まじめな優等生に説教つきでフラれる私は風のような自由人でない

2022年02月05日 | モテ活

 「妥協するなら、下ではなくてにしたほうがいい」

 

 こないだ、

 

 「スペックは悪くないのに、なぜか彼氏彼女がいない人」

 

 について、なんでそうなっているのか推測し、語ってみたが(→こちら)、そこでの結論がそれだった。

 そこで前回(→こちら)は、「世話好き」に好かれる(らしい)私が、「干渉」を嫌って逃げ回っている話をしたが、今回もそういうスカタンな例を。

 人には相性というものがあるが、私の場合はもうひとつ、

 

 「マジメな優等生」

 

 これにも、ときおりお近づきになるチャンスがめぐってくる。

 勉強ができて、倫理感も高い女の子が、なぜにて私のような、脳みそが風船でできているような男に興味を持つのかと問うならば、彼女らはどうも、

 

 「自由」

 「反抗」

 

 というものに、あこがれているようなのだ。

 先も言ったが、私はこう見えて「干渉」「束縛」が大嫌いである。

 これは別に、異性にかぎらず一般生活でもそうで、世の「常識」「当たり前」でまかり通っている「理不尽」にも、どうにも相性が悪い。

 「なら」「なら」「若者なら」「学生なら」「社会人なら」「プロなら」「大人なら」「有名人なら」「日本人なら」etc……。

 その他、数えきれないほどの、たいした根拠もないカツアゲ

 こんなもん、別に普遍性もなにもなく、ただ

 

 「その時代にたまたま多数派」

 

 だっただけのシロモノであって、それをあたかも「当然」のごとくエラそうに語ったり。

 ましてや、人に強制するのは、あまりに想像力が足りない、と思ってしまうわけなのだ。

 なので、そういうところから、なるたけ距離を取っているわけなのだが、どうもマジメな女の子のアンテナは、そこに引っ掛かるらしい。

 優等生というのは、周囲に認められて大人にもほめられて、いい身分のようだが、その実、内心ではそのことに意外なコンプレックスを持っていたりする。

 せっせとルールを守って、小市民的に生きている自分は、ひどく「退屈」な人間なのでは。

 あるいは、本当はレールの上なんて歩きたくないのに、そこからはずれる勇気がない。

 そういうとき、彼女らが感じている「常識」という圧迫感を、まるで無視して鼻歌でも歌っている私を見ると、

 

 「自分もあんな風に、自由に生きたい!」

 

 と思うようなのだ。

 バックパッカーとかやってた影響もあるのだろうか、実際、女の子に

 

 「風のような自由人なんだね」

 

 と言われたこともあるし。

 おお、言った方も言われた方も、激恥ずかしいぞ。

 おたがい、若かったというか、なんでなんも言ってない私まで恥ずかしいのか謎だが、とにかくそう思う人もいるようだ。

 こちらとしても、頭のいい女性は好きだし、人間性にもすぐれているとあっては、仲良くするに、しくはない。

 そもそも視界に入らない「世話好き」と違って、今度は割と進展するというか、いわゆる「おつきあい」に結びつきやすいのは、断然こっちの方なのである。

 となれば、話はハッピーエンドのようだが、もちろんそんな甘い話など、私のコイバナに出てくるはずもない

 結論から言えば、フラれます

 簡単にフラれます。早いと、2週間くらいでフラれます。それこそ風のよう、さわやかに、大谷翔平選手の剛速球並みなスピードでフラれます。

 しかも、場合によっては説教つきで。

 若いころは、カフェとか飲み屋で、ガンガンにアップをカマされながら、

 

 「なんで、オレ、こんなに怒られてるんやろ」

 

 ボンヤリそんなことを考えていたものだ。

 要するに、私は彼女らが期待していたような「自由人」ではないということ。

 たしかに私は、世の「常識」なんて、ただの多数決イキりくらいにしか感じてないし、レールの上を走る人生でもない。

 でもそれは、彼女らが思うような、なにか思想信念があるものではなく、

 

 「わずらわしいから」

 

 程度の理由でしかなく、またその手の考え方は精神論にかたよりがちなところが「論理的に気持ち悪い」のと。

 あとその「常識」やら「当たり前」やらを使って、他人を支配しようとする卑怯者がイヤなだけ。

 つまりは、そこに「彼女」の入る余地はなく、あくまで個人的なはなしで、別に私がそれを強制されなければ、他の人に、それこそ干渉する気はない。余計なお世話だろう。

 レールの上を走ってないのも、そこに高邁な意志はなく、

 「頼んでも、向こうが乗せてくれない

 ハッキリ言えば、乗るには能力が足りないという、ただのスカタンなのである。見込み違いも、はなはだしい。

 そのことに彼女らは、期待があった分、はしごを外されたようなガッカリ感があり、それを

 

 「だまされた」

 

 と取ってしまうようなのだ。

 つまるところ、『ムーミン』に出てきたスナフキンを、

 

 「自由に生きる旅人」

 

 と見るか、

 

 「口だけ達者な、宿なしの無職」

 

 そう解釈するかで、そのキャラクターが変わるように、彼女らは最初、前者を見るのだが、すぐに後者であると理解するようになり、

 

 「裏切られた!」

 

 それが怒りとなって噴出するのだ。

 私からすれば全力で「知らんがな」だが(こういう態度がまた良くないのだけど)、今となっては反省するところも多い。

 けど、そのころは全然わかんなかったし、まさに馬の耳に念仏、糠に釘である。甲斐ないなあ。

 私はテキトーに生きているだけで、物語に出てくるような「自由人」ではない

 嗚呼、サンタラの名曲『バニラ』やGO!GO!7188の『雨上がり アスファルト 新しい靴で』が頭の中に流れるよ。

 応える気概も能力もないから、期待なんて、しないで!

 

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「彼氏や彼女がほしいなら妥協しろ」の方角は、下じゃなくて、たぶん「横」

2022年01月30日 | モテ活

 「妥協するなら、下ではなくてにしたほうがいい」

 こないだ、

 「スペックは悪くないのに、なぜか彼氏彼女がいない人」

 について、なんでそうなっているのか推測し、語ってみたが(→こちら)、そこでの結論がそれだった。

 よく、なかなかパートナーのできない人に、

 「高望みはダメだって。もっと妥協しなきゃ」

 という「を見ろ」的なアドバイスをする人がいる。

 相手の「レベルを落とす」という発想は、たしかに、ひとつの方法ではある。

 ただそれは、そもそも失礼だし、仮にそうやったところで、じゃあモテるようになるかといえば、まあ、そう簡単でもあるまい。

 そこで、妥協するならに、すなわち、


 「自分の好みではなかったから、あまり目が行かなかった人」


 ここに視野を広げてみれば、実はそこにこそ「約束の地」は、あるやもしれないではないか。

 いや、色んな人の話を聞くと、好みでないばっかりに


 「自分を好いてくれる人」


 を我々は見逃しがちなのだ。そこを掘り下げる価値は、あるのではないか。

 と、今回の結論はここで落ち着くのだが、これには読者諸兄も、

 「まあ、言いたいことは、わからんくもないけど、それはそれで、結構むずかしくないかなあ」

 そう思われるかもしれず、これが実際、たしかに、すぐできれば世話はないのである。

 そもそも私自身、その「横へのスライド」ができずにモテない場面もあるのだから、なにをかいわんや。

 これは友人知人によく言われることだが、私は基本、底抜けなので、

 「世話好きな女性」

 の母性本能をくすぐる傾向があるらしい。

 それだけ聞くと、なにくれとサポートしてくれる女性がいるというのは、大変ありがたそうだが、人生でなにより「干渉」というものを嫌う私は、どうもそういう女性を無意識に避ける傾向がある。

 ゆえに、ときおり現れる「ホームランボール」を逃すことがあり、「なにやってるねん!」と怒られる

 私にとってそんなチャンスなど、まさに「100年に1度」というレアケースであり、たしかに「もったいない」と思わなくもないけど、そういわれたところで「世話好き」な女の人は苦手なんだよなあ。

 もっと言えば、私自身がその「世話好き」な女性に、モテたという記憶がない

 友人からは「世話好きに気にされる」と言われながら、こちらはまったく、その事実を知らない

 これはもう、友たちが壮大なウソをついているか、よっぽど私が逃げ回っているかであるが、どちらにしても結構な問題であろう。

 この件に関しては、私のなども、

 

 「兄ちゃんはええよなあ。お金なくなっても、いざとなったらヒモかジゴロにでも、なればええもん」

 

 などと言い、こんなスケコマシでもない私が、そんなことできるかいなと笑ったものだが、どうも同じことを意味していたらしい。

 なるほど、要するにジローラモさんとかじゃなくて、織田作之助とか小池重明タイプのジゴロなわけね。

  でもまあ、やはり私は何を言われたところで、「世話好き」な女子からは逃走し続けるわけだ。

 「世話」と「干渉」って、ワンセットだものなあ。

 嗚呼、これじゃあ友人サカイ君(→彼についてはこちら)と同じじゃないか。アウェーの戦いでは、力を発揮できないぞ。

 「横に妥協」論でいえば、そういう女性こそ視野に入れるべきなのだが、それがなかなか……。

 

 (続く→こちら

 

 

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モテないわけじゃないのに、彼氏彼女がいない人と 「好み」「好まれる」の不一致 その5

