祝・阪神タイガース優勝で歌おう! 感電するほどの「六甲おろし」を 藤林温子 トーマス・オマリー 登場

2023年09月18日 | スポーツ

 阪神タイガースが優勝した。
 
 私は今では野球をまったくと言っていいほど見ないし、そもそも子供のころは近鉄ファンであった(岡本仰木監督時代)。
 
 でもまあ、大阪に住んでいて、しかも銭湯やサウナが好きとなると、なんとなく阪神の情報というのは入ってくるもの。

 「今年は行く」という空気感くらいは伝わっていて、そのまま問題なく優勝。

 これが18年ぶりというのだから、月並みながら、時の流れるのは早いものだ。
 
 世代的に、あの真弓バース掛布岡田が打ちまくった1985年の優勝は見ていて、このときはサンテレビ

 

 「雨天中止の場合は『燃えよデブゴン』放送」

 

 という表記は、なぜか今でもおぼえている。

 やっぱり、ガンガンにヒットやホームランが飛び出して爽快だったわけで、バックスクリーン3連発とか。何十年かぶりに見たけど、すごいね、コレ。

 今でもやってる「道頓堀ダイブ」はこのときに生まれたもの(たぶん)。あの異様な熱狂は、今思えばバブルとかの影響もあったのだろう。
 
 2003年2005年はたまたま周囲に野球ファンが多く居て、話のうまい彼らの野球トークにまぜてほしくて、これも見ていた。
 
 ついでに言えば、あの北川選手による代打逆転満塁サヨナラ優勝ホームランで、バファローズがペナントを制した試合も見てたり。
 
 なんのかの言いながら、さすが地元ということで、野球に縁遠くなっても、そういうところは、なんとなく接点があったりしたわけなのだ。
 
 ということで、今回は阪神優勝おめでとう特集。
 
 そりゃタイガースといえば、とにもかくにも『六甲おろし』でしょうということで、みんなで歌いましょう。
 
 まずは、かわいいやつから。
 
 MBSの人気アナウンサー、藤林温子さんの六甲おろし
 
 「藤林虎子」という名前でタイガースが出る番組にたくさん出演したりと、毎日放送で阪神と言えば藤林アナのイメージである。
 
 藤林アナは福井出身で、たぶんそんなに阪神に思い入れとかなかったんだろうなあとか、アカペラでフルコーラスを歌わされる恥辱プレイといい、この「やらされてる感」の共感性羞恥が見どころの一曲である。

 ライムスター宇多丸さんと、コンバットRECさん言うところの「ほつれと、やらされてる感」という「アイドルの条件」を満たしており、大変かわいらしく、あとラジオでコンプライアンスなど無視してイジられるのもキュート。
 
 また、六甲おろしといえば定番なのがこれで、元タイガースの中心プレーヤーであったトーマスオマリー氏の一品
 
 『ドラえもん』に出てくるジャイアンや、江戸川コナン平山ヒラメなど音痴キャラはアニメなどの定番だが、このトーマスの歌はそれに並ぶクオリティーの高さ。
 
 思わず脳内に石坂浩二の声で

 

 「ここは、すべてのバランスがくずれた、恐るべき世界なのです」

 

 ってナレーションが流れてくるほど。
  
 それくらい、なにか軸がブレている。 
 
 いやマジで、聞いた後しばらく、まっすぐ歩くことができなくなるもんなあ。モノが二重に見えたりさ。
 
 こうして、歌で祝福したい阪神タイガースの良き日だが、ここまでくれば目指すは日本一であろう。
 
 過去を思えば、ロッテに大敗したのも悔しいが、ここは一番ホークスと戦いたいところ。 
 
 「あと1勝」からまくられたというのが、まさに痛恨事で、ぜひこのときのリベンジを果たしてもらいたい。
 
 あのときはスタンカにやられてしまったが、今回はそうはいかないぞと、ホークスファンには今から言っておこうではないか。
 
 
 

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「ハスラー」と呼ばれた女

2020年12月06日 | スポーツ

 「おまえ、ハスラーだな! そうか……ハスラーだったのか……」

 そんな、映画『ハスラー』の有名なセリフをマネしてみたくなったのは、クラブ合宿の夜であった。

 高校生のころ某文化系クラブに在籍しており、そこでは夏になると合宿に行くというのが恒例行事だった。

 うちは練習なども、結構しっかりやるタイプのクラブだったが、この合宿は完全に遊び。

 海で遊んで昼寝して、陽が落ちればみんなで肝試し、花火にサバイバルゲームとか。

 女子部員もたくさんいて、ふだんはイケてないボンクラ男子部員たちには、身に余るさわやかなイベントであった。 

 そんな中、もっとも盛り上がるイベントというのが、夜のゲーム大会。

 部員が各組に分かれて「大富豪」「花札」「モンスターメーカー」(なつかしい!)「スピード」「インディアン・ポーカー」などなどで朝まで戦うのだ。

 酒も煙草もなければ、ドラッグや不純異性交遊にも無縁という(当たり前だ)健全な場であったが、逆に言うとシラフだからこそ

 「ガチの頭脳戦と心理戦」

 を楽しめるともいえるわけで、勝てば「神の子」「皇帝」という待遇だが、負ければ「負け犬」「くそ虫」としてあつかわれるという、まさにプライドをかけた負けられない一戦なのである。

 そんな私が、対決の場に選んだのが「ナポレオン」のテーブル。

 「ナポレオン」とは「コントラクト・ブリッジ」に似たゲームだが、そのとき1位だったのが、ポコ先輩という人であった。

 これがおどろきの結果で、部内が騒然となったのだが、その理由としてはポコ先輩がどう見ても「勝負師」タイプではないこと。

 顔も体形も丸っこく、さらに丸眼鏡までかけているという、ゆるキャラみたいなひと。

 将来は保母さんとか絵本作家とかになりそうなイメージで、どう考えても「ガチのゲーム大会で2位以下をぶっちぎる」人には見えないわけだ。

 

 

 

      こういう感じの人 

      (写真は大阪府東大阪市石切のゆるキャラ『いしきりん』)

 

 

 

 ところがこの人が、もうとんでもなく強かった。

 なにがすごいって、その洞察力とポーカーフェイス。

 この「ナポレオン」というゲームのキモは「副官」の存在にあり、親であるナポレオンはこの副官とともに、子である「連合軍」と戦うのだが、この副官がだれであるのかは、連合軍はおろかナポレオンにもわからない。

 つまりはだれが味方で、だれが敵なのかわからないままゲームが進み、副官は連合軍には見破られないようにナポレオンをサポートしながら、どこで正体を現すかとか、そのかけ引きがメチャクチャにおもしろいのだが、これがポコ先輩にあうと、みなまるでかなわないのだ。

 たとえば、ポコ先輩が「副官」になると、まず正体を見破れない。

 いつもニコニコ。ゲームも「勝っても負けても、ウチはどっちでもええんよ」という空気感を出し、

 「もー、先輩、やる気出してくださいよー」

 なんて笑ってると、最後にしれっと「副官指令」のカードが飛び出してきて、のけぞることになる。

 ええええ! アンタが副官やったんですかあああああ!!!!

 とにかく、ずーっとニコニコフワフワしながら、まったく周囲に警戒心をあたえることなく、いつのまにか全員を裏切っている。下手すると、ナポレオンすら最後までダマしてしまうことも多々。
 
 彼女の恐ろしさはこれだけではない。ナポレオンになったときも、どういうマジックかすぐさま「副官」がだれかを見破ってしまい、圧倒的有利にゲームをすすめる。

 こっちの困惑をよそに、先輩はやはり絶好調で、彼女が敵に回るとまず勝ち目がない。

 あまつさえ「ナポレオン兼副官」になったときには連合軍が、全部の札を取られてパーフェクトを喫するなど惨敗。ムチャクチャ強いがなァァァァァ!!!

 こうして夏の夜のゲーム大会はポコ先輩の圧勝で幕を閉じたのだが、これが今でも謎なのが、

 「ポコ先輩が本当に強いのか」どうか。

 あんなニコニコと、なにも考えてなさそうな人が、こんな勝負に強いわけなさそうなんだけど、結果はぶっちぎりである。

 でもそれは、ただのまぐれやビギナーズラックのようにも見え、それだってもしかしたら「巧妙なポーカーフェイス」やもしれず、けどそれってホンマなんかいななど、もう部員の解釈もバラバラ。

 疑心暗鬼は深まり、今でもなにが真実なのかは闇の中。

 ホント、どっちだったんだろう。いやマジで、今こそ再戦を申し込みたい。今度は絶対勝つッス。

 

 

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近藤史恵『サクリファイス』は自転車ロードレースの入門編にも最適なミステリ

2018年10月13日 | スポーツ
 近藤史恵『サクリファイス』を読む。

 最近、自転車ロードレース観戦を新たな趣味にしているが、そのきっかけになった一冊が、なにをかくそうこれなのだ。


 ぼくに与えられた使命、それは勝利のためにエースに尽くすこと――。

 陸上選手から自転車競技に転じた白石誓は、プロのロードレースチームに所属し、各地を転戦していた。そしてヨーロッパ遠征中、悲劇に遭遇する。

 アシストとしてのプライド、ライバルたちとの駆け引き。かつての恋人との再会、胸に刻印された死。青春小説とサスペンスが奇跡的な融合を遂げた!  大藪春彦賞受賞作。




 自転車レースのおもしろさに、エースの総合優勝争いや、ゴール前の白熱したスプリント勝負といった、我々素人にもわかりやすい要素はあるが、それと同じくらい、いやコアなファンにとってはそれ以上に興味深いのが「チームの力」。

 そう、一見個人競技のように見える自転車は、実はエースを支えるチームの総合力がものを言う、サッカーやアメフトのような団体戦なのだ。

 一番わかりやすいチームメイトの仕事は「風よけ」。

 自転車を高速でこいでいると、その空気抵抗はかなりのものがある。そのため一人だとなかなかスピードも出ず、「空気の壁」に逆らって進まなければいけないため疲労度もぐっと増してしまう。

 車に乗って、窓から手だけ出してみればわかるが、風の威力と空気の持つねばっこさというのは、相当な圧になる。アシストになる選手は、前で位置してペダルをこぐことによって、それからエースを守っているわけだ。

 そして最後は「あとはまかせた」と、すべてを託して前線から消えていく。そのはかなさとストイックさが、特に日本人的琴線にふれるところ大なのである。

 そのことが理解できると、このスポーツの奥深さというか、観戦する際の厚みのようなものが、ぐっと増してくる感じだ。

 この『サクリファイス』はまさにその、縁の下の力持ちともいえる「アシスト」を取り上げた物語。

 ジャンルとしてはミステリなのだが、同時に良質な青春小説でもあり、またよくできた「自転車ロードレース入門」でもある。

 ざっくりいって、前半は主人公の自転車の関わりや葛藤。後半はいよいよレース本番と、そこを舞台にしたミステリに分かれる。

 メインディッシュもいいが、この小説の達者なのは前半部分だ。

 後半につなげるための、主人公の人となりの紹介や伏線といった物語の序章部分の役割もきっちりと果たしながら、その実しっかりと、

 「自転車ロードレースは、どこがおもしろいのか」

 という部分が、過不足なく、しかも小説としての魅力をそこなわないまま、表現されているからだ。そこが、なんともあざやかで感心してしまう。

 ふつうは、こういった「説明部分」はどうしても退屈というか、お勉強っぽくなりがちであるが、『サクリファイス』はその部分こそが、むしろ一番おもしろく感じられるのだからたいしたものではないか。

 ミッキー・ローク主演の大傑作映画『レスラー』は、素人の私などが、プロレスファンからどう熱く説明されても心からはピンとこない、

 「プロレスラーというのが、いかにすごい存在か」

 ということを、冒頭数十分のほとんど画だけで見事に説明してくれたのが感動だったが、この小説もその「いかにすごいか」の描写がすばらしいのだ。

 最初の100ページを通すと、間違いなく

 「よっしゃ、ちょっと今度、一回自転車レース見てみよっかな」

 そういう気にさせられます。

 それにくわえて、後半の謎解き部分も腰が入っており、さすがは鮎川哲也賞作家と舌を巻くことにもなる。うーむ、お見事というしかない。

 自転車レースの醍醐味、屈折した青春、ラストの「おおー」とうなる解決編。ページ数はさほどないにもかかわらず、コンパクトにまとまって、一粒で何度もおいしい良作。

 近藤さんの自転車シリーズは短編も良作ぞろい。本書にハマれば、ぜひ『エデン』など短編集や、斎藤純さんの傑作『銀輪の覇者』などにも手を伸ばしていただきたい。



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ドーピングと自転車ロードレースの闇 ジュリエット・マカー『偽りのサイクル 堕ちた英雄ランス・アームストロング』

2018年05月05日 | スポーツ

 ジュリエット・マカー『偽りのサイクル 堕ちた英雄ランス・アームストロング』を読む。

 タイトルの通り、自転車競技界のみならず、全スポーツ界を震撼させたランスアームストロングドーピング事件をあつかった本だ。

 ツールフランス7連覇の大記録を持つアームストロングには、常にドーピングの疑惑がつきまとっていた。

 だが、そのことがの域を出ることはなかなかなかった。

 ビッグマネーの力、「ガンを克服した不屈の男」の絶対的イメージ戦略力、そしてなにより



 「そもそもランスにかぎらず、ドーピングをすることが大前提」



 であった自転車競技そのもののゆがみが、事件から真実を覆い隠してしまっていたからだ。

 この本はすぐれたノンフィクションであるとともに、一級の倒叙ミステリでもある。

 ふつうの推理小説では、まず事件があって、犯人最後に明かされるのが基本となっているのに対し、倒叙ものでは最初から犯人がわかっているのが特徴。

 代表的なのはドストエフスキーの『罪と罰』。

 なんて気取ったこと言わなくても、『刑事コロンボ』か『古畑任三郎』といえばいいというか、そもそも『古畑』の元ネタが『コロンボ』。

 で、そのさらに元ネタが『罪と罰』の予審判事ポルフィーリーということなんだけど、ともかくも誰がやったかわかっている分、



 「犯人側の視点から、探偵に追いつめられるドキドキ感」



 が味わえるという、なかなかツイストの効いた構成が売りだ。

 『偽りのサイクル』はまさにそれで、われわれはすでに結末を知っているところから、物語がはじまる。

 「犯人」であるアームストロングと、それを追いつめようとする「探偵」側の息詰まる駆け引きが本書の読みどころだ。

 追う側のあの手この手の戦略もトリッキーだが、なによりもランス・アームストロングという男がこの倒叙物の

 

 「理想的な犯人像」

 

 であることが、事件のもっとも大きなポイントであろう。

 複雑な家庭環境から、おのれの才能努力ではい上がったアメリカンドリームの体現者。

 一度はガンに体をむしばまれるが、そこから不屈の精神と肉体でもって不死鳥のような(というありきたりな表現がピッタリな)復活をとげる。

 だがその人間性は決して、彼の残した業績にふさわしいとはいえない。

 エゴイスティックでアクが強く、名誉に人一倍こだわり、勝負に勝つためならどんな手でも使う勝利至上主義者

 彼は間違いなく英雄だが、その分も多かった。

 エリートでありながら雑草であり、勝利者であるが、そのエキセントリックなキャラクターゆえに孤独にも見えた。

 そう、彼は文字通りの意味で「セレブ」だった。

 まさに『コロンボ』に出てきてもおかしくない見事なキャスティング

 こういう言い方は適当ではないかもしれないが、この事件はランスという「理想の犯人」を得たことによって完璧たり得たのだ。

 そういった「物語」としてのおもしろさとともに、本書の本当のテーマであるドーピングについては、やはり考えさせられるところはある。

 大前提として、ドーピングは良くないことは子供にでも理解できるが、勝負の世界では、ましてや



 「自分以外のだれもがやっている」



 そんな世界で「良くないことを良くない」という当たり前の行為は、そのまま負け犬への道一直線。

 実際、どうしてもドーピングを受け入れられなかったり、

 

 「偽善者」

 「クリーンゆえに、いつ裏切るかわからない」

 

 という視線に耐えられず、この世界から去ることを余儀なくされた選手たちも本書では登場する。

 ランスのように悪びれもしない(ある意味)「強者」は別としても、去っていった者たちの惨めな姿を見ていると、やはり「良くない」という当たり前のことを言い切れるだけの勇気を持つのはむずかしい。

 ランス・アームストロングのせいで万年2位だった選手の言葉がある。

 「たしかにランスは間違いを犯した。でも、ツール7連覇を剥奪するのは違うと思う」

 「だって、もともと自転車ロードレースの世界はドーピングが当たり前だった。皆同じ条件で1位だったんだ。だから、彼の7連覇は《実力》だよ」

 倫理的にはおかしいが、アスリートの言い分としては筋が通っているというか、論理的には「正しい」ようにも思えてしまう。

 「正論」「倫理感」「良心」にゆだねるには、あまりにも根が深すぎる、この問題。

 正義を語るのは簡単だが、を売って得られるものは大きく、人の心は弱い。

 同じテーマをあつかった、タイラーハミルトンシークレットレース』と合わせて読んでみても、いまだ「自分なりの正解」すらも見えてこないのが現状だ。



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1990年ワールドカップ イタリア大会決勝 アルゼンチンvs西ドイツ&王貞治

2018年04月29日 | スポーツ

 ワールドカップ決勝戦といえば、思い出深いのは王貞治さんである。

 というと、野球ファンの方から、



 「あれは感動したなあ。あの強豪キューバ相手に勝った2006年でしょ」



 なんて熱く語られそうだが、そのことではない。

 私が語るのは1990年の決勝戦であり、いやいやそんな昔にWBCはないっしょ、と言われれば、それはその通りで、これは野球ではなくサッカーの話なのだ。

 舞台はサッカーW杯1990年イタリア大会

 というと、私と同世代くらいの方はニヤリとされるのではないか。

 なんとこの決勝戦のテレビ放映時、王貞治さんが特別ゲストとして実況席に招かれていたのである。

 サッカーのワールドカップに、元野球選手が出演。しかも、超がつく大物

 どういうチョイスなのか、当時でも違和感バリバリであった。

 なんで、こんなことになったのかといえば、今となっては考えられないことだが、当時の日本では、サッカーなどカポエラやポートボールにもおとる「ど」のつくマイナースポーツであったから。

 日本のW杯出場など夢のまた夢。Jリーグはまだなく、名作マンガ『キャプテン翼』の第一話では、大空翼君が「サッカーやろうよ!」というと変人あつかいされてハブられていた。

 そんなサッカー受難の時代だったので、

 

 「ゲストに大物野球選手」

 

 という売りで大衆の興味をひこうとしたのだろう。

 迷走感はバリバリだが、そういう時代だったのだ。

 そんな夢のサッカーと野球のコラボ企画だが、果たしてそんなものはうまくいくのか。

 王さんにサッカーを語れといっても、困るのではないかという声もあろうが、その危惧はかなり正しいものとなった。

 実際のところ、この「ゲスト王貞治」はかなり不思議な空気を醸し出していた。

 サッカーに関しては予想通りずぶの素人の王さんは、西ドイツ(これも時代だなあ)やアルゼンチンの選手が、どんなスーパープレーをしても、技術的にも思い入れ的にも、語ることなどないだ。

 まあ、ブッキングがそもそもおかしいのだから、王さんがうまく対応できなくても責任はないんだけど、なにやら気まずい空気が流れていたことはたしかだ。

 また、そのおかしさを助長させていたのが、実況の持っていき方。

 サッカーの素人、しかしスポーツ界では大御所どころか国民栄誉賞という超ビッグマンという、ふり幅が大きすぎるゲストをむかえて、アナウンサーもどうしていいのかわからなかったのだろう、話の振り方が

 むりくりに野球に例えようとするのだが、テニス卓球とか、柔道レスリングとか、多少似たようなところがある競技ならともかく、本質的に全然ちがうサッカーとベースボールでは、かみあうわけがない。



 「王さん、今の選手の動きはまるで野球のようですね」

 「王さん、野球は9人ですが、サッカーはそれより2人多い。なにかちがいは感じますか?」

 「王さん、野球には満塁ホームランという一発逆転がありますが、サッカーにはありません。そのあたりはどうお考えですか?」



 細かいところは適当だが、まあこういった内容のものばかり。

 話がつながってない。無茶ぶり方が、すさまじいではないか。

 もう私など、90分間ひたすらテレビの前で、



 「知らんがな」

 「どんなフリや!」

 「野球は関係ねーじゃん!」



 などと、つっこみを入れるのにいそがしく、試合内容がまったく入ってこなかったもの。

 スポーツ中継に芸人さんや旬のアイドルを呼ぶのは、正直ちょっとと思うことも多いのだが、その最たるである。

 ただ、偉いと思ったのは、王さんの対応

 普通なら、こんなトンチンカンなやりとりには、それこそ

 

 「なんや、この仕事は! ナボナはお菓子のホームラン王やぞ!」

 

 なんてムッとしたりしそうなところだが、ひとつひとつの質問に苦笑いしながらも、



 「ええ、同じスポーツとして共通するところは多いですね」



 みたいな、それなりの答えを返しておられたのだ。

 マジメというか、王さん大人やなあ。

 こんなこともあったので、ワールドカップ決勝戦といえば、私にとって思い出深いのは、リオネル・メッシでもアンドレス・イニエスタでもなく、王貞治なのだ。

 なぜかYouTubeに映像がなかったから(前はアップされてた記憶があるんだけど)、ロシア大会開幕前にでも再放送してもらいたいものだ。

 「世紀の大凡戦」と酷評された試合の方より、よっぽど王さんの方がステキです。




 ★おまけ 王貞治ファンといえば、この人。《コンバットRECさんによる【アイドルとしての王貞治】特集》は→こちらから



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長谷川晶一『プロ野球12球団ファンクラブ全部に10年間入会してみた! 涙と笑いの球界興亡クロニクル』

2018年03月17日 | スポーツ
 長谷川晶一『プロ野球12球団ファンクラブ全部に10年間入会してみた! 涙と笑いの球界興亡クロニクル』を読む。

タイトルの通り、「ファンクラブの大人買い」という、なかなかマニアックな突撃企画。

 12球団それぞれにあるファンクラブの特典や、オリジナルグッズなどを比較検討し、レビューするという作りだが、これがなかなかに興味深かった。

 こういうところでメンバーになると、「タダ券もらえる」のイメージが強いが、実際のところは各球団、集客のためにそれ以外も、あれやこれやと仕掛けを考えているのだ。

 たとえば、グッズの充実から各種サービスの総合力は西武ライオンズがダントツで、これは商売上手な西武グループのイメージ通りか。

 阪神が意外と(?)事務処理の手際や客対応がグッドで、ジャイアンツはさすが球界の盟主ということで、お金もかけて企画にもリキはいっている。

 一方、横浜はチームの低迷と比例するように、ファンクラブの質も低空飛行(ただしDeNAになってからは大きく改善)。日本ハムは悪くはないけど良くもないという、キャラが立ってないのがレビューしにくい。

 中日は悪くないけど、「前監督(落合博満さんのこと)の悪口」を冊子に延々と書き連ねるのはいかがなものか。

 などなど、実際に金を払って入会してみないと知る機会のないトピックスが、いちいちおもしろい。

 中には、野球ファンでもない私でも「うーん、これはほしいかも」なんて思わせるオリジナルグッズがあったりして、食指も動いてくる。

 たとえば、巨人だと「黒ひげ危機一髪のジャイアンツバージョン」。

 なかなかマヌケでいい。他のところでなく、球界の盟主がやっているところがキモであろう。樽の中にいるのが、渡辺恒雄さんでないところが残念ではあるが。

 カープだとやはり、「カオシマ」シャツ。

 これはなんのことかといえば、カープは毎回オリジナリティーあふれるアイデアが売りというか、感性がおかしいというか、独特の不思議なグッズが特徴。

 ある年など、ユニフォームのホームとアウェーでそれぞれ違う「カープ」とロゴの入ったバージョンと、「広島」とあるバージョンを左右半分ずつ組み合わせたオリジナルユニを制作したのだが、なんせ違うロゴの半分ずつなので、右半分が「CA(RP)」左半分が「(HIR)OSHIMA」。

 で、それをくっつけるから胸の文字が「CAOSHIMA」になって、それどこの国のチームやねん! と。正直、意味はよくわからないが、制作側のいちびりぶりは伝わってくる。

 ちなみに、カープのファンクラブの名前というのが

 「吾輩ハ鯉(Carp)デアル」。

 いや、漱石、広島関係ないやん! 鯉と猫も全然かかってへんし。こういうヘンチクリンなノリが、カープファンクラブの味らしい。変なチーム。

 中日には日本で唯一「ファンクラブのマスコットキャラ」がいるそうな。

 野球ファン以外にも結構知られているドアラは「球団のマスコットキャラ」だが、ドラゴンズにはファンクラブにもゆるキャラがいるというのが豪華だ。

 しかも、そのデザインが宮崎駿(!)というのだから、なにげにすごいではないか。全然知らなかった。

 名前は「ガブリ」。もちろん、スタジオジブリとかかっているわけですが、それはいいとして、そのエリートな出自にもかかわらず、知名度的にはファンクラブの会員以外、ほとんど知られてないのでは?

 デザインも別に、ジブリ色もさほどなく普通というか、これだったら大枚はたいて(るはずでしょ、きっと)宮崎駿に頼むより、中日新聞のデザイン担当の人でも間に合った気もしないでもない。

 そんな、おもしろグッズや「ファンクラブあるある」なども愉快だが、この本のなにより良いところは、著者が全力でこの企画を楽しんでいることであろう。

 もともとはただの趣味だったそうだから、それもむべなるかなだが、著者のワクワク感が読んでいるこちらにも伝染して、なんだか楽しくなってくる。

 野球ファンのみならず、なんか最近元気がないなーという人にもオススメ。本全体からパワーがみなぎっていて、ちょっとテンションが上がりますよ。





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奇跡のバックホーム 第78回夏の甲子園決勝 松山商業vs熊本工業 その2

2018年02月11日 | スポーツ
 前回(→こちら)の続き。

 熱戦となった1996年夏の甲子園決勝、松山商業対熊本工業戦。

 9回二死から同点ホームランという、これ以上ない劇的な展開で追いついた熊本工業。

 勝負の世界は、追いついた方がそのまま勢いにのって追い越してしまうというのが常。熊工も押せ押せムードにのって、延長戦でもペースをつかむ。

 10回の裏。熊工はヒットと送りバント、敬遠の四球で1死満塁の大チャンスを作り出す。

 ヒットはもちろん、外野フライやスクイズ、エラーでも熊本工業が悲願の初優勝。

 この絶体絶命の場面で、松山商業のベンチが動く。

 マウンドは2年生エース新田から、3年生の渡部にゆずられている。新田はライトに回っていた。

 監督はなんと、そのライトの新田をベンチに下げ、矢野選手と交代させたのである。

 この采配、私にはにわかに意味がわからなかった。

 守備固めということであろうが、ここまで追いこまれてからでは遅い気がしたし、新田投手を下げてしまっては、もしこのピンチをしのげても、万一そのあと渡部投手にアクシデントがあったらどうするのか。

 それと、失礼なことに、「もう負けは決まってるのに、往生際が悪いなあ」という思いもあった。

 同点の延長戦の裏で満塁。ふつうに考えれば、もう決まったも同然だ。男なら、死ぬときは小細工なんてせずに静かに斬られんかいと、そんなことすら考えていた。

 そして数分後、そんな自分の不明を恥じることとなるのである。

 この最後の最後の交代劇が、奇蹟を生むことになろうとは、我々はもとより、監督も矢野選手すら思いもしなかった。

 なんたってすでに、スタジアムは「熊本工業優勝おめでとう」といったムード一色に染まっていたのだから。

 私とハヤシ君は「思い出代打ってのはよくあるけど、思い出守備固めなんてめずらしいね」などと、呑気なことを言っていた。

 交代のアナウンスも終わり、バッターボックスには熊本工業の本多選手。

 こんなもん、勢いからして初球から打つのが男の子というもの。フルスイングした打球は、高々とライトに飛んでいった。

 なんという皮肉か。それはそれで、まあいい思い出か。

 最後のボールが、代わったばかりの矢野選手のところに飛ぼうとは。

 1塁側の大歓声、3塁側のため息をのせて飛ぶ大飛球は、ライトの深いところへ。犠牲フライには充分すぎる飛距離である。

 少し後退した矢野が、バックホームにそなえて前進しながら取る。3塁ランナーはタッチアップ。矢野が全力で投げる。

 私はこの時点でもまだ、矢野選手のことを「往生際が悪い」と思っていた。「でもまあ、最後の思い出に、全力で投げたくもなるわな」と。

 こういう冷めたヤカラは、土壇場で奇跡を起こせないのであろう。

 バックホームの球はカットに入ろうとしたファーストの頭上を越えて、ものすごい勢いで本塁へ飛んでいく。

 さっきは目の前をホームからレフトに放物線を見たが、今度は反対側でやはり反対に放物線を描いているのが見える。

 ボールがミットに収まる、ランナーが飛びこむ、キャッチャーがタッチする、そして審判ののども裂けよというコール。

 「アァァァァァウトォォォォォォォォ!」。

 甲子園が爆発したような大歓声。スリーアウトチェンジ。

 沢村選手のホームラン同様、私はこのときも、一瞬なにが起こったのかわからなかった。

 ライトに打球が上がった時点で、もう試合は終わったものと思いこんでいたからだ。電車混む前に帰ろうかと。

 そこにこの大歓声。スコアボードの10回裏に「0」の文字。ようやく理解できた。奇跡が起こったのだ。あらまあ。

 延長は11回に入った。結果的に見て、試合はもうここで終わっていた。

 前回、野球はドラマを起こした方が勝つといい、沢村のホームランはまさにそれだと言った。

 だが、この矢野選手のバックホームはそれらをすべて帳消しにするほどの、大大大大その後さらに大がつく、特大のファインプレーであった。

 矢野選手本人が、

 「もう一度やれと言われても、絶対にできません」

 と認めるような、まさしく万にひとつ、億にひとつのプレー。

 選手交代の妙や、9回の同点劇時におけるアピールプレーのアヤなど細かい要素もはらんでの、絶対に再現不可能な一連の流れがそこにはあったのである。

 11回の表、攻守ところを変えた松山商業が、機嫌よくせめまくって3点を奪う。

 その裏、熊本工業は反撃の気力もなく無得点。

 6-3で松山商業が優勝を決めた。

 松山商業の校歌を聴きながら、私とハヤシ君はただただ「すごかったなあ」「こんなこともあるんやねえ」と、間の抜けた感想を言い合った。

 勝つために必要なものとは、努力とか根性とか技術とか色々あるんだろうけど、たぶん最後の最後の本当の決め手になるのは「運とめぐり合わせ」なんだろうなと思った。


 おまけ ※9回裏同点ホームラン→こちら

     ※奇跡のバックホーム→こちら




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奇跡のバックホーム 第78回夏の甲子園決勝 松山商業vs熊本工業

2018年02月10日 | スポーツ
 甲子園で「奇跡のバックホーム」を生で見たことがある。

 というのが、ひそかなる自慢である。

 先日、春のセンバツ出場校が発表されたが、甲子園といえば観戦もさることながら、過去の名勝負についてあれこれ語るのも楽しみのひとつだ。

 私は現実の高校野球よりも、どちらかといえば野球マンガの方を好むタイプなので、地元大阪代表といえば大阪桐蔭や履正社よりも、南波か通天閣に御堂筋学院。

 「延長18回の熱戦」といえば、箕島対星稜よりも、「出島対宮野農業」といったノリになりがちだが、縁あっていくつか、あれこれと語り草になる試合を観戦したこともあるのだ。

 その試合とは、冒頭の「奇跡のバックホーム」といえば、高校野球が好きな人なら「ああ」とうなずいていただけるだろう。

 そう、第78回大会。1996年夏の甲子園の決勝戦、松山商業対熊本工業。あれを球場で直に見たことがあるのである。

 きっかけは野球好きの友人ハヤシ君に「甲子園行けへん」と誘われてのこと。ふだんなら1日に4試合みられる大会前半に行くのだが、このときはスケジュールの都合で決勝戦のみになった。

 金払って1試合しか見れへんって損やなあと思ったものだが、これが思わぬケガの功名になるのだから、まったく人生とはわからないものだ。

 試合は松山商の先攻ではじまった。

 1回の表、熊本工業は決勝のプレッシャーからかピッチャーの制球が定まらず、押し出しなどで3点を献上してしまう。

 熊本工にとっては痛い3点であったが、ここから持ち直して、試合は決勝戦らしい、しまった展開になっていく。

 松山商も攻めるが追加点は取れず、一方熊本工は2回と8回にそれぞれ1点ずつ返して、じわりじわりとにじり寄る。

 プレッシャーをかけられる松山商だが、そこはさすが決勝まで来たチーム。巧みな継投策で反撃を封じ、試合は9回の裏、二死でランナーはなしというところまで進むこととなった。

 どうやら、このまますんなりと終わりそうだ。私とハヤシ君は「なかなかいい試合だったね」なんて言いながら、閉会式を見るか、それとも帰り道が混む前に一足早く出て飲みに行くかを相談していた。

 われわれは3塁側の松山商業サイドの席で観戦していたのだが、そこに試合途中から、

 「51回大会の、延長18回の試合の関係者の方はいらっしゃいませんか」

 とダンボールに大書して歩いている男性がいた。

 あの伝説の、三沢高校との延長18回の死闘のことだ。私も本で読んだことがある。太田幸司さんが、アイドルみたいにキャーキャー言われてたらしい。

 松山商業のOBか、それともスポーツ記者なのかもしれないが、どちらにしてもその後集まって、打ち上げでもやるのであろうか。

 もし松山商が勝ったら、どれほど盛り上がることか。9回になってもその男性はいたが、すでに優勝を確信しているように余裕の表情を見せていた。

 そんなとき、ドラマが起こったのである。

 夏の甲子園も、いよいよクライマックス。バッターボックスに向かうのは、1年生の沢村選手。

 ここまで熊本工は2者連続三振と手が出なかったが、沢村は松山商業の2年生投手である新田の初球をフルスイング。

 打球は私のいた3塁側スタンドの前をスーッと通って、レフトのポール近くに吸いこまれていった。

 瞬間、なにが起こったのかはよくわからなかった。

 というのも、スタンドインのその刹那、巨大な甲子園球場が一瞬、水を打ったように静まりかえったからだ。

 いや、実際はそんなことあるわけがないし、今当時の映像を見直しても静寂などありえないのだが、体感では本当にスッと時が止まったように感じられたのだ。

 なので私はファールだと思った。なんや、いい当たりやのにおしいかったなあと、グラウンドに目を戻して、なにかがおかしいことに気づいた。

 沢村は2塁ベース付近を周りながらガッツポーズをしている。新田投手はマウンド上でペタンとへたりこんでいる。1塁側から割れんばかりの歓声。

 そして、スコアボードの9回裏には「1」の文字。

 ここでようやっと事態が把握できた。あの目の前の放物線は、ファールどころか、沢村が放った乾坤一擲にして起死回生の、同点ホームランだったのだ。

 終わっていたと思った試合に、とんでもないドラマが待っていた。まったく油断をしていた。

 よく「野球は筋書きのないドラマ」なんていわれるが、実際には試合をリードしている方が順当に勝つのがゲームというものである。筋書き通りなのだ。

 希少価値があるからこそ、ことさら「筋書きのない」などと強調される。

 そのドラマが、まさか目の前で起こるとは。ハラホレヒレ、こんなことって、あるの?

 現金なもので、劇的と知ったあとになってみれば、あのホームランは今でも目に焼きついている。

 カンという乾いた音とともに、吸いこまれるとしかいいようのない軌道を描いてスタンドに飛びこんだ。

 俗に「アーチをかける」なんていうが、なるほどホームランというのは美しいものであるなあと、今さらながら知ることとなった。

 これで3-3の同点でだが、流れからいえば圧倒的に熊本工業が有利である。

 先も言ったが私は野球マンガが好きだ。その世界では9回2死からホームランで追いつくようなチームは、かならず逆転勝ちを収めるのだ。

 もちろんまだ試合は終わってないが、少なくとも私が松山商業の選手なら、もうやる気をなくしていることだろう。

 ここまで来てやり直しなんて、あんまりだ。とっとと家に帰りたいよ。

 果たして、試合はまさかの延長戦にもつれこむこととなる。栄冠に手を触れかけたところで揺り戻された松山商業、一方押せ押せの熊本工業。

 だが、勝負の神様はこの延長に、さらにすごいドラマを用意して我々をおどろかせることになるのだ。



 (続く→こちら



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ブルネイではサッカーの試合に皇太子殿下が出ます 佐藤俊『越境フットボーラー』 その2

2018年02月03日 | スポーツ

 前回(→こちら)に続いて、佐藤俊『越境フットボーラー』を読んだおはなし。

 この本では香港ヴェトナム、はたまたアルバニアといった、日本ではまず知ることのないサッカーリーグのことが語られている。

 そのカルチャーギャップに、選手たちが戸惑いながらも立ち向かっていくところが読み所のひとつだが、中でもユニークなのが、伊藤壇選手がプレーしていたブルネイ

 ブルネイといえば豊富な天然資源でもって、その王族は世界一金持ちなどといわれている。

 大金持ちといえば、野球やサッカーに競馬など、スポーツのオーナーになったりするというのがひとつの定跡であるが、ブルネイの場合はさらにふるっていて、なんと試合に出場してしまう。

 世界の成金王族や独裁者といえば、そのありあまるでもって、バカでかい宮殿みたいなのを造ったり、国中に自分の銅像を建てたり、そういう、わりとトホホなことをしがちなところが、腕の見せ所(?)。

 ブルネイの王族もその御多分にもれず、不労所得を使ってマイケルジャクソンを呼んだり、やたらとでかい遊園地を造ったり、やることが変というか、実に独創的でユニークなのだ。

 莫大な天然資源マネーで造るのが、ゆかいな遊園地!

 ステキである、としか言いようがない。

 そんな庶民派(?)王族のブルネイだが、ビッグマネーの力で試合に出てくるのは、なんと皇太子殿下

 しかも、オープニングのスピーチとかではない。本当に選手として登場するのだ。

 それもエキシビションではなく、本式の公式戦でである。マジか。

 以前クロアチアでは、テニスのウィンブルドンチャンピオンであるゴーランイバニセビッチが、



 「どうしてもプロサッカーの試合に出たい!」



 ワガマ……ファンとして熱く要望し、なんと本当にクロアチアリーグの公式戦に特例で出場したことがあったけど、それ以上のご乱心である。

 日本でいえば、なでしこジャパンの試合に、愛子様佳子様が出場するようなもんか。

 なんとも、おおらかなリーグであるが、この天覧試合ならぬ天出試合とでもいうのか、これが当地では、なかなかの盛り上がりを見せるのだという。

 なんといっても、試合でプリンスが良いプレーを披露すると、ゴキゲンになって選手にボーナスが出るそうな。

 それも、さすがは世界の大金持ち。

 金一封なんてセコイことは言わずに、ドーンとベンツ一軒家

 当然のこと、みなプリンスにナイスシュートを決めてもらおうと、必死のパッチでアシストにつとめる。

 そらそうだ、これ以上効率の良い「出来高制」もあるまい。シュート一本、即ベンツ

 また、プリンスが、万一ケガなどされては大変なので、敵チームも下手なことはできない。

 ゴール前など、普通なら激しくタックルやチャージを決めるところを、そっと触れる程度。

 いわば、シューティングゲームの「無敵」状態なので、伊藤選手はいつもさりげなく、プリンスの近くでボールを追っていたという。

 そうすれば、自分もけずられないし、スペースが空いて、のびのびプレーできるからだ。

 昔、子供同士で鬼ごっこをやっていたときに、小さい弟とか妹がまじると、タッチしても鬼にならない「ごまめ」というルールがあったが、それを思い出してしまった。

 うーん、なんていい加減なという気もするが、これはこれで楽しそうである。

 フーリガンが暴れるとか、そんなギスギスしたゲームより、こっちのほうが全然健全かもしれん。

 なにより、このやり方だと、押しつけがましい愛国教育なんかよりも、よっぽど王族に親しみが持てるではないか。

 日本も取り入れてみればどうか。




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アルバニアやインドネシアのサッカーリーグってどんなの? 佐藤俊『越境フットボーラー』

2018年02月02日 | スポーツ

 佐藤俊『越境フットボーラー』を読む。

 日本人のサッカー選手といえば、Jリーグでプレーするのが夢であり目標だが、この本では海外で活躍する選手を追いかける。

 というと長友佑都香川真司といった、イタリアドイツという「本場」に挑んだ男たちかと思いきや、そうではないい。

 主にアジア中南米。

 またヨーロッパでも、マイナーな国でプレーする選手に、スポットを当てているところが、本書のユニークなところだ。

 たとえば、星出悠選手は社会人選手としてプレーしていたが、そこでチーム再編という事態に巻きこまれてしまう。

 社員として残るか、それとも安定した身分を捨ててでも、サッカーを続けるかの選択をせまられる。

 悩んだ末に渡米し、そこでプレーした後、紆余曲折あってトリニダートトバコリーグに所属することに。

 CONCACAFチャンピオンズリーグ(北中米カリブ海のクラブチームによる大会)に出場するなど、大活躍を見せた。

 中村元樹選手は、子供のころから海外でプレーすることを夢見ていたが、資金の問題などで断念。

 そこで、地道に日本でやっていくことを決意するが、なんと進学先の高校にはサッカー部がなかった

 やむをえずフットサル部に入るも、正規ルートからの、Jリーグへの道は閉ざされることに。

 だが、そこでくじけなかった中村選手は、単身ドイツに渡り、ヨーロッパやアジアのチームとも交渉。

 アルバニアリーグでプレーすることが決まり、現地メディアで

 

 「アルバニアで初めてゴールを上げた日本人」

 

 大きく取り上げられることとなった。

 酒井友之選手は、ナイジェリアで行われたワールドユース準優勝メンバーだが、その後所属したヴィッセル神戸から、戦力外通告を受けてしまう。

 エリートがまさかの挫折だが、サッカーへの想いは絶ちがたく、インドネシアに飛んでプレーを続けることに。

 インドネシアリーグなんて、日本では想像もつかないが、行ってみると待遇面は、下手なJリーグのチームより良かったそう。

 また収入面では落ちるものの、物価を比較すればむしろ日本にいるよりも余裕のある生活が出来るというから、なんでも聞いてみないとわからないものである。

 このように個性的な面々が登場する本書では、香港ヴェトナムインドといった、日本ではなかなか知ることのできないサッカー事情もかいま見えて、非常に興味深い。

 本書を読むと、そういった未知の世界に触れることができると同時に、世の中には「様々な生き方がある」と感じさせられる。

 もちろん、彼らもなじみのない外国では、言葉カルチャーギャップなどで苦労することも多く、



 「やっぱりJリーグでやりたいし、環境的な面では日本が最高」



 口もそろえるが、それでもインドネシア香港マレーシアなどは、下手に日本でくすぶるよりも、金銭面でも待遇面でも充実しているというのは、何度も出てくる話。

 また、人脈という点では、国内だけでは絶対に出会えないようなツテができたりもする。

 なにより、ひとりで当たって砕けて、「自主独立」の精神が、鍛えられるではないか。

 子供のころからサッカーやって、ユース高校選手権、Jリーグ、海外。

 というのがエリートの基本パターンであろうが、世界にはその道一本だけではない、他にも様々なルートや可能性が存在する。

 そのことが、教えられる。

 そうなんだよなあ。

 沢木耕太郎さんも『深夜特急』でいってたけど、日本では

 

 「進学→就職→出世コース」

 

 みたいな、正規ルートの人生からはずれてしまったり、自らの意志で降りたりした人、いわゆる「ドロップアウト」からの選択肢が少ないと。

 中には、ちょっと変則的な道を歩んだだけで「負け犬」とか「あいつは逃げた」などと、決めつける人もいる。

 ややもすると、スポーツの世界で体罰や、非人道的なしごきなどがはびこりがちなのは、この「正規ルート」を権力者側が「人質」に取っているから、という面もあるのではないか。

 でも、実際のところは人の生き方なんて千差万別だし、今のご時世、ドロップアウトせずに「逃げ切る」ことは難しいかもしれない。

 だとしたら、我々はこういう敷かれたレールからはずれた人の話に、もっと耳を傾けても、いいのではなかろうか。

 むしろこれからは、こういう生き方を出来る人こそが、生き残れるのかもしれないではないか。

 たとえ何が起ろうと人生は続くのだ。

 この本を読めば、たとえ一度はつまずいたりしても、やる気と工夫と努力次第では、なんなりとやりようはあるかも、と教えられる。

 進路で悩んでいる方や、自分が目指していた道から、ちょっと回り道してしまったという人にも、ぜひ読んでみてほしい一冊。

 少し視界が広がって、力がわいてくること請けあい。

 

 (続く→こちら




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セリエAのインテル……というか、サン・シーロ・スタジアム観戦記 その5

2017年08月13日 | スポーツ
 前回(→こちら)に続いて、カルチョ・スタジアム見学記第5弾。

 「サン・シーロは一度見ておいた方がいい」

 そう建築のプロからアドバイスを受けて、セリエAはインテルの試合を見に、スタディオ・ジュゼッペ・メアッツァをおとずれた私。

 イタリアはスリは多いし、お釣りはごまかすし、街はきたないし、メシはまずいし、意外と物価は高いし、ぼったくりバーには連れていかされそうになるしと、ロクな印象がなかったが、サン・シーロはそのすばらしさに感動した。

 これとくらべたら、マジでトレビの泉とかスペイン階段とか、どうでもいいです。イタリアって、ハッキリ言って過大評価されすぎだと思わされたけど、ここにきて一気の挽回を見せてくれた。

 なんて書いていると、おいおいスタジアムのことはわかったけど、肝心の試合の方はどうだったのだと言われそうだが、こちらの方は全然おぼえてないのだった。

 たしか、インテルと、あとフィレンツェでバティストゥータのいるフィオレンティーナの試合も見た記憶はあるんだけど、まったく頭に残ってない。当時は

 「守備的なイタリアサッカーは退屈」

 って言われてたから、そのせいかも。

 唯一思い出せるのは、スタジアムじゅうを飛びかっていたオレンジ。

 フランスでもイタリアでも、フーリガン対策で厳重なボディーチェックを受けたもので、発煙筒とかペットボトルとかは、没収されたもの。

 中には、ペットボトル持ちこみはOKだけど、フタだけはずさせるところもあった。危険な薬物や爆発する液体などを入れることを警戒してのようだ。

 それでも、なんのかのと手管を使って持ちこんだり、あとは事前にスタジアムに忍びこんで置いておくという豪の者もいるらしいけど、そういった濃い連中以外のインテリスタたちが持ちこんでいたのが果物のオレンジ。

 最初は、さすがイタリア人、オレンジが好きなんやなあと呑気に考えていたが、試合が始まって、そんなまったりした様子でないことにすぐ気づかされることになる。

 なんといっても、試合中そこいらじゅうに黄色い点がビュンビュン飛びかうのだ。そう、彼らは興奮すると、日本の野球場のような紙コップやメガホンの代わりに、オレンジをフィールド上にバンバン投げ入れるのだ。

 いや、それ危ないよ! と、こっちは思うわけだけど、ボディーチェックでそれを取り上げるわけにはいかない。みなニッコリ笑って、

 「食後のデザートさ」

 そう言われたら、どないしょうもないわけですな。

 でもって、首尾よく持ちこんだその食べられる凶器を、まるで、ドッヂボールみたいにブンブン投げまくる。蛮族か。だから、危ないっちゅうねん!

 こんな話をすると、そんなことして、当たってケガでもしたらどうするのかと、心配になる読者諸兄もおられるかもしれないが、まさにビンゴ。

 本当に当たってケガした人が出たのです。それも観客じゃない。試合をしている選手に!

 試合中、なぜか反則でもないのにプレーが中断され、会場が騒然となったことがあった。

 だれかケガでもしたのかとながめまわすと、ボールの近くで競り合っていた選手はみな元気そうだ。タックルやチャージのせいではないらしい。

 どうやら、選手たち自体もよく状況がわかっていないようだったが、目線を手前に落としてみて、ようやっとわかった。

 中断の原因となったのは、ゴールキーパーだったのである。

 敵側のキーパーが、ゴール前でうつぶせになって微動だにしない。どうやら、インテルファンが「死ね、このクソキーパー!」みたいに投げつけたオレンジが、その後頭部に見事命中。

 運の悪いことに、これが的確に急所をとらえたクリティカルヒットとなり、あわれアウェーで戦う孤独なキーパーはその場で昏倒。そのまま担架で運ばれる事態になってしまったのである。

 試合内容はおぼえてないが、このときの光景だけは鮮明に思い出せる。

 なんたって、手前側にいたゴールキーパーが実に美しいうつぶせの「大の字」になって気絶していたのだ。彼には申し訳ないが、それが「人文字」のパフォーマンスみたいで笑ってしまったのだ。

 ヒジ打ちや危険なタックルで痛めて退場というシーンは、サッカーではよく見かけるけど、

 「オレンジをぶつけられて退場」

 というのはなかなか見ない光景である。みのもんたに、ぜひ実況してもらいたかった。

 なんともマヌケな理由で試合から去る敵のキーパーを見ながら、さすがの荒々しいイタリア人も笑っていいのか反省していいのかわからず、なんとも妙な空気になっていたものであった。本場のサッカーはすごいなあ。



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セリエAのインテル……というか、サン・シーロ・スタジアム観戦記 その4

2017年08月12日 | スポーツ
 前回(→こちら)に続いて、カルチョ・スタジアム見学記第4弾。

 「サン・シーロは、一度見ておいた方がいい」

 そう建築のプロからアドバイスを受けて、セリエAはインテルの試合を見に、スタディオ・ジュゼッペ・メアッツァをおとずれた私。

 そこではイタリア技術のすごさを、これでもかと見せつけられたのだが、話はここで終わらないところがさらに驚愕。

 もうひとつ、サン・シーロが魅せてくれた「ワザ」は試合終了後のことだった。

 サッカーにかぎらず、こういった大きな施設で心配なのは、帰りの混雑である。

 関西なら大阪城ホールでのコンサートとか、PLの花火大会など、山ほど人が集まるイベントでは、やってる途中は楽しいけど、その帰路がとにかく大変なのだ。

 人混みで列は進まず、そのせいでみなイライラし、ついにはケンカになったり、最悪の場合ケガ人が出たりすることも。これでは楽しい時間が台無しだ。

 私も子供のころ、友だちと甲子園に高校野球を観に行ったら、その日は当時大人気だった池田高校の試合が組まれていた。

 そのせいで、帰りが大渋滞になってしまい、オジサン同士が派手に口ケンカをはじめたりしたこともあったのだ。暑かったしね。

 そんな記憶があったので、大丈夫なんやろかと多少ビビるところはあった。なんといっても、このサン・シーロ最大収容人数約8万人の大スタジアム。

 おまけに、客層もセリエAとなれば、それなりにガラも悪かろうというもの。もしかしたら、観客同士がなぐり合ったり、スタジアムに火をつけたりといった狼藉を働くのでは。

 そうなったら、われわれ日本人も、「次はイタリア抜きでやるなどゆるさん!」なんてことになって、ボコられたりするのではと心配していたが、あにはからんや、なんと試合終了後の撤収作業は、わずか10分ほどで終わってしまったのである。

 いや、これは本当におどろいた。終了の笛が鳴って、選手がロッカールームに戻って、さて帰りのバスはどうなってるかいなと歩き出したら、そこからスルスルと、無茶苦茶スムーズに客出しが完了したのだ。

 その間、本当に15分もなかった。あまりによどみなく人が動くので、ちょっと自分の席で待ってみたら、気がついたら客席に人が一人も残っていなかった。

 まさに太平洋ならぬ、サン・シーロひとりぼっち。すごい撤収能力だ。どうやったら、こんな簡単に8万人を動かせるのか。

 おまけに、こっちはのろのろと無人のスタジアムを出ていったのに、帰りのバスはちゃんと残っていて、すぐに乗ることもできた。

 そこから、これまたスムーズに次々とバスは発進し、どこまでも混雑やもめごととは無縁なのであった。「もし混みあって終バス逃したら」とかいうのは、完全に杞憂に終わったのだ。

 すげえな、イタリア! サッカーだと、ここまでちゃんとした作業できるんや。なんでそれを、別のところで生かせられへんねん!

 なんてつっこみを入れたくなるところだが、実を言うとこれもまた、私にサン・シーロのすごさを教えてくれた建築青年が語っていたことなのだ。

 「あそこは、観戦するにもいいんですけど、もっとすごいのが、試合終了後なんです」

 そういって、楽しそうに笑うのだ。中身については「行ってのお楽しみ」と保留されたけど、なるほどこれはもったいぶるだけの価値はあるなあ。

 なんでもこれは、多くの観客をサバくため、

 「計画段階から、そのように設計されていた」

 らしく、これまたイタリアの技術の粋のおかげなのだ。ただただ脱帽です。

 ただ不思議なのは、前回も言ったけど、なんでこのグレイトな面を、サッカー以外で使えないのか。

 もうちょっと他の面でもしっかりしたら、外国の旅行者の間で、

 「この宿はイタリア人が泊まってないから、荷物とか安心だよ」

 なんてヒドイこと言われんですむのに。人というのは、ホントわからんもんですね。


 (続く→こちら



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セリエAのインテル……というか、サン・シーロ・スタジアム観戦記 その3

2017年08月11日 | スポーツ
 八面六臂のカルチョ・スタジアム見学記第3弾。

 「サン・シーロは一度見ておいた方がいい」

 前回(→こちら)そう建築のプロからアドバイスを受けて、セリエAはインテルの試合を見に、スタディオ・ジュゼッペ・メアッツァをおとずれた私。

 サッカーよりもスタジアムメインで試合を見るってなんやねんと、われながら思わなくもないが、これが実際に来てみると、サン・シーロは本当にすばらしい施設でおどろかされた。

 とにかく感嘆なのは、圧倒的な試合の見やすさである。

 ゴール裏の真ん中あたりの席で見ていたのだが、そこから見下ろすと、長方形のフィールドが手に取るように目の前に展開される。

 ふつう、サッカーのゴール裏といえば自陣のところしか視野に入らず、反対の陣地にボールが行くと、遠くてなにをやっているかわからないものだが、このサン・シーロではまったくそんなことがない。

 いやホントに、あたかもグラウンド全体を将棋の盤でも見下ろすかのように、きれいに隅から隅まで俯瞰できるのだ。

 ちょうど、戦争映画などで司令官が地図を眺めながら作戦を立てるかのように。これには感動してしまった。フィールド全体が見えるから、他の競技場やテレビで見るような、

 「ボールのところにしか目がいかない」

 ということがない。

 真上に近いアングルから見えるから、たとえばドリブルしている選手の反対側からあがっていくディフェンスとか、キーパーのさりげない位置取りとかにも目が行く。

 11人全員が見えるから、パス回しのパターンだとか、ボールを持ってない選手の動きとか、選手の視線が今どこを向いているとか、そういったテレビではわからない細かいところが、手に取るようにわかるのだ。

 これには目から鱗が落ちた。

 すごい! サッカーって、こんなに場を広く使ってるスポーツなんや。

 素人はどうしても華々しいゴールシーンやキラーパスに目を奪われがちだけど、こうして見えないところで、どれだけの選手たちがシステマチックに動いているのか。

 ここに来て、私はかの建築青年が、

 「絶対に行くべきです」

 といった言葉の意味を理解したのである。

 たしかに、これは来た方がいい。ここで観戦したら、サッカーというスポーツの見方が根本的に変わる。なんというのか、競技がメチャクチャ「立体的」に見えるのだ。

 見るファンだけでなく、実際にプレーしている人も、絶対に経験してみた方がいい。

 今のように、テレビでも様々な視点から見られる時代でなかったため、フィールド上のスクエアな目線と違った、それこそ天の高見から見下ろす「神の視点」のようなものは、それはそれは新鮮だった。

 いや、これはホンマに感動しました。私はコロッセオやサン・マルコ寺院といった、イタリアの技術の粋を集めたはずの施設にはたいして心は動かされなかったが、このサン・シーロには心の底から、

 「イタリア人すげー」

 そう感服したのである。

 やるなあ、さすがはレオナルドを生んだ土地や。ただの色魔の国やなかったんやなあ。

 などと感心しまくりだったわけだが、なんと話はここで終わらず、もうひとつこのスタジアムは大きな「ワザ」を見せてくれたのだから、もう感心するしかないのである



 (続く→こちら
 



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セリエAのインテル……というか、サン・シーロ・スタジアム観戦記 その2

2017年08月10日 | スポーツ
 前回(→こちら)に続いて、イタリアサッカー観戦記。

 「サン・シーロはプロの建築関係者が見てもすばらしい」。

 との話を聞いて、一路ミラノにむかった私。

 ミラノは日本ではミラノ・コレクションなどで有名なわりには、滞在するにはさほど魅力はない街である。

 観光地は駅前にあるドゥオーモくらいだし、有名な『最後の晩餐』も修復具合がイマイチで、はっきりいってヘボい。メシも、これはミラノにかぎらず北イタリアの大都市はたいていそうだが、マズイ。

 あとは買い物くらいで、グッチやプラダの店では日本人観光客が黒山の人だかりになっているが、ブランドものに興味のないプロレタリアートには無縁の場だ。

 することがなくて、なぜか町の床屋で散髪などしながら時間をつぶして、さて陽も落ちたところでいよいよサッカーを見に出かける。

 インテルの本拠地であるスタディオ・ジュゼッペ・メアッツァはバスで行くこととなる。

 予想通りというか、サッカー目当ての日本人旅行者もけっこういて、同じバスに乗り合わせてあれこれ話したりもした。

 その中には某有名サッカー誌の元編集者で、今はフリーのライターとして活動しているという方もおられて、他の面々が、

 「え? ○○誌で働いてたんですか? ボク読んでますよ!」

 などと感激して、あれこれと裏話的なことを聞きたがっているのをよそに、そのライター氏は延々と同乗していた日本人女性をナンパしていた。おいおい、男も相手したれよ。

 そんなつっこみを入れているうちに、バスはサン・シーロに到着。土曜のナイトゲームというせいか、客席は満員であった。

 多いだけではない。熱気もすごかった。まだ試合がはじまってもいないのに、各所で「オーオー」という声援。

 隠し持ってきたのだろう、発煙筒を炊く者、酔っぱらっているのか、すでに小競り合いをはじめている若者もいる。

 うーん、これこそがサッカーの会場やよなあ。私はその盛り上がりに、はじめて

 「本場のサッカーや!」

 という高揚感を覚えた。

 これまでもベルギー、フランスでサッカーを見たが、それらの国のスタジアムはもっとおとなしかった。

 客層にブルーカラーのおじさんが多くて、気取ってないのはミラノと同じだけど、観客も声は出すけど粗暴ではないし、ましてや身の危険のようなものなど感じることもなかった。

 ところが、このサン・シーロではずいぶんと雰囲気が違う。なんというのか、誤解をおそれずに言えば、こっちのほうが数段いかがわしい。

 渦巻く熱気に、うっかりしていると事故に巻きこまれたりするんじゃないかとか、明らかに

 「サッカーだけが人生のダメおじさん」

 みたいな人がイッた目で声を張り上げていたりといった、全体的な「イケてない感」や、VIP席にはマフィアが座っていても違和感がないような、そういったアヤシサが爆発しているのだ。

そう、これこそがイタリアのサッカーである。彼の国と、そしてサッカーという競技自体が持つ光と、ドロドロとした生活臭あふれる陰の部分。

 それらが渾然一体となって、闇鍋のようになっている。なるほど、この空気感は確かに体験する価値はあるかも知れない。

 やはりサッカーは庶民の、それも人生イケてない人のスポーツ。日本ではときおり「野球vsサッカー」みたいな対立構造を作ろうとする人もいるけど、私からすれば、ヨーロッパサッカーの雰囲気で一番近いのは、

 「コテコテの昭和のプロ野球ファン」

 だと思うけどなあ。平和台とか藤井寺とか、あのへんだよ。同じ人種だ。

 そんな、大歓声と発煙筒の煙と、なぜかオレンジなど果物が飛び交う、とにかくカオスで魅力的なサン・シーロ・スタジアム。

 では、肝心の建造物としてのスタジアムはどうなのかと問うならば、これが見てビックリ。

 なんとまあ、予想以上に、これがすばらしいシロモノだったのである。

 私もこれまで野球やサッカーなどをいくつか生観戦したが、その感想はといえばたいていが、

 「こら、テレビで見た方がええやろうなあ」

 プレーが比較的近くで見られるテニスなどと違って、野球やサッカーは競技場の規模がでかい。

 必然、どうしても選手は遠く、それが誰で、どういうプレーをしているのかわかりにくい。

 それとくらべたら、テレビはアップで見せてくれるし大事なところはリピートしてくれるし、解説はうるさいことが多いけど、ボールを持っている選手の名前も教えてくれる。

 もちろん、生観戦は「雰囲気代」コミだから同列にはくくれないけど、単純に試合を見るだけなら、テレビの方が見やすいのはたしかである。録画もできるし。

 ところがどっこい、私はその概念をこのサン・シーロでくつがえされることとなったのだから、やはりなんでも経験してみないとわからないものなのだ。


 (続く→こちら





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セリエAのインテル……というか、サン・シーロ・スタジアム観戦記

2017年08月09日 | スポーツ
 サン・シーロ・スタジアムは、一見の価値ある建造物である。

 かつて欧州で、いくつかサッカーを観戦したことがあり、前回まではベルギーリーグ(→こちら)とフランスリーグ(→こちら)を制覇したことまでを語ってきたが、それが意外と楽しかったので、イタリアでも参戦してみることにした。

 なんといっても、私が欧州をまわった時期というのが、ちょうど中田英寿選手がイタリア進出を果たしたころ。

 そんな彼の活躍を見に、多くの日本人旅行者がペルージャやローマに飛んだのだ。そんなご時世の中、私も旅行中によったイタリアの地で、ヒデの活躍を、どーんと、特に見てはこなかったのである。

 などと告白すると、おいおい見てないんかいとつっこまれそうだが、まあ私は特に中田ファンというわけではないし、ヒデの試合は金持ち日本人からだましたりボッたくったりする悪のイタリア人が群がっていて、少々うっとうしいのである。

 そこで思い出したのが、以前ドイツを旅行中に会った、ある旅行者だった。

 彼は建築関係の仕事をしていたのだが、その内容に幅を広げるため、思い切って退職し、世界のいろんな建物を見て回る旅に出たのだという。

 その途上、イタリアではドゥオーモのような歴史的建造物から、ローマ時代の遺跡や下水道まで様々なものを見たが、

 「一番すごいと思ったのが、サン・シーロ・スタジアムなんですよ」

 素人の私にはわからないが、あれはプロから見ても、すばらしい出来なのだという。

 なので青年は、サッカーにはなんの興味もないのに、スタジアムだけを見に、わざわざチケットを取って試合に行ってきたとか。

 ふーむ、おもしろい視点だ。私もサッカーを見るにあたっては、選手のことを調べたり、現地の新聞で順位表をチェックしたりはしたが、

 「スタジアムが立派かどうか」

 には無頓着であった。

 たしかに、生観戦の魅力は、その競技場の存在も大きい。

 スポーツ観戦の話をすると、テレビ派と生派で議論することはあり、私個人は解説もついて家でダラダラできるテレビ派だけど、もちろん直に見るのも好きで、その場合は「どこでやるか」によって充実度も左右される。

 野球なら甲子園球場は、なんのかのいって歴史があって、施設が古いのも味になっている。

 単純にでかいし、屋根がない解放感と天然芝の美しさもあって、

 「やっぱ、野球はアウトドアやなあ」 

 しみじみそう思わされる。その逆に、申し訳ないけど大阪ドームは、福本豊さんが、

 「野球盤やな」

 とおっしゃった通り、いかにも安っぽくて物足りなかった。

 サッカーだと、施設はよくても陸上のトラックがあったりすると、ちょっと邪魔だなとか、海外でテニスを見たときは、フレンチ・オープンの開催されるローラン・ギャロスが、微妙に会場内など狭苦しいとかでイマイチだったり、やはり競技場の充実ぶりは試合の内容と同じくらいか、下手するとそれ以上に大事なものだ。

 そんな経験もあって興味を示すと、青年も熱心に「ぜひ、一度見てみてください」とすすめるのであった。

 これで心が決まった。よし、行先はミラノだ。

 お目当てはロナウドでもダービッツでもない。スタディオ・ジュゼッペ・メアッツァ(これが正式名称で、サン・シーロはその愛称)。

 ローマやペルージャでは中田英寿目当てにミーハー旅行者が集う中、そこをあえてはずして日本人選手のいない(当時)ミラノというのがシブい。

 しかも、これまた、あえてサッカーが二の次で、

 「試合のことはおぼえてないなあ。ボクの目当てはスタジアムの建築様式で、すっかりそっちに目をうばわれていたからね」

 などと語ってみた日には、いかにも玄人の旅行者のようで、周囲から一目置かれるに違いない。

 日程を見ると、ちょうど週末にインテルが試合を行うことになっていた。これを見ることにしようと、私はミラノ行きの列車に飛び乗ったのである。



 (続く→こちら



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