「激辛流」降臨 丸山忠久vs森内俊之 1999年 全日本プロトーナメント決勝

2021年06月29日 | 将棋・好手 妙手

 丸山忠久九段の将棋を、たくさん見た6月の後半だった。

 まず12日にJT杯日本シリーズ広瀬章人八段戦。

 20日はNHK杯本田奎五段戦。

 22日の叡王戦の準決勝で藤井聡太王位棋聖戦とイキのいい若手が続く。

 仕上げに、26日のアべマトーナメントのチーム「早稲田」。

 なかなかのハイペースで、マルちゃんファンにはたまらない季節だったろう。

 マルちゃんと言えば、そのイメージは「大食漢」と筋トレ

 それに、あの「ニコニコ流」と呼ばれた笑顔に加えて、やはりはずせないのが、

 

 「激辛流」

 「友達をなくす手」

 

 と恐れられた、手堅い勝ち方。

 マルちゃんがまだ若手だったころ、たしか島朗九段が言っていたように記憶するが、

 

 丸山忠久

 森内俊之

 藤井猛

 

 の3人を「激辛三兄弟」と評していて、まあ「鋼鉄の受け」森内はわかるとしても、藤井にそんなイメージはないなあ。

 とか、いつの間にかいわれなくなったけど、丸山が「激辛」なのは、これはもうたしかという、血も涙もない勝ち方を披露していたものだった。

 もちろんこれは、勝ち目のなくなった相手を、いたぶって遊んでいるわけではなく、有利になった局面をまとめる、クレバーな勝ち方のひとつ。

 将棋というゲームは王様を詰ませれば勝ちだが、局面によっては一気に攻めかかるよりも、「辛い手」を出した方が、結果的に早く勝てるというケースが結構ある。

 相手に有効手がない局面で、手を渡したり、じっと自陣に手を入れたり。

 また、遠巻きながら、敵の攻め駒を責めたりすると、さらに差が広がるだけでなく、闘志をなえさせる効果もあるのだ。

 

 「逆転とかしないから。もう、投げなさいよ」

 

 前回は「米長哲学」という言葉を生んだ、大野源一米長邦雄の大熱戦を紹介したが(→こちら)、今回は丸山忠久の辛い将棋を見ていただきたい。

 

 1999年全日本プロトーナメント(今の朝日杯)。

 決勝5番勝負の第1局森内俊之八段と、丸山忠久八段の一戦。

 後手の森内が急戦向かい飛車を選ぶと、丸山はすかさず穴熊にもぐる。

 振り飛車が果敢にしかけ、飛車交換後に双方、自陣飛車を打ちあうねじりあいに突入。

 むかえたこの局面。

 

 ここではすでに、丸山勝ちが決定的である。

 というと、

 

 「え? そうなの? そりゃ大駒は先手の方が使えそうだし、玉の固さも差があるけど、振り飛車も桂得だし美濃も手つかずで、まだ全然やれるんじゃね?」

 

 私のみならず、結構多くの人が、そう感じるのではあるまいか。

 実際、アマレベルだとここから指し次いで、先手が確実に勝てるという保証はない気がする。

 ましてや、ここからわずか7手で投了に追いこむなど。

 しかしこれは、見た目や数字以上に、先手が勝ちなのである。少なくとも、森内はそう判断していた。

 丸山の次の手が、森内のを打ち砕いたからだ。

 

 

 

 

 ▲78金寄が、丸山忠久の真骨頂ともいえる手。

 この手自体は、ものすごく地味な手ではあるが、玉を固め、▲68▲59などの活用範囲も増やした、絶対に損のない手でもある。

 なにより後手側に、この手以上に価値のある手などないことを完全に見切った、「勝利宣言」とも言える一着なのだ。

 

 「これ以上がんばっても、むくわれないどころか、もっとみじめになるだけですよ」

 

 なんという冷たい手なのか。である。アンタの血の色は、何色やと。

 もちろんこれは、すべて「ほめ言葉」だ。

 将棋において、最も価値の高いのは「勝つ手」なのだから。

 現に森内は、ここからわずか数手で駒を投じてしまうのだから、この金寄の破壊力が、理解できようというもの。

 指す手のない後手は、△44銀▲65飛△45桂とするが、▲86角△25飛▲46歩まで丸山勝ち。

 


 早い投了のようだが、△57桂成▲25飛と取られる。

 △29飛成なども▲45歩を取って、△35銀▲53角成が、また銀当たりと、指しても後手に光明はない。

 丸山自身の強さもさることながら、あの強靭な精神力を武器とする森内俊之をあきらめさせ、中押しを食らわせたというのが、えげつない。

 この時期の丸山は、文字通り鬼神めいた強さで、全日プロは3連勝で森内を一蹴し優勝

 翌年には佐藤康光名人を破って、初タイトルの名人を獲得するのだ。

 

 (「藤井システム」にあたえた羽生善治の影響編に続く)

 

 

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都・旅の雑ノート 子供の教育に良い「軍国主義」の絵本

2021年06月26日 | 海外旅行

 京都に行って、ずいぶんとなつかしい気持ちになった。

 ということで前回(→こちら)から昔、京都に遊んだ写真を紹介しているが、さすが大学の多い街ということか、古本市が充実しているのがうれしい。

 個人的に楽しかったのは、戦前戦中の、日本の雑誌やポスター。

 軍国主義バリバリで、

 「祝・南京陥落」

 「進め一億火の玉だ」

 みたいなことが、大まじめにプリントされているところなど、「時代だなあ」と実に興味深い。

 たとえば、こんなの。

 

 

 昭和初期のBL同人誌。

 

 