2022年01月24日 | モテ活
 前回(→こちら)の続き。
 
 
 「モテないわけではないのに、彼氏彼女がいない人」
 
 
 というのは、その人の能力うんぬんではなく、
 
 
 「好きになるタイプと、なられるタイプの不一致
 
 
 そこに原因があるのでは、という仮説を立ててみた。
 
 逆にいうと、「モテる」「恋人が途切れない人」というのは、
 
 
 「自分を好きにってくれる人」
 
 「自分が口説きやすいタイプの異性」
 
 
 これが一致している。
 
 その点で言えば、「イケてる」にもかかわらず「モテモテ」にはならない、ミドウ君やレリコちゃんの場合は、ちょっともったいない気がしないでもない。
 
 これに関しては、本人も周囲も「なんで?」となって、いまひとつ理由がわかってないことも多い。
 
 そりゃまあ、彼ら彼女らは
 
 
 「自分を気に入ってくれる人を好きにならない」
 
 
 というだけで、別に悪気落ち度ない
 
 あまつさえ「えり好み」とか言われて、でも、そういうわけでもないんである。
 
 よく見ると、こういった「すれ違い」は、まま見かけるものだ。
 
 A君ヤンキーBさんに好きになられるけど、怖いからダメ
 
 そんなBさん同じヤンキーC君がホの字だけど、BさんA君みたいなやさしい子がいい。
 
 そんなC君をじっと見つめる優等生Dさんだけど、C君はおとなしい女子は視界にも入らない。
 
 そんな様子を、悲しそうに見るE君という男子がいて……。
 
 嗚呼、こうして、だれも罪がないのに「一致」しないだけで、人はいくらでも、すれ違うことができる。
 
 まさに、アルトゥールシュニッツラーの名作戯曲『輪舞』ではないか。
 
 だから私は思うのだ。「モテたい」ときには妥協も必要だと。
 
 でもそれは
 
 
 「モテないんだから下を見ろ」
 
 
 ということではない。そこが本質ではない
 
 多くの人は別に「志望校を落とす」必要などないのだ。人間、10代の 
 
 
 「知性と経験値の少なさから、しか判断材料がない」
 
 
 という頃でもない限り、そんな案外、高望みはしてないもんだ。
 
 そもそも「下」を見るなんて発想が失礼だし、ぶっちゃけ下を見たからってモテるわけでもない
 
 たぶん、やるべきことは「への妥協」なのだ。
 
 今まで気がつかなかった、気がついても興味がなかったり、苦手意識があったりした異性に目を向けてみる。
 
 下ではなく、視点を今まで死角になっていた「横」にスライドさせてみる。
 
 イケイケ女子が苦手だったミドウ君は、一度彼女らとデートしてみるべきだった。
 
 そしたら、ダメはダメかもしれないけど、もしかしたら
 
 
 「あれ? 苦手と思ってたけど、話してみたら……」
 
 
 てなこともあったかもしれない。
 
 人間、接してみたら意外と、なんてケースはいくらでもある。
 
 レリコちゃんもそうだった。男は日本男児だけじゃない。
 
 「引っ張ってくれない」男も「外国人」も、つきあってみたら、そこに「日本男児の心」があるかもしれない。
 
 そこを深入りすることなく、なんとなくのイメージで判断するのは、もしかしたらチャンスを逃しているのかもしれない。
 
 この話は、各所でするとけっこう
 
 
 「あー、なるほど」
 
 「わかる」
 
 
 納得されることも多いので、それなりの説得力も、あるのではあるまいか。
 
 まあ、これだと結論として
 
 
 「モテてないのは、あんたが悪いわけやない」
 
 
 となるから受け入れやすいってのも、あるかもしれないけど、それにしてもひとつの、突破口になるやもしれないではないか。
 
 世の「なんでモテない」と首をかしげている諸君。もっと「横に妥協」してみてはどうだろう。
 
 そしたら、少しは世界が、ちがって見えるかもしれないし、賛成意見もけっこういたりもするので、よかったら参考にしてみてください。
 
 
 (続く→こちら
 
 
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モテないわけじゃないのに、彼氏彼女がいない人と 「好み」「好まれる」の不一致 その4

2022年01月23日 | モテ活
 前回(→こちら)の続き。
 
 
 「モテないわけではないのに、彼氏彼女がいない人」
 
 
 というのは、その人の能力うんぬんではなく、
 
 
 「好きになるタイプと、なられるタイプの不一致
 
 
 そこに原因があるのでは、という仮説を立ててみた。
 
 前回のミドウ君はハンサムで性格もいいのに、そういう男にねらいを定める
 
 
 「クラスのイケイケで、かわいい子」
 
 
 にまったく興味がないため、結果「モテない」ということになる。
 
 この手の話は聞いてみるとけっこうあって、友人レリコちゃんは美人でスタイルがよく、留学経験があり英語が話せるという才女。
 
 ところが、これがなかなか、に恵まれない。
 
 訊いてみるとやはり、「好きになる、なられる」のバランスが悪いよう。
 
 「できる」タイプの彼女はステータスだけなら、かなり高いが、その美点を見る男性にまったく興味がない。
 
 そこで「どんな人が好みなの?」と問うてみると、
 
 
 「グイグイ引っぱって行ってくれる人がいい」
 
 
 これを聞いたとき、思わず「あかーん!」と、ひっくり返りそうになりましたね。
 
 そらそうや。だいたい男なんて、エラそうなことを言っても、しょせんは傷つきやすい子羊ちゃんばっかしなのだ。
 
 それをつかまえて「ひっぱっていって」って、無茶ぶりにもほどがある。
 
 日本の男の子は、「英語しゃべれる美女」になんてグイグイ行けません。
 
 なので、彼女はいつも、山田耕作なみに待ちぼうけなのだ。
 
 海外経験の豊富な彼女は外国人の知り合いが多く、アドレス帳にも「Steve」「George」などあるから、
 
 
 「外国人とつきあったら?」
 
 
 水を向けてみると、
 
 
 「あかんねん。そういう人は友達はいいけど、恋人には無理。ウチ、日本男児が理想やから」
 
 
 嗚呼、やっぱり。ものの見事な「なる・なられる」不一致さんだ。
 
 もし彼女が逆に
 
 
 「イケてる女に甘えたい」
 
 
 という男性が好みなら、もうウハウハのハーレム状態だろう。
 
 それが、「日本男児」にこだわったばっかりに、なかなか相手に恵まれない。
 
 で、本人は「なんで彼氏ができひんのやろ」とボヤいている。
 
 ここまでくれば、カンのいい読者諸兄には、もうおわかりであろう。
 
 ミドウ君やレリコちゃんは「不一致」で苦労しているが、これが逆もまた真なりで、「一致」している人は、むしろその表面上のもの以上にモテることになる。
 
 友人サカイ君はぱっと見、そんなイケてる男ではない。
 
 まあ、悪いわけではないが、基本的には並みくらいである。
 
 ところがこの男がモテる。めっちゃモテる。
 
 とにかく「彼女が途切れたことがない」タイプの男なのだ。
 
 もちろん、それは彼自身の人なつっこさと、話術の妙もあるのだが、それ以上にこの男は
 
 
 「自分を気に入ってくれるタイプ」
 
 
 これを知っている強みがある。
 
 友はとにかく、
 
 
 「心にちょっとした屈託をかかえている女性」
 
 
 に好かれる。メンヘラとまではいかないが、
 
 
 「家族とうまくいってない」
 
 「閉鎖的な地方出身である」
 
 「体のどこかにコンプレックス(胸が大きいとか、背が高すぎるとか)がある」
 
 
 などといった「ちょっとした悩み」を持つ女性と、仲良くなりやすい。
 
 うまいことに、彼自身もそういった子の話を聞くのが、すごく達者なのだ。
 
 でもって、その悩みをうまく解消してあげる。
 
 端的にいえば、「そのままのキミが好き」と受け入れてあげる。
 
 それで
 
 
 「ステキ!」
 
 「あたしを理解してくれる王子様!」
 
 
 となって、恋が芽生えるパターンなのだ。
 
 彼の名言に、
 
 
 「オレは、パートに出てて、ちょっと生活に疲れてる主婦は100パー落とせる」
 
 
 というのがあり、なんだかゲスい雰囲気もあるが、これが本当なのである。
 
 いったんターゲットをしぼれば「シモヘイヘか!」と、つっこみたくなるくらい、一発必中でヒットさせるのだ。
 
 われわれ悪友は彼のことを、
 
 
 「色魔」
 
 「詐欺師」
 
 「イタリア人」
 
 
 やっかみ半分で呼んでいたが、そんな彼も1度大きな挫折を味わっており、あるとき友の一人が、
 
 
 「なんか、キミのつき合う女って、同じタイプばっかりやなあ。ワンパターンちゃんのん」
 
 
 なんてヤカラを入れたところ、
 
 
 「おう、ほんならオレ様の実力を見せたろやんけ!」
 
 
 とばかりに、いつもと違う、
 
 
 「お嬢様大学に通う女子大生」
 
 「歯医者の卵」
 
 「ベンチャー企業の女社長」
 
 
 などに果敢に突撃したが、ことごとくフラれたどころか、その中の一人から、
 
 
 「アンタはモテてるつもりか知らんが、自分がイケるとわかってる女だけしかねらわへん、ストライクゾーンのせまい男や」
 
 
 キッチリ見破られたうえ、
 
 
 「だから、チョーシこくな」
 
 「カン違いすなよ、マジで」
 
 
 そう言って詰められるという、オマケまでついた。
 
 友はそのショックから、南森町のカフェで号泣して大変だったらしいが、別にストライクゾーンがせまいうんぬん自体は、悪いことではない。
 
 単純に恋人がほしいだけなら、サカイ君の「見破る」能力はたいしたもので、大いに活用すべきである。
 
 たぶん、「恋人が途切れない」人は、意識無意識問わず、この「一致」を自覚しているのだろう。
 
 逆に言えば、サカイ君のような色事師でも、
 
 
 「自分を好きになってくれないタイプ」
 
 
 これが相手のアウェーとなると、こんな苦戦を強いられる。
 
 これで、本来なら魅力的な男子であったはずのミドウ君が「モテなかった」理由もわかろうというもの。
 
 そしてここへ来てようやく、最初の方で言った、
 
 
 「恋人が欲しければ妥協しろ」
 
 
 という、よくあるアドバイスが、間違ってるとは言わないが、少しを外していることが。
 
 妥協するなら「」を見るのではなく、どの方向に目をやるべきか、見えてくるのではあるまいか。
 
 
 
 (続く→こちら
 
 
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モテないわけじゃないのに、彼氏彼女がいない人と 「好み」「好まれる」の不一致 その3

2022年01月22日 | モテ活
 前回(→こちら)の続き。
 
 
 「モテないわけではないのに、彼氏彼女がいない人」
 
 
 というのは、その人の能力うんぬんではなく、
 
 
 「好きになるタイプと、なられるタイプの不一致
 
 
 そこに原因があるのでは、という仮説を立ててみた。
 
 顔も性格もいいのに、なぜか彼女がいない友人ミドウ君だが、クラスもかわいい女子の誘いを断っているのが原因らしい。
 
 なんともったいない! と、その理由を問うならば、
 
 
 「オレ、ああいうクラスの人気者的女子が苦手やねん」
 
 
 そうして友は、心底不思議そうに、
 
 
 「みんな、あの子らかわいいとか、つき合いたいとか言うやん。それが、オレには全然理解できひんねんなあ」
 
 
 そう首をかしげるのだ。
 
 これにはこっちが「はあ?」である。
 
 ミドウ君の拒否する「キモイの姫君」たちは、たしかにクラスの中でもかわいい方で、その自覚があるのだろう、基本的に積極的自信も満々だ。
 
 しかしだ、それにしても、かわいい女子からデート誘われて、ふつう断るか?
 
 たしかに、あの子らみたいな、イケイケの女子が苦手というのはわからなくもない。
 
 でもそれは、私のような地味スットコ系男子の言うことであろう。
 
 
 「バカにされるんちゃうか」
 
 「笑われるんちゃうか」
 
 「だまされてるんちゃうか」。
 
 
 腰が引けまくっている我々ボンクラとちがい、彼のような「いい男」はちっとも、そんなことを感じる必要もない。
 
 いやむしろ、どう見たってハンサムと、かわいこちゃんで「お似合い」だ。
 
 周囲に自慢だってできるし、10代の自意識には、そういう感覚もあるもんでないんかいな。
 
 しかし、ミドウ君は、
 
 
 「いやいや、合わへんよ。オレはもっと、おとなしくてマジメなタイプが好きなんや。あんなキラキラしたん、しんどいで」
 
 
 うーむと、これには、思わずうなったものだ。
 
 そっかー、彼はせっかくモテる要素はあるのに、そこに引っかかってくる女の子にはまったく興味が持てない。
 
 だから、結果つきあえないどころか、好感度すら下げることになっている。
 
 そういや、けらえいこさんの『あたしンち』で、中学生のユズヒコ君が、クラスのアイドル的存在の里奈ちゃんについて、
 
 
 「みんな、あの子のこと、かわいいっていうけど、オレ全然わかんないんだよなー」
 
 
 なんて首をかしげるシーンがあるけど、あれか。
 
 そういやユズピも「モテる」(無自覚だけど)設定だっだなあ。
 
 じゃあ、「地味でまじめな」子とつきあえばと問うならば、
 
 
 「それが、そういう子は全然、こっちに振り向いてくれへんねん」
 
 
 トホホといった調子で、おっしゃるのである。
 
 そう、彼が好む、控え目で真面目な子はミドウ君のことを、
 
 
 「目立たない、わたしたちのような地味系女子とは関係ない世界のイケメン」
 
 
 であると、カテゴライズしており、
 
 
 「ああいう人は、イケイケのかわいい女子とつき合うもの」
 
 
 ハナから、決めつけているらしいのだ。
 
 ゆえに
 
 
 「恐れ多い」
 
 「近づく気にもなれない」
 
 
 われわれのようなボンクラ男子が、かわいい子に腰が引けるのと、まあ似たような理由で避けるのだという。
 
 どうせスクールカースト上位同士で、よろしくやってるんでしょ、と。
 
 少なくとも、ミドウ君の経験では、そうだったと。
 
 まあ、言われてみれば我々だって美人が
 
 
 「あたし、イケてる男子って逆に苦手」
 
 
 とか言っても、
 
 
 「ふざけんな! このウソつきのクソ女! じゃあ、お前明日から、金も地位も才能も無くしたほんこんさんと、つきあえるんか!」
 
 
 ってなるし(←それ、ほんこんさんに失礼だろ!)、そもそもが、
 
 
 「クラスで一番の美女に声をかけよう」
 
 
 という発想すらないのだ。
 
 だからみんな、「阿呆のふりして行け」と言うのだな。
 
 「理性」があったら、とてもそんなことはできんわけで、それは男女問わず似たようなことがあるようなのだ。
 
 さらにいえばミドウ君自体が、
 
 
 「そもそも、そういう地味な子と、オレもなにしゃべってええかも、わからんねんけどな」
 
 
 彼は苦笑しながら、
 
 
 「キミが文化系の女の子と、マンガとか小説の話で盛り上がってるん、うらやましいな思うて見てるもん」
 
 
 嗚呼、なんという哀しい、スレ違いであろうか。
 
 こっちはイケメンで、さわやかスポーツマンの彼を羨望の目で見ている裏で、
 
 
 「大島弓子ってだれ? シュトルム・ウント・ドランクってなに? いいなあ、オレもまぜてほしいなあ」
 
 
 とか、指をくわえとるのだというのだ。
 
 もし彼の好みが「かわいい人気者女子」と、わかりやすければ、もうモテモテで毎日がパラダイス
 
 逆に、彼自身がもう少し目立たなければ、ハードルが下がって、もっとナチュラルに「控え目女子」と接することができるかもしれない。
 
 でも、たしかにいるよなあ。
 
 
 剣道がうまいのに、本人は野球好きだから下手なのに野球部に入って、ずっと補欠
 
 
 みたいな子。
 
 はたからは、剣道やればいいのにと思うけど、本人が野球を「好き」なんだから、こればっかりはしょうがない。
 
 単に「能力値が高い」からモテるとかぎらないと、このときに気づかされもの。
 
 当時の経験から、私は
 
 
 「スペックは悪くないけどモテない人」
 
 
 を見ると、なにげにその人の好みをたずねることにしたのだ。
 
 そうすると、同じような話が出るわ出るわで、この
 
 
 「モテないわけではないけど不一致」問題
 
 
 なかなか根深いと、思わされるのである。
 
 
 (続く→こちら
 
 
 
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モテないわけじゃないのに、彼氏彼女がいない人と 「好み」「好まれる」の不一致 その2

2022年01月21日 | モテ活
 前回(→こちら)の続き。
 
 
 「モテないわけではないのに、彼氏彼女がいない人」
 
 
 というのは、その人の能力うんぬんではなく、
 
 
 「好きになるタイプと、なられるタイプの不一致
 
 
 そこに原因があるのでは、という仮説を立ててみた。
 
 そう考えるきっかけになったのが、高校時代のクラスメートであるミドウ君だった。
 
 ミドウ君は見た目なかなかの男前で、中学時代はサッカー部でならしたスポーツマン。
 
 性格も悪くなく、普通に考えれば、どこをどうひっくり返しても「モテる」側の男子である。
 
 ところが、彼にはこれといった浮いた話がなかった。
 
 彼女がいるとか、告白されたとかいうも聞かず、そのことはクラスの面々もなんとなく不思議に思っていた。
 
 そこで放課後、クラスの女子とおしゃべりしていたときに、訊いてみたことがある。
 
 ミドウってさあ、モテそうやのにフリーやん。女子から見て、彼はどうなん? と。
 
 そこでの返事が、なかなかに意外であった。
 
 彼女らはみな、「そりゃあねえ」と顔を合わせると、
 
 
 「ミドウ君ねえ」
 
 「見た目はいいけどね」
 
 「雰囲気もさわやかだし」
 
 
 そこだけ聞けば、いいことずくめだが、彼女らは続けて、
 
 
 「でも、なんかよくわかんないし」

 「暗そうだよね」

 「そうそう、ノリ悪そうだし」

  「てゆうか、ちょいキモイ」
 
 
 などなど、急に手厳しいことに。
 
 というか、ミドウ君クラスでこのあつかいなら、もう我々のような「ひと山いくら」なボンクラどもは、明日からどう生きていけばいいのか。
 
 ふーん、男女の感覚ってのは、わかんないもんやねえ。
 
 なんて思いながら、今度はミドウ君に訊いてみることにした。
 
 さすがに「あんた、なんでモテへんの?」とはつっこめないから、
 
 
 「ミドウってさあ、彼女とか作らへんの? モテるやろ。ほんで、その友だち紹介してくれよ」
 
 
 といった「お調子者の友だち」風にたずねてみると、
 
 
 「いやあ、オレって、あんましモテへんし」
 
 
 苦笑いする友。
 
 
 「でもさあ、向こうが誘ってくるときもあるやん。デートとか、引く手あまたっしょ」
 
 
 さらに追及してみると、
 
 
 「まあ、ねえ……それはあるけど」
 
 
 そうやろうなあ。なんのかのいって彼は
 
 
 「放課後カラオケ行こう」
 
 「今度の日曜日、2対2で遊園地どうかな」
 
 
 みたいな誘いは、それなりに受けているというのだ。
 
 まったく、うらやましいかぎりだ。
 
 そこでちょっとおどろいたのが、そのお誘いの主の中に、私がリサーチした「キモイの姫君」たちの名前もあったこと。
 
 おいおい、あの子らしっかり、この男のこと目ぇつけとるやんけ。
 
 「暗い」とか「キモい」とかケチつけときながら、やることやっとるがな!
 
 で、オレ様は無視か! 誘えよ! 映画くらいやったら、おごるのに。『ゴジラVSビオランテ』とか『ロケッティア』とかさ(←そこが誘われない理由だと早くわかるように)。
 
 それはともかく、なるほど、これであの子たちがミドウ君に、当たりがきつかった理由はわかった。
 
 袖にされて、ちょっとおもしろくなかったわけね。
 
 でも、なんで断りよったんやろ、この男も。
 
 せっかく声かけてくれたんやから、気ぃよう行ったらええものを。
 
 オレだったら華麗にエスコートするぜ、京都の納涼古本市とか(←かつてデートで女の子そっちのけで古本を選んでいて、黙って帰られたことがある男)。
 
 で、その理由を問うてみるならば、その答えというのが、
 
 
 「アハハ、オレ、ああいうクラスの人気者系女子が苦手やねん」
 
 
 (続く→こちら
 
 
 
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モテないわけじゃないのに、彼氏彼女がいない人と 「好み」「好まれる」の不一致

2022年01月20日 | モテ活
 「モテないわけではないのに、彼氏や彼女がいない人」
 
 
 というのが、なぜか存在する。
 
 「モテ問題」というのは、どうしても「ねたみひがみ」の要素が入ってくるため、ともすると
 
 
 「結局、女なんて、みんなイケメンがいいんでしょ?」
 
 「胸が大きければ、男は簡単に鼻の下のばしちゃってさ。バッカみたい」
 
 
 みたいな「結局は論」になりがちだが、もちろんのこと、そんな単純なものではない。
 
 クズみたいな男がモテモテだったり、不美人でもカッコイイ彼氏がいたり、中にはスペックは高いけど
 
 
「異性や恋愛にあんまし興味がない」
 
 
 から、ひとりで平気という人もいたりする。
 
 かくのごとく「モテ」とはなかなかに法則化しにくく複雑怪奇であるが、中でも不思議なのが、冒頭に書いたような人々のこと。
 
 まわりを見てると、結構いるんですよね。
 
 見た目は悪くない、性格もいい。
 
 大人の場合だと経済力もそれなりにあって、これといった欠点がないのに彼氏や彼女がいなくて、本人もさることながら周りの友人たちが、
 
 
 「おかしいなあ。なんで、こいつに彼女(彼氏)がいてへんねやろう」
 
 
 首をかしげたくなる人が。
 
 そこで、あれこれと考えてみたり、友人知人を観察したり、聞き取り調査を行った結果、ひとつの仮説に至ることとなった。
 
 それというのが、
 
 
 「自分が好きになるタイプと、好きになられるタイプの不一致
 
 
 これではないかと。
 
 恋愛というのは、基本として男女が、おたがいに相手のことを「好き」になり合って成立する。
 
 もちろん、そこには打算妥協もからんでこようが、原則として両者が相手に好意をもって、それが縁あってリンクしたときに「恋人」誕生ということになるわけだ。
 
 ここでポイントなのは、恋愛とは片方の「好き」はあっても、もう片方の「好き」がなければ成立しないこと。
 
 このズレこそが、「スペックは悪くないのに」問題のキモとなる。
 
 あくまで私の見立てだが、こういう人は単にモテない場合もあるが、それ以外に、
 
 
 「自分を好きになってくれる異性にピンとこない」
 
 
 といったケースが、ままあるのだ。
 
 逆に「さほどでもないのに、恋人が途絶えない」チームは、「自分を好きになってくれる人」の気持ちに敏感だ。
 
 だから、すぐにそれに乗っかってが生まれる。
 
 というと、
 
 
 「それって、要するに『選り好み』してんじゃないの? 高望みはダメだって、多少は妥協しなきゃ」
 
 
 などとアドバイスを送る、読者諸兄もおられるかもしれないが、そこである。
 
 その考え方が、ややポイントをはずしているからこそ、この問題が難しくなっているのではあるまいか。
 
 私も当初は、
 
 
 「まあ、選ぶからなんかなあ」
 
 
 と単純に考えていて、まあそれ自体は間違ってはいないのだろうけど、話を聞いていると、これは決して「選り好み」ではない。
 
 その証拠に「スペックは悪くないのに」チームの面々が
 
 
 「あの人がいいのに振り向いてくれない」
 
 
 という相手が、かならずしも美人イケメンとは限らないのだ。
 
 いやそれどころか、
 
 
 「あれ、あいつ別に、顔がいいわけじゃないけど」
 
 「キミやったら、もっと上をねらえるんちゃう?」
 
 
 みたいな人だったりする。
 
 つまりそこには、「独自性」「多様性」が感じられるわけで、特にそこに「高望み」が感じられないことも多々。
 
 なのに、なぜそこで「カップル成立」とならないのか。
 
 
 それは、たとえば「イケメン」「美人」なら、「見た目にこだわらない人」を好きになってしまう。
 
 「明るい人気者」なら「おとなしい子と、まったりしたい人」に好意を持つ。
 
 「さわやかスポーツマン」なら「パートナーとクリエイティブな話をしたい文化系女子」とお近づきになりたい。
 
 
 などといった、どう考えても振りむいてもらいにくい、「相性の悪い」相手を好んでしまうことが、あるからなのだ。
 
 
 (続く→こちら
 
 
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ダイエットに失敗して、リバウンドしてしまった女性に朗報です

2021年06月02日 | モテ活

 「ダイエットに失敗した女の子が、好みやね」

 学生時代、学食でごはんを食べているとき、そんなことを言ったのは友人クロベ君であった。

 先日、この冬から春にかけて発動された「体重レインボー作戦」により、3か月で5キロの減量に成功した私。

 ただ、こういうときコワイのは「リバウンド」であり、ホッとして気がゆるんだり、ガマンの反動でドカ食いなど、あっという間に元に戻ってしまうというのは、よくあること。

 これはもう、人間の業とでもいうべき法則であって、

 「食が細くて、太りたいのに太れない」

 という、ぶんなぐ……うらやましい体質の人以外、だれもがこの、

 「ダイエット→リバウンド→リバウンド(∞)」

 という無間地獄からは、逃れられない運命で、人類の夢「永久機関」の開発は、このあたりにカギがあるのではないだろうか。

 とまあ、人はちょっとやせたといって、そこで安心してはいけない。

 ダイエットで肝心なのは、体重を落とすのは道半ばで、もっとも大事なのは、

 「そこからこれをキープする」

 これは「試験合格」「就職」「結婚」など、人生の様々な

 「これにて完了」

 とガッツポーズしたところですぐに襲われる、おそるべき現実でもあるのだ。

 なんて、めんどくさい話をしていると、せっかくダイエットが成功したのに、なんだか気分も盛り上がらないが、ここにひとつ、

 「せっかくダイエットしたのに、すぐに元に戻っちゃったよー」

 と泣く女性の方々に、いい知らせがある。

 それが、クロベ君言うところの「リバウンド萌え」という存在だ。

 「萌え」のファンタジーは人様ざまである。

 単純に「顔」がいいとか、女性の「胸」や「尻」に反応する人もいれば、ちょっとひねって、うなじや足首。

 眼鏡がいいとか、二次元サイコーとか、靴屋でハイヒールを見ると興奮するとか。

 はたまた中島らもさんが、エッセイで紹介していたような、

 

 「女装して部屋で編み物をしていると、そこに軍服姿の女が入ってきて、『おまえは編み物が下手だ!』と罵倒されながら、椅子ごとけり倒されないと燃えない」

 

 という、ツイストの効きまくった人というのも存在する。

 「けり倒されると燃える」

 ではなく、

 「けり倒されないと燃えない」

 というところが、なんとも味わい深いところである。人間って、いいな。

 かくして、ファンタジーは人の数だけ存在するわけだが、クロベ君の場合は「リバウンド萌え」。

 リバウンド萌え。

 といわれても、ちょっと意味がわからないところもあり、はて湘北高校の桜木花道選手のファンなのかいなといえば、そうではなく、彼は基本的に、ポッチャリ系の女性が好きなのだ。

 世に「ポッチャリ好き」というのは結構いるもので、男女も問わないようだが、友のケースは少しばかりひねりがあり、

 「リバウンドして、ポッチャリ」

 これでないと、ダメらしい。

 限定付ポッチャリ。

 そこを普通のポッチャリでは、いけないのかと問うならば、

 「ボクはな、元からちょっと二の腕とかプニプニした子が好きやねん」

 わかるよ。やせすぎの子って、案外魅力感じへんこともあるからね。

 「でやな、そういう子がダイエットして、ちょっとやせて、そのまま細身で行くのかと思いきや、なんやかやあって、結局元に戻っちゃいました」

 まあ、よくあるよなあ。

 「それくらいの肉付きの女の子にグッとくるんや。すごく、かわいらしいねん」。

 一回リバウンド経由。

 なんだかまわりくどい気もしないでもないが、それに意味はあるのかといえば、友は声を荒げて、

 「全然、違うがな!」

 メッチャどなられてしまった。

 「ただのポッチャリやと、アカンのや。リバウンドして、その一回やせた後に、もう一回ついた、肉とアブラがええんですやん」。

 彼は身も世もなくという風情で、天をあおぐと、

 「わかってないなあ。これやから、素人は困るんや。ポッチャリ好きいうたら、プニプニしてたら、なんでもええと思ってるんやからなあ」

 これでもかというくらいに、あきれられてしまった。

 さすが玄人はちがう。

 というか、なんの玄人かはよくわからないが、というか、この話、なんでオレが説経されてるんやろ。

 なんにしても、男のこだわりというのは様々ではあり、ダイエットに失敗した女性にとっては、希望のある話と言えるのではあるまいか。たぶん。

 

 

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3か月で5キロ減量! スイーツもスナック菓子もいただきながらの、ゆるゆるダイエット その2

2021年05月27日 | モテ活

 前回(→こちら)の続き。

 ざっくり、ゆるーくカロリー計算をして、ボチボチとやせていく。

 その名も「体重レインボー作戦」により、3か月で5キロの減量に成功した私。

 そんな、のんびりダイエットにおいて、唯一「禁止」するのが、油物のお惣菜。

 そもそも私が太るのが、近所のスーパーの総菜コーナーで

 「からあげ、天ぷら全品40%引!」

 「コロッケ類半額!」

 このシールがうれしすぎて、つい買いこんでしまうことと、ストレスがたまるとジャンクフードが食べたくなるせいなのだ。

 特にストレスが大敵で、悪い油で揚げたフライやハンバーガーを、これでもかと胃にねじこみたくなる。

 「やけ食い」とは一種の自己破壊願望だと思うが、そんな「緩慢な自殺」は心にも体にも悪いので、できるだけ止めたほうがいいのは自明であり(たまにならいいんですけどねえ)、ここだけは、しっかりストップをかける。

 代わりに、お刺身を食べることにした。

 これは半額になっても、まりまり食べまくって問題ない。

 カツオのたたきに、にんにくを載せて、春キャベツで巻くと絶品。

 スープの類もいい。

 コンソメやうどんダシに、魚とか野菜とかキノコとか豆腐でも放りこんで、グツグツ煮る。

 私は実家から、レンジでチンできる蒸し器を借りてきました。

 温かい汁物は、満足感を生みます。

 あと、インスタントラーメンも、意外といい。

 カロリー計算が簡単なので、一回を半分に分けて、野菜など、具でかさ増しする。

 ちなみに、店のラーメンとちがって、インスタントのカロリーはほぼメンだから(油で揚げてあるせい)、こっちを少なめに。

 スープはガッツリで大丈夫。白いゴハンが好きな人も、お茶漬けとか雑炊だと、お腹が張っていい。

 お酒を飲む人は、これまたそんな神経質に、ならなくていいと思う。

 今はやめてしまったが、のん兵衛だったころは、ダイエット中もビールやワインなどガンガン飲んでたけど、肴を軽めにすると、ふつうに体重は落ちます。

 やっぱ、アルコールの大敵は

 「うまいおつまみ」

 であって、フライドポテトとか、からあげとか、露骨に太りそうなものは避ければ、アルコール自体のカロリーは「誤差」で大丈夫。

 あと、シメのラーメンとかね。結局、食うからいかんのですよ。

 その証拠に、おつまみ無しで飲む「欧米人スタイル」の呑み助は、だいたいやせてます。

 でも、これはこれで、体には悪いケド。

 メインはそれで、400程度しかいかないわけで、残りはうれしいおやつタイム。

 これで1300程度なんだから、残りの700ポイントはご自由にどうぞ。

 私はしょっぱい系では、おせんべいが好きなので、一袋500として、半分くらい。小分けタイプだと、計算しやすくてベター。

 ポテチなども、量をしぼって食べればOK(残りは「明日食べる」から「楽しみが残る」と考える)。

 残りでケーキなり、菓子パンなり、おまんじゅうなりをガッツリ言っても、2000さえ越えなければ、静かに痩せていきます。

 あと、どうしても、お腹が空いて夜寝られないときとかは、夜食に湯豆腐や、冷ややっこを食べていた。

 あるいは納豆とかフルーツ。

 こういうときのコツは、

 「ちょっといいもの」

 を買ってみること。

 ふつうなら、豆腐やオレンジなんかは、1個100円前後のものだけど、そこを軽く上乗せしてみるのだ。

 その「ちょっと贅沢感」が、満足感をアップさせる。

 ふだん食なら食べない、いい食材を試してみるチャンスと、とらえるわけだ。

 ここまでのプロセスで私の経験上、若いころは速攻で結果が出たけど、年齢を重ねると、スタートダッシュがむずかしくなる。

 今回も、最初の3週間ほどは、体重計の針がピクリとも動かなかったので、

 「もうダメかあ」

 めんどくさくなったこともあったが、そこはハードルを低くして、おやつなんかも、管理しつつしっかり食べてたから、心が折れることはなかった。

 だって、カロリー制限すれば、「絶対に」痩せるんだから。

 ダイエットや筋トレのいいところは、やればだれでも成果が出ること。

 勉強とか、スポーツもね。だから、大人は子供に、これらをやらせたがるのだ。

 地味な結論だけど(人生で大事なことはいつもそうだから困りモノだ)、 大事なのは、コツコツ続けるモチベーションなのだなあ。

 で、1か月目くらいから、本当にちょっとずつ体重が落ち始めて、それでやる気も再燃し、静かに続けてたら、3か月で5キロ。

 周囲からも

 「やせたねえ」

 「顔が、ひきしまったんじゃない?」

 「怠惰に見えたけど、やるときはやるんだね」

 ダイエットの話題は、とにかく女子の大好物。

 「プチ・モテ期」の到来で、これも、なかなかに気持ちもいいもの。

 ポイントなのは、とにかく「カロリー管理」の範囲内なら、おやつやアルコールも、コーラとかも全然アリ。

 そのカロリー計算はあくまで「ざっくり」。食材にあるカロリー表を四捨五入して、

 「素うどん275なら、朝に飲んだ紅茶と足して300」

 みたいな程度でOK。「寝る前に食べたら太りやすい」とか、糖質がどうとか、こまかいこともカット。

 それより、カロリーさえそこそこ管理していれば、問題なく結果は出ます。

 怖いのはリバウンドだから、絶対に無理はしない。

 「1週間で3キロやせる」

 みたいなのは、体にも悪いし、ほぼ確実にリバウンドします。

 気長に、のんびり(これが待てないのだな)やりましょう。

 ウッカリ、食べ放題の焼肉など食べてしまったら、とりあえず次の日の昼くらいまで落ちこんでから、

 「なかったこと」

 にして、しれっと、また続ければよいのです。

 最悪、カロリー計算でやせなくても、

 「太るのを止められたのだから勝ち」

 くらいの志が大事。

 いや実際、まず

 「体重が増加する日常生活」

 これに待ったをかけるのは、それだけで大進歩。

 あとは、この過程で手に入れた、
  
 「あー、自分はこれだけ食べたら満足するんだ。これを押さえておけば(私の場合、揚げ物のお惣菜)すれば、体重は減るんだ」

 という経験値を生かせば、その体を「キープ」する基準もわかるため、リバウンド対策にも役立つというものです。
 

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3か月で5キロ減量! スイーツもスナック菓子もいただきながらの、ゆるゆるダイエット

2021年05月26日 | モテ活

 ダイエットに成功した。

 3か月ほどかけて、5キロほど落としたのだが、それほど無理はしてないし、健康的な減量ができて、まずは満足である。

 私は身長173センチで、体重は大人になってからは65キロから68キロくらいを推移していた。

 10代のころは50キロ台だったが、大人になってお酒を飲むようになったことと、なにより、

 「満腹感はストレス解消に効く」

 という、知ってはいけない事実を知ってしまったせいで、気がつけば、少しばかり、ふくらんでしまったのだ。

 まあ60キロ台は、まだいいとしても、70キロに手が届くと、さすがに周囲から、

 「顔がむくんでるよ」

 「お腹、出てるんじゃない?」

 指摘されるようになり、ベルトが苦しくなるのも、さりげないフラストレーション。

 なにより、ただでさえ暑がりの汗っかきなのに、体にアブラがのることで、それがさらに倍加するのが耐えられない。

 そこで、だいたい70キロの壁を基準として、少しばかり食事に気をつけるのだが、やることは単純で、

 「接種カロリーを減らして、消費カロリーを増やす」

 皆が知っているけど、知りたくない。

 それが、できりゃあ世話ねえよ。アンタなに言ってんの、バカじゃないの?

 結構な確率でに逆ギレを誘発する、でもこれしかないという、冷徹すぎる「冷たい方程式」なのだ。

 まあ、私の場合、ガマンは嫌いなので、そこはゆるく採っている。

 なんといっても、この数か月、お菓子や甘物はしっかりといただきながら、それでもなんとかなったのだから、そのハードルの低さは、おわかりいただけるだろう。

 ここに発動された「レインボー作戦」でやることといえば、

 「超ざっくりカロリー計算で、ちょっと朝昼軽めダイエット」

 成人男性の一日に必要な摂取カロリーは、だいたい2500キロカロリーだと言われている。

 なら、これよりも摂取カロリーを少なくすれば、徐々に痩せるわけで、ここまでは簡単な話だ。

 で、ネットなどにもある「カロリー計算」サイトみたいなところで調べると、

 身長173センチ

 体重73キロ

 という40代男子が、3か月で5キロ落とすとなると、1日に2000キロカロリーが推奨らしい。

 2000と言われると、意外と食べられるような気がする。

 ダイエットはだいたい

 「バランスよく食事を取りましょう」
 
 そうアドバイスされるから、軽く自炊でもすれば、結構満足いくものも食べられそうだ。

 和文和訳すれば「2000ポイント」分の買い物ができると、考えてもよさそうではないか。

 そこで具体的なカロリー計算に入る。

 まず、朝は近所のパン屋さんで売ってる、ロールパンが2個。

 包みの表記によると、だいたい1個150(以下、めんどうなのでキロカロリー表記は省略)なので、2個食べて300ポイント。

 ちょっと物足りなければ、チーズでもつけて400ポイント弱を消費。

 お昼は、素うどんやかけそばで、軽く済ませる。

 私の場合、家と職場の両方に、徒歩で行ける立ち食いうどんがあって便利。

 うどんで270。かけそばは意外と高くて、360くらいある。

 調べておどろいたのは、お揚げさんのカロリー。

 1枚で120くらいあって、つまり「きつねそば」は500くらい行ってしまう!

 昔、ダイエットに「きざみそば」をよく食べていたのだが、これだったら、「月見うどん」(420)のほうが、栄養面でのコスパがいい。

 これにはガックリで、最近はこういう

 「イメージより重い」

 ものが、すぐわかるようになったから、便利ではある。

 これで、朝昼合わせて、約700ポイント消費。

 実際は、インスタントのコーヒーとか飲むから、もう少し行くのかもしれないけど、そういうのは「ざっくり」なので、ノーカウントで良し。

 岡田斗司夫さんの「レコーディング・ダイエット」もそうだけど、カロリー計算は、

 「いちいちメモを取るのが大変」

 というハードルがあるので、そこを「ざっくり」でカバーするのだ。

 がぶ飲みバカ食いさえしなければ、コーヒー紅茶や、ガムにアメなんかは、

 「誤差の範囲内」

 でいいと思う。

 とにかく、ハードルを低くして、微妙なストレスを蓄積させないことが、この作戦のキモなのだ。
 
 で、メインの夜は、しっかり食べる。

 ここは1300ポイントも使えるのだから、なかなかなパラダイスである。

 大盛チキン南蛮弁当もいけるのだから、なんてステキな晩餐会ではないか。

 

 (続く→こちら

 

 

 

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失恋に効く薬……かどうかはわからないけど、とりあえず走ってみましょう

2017年02月08日 | モテ活

 「フラれてツラいっす。どうしたらいいッスか?」。

 焼き鳥屋で酔っ払い、そうさめざめと泣くのは後輩タマデ君であった。

 タマデ君には愛する女性がいた。その愛はとてもとても深いものだったが、彼女にとっては単に不快だったらしく、

 「ゴメンね。他をあたってみて」

 一言でもろくも崩壊したのだった。

 異性にフラれるのはつらい。

 私も経験あるが、これはこたえる。もう地球とか終われよ、くらいのことは軽く思う。 

 そんな悲しみのどん底にいるかわいい後輩に、それを癒すため、なにかアドバイスをあげられるのかと問うならば、解答はひとつしかない。

 とりあえず、走れ。

 「うおー!」でも「えりゃー!」でも「カラワジ・イキツ・キマト・ワヒオサ・ハノクキョウ・ミツオ・レシモオイ!」でもなんでもいいから、大声を上げて、夜の街を疾走しなさい。

 というと、そんなバカなことで失恋の傷がなぐさめられるのかといえば、これは一応、過去それなりに効果を出したことのあるメソッドなのだ。

 あれはまだ私が18歳のころ、友人ツカニシ君が恋をした。

 相手はバイト先の女の人。2歳年上で、小池栄子さんに似た美人であった。

 想いを抑えがたくなった友は彼女に告白を決意。

 とはいえ、なんせ男子高出身で、当時は女性への免疫などなかった彼のこと。そこは不安にさいなまれ、

 「シャロン君、悪いけど立会人になってくれへんか」。

 立会人。まるで剣豪の決斗か将棋の名人戦だが、ともかくも一人にしないでほしいと。

 で、ふたりで栄子さん(仮名)の最寄り駅で待ち伏せすることとなった。

 改札の見える喫茶店に陣取り、刑事の張りこみ並みの集中力で彼女の姿を探す。

 夜の9時ごろだったか、バイト終わりの栄子さんがあらわれた。

 「来た!」緊張と意気ごみから、真っ青な顔で立ち上がるツカニシ君。

 さすがに告白現場を見られるのは恥ずかしいから、先に帰ってくれというので、私はここでお役御免。

 家に帰り、こっちもホッとして晩飯など食っていると電話がかかってきた。

 結果報告である。

 戦前の予想では、

 「ちょっときびしいかもしれん」

 というのが本人の予想だったが、果たしてそれは当たってしまい、ツカニシ君は

 「ゴメン、他に好きな人がいるの」

 見事フラれてしまった。

 で、「あかんかったわ……」と義理堅く伝え、でもその悲しみのため、どうにも気持ちがおさまらない友は、

 「シャロン君、失恋ってツラいなあ。オレ、フラれるのがこんなに悲しいことやとは思わんかったわ……」。

 受話器越しに、すすり泣きをひびかせてくる。

 ふだんはバカ話ばかりしている友のそんな声を聴かされると、なにか言わざるを得ない。

 そこで出た言葉というのが、

 「とりあえず、走ってみたら?」。

 これには意表をつかれたのか、受話器の向こうから「え?」という声がしたが、しばしの沈黙後、

 「それ……効くかなあ」。

 効くかと言われれば、それはよくわからんけど。

 とりあえず、思いつくのはそれくらいしかないし、やるだけやってみたら?

 無責任なようだが、友にしたら、一応はまっとうなことを言おうとしているという熱意が伝わったのか、

 「わかった。やってみる!」

 そう宣言して、いったん電話を切ったのであった。

 30分後、再び電話がかかってきて、

 「シャロン君。とにかく駅から家まで全力疾走してみた。いや、これは思ったよりスッキリするわ。ええアドバイス、サンキューな」。

 息を切らしながら、さわやかに言うのであった。

 そっかー、思いつきで言ってみたわけだけど、案外と有効だったか。パンチは打ってみるものだ。

 それ以降、私はフラれたと落ちこむ人には、

 「とりあえず走れ!」

 と助言することにしている。

 で、これが思ったよりも効果的らしく、

 「いい意味で、頭真っ白になりました」

 「一瞬とはいえ、たしかに忘れられる」

 「とりあえず、走ってる間はつらくないッス」

 むろんそれだけで解決するわけではないが、応急処置としては、おおむね好評なようだ。

 ちなみに、ツカニシ君はその後研鑽にはげみ、見事周囲から「色魔」「詐欺師」「イタリア人」とのふたつ名を頂戴するプレイボーイとして名をはせることになる。

 あのフラれて、泣いて走った男がねえ。人生とは何がどう転ぶかわからないのであった。

 ともかく、愛が成就しないときはダッシュせよ。

 全力で走れ、孤独な狼たちよ。

 案外救われるらしいぞ。おまわりさんの職務質問には気をつけてね。




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「イケてない男子ほど、クラスで一番かわいい子を好きになるスパイラル」について その2

2016年10月11日 | モテ活

 前回(→こちら)の続き。



 「イケてない男子ほど、クラスで一番かわいい子を好きになる」



 それはモテない男子は女性と接する機会が少なく、どうしても「見た目」以外の要素を判断材料にできないから。

 そのため視野がせまくなってしまい、ただでさえ男性的魅力にハンディがあるのに、ますますモテから遠ざってしまう。

 そりゃ女性にかぎらず、人の魅力はビジュアル面が大きいのは事実だけど、それだけでもあるまい。

 実際、私は昔バイト先で出会った美人と食事をする機会があったとき、そのことを実感したもの。

 席について、こちらを見つめる彼女の、その朝の陽光のようなさわやかな笑顔にはハッキリと、



 「さあ、これからのランチの時間、あなたがわたしのことを全力で楽しませてくれるのよね?」



 そう書かれてあったからだ。

 え? ふつうにバイト仲間同士で、メシ食うだけちゃいますのん? なんでそこにマイルドな「主従関係」が?

 しかもそれが、イヤな女とかそういうことではなくて、ただただ自然というか、



 「そういうふうに育ってきた」



 ことがありありとオーラに出ていたからだ。カマシじゃないわけ。

 

 「みんなそうしてるのだから、当然あなたもそうするのでしょ。とっても楽しみ」と。



 こちらが「あはは……美人ってすげえな……」とあきれていると、彼女は自分からなにかを発することなく、やはりステキな笑みを浮かべながら、



 「さあ、はやくお始めになって」



 という表情で、こちらを見ている。

 これには、いかりや長さんのごとく「ダメだ、こりゃ!」となってしまった。

 それ以来どうも美人は苦手なのだが、そういったことも、リアルに女性とコンタクトしてみないと実感できまい。

 嗚呼、美人(なだけ)のお姉さん、なんて尻がわれるくらいにつまんねーんだ! と。

 このときはつくづく、

 

 「女って、見た目だけやないよな」

 

 学習しましたね。

 でも、こういった失敗(?)って大事。

 じゃないと、そのままではずーっと女性を「見た目」以外の基準で選べない

 中身を知らないし、知る機会もないから。ゆえに「高嶺の花」にしか目が行かなくなりがち。

 それは人間として自然なことではあるけど、反面自分には「不美人」のビジュアル以外の良さを理解する「知性」が足りないのかもしれない。

 そのことが、彼の選択肢を大きくせばめることになってしまう。

 一言で言ってしまえば、「余裕」があるかどうかということか。

 これは「モテるかどうか」にかぎらないが、こういうスパイラルが、こじれてどうしようもなくなると、サリン撒くとかコロンバイン高校乱射とかISテロとか、そういうことになっちゃう可能性もある。

 テロは怖ろしいけど、そのモチベーションはなにかと問われたら案外こんなもんなのは、町山智浩さんや大槻ケンヂさんも認めるところ。

 だから、この「負のスパイラル」問題は、われわれが思う以上に根深い面もある。

 泥沼にはまるとなかなか大変だが、ともかくも大事なのは

 

 「美人じゃなきゃダメ」

 

 という縛りは、それこそが結果的に「いい女」を遠ざけることにもなる。

 なので、男はもっとフトコロを広げて女性と接するべきなのだ。

 そう人生の先輩が、苦い教訓を説いてみると、なかなか彼女ができなくて悩んでいる後輩コハマ君は、



 「いや、それはわかってるんッス。そうなんスけど、でもやっぱりボクは橋本環奈みたいな子とつきあいたいんですよお!」



 嗚呼、こうして輪廻の輪は続くのであった。

 まあ、若いときに言われても、そうなっちゃうよねえ。

 そのあたりのことは、まあ私も同じとして、大いに共感できるのが困りものだ(←今まで語ってきたことの意味は?)。

 結局この問題、根本な解決策はどうもないらしい。

 ぶっちゃけていえば、このスパイラルを抜け出す一番の方法は、



 「一回、彼女を作ってみる」



 ことであって、ここをクリアできると「知性」と「余裕」が身につくから一瞬解決なんだけど、それって「なかなか勝てない運動部の悩み」に、



 「一回、試合に勝ってみたらいいんだよ」



 て言ってるようなもんだ。ツッコミどころだらけである。

 でも、これは本当の話だからしょうがない。

 「モテなくていろいろめんどくさいこと」になってる男子諸君。

 とにかくどんな形でも「一回戦突破」を果たしたら、急に景色が変わるのだ。これは、わりと本当のこと。


 
 「いや、だからそれ無理だって!」

 

 というのはもっともだけど、現になんとかその

 

 「とりあえずの1勝」

 

 ここから、ものすごく人生が変わった男子も、私はけっこう見てきたから。

 なにかこう、「突破口を開いた」って空気感があるんだ。肩の力が抜けるというか。

 え? じゃあその男は、なにが良くて「1勝」できたかって?

 えーと……それはやっぱり「」か。

 嗚呼、我ながらひどい結論だ(苦笑)。

 でも、実際そうだから、他に答えようがないのだ。

 というか、人の出会いとか成功とかって、運と言って悪ければ、その多くが「めぐりあわせ」だし。

 ある人にはあるけど、ない人にはなかなかない

 でも、いつかあるかもしれないから、そのときのために



 「こじらせた雰囲気はなるたけ出さない」

 「どんな相手でも、女性には全方向に(できれば男性にも)やさしくする」



 ということを意識しておくと、「運をつかまえやすく」はなるかもしれない。




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「イケてない男子ほど、クラスで一番かわいい子を好きになるスパイラル」について

2016年10月10日 | モテ活

 「イケてない男子ほど、クラスで一番かわいい子を好きになる」



 そんな法則が存在する。

 口下手だったり、ファッションセンスが欠けていたり、運動神経顔面のパーツの適切な配置に不自由していたり。

 などなど、いわゆる「非モテ」と呼ばれる男子ほど、なぜか「総選挙第1位」の女の子にねらいをさだめる。

 普通に考えれば、



 「身のほどを知らない」

 「そんなこと言うてるから、彼女ができへんのや」



 そう諭されて、おしまいの思想ではあるが、実はこれには理由がある。

 順を追って説明すると、まず当然の流れとして、



 「イケてない男子はイケていないがゆえに、彼女ができない」

 「それどころか、そもそも女の子と接するチャンスそのものが少ない」



 一方、モテる男子。

 イケメンとか、スポーツ万能でクラスの中心的人物のモテ男はもちろんのこと、そうではないけど、普通に彼女ができる子。

 見た目は並みだけど、女性にマメとか、しゃべりがうまいとか、性格がいいとか、聞き上手とか。

 そういうとかとか「わかりやすいモテ」でなくても、ざっくりいえば



 「人間性、その他」



 の部分がすぐれていて、特に恋愛の枯渇で困ったことのない男の子。

 こういう男の子は、ごくごく自然な流れで彼女ができるし、そうなると必然、経験値も増え「女を見る目」が養える。

 これがポイント。

 レコーディングダイエットでブレイクして、今では「モテ」についても積極的に語っておられる岡田斗司夫さんは、



 「面食いを自称する人は、《自分は異性を顔でしか判断できない知性のない人間》であると白状しているようなもの」

 とおっしゃってましたが、まさにモテ男もしくは「普通に彼女ができる」男子は女性を知ることによって、その「知性」を身につけることができる。

 平たく言えば、

 

 「女の価値は顔や乳だけじゃない

 

 という、しごく当たり前のこと。

 顔が良くても性格が合わなかったり、逆に見た目は並みでも、ものすごく話してて楽しかったりすることなんて、普通にありますよね。

 私自身、女性に対して、そりゃ顔がいいにこしたことはないけど、それ以上に経験則として、



 「美人は話していて退屈



 という偏見を持っている。

 これは自分がイケてないから、ねたんでいるとかではなく、実際にそう感じることが多いから。

 その理由はわりとはっきりしていて、美人でそこを「主戦場」にしている人は自分がなにをしなくても、周囲がほめたり、時には実力以上にちやほやすることため、そこに「努力義務」がない。

 だから必然、言うこともやることもサービス精神希薄だし、打たれて「泣き」が入っていないから、普通のことしか言えなくておもしろくもない。

 クラスのイケメンはなにを言っても女の子が笑ってくれるから、大人になってもずっとつまらないままのように、美人もなにもしなくても、



 「周囲が自分を楽しませてくれる」



 ということに慣れている。

 「美人は性格が悪い」という人は、このことに対して反感をおぼえるのだろうけど、私の感覚では「退屈」。

 学生のころ、バイト先でシフトに入る日は明らかに店の売り上げが上がる、というくらいの美人のお姉さんがいた。

 一度ふたりだけでお昼ご飯を食べる機会があったのだが、テーブルで向かい合ったとたんにニッコリとステキな笑顔を見せられたときには、思わず苦笑いが出たものだった。


 (続く→こちら




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非モテ男子のリア充体験時代と、人はなぜリア充にあこがれてしまうのか問題について その5

2016年08月30日 | モテ活
 前回(→こちら)の続き。

 色々あった末、「リア充、オレには合ってないわ」という、結論に達した学生時代の私。

 学生の飲み会、パーティーや各種出会いイベント、などなど一通り実地で体験してみて、これはもう強がりでも予防線でもなんでもなく、心の底から、

 「なんか……楽しくない……」

 と思い知らされたのだ。

 こんなんより、地下映画館に通うか、京都の納涼古本市でも行ってるほうが100倍楽しいよ。いやホント。

 こういった、これまた今でいう「イケてるつながり」を最小限にして「イケてない自由」を選択すると、

 「なんでそんな、地味な生活で満足してるの」

 「せっかく学生なのに、遊ばないともったいないよ」

 なんて真剣にアドバイスされたりもしたものだが、こちらは返事のしようもない。

 自分にとってリア充(ここではごく普通の明るい大学生活)というのは、

 「本当はたいして望んでいないこと」

 であって、

 「でも若者らしい焦燥感や損してる感に押されて『やらないといけないかも』という無言の圧

 からくるものであることが、よーくわかったからだ。

 また自分には、そこに乗っからないことによる損失や孤独感が気にならないという「能天気さ」を持ち合わせていることにも。

 だからもう、無理してやんなくていいや、と。

 「リア充」の基準なんて、人それぞれ。世間のイメージするそれなんて、いわば、

 「今の社会におけるマジョリティーな価値観の最大公約数的なもの」

 でしかないわけで、そこに当てはまらないからと言って、別に悲観することもない。

 その人の充実と、自分の充実は、きっと定義が全然違う。

 野球少年にとっては甲子園は聖地だが、他の人にとってはただのでかい球場に過ぎないように、自分が充実してるかどうかは、結局は「自分基準」でしか決められない。

 少なくとも私はそうだと思うわけだ。

 たぶんこの世界をざっくりわけると、

 1「世間的なリア充で十分満足な人」

 2「世間的なリア充に違和感があり、自分で取捨選択した価値観が優先する人」

 3「そのどちらか、自分でもまだわかってない人」


 の3種類が存在する。

 学生時代の私はうっすら2とわかっている3であり、1を体験し「違うな」と感じることによって、2の「正解」に自然にたどり着けた。まあ、健全な流れであるといえる。

 この問題で迷っていたり悩んでいたりする人は、

 「1なのに、その状況や実力に恵まれなかったり、あるいは若気の至りで2であることにあこがれたりしてブレている」

 「2なのに、『自分で選んだもの』が見つからなかったり、あるいは若気の至りで1であることにあこがれたりしてブレている」

 「単純に、まだ3の状態」

 このどれかということであろう。

 私は2番目でブレていた。

 友人ミタ君はどう見てもリア充系の人なのに、自分がいかに「変人」かを必死にアピールしていて不思議だったが、今思うと1で悩んでいたんだろうなとか、まあ多くの人は3だったりと、それぞれに惑っている。

 若いときというのは、そういうものかもしれない。
  
 辺境作家の高野秀行さんが海に遊びに行ったときに、


 「楽しいなあ。若いときは、こういうところでは《女の子を連れてこなくちゃいかん》とか《ナンパしないといかん》っていう義務感みたいなもんに追われていたけど、今はそんなのどうでもいいから気楽で、本当に楽しい」 


 とおっしゃったそうだが、その通り。ヤングというのは、

 「本当に望んでいるもの」

 と、若さと見栄とプライドゆえの

 「遅れを取ってはいけないとあせって、無理に自分に強いているもの」

 の区別がつきにくいのだ。それがわかったのは、本当に大きな収穫だった。

 こういった流れで、第1期リア充時代はここに幕を閉じたのであった。

 とりあえずは、これが私の中でも「リア充」問題の結論。悩めるヤング諸君は、上記のどれに自分が当てはまるかをじっくり考えてほしい。

 ただひとついえるのは、自分が「リア充」でも「そうでない」人でも、もしそこに「あこがれ」があるなら、仮にそれが妄想でも、一度は私のように体験してみたほうがいいかもしれない。

 一回やってみて、「あ、こんなもんか」という実感がないまま

 「オレはリア充なんかじゃないぜ」

 とか、逆に、

 「オレは普通に見えるけど、本当はちょっと変わってるんだぜ」 

 なんて気取っても、どうしてもそこには「すっぱいブドウ」的な強がりがいなめないからだ。

 え? だれがそんなこと思うのかって? 人はそんなに他人のことなんか興味がない?

 そう、これは誰が思うかはあまり関係ない。だれあろう、自分が思うから。

 人間、人のことはごまかせても、なによりも「自分自身」を納得させられないものなんです。

 だったら、一回「留学」して「本当にちがう」ことを証明しないといけないのだ。

 嗚呼、自意識って、なんてめんどくさい(苦笑)。

 「無理してる感」を払拭するためにも、一度は私のように「あがいて」みることも大事かもです。

 こうして「リア充は向いてないッス」と悟り、もうこの言葉とは関わることもなかろうかと充実した非リア充生活を満喫していたのだが、あにはからんや。

 人生とはわからないもので、数年後には再び「これはリア充というやつか」と言いたくなるような時代がやってくるのだ。

 そこでまたしてもブレたり、なんとか私を「あっちチーム」に入れようと親切心で行動してくれる人に罪悪感を感じたり、「リア充は合えへんのに」とボヤくと、「あんたの自慢話にはウンザリなんだよ!」とキレられ、友人の縁を切られたり。

 そんな困惑の時代を過ごすこととなるのだが、長くなるのでまた別の機会があれば語りたい。


 (番外編に続く→こちら



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非モテ男子のリア充体験時代と、人はなぜリア充にあこがれてしまうのか問題について その4

2016年08月29日 | モテ活
 前回(→こちら)の続き。

 「リア充爆発しろ」。

 この言葉をめぐって、ここ数回私とリア充生活との関係性について語っている。

 前回まで、私があこがれていた「遊んでいる大学生」の生活は、ちっとも肌に合わなかったという話をしていたが、これは本当にそうであった。

 もともとノリが悪い方ということもあるが、それよりもやはり相性であろう。

 前回も言ったように、自分は飲み会でパーッとさわぐよりは、キャンパスのはずれにある丘の上で、馬をながめながら読書したり昼寝したりするほうが幸せを感じる、根っからの昼行燈なのだ。

 その思いにとどめをさした事件がもうひとつあって、食堂で昼飯を食っているときだった。

 新築されたばかりカフェ型の学食で、鶏唐丼などいただきながら本を読んでいると、隣に学生数人がすわったのである。

 男女6人くらいだった彼らは見た目もさわやかで、今でいう「リア充」そのもの。

 会話の内容も「おいしいイタリアン」や「オシャレなクラブ」などが取り上げられ、我々の話題のように「怪獣」「カルト宗教」「ロシア文学」などといった単語は出てくることもない(当たり前だ)。

 「さわやかな子らやなあ。こういうのが世間でいう『ふつうの学生』なんやろうなあ」

 と、クレイグ・ライス『眠りをむさぼりすぎた男』などといったマニアックなミステリを読みふけっていたのだが、そのうち彼らの話題が夏休みの予定になった。

 どうやらカナダ旅行を計画しているらしい。ツアーのパンフレットをながめながら、どこを観光しようとか、スキーがしたいとかロッキー山脈が見たいとか乗馬ができるらしいとかオーロラもいいねとか。

 そんなさわやか度120の会話を聞きながら、そこでポンと結論のようなものが出た気がしたのだ。

 「あー、オレってどう間違っても『あっちチーム』やないなあと」。

 『あっちチーム』という表現は、他にボキャブラリーがなかったからだが、もちろん今でいう『リア充』のこと。

 これやないなあと。

 これはもう、しみじみ、つくづく、感じましたね。

 あー、オレはちゃうわと。

 馬術部の丘ではもっとフワッとした感覚だったが、ここで具体的な形になった。

 これ以降、自分がどういう人生歩むにしても、絶対彼らのようにはなれないんやろうなあと。
 
 なぜななら「こっちチーム」と「あっちチーム」は、ちがうチームだから。

 ほとんど同義語反復だけど、実感としてはこう。
 
 当時この話をすると、周囲からものすごく不思議がられた。

 家族や友人(男女ともに)から、

 「なんでそう思うわけ?」

 「別に、やれるじゃん。その人たちみたいに」

 そう首をかしげられる。

 いや、そうなんである。別にできるよ。私だってカナダに行くだけなら、バイトして旅費稼いで、友達誘って行けばいいのだ。それくらい、できるけどさ。実際、旅行好きだし。

 でも、きっと、そういう問題ではないのだ。

 もし彼らと同じように男女数人で誘い合わせて楽しくカナダ旅行をしても、彼らのようにさわやかな感じにはならないし、楽しくもないし、おそらくはそもそも望んでもいない

 そう、決定的に「価値観」がちがう。そのことをハッキリと理解したのだ。

 さらにいえば、そのことを特に悲しくもさみしくも感じていないということも。

 これは当時、何度説明しても理解してもらえなかったが、今なら

 「いやあ、リア充なノリが苦手で」

 と頭をかけば通じるかなとも思う。

 ともかくも、この「カナダ旅行事件」でひとつの結論に達したのだ。

 「私はリア充ではない」。

 「けど、それはそれで特に問題でもない。だって、やってみたけど楽しくないものなあ」
 
 「ただ、それを世間に説明するのは、ものすごく大変。なぜなら『正義』は向こうにあるから」

 でもって、ついにはめんどくさくなって、

 「ま、別にいいか」

 もう、遊びたいとか損してるかもとか、そういう邪念がすべて、どうでもよくなったのである。

 たぶん私のような「リア充にコンプレックスが少ない」イケてない男子は、たいていこの「つきものが落ちる瞬間」というのがあるのではあるまいか。

 それが私の場合はこの「条件だけなら楽しくないわけないのに、きっと行っても充実感がないだろうと確信できたカナダ旅行」事件だ。

 これは単なる妄想ではない。

 後年「第2次リア充時代」を向かえたときに、どう考えても気のいい、さわやかな友たちとつるんでいて、何度も六甲山のバーベキュー大会に出かけたものだった。

 女の子もいて、どこをどうひねっても楽しいしか考えられないそのイベントだったけど、どうにもしっくりこなかった。

 同じく、彼ら彼女らとの鍋パーティーも、須磨海岸での海水浴も、カラオケも、手作りギョーザパーティーやクリスマスや。

 そういった「絶対楽しいに決まっている」イベントも、違和感をずっと感じていた。

 友人の家で朝まで飲み明かして目を覚ますと、女の子たちが楽しそうにキッチンでなにか焼いていたことがあった。

 なにをやっているのかと寝ぼけ眼で見ていると、目の前に「はい」と焼きたてのホットケーキが出てきたときには、「これは現実の光景か」と目を疑ったもの。

 こんな世界があるんやなあ、と。まぶしすぎて、まともに目を開けていられません。

 同時に、「こんな素敵すぎる週末やのに、それでも《嗚呼、これよりどっかの喫茶店でだれかと江戸川乱歩の話でもしてるほうが、よっぽど楽しいなあ》」と感じてしまったのだから、きっとカナダも同じだったろう。

 いや、わかってるねん。そこはどこをどう転んでも、人間椅子よりホットケーキやろうと。

 でもなあ、やっぱりどこまでいっても、帰りの電車で「あ、もう帰れるわ」って、ホッとした記憶しかないんだよなあ。

 これはもう、因果としか言いようがない。

 というわけで、自分とリア充との距離感みたいなものがよくわかったことを収穫に、以前のような地味な文化系生活に舞い戻ることとなったのである。


 (続く→こちら







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