2004年フレンチ・オープン決勝 ギレルモ・コリア 対 ガストン・ガウディオ その2

2012年06月10日 | テニス
 前回(→こちら)の続き。
 
 2004年フレンチ・オープン決勝戦は、ギレルモ・コリアがガストン・ガウディオを圧倒するペースで進行していた。
 
 だれもがコリアの初優勝を信じて疑わなかったが、ゲームはここから少しずつ、軌道が狂いはじめる。
 
 簡単に2セットを取ったあとの第3セット、明らかにギレルモの動きがおかしくなっていたのだ。
 
 強烈だった重いボールが鳴りをひそめ、そのフットワークもいかにもぎこちない。
 
 勝利目前のこの場面で、いったいなにが起こったのか。
 
 ポイントとポイントの間に顔をしかめ、を押さえる仕草を見て合点がいった。
 
 ケイレンを起こしていたのだ。
 
 スポーツ選手に、ケガやケイレンは付き物である。
 
 1995年USオープン1回戦、対ペトル・コルダ戦の松岡修造選手のように、激烈なケイレンによって大きな試合を勝ちきれず、失意のまま散ってしまった選手は数多い。
 
 アクシデントを自覚した彼は、トレーナーを呼び、インターバルでは自分でもんでみたりもするが、一向によくなる気配はないようだ。
 
 優勝まで秒読みというところで、まさかのが待っていた。
 
 ここで不思議だったのが、なぜ彼がケイレンに襲われたのかということだ。
 
 その原因には様々な説があり、極度の疲労発汗による水分ビタミンなどの欠乏、精神的ストレスなどが主要なものとされているが、実際のところは「よくわからない」らしい。
 
 ギレルモの場合もそうだった。彼もクレーコーターの常で、体力には定評がある。歳もまだ若い
 
 水分や栄養補給もおこたったようには見えず、そのプレーぶりからメンタルに支障をきたしたとも思えなかった。
 
 それが、なぜケイレンを起こしてしまったのか。理由がわからない。いや、一番困惑したのはギレルモ本人であったろう。
 
 一体、オレはどんなヘマをやらかしたんだ? と。
 
 なぜかはよくわからないにしろ、実際に問題起こってしまったことは仕方がない。
 
 ギレルモはプレーのスピードを落とし、だましだましゲームを進めるが、それでなんとかなるほど、レッドクレーの戦いは甘くない。
 
 第3セットはガストンの逆襲をゆるし、4-6で奪い返される。
 
 ことここへ来て、まともにぶつかっては勝てないと、ギレルモも認めざるを得なかった。
 
 なんと彼は、第4セット1-6という一方的なスコアで捨ててしまう、という非常手段に出た。
 
 セットは失うが、その間に回復を待つ作戦。そうして、なりふりかまわず、最終セットにすべてを賭けることにしたのだ。
 
 その賭けは、捨て身の策としては、うまくいったようだ。
 
 ファイナルセットでは少し動きにキレが戻り、それまでのような一方的にたたかれるということはなくなった。
 
 それでも、第1、2セットのことを思えば、なぜこうなってしまったのかという展開だが、もはや、アアもコウもない。今できることを、やるしかない。
 
 ギレルモは痛みに耐え、懸命に歯を食いしばりながら、とうとうマッチポイントを手にする。
 
 あとひとつ、あと1ポイントさえ取れば優勝だ。そうなれば、すべての苦痛から解放される。
 
 だが、執念もここまでだった。あとひとつまでこぎ着けながら、最後の1ポイントがどうしても取れない。
 
 それは、ガストンがねばりを見せたというよりも、ギレルモが決めきれなかったのだ。最後の最後で、力が入らない、踏ん張りがきかない。
 
 このときの、痛苦に顔をゆがめながら球を追いかける彼の姿は、痛ましくて見ていられなかった。
 
 なぜ、こんなことになってしまったのか。
 
 ケイレンはだれにでも起きる。ケガで試合を落とすことなんて、プロスポーツの世界に身を置くなら、よくあることじゃないか。
 
 だけど、なぜそれがここなのか。
 
 世界最高峰の大会であるローラン・ギャロスで、しかもその決勝戦で、相手が完全に格下のガストン・ガウディオで。
 
 2セットアップまでいって、マッチポイントまで取って。
 
 どうして、そこで原因不明ケイレンなんかで、すべてをご破算にしなければならないのか。
 
 そこにあったのは、敗戦の悔しさよりもなによりも、「納得がいかない」という感情であったことだろう。
 
 その後もギレルモには何度もチャンピオンシップ・ポイントがおとずれ、そのたびに会場はわいたが、それらすべては落胆のため息で終わった。
 
 ついに力尽きた彼は、最終セット6-8でガストンの軍門に下った。
 
 マッチポイントを決めたガストンは、思いもしなかったまさかの栄冠によろこびを爆発させたが、彼にはもうしわけないが、敗者の心中を思うと、素直に拍手ができない空気が会場にただよっていた。
 
 それくらいに、目前の栄冠を逃したギレルモの表情は悲壮だった。もちろん、ガストンにはなんの罪もないのだが。
 
 この悔やんでも悔やみきれない敗戦の後、結局ギレルモはグランドスラムのタイトルを獲得することなく、そのキャリアを終えた。
 
 世界ランキング最高3位はすばらしいが、その才能を考えてみれば、満足いく結果とは言い難いのではなかろうか。
 
 まさに、痛恨の一戦といえる結末であったと言えるだろう。
 
 
 
 
 ■決勝戦の映像は【→こちら
 
 
 
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2004年全仏オープン決勝 ギレルモ・コリア 対 ガストン・ガウディオ

2012年06月09日 | テニス
 テニスの2004年フレンチ・オープン決勝戦ほど、観ていて痛々しさを感じさせられる戦いはなかった。
 
 スポーツにかぎらず、背負ったものが大きいほど、勝者の栄光よりも敗者の悲哀の方が胸を打つものだが、この年のローラン・ギャロス、ギレルモコリアガストンガウディオとの決戦がまさにそれだった。
 
 当時の男子テニスは、若い南米の選手が台頭しており、このふたりもアルゼンチンの選手。
 
 1977年ギレルモ・ビラス以来のアルゼンチン人チャンピオン誕生が確実ということで、テニス界も「新時代到来か」と、大いに盛り上がりを見せていたものだった。
 
 この決勝戦、戦前の予想では、コリアが圧倒的に有利といわれていた。
 
 ジュニア時代からその評価は高く、フレンチ・オープンではジュニアの大会に優勝
 
 また昨年度もベスト4に進出する活躍を見せているという、いわばバリバリのエリートタイプ。
 
 前年度優勝のフアン・カルロス・フェレーロや、同じアルゼンチンの同僚ダビド・ナルバンディアンなどと並ぶ、間違いなく将来のナンバーワン候補のひとりでもあった。
 
 一方のガウディオは、ノーシードから勝ち上がってきた選手。
 
 その実力自体は評価されており、この大会でもレイトン・ヒューイットや盟友ナルバンディアンを破るなど見事な勝ち上がりを見せたが、次期スター候補のコリアとくらべると、ややの面では見劣りする存在で、この大躍進も周囲の評価としては
 
 「ノーマークだったけど、準優勝なんて、たいしたもんじゃないか」
 
 戦う前から、すでにしてそういうあつかいであったが、それもしょうがないところはあった。
 
 実際、試合もそのように進んだ。経験と実績で勝るギレルモがのびのびとプレーし、完全にゲームを支配
 
 6-0・6-3と、あっという間に2セットアップしてしまう。
 
 スコア的にも内容的にも圧倒しており、ほとんどギレルモの優勝で決まり。
 
 準備は整って、「あとはソースをかけるだけ」といった状態。
 
 あと数十分で、なにごともなく試合は終わると、観客もギレルモ自身もだれも疑わなかった。
 
 おそらくは、対戦しているガストンでさえも。
 
 ところが、圧倒的優勢のはずのギレルモが、突然おかしくなる。
 
 あれだけ軽やかだったフットワークがなりをひそめ、重くはずむショットに勢いがなくなる。
 
 完勝ペースが一転、ここから試合はおかしな方向に転がりはじめ、ついには大きな悲劇を生むことになるとは、いったいだれが予想しえたであろうか。
 
 
 
 
 
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