 光ってしまって見にくいが、軍国主義バリバリ時代の絵物語。

 中国兵を軍刀で切りつけ、

 「子供が良くなる」

 とは時代であるなあ。

 当時は爆笑したものだけど、今だとこういう本、ふつうに本屋で置いてあって、「揺り戻し」ってあるんだなあと感じる。

 歴史的に見れば、人は「イケてない」ときこそ、

 「愛国」

 「オレたちスゴイ!」

 「民度が高い!」

 みたいな自画自賛に走りがちだから、今の日本もそうなのかと思うと、少し哀しいが。

 「外国人に称賛を求めたがる」

 とか、アンドレ・ジッド『ソヴィエト旅行記』にもあったなあ。

 それはともかく、こういう資料が歴史的に貴重なのはたしかで、いろいろと読んでみたいもの。

 よく本好きが、「断捨離」のとき、

 「残すべきは雑誌」

 なんて、よく言うけど、それはわかる気がする。

 今なら、グーグル検索やピンタレストみたいなアプリですぐ見つけられるけど、昔はこうして、足で探すしかなかったのだ。

 今は便利だなあ。「昔はよかった」ってのが、大人になっても、いまだにピンとこないよ。

 このあたりの資料は、早川タダノリ『神国日本のトンデモ決戦生活』という本にくわしいので、興味のある方は一読を。

 また、古本界の濃いお話に興味があれば、グレゴリ青山『ブンブン堂のグレちゃん』がオススメです。

 

 (円山公園と『サイキック青年団』編に続く→こちら

 

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「米長哲学」とはなにか 大野源一vs米長邦雄 1970年 第24期B級1組順位戦

2021年06月23日 | 将棋・雑談

 1970年の、第24期B級1組順位戦

 その最終日は、後の将棋界に、多大な影響をあたえることになる1日だった。

 ということで前回は、自身は消化試合なのにもかかわらず懸命に戦い、大野源一九段の「58歳A級」という夢をはばんだ、米長邦雄七段の将棋を紹介した(今回の記事はこちらの米長−大野戦セットで読んでいただくと、より理解が深まります)。

 それを読んでいただいた方で、中でもカンのいい人なら、途中で察せられたのではないか。

 そう、あれが「米長哲学」という言葉を生んだ、有名なエピソードなのである。

 「米長哲学」とは、

 

 「自分には関係ないが、相手には人生のかかった大勝負。こういうときこそ、真剣に戦って勝たなければならない」

 

 論理的には筋が通ってないのだが、それゆえにというべきか、不思議な説得力重みのある言葉。

 実際、今の棋士は若手からベテランまで多くが、この哲学通り消化試合でも100%の力を出そうとする。

 ハッキリ言って相手からすれば「よけいなお世話」で、かつて名人挑戦権をかけた勝負で、消化試合だった米長に敗れた森安秀光八段は、

 

 「米長さんは、どうしてボクに意地悪をするんだ」

 

 酔って泣きぬれたそうだが(森安と米長はウマが合う間柄だった)、このあたり、この問題を語るときに棋士や評論家のよく言う、

 

 「プロなんだから勝ちに行くのは当然だし、負かされた方も勝負なんだからサッパリしたもので、それを恨んだり文句を言ったりしない」

 

 という声と、微妙に温度差があったりして興味深い。

 そりゃ人間の心なんて、そんな簡単なものではないですわな。

 やはりこの哲学のキモは、

 「どこか、矛盾をはらんでいる」

 ことだろう。

 実際、渡辺明三冠や、森下卓九段などは「違和感がある」と表明している。

 この手の例は枚挙にいとまがなく、たとえば棋聖のタイトルを取り、大山康晴十五世名人と、何度も血涙の一戦を戦った山田道美九段

 勝てば、相手を強制引退に追いやる、という一番を勝利で終えたあと、

 


 「人を不幸にして……ボクはなにをやっているんだ……」


 

 終局後、盤の前で涙したという。

 現役棋士なら先崎学九段も若手時代、『将棋世界』のエッセイにこんな一文を寄せていた(改行引用者)。
 
 
 

 話は遡るが、新四段の年、十八歳で順位戦に臨んだ僕は、最終戦を七勝二敗で迎えた。上がり目はなく、消化試合だった。
 
 しかも、人数の多いC級2組では奇跡的なことだが、勝っても負けても順位が全く変わらないという状況だった。
 
 相手には、降級点が懸かっていた。師匠の米長先生にはこういう時は、必ず全力で指して勝つのだと教わった。
 
 だが、僕は、勝ちたくなかった。相手は、日頃から親しくさせて頂いている先輩だからである。
 
 負けよう―――と思ったが、十八歳の人間が、わざと負けようとするには、純粋な心のとの葛藤を避けるわけにはいかない。
 
 迷って相談すると、返ってくる答えは決まって「甘い」だった。僕も甘いと思った。

 僕は、どうでもいいやと思って指し、しかも勝ってしまった。対局後、猛烈に後悔した。
 
 はっきりいって、勝つつもりはなかった。指していたら、必勝形になってしまった。あっという間に終わった。
 
 なんで負けなかったんだろう。勝つ意味はなかった。本気でそう思った。以来、悔恨の念は、間欠泉のようにまばらに吹き出し、僕を襲った。
 
 迷ったことと、勝ったことのふたつが、複雑に絡み合い、揺さぶられつづけた。その度に、自分は甘すぎると思い、反吐が出そうだった。

 

 
 あの羽生善治九段もまた、若いときに消化試合で「つらい勝利」を味わった(その将棋は→こちら)。

 それくらい、消化試合で「勝ってほしい相手」と戦うことは人を惑わせる。

 逆に昔なんかは、若手棋士に昇級や降級のかかっている対局で、ベテラン棋士が、

 「今日は、ごちそうになろう」

 なんて早々と投げてしまうケースもあったりして、このあたりは人それぞれとしか言いようがない。

 実際、米長も著書の中で、そういう「人情相撲」的な態度を、

 


 「それが自然な心情」


 

 そう書いているのだ。

 複雑な気持ちにゆれながらも大野に勝利し、

 


 「タイトルを争いうるところまできたと確信した」


 

 と言い切った米長だが、それは、

 「勝ってしまった罪悪感を、なんとか処理しようとする、アンビバレントな心情」

 の発露のような気もするし、たぶんこれは、

 

 「八百長はよくない」

 「そこを非情になれるメンタルでないと、トップにはなれないのだ」

 

 みたいな、われわれレベルでも思いつくような、ありきたりな考えでは、語れない問題なんだろう、きっと。

 これはもう、「正解」なんてない。

 もしあなたが

 

 「プロなんだから手を抜くな」

 

 と思っても、

 

