将棋巌流島決戦 団鬼六『果たし合い』で読む、伝説の真剣師 小池重明の晩年 その2

2017年05月30日 | 将棋・雑談
 前回(→こちら)の続いて、団鬼六『果たし合い』。
 
 人としてはダメダメだが、将棋だけは鬼神のごとき強さの真剣師、小池重明
 
 その実力はプロに匹敵するにもかかわらず、肝心なところで人生につまづいてしまう彼は、すべてを失い、ついに団鬼六邸へと転がりこむことに。
 
 

 「将棋指南にやとっていただけませんか」

 
 
 野良犬のような姿でそう請う小池に、団先生は、ひとつ提案する。
 
 
 

「こちらが用意する刺客を倒せれば、やとってやろう」

 
 
 さんざ迷惑をかけられた身であり、本来ならば、けり出してしまっても、おかしくはないはず。
 
 だが、小池重明という人はそのメチャクチャなキャラクターにもかかわらず、妙に人から好かれるところがあったという。
 
 そこで、ひとつ勝負となったのだ。このあたりが、団先生独特の「遊び心」の真骨頂か。
 
 先生が、こんなことを言いだしたのには、それなりの理由もあった。
 
 いくら伝説の真剣師とはいえ、将棋界から追放されて何年にもなる。
 
 そんな小池が、まともな将棋を指せるはずはなかろう、とタカをくくっていたらしいのだ。
 
 だったら、まあちょっとした余興として、おもしろかろうぐらいの気でいたら、あにはからんや。
 
 なんと小池はアマチュア名人の田尻隆司さん、元奨励会三段鈴木英春さん。
 
 そして後にプロ棋士になる伊藤能三段という、団先生が用意した強豪をなで切りにしてしまうのである。
 
 これには先生も腰を抜かし、しまいにはプロである富岡英作六段(当時)が、
 
 

 「小池は僕が斬ります」

 
 
 名乗りを上げるなど、座興のつもりが大騒動になってしまう。
 
 富岡はプロになったばかりのときに、一度小池に負かされている。そのリベンジの機会は、今こそだと息巻いているのだ。
 
 アマチュアどころか、プロも巻きこんでの事態に、団先生はこれを「巌流島決戦」と名づけて、その一戦に立ち会うこととなった。
 
 決戦の地を熱海起雲閣とし、佐伯昌優八段中村修七段塚田泰明八段といったプロ棋士に、正式な立会人まで依頼する。
 
 当初は物乞いを追い払うくらいの気持ちで、小池に接していた団先生が、プロまで担ぎ出してその戦いを見守ることとなってしまった。
 
 「遊び心」もここに極まれりというか、ここまでくるともう、おもしろがっているとしか思えないが、ともかくもプロアマの誇りをかけた大一番が、ここに立ち上げられたのだ。
 
 だが、この「巌流島決戦」は実現しなかった。
 
 その前哨戦ともいえる、横山公望アマとの戦いに、小池が敗れてしまったからだ。
 
 
 
 
 
 図はその中盤戦。
 
 ▲22歩と打ったところでは、先手の小池がハッキリ有利であると、団先生(アマチュア六段)をはじめ、アマ強豪の検討陣は口をそろえる。
 
 △同玉とは取れないが、かといって△33桂など逃げても、▲21歩成と玉のすぐそばにと金を作られるのが痛すぎる。
 
 またも小池勝利かというところだが、ここから横山も力を出す。
 
 
 
 
 
 
 △33銀と引くのが、団先生も思わず「あ!」と声が出た妙手
 
 ▲21歩成で、やはり桂をボロっと取られそうだが、それには△26馬(!)と引く、王手飛車があるのだ。
 
 この△33銀は守り駒を引きつけながら、△26から△71までのラインを開けたもの。
 
 ▲81飛成のような王手飛車を防ぐだけの手には、悠々△22銀と取って、先手の攻めは切れてしまう。
 
 あざやかな受けで、先手が大ピンチのようだが、ここで小池にまだ切り返しがあった。
 
 
 
 
 
 ▲44桂と打つのが「次の一手」のような好打で、△同歩と馬のラインを埋めつぶしてから▲21歩成なら、やはり小池が優勢をキープできていた。
 
 ところがなんと、小池はこの手を指さずに、▲41飛成といきなり切り飛ばす。
 
 △同玉に▲21歩成だが、これはさすがに攻めが細すぎて、先手がいけない。
 
 
 
 
 突然の暴発に、横山アマもおどろいたのではないだろうか。
 
 以下、大差になってしまい、後手が快勝。
 
 
 
