デイヴィッド・ウィナー『オレンジの呪縛』 オランダサッカーとPKの問題 その2

2015年03月31日 | スポーツ

 前回(→こちら)に続いて、デイヴィッド・ウィナー『オレンジの呪縛』を読む。



 「オランダはPKを鍛えなあかんのや!」



 愛するオランダ代表が「美しく負けること」に心底ウンザリしているユーリフェルゴウ氏は、PK軽視の傾向があるオラが村のチームに、強くそう主張する。

 だが、ここに大きな齟齬が生じることとなる。

 そう、英雄ヨハンクライフの存在だ。

 オランダ人は基本的にPKを不名誉なことだとみないしているし、そもそも興味もないことは前回も言った。

 おまけに自分たちはテクニックがあるから、いつでも決められると、特に根拠もなく思いこんでいる。

 そのことが、オランダの大舞台での成功をはばんでいることは間違いない。

 そこに輪をかけるのがクライフ師匠である。

 このスーパーヒーローはチームメイトにいいキッカーがいたため、PKを蹴ったことがなかった

 さらには、現役時代は幸運なことにPK戦の経験がなかった。

 ゆえに、PKに対してむちゃくちゃにぞんざいなあつかいだったというのだ。

 PK戦について、



 「あんなものはくじ引きみたいなものだ」


 というのは、選手のみならずファンからもよく聞く言葉だが、これはクライフセリフであるらしい。

 だかPK野郎のフェルゴウ氏はおさまらない。

 

 「それは間違っていた」

 

 と言い切る気っぷのよさ。

 天下のクライフ師匠にまさかのダメ出し

 これは日本でいえば、長嶋茂雄にケンカを売るようなもんである。彼はタブーに挑戦したのだ。

 フェルゴウ氏のPK論は、あくまで素人目ではあるが、理にかなっているように思える。

 相手のクセはもちろんのこと、角度から助走の距離まで徹底分析。

 心理的負担の軽減方から、メンバーの選び方まで(たとえば彼は、フランクブールを「蹴ってはいけない」リストに入れていた。ユーロ2000で彼はPKを3本打って1本しか入らず、オランダは準決勝のPK戦で敗れたが、それすらも彼は予言していたのだ)多岐にわたり、筋も通っている。

 少なくとも「くじ引きだ」と決めつけてロクに練習もしないよりは、やってみる価値はあるように思える。

 だがやはり、フェルゴウ氏の嘆きは選手にも監督にも、ファンにすら届かない。

 そこにはクライフ師匠の

 「しょせん、くじ引きなんや」

 という思想が蔓延してしまっている。いくらドン・キホーテが


 「クライフはPKやPK戦のことをまったく理解していない。だからこのことについて、彼の意見に耳を傾けるのはやめよう!」


 そう力説しても、この本にあるオチのように、アマチュアでプレーするカフェのウェイターにすら、



 「でもやっぱり、PKなんて練習してもムダなんでしょ?」



 と返され、スココココーン! とズッコケることになる。

 なんだかもう、笑っていいのか泣いていいのか。

 本書の結論としては、オランダがワールドカップやユーロで勝つには

 「美しいサッカー

 にこだわるか、それとも結果を求めて捨て去るか、そのジレンマがオレンジ軍団を苦しめているという。

 そこにはやはり、クライフをめぐる「神学論争」がある。

 いくら現場の人間が

 

 「もう、ぶっちゃけ3-4-3は時代遅れやねん」

 

 とさけぼうとも、クライフ師匠が



 「ワシは認めん!」


 といってしまえば、すべてはご破算。

 どんなにサッカーの風景が変わろうが、選手が変遷しようが、結局は振り出しに戻って、



 「美しかったけど、おしかったね」



 で大会を終えてしまう。じゃあ、どないせえというのか。

 結局のところ、オランダ代表の問題はこの「クライフ越え」ができないこと。

 そしてそれには、あの「トータルフットボール」で勝てなかった、74年ワールドカップ決勝戦がある。

 あれにもし順当に勝利していれば、おそらくはオランダも、ここまで美しさにこだわることもなかったろう。

 まこと、民族的トラウマというのは業が深い。

 しかも、その「クライフの呪縛」がPKにまでおよんで勝てないとなれば、いよいよである。

 根が深すぎるぞ、オランダのサッカー。

 ブラジル大会でも、コスタリカ戦で殻を破ったと思ったら、やっぱりお約束のように、アルゼンチンにPK戦で負けたし。

 準決勝PK戦負け

 嗚呼、なんてオランダらしいんや……。

 ややこしいのは、話が戦術の善し悪しではなく、もはや



 「クライフが今でも好きかどうか」



 といった、ほとんどイデオロギーの問題であり、合理よりも感情が優先していることであろう。

 私などアバウトで無責任だから、

 「勝てないなら、システム変えればあ?」

 とか、むちゃ適当に言いたくなるけど、そうもいかないようである。

 こうして読んでいくと、オランダの世界制覇への道はますます険しそうに見える。

 クライフに殉じて敗れ去るか、彼を捨てて、ののしられながらも勝ちにいくか。

 もはや、オランダ人自身すら、どっちが正しいのかわからなくなっていることだろう。

 結論が出ないなら、もういっそPK戦で決めてみればどうであろうか。



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デイヴィッド・ウィナー『オレンジの呪縛』 オランダサッカーとPKの問題

2015年03月28日 | スポーツ

 デイヴィッド・ウィナー『オレンジの呪縛』を読む。

 ヨーロッパでジャーナリストをしている著者が、本書の副題である

 

 「オランダ代表はなぜ勝てないのか?」

 

 をテーマに、オランダサッカーの歴史をひもといていく。

 オランダの攻撃的なサッカーの背景には様々な要因があると、歴史から国土の地形第二次大戦トラウマから、果ては建築技術まで持ちだして、多角的な視点から解説。

 中でもやはり、「トータルフットボール」と74年ワールドカップの決勝戦が、どれだけかオランダサッカー界に奇跡を起こし、また今ではタイトル通り「呪縛」となっているかは、今のオランダ代表を語る上では必読であろう。

 などと、読みどころたっぷりの本書であるが、やはり全編をつらぬくのは、この想いであり、



 「なんで、オランダはあれだけのサッカーができるのに、ワールドカップで勝てないんだ?」



 これには、ファンにも2種類の意見があり、



 「勝てなくてもいいんだよ。オランダは美しく戦うべきだ。それをつらぬいて負けるなら、むしろ誇りじゃないか」



 というものと、



 「だーかーらー、そうやってまた今年もダメだったじゃん!  いいかんげん、現実見ろよ。 醜くても、結果出した方がえらいのが勝負の世界なの!  オレはもう、《美しく負けること》にはウンザリなの!」



 そんな中、後者の代表として発言している経営コンサルタント、ユーリフェルゴウ氏の意見はなかなかに興味深い。

 「死ぬまでに一度でもいいから」オランダがW杯で優勝するところが見たいというフェルゴウ氏いわく、オランダの弱点は



 「PKの軽視」



 そういわれてみると、オランダといえばよくPKで負けているイメージがある。

 本書によると、1979年に行われたFIFA創設75周年記念大会(コパ・デ・オロ)、ユーロ929698年ワールドカップユーロ2000と、主要な国際大会で、5回PK戦をやって、そのすべてに負けているのだ(当時)。

 特に98年のオランダは、美しさ強さが絶妙にブレンドされたすばらしいチームであり、私も見ていて

 「これで優勝できなきゃウソだよ」

 と感じたものだが、現実はきびしかった。

 これに対してフェルゴウ氏は、



 「PKは決める能力も、阻止する能力も、やりかたによっては上達できるんだってば!」
 


 の叫びでもってその具体的な練習方法や、往年の名プレーヤーであるロブレンセンブリンクなどPKを得意とする選手へのインタビューを紹介。

 果ては心理学経営学の視点からも、ウェブなどで熱く語る。

 あまつさえ、それらをまとめて

 『ペナルティーキック 究極のPKの追求

 というまで自ら出版。

 なんと、それを25冊フランクライカールト監督(当時)に送りつけたというのだから、その情熱は筋金入りである。

 もっとも、本人曰く

 

 「たぶん誰も読んでないだろうけど」

 

 とのことらしいが。アハハハハ、さみしい!

 さらにいえば、縁あってテレビに出演し、そこでPK論を語ったときには、


 「スタジオ内が静まり返ったんだ。誰もが『そんな話は初めて聞いた』という顔をしていたから、何だか変な気分になったよ」


 ダッハッハ! かなしい! オランダ人みんな、PKのことなんてぜんぜん興味ないだなあ。

 そんな愛すべき熱血PK野郎であるフェルゴウ氏が、なぜにてこんなにもむくわれないのか問うならば、そこにまた、「あの男」がからんでくるのである。

 あの男とは、もちろんのこと「あの英雄」のことであるが、彼とPKがどのように因縁なのかといえば、それについては次回(→こちら)に。




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げに深きはマニアの世界 スイッチマニア編

2015年03月24日 | オタク・サブカル

 世の中には「スイッチマニア」という人がいる。

 前回(→こちら)は不発弾を愛する「不発弾マニア」について語ったが、今回はスイッチのマニア。

 聞き慣れない言葉であり、意味もにわかにはわかりづらいが、文字通り

 

 「機械のスイッチを大いに愛する人」



 後輩ミハラ君がそれであり、まず彼は大のパソコンマニアである。

 私は完全無欠のメカ音痴なので、機械に強い彼は非常に頼りになる存在で、何年か前パソコンを買いに出かけた際、つきそってもらったことがあった。

 事件は大阪オタク街である日本橋の、ある裏通りにあった小さなお店で起こった。

 ゴチャゴチャした魔窟のような店内をうろついていると、友の姿が見えなくなったのだ。

 おいおい、今日の主役がどこいったんやと探してみると、彼はウットリした目で、



 「これ、いいっすねえ」



 などといいながら、パソコンの機体を手で触れていたのだ。

 そんな勝手にさわって店員さんに怒られないかと心配したが、どうもそれは本体ではなく、自作PCなんかを組み立てる人用のアイテムのよう。中身が空っぽの「」だけなのであった。

 ミハラ君はその「側」の電源ボタンをポチッと押すと、



 「いいなあ、この押し具合いいなあ。スグレモノですよ」

 

 恍惚の声を上げている。

 電源スイッチの押し心地。そんなものが評価の対象になるのか。

 メカ音痴の私には、ややピンと来ないが、なにやら深そうな話ではないか。

 それからもミハラ君は他のパソコンの電源ボタンをあれこれ押しながら、

 「これはイマイチやなあ」

 「うむ、これはいいスイッチだ」


 押し心地を楽しんでいた。その様は、どこか官能的ですらある。

 そうやって色々な感触を味わい、時折その具合をメモなど取る姿は、さながらグルメブログをやっている食通のよう。

 スープのコクがとかダシの香りがの代わりに、スイッチの具合。

 なるほど、世の中にはこんな人生の楽しみ方があるのか。

 ミハラ君の場合は基本的にコンピュータ全般を愛しているわけだが、中でも性能や値段などに加えスイッチの押し心地というものが評価の対象になるとは、素人の私には蒙が啓かれる思いであった。

 しかしまあ、そんなスイッチにこだわるなんて、さすがにミハラ君ぐらいだろうと思っていたら、とんでもなかった。他にもいたのである。

 それは「レコーディングダイエット」や、今ならジェームス三木春の歩み」並みの愛人格付けリストで話題の岡田斗司夫さん。

 岡田さんはそのコラムの中で、「スイッチにもいろいろある」としたうえで、

 


 「押したら光るスイッチ」

 「非常用の透明プラスチックカバーを跳ね上げて、押し込むようにして使うスイッチ」

 「デジタル制御で動きが増幅されるため前後左右にしか動かない高性能戦闘機操縦レバー

 「ラジコン送信機についているプロポーショナルスティックのアナログレバーのゼロ位置を修正するトルク補正ダイヤル

 「東宝映画『惑星大戦争』で、押すと上にあるランプ群がデコトラのウィンカーのようにピカピカ光ってくれるレーザー光線発射ボタン





 などなど抜粋していて、その美しさを語っていた。


 「プロポーショナルスティックのアナログレバーのゼロ位置を修正するトルク補正ダイヤル」


 とか、ほとんど何語かもわからないシロモノだが、岡田さんは熱く燃えたぎる「スイッチ愛」をこれでもかとたたきつけ、

 


 「……ああ、止まらないよぅ」



 そのにもだえていた。

 そんなにいいのか、



 「プロポーショナルスティックのアナログレバーのゼロ位置を修正するトルク補正ダイヤル」



 ……て、やっぱりわけわからんな。ほとんど、早口言葉だ。

 わけがわからないような、それでいて男の子ならなんとなくわかるような。

 どっちにしても、げに深きはスイッチの世界なのであった。



 

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げに深きはマニアの世界 不発弾マニア編

2015年03月20日 | オタク・サブカル

 世に「不発弾マニア」という人がいるという。

 前回(→こちら)はパイプを愛する「パイプマニア」について語ったが、今回は不発弾。

 文字通り不発弾のマニアである。

 文字通りといわれても困るだろうが、たしか関西ローカルラジオ番組『サイキック青年団』で聴いた記憶がある。

 資産家だったこのマニアは、どういうルートかは知らないが、あらゆるところから不発弾を集めてきて、コレクションしていたそうである。

 でもって地下室で、その不発弾を元自衛隊爆発物処理班にいた人に信管撤去作業させ、それをバスローブ姿で見ながらブランデーを飲むというのが趣味であったというのだ。

 地下室、爆弾、軍人、バスローブ、ブランデー。

 最後ふたつは明らかに「盛ってる」と思うけど、それを抜きにしても因果な世界である。

 地下室のイメージといえば、パノラマ島が広がっているか、殺しアリの地下プロレスが開催されているというのが相場だと思うが(どこの相場だ)、不発弾解体ショーという選択肢もあったか。

 この不発弾マニアのおっちゃんが、何を楽しんでいたのかはよくわからない。

 純粋な不発弾好き(というのもよくわからんが)だったのか、一歩間違えれば死というスリルがよかったのか、それとも


 「決死の覚悟で爆破を阻止しようと懸命な元自衛官萌え



 といったさらに二重三重にマニアックなものだったのか、もしくはその全部だったのかもしれない。

 案の定というか、この不発弾マニアの人は元自衛隊員が処理をミスして爆発させてしまい、それが元にコレクションが次々誘爆して爆死したそうな。

 ジャボチンスキー将軍もかくやの壮絶な死に様であったことだろうが、この人にとって、これほど「本望」という死に方もないことであろう。

 まあ、近所の人はえらい迷惑でしたでしょうけど。

 まったくもって色々な人がいるもので、げに深きは不発弾マニアの世界なのである。



 (次回スイッチマニア編に続く【→こちら】)


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げに深きはマニアの世界 パイプマニア編

2015年03月16日 | オタク・サブカル

 世に「パイプマニア」という人がいるという。

 ミステリファンの私としては、すかさずシャーロックホームズのことが思い浮かぶが、同じことを考えたのがミュージシャンで作家の大槻ケンヂさん。

 オーケンのエッセイによると、この世にはパイプ煙草を愛するパイプマニアという人がおり、「ぱいぷ」という専門誌もあるという。

 パイプの専門誌。マニアックすぎるチョイスだが、パイプというのはかなりメジャーな趣味だそうで、「日本パイプクラブ連盟」といったものも存在する。

 その「ぱいぷ」誌の第55号の目次は、

 


 『猫も杓子もパイプ』のブームが去ったら、私たちはブームの消長に左右されることもなく、パイプの煙を楽しんでいる。

 これからも大いに煙の輪を広げようではないか。





 オーケンも指摘していたが、私もそんなブームはまったく知らなかった

 どこでブームだったんだ。いやそもそもパイプを吸っている人というのを見たことがない

 私にとってパイプといえば、科学特捜隊ムラマツキャップキッチンブルドッグ北村チーフである。

 パイプの世界は奥が深いそうである。なんでも毎年、全国からパイプ好きが集まって大会が行われる。

 そのルールというのが、



 「どれだけ長い間火を消さず、パイプを吸っていられるか」



 どんな競技やねんという気もするが、そのレポートによると


 「残る三名で熾烈な戦いとなったが、大ベテラン林香選手(東海)が121分17秒、香山雅美選手(岡山)がよくねばったが、126分35秒で万策尽き、予想通り木内成一選手(徳島)が二氏を振り切り138分16秒で優勝、初の三連覇を成し遂げた」





 これだけ読めば、長距離走か水泳の遠泳のようであるがパイプである。

 これにはオーケンも、

 


 「『大ベテラン』『熾烈な戦い』『よくねばったが』『万策尽き』『二氏を振り切り』『三連覇』と文字だけ読めば、トライアスロン鉄人レースのごとき戦いだがパイプなんである」




 クールにつっこみを入れている。

 おそらく、このパイプ合戦にもチェス将棋のように「定跡」や「かけひき」や「心理戦」のようなものが存在するのであろう。

 マニアックな趣味の持ち主と話をするのは楽しいというか、それ自体がマニアックな私の趣味である。

 ホームズファンの私としては、ぜひともパイプマニアの人とシャーロックについて語りたいのであるが、煙草を吸わないのでパイプのおもしろさと奥深さは、たぶん理解できないだろうことで、それが残念ではある。

 




 (続く【→こちら】)

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3月9日生まれの有名人 その2 加藤桃子女流王座とボビー・フィッシャー

2015年03月09日 | 将棋・雑談

 本日3月9日は私の誕生日である。
 
 この日に関しては、

 「アメリゴ・ベスプッチと同じ日に生まれた人」

 としてイジられることの多い私であるが、前回(→こちら)はこれに対して、

 「いやいや、ハリー・ホップマンも3月9日生まれでっせ」

 と反撃を開始したものだ。

 テニスファンの私からすると、殿堂入りも果たしているプレーヤーと同じ日に生まれたというのはたいそう光栄であり、それはもうガンガンに自慢しまくっては、

 「で、そのホップマンって誰?」

 との反応をいただいている。まあ、そらテニスせん人は知りませんわな。

 そこでもうちょっとメジャーな人はいないかと再び検索してみると、こんな名前も出てきた。

 加藤桃子初段。

 この人もまた、3月9日生まれであるそうだ。

 加藤桃子さん。囲碁と違って、いまだ女性プロ棋士が存在しない将棋の世界で、プロになることを目指して奨励会で修行してる女の子。

 段位は初段(将棋は四段からプロ)。奨励会以外でも、女流プロの棋戦でも活躍し、現在「女王」「女流王座」の二つのタイトルを獲得している。愛称は「カトモモ」。

 これだよ、こういうのを待っていたんだ。

 私は将棋ファンであるし加藤初段といえば、丸顔がかわいらしい人気者。

 このままプロになれれば、これはもう将棋界のみならず、社会的にも大きな話題となることは必然で、そのときには、

 「まあな、あの子とワシは誕生日が同じなんや。いうたら、カトモモはオレが育てたようなもんやな」

 なんて自慢バリバリである。

 ステキな「同志」を見つけた私は大いに気をよくし、さらなる検索をすすめると、将棋つながりではこんな名前もあった。

 ボビー・フィッシャー。

 この人もまた、3月9日生まれであるそうだ。

 ボビーといえば映画『ボビー・フィッシャーを探して』でご存じの方も多かろう、アメリカのチェスチャンピオン。

 冷戦時代、チェスの世界で勝利をほしいままにしていたソビエト連邦のチャンピオン相手に次々と勝利を収め、「アメリカのヒーロー」として讃えられた大天才だ。

 あの羽生善治も激リスペクトする「チェス界のモーツァルト」と誕生日が同じだとは、まったく光栄の至りである。

 もっとも、ボビーはその圧倒的な才能と同時に、数々の奇行の方でも知られ、私はどちらかといえばチェスよりもそっちのほうで共通点が多いかもしれない。

 そんなボビーの活躍は、フランク・ブレイディー『完全なるチェス 天才ボビー・フィッシャーの生涯』で読めます。

 世界のヒーローになったと思ったら突然失踪したり、ユダヤの陰謀論をバリバリに信じてたり、日本の入国審査で引っかかってもめることとなり、羽生さんが時の首相に手紙を出してニュースになったりとか。

 いや、ホンマに変な人ですわ。

 あと、もうひとりすごい3月9日生まれの人を見つけてしまった。

 その名はフアン・セバスティアン・ベロン。

 アルゼンチンのサッカー選手で、98年フランスW杯において日本代表と戦ったことでも知られている。

 そんな彼が「すごい」のは今さらだが、なににそんなことさら「すごい」のかと問うならば、それはもう生まれた年のこと。

 なんとベロンったら、誕生日だけじゃなくて、生まれた年まで私と同じなのだ。

 つまり単なる同期生じゃなくて、正真正銘同じ日の、ほぼ同じ瞬間にこの世に誕生したことになるのだ。これを因縁といわずして、だれを因縁というのか。

 いやあ、最後にビッグネームが出てきてくれて、うれしいものである。

 まあ、だからなんだという話だが、私的にはなかなか楽しい「同志」検索であった。


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3月9日生まれの有名人 ハリー・ホップマン編

2015年03月07日 | テニス
 3月9日は私の誕生日である。

 そんなめでたいマイバースデイとなれど、子供のころはともかく、長じてからは周囲から祝われると言うよりも、

 「アメリゴ・ベスプッチと同じ日に生まれた人」

 としてあつかわれることの多い私である。

 アメリカ大陸を探検したアメリゴは偉人だが、どうも「ベスプッチ」という響きがマヌケらしく、その流れでなぜか「私までマヌケ」というあつかいになるらしい。
 
 これに対しては毎年、

 「こらこら、誰がちょっと変わった名前の、シュテファン・ツヴァイクも伝記を書いたことある偉大な探検家と同じ誕生日の人や!」

 などと、まわりくどいつっこみを入れるのも、そろそろ飽きたのである。

 そこで今年は、そんな子供じみたイジりに反撃すべく、他にも3月9日生まれの人がいないか調べてみることにした。

 こういうときインターネットというのは便利である。「3月9日生まれの有名人」で検索してみると、あれこれと出てきたのである。

 たとえば、ハリー・ホップマン。

 戦前に活躍したオーストラリアのテニス選手で、地元オーストラリア選手権(今のオーストラリアン・オープン)3年連続準優勝という記録を持つ。

 国際テニス殿堂入りも果たしており、今のファンなら男女混合国別対抗戦という、個人戦のテニスではめずらしい大会「ホップマン・カップ」の名でおなじみであろう。

 ちなみに1932年の全豪選手権でベスト4に進出し、彼と決勝への切符をかけて戦ったのがなにを隠そう、日本の佐藤次郎選手。

 現在、錦織圭が世界で大暴れしているが、その大先輩である佐藤とも一戦まじえたこともあるというのは因縁である。

 佐藤の生涯については、深田祐介さんの『さらば麗しきウィンブルドン』にくわしいが、そんな日本テニス史とも縁の深いホップマン、この人が3月9日生まれ。

 うーむ、探せばいるものである。私はテニスファンなので、こういう名前が出てくるとうれしいものだ。

 ホップマンカップは非公式戦であるせいか、優勝チームがけっこう渋い面子であることが特徴。

 ずらっと並べてみても、

 
 ★2009年大会 優勝スロバキア

 ドミニク・フルバティ&ドミニカ・チブルコバ 


 ★2010年大会 優勝スペイン

 トミー・ロブレド&マリア・ホセ・マルティネス・サンチェス


 ★2011年大会 優勝アメリカ

 ジョン・イスナー&ベサニー・マテック=サンズ


  ★2012年大会 優勝チェコ

 トマーシュ・ベルディハ&ペトラ・クビトバ

 
  ★2013年大会 優勝スペイン

 フェルナンド・ベルダスコ&アナベル・メディナ・ガリゲス


 ★2014年大会 優勝フランス

 ジョー=ウィルフリード・ツォンガ&アリーゼ・コルネ



 バリバリのトップの名前こそ少ないが、通から見ると「なかなかいいチョイスじゃないか」とニヤリとしたくなる選手が勝っている。

 これからは「よう、ベスプッチと同じ誕生日の人」とか、「よう、リストラばっかりしてる人と同じ誕生日の人(カルロス・ゴーンも3月9日生まれらしい)」などとイジられても、そこは堂々とカウンターパンチで、

 「いやいや、これからはハリー・ホップマンと同じ誕生日の人と呼びたまえ」

 こう言い返すことにしよう。

 もっとも、テニスファン以外でホップマンの名前を知っている人がいる可能性は低いうえに、もし知っている人がいたら今度は、

 
「よう、優勝者に地味な実力者が多い大会の大会名になってて、なおかつ錦織圭の大先輩と名勝負を繰り広げた人と同じ誕生日の人」

 などと、まわりくどく、かつマニアックにイジられてしまうかもしれないが。


 (続く→こちら)


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