 「別に、負けてあげればいいじゃん」

 

 と感じても、

 

 「それは逆に対戦相手に失礼でもあるんだから、状況にかかわらず全力で」

 「他力で待つ人の人生もあるんだから、やっぱりがんばるべき」

 「強いヤツを足止めするため、わざと組みやすい相手を勝たせておくという手もあるぜ」

 

 でも、なんでいいけど、それらはきっと「どれも正解」で、同時に「どれも間違い」でもあるのだ。

 それこそ、私だったら別に勝ちません。

 そこを「甘い」「プロ失格」とか言われても、「そうでっか」としか言いようがないのだ。

 マイケルサンデル教授に、ハーバードで取り上げてもらいたいくらい、ややこしくも、人間くさく、めんどくさい悩み。 
 
 ただひとつだけ言えることは、米長によって、この問題の行末を「道一本」にしぼることになったのは、大きかったろう。
 
 先輩のこういう姿を見せられ、またそれが浸透した以上、少なくとも続く者の悩む負担を、軽減させたのは間違いない。
 
 「やるしかない」のだから。
 
 そして、状況はどうあれ、
 
 「目の前の将棋を全力でがんばる」
 
 というのはプロの、いやさ、すべての「将棋指し」にとって正義の結論であること。
 
 これだけは、たしかなのだから。
 
 

  (「激辛流」丸山忠久の「友達をなくす手」編に続く→こちら

 

 

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都・旅の雑ノート 春の古書即売会と、下鴨納涼古本まつり

2021年06月20日 | 海外旅行

 京都に行って、ずいぶんとなつかしい気持ちになった。

 ということで前回(→こちら)から昔、京都に遊んだ写真を紹介しているが、はてこれって、いつのことだったろう?

 私は自分の記憶無頓着なところがあって、人生で起こったことを

 

 「あれって、何歳のときだっけ?」

 

 というのが、全然思い出せないタイプなのだ。

 そんなとき、見つかったのがコレ。

 

 

 

 

 

 シャンポリオンが解読に成功した、登美彦氏のサイン。

 

 


 タカオカ君に連れていかれた本屋に、飾ってあったもの。

 これによると、2007年近くの写真ということになる。

 ずいぶん前だなあと、時の流れの速さにビビるが、こんなのもあった。

 

 

 

 

 

 アレクサンドリアやバベルの図書館も参加する、楽しいイベント。

 

 


 春の古書大即売会

 コロナで中止になった2020年第38回だから、やはり同じくらいの時期のものだろう。

 これとか、鴨川納涼古本市は、楽しみなイベントだった。

 そういえば、タカオカ君って、登美彦氏の小説に出てくる京大生と、同じ雰囲気をまとっている気がする。

 中の様子は、こんな感じ。

 

 

 

 

 

 普通の会場に見えるが、実寸は米一粒の中に入るくらいのサイズ。

 

 

 まったく、古本市めぐりほど楽しいものはない。

 今でこそ、電子書籍が中心になってるが、それまではスキあらば本屋に通っていたもの。

 私の青春時代の半分は本屋図書館、もう半分はレンタルビデオ屋めぐりで、できているといっても過言ではないのだ。

 仕事や雑用で、よそさんに出かけると、かならず地元古本屋をひやかして、銭湯に入って帰るというのがお決まりだった。

 コーヒー牛乳ひっかけて、風呂上がりに喫茶店カフェでお茶しながら、「獲物」をながめる至福。

 露骨に植草甚一あこがれで、我ながら優雅な趣味だが、たまに「アタリ」の店を見つけると、古本を買いまくって、思わぬ散財なうえに、荷物重くて死にそうになるが。

 なもんで、ゴールデンウィークや夏休みともなれば、「古本市」に出かけるのは当然の流れで、京都にもちょいちょい出かけたもの。

 私はコレクション趣味はないので、ガチの古書を買うことはほとんどないけど、それでも歴史ある本は見ているだけで楽しいから、一種の博物館感覚である。

 

 

 

 

 ネクロノミコンやアカシック・レコードが100円均一のコーナーで投げ売りされるほど、豊富な品揃えの市。

 

 

 そういえば、昔ロンドンを旅行したときも、大英博物館中世古書コーナーばかり見ていたから、因果なものである。

 パリルーブル美術館があんまし楽しくなかったのは、きっと「古本市」がなかったからだな。フランス野郎は反省するように。

 

 (軍国主義時代の雑誌編に続く→こちら

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「自分は消化試合、相手は人生がかかった大一番」の戦い方 大野源一vs米長邦雄 1970年 B級1組順位戦

2021年06月17日 | 将棋・名局

 「消化試合」をどう戦うかは、判断がむずかしいところである。

 そういうときのモチベーションは、人それぞれだろう。

 どんなときも全力という人もいれば、ここでムキになってもなあと、軽く流すパターンもありだ。

 その思想はそれこそ、人の数だけあるだろうが、ここにひとつ、この問題にある種の「正解」を出した棋士が、かつていた。

 前回は鈴木大介九段が、降級のピンチで見せた衝撃の勝負手を紹介したが(→こちら)、今回はまさにそこで、対戦相手の畠山鎮が直面した、ある「哲学」のお話。

 

 1970年B級1組順位戦の最終局は、後の将棋界に、大きな影響をあたえることになる1日だった。

 注目だった将棋は2局あり、ひとつが大野源一八段と、米長邦雄七段の一戦。

 もうひとつが、芹沢博文八段と、中原誠七段の戦いだ。

 この期のB1は、内藤國雄棋聖がすでに昇級を決めており、のこり1枠をかけた戦いを残すのみとなっていた。

 自力なのは大野で、米長に勝てば、文句なくA級復帰が決まる。

 大野が敗れると、芹沢と中原の勝った方が昇級

 米長はひとり蚊帳の外で、消化試合となっている。

 「名人候補」で今で言う藤井聡太王位棋聖のような存在だった、中原の戦いぶりも気になるが、それ以上に話題を集めたのが大野の躍進。

 なんと、このとき58歳

 大ベテランなうえに、大野は「振り飛車名人」として人気も高い棋士。

 当然、マスコミも大きく取り上げるはずで、現に米長自身すら、

 


 「大野さんがA級に復帰すれば、年齢が年齢なだけにニュースになる。敬愛する大先輩にうまく指されて負かされたいとチラリと思ったものです」


 

 今で言えば「通算1000勝まで、あと少し」な、桐山清澄九段の戦いのようなものか。

 様々な因縁がからんだ一戦は、先手大野の中飛車で幕を開ける。

 米長は引き角から、銀を△73にくり出し攻勢を取るが、大野も力強く受け止めて、着々と反撃の態勢を整えていく。

 むかえたこの局面。

 

 

 角取りを△74歩と受けたところだが、この1手前の▲78飛が好手で、すでに先手がさばけ形

 ここで、振り飛車の心得がある。

 あまたのスペシャリストたちが、口をそろえて言うその極意とは……。

 

 

 

 

 ▲75飛、△同歩、▲53角成、△同金、▲71角、△52飛、▲53角成、△同飛、▲44銀

 長手順でもうしわけないが筋はいたってシンプルで、先手は飛車も角もぶった切って食いついていく。

 これぞ、久保利明藤井猛鈴木大介、中田功といったジェダイたちが伝える振り飛車の筋。

 そう、

 

 「飛車は切るもの」

 

 相手が攻めてきたところを、大駒を駆使してかわしておいて、スキありと見れば、一気にラッシュをかける。

 あとは美濃の耐久力にものをいわせて、小駒でベタベタくっついていく。

 これこそが、振り飛車の理想的な勝ちパターンなのだ。

 さすがは、久保利明の将棋に影響をあたえまくった、「元祖さばきのアーティスト

 この大一番でも、持ち味を発揮しまくっているが、ただし相手は中原誠と並ぶ若手のホープである米長邦雄

 「負かされたい」といいながらも、勝負師の本能は、そう簡単に割り切らせてくれないのだ。

 

 

 

 

 ▲44銀に、△43飛が「泥沼流」米長邦雄のうまいねばり。

 △52飛△51飛では、▲53金とか▲62銀とか、金銀で飛車をいじめられ、「玉飛接近」の形では、そのまま寄せられてしまう。

 そこでガツンと、飛車をぶつける。

 これで巻き返しとはならないが、一目、最善のがんばりなのはよくわかる。

 大野は▲同銀成と取って、▲82飛と自然にせまるが、後手も△52飛の力強い合駒。

 

 ▲81飛成としたところで、△51底歩を打って耐える。

 その後も大野の攻めを、2枚のを駆使して、なんとかしのぐ。

 それでも先手勝勢だが、最初は迷っていた米長も、ここまできたら負けられない。

 

 △48歩と打つのが、美濃くずしの手筋で、これがまた悩ましい。

 どう応じても味が悪く、先手の攻め駒の渋滞っぷりを見ても、いかにも「もてあましている」という感じがするではないか。

 それでもまだ、大野が勝っていたが、ついにひっくり返ったのが、この局面。

 

 ここでは▲55銀と王手して、△同馬位置を変えてから、▲52竜引と取れば先手が勝ちだった。

 

   ▲55銀、△同馬、▲52竜の局面。

 

 ところが大野は、単に▲52竜引としてしまう。

 すかさず、△39銀と打たれて大逆転

 

 

 

 以下、▲同玉△48馬と切って(この筋を消すのが▲55銀の効果だった)▲同玉に△57金、▲同玉、△45桂打でまさかの大トン死。

 

 

 以下、▲67玉、△68金、▲同玉、△46角、▲78玉に、△66桂から2枚のも足りてピッタリ詰みで、まさに「勝ち将棋、鬼のごとし」。

 こうして、大野の58歳A級復帰という夢は絶たれた。

 一方、芹沢-中原戦は、このころ芹沢必勝に。

 ところが、ちょっとしたアヤで芹沢が「米長勝ち」を察した途端に指し手が乱れ、そこから大逆転

 このあたり、米長の著者では

 


 「芹沢さんは気づかずに戦っていた」


 

 とあり、意見のわかれるところのようだが、他力がからんだ勝負では、場の空気から状況が読める(人の出入りが激しくなったり、逆に観戦者が露骨に興味を失うとか)ことがあるらしく、

 

 「知らされてはいないが、ほぼほぼ、わかってしまっていた」

 

 みたいな話はよく聞く。

 また、米長の大野への想いなども、書く人や時代によって温度差があったり、中身や解釈も違っていることが多いが、それが「伝説」というものだろう。

 ちなみに中原はこちらは本当に、なにも気づかず指し続けていたそう。

 それが幸いしたとなれば、いかにも人間らしいというか、できすぎた話のようだが、これで中原が逆転昇級を決め大名人へ大きく前進。

 もし大野が、あの将棋を順当に勝っていたら、中原のA級昇級は最低でも一年遅れていた。
 
 のちに「名人15期」を誇ることになる中原だから、ここで一回停滞したところで、歴史はたいしては変わらなかったろう。
 
 が、それはあくまで結果を知ってのはなしであって、現実はわからない。
 
 「一年を棒に振った」ダメージは尾を引いたかもしれず、その意味では大野だけでなく、もっと大きななにかを変えたかもしれない。
 
 もしかしたら、のちに中原に何度も名人位をはばまれることとなる、米長本人の運命すらゆるがしたやもしれぬ、「消化試合」でのがんばりだった。
 

 

 (「米長哲学」に関する議論編に続く→こちら

 

 (久保利明に感銘をあたえた大野のさばきは→こちら) 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都・旅の雑ノート 物価の高さと、清水寺に潜む闇

2021年06月14日 | 海外旅行

 京都に行って、ずいぶんとなつかしい気持ちになった。

 ということで前回(→こちら)から昔、京都に遊んだ写真を紹介しているが、せっかくなのでベタな観光写真も見てみたい。

 たとえば清水寺とか。

 

 

 清水さんに襲い来る、グリーン・マタンゴの大群。

 

 

 このときは、なんせゴールデンウィークに訪れたので、とにかく人がすごかった。

 それこそ3密なんてもんじゃなく、朝の御堂筋線くらいの混雑ぶり。

 自分のことを棚に上げて、

 「どんだけ人おんねん!」

 なんて、つっこみまくりで、まったくシーズン中に観光地を訪れると、人は多いし、宿なども観光地プライスになって大変である。

 ただ、今の状況を思うと、これもなつかしいというか、早く元通りの活気ある世界に戻ってほしいとか思うわけだから、人間なんて勝手なものであるなあ。

 

 

 混雑にまぎれ、命を吸うカメラで対岸のターゲットをねらう、ロシアの女スナイパー

 

  

 また、京都といえば思い出すのが、物価の高さ。

 観光地のソフトクリームとかが、ボッタクリ値段なのは多少はしょうがないにしても、市井のものというか、ふつうにある食堂とかが、うっすら高いのには困らされた。

 それこそ、こないだのタカオカ君と町ブラしたとき、夜はお好み焼き屋に入ったのだが、これがなかなか。

 具体的な値段は忘れてしまったが、ウチの地元の1,5倍くらいのイメージ。

 「こんな値段、大阪やったら3日でつぶれてる!」

 さけびたくなるような、おそるべき数字が並んでいるのだ。

 しかもこれが、観光地のド真ん中とかではなく、そこいらにある店なのだから、もう恐れ入るしかなかった。

 また、タカオカ君は地元民ということで慣れているのか、

 「ここ、焼きそばもイケるよ。あ、モダン焼きがいい?」

 なんて、気にせずバンバン注文するもんだから、こっちは背中に汗かきまくりである。この、ブルジョアめ!

 

 

 

 清水寺防衛のため、カタパルトに待機する新型のモビルスーツ

 

 

 

 まあ、味の方はさすがというか、どれもおいしかったんだけど、それにしても財布には痛かった。

 よく大阪が「食の街」なんて言われて、地元民としては、

 「大阪のメシって、そんなにウマいかなあ?」

 そこが疑問だったんだけど、他府県から大阪に来た人によると、

 「大阪はね、グルメっていうよりも、安い値段でそこそこの味が期待できるってところが、いいんだよね」

 なるほど。都会も田舎も、たいてい

 「うまいが高い」

 「安いとマズイ」

 二極化されるケースが多く、大きな街だと「アタリハズレ」も激しいと。

 それとくらべると、大阪は「値段も味も、そこそこ」が保証されており、気楽には入れるのがいいと。

 たしかに大阪は、良くも悪くも「気取らなくていい」なところだから、そこがいいところかもなあ。

 もっとも、「気取りたい」人には少々住みにくいかもしれず(めっちゃイジられたりするから)、そのへん向き不向きはあるよう。

 なんて、京都の「おいしいけど高い」ゴハンをいただきながら、そのカルチャーギャップを楽しんだのであった。

 

 (古本市編に続く→こちら

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「将棋なんて簡単だ」と、郷田真隆は言った 鈴木大介vs畠山鎮 2012年 第70期B級1組順位戦

2021年06月11日 | 将棋・好手 妙手

 「【観る将】の人にも、ぜひ実際に将棋を指してみてほしい」


 というのは、先日言ってみたことだが(→こちら)、それは単にゲームとしておもしろいだけでなく、

 


 ポカウッカリは、指して、駒からがはなれた瞬間に【あ!】と気づく」


 「他人の将棋や、テレビネットでの観戦だと手が見えて、バンバン予想手が当たるのに、いざ自分がその局面を指してみると、1手も見えなくなる」


 

 という、実戦心理や「あるある」が体感できて、将棋観戦のおもしろさが、爆発的にアップするからだ。 
 
 そうなると、一見むずかしそうな、泥仕合駆け引きの交錯する将棋も、楽しめるようになるわけなのだ。

 前回は渡辺明の見せた見事な「藤井システム退治を紹介したが(→こちら)、今回は人の心が揺さぶられるさまを見ていただきたい。

 


 2012年の第70期B級1組順位戦

 鈴木大介八段と、畠山鎮七段の一戦。

 この期の鈴木は不調で、この将棋に負けると降級の可能性があるという、の大一番。

 一方の畠山は、なんとか残留を決めて気楽な立場だが、将棋界には、

 


 「自分にとっては消化試合だが、相手にとっては人生を左右する大一番。こういうときこそ、全力で戦って勝利しなければならない」


 

 という、よけいなお世……「米長哲学」というのが存在するため、力が抜けるなんてことは、ほぼありえない。

 そもそも畠山は、どんな将棋でも全力投球な、ファイタータイプの棋士なので、「ゆるめてくれる」なんて、期待できるはずもないのだ。

 将棋は鈴木が角交換型中飛車に組むと、畠山も金銀をくり出して、厚みで迎え撃つ。

 むかえた、この局面。

 


 

 一歩得の後手の模様がよさそうだが、先手はが固く、歩損しても歩切れというわけでもないので、互角であろう。
 
 後手が押さえこめるか、先手がその間隙をぬって、大駒をさばけるかというところだが、ここから局面が動き出す。

 

 

 

 

 

 △95金と出るのが、おもしろい一手。

 

 「金はななめに誘え」

 

 という言葉もある通り、通常こういう形は無筋としたものだが、これで次に△86金△86歩とされると、飛車が圧迫され、完封される恐れがある。

 そこで鈴木も▲74歩から、飛車の周辺をほぐしていくが、畠山も金で左辺を制圧し、△15歩から待望の攻め。

 そこからゴチャゴチャした玉頭戦になり、激しいねじり合いに。

 あれこれあって、クライマックスとなったのが、この場面。

 

 

 

 形勢は超難解

 パッと見、先手からは▲53歩とか、▲45歩とか、▲89飛なんかが見えるが、どれがいいのかはサッパリわからない。

 観戦している分には最高だが、指しているほうは大変という、一番熱いところだが、ここで鈴木の指した手が驚愕だった。

 

 

 

 

 

 ▲75歩と打ったのが、思わず、


 「えええええ!?」


 と声が出る手。

 この手の意味自体は、正直なところ不明どころか、そもそもいい手かどうかも、わからない。

 自玉は玉頭から攻められるのが、ミエミエなのに、その反対側から手をつける。

 放っておけば、▲74歩の取りこみから▲73歩成だろうけど、そんなもん間に合うんかいな?

 いや、そもそもこれを、△75同歩と取ったところで、先手に手段があるの?

 全部ごもっとも、お説の通り

 事実、観戦していたプロも「なんやこれ?」だったらしい。

 しかしだ、これは鈴木大介から言わせれば、おそらく会心勝負手で、たしかにそれは、なんとなくではあるが、伝わってくる。

 棋士の本場所ともいえる順位戦の、それも最終盤。

 そんな極限状態の中、ポンとこんな、ワケのわからない手を指されたら、そりゃ混乱します。

 攻めてもいけそうだし、△75同歩でも、先手は手に困ってるのでは?

 でも、具体的にとなるとむずかしいし、かといって△75同歩は、相手の言いなりでバカバカしくも見える。

 けど、実戦的には取るのが最善か。

 落ち着いた手が指せるかどうかが、勝負将棋の大事なファクターだしな。

 でも、そこで読んでない、いい手があるかもしれないし……。でも、でも……。

 ……なんて畠山鎮は、おそらく迷いに迷ったことだろう。

 つまりこれは、善悪はともかく、とにかく「雰囲気の出た手」であることは間違いない。

 ハッタリと紙一重の気合。

 疑問手か、それともか。

 疑心暗鬼におちいる畠山を見て、

 

 「この修羅場中の修羅場で、この歩を、△同歩と取れるわけなんてないっしょ!」

 


 不遜に胸を張る鈴木大介の姿が、目に浮かぶようではないか。

 結局、畠山鎮はこの歩を取り切れず、△25歩と攻める。

 これ自体はいい判断だったが、先手からすれば「ひるんだ」とも取れるわけで、以下▲74歩△76歩▲89飛として、を作ることに成功。

 その勢いで玉頭戦も制し、見事に鈴木が自力でのB1残留を決めたが、おそらくは▲75歩が、乾坤一擲の「勝着」だったはずだ。

 いや、絶対そう。

 手の意味はわからなくても、盤に打ちつけるとき心の中で、

 

 「勝つにはこれしかない!」

 

 さけんでいたはずなのだ。知らんけど

 いや、このあたりの形勢とか、実際どうなのかはわからずとも、見ているだけでもメチャおもしろい。

 自分もプレーすると、こういう、言葉にならない重圧や駆け引きの妙が、あれこれと想像というか妄想できて、こりゃもうアツいわけですわ。

 だから、実戦を指してみよう!

 と、ここまで語ってみれば、多少は興味もわいていただけるかもしれない。

 となれば、あとは駒を並べるか、将棋ウォーズにでもログインして完了。

 指し方については、こむずかしい定跡とかより、郷田真隆九段のステキな言葉通りにやればいい。

 


 「将棋なんて簡単だ。バーンと攻めて、反撃されたら、ガキンと受けりゃあいいんだ」



  
 将棋の本質を、こんなに簡潔に表した言葉が、他にあろうか。

 世にはたくさんの、カッコイイ「棋士語録」があるが、数ある中で、私がもっとも好きなフレーズである。

 バーンと攻めて、ガキンと受ける。

 ね? 簡単でしょ?

 あとは気軽に指して、悩んで迷って、頭をかかえて。

 七転八倒しながら、勝ってよろこび、負けてくやしがりとやっていると、

 


 「そっかー。あの場面で天彦をかかえていたのは、こういうことやったのかあ」


 「こんな危険なところで、よう踏みこむなあ。すげえわ、斎藤慎太郎こそ真の勇者や!」


 「優勢なはずやのに、決め手をあたえへんなあ。逆転しそうや。おお、コレが、かの有名な【高見死んだふり】か」


 

 新たなる発見が山もりで、将棋観戦の充実度は、今の10倍、いや100倍になること、ワタクシが保証いたしますです、ハイ。

 

 (「米長哲学」誕生の一局編に続く→こちら

 

 (鈴木大介の実戦的な逆転術は→こちら

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都・旅の雑ノート エントロピーの法則とジュンク堂書店編

2021年06月08日 | 海外旅行

 京都に行って、ずいぶんと、なつかしい気持ちになった。

 先日、私は仕事のついでに、バンゲリング帝国武装親衛隊に扮し、戒厳令下の京都を散策するという、ゆかいな観光……きわめて危険なミッションに挑んだ(→こちら)。

 六波羅探題からの追手や、平安京にひそむエイリアンと戦うなど、チリのノーベル賞作家である、ガルシアマルケス並な極秘任務であり、その模様は世界に大きな感動を呼んだ。

 そこで、レポートをまとめるべく、京都で撮った写真を整理していると、メモリーカードの中から、の京都の写真が、あれこれ出てきたのである。

 これが、やたらめったらなつかしくて、見ているうちに時を忘れてしまうことに。

 ということで、今回はその中から、いくつか公開できそうなものを紹介してみたい。

 


 まず、出てきたのがコレ。

 

書物を物色する友人。着ているのは144✕10のツーフェリッヒ乗分の1スケール「マイクロ・ブラックホール将棋」柄のシャツ。

 

 

 

 学生時代の友人タカオカ君。

 京都の立命館大学哲学を勉強していたが、もともと大阪大学神戸大学が第一志望という秀才。

 残念ながら、運悪くそこに落ちてしまい、すべり止めで関関同立レベルにいた男である。

 なもんで、めったやたらに優秀で、ほとんど「全優」の成績で卒業するだけでなく、話をしていても、その教養の深さに、おどろかされることしきり。

 このときも、

 「京都の名所を案内してよ」

 と頼むと、「まずはここだよね」と、ジュンク堂書店河原町店に連れていかれ、本探しにつきあわされた。

 メインは写真の通り岩波文庫で、まあこっちも好きだから、それはいいんだけど、絶対にここは「名所」ではない。

 この後おいしいラーメン屋を教えてもらったが(店の場所は忘れた)、そこでも友は西田幾多郎ロランバルトについて延々と語り続け、「すごいなあ」と感心するやら、あきれるやら。

 さすがは初対面で、

 「休みの日とか、なにしてんの? 趣味とかある?」

 との問いに、

 「エントロピーの法則について考察することだね」

 と答えた男だ。深みが違う。

 そういえば、高校生のとき、入学して最初に仲良くなったマツイ君は、最初の授業の自己紹介で教壇に立って、

 

 「ボクはサブカルチャー諸々をたしなみます。アニメプロレスオカルト、などなど。『週刊プロレス』『宇宙船』『月刊ムー』など読んでいる人、友達になりましょう」

 

 アニメにも、プロレスにも、オカルトにもうといが、放課後すぐさま、声をかけたのは言うまでもない。

 後年、『涼宮ハルヒの憂鬱』を読んだとき、オープニングのシーンで、このときのこと思い出しちまったもんだ。

 その後、彼とはミニコミ文芸同人誌を作って、

 

 「梅田の喫茶店を拠点に、宇宙から電波攻撃を仕掛けてくるポレポレ星人と戦っている人」

 

 などのインタビュー記事など作ったりしていたが、私の青春といえば、まあそんな感じである。

 

 (清水寺編に続く→こちら

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「観る将」と「指す将」 実戦心理が妄想できれば、将棋観戦の楽しさ爆上がり!

2021年06月05日 | 将棋・雑談

 「【観る将】の人が、たまには実戦も指すようになったら、もっとブームが盛り上がるかもね」


 なんてことを言ったのは、将棋ファンの友人、ミクニ君と電話していたときであった。

 事の発端は、昨今の将棋ブームですっかりメジャーになった

 「観る将

 と呼ばれる人たちについて、話していたとき。

 「観る将」とは、自分で将棋を指さず、観戦専門に楽しむということ。

 しかも最近の新しいファンは、将棋の内容がわからなくても、棋士のキャラクター食事また将棋界の独特の価値観など、盤上以外諸々を楽しむという人も多く、その視野の広がりは「ブーム」の特産物と言えるかもしれない。

 そういう、これからどんどん増えてほしい《観る将》だが、私やミクニ君のような古参ファンからすれば、ひとつアドバイスしたいのが、

 


 「《観る将》の人も、ためしに実戦もどうですか?」


 

 と言ってみると、《観る将》側からは、

 


 「うーん、実戦は敷居が高いかも」

 「指しても、きっと弱いし……」

 「観てるだけでも、十分楽しいからね」


 

 ためらう声は多いだろう。

 そこを「よけいなお世話」と理解しながら、それでもすすめてみる理由はなにかと問うならば、まず単純に実戦は楽しい

 それともうひとつ、というか、実はこっちが結構メインな理由なんだけど、《観る将》の人に実戦をすすめるのは、

 


 「自分も指してみると、絶対に観戦が、よりおもしろくなるから」


 

 かくいう私自身が実は、そんなに指さないタイプのファンだからこそ、ここは経験的にも強く推せるところで、それは

 

 「盤面の意味が、より深く理解できるようになる」

 

 という直接的な理由とに加えて、もう少し感覚的なこと。

 たとえば、観戦していて、解説のプロや女流棋士が、こんなことを言うことがありませんか?

 


 ★「いやー、ここで手番を渡されると、頭をかかえますねえ」



 ☆「優勢になって、『どうやっても勝ち』という局面こそ、迷ってしまって、かえって危ないんですよ」



 ★「AIの判定では先手が80%と出てますが、人間的にはむしろ、後手が勝ちやすそうに見えます。これ、ホントに8割以上あるのかなあ」



 

 先日の、藤井聡太王位棋聖稲葉陽八段とのB級1組順位戦でも(メチャクチャおもしろかった!)、佐々木大地五段が、

 


 「評価値は、ほとんど互角ですけど、先手(稲葉八段)が勝ちやすい気がします」


 

 また、中村太地七段戸辺誠七段も、

 

 


「こんな、うすい玉をずっと見さされたら、さすがの藤井二冠も疲れますよ」


 「評価値は45対55ですけど、先手を持ちたい人も、多いんじゃないですかね」


 

 みたいな。

 こういったことを聞くと、こちらとしては単純に、

 


 1のケース

 「なんで悩んでるんだろう。手番をもらったら、ふつうはなんじゃないの?」

 


 2のケース

 「どうやっても勝ちなら、別にどうやっても勝ちなんだよね? 迷うことないっしょ」

 


 3のケース

 AIがそう言ってるのに、なんで納得してないんだろう。てか、【勝ちやすい】って、どういうことなのかなあ」


 

 なんて首をひねりたくなるわけですが、これがですねえ、自分で指してみると、すんごくよくわかるんですよ。

 「評価値」ではわかりづらい、「実戦心理」というヤツです。

 それこそ、遊びでも将棋を指したことがあるなら、上記の状況でも、

 


 1のケース

 なに指したらいいか、わからん場面での手渡しはキツイ

 はあー、色々ありそうやのに、一手も見えへんて、どういうことやねん。

 こっちが悩んでるの見て、コイツ内心で、ニヤニヤしてるんやろうなあ。

 「大悪手、お待ちしてます」みたいな顔しやがって、意地の悪いやっちゃ。

 でも実際、なにやっても悪手になる気がするやん!(焦)

 


 2のケース

 余裕勝ちやのに、決めるとなるとフルえるなあ。

 あれも勝ち、これも勝ち、どうせやったら最短で勝ちたいけど、だいたいそういうのは落とし穴があるもんやねん。

 攻めて勝つか、受けて勝つか……て、あれもう残り1分

 ぎえー、あせるあせる! あ、悪い手やってもた(泣)

 


 3のケース

 はー、なんとかリードは奪ったけど、またここからが長いんや。

 AIは優勢とか言うとるか知らんけど、こっちの玉は薄いし、向こうはまだアヤシイ手でねばってきそうやし、どこに落とし穴があるか、ワカランで。

 カイジの鉄骨渡りと同じや! 

 そら、機械やったら怖がらんと、まっすぐ歩けるから平気やろうけど、人間は下見てまうからなあ。そんな簡単やないのよ。


 

 ……なんて、心が千々に乱れるわけなのだ。

 で、それもまたきっと、われわれのような素人と、アマ高段者からトッププロでも、さして変わらない

 彼ら彼女らはトレーニングを積んでるから、ポーカーフェイスをつらぬけるだけで、やらかした瞬間の、

 「!」

 内心で、真っ青になっているところは、絶対に同じはず。 

 実はそれこそが将棋観戦の、さらなるおもしろさだったりするのだ。

 そう、将棋を《観る》おもしろさは、盤面の戦いと同じくらい、いやときにはそれ以上に、

 

 「人の心がブレる瞬間」

 

 これこそが、真の醍醐味なのである。

 それを、自分で指せば、ものすごく実感できる。

 棋士たちが迷うとき、フルえるとき、やってはいけない場面で、やらかしてしまうとき。

 


 「ポカウッカリは指して、駒からがはなれた、その瞬間【うわ、やってもた!】と気づく」


 「悪手を指したあと、あせって指した次の手は、やっぱり悪手」


 「相手がミスしたら、【待った】なんてできないはずなのに、【しめた!】と、つい手拍子のノータイムで対応してしまい、しかもそれが、たいてい悪い手


 

 みたいな、「あるある」とか(嗚呼、書いてるだけで胸が痛い……)。

 指し手の理解は、その人の棋力に比例するが、気持ちの揺れは、おそらくだれしもが理解し、共感できる。

 その経験が、将棋観戦を何倍にも興味深くする。

 だからこそ、むしろ《観る将》の人にこそ、一度プレイしてみることを、強くおススメしたいのだ。

 あの、悪手を指した瞬間の、全身から血の気が引く感じや、優勢な将棋をまくられたときの、の血液が一瞬でゆだるところ。

 それを体感しておくだけで、ひいきの棋士への肩入れ度も、さらに爆上がり間違いなしなのです。

 

 (鈴木大介の勝負手と「妄想」実践編に続く→こちら

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ダイエットに失敗して、リバウンドしてしまった女性に朗報です

2021年06月02日 | モテ活

 「ダイエットに失敗した女の子が、好みやね」

 学生時代、学食でごはんを食べているとき、そんなことを言ったのは友人クロベ君であった。

 先日、この冬から春にかけて発動された「体重レインボー作戦」により、3か月で5キロの減量に成功した私。

 ただ、こういうときコワイのは「リバウンド」であり、ホッとして気がゆるんだり、ガマンの反動でドカ食いなど、あっという間に元に戻ってしまうというのは、よくあること。

 これはもう、人間の業とでもいうべき法則であって、

 「食が細くて、太りたいのに太れない」

 という、ぶんなぐ……うらやましい体質の人以外、だれもがこの、

 「ダイエット→リバウンド→リバウンド(∞)」

 という無間地獄からは、逃れられない運命で、人類の夢「永久機関」の開発は、このあたりにカギがあるのではないだろうか。

 とまあ、人はちょっとやせたといって、そこで安心してはいけない。

 ダイエットで肝心なのは、体重を落とすのは道半ばで、もっとも大事なのは、

 「そこからこれをキープする」

 これは「試験合格」「就職」「結婚」など、人生の様々な

 「これにて完了」

 とガッツポーズしたところですぐに襲われる、おそるべき現実でもあるのだ。

 なんて、めんどくさい話をしていると、せっかくダイエットが成功したのに、なんだか気分も盛り上がらないが、ここにひとつ、

 「せっかくダイエットしたのに、すぐに元に戻っちゃったよー」

 と泣く女性の方々に、いい知らせがある。

 それが、クロベ君言うところの「リバウンド萌え」という存在だ。

 「萌え」のファンタジーは人様ざまである。

 単純に「顔」がいいとか、女性の「胸」や「尻」に反応する人もいれば、ちょっとひねって、うなじや足首。

 眼鏡がいいとか、二次元サイコーとか、靴屋でハイヒールを見ると興奮するとか。

 はたまた中島らもさんが、エッセイで紹介していたような、

 

 「女装して部屋で編み物をしていると、そこに軍服姿の女が入ってきて、『おまえは編み物が下手だ!』と罵倒されながら、椅子ごとけり倒されないと燃えない」

 

 という、ツイストの効きまくった人というのも存在する。

 「けり倒されると燃える」

 ではなく、

 「けり倒されないと燃えない」

 というところが、なんとも味わい深いところである。人間って、いいな。

 かくして、ファンタジーは人の数だけ存在するわけだが、クロベ君の場合は「リバウンド萌え」。

 リバウンド萌え。

 といわれても、ちょっと意味がわからないところもあり、はて湘北高校の桜木花道選手のファンなのかいなといえば、そうではなく、彼は基本的に、ポッチャリ系の女性が好きなのだ。

 世に「ポッチャリ好き」というのは結構いるもので、男女も問わないようだが、友のケースは少しばかりひねりがあり、

 「リバウンドして、ポッチャリ」

 これでないと、ダメらしい。

 限定付ポッチャリ。

 そこを普通のポッチャリでは、いけないのかと問うならば、

 「ボクはな、元からちょっと二の腕とかプニプニした子が好きやねん」

 わかるよ。やせすぎの子って、案外魅力感じへんこともあるからね。

 「でやな、そういう子がダイエットして、ちょっとやせて、そのまま細身で行くのかと思いきや、なんやかやあって、結局元に戻っちゃいました」

 まあ、よくあるよなあ。

 「それくらいの肉付きの女の子にグッとくるんや。すごく、かわいらしいねん」。

 一回リバウンド経由。

 なんだかまわりくどい気もしないでもないが、それに意味はあるのかといえば、友は声を荒げて、

 「全然、違うがな!」

 メッチャどなられてしまった。

 「ただのポッチャリやと、アカンのや。リバウンドして、その一回やせた後に、もう一回ついた、肉とアブラがええんですやん」。

 彼は身も世もなくという風情で、天をあおぐと、

 「わかってないなあ。これやから、素人は困るんや。ポッチャリ好きいうたら、プニプニしてたら、なんでもええと思ってるんやからなあ」

 これでもかというくらいに、あきれられてしまった。

 さすが玄人はちがう。

 というか、なんの玄人かはよくわからないが、というか、この話、なんでオレが説経されてるんやろ。

 なんにしても、男のこだわりというのは様々ではあり、ダイエットに失敗した女性にとっては、希望のある話と言えるのではあるまいか。たぶん。

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする