ。

 これもまた、世間に数多ある安易な「泣ける話」と、なんでもかんでもそのレッテルを貼って「一発当てよう」とする売り手への強烈な一撃となっている。

 一番簡単な「泣ける」ところしか評価されない、あんたの作品ってどうよ? と。

 この2つの意見に賛同する私としては、「もっともハードルが低い分野」だからこそ、安易に流れてはいけないということで、芸のない泣ける話が苦手なのだ。

 そんなへんくつジジイのようなことをふだんブツブツつぶやく私が、ではなにで泣いてしまったのかといえば、これが冒頭にも言った楽しい落語なのだから、我ながらおかしな話である。

 先日、古いDVDを整理していたときに、桂枝雀さんの落語が出てきた。
 
 かつて落語研究部に所属したこともあり、昔深夜にテレビでやっていた「枝雀寄席」を欠かさず見ていた身にはうれしい掘り出し物で、そうじも忘れてついつい見入ってしまったが、これがおもしろいのなんの。

 『青菜』や『持参金』などなつかしすぎて、押入から昔集めた落語のCDまで取り出して、まとめて聞くことになった。

 そこには桂米朝師匠をはじめ、桂吉朝さん笑福亭松喬さんなどなどお気に入りの噺家が腕を振るっているわけだが、中でも笑いの量が圧倒的に多いのが枝雀師匠。

 個人的な好みとしては、米朝、松喬が2トップなのだが、単純にお腹の底から笑いたいときには、やはり枝雀師匠がいい。

 「うまい落語」の笑いは、どちらかといえば玄人の演者と客との「わかってる者同士」の一体感が心地よいが、「楽しい落語」はそういったことは放っておいて、ただただおかしい。

 素人が見ても、わーっと心から笑える。そこには、なんともいえない開放感がある。

 そうして、「枝雀落語大全」を聞きながらヒーヒーいっているところに、唐突にブワッと涙が吹き出してきたのである。


 (続く→こちら



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

読んで楽しい『トーマス・クック ヨーロッパ鉄道時刻表』

2016年04月20日 | 海外旅行

 『トーマス・クック時刻表』を読むのは楽しい。

 旅行が趣味という人は、様々な場面で

 「嗚呼、旅に出たいなあ」

 旅情をかき立てられるアイテムを持っている。

 昔ならNHK『シルクロード』における喜多郎さんの音楽や、沢木耕太郎さんの『深夜特急』。

 「世界の車窓から」を見るとむずむずする人もいれば、海外ドラマや映画などにあこがれる人もいるだろうが、私の場合はずばり、あの赤い表紙の時刻表なのであった。

 ここで不思議なのは、私は別に鉄道が好きというわけではないこと。

 世にはいわゆる「鉄ちゃん」と呼ばれる人たちがいて、その中でも「時刻表マニア」という人も存在する。

 彼らは日本全国の時刻表を熟読して、

 

 「見事なダイヤグラムだ」

 

 感心したり、一番効率のいいルートを開拓して遊んだり、ときには

 「自作のオリジナル時刻表」

 を作成する濃い人もいるという。

 こういう人にとって、時刻表というのは、キリスト教徒にとっての聖書のように、ひとたび離すことかなわずな必須アイテムだ。

 どっこい、私はそういうわけではない。

 男の子なのに電車どころか車や航空機といった乗り物に、まったくといっていいほど興味がない。


 ところが、この『トーマス・クック時刻表』だけは別なのである。


 大きくて、けっこうかさばるのだが、それでもカバンに押しこんで持っていく。必需品といってもいい。

 そんな『トーマス・クック時刻表』のなにが魅力的なのかといえば、これは正直なところ自分でもよくわからない。

 この本は読む楽しみというのが、まったくといっていいほど、無いアイテムである。

 日本のガイドブックのように、カラー写真が満載だったり、役に立つミニコラムなどが載っているわけでもない。

 そこにあるのは、



 「Wien Hbf 12:40」

 「Praha hlavni 16:30」

 「Budapest keleti 20:15」



 といった、本当に味も素っ気もない文字と数字の並び。

 ぺらぺらの紙に、ひたすらにヨーロッパの列車の時刻表が書いてあるだけ。愛想ゼロ。

 まるで、旧共産圏のサービス業並である。思わず、「やる気があるのか」といいたくなる簡素さなのだ。

 ところが、妙なものでそのシンプルなところが、どうにも旅情をかき立てられる。

 絵的にさみしいところが、かえって想像力を刺激するのだろうか。

 特にあてどもない自由旅行の際には、安宿のベッドに寝転がって、この表を眺めながら明日はあっちにいこうか、次はこっちに行こうかと、あれこれと考えるのは楽しい。

 旅先というのは、昼はいいけど夜は存外に退屈で、時間のつぶしかたに悩まされるが、私の場合、この時刻表を読みこむのが至福の時間であった。

 はじめてヨーロッパを長期旅行したとき、『地球の歩き方』などのガイドブックよりも、よほどこの本の方にお世話になった。

 目的地も決めず、ただ流れのままに旅するという超アバウトな旅程だったけど、不安よりもワクワク感が先立ったのは、おそらくこの本のおかげだ。

 なんといっても、この本さえ持っていれば、ヨーロッパのどこにでも行ける。

 パリからマドリードでも、ブラチスラバからアムステルダムでも、ケルンからチューリヒでも、リスボンからミラノでも、ウィーンからベオグラードへも、ソフィアからアテネでも、ローマからイスタンブールでも。

 どこにいても、次の日には、思いついた場所に行くことができるのだ。

 そう考えると、ヨーロッパというのは広大なようで、意外に狭いことがわかる。

 たとえ西ロンドンから、の果てであるアテネイスタンブールすらも、オリエント急行のルートで、24時間あれば走破することができるのだ。

 地理のややこしい旧ユーゴも、スイス山岳鉄道も(氷河急行ベルニナ特急なんて、名前もシブい)ロシアのシベリア鉄道も、自由自在にあやつれる。

 この一冊のおかげで、私のヨーロッパ初長期旅行は、とてつもない充実のうちに終えることができたのである。

 どこにいても、思いついた土地にすぐに行くことができる。そのことが、なんと軽やかで旅を自由にしてくれることか!

 そんなわけで、私が旅の旅情をかき立てられるのは、『るるぶ』でも『地球の歩き方』でもなく、『トーマス・クックの時刻表』。

 今でも本屋であの赤い背表紙を見ると、なんだかフワフワと落ち着かない気分になる。

 うっかり仕事とかやめて、旅に出そうで困りものだ。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

数学ガールによる文系男子の理系アレルギー克服講座 その2

2016年04月14日 | ちょっとまじめな話

 前回(→こちら)の続き。

 パリのユースホステルで出会った数学ガールのコミコちゃん。

 「『7+5』っていくつになるかと思います?」

 の問いに当然のこと12と答えると、なんと彼女はこんなことを言い出した。

 「でも、7+5って、もしかしたら12にならないんじゃないかって思うんです」。

 はあ? である。

 コミコちゃん、なにをいっとるのかキミは。

 7+5は12に決まってるじゃないか。7に5を足せば、答はそれしかない。

 これはピタゴラスがやっても私のような阿呆がやっても同じ。

 数学や数式の美しさは、その「絶対性」にあるが、これこそまさにそうではないか。

 7+5=12。

 これ以上もこれ以下もない、完璧で、たとえ宇宙がでんぐり返ろうともくつがえらない、絶対的な正義の解答なのである。

 そんな小学生でもわかる問題に疑問をいだくとは、サンドウィッチマンの漫才ではないが、「ちょっとなにいってるかわからない」である。

 ところがである。呆然とする私に対してコミコちゃんはカバンからノートとペンを取りだし、

 「じゃあ、ちょっと説明してみますね」

 そこに様々な数式を書きこみ解説しはじめた。

 7+5は12にならない。

 その単純すぎるがゆえに絶対くつがえらない命題に、彼女は果敢に挑むのである。

 こっちは一応聞くのだが、それはあまりにも難解、かつ専門的、かつ形而上学的で、ほとんど理解できなかった。

 それは私が数学オンチということもあろうが、おそらくはある程度数学を知っている人でも理解できなかったのではないだろうか。

 それくらいハイレベルというか意味不明というか、超越的な視点からの数学観だった。

 はっきりいって、気ちがいじみていた。流れるようにペンを動かす彼女を見ながら、正直ちょっとヤバいんじゃないかとすら思った。

 だが不思議なことに、私はいつしかそれに聞き入ってしまっていた。

 そこには学校の授業でやる、無味乾燥な数式の羅列とは違うなにかが表現されているような気がしたからだ。

 コミコちゃんの「仮説」の証明に、私は次第に取りこまれていった。

 わけはわからないが、ワクワクさせられた。ちなみに、これはよくある「1+1は2にならない」というパズル的な詭弁ではない。

 さすがに、その程度のトリックは知っていたし、そもそもそんなレベルで語れるような内容ではなかった。

 なるほど、そんな視点からの解釈があるのか。驚かされることばかりであったのだ。

 まさか、7+5という、たったこれだけの式に、これほど語ることがあろうとは!

 数学というのは、無機的なものではなくむしろミステリ小説を連想させる、大げさな言葉で言えば高度に完成された知的ロマンであることをはじめて知った。

 彼女の「証明」を見ながら、このことを、高校時代に先生が授業で教えてくれていたら、私の数学に対するスタンスも少しは変わっていたかもしれないなあとボンヤリと考えた。

 単なる公式の暗記ではなく、そういうことを生徒に教えるのが「教育」でないのかという気も。

 そして、これは本当に驚いたことが、彼女がすべての解説を終えたとき、こちらが

 「なるほど、その通りだ」

 と納得したことだ。

 まったくだ、その通り、7+5は12にならない、と。

 もちろん、数学素人の私はコミコちゃんの説明をすべて理解できるはずもないが、あの瞬間は論理的、数学的に見て、7+5は12にならない。

 少なくとも、ならない可能性は存在する。そう思わされたのである。

 7+5は12にならないかもしれない。

 この説が正しく、彼女は天才なのか、それとも珍説をふりまわすトンデモさんなのかはわからない。

 もしかしたら、私は数学無知であることを知って、体よくからかわれただけかもしれない。

 だが、数学というものが、有名なSF小説ではないが「冷たい方程式」ではなく、そこに様々なぶっとんだ発想や想像力やロマンがあることをコミコちゃんから教わった。

 それまでは単なる記号にすぎなかった数式の持つ美しさや深淵を、ほんの少しだが味わえた気がした。

 蒙が開かれるというのはこういうことをいうのであろうか。

 賢人コミコちゃんありがとう。

 キミは天才かもしれないし、気ちがいかもしれないし、もしかしたら、ただのお茶目ないたずらっ子かもしれない。

 けど、学問における「なにかきっかけ」を与えてくれたのはたしかだ。

 私が理系の本を読むようになったのは、彼女の影響大である。

 それにしても、なぜその時彼女がノートに書いた数式と解説をコピーしてもらっておかなかったのか。

 それが今でも、痛恨の極みだ。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

数学ガールによる文系男子の理系アレルギー克服講座

2016年04月13日 | ちょっとまじめな話

 「天才」ではないかと思わされる人に、ときおり逢うことがある。

 スポーツや芸術でその才を発揮する人というのは学校や社会人になってからでも出会う機会はあるが、私が中でも印象に残っているのは、コミコちゃんという女の子。

 彼女は「数学の天才」だったかもしれない。

 しれない、と歯切れが悪いのは、本当に「天才」なのかは私の能力値ではよくわからなかったから。

 天才かもしれないし、紙一重のアレかもしれない。

 コミコちゃんと出会ったのはパリのユースホステルであった。

 某有名国立大学に通っているという才女で、数学を学んでいるという。

 そんな彼女と、お茶を飲みながら談笑していると、話題は自然、数学のことになった。

 なんといっても私はといえば、数学は高2の時から卒業まで、テストはすべて0点というとんでもない落ちこぼれ。

 3年の時には、授業に出席すらしなかった怒涛の理系劣等生だ。

 文系人間はけっこう、数学や物理など理系科目にコンプレックスがある人がいるが、私などそこまで勉強していないと、逆に能天気なもので、たいした引け目もない。

 むしろ、積極的に未知の世界に飛び込むつもりで、彼女の話を聞いていたものだ。

 「でさあ、フェルマーの定理って、どうやって解くの? ちょっとここの紙ナプキンに書いてみて」

 などと、無知の勢いで素人丸出しなことをたずねたりしたが、ひとしきり盛り上がったのちに、彼女が突然こんなことを訊いてきたのだった。

 「ところでシャロンさん、『7+5』っていくつになるかと思いますか?」

 はあ?

 おいおい、なにをいっておるのか。

 いくら私が数学どん底落ちこぼれ兄さんだとしても、そんなもんわからないわけがないではないか。

 答は12である。

 こりゃ、相当バカに見られているらしいぞと笑いそうになったが、彼女の表情を見ていると、どうもそういうことでもないらしい。

 コミコちゃんは真剣な様子で

 「ですよね、そうなんです。12なんですよ」

 そう、だれがどう見たって12である。

 が、続けて出た言葉というのが、

 「でも、あたし、時々ふと考えるんです。7+5って、もしかしたら12にならないんじゃないかって」。


 (続く→こちら



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世界共通語は英語でもエスペラントでもなくリンガラ語に! その3

2016年04月10日 | ちょっとまじめな話

 前回(→こちら)の続き。



 「仕事の話は、すべて英語ですること」



 楽天ユニクロが社員にそのようなことを義務づけたというニュースに、



 「別に英語じゃなくてもいいじゃん」



 と、反感をおぼえる「チーム第二外国語」の私。

 別に英語がダメとか嫌いとかいうわけではないが、世界の各所で(特に日本は)あまりにも英語信仰が強すぎて、第二外国語学習経験者としては正直なえるのである。

 そりゃ現実問題として「英語=共通語」みたいになっているのは仕方がないし、日本が英語教育に力を入れるのも基本的には賛成だけど、なんだか

 

 「外国語といえばすべて英語」

 

 みたいなあつかいは、あまりにも視野狭窄ではあるまいか、とどうしても感じてしまうのだ。

 それが行き過ぎてるなあと苦笑させられたのが、あるテレビ番組を見ていたときのこと。

 ロケ番組で、企画としてはタレントさんが台本もアポもなしに(と言う体かもしれないが)初めての外国に行って、そこで右往左往しながら、

 

 「伝説の食材を手に入れる」

 「田舎のおばあちゃんに手紙を渡す」

 

 みたいなミッションを達成するというもの。

 その回の舞台は中国。人気タレントさんは、大陸で地図もないまま歩き回るのだが、このままではらちがあかないと道を尋ねることにする。

 そこでの第一声というのが。



 「エクスキューズ、ミー」



 いやいや、場所は中国です。

 しかも、声をかけたのはインテリ風の大学生とか商社マンでなく、ふつうの生活者

 そこで英語など、まあ普通は通じないとしたもの。

 いぶかしげな中国のおばさんら。彼女らは英語をしゃべれないどころか、それが英語であることすらわからない

 そらそうである。そこは中国だから。

 ついでにいえば、そのタレントさんも別に英語が話せるわけではない。我々と同じ、中2レベルのカタコト英語だ。

 色よい返事のないところへきて、タレントさんはボヤくことになる。

 はあ、とため息をついて。



 「なんでだよ。なんで中国人、英語わかんないんだよ」



 いや、だから、そこは中国だから。ふだんは中国語で話しているから。

 日本でも、地元の商店街で買い物しているお母さんとか子供は、英語話せませんやん。



 「なんで英語が通じないんだ」

 

 これはホント、二重にも三重にもおかしい。

 人情として、とりあえず英語で話しかけるというのは理解できる。

 日本では「外国語=英語」だから、とっかかりとしてはそうなる。私だってそうするかもしれない。

 けど、それを通じると決めつけたり、理解されないと文句を言ったりするのは絶対におかしい。

 だって、相手は中国人だし、そもそもそのタレントさんだって英語が話せないんだから

 

 「オー、イングリッシュ、オーケー」

 

 てペラペラ返されても困るはずだし、根本的なところでいえば、彼は日本人だし!

 なんという「ねじれ」の構造なのか。

 日本人が、中国に行って英語などわかるはずもない中国人に英語で話しかけ、しかも自分も話せないのに、



 「なぜ中国人は英語がわからないのか」



 と文句をつける。

 なんか、どこから手を付けていいかわからないくらいに、不思議なことになっている。

 とっかかりの英語がダメなら、文句を言う前に(というか文句を言える筋合いも権利もないのだが)「旅の会話集」みたいなものでもいいから現地語で話しかけるべきだろう。

 もちろん番組自体は楽しいもので、スタッフにもタレントさんにも変な意図はないのだが、見ていて複雑な気持ちにさせられるには充分なものだった。

 なんか、だよ日本の外国語観って。なんでもかんでも英語に偏りすぎだ。

 そこで前回は「辺境作家」の高野秀行さんや、東京外国語大学の学生さんの提案する、



 「英語の代わりに、リンガラ語とかマレー語、インドネシア語を共通語にしたらいかがでしょう」



 これに一票を投じたわけだが、ここにさらなる「世界共通語」のアイデアを持ってきた人がいる。

 それはミュージシャンで作家の町田康さん。 

 パンク歌手でありながら芥川賞も受賞するという異色で多才な町蔵さんが、英語推奨のユニクロのCMでいっていた案とはどういうものかと問うならば、



 「世界中の人が、大阪弁を学習すればいいと思うんですよね。そうすれば、ものすごくハッピーになるんじゃないかと思って」

 

 世界共通語を大阪弁

 これはまた、すごいところから弾が飛んできたものである。英語でなく大阪弁。

 となると、世界でもめ事が起こると、国連やサミットなんかで各国首脳


 「移民受け入れ無理とか、ほな、どないせえっちゅうねん!」

 とかいうのであろうか。

 嗚呼、なんてマヌケですばらしいんだ。

 そんなステキな未来は、ぜひ実現してほしい。

 なんにしろ、「英語ばっかり」なのがいびつなんだ。そうでなければ、ベンガル語でも、ヨルバ語でも、アルメニア語でもトラルファマドール星語でも、どんな言語でも持って来い。

 そうだ、ローカル語を世界共通語に!



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世界共通語は英語でもエスペラントでもなくリンガラ語に! その2

2016年04月09日 | ちょっとまじめな話

 前回(→こちら)の続き。



 「仕事の話は、すべて英語ですること」



 楽天ユニクロが、社員にそのようなことを義務づけたというニュースに、



 「別に英語じゃなくてもいいじゃん」



 反感をおぼえる「チーム第二外国語」の私。

 世界共通語はあったら便利だけど、英語がそれだと不公平感が強すぎるよなあと考えるわけだ。

 これには テレビ番組「クレイジージャーニー」にも出演した高野秀行さんも同じ感想をいだいておられて、そのブログでこんな提案をされていた。



 「(英語の代わりに)コンゴの共通語リンガラ語はどうだろう」



 リンガラ語

 さすがは「辺境作家」として、アジアやアフリカなど世界を駆けめぐる高野さんである。おもしろい提案だ。

 コンゴといえば高野さんの名著『幻獣ムベンベを追え』の舞台だが、高野さんはちゃんと出発前にリンガラ語を学習してから現地におもむいている。

 ではなぜリンガラ語なのかといえば、



 「覚えやすくてノリがいい」



 さらにつけ加えることには、



 「それに英語ネイティブや昔英語圏に住んでたってだけで威張るやつもいなくなるし」



 ここだよなあ。

 私や高野さんだけでなく、たとえばロシア語米原万理さんみたいな非英語圏を主戦場とする「チーム第二外国語」が「英語=共通語」になんかおもしろくないと感じるのは、先ほどもいったこの

 「言語的既得権

 ここがひっかかるのだ。

 もう一度言うけど、いっちゃあ悪いが、英語なんて別にすぐれた言葉でもなければ、日本人が感じるように「しゃべれるとカッコイイ」言葉でもない(カッコイイとしたら「タイ語」や「スワヒリ語」をしゃべれるやつだってカッコイイ)。

 ただの、「イギリス人とかの言葉」なのである。

 けど、外国人と話していると、ときおり英語ネイティブの傲慢さに、本当にガッカリさせられることがある。

 英語が出来ない人を、露骨にバカにしたり(そら、あんたは英語圏に生まれたから英語しゃべれるだけや)、英語なぞ縁もゆかりもない地域でも、かたくなに英語で押し通し、通じないと「なんでだ?」とあきれたような顔をする。



 「なぜ外国人(移民)は英語が苦手なのか」

 

 というアンケートがアメリカで行われた際に、多くの人が、



 「頭が悪いから」



 と答えたと、ある語学の本に載っていたのを読んだことがあるが、なにをかいわんやである。

 英語だろうがフランス語だろうが、通じないところでは通じない。だって、よそさんからしたら「外国語」だもの。

 外国人や移民が英語が苦手なのは、フィンランド人以外の人間がフィンランド語を苦手なのと同じなんだって。「外国語」だから。

 そのことをわからない人とまれに接すると、心底なえる。

 日本が大東亜戦争に勝っていた世界を想像したとして、そこで日本人がアジアや南の島なんかで、なんでもかんでも日本語で押し通し、



 「なんで、日本語通じないの?」



 と言ったり、



 「こいつらはバカだから、日本語も話せないんだ」



 とか言ったりしたら、どう思われます? それみたいなもんです。

 もちろん、悪気がないケースもあるんだけど、悪気がない分よけい傲慢ともいえる。

 なので、高野さんの「世界語をリンガラ語に」というのは、極論ではあるが、英語帝国主義へのアンチテーゼとも言えるのである。私は大賛成だ。
 
 高野さんは、



 「リンガラ語がだめなら、マレー語やインドネシア語もおすすめ」



 とも言っておられるが、先日ここで取り上げた東京外国語大学の学生さんである「知の師匠」キタハマ君(彼については→こちらから)も、



 「マレー語って、すごくシンプルで学びやすいんですよ。英語みたいな学習しにくい言葉より、マレー語を共通語にしたらいいのに」



 同じことを言っていた。高野さんの極論は、ただの極論ではないのである。

 英語だけでなく、マレー語インドネシア語オランダ語なども駆使するキタハマ君もまた、



 「英語ばっかなんて、おかしいですよ。世界には、魅力的な言語がいくらでもあるのに」



 やはり英語帝国主義に首をかしげていた。私のようなボンクラではなく、彼のようなスペシャリストが語ってくれると、説得力も増すというものだ。

 ちなみに、キタハマ君をはじめ、高野さんはリンガラ語以外にも英語やフランス語に、その他各種の言語をマスターしているし、米原さんをはじめ「第二外国語」を仕事にしている人もたいていは英語ができるため、これは決して、

 「英語コンプレックス」

 からの逆ギレではない。

 そんなわけで私としては相当に本気で、

 「世界の企業は全員リンガラ語(もしくはマレー語インドネシア語)で」

 という「世界マイナー言語化計画」には賛成している。

 なんてことで、今回の結論はこれでいいかとまとめかけたのだが、いやいや世の中にはさらなるアイデアを持っている人というのがいるものである。

 それがミュージシャン芥川賞作家町田康さん。

 町田さんは世界言語についても一家言持っておられて、これが高野さんに匹敵するくらいに気ちが……もといユニークなのだ。

 その提案というのは……。

 
 (さらに続く→こちら


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世界共通語は英語でもエスペラントでもなくリンガラ語に!

2016年04月08日 | ちょっとまじめな話

 「仕事の話は、すべて英語ですること」。

 少し前の話だが、楽天ユニクロが社員に、そのようなことを義務づけたというニュースがあった。
  
 なんでも、



 「コミュニケーションを英語にすることで、本社を国際化する」



 ということらしく、社員は会議も、書類も、メールも、すべて英語を使ってやりとりしなければならないという。

 その規則を破ったものは、水責め、鞭打ち、営巣入り、他にも好きな女子の名前強制告白などの刑に科せられるといわれている(推測)。

 そんな、企業内英語公用語化については、賛否両論あって、



 「そこまでやるか。しかも2年で交渉から書類作成まですべての業務ができへんとクビって、大変すぎるで」



 という意見もあれば、



 「国際化を目指すには、これくらいやらんとアカンのや。英語ができひん企業人は負け犬ロードまっしぐら。オマエはそうなりたいんか?」



 という人もいる。

 個人的には、いい悪いはともかく、英語をマスターするのに有効な、ひとつの方法ではあるとは思う。

 私も元外国語学習経験者(ドイツ語)なので、



 「語学の勉強には『その言語を使うしかない環境に身を置く』のが一番」



 というメソッドは、理解できるところはあるから。

 「しゃべれないと死ぬ」状況だと、どんなボンクラでも、語学くらい出来るようになるもんです。

 もちろん、効果がMAXな分、ストレスもMAX級なので、決してオススメというわけではない。

 留学ワーキングホリデーで外国に行って、英語が身につかないまま帰ってくる人は、能力よりも、この苦しさに耐えかねるからなのだ。

 このように、今日もまた日本人は民族的永遠の病であろう英語コンプレックス克服に血道を上げているわけだが、こういう話を聞くと、国際化とかいうと、なにかと英語ばかりが取り上げられるのが、なんとなくしゃくに障るところはある。

 なんで、英語ばっか、こんなにクローズアップされるんやろ。

 だいたいなんで世界でそこそこ英語が話されているかといえば、別に英語がすぐれた言語だからでもなんでもなく、大英帝国やUSAなど帝国主義国家が各地で戦争したり、植民地作りまくった結果のシロモノ。

 なので、こちとら「しょうがなく」学んでやっているのに(私は学んでませんが)、それをしれっと、

 「英語は世界の公用語

 なんて言われると、我々のような「チーム第二外国語」は業腹だ。

 戦勝国だからって、えらそうにすんじゃねえよと。

 それに、あんまし英語だけに特化されると、国際問題からビジネス文化芸術まで、なにをするにも英語圏の奴らが有利すぎるというころもある。

 もちろん「世界共通語」があると便利だけど、これはあまりに不公平すぎるのではないか。

 その不公平感を無くすために、あえて

 「英語以外の第三者的共通語

 を作るなりしてほしいものだとは、非英語圏の日本人としては、いつも思う(エスペラントはやはり欧米圏に有利なので不可)。

 どこかの50人くらいしか使っていない少数民族のマイナー言語を「共通語」として採用するか。

 できれば、文法や発音、表記の仕方なども、かなり簡略なものを選んで。

 いわば、ホームとアウェーの有利不利を無くすために中立の日本でやっていたトヨタカップみたいなもので、言語でも、そういった偏りをなくしてほしいもの。

 こうすれば、世界人類全員が「ヨーイ、ドン」で一から学ぶわけで公平だし、簡単な言語を採用すれば、少ない労力で教育できるから共通語普及率もアップするだろう。

 また日本語にある「日本人にしかわからないニュアンス」みたいな、言語的齟齬も少なくなり、世界的コミュニケーションも、多少はスムーズになるではないか。 

 非英語人の自分は、「ユニクロ事件」からこんなことを考えるのだが、まあ無理だよなあ。

 英語ネイティブが今さら「言語的既得権」を手放すはずないもんなあ。

 ぶつぶつ。

 そういってぼやいていると、ある日「辺境作家」の高野秀行さんが、自身のブログでこのニュースを取り上げておられた。

 高野さん曰く、


 「(楽天やユニクロは)《日本だけの会社じゃないから》と言ってるけど、それだったら英語じゃなくてもいいじゃん」。


 そうだよなあ。

 別に英語でもいいけど、英語じゃなくてもいいじゃんってのが、この手のニュースのキモだよなあ。

 そこで高野さんは提案する。

 英語じゃなくてもいいなら、他にどういう選択肢があるのか。

 それが、おそらくは、そこいらの英語コンプレックスに凝り固まった識者が思いつかないであろう、ユニークなものだったのである。


 (続く→こちら


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エリート東京外国語大学生と「頭がいい」の定義 その2

2016年04月05日 | ちょっとまじめな話

 前回(→こちら)の続き。

 旅先のオランダで知り合った、東京外国語大学の学生さんキタハマ君。

 彼の専攻であるマレー語からマレーシア文化の話になったが、ちょっとばかしかみ合わないところがあった。

 具体的にどうということもないのだが、多民族国家で、イスラム教で、昔イギリス植民地で……。

 なんて筋肉少女帯『銀輪部隊』など歌いながらあげていくと、キタハマ君が、



 「あ、わかりましたよ!」



 え、何がわかったの? 今ので?

 いぶかしげなこちらに対し、発見の喜びに、前のめりになっているキタハマ君。



「シャロンさん、今、マレーシアは元々はイギリスの植民地っていいましたよね」



 う……うん、とやや気圧される。だが彼はかまわず、



そこが違うんですよ、マレー語やってる僕らからすると、マレーシアがイギリスの植民地って見方じゃなくて、イギリスはマレーシアの宗主国って視点でしゃべってるんですよ」

 

 キタハマ君は興奮したような口調で、

 

「そこにズレがあったんです。そういうことなんですよ」



 よく古い四コママンガで、なにかいいアイデアが思いついたときフキダシの中で電球が光るという描写があるが、あれは本当です。

 そのときの私は、まさにその心境であった。

 暗かった脳内にパッと明かりがついたというか、なるほどというか、「ビンゴ!」と、叫びたいような心持ちであったのだ。

 それや! と。

 蒙が啓かれるというのは、こういうときのことをいうのであろう。

 イギリスから見たら、マレーシアは植民地だけど、マレーシアからしたらイギリスは宗主国

 そういうことか。我々は同じ話題を、まったくの視点から語っていたのだ。

 だから、同じことを話していても、感想や連想がずれる。

 そりゃそうだ、同じテニスの試合でも、ロジャーフェデラーのファンラファエルナダルのファンでは、語るところに違いが出て当然。

 あの世紀の名勝負といわれた2008年ウィンブルドン決勝も、どっちに肩入れするかで、話のニュアンスは180度変わってしまう。

 そんな、いわれてみれば当たり前のことに、まったく気がつかなかった。

 ヨーロッパ→アジア、アジア→ヨーロッパ、支配者被支配者、それぞれに見方は違うはず。

 それこそ、

 「日本軍のマレー進駐」

 という英馬(キタハマ君からすると馬英か)共通の「事実」を前にしたとして、それに対する対応や感情は、それぞれはっきりと別のものであろう。

 同じこといってるつもりで、かみあわないのは、当然すぎるほど当然なのだ。

 納得した。無茶苦茶に腑に落ちた。思わず飛び上がりたくなるくらいに、心に入ってきたのだ。

 さらにいえば、これはものすごい快感でもあった。たいしたことではないかもしれないが、

 「わかる」

 というのが、こんなにも麻薬的快感であると、このときはじめて知った。

 同時に自分が、いかに一面的なものの見方しかしていない、視野が狭い人間なのかと思い知らされた。

 学校で習った世界史の教科書というのが、「東南アジア」という呼称などを見ても、笑ってしまうくらいに「西洋中心主義」で書かれている。

 そこに「ルネサンス」や「フランス革命」はあっても、マレーシアについては

 

 「資源が豊富」

 

 くらいのことしか載っていない。

 地理も歴史も、教室ではほとんど語られた記憶がない。

日本と同じアジアなのに。あほらし屋の鐘が鳴るとは、このことであろう。

 端から見れば「なんで今までわかんなかったの?」ってなものだろうが、人間、だれかに指摘されないと、わからないということはあるものですね。

 思いこみや固定概念というのが、いかに人の考えや思想や判断力を貧しいものにするか、キタハマ君のなにげない一言が私に教えてくれた。

 それまで、旅行といえば「欧米」しか頭になかったが、彼との会話以降、アジアイスラム圏にも足を運ぶようになった。

 それほど興味のなかった「日本史」に目を向けたり、学ぶことへの食わず嫌いがなくなった。

 世界には、自分が今知っているものよりも、もっと複雑で、広い価値観というのがある。

 なによりも、新しいものを知ること、発見解読が身震いするほどの知的快感であることを身をもって感じ取ることができた。

 そういう意味では、キタハマ君は私にとっての「知の師匠」といってもいいかもしれない。

 これはおおげさではなく、寺山修司池内紀カールセーガンといった人々に匹敵する影響を与えてくれたといっていい。

チリを舞台にしたミステリ、ロベルトアンプエロ『ネルーダ事件』の中で著者はガリレオガリレイ、そのガリレオの伝記的戯曲を書いたベルトルトブレヒト

 そしてチリのノーベル賞作家パブロネルーダを「知性の象徴」として描いているが、そこにこんな一文がある。


「(ガリレオ、ブレヒト、ネルーダの共通項は)三人は周囲にいる人々を生まれ変わらせ、世界をまったく新しい視点で見られるようにし、教わったほうがそのことに気づかないほど、ごく自然に教えを伝える力があった」




 この本を読んだとき、思い出したのが、まさにキタハマ君のことだった。

 こんなことをいうと彼は「またまたぁ」と笑うだろうけど、オランダの地で彼と出会えたことは私の人生の分岐点でもあった。

 今の私が、さまざまな事柄に対して、固定概念や偏見に流されそうになるときに、


「ちょっと待って、それ一回、別の視点から考えてみいへん?」



 そう立ち止まってみる習慣がついたのは、間違いなく彼のおかげだ。

 このことを、私は言葉にできないくらい感謝している。

 ありがとう、賢人キタハマ君。

 大人になった今、私はまた、あらためてお礼が言いたい。

 だから、たぶん読んでくれないことはわかってるけど、ここにキミのことを書き記しておくよ。

 キミは今もまた、新しい言葉を学びながら、アジアやヨーロッパを楽しく旅行してるのだろうか。

 またどこかで、逢えたらいいね。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エリート東京外国語大学生と「頭がいい」の定義

2016年04月04日 | ちょっとまじめな話

 「頭がいい人」と話をするは楽しい。

 ヨーロッパを旅行していたときのこと。

 ロンドンから、オランダの首都アムステルダムにむかう夜行バスで、キタハマ君という日本人旅行者と出会った。

 彼は東京外国語大学に通う学生さん。

 私は旅先で妙に高学歴の人と出会うことがあり、東大の子に

 

 「一応、東大です」

 

 という「あるある」なセリフを生で聞いたり、在学中、司法試験に合格した京大生がいたり、なかなか接点のない人と話ができるのも、また旅の楽しみのひとつだ。

 このキタハマ君もご多分に漏れず、専攻のマレー語だけでなく、英語やインドネシア語など5カ国語を話せるというすごい人。

 オランダに来たのも、

 

 「インドネシアの言語文化について学ぶとなると、オランダの影響ってはずせないんですよ。だから、自分の目で見てみたくて」



 なんとも殊勝だ。話す内容も、

 

「旅行中は外交官をやってる先輩をたずねるのが楽しみで」


「友達がスイス航空に就職するために、わざと留年してるんですよ。航空会社って、数年に一回しか募集かけないから、それに合わせて卒業するためです」



 なんていう、どう考えても私の役に立たない就活情報とか、アムス観光のあとはライデンという街に行きましょうと誘われて、その理由というのが、



ライデン大学教授と食事会をする」



 というのだから、もう心の底から

 「日本の未来はまかせました」

 土下座でもしたくなるような、モノホンのエリートなのであった。

 キタハマ君のさらにすごいところは、そんな支配階級側の人間なのに、気さくで、頭の良さを鼻にかけたりすることもない、とてもフレンドリーな好青年であること。

 私もレベルが違うが、学生時代はドイツ語を専攻していたし、明るい彼とはウマが合うところがあったので、すっかり仲良くなった。

 私は外大での勉強法やエリートの生態について興味があったし、キタハマ君もオランダの隣国であるドイツ文化や、近しい言語であるドイツ語とオランダ語の差違などについて知りたかったらしく、夜寝るのも惜しいというくらいに盛り上がった。

 話題はキタハマ君の専攻である、マレー語に移った。

 不勉強なことに、マレーシアといえば若竹七海さんらの『マレー半島すちゃらか紀行』くらいしか知らない私は、彼のマレーよもやま話を楽しんでいたのだが、時折そこに、ちょっとした違和感のようなものが浮き上がってくることが気になった。

 言葉にするのは難しいのだが、なんとなくかみあってないというか、ある意見についてお互い同意しているのに、そこに微妙なズレがある。そのはっきりしない感じ。

 それはキタハマ君も感じているようで、ふたりで

 

 「なんなんやろうな」

 「なんなんでしょうね」

 

 なんて言い合っていたが、こうなるとその違和感の正体というのが知りたくなる。

 そこでキタハマ君が、

 

 「漠然としたものをつかまえるのは難しいから、まずは言語化してみましょう」



 なにやら、かしこげなことを提案する。

 「うむ、私も同じことを考えていたんだ(←ウソつけ)。やってみようじゃないか。」

 こちらも答えると彼は、

 

 「じゃあ、僕たちのイメージというか意識の違いを言葉にしてみましょう」

 「たとえばシャロンさんは、マレーシアっていう国に、どんな印象あります。簡単でいいですよ、思いつくまま言ってみてください」



 マレーシアねえ。多民族国家で、イスラム教で、昔イギリス植民地で、あとは銀輪部隊とか……。

 そういわれると、オレってホンマにマレーシアのこと知らんなあ。

 日本とは歴史的にも、けっこうつながりあるはずなんやけど。怪傑ハリマオとか。

 なんて、阿呆がバレそうなことを考えていると、それまで目をつぶって熟考していたキタハマ君が

 

 「あ、わかりましたよ!」



 え、何がわかったの? ので?

 たったこんだけのやりとりで、いったいなにがわかったちゅうのか。

 いぶかしく思っていると、キタハマ君はいかにも楽しそうに、こう続けたのである。


 (続く→こちら

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする