ゆっくり、急げ 飯塚祐紀vs武市三郎 2001年 第59期C級2組順位戦

2024年07月21日 | 将棋・好手 妙手

 「ここで1手、落ち着いた手を指せれば勝てましたね」

 

 というのは、駒落ちの指導対局で負けたときなどに、よく聞く言葉である。

 将棋で難しいと感じる場面と言えばよく出るのは、序盤なら定跡が覚えられないとか。

 終盤詰みが読めないなどあるが、中盤戦では地味ながら、こういうのもあるもの。

 

 「作戦勝ちから、うまくリードを奪ったものの、そこから具体的にどう勝ちにつなげるかが見えない」


 
 将棋というのは

 

 「優勢なところから勝ち切る

 

 というのが大変なゲームで、こういうときに手が見えず、焦ってつんのめって、いつのまにか逆転されるなんてのは、よくあること。

 

 「ここで1手、落ち着いた手を指していたら……」

 

 今回は、そういうときに参考になる将棋を紹介してみたい。

 


 2001年の第59期C級2組順位戦

 飯塚祐紀五段と、武市三郎六段の一戦。

 ここまで7勝2敗の飯塚は、自力昇級の権利を持っての大一番。

 ここ3年は、8勝2敗7勝3敗7勝3敗の好成績を残し、昇級候補のひとりであった飯塚だが、すでにC2生活は泥沼の9期目

 また昨年度は、同じく勝てばC1昇級という最終戦で、豊川孝弘五段に敗れてしまったこともあって、今度こその想いは強かったことだろう。

 戦型は後手番の武市が、急戦向い飛車に組むと、飯塚はガッチリと左美濃で迎え撃つ。

 むかえたこの局面。

 

 

 

 

 おたがいにを作って桂香を拾い、筋も通って、このあたりは互角の駒さばき。

 ただ、後手は△43△32がはなれているのが痛く、先手持ちの形勢であろう。

 とはいえ、決めるにしては先手も歩切れが痛いところで、まだここから一山と思わせるところだが、次の手が落ち着いた好手だった。

 

 

 

 

 


 ▲86歩と、ここを突きあげるのが、すばらしい感覚。

 薄い後手の玉頭に、ジッとをかけながら、受けては△85桂から△33角という、王手竜取りの筋を消している。

 武市は△51香と「底香」を打って、ねばりにかかるが、1回▲21竜△29竜がキメのこまかい手順。

 この交換を入れて、相手の大駒を使いにくくしてから、やはりジッと▲35歩

 ▲21竜の効果で、これを△同角とは取れないのは、いかにもつらい。

 これで自陣に憂いはなくなり、△22歩の受けに、またも▲85歩

 

 

 

 この牛歩戦術で、武市はまいった。

 まさに真綿をギリギリと締めあげられる恐ろしさ。

 飯塚はトドメとばかりに▲87香と、さらに万力にをこめ、空気を求めて暴れようとする武市を冷静に押さえ、そのまま圧倒。

 

 

 

 

 ついに念願だった、C1昇級を決めたのだった。

 この▲86歩から▲85歩は、手の感触のよさもさることながら、人生のかかった勝負で、急がずこういう手を選べるところにシビれた。

 飯塚の地に足をつけた強さを、大いに感じるところで、こういう感覚は見習いたいものだ。

 


(大山康晴の「ゆるめる」好手はこちら

(渡辺明の落ち着いた勝ち方はこちら

(その他の将棋記事はこちら

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フランシス・フォード・コッポラ『カンバセーション…盗聴…』でフシアナ東京 その2

2024年07月18日 | 映画

 前回に続いて映画『カンバセーション盗聴…』の話。

 以下、映画のネタバレありまくりなので、未見の方はぶっ飛ばしてください。

 

 

 

 


 おもしろい映画だったが、最後にジーンハックマンの部屋にしかけられた盗聴器どこにあるのか謎が残った。

 2回目見たときも、結局これといたものは見つけられず、自分の洞察力のなさに少しガッカリ。

 まあ、論理的な解決なんてないんやろうなあ、

 

 「すべてがジーン・ハックマンの妄想である」

 

 という目くばせもないこともないし……。

 なんておさまっていたのだが、映画好きの友人イチジョウ君とその話をしていたとき、友が一言こう言ったのだった。

 


 「え? なに言うてるの? 盗聴器ってサキソフォンの中にあるんやろ、たぶん」


 

 これには思わず、叫びそうになったではないか。

 


 「フシアナトーキョー! フーゥ!!」


 

 「FUSHIANA TOKYO」というのは、TBSラジオの人気番組『アフター6ジャンクション』の視聴者参加型のコーナー。

 その趣旨とは番組ホームページによると、

 


▼SNSが発達した今の時代。隙のない発言や隙の無い作品が良しとされる、息苦しい風潮があります。しかし、そんな息苦しい時代の中で、本当に新しいものが生まれるでしょうか?

▼いい意味でFUSHIANAの目こそが、新しい時代を作るパワーを生み出すのではないでしょうか?(キャッチコピーは「時代に節穴をあけろ!)

▼例えば、あるスタッフは、「おかしの まちおか」というお店を、

 「おかしのまち・おか」

と読み、「おか」という店なんだと思いこんでいたそうです。また、とあるスタッフは

 「猿の惑星の最後に自由の女神が出てくる意味が分からない」

という見解も。しかし、こうしたFUSHIANAこそ、かえって創造的な発想を生むのではないでしょうか?

▼そんな、あなたのFUSHIANAエピソードを募集します。


 

 
 まさに「FUSHIANA」であった。

 あーそっかー、サキソフォンかー。

 言われてみれば、当たり前である。

 理屈でいえば、家じゅうのすべて破壊して見つからないなら、最後に残ったモノの中が答えというのは必然

 で、それがサックス。

 なぜサックスを壊して調べなかったのかといえば、それが盗聴怖れ、人を遠ざける孤独な人生を送っていたジーン・ハックマンにとって、唯一拠りどころだったから。

 たとえ、そこに解答があっても、「友人」を破壊するなんて、できるわけがないではないか!

 なるほど、腑に落ちた。そういうことか。

 私の愛するシャーロックホームズにいさんですやん。
 
 

 「不可能なことを全部排除して、最後に残ったもんが、どんなにおかしなものでも、それが事実なんや」

 
 
 有名な、このセリフですな。

 あー、ようできてるうえに論理的で、しかも余韻を残す。

 すげーな。コッポラちゃん天才やん。

 なんて感心しまくっていると、イチジョウ君はあきれたように、

 


 「いや、わりと簡単な答えや思うけど……。ちゅうか、キミって推理小説大好きやのに、逆にようわからんままスルーできたな」


 

 たしかに私は、子供のころから重度のミスヲタである。

 だが、自慢ではないが推理はまったく育ってないタイプで、

 

 「犯人当てができないから、解決篇まで、あまさずドキドキできる」

 

 という(?)なタイプなのだ。

 いやあ、とはいえこれは恥ずかしい。

 たしかに、言われてみれば一目瞭然やなあ。

 ただひとつワケを説明させてもらえば、1回目観賞時にあのラストを見て、

 

 「ボロボロになった家で、一人サックスを吹くっていうのはになるなあ」

 

 そう感心したものだから、

 

 「ジーン・ハックマンがサキソフォンを壊さなかったのは、論理的にはおかしいんだけど、あのラストの絵を撮るために、スタッフがあえて矛盾を残しつつも決行した」

 

 と読み取ったわけで、「ストーリーの都合上」そうしたと思いこんでいたのだ(しかし、ムダにたくさん「解釈」だけはしてるな、オレ)。

 さすがコッポラは映像屋や。話の整合性を犠牲にしても、「絵的美しい」を選択する、と。

 現実はそんな、ひねったものではなく、もっと素直に

 

 「サックスの中に盗聴器」

 

 でOKやと。邪推癖が、ここではアダになったようである。

 なんて、完全無欠にただの言い訳だが、われながらなかなか鮮やかな節穴である。

 昔、友人が『時をかける少女』を見て、


 
 「え? あの映画ってタイムトラベルをあつかってたん?」

 

 ビックリしているのを見たときは(なんの映画や思てたんやろ)、もう腹をかかえて笑ったものだが、人を呪わば節穴二つ

 なんでも、自分に返ってくるもんですねえ。

 トホホと情けない声をあげていると、イチジョウ君もその姿があまりに情けなかったのか、

 

 「気にすんな。オレも『シックスセンス』で、なんで最後にあの人があんなことしてるんやろって、わからんかったもんや」

 

 そうフォローしてくれて、それもまた、なかなかな節穴である。

 おたがいの思い出に浸りながら、われわれは「キミの節穴に乾杯」と『カサブランカ』のボギーのごとく杯を重ね合ったのだった。

 

 

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フランシス・フォード・コッポラ『カンバセーション…盗聴…』でフシアナ東京

2024年07月17日 | 映画

 フシアナトーキョー! フーゥ!!」

 

 奇声をあげて、思わず踊りだしたくなったのは、

 

 カンバセーション盗聴…』

 

 という映画の、2度目を見終えたときのことであった。

 『カンバセーション…盗聴…』(以下『盗聴』)はフランシスフォードコッポラ監督、ジーンハックマン主演のサスペンス映画。

 コッポラといえば言うまでもなく

 

 『ゴッドファーザー』

 『地獄の黙示録』

 

 で歴史に名を残す大監督だが、両作の合間に撮影されたこの『盗聴』も、地味ながらなかなかの佳作に仕上がっている。

 今回は話の都合上、オチにふれないといけないので、ストーリーを全部語っちゃいますが、主人公ジーン・ハックマン演ずるのは盗聴プロという設定。

 

 


 浮気調査から産業スパイまで、なんでもござれのスゴ腕で業界内での評価も高いが、本人は自分が盗聴屋のくせに(だから?)他人から盗聴されることを異様に警戒し、プライバシーにふれられることを嫌う

 その様は偏執的ともいえるほど気むずかしく、

 

 「あなたのことを知りたい」

 

 と求める恋人切り捨て、唯一の趣味は部屋で大音量のジャズを流し、あたかも、そのバンドに参加しているかのようにサックスを吹くこと。

 いわば、友達のいない人が、家で「一人カラオケ」をするようなもので、コミュ障というか、仕事以外は精神的なひきこもりともいえる、複雑な人間なのだった。

 そんなジーンがある日、大企業の重役から依頼を受ける。

 なんてことないカップルのデートを盗み聴きするのだが、そこに不穏な言葉が飛びこんでくる。

 どうも、2人がだれかにをねらわれているとか、そういう内容のようなのだ。

 確証こそないが、どうしても気になるジーンは録音テープの提出を拒否する。

 彼は過去に自分の盗聴がきっかけとなって、殺人事件を引き起こしてしまったことが、あったから。

 ジーン自体に罪はないが、良心の呵責からは逃れられず、大きなトラウマになっているのだ。

 ここからジーンは、明らかにトラブルに巻きこまれたようで、

 


 「黙ってテープを渡して、これ以上首をつっこむな」


 

 そう脅されたり、またテープにこだわるあまり、相棒ケンカしてしまったり。

 ジーンの仕事ぶりに嫉妬する同業者から、いたずらの盗聴を仕掛けられ激怒したりと、だんだんと精神の安定を失っていく。

 ついにはにかけられ依頼主にテープを奪われてしまうが、真相をどうしてもたしかめたくなったジーンは、盗聴内容をヒントに「現場」となりそうなホテルに潜入することを決意。

 そこからはさらに謎がを呼び、すべてがジーンの妄想なのかといったサイコサスペンス的解釈も残しながら、ヒッチコックをイメージしたようなシーンもあってと、盛りだくさんな内容。

 いやー、どうなるねんやろー、とハラハラドキドキしながら、ラストではすべての謎が明かされるわけだが、そのことにショックを受けたジーンに追い打ちをかけるよう、自宅の電話が鳴る。

 その声は静かに、

 


 「事件のことはなにもしゃべるな。盗聴してるからな」


 

 の危険のみならず、自らがもっとも怖れていたプライバシーにまで踏みこまれ、ジーンは半狂乱に。

 盗聴器を探し出すべく、家じゅうのものをひっくり返し、テレビも電話もすべて解体

 装飾品を破壊し、壁紙をすべてはがし、床板も全部めくりあげる。

 それでも見つけられなかった彼は、ひとり呆然サキソフォンを吹き続けるのだった……。

 

 ……てのが大まかなストーリー。

 1回目に見たときは、何にも考えずに

 

 「はー、おもしろかったなー」

 

 と満足してたんだけど、先日2回目の鑑賞をしたとき、ひとつだけ気をつけてみようと、思っていたことがあったのだ。

 で、結局ラストで盗聴器どこに仕掛けられてたの?

 最初はどっちでもいいというか、ジーン・ハックマンが自宅の盗聴器を発見できなかったことは、相手側のウソというかハッタリではないにしても(電話の相手に録音された盗聴の内容を流されていた)

 

 「彼ほどのプロが見つけられないほど巧妙にしかけられており、その底知れぬ絶望感を表現している」

 

 くらいに思っていたのだが、今回もう一回見直してみると、割とこの映画は論理的に作ってるような気もするので、もしかしたら、

 

 「盗聴器、ココだよ」

 

 というヒントを作中でさりげなく、示唆しているのではないか、と読んだわけだ。

 さすがは私。こういうところにアンテナが反応するとは、まさに映画玄人である。

 で、再見の際ラストを目を皿のようにして見ていたのだが、やはりこれといった答えも見いだせず

 まあ、そこは謎というか、あえて結末を明示しない「開いた物語」みたいなもんかもなあ。

 と、おさまっていたのだが、これがとんだ! であったのだから、映画というのは奥深いものである。


 (続く

 

 

 

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飛行士たちの話 羽生善治vs南芳一 1991年 第16期棋王戦 第4局

2024年07月14日 | 将棋・好手 妙手

 「絶妙手を生む駒はが多い」

 

 というのは、なにかで読んだ記憶がある一文である。

 歴史に残る妙手と言えば、

 

 升田の△35銀

 「中原の▲57銀

 「谷川の△77桂

 「藤井聡太の(多すぎて絞れないので略)」

 

 などがパッと思い浮かぶが、実はその多くにが絡んでいるとかいないとか。

 具体的なデータまではわからないが、「天野宗歩遠見の角」や、また数多の絶妙手を生み出してきた升田幸三九段が、を好んだことからついたイメージかもしれない。

 

 

 天野宗歩による「遠見の角」。
 好手かどうかは微妙だが、宗歩はうまい手順で▲63角成と成りこむことに成功する。

  

 

 たしかに射程距離が長く、ななめのラインというのはちょっと錯覚を起こしやすいため、うまく使えば相手の意表をつく手は出現しやすいのかも。

 そこで今回は、そんな「角の妙手」が乱舞する将棋を見ていただこう。

 


 1991年の第16期棋王戦は、南芳一棋王羽生善治前竜王(昔は名人か竜王を失冠して無冠になった棋士を「前名人」「前竜王」と呼ぶマヌケな習慣があった)が挑戦。

 羽生の2連勝スタートから、南も意地を見せ1番返し、むかえた第4局

 相矢倉から、南が△24歩と自分の玉頭の歩を突く工夫を見せ、そこから激しい戦いに。

 タイトル戦にふさわしい、力のこもった将棋になったが、終盤もまたエキサイティングだった。

 

 

 


 双方が、相手玉にせまりくる形となったこの場面。
 
 先手玉はかなりの危険にさらされているが、ここは羽生がねらっていたところであった。

 この前から、漠然とではあるが「こうなったらいいなあ」と、頭の中で描いていた局面が、本当に実現してしまったからだ。

 

 

 

 


 ▲67角と打つのが、攻防の絶妙手。

 先手玉は裸だが、大駒3枚が見事な配置で遠くから援護しており、これですぐの寄りはない。

 2枚角の使い方が、羽生の好きなチェスのビショップのようで、おもしろい形だ。

 飛車が逃げると、▲31銀△同玉▲23角成で必至だから、南は△66金と、しぶとくからみつく。

 これには▲76角△同金▲72飛△32歩

 

 

 

 

 ここで▲76飛成を取り払ってしまえば良さそうだが、その瞬間△55角王手飛車を食らって、これは先手が勝てない。

 プレッシャーをかけられているが、手はあるもので、羽生はまたもひねり出す。

 

 

 

 

 

 

 ▲44角が、絶妙手の第2弾

 △55角の王手飛車を防ぎながら、△同銀なら▲34桂から詰む。

 本人も

 


 「読みの裏付けはないけれども盤上この一手という確固たる自信」


 

 は感じたようで、このギリギリの戦いで、よくいいところにが行くものである。

 南は△41銀と辛抱し、足が止まったら負けの羽生も▲42銀と追撃していく。

 まだ形勢は難解だが、妙手2発で流れは先手であろう。 

 

 

 


 少し進んだこの局面で、羽生は勝ちを確信していた。

 △42歩と受けても、かまわず▲同飛成とつっこんで、△同銀はやはり▲34桂詰むから無効。

 後手に受けがないように見えるが、ここでは南に大きなチャンスがめぐってきていたのだ。

 なんと、羽生が必勝の確信で打ったはずの▲43金は、とんでもなく危ない手だった。

 たしかにこれは、次に▲32飛成からの一手スキだが、ここで△55角王手飛車を放ち、▲77歩△28角成と取っておく手があった。

 

 

 これなら詰ましに行ったとき、▲24飛と飛び出す筋がなくなるから、後手玉への詰めろが消えて、先手が負けになるのだ。

 金打ちでは▲38飛と、詰めろで王手飛車を回避しておけば、難解ながらも先手に分がある戦いだった。

 

 

 「簡単に詰み」と思いこんでいた羽生が、まさかの精査を欠いた形だが、将棋の終盤戦は本当に怖い

 羽生にとって幸運だったのは、指している間はそのポカに気づいていなかったこと。

 本人も言うように、ポカがあったときや詰みを探しているとき、自分が気づくと、以心伝心で相手もそれを察知する。

 これは高度な世界の「将棋あるある」なのである。

 なので、ここでしれっと胸を張れたのは、結果的には良かったわけで、南は相手のウッカリを見破れず△33金と指して、以下敗れた。

 最後は幸運も手伝って、羽生が棋王位を獲得。

 ▲67角▲44角に、幻でもあったが△55角など角の乱舞が目立った派手な将棋。

 羽生のポカもあったりと、にぎやかで楽しい一局であった。

 


(羽生による遠見の角はこちら

(大内延介の遠見の角はこちら

(その他の将棋記事はこちら

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島崎遥香(ぱるる)のフランス語は塩対応で、スペイン語はアミーゴ!

2024年07月11日 | 海外旅行

 「これからキミたちに、スペイン語をやってもらいます」

 

 デスゲームの開幕のよう、ボイスチェンジャーを通した声でそう言ってみたいのは、不肖この私である。

 ここまでスペイン語は

 

 ローマ字読みでカンタン

 ・発音も楽勝

 ・数字も法則性がハッキリしてて使いやすい

 

 などなど様々な「できる」プレゼンをしてきたが、まだまだ、おすすめポイントは存在する。

 外国語学習のやはり大きなのひとつである動詞や、冠詞の格変化だが、これもスペイン語だとおぼえやすい。
 
 たとえばフランス語で「話す」は「parler」(パルレ)というが、その活用というのが、
 
 
 Je parle(私は話す)

 Tu parles(君は話す)

 Il/Elle parle
(彼/彼女は話す)


 Nous parlons
(私たちは話す)


 Vous parlez
(あなた/あなたたちは話す)


Ils/Elles parlent(彼ら/彼女らは話す)


 となるのだが、みなさんはどう発音しますか?
 
 「ジェ パルレ」かなあ、あとは「チュ パルレス」「イル パルレ」。

 「ノウス パルロンズ」「ヴォウス パルレズ」「イルス パルレント」かな?
 
 そうなるのは自然だが、正解というのが、
 
 
 Je parle (ジュ パルル)

 Tu parles(チュ パルル


 Il/Elle parle(イルエル パルル


 Nous parlons(ヌ パルロン


 Vous parlez(ヴ パルレ


 Ils/Elles parlent(イルエル パルル


 ぱるる多すぎや! 昔のAKBか!
 
 てゆうか、zとかsとかntとかどこ行ってん! 書いてるんやから、ちゃんと発音せえ!
 
 その一方で、われらがスペイン語にいさんは、
 
 
 yo hablo

 tú hablas 

 él
/ella/usted habla 

 nosotros
/nosotras hablamos 

 vosotros
/vosotras habláis 

 ellos
/ellas/ustedes hablan
 
 
 同じロマンス語群だから似てるんだけど、読みが全然違う
 
 上から
 
 
 ヨ アブロ

 「チュ アブラス

 「エル アブラ

 「ノソートロス アブラーモス

 「ヴォソートロス アブライス

 「エジョス アブラン
 

 
 嗚呼、やっぱりローマ字読み
 
 もちろん発音しないとか、が「」になるとか例外はあるけど、これはシンプルな規則だし、山ほど出てくるから、すぐに慣れます。
 
 それよりも、とにかく全部
 
 
 「そのまま読めばいい」
 
 
 というのが強く、「parler」と「hablar」と同じような活用なのに、圧倒的に後者の方がおぼえやすいのだ。
 
 まあ、これは私がフランス語をやってて、ロマンス語群になれていたこともあるかもしれないけど、それでもやっぱり、スペイン語のほうが圧倒的にに残る。
 
 個人的にはIls parlent苦手で……。

 どうしてもntが引っかかってしまうのだ。
 
 もちろん、なれればどうってことないんだけど、
 
 
 「あれ? ntついてるのって、発音せんでええんやんね。じゃあエル・パルル」
 
 
 とか、ほんの0.1秒程度とは言え、頭によぎることがあると本当にノイズなのだ。
 
 その意味でもホント、スペイン語は簡単というか、「親しみやすい」のかもしれない。
 
 とにかくハードル低いという意味で、仲良くなりやすいというか。
 
 いわば、男にとってフランス語が「女友達」だとすれば、スペイン語は「男友達」。
 
 いくら仲良くても、異性相手だと多少は身なりや言葉に気を使うけど、同性同士だとざっくばらんというか。
 
 ちょっとぐらいでも「そんなん、全然オッケーやでー」と、ゆるしてくれそうな距離感。
 
 そのアミーゴ! な感じが、理屈以上にスペイン語を勉強しやすい理由なのかもしれない。
 
 少なくとも私は、一番ストレスなく勉強できたのはスペイン語です。
 
 これ本当。ぜひお試しあれ。

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君よ知るやローマ字読みの数字(ただしスペイン語)

2024年07月10日 | 海外旅行

 「小僧ども、スペイン語をやれ!」
 
 

 「やり直し語学」にハマっている私が、北方謙三試みの地平線』のごとく、いいきったのは前回のお話。

 
 
 ローマ字読みでいいから楽勝
 
 ・発音日本語共通してるからへーこいてぷー。

 ・数字もややこしくなくてありがたい
 
 
 ということだが、今回スペイン語をやってみて、もうひとつ気づいたことがある。
 
 それは読みと発音が簡単だと、単語や活用がおぼえやすい
 
 英語の場合とかだと、
 
 
 wrong(ロング)」
 
 「knee(ニー)」
 
 
 みたいに、スペルなのはお約束として、他にも例を挙げるとフランス語数字とか。
 
 
 un (アン)

 deux (ドゥ)

 trois
(トロワ)


 quatre
(キャトル)


 cinq
(サンク)


 six
(シス)


 sept (セット)

 huit
(ユイット)


 neuf
(ヌフ)


 dix
(ディス)


 むずかしいわけではないが、少しずつ違和感もある。
 
 「un」は「ウン」やないんや。
 
 「ドゥークス」「トロイス」「セップト」って読んでまいそう。
 
 「eu」で「」かあ。「six」やったら、もうそれは「シックス」でええやん!
 
 なんて微妙に引っかかり、そのかすかなブレで、すっと入ってきにくい。
 
 これがスペイン語だと、
 
 
 uno (ウノ)

 dos (ドス)

 tres
(トレス)


 cuatro
(クアトロ)


 cinco
(シンコ)


 seis
(セイス)


 siete
(シエテ)


 ocho
(オチョ)


 nueve
(ヌエベ)


 diez
(ディエス)


 出たぜ、必殺ローマ字読み
 
 もちろん「cho」で「チョ」とか「z」が「」とかあるけど、これも発音が日本語っぽいから、そんな違和感なくおぼえられます。
 
 この「トゲ」みたいなものがあるかないかが、実は記憶に直結するのは発見だった。
 
 とにかく、「読み」「発音」に意識をうばわれないと、それだけで「おぼえること」に特化できるし、目や耳にも残りやすい。

 スペイン語が英語やフランス語とくらべて簡単(に感じる)のは、

 

 「ノイズが少ないから暗記もスムーズ」

 

 なことは大きいかもしれない。

 またスペイン語の数字で言えば、11から15までは

 

 once(11)

 doce(12)

 trece(13)

 catorce(14)

 quince(15)

 

 これは暗記が必要だが、それ以降の数字はy(英語のand)で数字をつなぐだけと、いたってシンプル。

 

diecinuevodiez y nuevo19

veintiunoveinte y uno21

 

 これがドイツ語だと、法則自体は同じだけど、

 

 neunundneunzigneun und neunzig 9099) 

 

 みたいに1の位と10の位がになってややこしい。

 フランス語いたっては、

 

 soixante-dix601070

 quatre-vingts×2080

 quatre-vingt-dix×201090

 

 とか気の狂ったような表記をするのだ。

 なんでも昔、10進法20進法か、そんなのを使ってた名残らしいけど、これはホンマにめんどくさい。

 もっとも、これには日本語

 

 「1個を《ひとつ》ってなに?」

 「20日を《はつか》とか頭イカれてるのか?」

 

 なんて反撃されるわけですが。

 実際、私も日本人なのに「ようか」と「はつか」が苦手です。

 その点、スペイン語数字発音も、スペルも、表記の仕方もすべてがクリアに入ってくる。

 これはもう、やらない手はないでヤンスね!

 

 (続く

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スペイン語を学ぶ者、汝の名は日本語話者なり

2024年07月09日 | 海外旅行

 「キミィ、スペイン語をやりたまえ!」
 

 
 「やり直し語学」にハマッている私が、マス大山のごとく、そういいきったのは前回のお話。

 ここに発動された「ドルネシア作戦」によれば、その理由は

 

 「ローマ字読みでいいから楽勝ッス

 

 ということで、スタートの取っつきやすさがいいから。 
 
 それだけでなく、スペイン語は発音なのが良い。
 
 口に出してみて、それが相手に通じるかどうかは、外国語を学ぶ上でなかなかに大きなハードル。
 
 英語では母音12個くらいあって、組み合わせによっては20個を超えるという。
 
 中国語四声とか、フランス語鼻母音とか、アラビア語の「h」とか、オランダ語の「g」とか、日本語に無い敵が出てくると、とたんに大苦戦になるのだ。
 
 その点、スペイン語は母音が日本語と共通しており、しかも日本語の特徴である
 
 
 「子音母音
 
 
 の構造で母音しっかりと発音するところも似ているから、カンどころをつかみやすい。
 
 しかも、アクセントにもクセがないのも、ありがたい。
 
 たとえば英語の「fantastic」は日本語読みで「ファンタスティック」と平板に発音しても通じない。
 
 ファン「」スティックと、ここにアクセントがないとネイティブにはなんのこっちゃらしいのだが、その点スペイン語は、

 

 「ふぁんたすてぃこぉ」

 

 なーんも考えず、能天気に発音して全然OK
 
 
 「あみーごぉ」
 
 「りすとらんてぇ」
 
 「ちょこらーてぇ」
 
 
 とかとか、いわゆる「日本語英語」のノリで「日本語スペイン語」でよい。
 
 マジ、これで通じます。
 
 語学の大きな壁である「発音」が、めっちゃサクサク。
 
 そして、スペルのまま読めるということは、ライティングもまたスムーズということ。
 
 英語やフランス語でメッセージを書くとなると、「though」のアルファベットの順番がわからなかったり(ヒドイ単語だよな)。

 「ghoti」の読み方とか、北村薫先生もネタにされていた
 
 


 「受験を終えると、《パハップス》の綴りがaかerかわからなくなった」(正解は「perhaps」)



 
 
 とかとか、いちいち調べないといけない。
 
 その一方でスペイン語なら、
 
 
 「ぶえのす・でぃあす」
 
 「¿で・どんで・えれす?」
 
 「むい、びえん!」
 
 
 これ全部、ローマ字で書けば正解なのだから痛快ではないですか(「Buenos días」「¿De dónde eres?」「muy bien」)。
  
 しかも、アクセントもそんなに気にしなくていい。スゲーぜ、スペイン語!
 
 そんなわけで、私のような抜け作日本語話者には、本当にありがたいスペイン語。
 
 これはもう、やならきゃハドソン(古いな)

 

 (続く
 

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日本人には「スペイン語」が一番合っているというお話

2024年07月08日 | 海外旅行

 スペイン語をやるのがよいぞよ」
 
 
 卑弥呼さまのご信託のごとく、そうハッキリと断言したのは不肖このであった。
 
 2年程前、なぜか語学熱が学生時代以来に再燃し、あれこれと外国語を学んでいる私。
 
 といっても、1日15分程度だけど、大西泰斗先生のNHKラジオ英会話を聴いたり、デュオリンゴドロップと言ったアプリに、各種YouTubeを見たりしてコツコツ学ぶ日々。

 ここまで、英語フランス語ドイツ語(これは学生時代の復習)、スペイン語ポルトガル語と進んで現在トルコ語に進出しているところ。
 
 もちろんこの程度の勉強量で「マスターした」というレベルにはならないが、それでも基本単語文法を、だいたいくらいでも押さえておけば、旅行したり簡単な会話をしたりするくらいには使えるもの。
 
 具体的には「旅の会話集」みたいな本とかサイトを見て、意味が理解できたりフレーズが口について出てくればそれで充分。
 
 


 I'm going to shave one eyebrow and live in the mountains. 
 (片方の眉を剃って山にこもります)


 Eu usei uma máscara de ferro até os 17 anos.
  (17歳まで鉄の仮面を被っていました。)


 È un buon allenamento fare lo suburi con una katana.
 (日本刀で素振りをすると良いでしょう)


 

 くらいなら意味を取れるのだから、なかなかなものではないか。
 
 つまるところ、海外までの道を聞いたり、現地語メニュー看板を読めるだけでも役に立つのだから、こんなんでもバカにならないのだ。
 
 こんなことをやっていると、中には興味を持ってくれる人もいて、
 
 
 「そーなんやー、じゃあオレもちょっと、外国語やってみようかなあ」
 
 
 こうなると続くのは、
 
 
 「で、どの国の言葉がオススメ?」
 
 
 これがですねえ、マジで断言できます。
 
 
 「日本人は、とりあえずスペイン語やっとけ」
 
 
 もちろん「仕事の役に立つ」「周囲へのカマシになる」という意味なら「英語一択」である。
 
 ここに関してはインターネットの普及で、われわれ「チーム第2外国語」もいかんともしがたいが、それ以外の外国語をやってみたいなら、私がやった中ではスペイン語が一番オススメ。
 
 理由としては、まず読み方ラク
 
 スペイン語の(イタリア語、ドイツ語も)大きな特徴はスペルを「ローマ字読み」で読めること。
 
 これが英単語となると、
 
 


 house
 
 Island
  
 knife
 
 doubt
 
 Wednesday 



 
 
 見事に初見殺しが並ぶことに。
 
 一応、専門的に掘っていけば、発音の法則性のようなものはあるらしいけど、基本的には「そういうもん」として丸憶えしないといけない。
 
 これが、案外とストレスなんですね。
 
 その点、スペイン語は
 
 


 Gato「ガト」 (猫)
 
 Grande「グランデ」(大きい)
 
 Nuevo「ヌエヴォ」(新しい)
 
 Bonito「ボニート」(かわいい)
 
 Escuela「エスクエラ」(学校)



 
 
 そのまま読めばいい。
 
 これなら私のような軽石頭でもカンタンに読める。なんて楽な。

 そういえば、大学生のころ第二外国語を選択するとき、圧倒的に支持されていたのがスペイン語中国語だった。

 なんでもある大学には

 

 フランス語を取るバカ、中国語(orスペイン語)を落とすバカ」

 

 という言葉があったというのだから、いかに日本人向けかわかろうというもの。 

 もちろん、深く掘っていくと「過去形」におぼえることが多いとか色々出ては来るけど、とにかくスタートダッシュが断然早い。

 そんな入口からウェルカムなスペイン語は、私の体感でも、とってもオススメなのです。 

 

 (続く

 

 

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歴史は夜作られる 二上達也vs大山康晴 1960年 第10期九段戦 その2

2024年07月05日 | 将棋・名局

 前回の続き。

 大山康晴九段(竜王)に、二上達也八段が挑戦した1960年の、第10期九段戦(今の竜王戦)。

 3勝3敗のフルセットに持ちこまれた最終局は、大山得意の振り飛車から、急戦を封じこめ優位を築くも、二上も鋭い反撃を決め逆転模様。

 控室の検討でも「二上優勢」との声が多数を占め、二上が王者の牙城をくずすのか、と盛り上がりを見せる。

 

 

 

 ▲63金の打ちこみが、俗筋ながら、きびしい攻め。

 次に▲53とや、を取って▲35角や、いいタイミングで▲36飛と走るねらいなどあって、後手が喰いつかれている。

 下から突き上げる若手が、初タイトルに大きく近づいたかと思われたが、ここから大山も本気を出してくる。

 

 

 

 

 △47銀と打ったのが、これまた大山流の一手。

 押され気味のところと言えば、なんとか主導権を奪い返そうと勝負手を放つなどしそうなところ。

 どっこい大山は、静かに先手の飛車を封じこめて、またも手を渡しておく。

 ピンチでも、こうしてブレないところが大山の強さで、こうしてジッとのチャンスを待つのだ。

 この辛抱に、とうとう二上が誤った

 ▲88玉△35角▲73金△同玉▲57桂がチャンスを逃した手。

 ▲57桂では▲77桂とこっちを活用し、△64金▲65歩△63金▲75角として、持駒に残したまま戦えば、ハッキリ優勢だったのだ。

 

 

 

 

 一瞬のゆるみを見逃さず、またも大山が、そのねばり腰で差を詰める。

 少し進んでこの場面。

 

 

 

 

 先手が▲44歩と、飛車の利きを遮断したところ。

 ここからの2手が、本局の白眉だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 △74金打が「受けの大山」本領発揮の手厚い手。

 今なら、永瀬拓矢九段のような「負けない将棋」だが、たしかにこれで後手玉が相当に固くなり、かなり負けにくい形だ。

 二上は▲66角と逃げるが、次の手がまたすごい。

 

 

 

 

 


 △73金引

 この金銀のマグネットパワーで、後手玉は鉄壁に。

 大山将棋の大きな特長に、

 

 「金や銀がよく動き、自然に玉周りに近づいて行く」

 

 というものがあって、私も初めて棋譜を並べたとき、素人ながら、この手には感じるものがあった。

 得意な展開に、気をよくしたのか大山も、

 


 「ここではこちらがよくなったように思いました」


 

 この手は二上にも、大きな衝撃をもたらしたようで、

 


 その後、王将、棋聖と一度ずつ勝てたものの、部分的に過ぎない。

 今にして思えば十五世と私の勝負付けがすんだのは、たった一手の△7三金引にあった気がする。


 

 ただ、これで勝負が決まったというほどの差でもなかったのは、ここから二上もさらにを見せたから。

 この後も両者力の入ったねじり合いで、どっちが勝ちかわからない局面が続く。

 しかも、当時の九段戦は1日制で持ち時間8時間(!)というムチャな設定。

 対局は、深夜3時になっても指し続けられていたというのだから(すげえな……)、もはや好手悪手なんて言ってられないジャングル戦に突入だ。

 いつ果てるともなく戦いは続いたが、最後の最後で先手に致命的なミスが出て、激戦は大山が制した。

 こうして二上達也は敗れた

 将棋の内容を見れば勝機も多く、決して大名人におとるところはないように感じられるが、

 


 「人生が変わった」


 

 とまで述懐するのは、それゆえにショックだったか。

 それとも棋譜だけでは伝わらない、大山のオーラのようなものを感じたのかもしれない。

 その後、二上は名人になれなかったどころか、大山相手に通算で45勝116敗

 タイトル戦ではなんと、シリーズ2勝18敗と、信じられないようなカモとして、あしらわれてしまう。

 それが、結果論的感想とはいえ、このたった一手に原因があろうとは……。
 
 これだけ聞くと、ずいぶんと二上のあきらめがよいようだが、二上の盟友である内藤國雄九段によると、
 
 

 二上さんがしみじみと語ってくれたことがある。
 
 「大山さんの次は自分の時代が必ずくる。加藤一二三さえ注意しとけばいいと思っていたからね……」

 
 
 文脈的に、これが「勝負付け」があったかはわかりにくいが、どっちにしても、二上は「必ず」大名人を乗り越えられると、自信を持っていたのだ。
 
 むしろコワイのは、加藤の方だと。
 
 だが現実は、2人とも、いやもっと言えばこの言葉を『将棋世界』のエッセイで紹介した内藤も、大山にはヒドイ目にあわされた。
 
 そして、その大元をあとあと掘っていくと、なんと最初のタイトル戦に行き着いたというのだ。

 もし二上がこの将棋を制して(内容的にその可能性は充分ありえた)、「人生が変わ」らなかったら、どうなっていただろう。

 歴史は順当に「二上名人」を生み、その後すんなりと「加藤名人」が誕生していたのだろうか。

 だとすれば、この一局は単にタイトルの行方だけでなく、その後の多くの棋士たちの「人生が変わ」った分岐点だったのかもしれない。

 


(大山が二上に披露した盤外戦術はこちら

(「受けの大山」は攻めも一級品

(その他の将棋記事はこちらからどうぞ)

 

 

 

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「人生が変わった」大一番 二上達也vs大山康晴 1960年 第10期九段戦

2024年07月04日 | 将棋・名局

 「大げさに言えば、自分の人生が変わった」


 

 ある将棋を振り返って、こんな言葉を残したのは二上達也九段だった。

 将棋の世界には、

 

 「ここで、この人が順当に勝っていたら歴史は……」

 

 という瞬間があり、「高野山の決戦」で起こった、サッカクイケナイヨクミルヨロシ無しの大トン死に、大内延介▲71角

 谷川浩司羽生善治の運命が分かれた、第5期竜王戦第4局

 永世七冠」をかけ、「100年に1度の大勝負」と呼ばれた第21期竜王戦最終局

 などなど、コアなファンなら「あー」と頭をかかえるシーンも思い出されることであろう。

 最近では、ついに八冠王の牙城が崩れた叡王戦

 最終局の結果は正直、藤井にとっては勝っても負けても、長いキャリアの中ではそれほどの影響はないかもしれない。

 一方、初タイトルとなった伊藤にとっては、人生を左右する一番となったのは間違いないところだ。

 往年の名棋士であった、二上にもまたそういう将棋があったというわけで、今回はその一局を。

 

 


 舞台は1960年

 昭和でいえば35年に戦われた、第10期九段戦(今の竜王戦)第7局

 このとき大山康晴九段(というとノンタイトルのように聞こえるけど「竜王」です)に挑んだのが、若手時代の二上達也八段

 大山が36歳で、二上が28歳

 これがのちに多く戦われる2人の、タイトル戦における初対決となっているのだ。

 大山はと言えば、このころすでに九段にくわえて、名人王将もあわせ持つ三冠王(当時の全冠制覇)の絶対王者だったが、それを追う立場にいたのが二上だった。

 デビューからの二上の評価はと言えば、

 


 「大山を倒して名人になるのは二上だろう」


 

 と予想されていたほどの期待だった。

 このフレーズは後ろに、


 


 「だが意外に時代は短く、加藤一二三が次の名人になる」


 

 と続くのだが、これは加藤一二三が超別格の存在だったからであって、決して二上が、みくびられていたというわけではない。

 実際、無敵の名人だった大山から「奪取する」と思われていた二上の実力こそ、ここでは見るべきだが、その予測がすべて崩れ去ったのが、この九段戦の結果だったというのだ。

 3勝3敗でむかえた最終局。大山の振り飛車に、二上は棒銀で対抗。

 鈴木宏彦さんと藤井猛九段の共著『現代に生きる大山振り飛車』という本によると、大山は二上の持つスピード感に苦戦していたそうだが、ここでは先手の棒銀をあれこれといなし、序盤からペースを握っていく。

 

 

 

 

 飛車が働いておらず、敵陣のと、と金も少しばかり重く見え、居飛車の攻めはやや空振り気味。

 後手からは拠点や、と金タネになりそうなの存在も不気味。

 振り飛車がさばけているように見えるが、ここからの大山の指しまわしが、独特ともいえるものだった。

 

 

 

 

 ここで△35桂と打ったのが、おもしろい手。

 正直、もっさりしていて、あんまり良い手には見えないのだが、「大山将棋」というものについて語るのに、注目したい一着なのだ。

 ここでは△56歩として、次の△55桂をねらうのが有力で、たしかにそれが「本筋」という気もするが、解説の藤井猛九段いわく、

 


 「手の善悪は別にして、△35桂は大山好みの桂打ちでもあります。大山先生の桂使いは意外に重い感じで使う手が多い」



 重く使う、という発想が不思議な感じ。

 桂馬という駒は、その瞬発力で相手の虚を突くのが、もっとも使い出があるはずだが、それをあえてベタッと貼りつけるのが、まさに個性である。

 そういえば、「打倒大山」を果たして名人位を奪うことになった中原誠十六世名人は、「桂使いの中原」と呼ばれたが、

 


 「大山先生の金銀のスクラムは、ふつうに攻めても破れないから、そこを突破するために桂のトリッキーな動きを磨いたんだ」



 同じ大名人だが、駒ひとつ取っても、まったく反対の思想で働かせているというのが興味深い。

 ただ、藤井九段も「善悪は別にして」という通り、この桂自体は緩手だったようで、▲65歩から▲97角と鋭く活用し、先手も反撃を開始。

 

 

 

 

 先程とくらべて飛車角が軽く、また▲64拠点から駒が入れば好機に打ちこみもあり、ここではかなり先手が巻き返している。

 このあたり、「北海美剣士」と呼ばれた二上による、見事な太刀返しだが、それを受けての大山の手がまたすごい。

 

 

 

 

 △26歩と、じっとのばすのが、またも「大山流」の一手で、これも藤井九段いわく、

 


 「この忙しい局面でじっと飛車先の歩を伸ばすのはすごい。自分には絶対に指せない」 



 大山自身の解説では、

 


 「ここでは△26歩か、△94歩で、敵の攻めを急がせるよりない」


 

 難解な局面でを渡し、悪手疑問手を誘うのは、心理戦に長けた大山にとって得意中の得意という勝負術。

 ここでおもしろいのは、大山将棋の後継者ともいえる藤井猛九段は、こういう指しまわしを見せないこと。

 「自分には絶対に指せない」という通り、藤井は

 

 「ガジガジ流」

 「ハンマー猛」

 

 と呼ばれる、パンチの効いた直接手が特徴で、むしろ大山が重視せず、あいまいにしていた序盤作戦などを整理し、吸収していた。

 こういう△26歩のような手を得意としたのは、藤井のライバルである羽生善治九段

 その意味では、大山将棋の技術的な後継者は藤井だが、精神的なそれは羽生になるのかもしれない。

 ちなみに、藤井聡太七冠伊藤匠叡王をはじめ、現代の棋士はおそらく、すでに「言語化」された、これらの勝負術を修行中から身につけていると思われ、発見技術はこうして受け継がれていくのだろう。

 

 (続く

 

 

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トルコ語と日本語の語順は同じだけど、英語のせいで大混乱の巻

2024年07月01日 | 海外旅行

 トルコ語苦戦している。

 ということで、前回は

 

 「英語とドイツ語」

 「フランス語とスペイン語」

 

 のような言語的姻戚関係がないため、土語単語がおぼえられないという話をした。

 トルコ語と日本語は語順が同じなど、なにかと共通点が多いはずだが、早くも暗礁に乗り上げてしまい無念である。

 そこに、さらなる難敵がおそいかかってきて、ますますパニックになるのは、まさにその「語順」。
 
 というと、おいおいさっきはトルコ語と日本語とは語順が同じだから学びやすいと言っていたではないか。
 
 そうつっこまれそうだが、そこが逆になのだ。
 
 たしかにトルコ語は日本語と似ていて、たとえば「私は水を飲む」だと、
 
 


 Ben su içiyorum.



 
 
 Benは「」で、suは「」。
 
 içiyorumは「飲む」だから、「私は水を飲む」で日本語同じ並び。
 
 英語だと「I drink water」で「私は飲む水を」とひっくり返るから、そりゃどう見たってトルコ語の方が自然なのだ。
 
 ところがどっこい、日本人は哀しいかな、なぜか第一外国語が強制的に英語である。
 
 なので「外国語学習」というと、どうしても「英語」がベースになってしまい、このせいで逆に
 
 
 「外国語が日本語と同じ語順」
 
 
 この本来なら親切設計なはずの文法が、むしろ違和感を感じるというパラドックスが生じるのだ。
 
 つまり、フラットな目で見れば、
 
 
 「私は水を飲む」
 ↓
 「Ben su içiyorum.」
 ↓
 「同じやん!」
 
 
 となるのだが、これが、
 
 
 「私は水を飲む」
  ↓
 「I drink water」
  ↓
 「Ben su içiyorum.」
  ↓
 「あれ? 英語と語順が違う。なんか変!」
 
 
 という「ねじれ現象」を引き起こしてしまうのだ。
 
 ましてや私は大学受験で英語をやり、大学ではドイツ語を専攻し、今ではフランス語とスペイン語をやるという「インドヨーロッパ語族」野郎なので、ますますそこに拍車がかかる。
 
 そう、私はここまでフランス語とスペイン語はわりとスムーズに勉強できたのだが、それは英語やドイツ語の知識が、同じヨーロッパ系言語として、そこそこ役に立っていたせいなのだ。
 
 スポーツで言えば、サッカーやってたヤツがラグビーとか。

 バスケやっててハンドボールとか、クリケットから野球とか。
 
 そういった

 

 「経験はないけど、にやったことが生きる」

 

 というジャンルで戦っていたから、そんなにストレスがなかった。
 
 ましてや、スペイン語とポルトガル語なんて「硬式テニス軟式テニス」くらいの差だしなあ。
 
 そこをドーンと

 

 「棒高跳び出身者がチェスボクシング

 

 みたいな異郷の地に連れていかれた感覚。
 
 そのせいで、見た目以上に、とっつきが悪くなってしまっているのだ。
 
 ただこれは、がそうなだけで、逆に言えばヨーロッパ系言語にとらわれない柔軟な人には、案外そんなことないのかもしれない。
 
 実際、やってみた感覚ではトルコ語と日本語は近いところもあるし、少なくとも言語距離が相当離れている英語よりは、客観的に見ればかなり接しやすいのは確か。
 
 なんで、むしろ
 
 
 「英語は苦手だったなあ」
 
 「ドイツ語とかフランス語、第二外国語でやったけど全然おぼえてないや」
 
 
 という「偏見」のないピュアな状態の方にとっては、トルコ語はものすごくオススメの言語なのかもしれません。

 

 

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トルコ語=日本語話者には簡単という説について

2024年06月29日 | 海外旅行

 トルコ語苦戦している。
 
 2年程前から私は、いろんな語学のさわりの部分だけを学ぶということをやっている。
 
 日本人と言えば「外国語=英語」というイメージだけど、実際はに旅行したときなどハイレベルな英語よりも、
 
 
 「中1レベルの現地語
 
 
 こっちのほうが、よほど使えることを何度も経験したからだ。
 
 なので、そこでは「th」の「」や、「明るいL」と「暗いL」を発音しわけるよりも、
 
 
 「台湾華語の【ありがとう】」
 
 「タイ語の【パクチー抜きで】」
 
  
 とかの方が、よほど実用的なのだ。
 
 そこでここに発動された「シュリーマン作戦」により、私は世界のいろんな国の「基礎的な部分」だけにしぼって学習。
 
 ここまで、
 
 
 フランス語
 
 スペイン語
 
 ドイツ語(これは学生時代の復習)
 
 ポルトガル語
 
 
 をクリアし、マルチリンガルとして名をはせている。

 と言っても、1日に15分くらいアプリで遊んだり、YouTube講座をダラダラ見たりするくらいだが、そんなものでも続けていると、

 


 À cause de Wakabayashi-kun, je ne dors pas beaucoup.
(若林くんのせいで、あまり寝ることができません)

 

 Ein Mann sollte auf das eins Prozent setzen.
 (男なら1%の方に賭けるべきです)

 

 Entrar en el Dragón... solo en espíritu
 (燃えよ! 心だけドラゴン)


 

 くらいなら理解できるのだから、なかなかなものではないか。

 根をつめることなく「飽きたら次へ」がルールだから、そろそろ別のやるかなーと、選んだのがトルコ語であった。
 
 トルコ語は「テュルク系」の言語で、アゼルバイジャンウイグルキルギスあたりの言葉に似ていると言われる。
 
 トルコは高橋由佳利さんの『トルコで私も考えた』の大ファンだし、実際に旅行したらオールタイムベスト級のいいところ。
 
 ヨーロッパ系以外の言語にも興味があったし、なによりトルコ語はかつて、
 
 
 「日本語とトルコ語は起源が同じ」
 
 
 という説が長くささやかれたほど、似ている言語なのだ。
 
 残念ながらこの、
 
 
 「日本語=アルタイ語族」
 
 
 という説は現在では否定されてしまったが、同じ膠着語に所属し、語順が同じとかいろいろと共通点はある。
 
 単語にしても、
 
 


 iyi(イイ)=いい(良い)
 
 yamaç(ヤマチュ)=山地
 
 yakmak(ヤクマク)=焼く



 
 
 などなど、発音と意味が似ていたり、
 
 


 クスクス(日本語と同じく「クスクス」笑うという使い方)
 
 「ガルガラ(やはり同じく、うがいなどの「ガラガラ」という音)



 
 
 といった共通のオノマトペがあったりと、たとえ血縁(?)はなくとも、かなり親しみやすいのは確かなのだ。
 
 そんなトルコ語となれば、きっと学習はサクサク進むはず。
 
 フランス語の多すぎる母音や、ドイツ語の格変化ように、つっかえることもないだろうと思いきや、あにはからんや。
 
 トルコ語、スタートからつまずきっぱなしであった。
 
 理由は単純で、まず単語がおぼえられない。
 
 というと、それはフランス語やドイツ語でも同じではないかと言われそうだが、これがそうでもない。
 
 それこそフランス語やドイツ語は、日本人になじみのある言語ではないが、これらはわれわれが一応は勉強した英語仲間
 
 ドイツ語は同じ「ゲルマン語派」に属して兄弟みたいなものだし、フランス語はノルマンコンクエストなどの影響で、英語の語彙に多大な影響をあたえている。
 
 なので、初見でも結構、語彙や文法の類推がきくし、それがフックになって暗記の助けにもなる。
 
 たとえば、ドイツ語で「息子」は「Sohn」で「娘」は「Tochter」。
 
 それぞれ英語の「son」「daughter」と似ている。
 
 「お父さん」は「Vater」「お母さん」は「Mutter」で、それぞれ「father」「mother」っぽい。
 
 というか元は同じ言葉で、距離が離れるごとに「伝言ゲーム」みたいな形でくずれていくようなもんだけど、これだと結構おぼえやすいと思いませんか?
 
 発音すると「ファーター」と「ファーザー」。「ドーター」と「トホター」とか、ますます近しく感じる。
 
 フランス語に至っては、英語の語彙の6割近くがフランス語(とその元ネタのラテン語)から借用したもので、
 
 
 


 dinner(仏・dîner
 
 mountain(仏・Montagne
 
 flower(仏・fleur
 
 blue(仏・bleu



 
 
 などなど、フランス語の単語なくして英語が成り立たないほど、いただいており、やはりつながりは深い。
 
 さらにいえば、そのフランス語と共通の「」(ラテン語)を持つスペイン語イタリア語では、
 
 


 「仏・facile

 「西・fácil

 「伊・facile

 (英語のeasy


 
 「仏・difficile

 「西・difícil

 「伊・difficile

 (英語のdifficult



 
 
  などなど「まんまやん!」という単語が山盛りで、どんどん楽になる。
 
  もっとも、あまりに似すぎると
 
 
  「あれ? difficileって綴りやと、フランス語とスペイン語とどっちやったっけ?」
  
 
  なんて混乱しがちですが。
 
  ところがどっこい、それとくらべると、ヨーロッパ系言語とつながりのないトルコ語は、そういうリンクがない状態。
 
  それを続けざまに投げられても、ちっとも頭に入ってこないのだ。
 
  まあ、これはこっちがオジサ……シブい壮年の紳士になって記憶力が落ちたせいもあるかもしれないが、
 
 


 Merhaba(こんにちは)
 
 Selam(「こんにちは」のカジュアル版)



 
 
 くらいならまだしも、
 
 


 İyi akşamlar(こんばんは)
 
 Görüşürüz(またね)
 
 Nasılsınız(お元気ですか?) 
   
 Tanıştığıma memnun oldum(はじめまして)



 
 
 とかとか、とっかかりがなさすぎて、どんどん脳をスルーしていく。
 
 母音が多いというのも、日本人に発音こそしやすいが、単語の字数が増えて目がチカチカするのもあるかもしれない。

 ということで、現在の私はトルコ語の「ありがとう」(Teşekkür ederim)がおぼえられなくて大苦戦中。

 マジでムズイなー、どないしたもんでしょ?

 

 (トルコ語の語順編に続く)

 

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雨上がり アスファルト 新しい靴で 山崎隆之vs羽生善治 2009年 第57期王座戦 第3局 その3

2024年06月21日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回の続き。

 山崎隆之七段が、羽生善治王座(名人・棋聖・王将)に挑戦した2009年、第57期王座戦五番勝負。

 羽生2連勝でむかえた第3局は、後手になった羽生が横歩を取らせ山崎は自身が考案した「新山崎流でむかえうつ。

 後のない山崎は自分の土俵でなんとか一番返したいところだが、得意戦法をあえて受け、それを打ち破ることで相手のを破壊するのは、何度も見てきた羽生の勝負術でもある。

 山崎からすれば、いろんな角度からもプレッシャーがかかるところだが、そのせいでもないだろうが、中盤で早くも敗着を指してしまう。 

 

 

 

 △29飛の打ちこみに、▲16歩と角取りに突いたのが、最悪のタイミングでの催促。
 
 すかさず△48角成と切り飛ばして、▲同玉△37銀▲59玉△49飛成▲68玉△19竜と大暴れされて後手のペース。
 
 
 
 
 
 
 
 
 後手は△48角成と切る気満々なのに、これでは実質1手パスになってしまっている。
 
 ▲16歩を悔やんだ山崎だが、それでも△19竜に▲81飛成と飛びこんで、△28竜には▲38歩が手筋の中合△同竜△25竜と取る手が消える)。
 
 △25竜▲22歩成△同竜と成り捨てて、▲85桂とボンヤリ打つのが、「ちょいワル逆転術」のアヤシイ手。

 
 

 


 
 ふつうは▲37歩を取りたいところだが、そういうシンプルな手は相手の読みをわかりやすくしてしまう。
 
 それより、善悪は不明でも局面をゴチャゴチャさせておく方がいいという判断で、それこそ羽生が得意とする「手渡し」も彷彿させる。
 
 先手の切り札は、手に乗って▲77玉から脱出することだが、次の手が山崎の希望を打ち砕く決め手となった。
 
 
 
 
 


 
 △29竜と深く入るのが、立合人の藤井猛九段も、 
 


 「気付きにくい好手」



 
 
 ふつうはを取らせないよう△28竜としたいが、それには▲77玉の早逃げがピッタリ

 


 
 いわゆる、
 
 
 「黙ってても指そうと思ってたので、ありがたかったです」
 
 
 なんてニヤニヤされる形だ。
 
 そこを△29竜だと竜の横利きが残ったままで、▲73桂左成と攻め合うと、△同銀▲同桂成△65桂で逃げられない。

 

 


 
 かといって、今さら▲37歩を取る時代ではなく、本譜はやはり▲77玉と逃げる。

 そこでの利きが通ったまま、手番後手なのがマジックで、△84歩と打てる。
 
 
 
 
 
 

 △28竜だと、竜を活用するのに、ここで一回△38竜各駅停車しないといけないわけで、まるまる1手違ってくるのだ。
 
 ▲84同竜△74金と上部を押さえて、ふだんは慎重な羽生も、ここで優勢を確信したそうだ。 
 
 以下、十数手指して山崎が投了
 
 初のタイトル戦は3連敗と、苦い結果になった。
 
 正直なところ、当時の印象ではまだ山崎よりも羽生の方が「手厚い」という印象があった。
 
 若島正さんも指摘するように、棋力に差があるわけではない。
 
 それよりもやはり、経験値のようなもので、第2局に象徴されるような「余裕」「自信」「遊び心」のあるなしではなかったか。
 
 その意味では、これから山崎はどんどんタイトル戦に出るし、A級にもなって成長するだろうから、3年もすれば……。
 
 とか思っていたら、あにはからんや。
 
 なんとそこから、15年も待たされることになってしまうとは!

 長い、長いよ! お医者さんの話か!
 
 A級13年待ったし、2012年の第25期竜王戦では挑戦者決定戦に進出するも、丸山忠久九段1勝2敗で敗れてしまう。
 
 このときは、
 
 
 「オラ、来たで! 渡辺山崎新世代タイトル戦や!」
 
 
 意気込んだものだが、結果は脱力だった。
 
 そんなあれこれあって、若き「王子」も今では40代
 
 A級もキープできなかったし、もう下り坂なのか、残念だなと思ったら、ここに劇的な復活劇で、久しぶりのガッツポーズ。
 
 山崎隆之は、まだ終わっていないのだ。

 挑決の結果を受けて、いさましいちびのトースターな気分だったが、今のところ結果は2連敗

 しかも、内容的にも見せ場を作れてない感じで、このままだと、きびしい言い方をすれば、

 

 思い出挑戦」

 「予想通りの3連敗」

 

 となってしまう。

 それをくつがえすには、もはや「3連勝で大逆転奪取」しかない。

 

 「いい将棋を指したい」
 
 「まずは1勝」

 

 みたいな悠長なことを言うとる場合やないんや!

 もちろん、今のままでは苦しいが、昨日の叡王戦ではついに山が動いた

 これまで、だれもタイトル戦で勝つイメージのなかった「八冠王」についにが開いたのだ。

 カド番でのこのニュースは、山崎にとって千載一遇の大チャンスになるかもしれない。

 いや、するしかない。

 「山崎棋聖」誕生を願って第3局を、いや「残り3つ」の戦いを見守りたい。

 


(山崎隆之の新人王戦初優勝はこちら

(山崎のあざやかな終盤戦はこちら

(その他の将棋記事はこちらから)

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残酷な神が支配する 山崎隆之vs羽生善治 2009年 第57期王座戦 第3局 その2

2024年06月19日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回の続き。

 山崎隆之七段が、羽生善治王座(名人・棋聖・王将)に挑戦した2009年、第57期王座戦五番勝負は、羽生2連勝第3局に突入。

 後手の羽生が横歩を取らせると、山崎は自らが考案した新戦法「新山崎流」をぶつけてきた

 まさに両者の想いが合致した「直球勝負」は中盤の難所を迎える。

 

 

 

 羽生が▲23歩のタタキに△33銀と、桂馬の利きに逃げる工夫を見せたが、山崎も▲85飛と好手で対応。
 
 このあたり、両者とも好感触で指し進めているようだが、ここで次の手がまたも驚嘆を誘った。


 
 
 
 
 
 △44銀と上がったのが、控室の検討陣も再度ビックリの新手
 
 なんでも、この対局の5日前研究会△33銀までは検討されていて、羽生もそれを観戦していたという。
 
 だが、△33銀は指せても、次の△44銀はまったく言及されず、研究会で△33銀を指した飯島栄治六段
 
 


 「脱帽です」



 
 
 先手を持って指していた村山慈明五段
 
 


 「羽生さんらしい柔軟な手。全然、気付きませんでした」



 
  次にきびしいねらいがあるわけでなく、2筋守りもうすくなって、下手すると1手パスのよう。

 そもそも、△33銀と上がったからには、▲33桂不成とさせて桂馬の入手をはかりたいのかと思いきや、そうでもない。

 この真意の見えないフワッとした、フェザータッチが羽生将棋だ。

 こういう手を防衛のかかった一番で、しかも本家本元の山崎隆之に仕掛けてくるのが、なんとも大胆ではないか。
 
 羽生がこのように、あえて相手の土俵で戦おうとするのは、おそらく2つの意図があって、ひとつは谷川浩司九段もう言う「好奇心」。
 
 もうひとつは、本人がどこまで意識してやってるかは不明だが、「つぶし」が入っているはず。
 
 クリエイター型の棋士が必死で研究し、斬新な新手新戦法をぶつけても、下手すると初見でそれに対応し、アッサリと勝ってしまう。
 
 それだけでもショックなのに、羽生はよく次の対局などで、今度はの立場をもって挑んでくることがある。
 
 「自分の得意型」でせまられたうえに、それでもまた負かされ
 
 
 「あれれ~? おかしいなあ~。キミが考えたはずの戦法なのに、なぜかボクの方がうまく使えるみたいだね。なんでだろうね?」
 
 
 コナン君みたいに、盤上でそんなことを言われた日には、私だったら立ち直れません。
 
 羽生からすれば、
 
 
 「指されてみて有力そうだから、一度やってみたかった」
 
 
 という自然な発想かもしれないが(羽生の口から何度もきいたセリフだ)、やられた方はたまったものではない
 
 イジメか! 人の心を傷つけやがって! 一回コンプライアンス研修受けてこい!

 そういえば、かつて真部一男九段が、こんなことを言っていた。

 

 

 「羽生と大山は同じことをやっている」


 

 

 大山康晴十五世名人といえば、その圧倒的強さに加えて、様々な「盤外戦術」も駆使。

 相手に徹底的な「敗北感」を味あわせ、その後の対戦でも力を発揮できないよう精神的ダメージをあたえてきた。

 羽生は大山のようなアクの強いことはやらないが、盤上での無邪気とも言える冷酷さは、恐怖をあたえるという意味では、かつての大名人と変わらないと真部は言う。

 

 

 

「おまえはもう勝てない」「すべての努力はムダになるだけ」ということを「理解」させるのが、大山(羽生)流の戦い方。大山は「確信犯」で羽生は「天然」という説。

 

 

 

 この「新山崎流」の戦いも、山崎からすれば自分のフィールドで戦えるありがたさとともに、
 
 
 「ここを突破されたら」
 
 
 というプレッシャーとも戦わなければならないのだ。
 
 ちなみに、羽生はこの約半年後名人戦三浦弘行八段相手に、今度は先手番側を持って戦い勝っている。

 

 


 
 
 どっちもっても強いんかい!
  
 対戦相手からすれば、ホントに勘弁してほしいところだろう。
 
 羽生の新手にグラついたのか、山崎は早くも敗着を指してしまう。
 
 △44銀▲65桂を活用して自然だが、そこで△29飛

 

 

 

 

 惜しむらくは次の手で、山崎の王座戦は、終わりを告げることとなるのだ。

 

 (続く

 

 

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「新山崎流」を撃破せよ 山崎隆之vs羽生善治 2009年 第57期王座戦 第3局 その1

2024年06月18日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回の続き。
 
 2009年の第57期王座戦

 挑戦者決定戦中川大輔七段を破りのタイトル戦登場を決めた山崎隆之七段
 
 王座戦18連覇(!)をねらう羽生善治王座(名人・棋聖・王将)相手に、初戦は山崎流の独創を見せるも完敗
 
 第2局勝ちの局面を作りながらも、終盤で一手バッタリのような手を指してしまい惜敗
 
 ここでは、長期戦にそなえてテンションを上げていた羽生が、拳のおろしどころがわからなかったか、山崎に当たりが強く、
 
 
 「羽生が怒っている」
 
 
 と話題になった一局だった。
 
 今期棋聖戦と同じく2連敗カド番に追いこまれたが、もうこうなったら開き直るしかない。
 
 先手の山崎はやはり初手▲26歩だが、羽生は初戦とちがって△34歩から横歩取りに誘導する。
 
 羽生がこの戦型を選んだ理由は、よくわかる。
 
 そう、対横歩取り「新山崎流」を受けて立つためだ。
 
 山崎隆之といえば、その「独創性」が売りであり、そのなかのひとつに当時は後手番の有力戦法だった
 
 
 「横歩取り 中座流△85飛車戦法」
 
 
 これへの対策があった。
 
 「」があるということは、まずはノーマル山崎流があるわけで、それがこちら。
 
 2000年新人王戦
 
 決勝北浜健介六段を破って優勝した山崎は、丸山忠久名人との記念対局に挑んだ。
 
  
 
 
 まあ、ふつうは▲87歩で、そこで△85飛と引くのが中座真八段発案の「中座飛車」だが、ここで先手が新構想を見せる。
 
 
 

 


 
 
 ▲33角成△同桂▲88銀
 
 ここで早々と、角交換をするのが「山崎流」の対策。
 
 続けて▲88銀と、を打たずにで守る。
 
 意味としては、この後の戦いで8筋を使いたいということ。
 
 具体的には後手の飛車に動けば、▲82歩桂取り
 
 △82飛△84飛と引けば▲83歩△同飛▲84歩のタタキと▲66角の筋を組み合わせて、指し手のがグンと広がるというわけなのだ。
 
 本譜は▲88銀以下、△84飛▲58玉△62銀▲48銀△51金

 そこで、▲23歩△同金▲82歩とねらい通りに8筋で攻めて、先手が快勝する。

 
 

 


 
 この「山崎流」は中座飛車に手を焼いていた居飛車等の中で大ヒットするが、流行戦法は足が速いのが宿命で、やがて指されなくなる。
 
 だが、山崎の創作意欲はおとろえることを知らず、その数年後には「新山崎流」なる新構想を用意していたのだった。
 
 それが、この図。
 
 
 
 
 居玉のまま、をくり出すというシンプルこの上ない形。
 
 ふつうは相手の得意戦法に飛びこむのは怖いところだが、好奇心旺盛で、オールラウンドプレーヤーでもある羽生にとっては自然な選択だろう。
 
 実際、谷川浩司九段もそのような予想を立てていたし、羽生からすれば大舞台最新型を戦えることに、胸を躍らせていたのかもしれない。

 以前、藤井猛九段がこんなことを言っていたことがある。

 


 「羽生さんは、タイトル戦の防衛戦を楽しみにしてるんじゃないかな」


 

 そのココロは、

 


 「だって、将棋が強くなる最良の方法は自分より強い人と指すことだけど、今の羽生さんにはそれがいない

 「だから、そのとき一番調子のいい人と戦えるタイトル戦の防衛戦は、羽生さんにとって、もっとも勉強になるから、うれしいんですよ」


 

 たしかこんな内容で、なるほどなーと思ったものだが、この「新山崎流」を正面から迎え撃つところなど、まさに藤井九段の言う通りなのかもしれない。  
 
 ここで後手は、△74歩からじっくり指すか、△86歩と合わせて、横歩をねらいに行くか。
 
 前例△74歩が多かったそうだが、こういうとき羽生は積極的な手を選ぶことが大半で、やはり△86歩と行った。
 
 ▲同歩△同飛▲35歩と、先手は飛車の横利きで横歩を守る。
 
 そこで△85飛と引いて、今度は伸びてきたをねらいにいくが、それには▲77桂(!)と跳ねて、△35飛▲25飛(!)。
 

 

 
 

 ここで飛車をぶつけるのが山崎のねらいで、いやあ激しい戦いですわ。
 
 △同飛▲同桂△15角▲23歩がきびしい反撃。
 
 
 
 
 
 
 ここまでは定跡手順のようなものだが、このタタキの対応は後手もむずかしい。
 
 形は△同銀だが、そこで▲65桂と跳ねるのが、すこぶるつきに味の良い手。

 

 

 空中戦で、角道を開けながらの桂跳ねは、これが指せれば負けても本望というくらいだ。

 ならば△同金はどうかだが、これにも▲24歩と打って、△同角▲65桂でやはり先手が気持ちいい。

 ▲23歩でもでも取りにくい。
 
 どうするのか注目だったが、なんと羽生はわずか1分で次の手を選んだ。
 
 
 
 
 
 
 
 △33銀と、桂の利きに逃げるのが、おもしろい手。
 
 この手自体は研究会などで検討されていたそうだが、公式戦で登場するのは初めて
 
 ▲33同桂不成は後で△36桂の反撃が鬼だから、▲85飛にヒモをつけながら、▲81飛成を見せる。

 
 

 


 
 さすが、山崎はこういう将棋のスペシャリストで、これには羽生も、
 
 


 「この局面では一番いい手」



 
 
 と認めたが、それに対する応手がまた感嘆を呼んだ。

 

 (続く
 
 

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