「大坂なおみ選手を支持します」 差別や暴力、ヘイトや詭弁と戦うアスリートについて

2020年08月31日 | ちょっとまじめな話

 「【無敵理論】って議論に勝ったように見せるに便利だけど、だからこそNGワードにしたほうがええよなあ」

 というのは、意見やイデオロギーがぶつかる場面で、いつも思うことである。

 先日、アメリカのウィスコンシン州で、黒人男性が警官に背後から銃撃されるという事件があった。

 アメリカの歴史は、同時に黒人や先住民に対する暴力の歴史でもあり、本などでそういものに触れると、あまりのやりきれなさに、グッタリしてしまうことも多い。

 これはもちろん、アメリカにかぎらず、あらゆる国や民族に内包される問題でもある。

 決して他人事というわけではないので、こういう事件にキッチリと抗議の声を上げることは、立派だし当然のことだと思うわけだが、どうも世界はそれに賛成してくれない人も多いよう。

 それは、日本人テニスプレーヤーの大坂なおみ選手が、抗議のため試合をボイコットしたことに顕著にあらわれた。

 賛同する声と同時に、反対したり揶揄したりする声も大きいのだ。

 その意見も様々だが、私が大坂なおみ選手に賛同する立場というのもあるとしても、なんだか今ひとつピンとこないものも多い。

 「やっぱり日本人じゃなかった」

 (アンタの言う「日本人」は人種差別や殺人を否定したらアカンのか?)

 「スポーツに政治を持ちこむな」

 (日本的感性として「めんどくさい」というのは、わからなくもないけど、「ダメ」な理由も別に見当たらない)

 「警官に殺されるようなことをするヤツが悪い」

 (いや、撃って殺そうとする方が悪いでしょ……)

 

 などなど、

 「なんで、そうなるの?」

 といったものから、ちょっとここには引用したくないような醜悪な言葉や罵詈雑言まで百花繚乱だが、そういったヘイトは論外として個人的に気になるのがこれだ。

 

 「スポンサーに迷惑」

 「多くの人がかかわっているのに、その人たちの気持ちを考えろ」

 

 すごく日本人的な発想のようだが、これは

 「コンコルド効果」

 と呼ばれるものに近い考え方だから、世界でも似たようなものなのだろう。

 和文和訳するならば、

 「多数派がやってることにはガタガタ言わずに従え。空気読め」

 という同調圧力であり、私などこれを聞いた瞬間、

 「あ、コイツちょっと、信用ならねえかも」 

 と警戒しているワードなのだ。

 これ自体なんとなく「正論」ぽいし、私も「大人の事情」なんてのがわかる歳になってからは、「まあ、ねえ……」となることもある。

 でも、この理論自体がどうかと言われれば、ハッキリ言ってこれって

 「卑怯者の言い分」

 だと思うんだよなあ。

 この理屈が通るなら、この世界のあらゆる多数派や強者や金持ちや押しの強い人が、かかわることすべて。

 そこで、どんな理不尽なことがあっても、一切の反対意見を受け付けなくていいことになってしまう。

 実際、セクハラやパワハラなどがまかり通る場所では、よく聞くものだ。

 ブラック企業の人からとか、ね。

 大会側だって一定の理解を示したが、そりゃ言い分もあろう。

 「勘弁してくれよ」と頭を抱えたかもしれない。

 それだって、決して無視できるものではない。

 けど、この理屈自体はやはり一種の「詭弁」であり、これでもって人を押さえつけようとするのは、それすなわち「卑怯」ではないか。

 ましてやスポンサーや関係者ならまだしも、外野の人間が

 「だまって言うことを聞け」

 とは、どんな奴隷根性やねんと。

 言うまでもないが、自分の主張を通したかったら人に迷惑をかけてもいい、と言っているわけではない。

 そうではなく、私はこのような、

 「ありとあらゆる反論を、あたかも相手側に責任があるかのように見せられる詭弁

 が好きではないわけだ。

 これはある意味「無敵理論」であり、真面目でちゃんとした人ほど足を取られたり、ごまかされたりする危険な言葉遊び。

 あまり好きな言葉ではないが「思考停止」に、つながる恐れもあり、この理屈を持ち出してくるあたりで、もうその人がだれだろうが大減点なのだ。

 その意味でも、そんな「アンフェア」な攻撃を受けるなおみちゃんには、ヘイトや詭弁や同調圧力に負けず、自分の意思を示してほしい。 

 そもそも、彼女の言動に賛成、反対など意見は様々あろう。

 それについて議論するのは大事だけど、ただ汚い侮蔑の言葉を投げつけることは、だれだってゆるしてはいかんでしょう。

 今回、あれこれダラダラ書いてきたが、一言でいえば、こういうことなわけだ。

 「大坂なおみ選手を支持します」。

 あなたのやっていることは間違いではなく、なにより、私はあなたの笑顔のファンだ。

 だから、テニスと同じく、あなたの勇気を尊敬し、その強い意志と行動を応援します、と。

 

 (王貞治さんの「無敵理論」編に続く→こちら

 

 

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藤井聡太「二冠」って、どうすごいの? 「19歳竜王」羽生善治二冠への長い道

2020年08月28日 | 将棋・雑談

 藤井聡太棋聖王位も獲得した。

 昨年度、悲願の初タイトルを獲得した木村一基王位から4連勝での奪取で、これで史上最年少の二冠達成。

 もう、何から何まですごすぎて、今さらなんか記録を達成しても、

 

 「まあ、藤井聡太なら、それくらいはね」

 

 驚きもしない状態になっているが、いやいやとんでもない。

 この「二冠獲得」というのは、信じられない偉業であって、かつての名棋士たちも、そんな簡単にやってのけられたわけではない。

 そこで前回は、谷川浩司九段が「21歳名人」になったあと、二冠目を取るのにどれだけ苦労したかを紹介したが(→こちら)、今回は羽生善治九段の「二冠」ストーリーを。

 

 羽生善治1985年に、藤井聡太や谷川浩司と同じく「中学生棋士」としてデビューした。

 その後、毎年のように8割近い高勝率をあげるも、なぜかタイトル戦に縁がなく、19歳2か月での竜王獲得まで待つことに。

 これだって、今見れば充分すごい記録だが、当時の感覚では「やっとか」という感じで、

 

 「ちょっと時間がかかったな」

 

 と思ったほどだから、いかに羽生が図抜けて強く、また期待もされていたかが、よくわかる。

 そんな若き羽生竜王は当然

 

 「羽生時代到来」

 「棋界制覇」

 

 を期待されたが、その後はやや失速し、「谷川名人」と同じく翌年防衛戦までタイトル戦に出られなかった。

 また、将棋の方もタイトルホルダーになった責務感だろうか、完成度が上がった代わりに、最大の武器である魔術的な勝負手や、なりふりかまわない粘着力が影をひそめるようになってしまったのだ。

 今振り返れば、それはまだ荒かった将棋をブラッシュアップするべく試みていた時期だったようだが、このころは真剣に

 

 「スランプでは?」

 「肩書など気にせず、のびのび戦ってほしい」

 

 ファンに心配されたものだった。

 そのブレは竜王を獲得してすぐの1990年、第49期B級2組順位戦で早速あらわれてしまう。

 初戦で当たった前田祐司七段NHK杯優勝経験もある強敵だが、ぶっちぎりの昇級候補だった羽生からすれば、ここで負けるようでは上が見えないところ。

 だが、ここでは前田が力を出すと同時に、羽生にひるむような手が続いてしまう。

 もっとも得意なはずの、中終盤でのねじり合いで、競り負けてしまうのだ。

 

 

 横歩取りからの力戦で、先手の羽生が苦しい。

 ここでは、しれっと▲96歩と突くのが羽生好みの一着のはずで、そうやって「どうぞ好きにしてください」と手を渡せば、後手も決めるとなると難しく、まだアヤがあった

 本譜は▲45歩とするも、これが凡手で、以下前田の「体重攻め」の前に、あえなく轢死。

 

 

 思わぬ番狂わせで、これで

 

 「大本命は羽生」

 「一枠はすでに決まり」

 

 という戦前の予想が大混乱におちいる。

 さらに、第2戦目でも、57歳のベテラン吉田利勝七段による空中戦法「吉田スペシャル」に完敗し、まさかの開幕2連敗

 さすがに、そこからは力を出して残りを8連勝するも、時すでに遅しで、順位上位の森安秀光九段島朗七段に、同星ながら頭ハネを喰ってしまう。

 「棋界制覇」どころか、これで名人になるのが、確実に1年遅れてしまうことに。

 しかも、負けた相手が森下卓中村修島朗脇謙二といった昇級候補ではなく、やや下り坂だった中堅、ベテランの棋士だったこともショックだった。

 羽生の苦難は続き、その後の竜王防衛戦では谷川王位・王座に1勝4敗のスコアで完敗し、一瞬で無冠に転落(そのシリーズの詳細は→こちら)。

 この負け方は内容的にもハッキリがあり、「羽生時代」の話は、

 

 「谷川が強すぎるので持ち越し」

 

 という、あつかいになってしまったほどだった。まさに、「振り出しに戻る」である。

 谷川浩司もそうだったが、羽生もまた、初タイトル獲得後は決して本調子とは言えない結果が続いた。

 どうやらこれは、棋史に残るような大天才でも、容易には乗り越えられない壁らしい。

 羽生の場合、ターニングポイントはこのあたりだったようで、無冠転落から4か月後に南芳一から棋王を奪って、ここでホッと一息。

 その翌年、福崎文吾から王座を奪って、ようやっと複数冠達成。

 羽生はここから一気に「七冠王」ロードを爆進することになり、その後も常に多数のタイトルを保持。

 「一冠」(2004年に王座のみの時期があった)になったのも、わずか3ヶ月だけ(!)という高位安定を25年近く続けた。

 それを思えば二冠までに初タイトルから3年、デビューから7年というのは、意外なほどかかっている印象がある。

 18歳で二冠になった藤井聡太が、いかにスゴいことをやってのけたか、実によくわかるではないか。

 

 (渡辺明「二冠」編に続く→こちら

 

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「ソード・ワールドやフェブラリー、ずっと山本弘を読んできた」と、宇宙の中心のウェンズデイは言った

2020年08月25日 | 

 山本弘はもっと評価されていい。

 というのは、もう高校生くらいのころから、ずっと思っていたことである。

 山本先生は先日、自身のことについて不穏なツイートをされ、周囲の人やわれわれファンをあわてさせた。

 はっきり言えば「自殺を考えて」いたそうなのだが、幸いなことに最悪の結果は避けられたようで、これにはホッとした。

 ただ私自身、「自死」というものを語るには、まだ思考の整理ができてないし、否定はされるべきというのが「正しい答え」だとは思うが、


 「死ぬほど苦しんでいる人」


 に対して「生きて」とはげますのが、「ベストの選択」かどうかも、よくわからない。

 だから、ここでは哀しみやはげましの言葉は抜きで、山本先生が書く小説についての、楽しい思い出を書いていきたい。

 


 を読んだり映画を観たり、テニス将棋を観戦していると時折、


 「あ、こりゃ、すごい人が出てきたぞ!」


 胸を躍らせることがある。

 たとえば、予備知識がない状態で、なんとなく手に取った北村薫先生の『空飛ぶ馬』とか。

 初野晴さんとか、桜庭一樹さんとか、杉元怜一さんとか、先崎学九段とか、フェルディナントフォンシーラッハとか、その他まだまだ、たくさん。

 最初の10ページ目くらいから、


 「すごいな。この人、絶対に売れるわ。メチャメチャおもしろいやーん!」


 目をハートにしながら、そう確信させるほどの作家というのはいるもので、そういった人が実際にブレイクしたり、玄人筋の読者や評論家が絶賛してたりすると、


 「まあな、あの○○も今はがんばってるみたいやけど、オレが育てたようなもんや」


 もう尻馬に乗って鼻高々なのである。

 そういった「才能とのファーストコンタクト」のひとりに、SF作家の山本弘がいた。

 山本先生といえば、「トンデモ本の世界」シリーズが爆売れしたため、一時は「と学会会長」(今ではいろいろあって、やめてしまわれた)として知られていたが本職は小説家

 私の世代だとSFでは『時の果てのフェブラリー』を手に取るケースが多いだろうが、それよりも当時はファンタジー小説のイメージが強かった。

 1990年代の一時、日本の一部でRPG大ブームが起きていた。

 ここでいうRPGとはドラクエFFといったコンピューターゲームではなく、テーブルトークと呼ばれるもの。

 『ダンジョンズドラゴンズ』や『クトゥルフの呼び声』などで知られる、我々自身がプレーヤーになって遊ぶそれ。

 山本先生はその中にあった『ソードワールドRPG』を作ったグループSNEのメンバーとして、ノベライズやリプレイ集などを作成していたのだ。

 『ソード・ワールド』短編の多くはSNEメンバーによる共作という形になっていたが、個人的には山本作品が一番おもしろく、読み返すことも多かった。

 『ジェライラの鎧』『ナイトウィンドの影』といった短編から、長編の『サーラの冒険』などなど、

 小説がおもしろいのは当然として、それと同時に才能への感嘆というか、


 書ける人って、こういう人のことを言うんやなあ」


 妙に納得したものだった。

 また、山本先生のすごさを感じた出来事が、同じ時期にもうひとつあった。

 高校生のころ、タマガワ君という友人が「おもろい読みもんあるねん」と教えてくれた雑誌があったのだ。

 それは『アニメック』という、その名の通りのアニメ誌

 私はアニメにそれほどくわしくないので、当時はよく知らなかったけど、『アニメック』はずいぶんと横紙破りというか、同人誌的無法地帯というか。

 そういう「深夜ラジオ」的なハチャメチャさがあったものだった。

 特に読者投稿欄がすごくて、たとえば



 「『機動戦士ガンダム』はSFかどうか」

 「ニュータイプとはなにか」



 みたいなことで誌上討論が勃発したりすると(タマガワ君がもってきたのはずいぶん古いバックナンバーだった)、もう大炎上で大盛り上がり。

 そのノリは今のSNSのようというか、頭のいい人もいれば、バカボケクズといったレベル罵倒も飛び交う、よく言えば活気のある、悪く言えば玉石混交のデタラメなもの。

 大人は眉をしかめそうだが、10代の若者にはすこぶるおもしろいものだったのだ。

 そんな中、ある人の書いたガンダム論が目を引いた。

 その投稿は文章もしっかりしてるし、論の組み立てもすばらしく、とても素人レベルの内容ではない。

 ふーん、在野にもしっかりしたもん書ける人がおるんやなあ、と感心しながら名前を見ると、そこにはこうあったのだ。


 「京都府 山本弘」


 山本弘かい!

 そら、うまいはずですわ。後のプロですもん。しかも、「オレが見つけた」。

 このとき、つくづく感じましたね。

 栴檀は双葉より芳し。才能ある人は、売れてないときからでも輝きが違いますわ、と。

 もちろん、山本弘のすごさを「発見」していた人は数多く、乙一さんも影響を受けた作品に『サーラの冒険』をあげておられた。

 これには思わず「やろうな」と、うなずいてしまったもの。

 乙一さんの文体って、ちょっと山本弘っぽいものね。

 岡田斗司夫さんなども、


 


 SFというジャンルにこだわらなければ、村上春樹クラスの評価を受けていい作家」

 「頭がいいけど、そのせいで文章が長くて回りくどい橘玲は、理路整然とした山本弘の闘病日記を筆写しろ!」



 これにも当然「やろうな」ですわ。

 ノーベル賞候補にだって、ウチの五十六……じゃなかった弘は負けてないで!

 その後、山本先生はホラーブームに乗っかって、『審判の日』『まだ見ぬ冬の悲しみも』といったSF短編集を「ホラー」のに置くというワザを披露。

 これによって「SFは売れない」という偏見の壁をすり抜け名前を売り、その後大作『神は沈黙せず』でブレイクを果たした。

 それからも怪獣小説ブームの立役者『MM9』や、星雲賞受賞のお遊び満載『去年はいい年になるだろう』。

 本好きなら「俺もまぜろ」の声がおさえられない『BISビブリオバトル部』など順調に活動しておられたが、脳梗塞によって闘病生活に入ることを余儀なくされ、今に至る。

 幸い命に別状はなく、ある程度は回復もされたようだが、頭の働きなどに副作用が出ているらしく、


 


 「書くとしてもSFは無理」



 ともおっしゃっていたそうだから、当分新作は読めそうにない。

 なのでここでは私的オススメ山本弘を紹介して、本日の幕としたい。

 まずヤング諸君の入りはファンタジーがいいかな。

 さっきも言った『ジェライラの鎧』『ナイトウィンドの影』ね。

 ナイトウィンドは「スチャラカ冒険隊」のリプレイを読んでおくと、より楽しめるよ。そっから『サーラの冒険』。

 SF短編で震えるようなのが読みたければ、『闇が落ちる前に、もう一度』『まだ見ぬ冬の悲しみも』。

 ポップで楽しく、また哀しくもある『シュレディンガーのチョコパフェ』。

 『アイの物語』はハズレなしだけど、あえて選ぶなら『ブラックホールダイバー』。

 『地球から来た男』は『ジェライラ』と並んで、私の人生観にも影響(あるいは再確認)をあたえてくれた。

 長編は『神は沈黙せず』はマストだけど、特撮ファンは『MM9』『地球移動作戦』もハズせない。

 一般受けなら『詩羽のいる街』で、人にすすめるならこれが入りやすいかも。

 あと『夏葉と宇宙へ3週間』のラストがドキドキするんだ、これが。

 小松左京先生の影響バリバリだけど、今の作家なら小川一水さんのファンは絶対楽しめると思う。

 他にもね、一杯あるねんで、もっと聞いてくれる? それからね、それから……。

 

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藤井聡太「二冠」って、どうすごいの? 「21歳名人」谷川浩司二冠までの道

2020年08月22日 | 将棋・雑談

 藤井聡太棋聖王位も獲得した。

 昨年度、悲願の初タイトルを獲得した木村一基王位から4連勝での奪取で、これで史上最年少の二冠達成。

 最近は、皆様もそうでしょうけど、もはや藤井王位棋聖がなにを成し遂げようが、おどろきもしなくなってしまった。

 ここからどんな記録を打ち立てようと、

 

 「ま、藤井聡太なら、それくらいは」

 

 とか、おさまってしまうのだろう。

 そういや、羽生さんも、そんな感じだったなあ。

 なんて、すっかり偉業にマヒしているというか、「それが日常」になってる感もある藤井フィーバーだが、けど、やっぱり改めて見ると思うわけなのだ。

 いやいや二冠って、そんな簡単になれるもん、ちゃうっちゅーねん!

 ということで、前回は若き日の羽生善治九段の、ビックリするようなポカを紹介したが(→こちら)、今回はそんな羽生九段でも大変だった「二冠」への道について。

 

 藤井聡太二冠のように、若くしてタイトルを取る棋士は、もちろん過去にもいた。

 が、これが複数冠となると、調べてみたら、これが結構皆さん苦労されてることが、よくわかる。

 たとえば、谷川浩司九段がそう。

 谷川といえば、藤井二冠と同じ「中学生棋士」としてデビューし、

 

 「21歳名人」

 

 という冗談みたいなことをやってのけた男だが、「二冠」となると、これがかなり手こずっている。

 まず、そもそも、名人を獲得してのタイトル戦に、なかなか出られなかった。

 当時の谷川といえば、才能に関しては一級品だったが、まだ荒けずりな段階だったと言われている。

 勝率も高いは高いが、羽生や佐藤康光、藤井聡太のような「8割」勝つほどでもなかった。

 それはネットなどない時代、情報がほとんどなく、勉強方法も少なかったせいで、どうしても今の棋士より洗練度を上げるのに不利なところがあったからだ。

 なんと言っても、棋譜を調べるには、わざわざ連盟まで出向かなければならなかったころなうえに、関西所属というハンディもあった(昔は西と東には絶望的な情報格差があったのだ)。

 まあ、これは後に述べる羽生や、渡辺明にも共通しており、渡辺をはじめ、

 

 「昔は良かったなあ、棋譜を並べるくらいしかないから、研究はそれでよかったもん」

 

 といった内容の発言をする棋士も多いが、ともかくも次の名人防衛戦まで、挑戦者になれなかったのはファンのみならず、本人も不本意だったろう。

 1年たって、とりあえず名人戦は、同じ「神戸組」の森安秀光八段の挑戦を退けて現状キープ。

 

 

1984年の第42期名人戦七番勝負。谷川が3勝1敗で防衛に王手をかけての第5局。

谷川が序盤でうまく指していたが、森安も「だるま流」のしぶとさを発揮してくずれず、ここではかなり盛り返している。

△75桂がきびしく先手が受けにくいが、ここでじっと▲33角成としたのが、落ち着いた手だった。

以下、△73桂に▲79玉とかわして、先手玉は意外とねばっている。

「前進流」「光速の寄せ」が売りの谷川だが、実はこういう地味な手に本領があるのではと言われている。

 

 

 足場を固め直して、今度こそ二冠目を目指すぞと、1984年前期、第44期棋聖戦で、ようやっと名人戦以外の挑戦権をつかむ。

 相手は当時、棋聖に加えて王将棋王のタイトルを保持し、

 

 「世界一将棋の強い男」

 

 と称された米長邦雄三冠

 名人と三冠王の対決ということで、かなり注目度は高かったそうだが、結果は3連勝で米長があっさり防衛

 将棋の内容も、米長が「前進流」で強く踏みこんでくる谷川の切っ先をヒラリとかわす戦い方に終始しており、スコア的にも作戦的にも先輩にいなされた格好だった。

 

 

 名人と三冠王の「最強者対決」第1局。

 相矢倉から、谷川の猛攻をしのいで、反撃の手筋一閃。

 先手は4枚矢倉の堅陣だが、この一撃からあっという間に崩壊してしまう。

 

 

 こうして二冠の夢を断たれた谷川は、その後はタイトル獲得どころか、中原誠王座名人を奪われてしまい無冠に。

 同年度の1985年、第11期棋王戦桐山清澄棋王に勝利し、名人以外のタイトルを初めて手にするも、翌年、高橋道雄王位に敗れて、またも無冠

 トップに立つどころか、なんと後ろから追ってくる立場だった高橋に、追い抜かれる形になってしまった。

 高橋道雄王位棋王と、谷川浩司九段

 私が将棋に興味を持ったのが、ちょうど「谷川棋王」のころ。

 もちろん名人経験者であることも知ってたから、そんな人が「九段」表記になったのには、メチャクチャ違和感があったものだ。

 まあ、このときの高橋道雄はのように強かったから、別におかしくはないんだけどさ……。

 このくらいまでの谷川は、まだ安定感に欠けていた印象もあったが、たくましくなってきたのは、このあたりからだったろうか。

 ゼロから再スタートになったが、心境の変化などもあり、ほどなくスランプを脱出。

 翌年の王位戦で挑戦者になり、苦戦していた高橋道雄相手に、

 

 「全局、違う戦法で戦う」

 

 と宣言。振り飛車穴熊を採用するなど遊び心も発揮し、4勝1敗のスコアで奪取。無冠を返上する(→そのときの模様はこちら)。

 返す刀で棋王戦でも挑戦者になり、やはり高橋を破り、棋王も獲得(→そのときのハプニングはこちら)。

 これでようやっと、念願だった複数冠達成だ。

 谷川はその後、中原から名人を奪い返し三冠王になるが、ここまでの道のりは、その実力を考えればかなり長かった。

 それだけタイトルホルダーになるということが、むずかしいという証明でもある。

 あの谷川浩司ですら、二冠獲得に初タイトルから4年、デビューからは11年もかかったのだ。

 18歳で二冠になった藤井聡太が、いかにスゴいことをやってのけたか、実によくわかるではないか。

 

 (羽生善治「二冠」への道編に続く→こちら

 

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「天才少年」の一手ばったり 羽生善治vs加藤一二三 1989年 第31期王位戦

2020年08月19日 | 将棋・ポカ ウッカリ トン死
 「ポカ」の生まれるメカニズムとは不可思議である。
 
 前回は丸山忠久九段の「意味のない手」と、それを見た先崎学九段のメッセージを紹介したが(→こちら)、今回は軽快なさばきと信じられない「一手ばったり」をセットで。
 
 将棋にはウッカリがつきもので、どんな強豪棋士でもやらかしてしまうものだが、「なぜそうなるのか」というのは、よくわからないところもある。
 
 難解な局面で秒読みに追われてとか、心身が消耗してとか、油断したとか、そういったケースならわかるが、ときになんのプレッシャーもないのにミスしてしまったり。
 
 さらには、それまで会心の指しまわしを見せていたのに、なぜか着地だけスッテンコロリンとか、「理由なき犯行」が出現すると、見ている方も首をひねることになるのだ。
 
 
 1989年の王位戦。加藤一二三九段羽生善治六段の一戦。
 
 後手の羽生が角道をとめるノーマル中飛車を選ぶと、加藤はこの形になると得意としている袖飛車で、3筋をねらう攻めを敢行。
 
 後手が「美濃に囲って△45ポン」(なんてのも今では聞かないなあ)でさばこうとして、むかえたのがこの局面。
 
 
 
 
 ▲41角の両取りが決まっているが、もちろんこれは後手の読み筋で、きれいな返し技がある。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 △65角と打つのが、まさに「八方にらみの角」。
 
 上下あざやかに利いており、
 
 
 「振り飛車党はの使い方がうまい」
 
 
 とよくいわれるけど、その見本のような一手。
 
 まさに「史上最強のオールラウンダー」羽生善治の、面目躍如たる局面だ。
 
 これで先手の攻め足は止まっている。▲52角成と取って、△38角成の攻め合いに、▲61馬、△同銀、▲41飛
 
 
 
 
 
 の両取りがかかっているが、次の手がピッタリ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 △43角と打って、きれいに受かっている。
 
 どこまでいっても、羽生に好調な手が続くやりとりとなっているのだ。
 
 そうして、後手優勢でむかえた終盤戦。
 
 
 
 
 加藤も手順をつくして後手玉にせまり、ここでは▲71角からの一手スキがかかっている。
 
 一方、先手陣はまだ一手の余裕があり、受け方によってはまだむずかしそうだが、ここで手筋がある。
 
 
 
 
 
 
 
 
 △92玉が、しのぎの筋。
 
 
 「玉の早逃げ八手の得」
 
 
 のようなものだが、これで先手はカナ駒が、1枚半くらい足りない形。
 
 筋に明るい方は▲82銀という手が見えたかもしれないが、これには△同玉と取って、▲71角、△92玉、▲72金
 
 これで必至のようだが、そこで△88銀と王手して、▲86玉に△84飛、▲75玉、△74銀、▲64玉、△65銀と追う。
 
 ▲63玉に△27馬と、こちらに使って王手するのが視野の広い好手。
 
 
 
 
 ちょっとむずかしい手順だが、こうなれば▲52玉、△72馬で要のが抜けて後手勝ち。
 
 ▲54金とムリヤリ受けても、△同銀、▲62玉、△26馬、▲51玉に△71馬をはずして、先手はすべての戦力を失い、みじめになるだけ。
 
 なので加藤は駒を渡さず、単に▲72金とせまる。
 
 
 
 
 ▲93銀から美濃囲い攻略のお手本の詰めろだが、これにもお返しの手筋がある。
 
 
 
 
 
 
 
  △71銀と打つのが、しのぎの手筋第2弾
 
 ▲同金しかないが、これで一手スキが解除され、後手の勝ちが決まった。
 
 ……はずなのだが、ここで羽生が△57と、としたのが、当然に見えて一手バッタリの大悪手だった。
 
 加藤は、すかさず▲63角と打ちつけるが、これが典型的な「詰めろのがれの詰めろ」。
 
 
 
 
 △88銀、▲86玉、△84飛、▲85銀の合駒に、△同飛、▲同玉、△74馬の詰みを防ぎながら、▲81角成からの詰めろに受けがない。
 
 アッという大逆転劇だが、なぜこうなるのか、よくわからないところはある。
 
 △57と、は一言でいえばウッカリだが、それにしたってそれまでの指しまわしは振り飛車の教科書にのせたくなるような会心譜で、どこにも乱れる余地などないからだ。
 
 まさに一瞬のエアポケット。「天才」羽生善治にも、こういうことが起こるのである。
 
 ちなみに、△57と、では△89竜と取って、これが△88竜からの簡単な詰めろ
 
 ▲66角が「詰めろのがれの詰めろ」の返し技だが、これには△75桂と打つのが、中村修七段推奨の
 
 
 「詰めろのがれの詰めろのがれの必至」
 
 
 で、あざやかに後手勝ち。
 
 
 
 
 
 
 華々しいようだが、中村や羽生のようなトップクラスなら射程圏内の手順で、やはりこれを逃したのがおかしな感じだ。
 
 羽生は▲63角を見て、それ以上指さずに投了
 
 もはや後手に勝ちがないとはいえ、これまたアッサリしたもの。
 
 さしもの羽生も、あまりのあっけない幕切れに、自分でもバカバカしくなったのかもしれない。
 
 
 (藤井聡太「二冠」と谷川浩司「二冠」の比較編は→こちら
 
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ウェス・アンダーソン『グランド・ブダペスト・ホテル』が好き好き大嫌い!

2020年08月16日 | 映画
 「オレは『グランドブダペストホテル』という映画が好き好き大嫌いやあああああ!!!!!」。
 
 週末の夜に、そんな岡崎京子さんのマンガのような声がこだましたのは、友人アクタガワ君のこんな言葉からだった。
 
 
 「これ、君が好きそうな映画やから見たら?」
 
 
 そうして渡されたDVDが、『グランド・ブダペスト・ホテル』であった。
 
 『ロイヤルテネンバウムズ』『ダージリン急行』など、非常に洗練された作風で鳴らす、ウェスアンダーソンが監督をつとめた作品。
 
 ライムスター宇多丸さんをはじめ、評論筋からも非常な高評価を得た良作だ。
 
 舞台は1932年、東ヨーロッパにあり、おそらくはハプスブルク家が治めるオーストリア=ハンガリー帝国の一部だったであろう小国ズブロフカ共和国
 
 グランド・ブダペスト・ホテルはズブロフカ随一の高級ホテルであり、そこのコンシェルジュであるグスタフと、難民からこのホテルに拾われたベルボーイゼロを主人公に、殺人事件や名画をめぐる冒険を描いた、ミステリ調の喜劇である。
 
 で、これがおもしろかったのかといえば、たしかに評判通り、いい出来であった。
 
 ストーリーはテンポよく進み飽きさせないし、かわいいミニチュアに、色合いから画面構成、セリフ回しのさなど、実に巧みでオシャレである。
 
 玄人の映画ファンから、デートムービーで行くカップルまで、幅広い層にも楽しまれそうなところもすばらしい。
 
 そしてなにより、友がニヤニヤしながら「いかにも」といった要素が、こちらのツボをくすぐりまくる。
 
 学生時代ドイツ語とドイツ文学を学び、今でも池内紀先生の本を愛読している身からすると、もう舞台設定からして、どストライク。
 
 ストーリーや空気感も、エルンストルビッチからビリーワイルダーの師弟ラインや、ハワードホークスプレストンスタージェスといった流れにバンバンに乗っかっており、これまた大好物。
 
 とどめに、シュテファンツヴァイクの名前まで出てきた日には、もう笑うしかない。
 
 『マリーアントワネット』や『ジョゼフフーシェ』はもう、学生時代何度も読み直したものだ。『マゼラン』『人類の星の時間』とか。
 
 そんな、全編「オレ様の大好物」でできているような映画でありまして、そらアクタガワ君がすすめるのもしかり。
 
 いやあ、ようできた映画ですわ。次はぜひ、ヨーゼフロート『聖なる酔っ払いの伝説』か、シュニッツラーの『輪舞』を撮ってくれないかしらん。
 
 カレルチャペック『長い長いお医者さんの話』でもいいなあ……。
 
 なんて感想を思いつくままに語ってみると、
 
 
 「なんだおまえは、ふつうに楽しんでいるではないか。それなのに、さっきは《大嫌い》といっていたが、それはどういうことなのだ」
 
 
 なんて、いぶかしく思う向きもおられるかもしれないが、そうなんです。
 
 やっぱオレ、この映画が好きになれないなあ。
 
 理由は、ひとことで言えば「近親憎悪」。
 
 よくあるじゃないですか、オタクマニアと呼ばれる人が、同じ趣味志向の人を見ると、同志愛をおぼえると同時に複雑な感じになることが。
 
 「アイツはわかってない」と議論になったり、なぜか「一緒にしないでくれ」と否定して周囲から「一緒や」と苦笑されたり。
 
 そういう、めんどくさい感情にとらわれるのが、同族嫌悪と言うやつなのだ。
 
 冒険企画局の『それでもRPGが好き』という本の中で、
 
 
 奈那内「近藤さんは、エンデが嫌いでしたよね」
 
 近藤「冗談じゃない。嫌いなものか」
 
 (中略)
 
 奈那内「でも、なんかエンデの本について話しだすと、近藤さんトゲトゲしいですよ」
 
 近藤「だって、あの人理屈っぽいんだもの。自分の作品について、作者のくせにいろいろ理論を語っちゃうし」
 
 奈那内「同じですよ、近藤さんと……。あ、そうか。だから議論になっちゃうんだ」
 
 
 こんなやりとりがあったんだけど、近藤功司さんの気持ちはスゲエわかる!
 
 ましてや、同じ世紀末ウィーンの話をしても、ウェスはラジオ番組「たまむすび」で赤江珠緒さんに「かわいい」って言われるのに、私だと、
 
 
 「なにがウィーンだ。テメーは『ゴジラ対メガロ』の話でもしてろ!」
 
 
 ……てなるのは目に見えてるんだもんなあ。
 
 シュテファン・ツヴァイクを取り上げても、将棋の佐藤天彦九段なら「貴族」だけど、私だと
 
 
 「乞食が、なんかいうとるで」
 
 
 てあつかいですやん、きっと。
 
 まあ、その不公平感といいますか。「同類」やのに、なんでオマエだけモテてるねん! 
 
 ……なんか、言葉にすると、すげえ情けないですが、まあそういうこと。
 
 ウェス・アンダーソン『グランド・ブダペスト・ホテル』はとってもおもしろかったので、私以外の方には超オススメです。
 
 
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「この将棋の終盤戦を見せてやりたかった」と先崎学は言った 丸山忠久vs屋敷伸之 1990年 王座戦

2020年08月13日 | 将棋・名局

 丸山忠久が「駒音高く」打ちつける光景など想像ができない。

 前回は「ミス四間飛車」「振り飛車女王」と呼ばれた斎田晴子女流五段の華麗なさばきを紹介したが(→こちら)、今回はついさっき竜王戦の挑戦者決定戦進出を決めた、丸山忠久九段の若手時代のほとばしりを見ていただこう。

 プロ棋士が将棋を指すときの、駒の動かし方はそれぞれである。

 羽生善治九段のように優雅に手を舞わせる人もいれば、加藤一二三九段のように盤も割れよと叩きつける人もいるが、丸山忠久九段の駒音は独特で、ほとんどをさせない。

 今では永瀬拓矢叡王王座をはじめ、駒を静かに置く棋士は多いというか、むしろそっちが主流っぽいくらいだが、当時はめずらしく「音無し流」などと呼ばれたりしていた。

 だが、そんなマルちゃんが、大きな駒音をたてながら指していた将棋というのが存在したらしく、それが昔『将棋世界』で連載されていたエッセイに紹介されていた。

 まだ20代前半の、先崎学四段が書くその文は、

 


 「将棋指しは《暗い》」


 

 というところからはじまる。

 そのころ先崎には、将棋界にくわしい「A」という友人がいた。

 彼が言うには、ふつうの若者というのはもっと青春を楽しんでいるのに、棋士といえば将棋ばかり指して暗い、と。

 当時はまだ、バブル時代の空気感が色濃く残っていたころ。

 金にあかせて、派手にぜいたくに遊びまくるやつが一番エライという、元気というか、なんだかなあというか、まあそういう時代だったのである。

 これに対して、まだ若手棋士だった先チャンは、なめんじゃねえぞと大反論。

 世間の男はのことしか考えてないのに、そんな連中が、人生をかけて将棋に打ちこんでいる自分たちをバカにできるのかよ!

 てなもんであるが、当の先崎青年も、当惑をかくし切れないところもあったそう。

 暗いといわれりゃあ、まあそうかもしれないし、そもそも将棋というものが世間的にはその程度のイメージだという、くやしさもあるではないか。

 そこから話題は公式戦のことに移り、紹介されるのが1990年王座戦

 屋敷伸之棋聖と、丸山忠久四段の一戦だ。

 先手丸山の矢倉に、屋敷は雁木模様で対抗。

 丸山の攻めを屋敷が丁寧に受け、途中からはハッキリと屋敷有利に。

 ここからの丸山のねばりがおそろしい迫力で、まさに手負いの獣のような暴れっぷりを見せつける。

 形勢は大差なので、まったく報われる気配はないが、あのいつもニコニコの丸山からは想像もできない、鬼気迫る手順が続くのだ。

 敗勢になっても投げない丸山は、屋敷の猛攻の中、はいずる様にして敵陣にトライを果たす。

 このころの丸山が得意にしていた入玉だ。

 ただ、いかんせん盤上は差がつきすぎていた。

 丸山は駒をボロボロ取られながらの、ダンケルクもかくやの大敗走で、たとえ自玉が詰まなくても点数がまるで足りず、勝ちはないのだ。

 

 

 

とっくに終わっている将棋で、かなり前から、投げ場がなくなっている。

この後△67飛成、△65竜、△63竜と次々召し上げられ、ついには2枚の角まで全部取られてしまうが、それでも丸山は指し続ける。

 

 

 このときの様子を、先崎はこう書いている(改行引用者)。

 


 秒を読まれるたびに丸山は、肩をいからせ、一枚の駒を、まるで野球のボールを投げるように強く打ちおろした。

 屋敷は、一手指すごとに、トイレにでも行くのか席を立つのが印象に残った。

 部屋の雰囲気は緊張感で張りつめ、うっかり咳払いでもしようものなら記録係を含めて三人の視線で金縛りにあいそうに感じられた。

  もちろん、丸山のほうは年下のタイトル保持者に対するライバル意識があったのだろう。

 丸山は、あきらかに興奮していた。





 屋敷が史上最年少棋聖のタイトルを取った年で、まだ丸山はプロ1年目だった。

 屋敷も丸山も、いつも笑顔を絶やさずファンにも人気の棋士である。それがこの異様な空気感。

 特に丸山が「野球のボールを投げるように強く」駒をあつかうなど、今ではまったく絵が思い浮かばないではないか……。

 ちなみに、この「三人の視線で金縛りにあいそう」の3人目に当たる記録係は、三段時代の深浦康市だったらしい。

 クライマックスは325手目(!)。

 必敗の中指し続け、クソねばりを通りこして、ほとんど「全駒」状態の丸山が、信じられないところにを打ちつけたのだ。

 


 

 なんという手だろう。成香の両取り。いや、そんな解説など、意味もないだろう。

 「執念」と感嘆するもよし、あきれるもよし、苦笑いするもよし、「いいかげんに投げろよ」と怒りだすもよし、なんでもいいだろう。

 意味などないのだから。

 だが意味がないからこそ、そんな手を後に名人にまで昇りつめる丸山忠久ほどの男が指したからこそ、そこにこめられた、すさまじいなにかが伝わってくる。
 
 この手を見て先崎は、


 僕は、この将棋の終盤戦をAに見せたかった。

 Aだけではなく、若手棋士のことを、人間味が感じられない、ゲーム感覚でつまらない、などとわかりもしないくせに馬鹿にする評論家に見せてやりたかった。


 

 当時の将棋界は「羽生世代」の台頭や、そこから起こる盤上でのパラダイムシフトについていけず、

 

 「彼らが強いのは、将棋を【テレビゲーム感覚】で指しているからだ」

 

 というトホホも極まれりな分析が、本気で幅を利かせていた時代だった。

 私は今でも、自分が知らなかったり、理解できかったりする仕事や趣味や生き方をする人がいても、それを「暗い」などと笑ったりしないようにしている。

 同じく、意見の合わない若者に対して、

 

 「昔とくらべて劣化した」

 「○○世代はこれだから」

 

 といった易きな意見がまかり通る場所からは、申し訳ないが、そっと席をはずすようにしている

 それは別に私が賢明であるとか、寛容であるとか、カッコつけているとか、そういうことではなく、の人の分析が粗雑なら、きっと今の我々だってたいして変わらない。

 そして、そんな場では決まっていつも、この丸山四段の「▲89桂」という手が脳裏をかすめ、



 「この将棋の終盤戦をAに見せたかった」



 そう訴える若き日の先崎四段の声が、どうしても振り払うことができないからなのだ。


 (羽生善治の大ポカ編に続く→こちら

 

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夏バテ対策にトルコのヨーグルト・ドリンク「アイラン」はいかがですか?

2020年08月10日 | B級グルメ

 夏の飲み物にアイランはオススメである。

 「アイラン」とはトルコの定番ドリンクで、ヨーグルトを水で割って、泡立つくらいにかき混ぜ、塩をお好みの量入れるとできあがり。

 日本だとヨーグルトは甘いイメージがあるから、最初は抵抗があるかもしれないけど、なれるとサッパリした飲み心地でハマる。

 私もトルコ旅行の際に飲んでみて、意外にイケるやんと驚いたもの。

 トルコのヨーグルトはかなり濃厚で、飲むだけでなく、料理などにも使う万能調味料というあつかいだから、塩味でも違和感はないのだ。

 肉料理や野菜の揚げもの、果てやパスタやパンにまでかけて食べるというのだから、日本でいう醤油のようなものであろうか。

 私も現地の食堂で「イスケンデル・ケバブ」なる羊肉料理をいただいたが、そこには山盛りのヨーグルトが、どっせいとばかりに乗せられていた。

 これが、サワークリームのようなコッテリした酸味があって、かなり美味かったんだけど、とにかく濃くて途中から胸焼けを起こしてしまった。

 さすがにもてあました私が、

 「ヨーグルトやのに重いなあ。トルコ人どんだけヨーグルト食うねん。わけ行っても、わけ行ってもヨーグルトって、ワシャ山頭火か!」

 なんてボヤきまくっていたら、あまりにその様子がおかしかったのか、それまで無表情に立っていたギャルソンのおにいさんが笑い出したほどだった。

 そういや、日本語はわからんでも「ヨーグルト」はわかりますもんな。

 こっちのレストランかカフェでバイトしてて、異人さんがメシ食いながら、

 「ショウユ……ナントカカントカ、ショウユ……、ドウタラコウタラ、ショウユ……ショウユ……ショウユノー!!」

 とか悲しそうに言うてたら、そら笑いますわな。

 高橋由佳利先生の名作『トルコで私も考えた』(最近、新刊が出てうれしい)によると、トルコのヨーグルトに近いのは、あの羽生善治九段もCMに出ていた「明治ブルガリアヨーグルト」だそう。

 なもんで、私もそれにあやかって明治のを使っているんだけど、ゆかり先生のダンナさん(トルコ人)によると、商品名に納得がいかないとか(笑)。

 そりゃ、あんだけあらゆる料理に使ってるのに、日本ではトルコにヨーグルトのイメージなんて全然ないから、なんでやねんでしょうねえ。

 そんな「トルコ発」のヨーグルトドリンク「アイラン」は飲みやすいうえに、水分と塩分と栄養を一気に補給でき、夏バテや熱中症対策にもグッド。

 「えー? ヨーグルトがしょっぱいのー?」

 という偏見をはずせば、ヘルシーでおいしく、この季節にピッタリの飲み物なのです。

 

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「ミス四間飛車」の華麗なるさばき 斎田晴子vs岡崎洋 1994年 第26期新人王戦

2020年08月07日 | 女流棋士

 振り飛車という戦法は楽しい。

 将棋には様々な戦法があり、相居飛車の激しい攻め合いもいいが、アマチュアに人気といえば、やはり圧倒的にこれが振り飛車なのである。

 前回は「加藤一二三名人」が誕生した、中原誠との重厚な「十番勝負」を紹介したが(→こちら)、今回はNHK杯西山朋佳三段(女流三冠)も登場するということで、戦う女性のさわやかなさばきを見ていただきたい。

 


 1994年新人王戦

 岡崎洋四段斎田晴子女流王将の一戦。

 「ミス四間飛車」こと斎田の四間飛車に、岡崎は棒銀から仕掛ける。

 後手は角交換からを作るが、先手もそれを目標に中央から厚みで押そうとして、むかえたこの局面。

 

 

 

 

 ▲75銀と打って、これで飛車が死んでいる。

 このままタダで取られてはいけないが、△62飛△84飛と刺し違えても、▲22飛▲31飛と、先手で打ちこまれるからいけない。

 後手が困っているように見えるが、ここで斎田が会心のさばきを見せる。

 

 

 

 

 △66歩と突くのが、観戦していた米長邦雄九段も感嘆した、すばらしい一着。

 ▲64銀飛車がタダだが、△67歩成▲同金△66歩とたたいて、▲同角△65銀

 

 

 

 これで、見事に攻めが決まっている。

 が逃げれば、△66歩と押さえておしまい。

 とにかく、コビンをにらんだ△34馬の位置エネルギーがすばらしく、斎田が才能を見せた手順だった。

 以下、▲32飛△33桂▲77玉に、いったん△52歩

 ▲57金右の必死のがんばりに、△66銀と取って、▲同金右△39角で、勢い的には振り飛車必勝であろう。

 


 

 岡崎は6筋にカナ駒を置いて懸命にねばるも、斎田も落ち着いて寄せのをしぼり、この局面。

 

 

 

 先手は受けなしだから、後手玉を詰ますしかないが、▲85桂と打っても、△84玉で詰みはない。

 実戦的な考えとしては、なんとか王手しながら、うまく△65を抜く筋があればいいのだが、それもないようだ。

 先手負けだが、おどろいたことに、なんとこの局面で岡崎は46分考えた末に投了したのだ。

 これまた、なかなかにすごい投了図だ。

 いや、先手に勝ちがないのだから、投げるのはおかしくはないけど、それでもなにかありそうな局面なのだ。

 ないにしたって、王手していけば逃げ間違いなどもあるかもしれず、トン死はなくても、なにかアヤシイ手が飛び出さないとも、かぎらないではないか。

 少なくとも私なら、ここで王手ラッシュをかけられたら、生きた心地がしません。

 もちろん、斎田は読み切っているわけだが、「詰みなし」とわかってても、相当怖い思いはさせられるはずだ。

 それを清く投了。なかなかできるものではない。

 もしかしたら、その日の斎田の様子からして、ミスのようなものは望めないと感じたのかもしれない。

 なんにしても強い将棋で、この投了図もふくめて、斎田さんの名局といっていいのではないだろうか。
 

 


 (丸山忠久と先崎学の熱い戦い編に続く→こちら

 (女流棋士の将棋についてはこちら

 (その他の将棋記事についてはこちらからどうぞ)

 

 

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コロナ日記 非常事態宣言は明けたけど、特になにも変わらないなあ編

2020年08月04日 | 日記

 非常事態宣言はあけてわかったことは、私の休日はコロナがあろうがなかろうが、たいして変わらないということであった。

 

 ■7月のある休日

 
 朝11時起床。寝過ぎだが、寝ても寝ても眠い。今年は雨ばかりで調子が出ない。

 水シャワーを浴びて、作り置きのアイランとアイスティーをちゃんぽんで飲む。半分寝ながらスマホをチェック。

 見るのはニュースと天気予報。あと、タイムシフトでアベマやニコ生の将棋番組など。

 当ページでは羽生善治九段や谷川浩司九段が、まだ若手だったころのようなヴィンテージマッチを紹介してるけど、もちろん今の将棋もチェックしている。

 名人戦に叡王戦に王位戦と棋聖戦とか、アベマの早指し、さらに藤井聡太棋聖は順位戦をはじめ、他の棋戦も放送するから、追いかけるのが大変!

 中継が増えてありがたいのは、タイトル戦なんかももちろんだけど、まだ売出し中の若手棋士を見られること。

 今までだと、NHK杯の予選とか抜けてきてもらわないと、いけなかったけど、こうしてチェックする機会が増えてホクホク。

 「藤井キラー」の大橋貴洸、新人王戦優勝の高野智史、スピード昇級の近藤誠也、三枚堂達也、石井健太郎、黒沢怜生、長谷部浩平、斎藤明日斗とかとか。

 どんどん勝って、若手シーンを盛り上げていってほしいものだ。こないだの渡辺大夢は強かった。明日斗もやったね。みんな、期待してるよ!

 朝食にコーヒー、バナナ、フランスパン。

 BGMに筋肉少女帯『サボテンとバントライン』『サンフランシスコ』『サーチライト』など。オーケンは天才だなあ。朝に聴くもんでもないかもしれんが。

 午前中はDVDを観る。今日はエルンスト・ルビッチ監督の『ニノチカ』。

 「ガルボ、笑う」のキャッチコピー通り、グレタ・ガルボの美しさや「ルビッチ・タッチ」と呼ばれる洗練された演出やセリフ回しもさることながら、やはりこの作品に欠かせないのが、あの男たち。

 そう、ブリヤノフ、アイラノフ、コパルスキーの爆笑トリオ。

 この三バカ大将というかズッコケ三人組が、もう楽しくてキュートで萌え萌えなのである。

 いやまあ、やってることは公金で高級ホテル泊まったり、そこでデリヘル呼んだり、コンスタンティノープルでは酔って絨毯を窓から投げて、

 「なぜ空を飛ばない!」

 と叫ぶとか、いにしえのロックンローラーか底抜けユーチューバーみたいなんだけど、そこが最高。

 しかしこの三人、こんな重大任務を受けてるくらいだから、革命の英雄で(作中にそういうセリフもある)能力的にも超エリートなはずなんだよねえ。ジョージ・オーウェル『動物農場』こないだ読んだから、笑っていいのか震えるべきか。

 なんとなく風呂をみがいて、昼食。

 冷凍ゴハンをチンして、ゆでた豚肉に塩コショウして、ほうれん草、オクラ、生卵をのせて、グリグリかきまわしていただく。栄養たっぷり。

 自炊がめんどうという男子は、

 「スーパーで安売りしてる食材を買ってきて、火を通してから、めんつゆと一緒にゴハンか麺にぶっかける」

 のが簡単でヘルシーで満腹するからオススメ。メニューをいちいち考えなくていいのも楽。

 え? 味? 日本男児が、そんなこまかいことをゴチャゴチャ言ってはいかんな。

 食事のBGM代わりに、BS11でやっている『ヨーロッパの車窓だけ』。

 文字通り、ホンマになんの編集もなく、ワンカットで車窓だけを流す男らしすぎる番組。

 最初見たときは空いた口がふさがらなかったけど、昔ユーレイルパスを片手にヨーロッパをまわった身としては、チェックせざるを得ない。

 ただただ、何もないフランスの風景を見る。変な時間。この無聊感がたまらない。

 午後からはコーヒーを飲みながら、ひたすら読書。私は本さえあれば無限に時間をつぶせる人間なので、こういうときありがたい。

 タニス・リー『闇の公子』。濃厚なファンタジーだが、メチャメチャおもしろい。

 私は海外ファンタジーものが苦手で、『指輪物語』も『ドラゴンランス戦記』も『ゲド戦記』も、一応読んだけど、えらいことしんどかったうえに(『ゲド』は最近読み直したらおもしろかったけど)、内容もまったくおぼえてなかった。

 ファンタジーものの「あるある」に、子供向けとかリアリティーがないとかいわれがちなせいで、作者がその壁を乗り越えるため細部とかストーリーテリングに力を入れまくり(トールキン先生の描くホビットの生態とか)。

 そのせいでレベルは爆上がりしたけど、ハードルも爆上がって、かえってライトなファンは手に取りにくくなる……てのがあるんだけど、『闇の公子』もまさにそれ。読みごたえあるけど、敷居が高いなあ。

 道理で「インスタント魔法」の『ハリー・ポッター』が売れるわけだ。オススメするのは断然タニスだけど、最初に読むのは絶対ポッターだよ。 

 夕食は袋麺のサッポロ一番みそ。テンションをあげようと、キャベツ、ニラ、ししとうに、七味を大量に投入。辛くてうまくて、頭バクバクで、しばし浮世の憂さを忘れる。

 食後はパソコンを開く。お茶しながら、YouTubeやラジオなど。ダラダラとスポーツを。

 サッカーワールドカップで活躍するハンガリー代表「マジックマジャール」のプレーなど。キーパーがベレー帽をかぶっているというのが良い。

 寝る前に少し読書。池内恵先生の『イスラーム国の衝撃』。日本人にはわかりにくい、イスラーム世界の事件や問題点を解説してくれる一冊。

 ちょっと速読にはむかない文章だけど(文体がまじめすぎるせい)、それゆえか中身の濃さと充実が感じられる。

 さらに『現代アラブの社会思想 終末論とイスラーム主義』と『サイクス・ピコ協定 百年の呪縛』も読み直す。

 前者は「イスラームのトンデモ本」を紹介しており、人の考えることは文化や民族を問わず、似たようなもんなんだなあと苦笑しながら眠りに落ちる。

 

 

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「神武以来の天才」花開く 加藤一二三vs中原誠 1982年 第40期名人戦「十番勝負」 その2

2020年08月01日 | 将棋・名局

 前回(→こちら)の続き。

 1982年の第40期名人戦

 中原誠名人に挑戦したのは、加藤一二三十段だった。

 

 「神武以来の天才」

 

 と呼ばれ、加藤時代が来ることに、微塵も疑いを持たせなかったはずが、大山康晴中原誠という、新旧の壁にはばまれることに。

 これまで2度の挑戦はどちらも完敗だったが、「終わった」と思ったところに、もう一度チャンスが舞いこんだ。

 そもそも棋士もファンも、その好き嫌いはあれ(加藤はそのキャラクターから将棋界でも浮いた存在で、昔の記事だと「ヒール」と書かれたりしている)加藤一二三が

 

 「一度は名人になるべき男」

 

 と認めているのは間違いない。

 しかも、このころ中原は棋士人生初にして、最大ともいえる不調にあえいでいたこともあり(最大で五冠王だったのが、この後無冠に転落している)、シリーズはまれに見る大混戦になるのだ。

 まず、開幕戦がいきなり持将棋

 これだけでも風雲急を告げる雰囲気が伝わるが、その後は中原勝ち、加藤勝ち、中原勝ち、加藤勝ちと星を分け合って、第6局千日手

 この指し直し局で、加藤が力を見せる。

 相矢倉から、後手の中原が△43金左と上がる、今なら高見泰地七段が得意とする形から先行しペースを握る。

 加藤は懸命に受けるが、中原がそのまま押しつぶしそうにも見える。

 むかえたこの局面。

 

 

 

 

 △69馬とすり寄られて、先手玉は絶対絶命。

 次、△88角成から△79馬一手スキを受けようにも、駒を打つスペースがない。

 後手勝ちに見えるが、ここでうまいしのぎがあった。

 

 

 

 

 

 ▲19飛と引くのが、視野の広い妙手だった。

 遊んでいた駒を活用し、△88角成、▲同玉、△79馬には▲同飛という手を作っている。

 後手もトン死の筋があるから、うかつに駒は渡せない。

 ただし、局面自体はまだ中原の勝ちで、以下△88角成、▲同玉、△79歩成▲69飛△78金▲98玉△69と▲96歩

 加藤も懸命の防戦だが、先手玉は風前の灯に見える。

 だが、ここで中原にミスが出た。

 

 

 

 △82香と打ったのが、王様の脱出路を消して自然に見えたが、敗着になってしまった。

 ここでは△86歩や、△75飛で銀を補充する筋をからめていけば、まだむずかしかった。

 この次の手を、中原は見えていなかったのだ。

 

 

 

 

 

 ▲97角と放つのが、見事な切り返し。

 これが自玉の詰みを防ぎながら、遠く後手玉をにらんだ攻防手。

 放置すると、▲41銀、△同玉、▲52角、△32玉、▲43角成、△同玉、▲42金、△同玉、▲74銀と、空き王手で飛車を取って詰むという「詰めろ逃れの詰めろ」になっている。

 それを察知した中原は、とっさに△81飛と、詰めろ逃れの詰めろのお返しをするが、▲41銀(!)というタダ捨てのカッコイイ手があった。

 △同飛と詰めろを解除してから、▲74銀で勝ち。悲願の名人位にあと1勝とせまる。

 ただし、中原の名人10連覇(!)にかける執念もすさまじく、カド番の第7局をはね返し、決戦になった第8局はまたも千日手に。

 もつれにもつれたシリーズは、ついに「第10局」に突入。

 まさかの再々延長戦に、スケジュール調整がむずかしくなりすぎ、最終局は東京将棋会館で行われることになったが、ともかくも、今度こそ勝負をつけるときがきた。

 指し直し第8局は、加藤が先手から、両者おなじみの相矢倉。

 中盤で中原がリードを奪うも、やはり調子があがらないままなのか、明快に優勢にする順を逃し混沌としてくる。

 そして最終盤が、あまりにも有名な局面。

 

 

 難解な戦いが続いていたが、検討していた加藤治郎名誉九段が、

 


 「ちょっと待て、詰むぞ!」


 

 叫んだそうだ。なら、ここで▲52同角成と取れば、先手が勝ちである。

 以下、△同金に▲32銀成と取って、△同玉は▲52飛成で詰みだから、△12玉と逃げて、▲22金、△同銀、▲同成銀、△同玉。

 

 

 

 次の一手が好手で、見事な詰みだ。

 当時の観戦記によると、詰みを見つけた加藤が奇声を発したとあるが、その気持ちは痛いほどわかる。

 

 

 

 

 

 ▲31銀と打って、ついに「加藤名人」が誕生した。

 ここで単に▲52飛成は、△32金で詰まない。

 銀から入って、△同玉に▲32金として、王様を一路ずらせば「一間竜」の筋で簡単だ。

 これで初挑戦から苦節22年。ついに歴史の針は、正しい位置に戻った。

 ただ、実はこの裏には、知られざるドラマもあった。

 のちの取材で、加藤は相手玉の詰みが見えておらず、なんと自陣を受ける手をずっと考えていたと語っている。

 それがどうしても見つからず、しょうがないと「99%負け」を覚悟で「詰まないと思って」敵陣を見たら、なんと偶然に詰みがあったのだ。

 本人も認めるように、加藤はがよかった。

 もしここで、なまじ「そこそこ長引かせられそうな手」を発見してしまっていたら、詰みどころか、王手をかける発想すらなく、

 

 「詰んでたのに……」

 

 となった可能性はだ。

 「結果」なんて、必然のように見えて、本当に紙一重の儚いものに過ぎない。

 こうして加藤はギリギリで試練を乗り越えたが、もうひとつのドラマは中原ともうひとり、この結果に呆然としていた青年がいたこと。

 それがその年、A級にあがったばかりの谷川浩司八段だった。

 谷川は子供のころから名人を、それも「中原名人」から奪うことを夢見ていたからだ。

 それが、目の前でひっくり返ってしまった。

 

 「中原誠が名人でなければならないのに!」

 

 悲願の名人位についた加藤一二三と、

 「なにしてくれてるねん!」

 といった新名人からすれば「知らんがな」な憤りを感じていた谷川は、翌年導かれるように七番勝負の舞台で相対する。

 結果は若い谷川勝利。

 「加藤名人」はわずか1年の短命だった。

 同じような速さで、山をかけ登ってきた2人だが、谷川は加藤が22年かかった道程を一瞬で乗り越えてしまった。

 同じ「天才」なのに、その差はなんだったんだろうか。

 それは特に理由などない人生のもつれや、うねりが生む不条理で、あえて言葉にすれば「たまたま」としか、言いようがないものなのだろう。

 私が「結果がすべて」という意見を、軽視こそしないが

 「それだけじゃないよね」

 と感じてしまうのは、こういう「差なんてわずか」なのに生まれてしまう、理屈では説明できない「結果」のせいなのかもしれない。

 

 

 (「ミス四間飛車」斎田晴子のさばき編に続く→こちら

 (谷川浩司「21歳名人」への道は→こちら

 

 

コメント
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