 
 あまりに小池らしくない拙戦と言われ、観戦者も呆然
 
 はからずもプロまで出てきて大事になったことにおそれをなして、わざと負けたのではないかと邪推されたりもした。
 
 小池が敗れるときの状況を、団先生はこう書いている。
 
 名文なので、少し長いが引用してみたい(改行 引用者)。
 
 

 小池の顔面は真っ赤に充血していた。目が血走り、彼の呼吸の乱れが聞こえるようだった。

 私の目にも盤上の形勢はあきらかに小池の不利だった。いや、不利というよりもはや大勢は決している感じだった。

 小池の最後の望みは入玉しかないわけだが、大駒を二枚とも失っている小池には、入玉の一縷の望みもはかないものになっている。

  傷ついた狼がハンターに追われて必死に山頂めがけてよろめきながら逃げている感じ、公望はすっかりハンターになり切って大駒四枚を猟犬のように駆使し、傷つき狼を四方から網をしぼるようにして包みこんでいく。

 

 
 追いつめられた小池の、うめき声が聞こえるようだ。そこで団さんはさけぶ。
 
 

 私は、しっかりせんか、小池、とどなりつけたい衝動にかられた。

 長い間、将棋を指せなかった孤独からようやく開放され、念願のプロ棋士といよいよ剣を交えるという晴れの舞台を前にしながらなんで調子を狂わせてしまったんだ。

 この馬鹿、と、私は小池をどやしたくなっている。この一瞬、私は小池に対する数々の恨みも忘れて、泣きたいような気持ちになっていた。

 馬鹿野郎、どうせ斬られるならいさぎよく富岡に斬られろ、貴様をプロに斬らせてやるのは山狼になった貴様にかけてやる俺の最後の温情だ。

  山狼のお前が長崎チャンポンの横山公望如きに不覚を取ることは許さんぞ。
なんのために、ここまで俺をキリキリ舞いにさせやがったんだ、迷惑かけるなら最後までかけろ

 
 
 こうして、あらためて団先生の本を読み返してみると、氏の文章力の高さにやはりおどろかされる。
 
 「SM作家」「ポルノ小説」というと、なんだか即物的に書き飛ばしているような印象もあたえがちだが、そんなことはない。
 
 リーダビリティーが高く、それでいてライトな感じはまったくない。観察眼も鋭く、非常に文学性もある。
 
 というか、そもそも団先生のデビューは純文学
 
 ポルノは手慰みで書いていたら、たまさかそっちでブレイクしてしまったという、いわゆるコナンドイルのパターンなのだから、こういう人物伝だってお手の物なのである。
 
 個人的には、団先生の将棋作品は、山口瞳先生の名著『血涙十番勝負』と並ぶのではないかと考えています。とっても、とーってもオススメです。
 
 
 
 
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将棋巌流島決戦 団鬼六『果たし合い』で読む、伝説の真剣師 小池重明の晩年

2017年05月29日 | 将棋・雑談
 団鬼六『果たし合い』を読む。
 
 鬼六先生といえば、SMなどポルノ小説の大家であるが、私としては将棋ファンとしてのイメージの方が強い。
 
 今はなき『将棋ジャーナル』のオーナーになったり(その後大赤字を出して廃刊)、戦時中、捕虜になったオーストラリア人兵と、将棋を通じて交流したことを描いた『ジャパニーズチェス』。
 
 非業の死を遂げた森安秀光九段との思い出をつづった『牛丼屋にて』など、将棋を題材にしたエッセイに名作が多いのだ。
 
 団先生の語りには、独特の人情味があるが、その魅力を先生と交流の深かった先崎学九段はこう語っている(改行引用者)。
 
 

 団さんという人は、失敗した人間、寄り道や回り道をする人間に対して、異常なまでに寛容なところがある。
 
 それは、職業からくる気質というよりも、個人的な嗜好からきているような気がする。
 
 また、そのようなタイプの人間に頼られると、絶対に無下にはできない。

 
 
 といわれると、涙もろい人なのかといえば、そうでもなく、
 
 

 その情けのかけ方も独特であって、人情にほだされてというのとはちょっと違い、相手の人生に、ちょっとだけ付き合ってみるかという感じで、遊び心があふれていて、だから湿っぽくならない。

 
 
 その情でもなく理でもなく、「遊び心」という独特のスタンスが団先生の魅力である。
 
 そんな団先生による将棋エッセイの傑作といえば、名作『真剣師 小池重明』の元となった『果たし合い』であろう。
 
 賭け将棋を生業にし、アマチュアながらプロ相手に勝ちまくった、伝説の真剣師小池重明とのやりとりを描いたものだが、これがめっぽうおもしろい。
 
 この小池重明という人は、将棋の腕は一流だが、人としてはまったくダメダメであった。
 
 大酒飲みの博打好きと、これだけでもそこそこ問題なのに、加えて(へき)のようなものがあり、人生で重大な局面を迎えると、かならずといっていいほど、女とかけおちをしてしまうのだ。
 
 その際、人のお金も持ち逃げする。立派な犯罪である。
 
 そんなことをしていて、まともな生活などできるはずもなく、金もなくし、女も逃げ、もこわしてしまう。
 
 そうして尾羽打ち枯らし、頭を下げやりなおすことになるのだが、やはり同じことをくり返して遁走
 
 その「生き方下手」ぶりには、読んでいて
 
 「なんでそーなるの?」
 
 100万回くらい、欽ちゃんごとくツッコミを入れたくなる。まるで、西原理恵子さんのマンガみたいだ。
 
 ところがこの「ダメのフルコース」ともいえる小池重明が、将棋だけはおそろしく強いのだか、なんともすさまじい。
 
 プロを、それも並のそれでなく、田中寅彦中村修森雞二といった、のちのタイトルホルダーになる一流どころをも、次々と破ってしまう。
 
 その戦いぶりも破天荒極まりなく、二日酔いを迎え酒のビールでいさめながらアマチュア名人になったり。
 
 徹夜で飲み明かし、トラ箱にぶちこまれながら、そこから出てすぐ大山名人との対局(角落ち戦)に駆けつけ勝ったりする。
 
 その強さは、アマチュアながら、

 
 「特例で、プロにしてもいいのでは」

 
 という声が出たほどのものだが、このときもやはり、お世話になった人を裏切って女とかけおちし、ご破算にしてしまう。
 
 なにをやってるんや……。
 
 そんな小池の生き様を物語にしたのが団鬼六先生であり、そのもっともな関わりの時期が、『果たし合い』で書かれている。
 
 その圧倒的な力にもかかわらず、数々の不始末で将棋界から追放された小池は、すべてを失い、ボロボロの状態で団邸をおとずれる。
 
 そこで言うことには、
 
 
 

「将棋指南に、やとっていただけませんか」

 
 
 これには団先生も、大いにあきれることに。
 
 これまで散々、小池重明は人に迷惑をかけてきたわけだが、その被害者の中に先生もふくまれていたからだ。
 
 それを今さら「やとってくれ」とは、どの口が言うてるねん、と。
 
 はねつけてしまうのは簡単だが、団先生は思うところがあったのか、ここに、こんな提案をすることになる。
 
 

 「こちらが用意する刺客を倒せれば、やとってやろうではないか」

 
 
 
 (続く→こちら
 
 
 
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オーストリアの元祖「クレーキング」トーマス・ムスター その2

2017年05月26日 | テニス

 前回(→こちら)の続き。

 酔っ払い運転にはねられて、選手生命の危機におちいったオーストリアテニス選手トーマスムスター

 不条理な痛みに耐え、見事ツアーに返り咲いた不死鳥トーマスが、もっとも輝いた年が1995年だった。

 得意のクレーシーズンモンテカルロオープン決勝でボリスベッカーを破って優勝するなど好調をキープ。

 勢いにのって、フレンチオープンでも初の決勝に進出。

 ファイナルでは、6年ぶりの優勝をねらうマイケルチャンストレートで一蹴し、見事初優勝を飾ったのだ。

 かつてのチャンピオンで、ねばり強さでは定評あるマイケルをまったく寄せつけなかったのだから、このときのトーマスは本当に強かった。

 決勝戦で、マッチポイントを決めた、まわりこんでのフォア逆クロスもすごかったが、個人的に印象に残っているのは、準決勝の映像。

 そこではロシアの新星エフゲニーカフェルニコフと相対したのだが、あまりのトーマスの頑強なテニスの前に、さしもの「殺人ストローク」が売りのカフィも、手も足も出ない状態になっていたのだ。

 打っても打っても、それ以上の強烈なショットが跳ね返ってくる。

 まだ中盤なのに、すでに持ち弾のなくなったカフィは、なんと意表のサービスボレーを披露しはじめた。

 球速の遅いクレーコートで、しかも本来ならグラウンドストローカーのカフィがサーブを打ってすかさずネットにつく。

 無謀というか、ほとんど旧日本軍における玉砕「バンザイアタック」と変わらない暴挙だ。

 現に、ほとんどその成果は見られず、何度もパスで抜かれてカフィは大敗する。

 だが、そんな奇襲というか、はっきりいってやけくそに頼らなければならないほどに、当時のトーマス・ムスターをクレーで攻略するのは困難だったのだ。

 まさに、元祖「クレーモンスター」であった。

 そんな強すぎるトーマスであったが、現クレーの王者ラファエルナダルと、少しばかり違うところはといえば、これ。

 彼が本当にクレーの「スペシャリスト」だったこと。

 フレンチ・オープンをはじめ、のコートでは無敵の強さを見せるナダルだが、ウィンブルドンUSオープンなど、ハードコートのビッグタイトルも手にしている。

 プレースタイルこそ土が基本に置くけど、ラファはもっと幅広い世界に適応して登りつめたところが現代的だったが、トーマスの場合は本当にクレーコートこれ一本

 職人気質の専門家といえば聞こえはいいが、まあ平たく言えば土以外ではの一流選手といったところ。現に一度は世界ランキングでナンバーワンになりながらも、



 「1位っていっても、クレーコートでしか勝ってないじゃん」



 なんて批判されたものだ。

 トーマスからすれば、別にルールに反しているわけでもないし、グランドスラムのタイトルも取っての栄冠なのだから、揚げ足を取られる筋合いはない。

 わけではあるけど、まあ見ている方としては、多少は言われても、しょうがないかなという気はしないでもない。

 やはり、世界ランキングナンバーワンといえば、1年を通じてオールラウンドに活躍する選手がなるイメージがある。

 レンドルベッカーサンプラスアガシにしても、幅広い大会でタイトルを取っているが、いかんせんトーマスはクレーコートに偏りすぎだ。 

 特に球速の速いのコートは大の苦手にしており、ウィンブルドンは4度出場して、すべて1回戦負け

 ローラン・ギャロスを取った1995年以降など、ぶんむくれて出場すらしなくなってしまったくらいだ。

 そんなトーマスの極端なテニスのスタイルを象徴しているのが、たしか1997年だったかのオーストラリアンオープンのこと。

 全豪はリバウンドエースという比較的遅めのハードコートを敷いていたので、トーマスにもそこそこ戦いやすかったか2度ベスト4に入っているが、ある試合後のインタビューで記者から、



 「あなたはクレーコートでは最強だが、ハードコートでもやはり、そのプレースタイルを変えるつもりはないのか」



 これに対してのトーマスの返事が、



 「オレは今日、3本ボレーしたんだぜ。まだ文句があるのかい?」



 3本「」というのがイカしているではないか。

 これはまっすぐな回答なのか、それともひねった自虐ユーモアなのか。

 なんとも判断に苦しむところが、おもしろい。

 あのパワードスーツでも着こんでいるような頑強なストローク力と、耳から湯気の出そうなうなり声は、はっきりいって洗練さのかけらもなかったが、その無骨なところがトーマスの魅力でもあった。

 決してのあるタイプではなかったが、かつてのローラン・ギャロスは彼のようなプレーヤーこそが映えたのだ。

 現在、後輩であるドミニクティームが、かつての「スペシャリスト」のような、スピンの効いたショットを武器に、クレーで好成績をおさめている。

 今のところはまだ、ラファエル・ナダルやノバクジョコビッチ相手に授業料を払わされている段階だが、いずれ大きな結果を残せる才能であることは間違いない。

 大先輩に続いて、いつフレンチのタイトルをオーストリアに持って帰れるか、要注目だ。


 

 ■おまけ 1995年フレンチ決勝の動画は→こちら



 

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オーストリアの元祖「クレーキング」トーマス・ムスター

2017年05月25日 | テニス

 クレーコートの王者といえばトーマスムスターである。

 テニスの世界にはのコートで無類の強さを発揮する「スペシャリスト」が存在する。

 彼らのことを知りたければ、フレンチオープンの歴代優勝者のリストを見れば話が早く、9度(!)の優勝を誇るラファエルナダルや、やはり3度優勝のグスタボクエルテン

 その他カルロスモヤフアンカルロスフェレーロセルジブルゲラなど主にスペインの選手が目立つわけだが、私が個人的に

 

 「クレーの王者」

 

 と聞いて思い浮かべるのは、世代的にトーマス・ムスターだ。

 ムスターは1980年代後半から、90年代にかけて活躍したオーストリアの選手。

 クレーコーターらしいタフなプレースタイルと、サウスポーから繰り出されるパワフルなフォアハンドが持ち味だった。

 トーマス・ムスターと聞いては、まず、あの悲惨な事故のことからはじめなければなるまい。

 1989年リプトン国際で、トーマスはトーナメントの山をかけ上がり、準決勝でフレンチ・オープン優勝経験もあるヤニックノアを破って決勝に進出する。

 だがそこに、まさかの悲劇が待っていた。

 試合を終えたほんの数時間後、トーマスは酔っぱらいの運転するにはねられて、を負傷してしまうのだ。

 当然、イワンレンドルが待ち受ける決勝戦不戦敗に。

 いや、それどころか想像以上の大ケガであり、ツアーから長期離脱を余儀なくされたのである。

 半年近くコートに立てないこととなったトーマスは、回復どころか、選手生命の危機ともささやかれたが、ここからコート上で見せる以上の、不屈闘志を発揮し周囲をおどろかせることになる。

 車いす生活を送りながらも、カムバックにそなえ上半身だけでトレーニングを行った。ラケットを握って、腕だけで貪欲にボールを打ち続けた。

 試合や練習でのケガならともかく、愚かな酔っぱらいの過失だ。あまりにもバカバカしい人生の不条理。
 
 並の精神なら、自らの運命を呪い、やけっぱちになってもおかしくないというのに、トーマスはそれを受け入れた

 そしてただ、黙々と練習とリハビリに打ちこむのだ。

 泣き言を言っても仕方がない。なげいて歩みを止めれば、その分時間を無駄にするだけ。

 だったら、すぐに回復のため努力するのが正解なのは道理だ。

 もちろん、理屈ではそうであろうが、人間なかなかそう簡単に割り切れるものでもないはずだ。

 だが、トーマスはそれをやり遂げた

 彼はその疲れを知らないテニスのスタイルでもって

 

 「ターミネーター」

 「ダイ・ハード」

 

 あるいは怪物並のタフさから

 

 「ムンスター」

 

 などと呼ばれたものだが、それはただ彼がコート上で強かっただけではなかったのだ。

 静かな努力が花開いて、トーマスは見事にコート上に返り咲く

 いや単に戻ってきただけではない。より強く、よりタフになって帰ってきた。

 彼はその年、第一線から遠ざかっていた鬱憤を晴らすようにフレンチオープンベスト4に進出。

 その他の大会でも、離脱前におとらぬプレーを披露し、見事1990年ATPカムバック賞を獲得するのだった。


 (続く→こちら







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「初デートは水族館がベスト」ってホント? 大阪にあった「海遊館伝説」の真偽

2017年05月22日 | 若気の至り
 「デートといえば海遊館やろ」。

 大阪の若者が、はじめて彼女と出かけると言えば、こうアドバイスされる時代というのがあった。

 今なら大阪で遊びに行くといえばUSJだろうが、私が学生のころは、

 「彼女との初デートは海遊館が無難」

 という言い伝えがあり、少なくとも私の周辺では、みな女子と知り合うと、とりあえず海遊館に足を運んだものだった。

 今にして思えば、当時のモテる関西女子はきっと、ちがう男とデートするたびにアホほど海遊館に連れて行かれて、辟易したにちがいない。

 とはいえ、初デートで「もう、何回もきたから」ともいいにくいだろうし、下手すると、

 「ほんなら、前はだれときたんや!」

 なんて嫌な感じのカウンターパンチが飛んでくる可能性も大いにあり(なんたって若造だし)、ディズニーランドほどには「何度行っても楽しい」感も少ないだろうし、まったくもってご愁傷様としかいいようがないのである。

 では、わが青春時代の90年代に、なぜにてそんな海遊館が推されていたのかといえば、ある友人によると、

 「水族館は『順路』があって、その通りに歩いてたら、それなりに楽しめるやろ。だから、男からしたら楽なんや」。

 なるほど、最初のデートで、それこそディズニーランドみたいな大きめの遊園地とかに行くとフラれやすいというのは、

 「選択肢がありすぎて、なにをしていいかわからない」

 ことが原因のひとつに数えられる。

 勝手がわからずウロウロして醜態さらしたり、まだお互いなれてないから、乗り物の待ち時間で会話が続かなくて気まずくなったり。で、

 「あかん、コイツはでけへん男や」

 との烙印を押される。一時期はやった成田離婚とかは、これのインターナショナルバージョンであろう。

 そういう意味では水族館は、会話なしでも気まずくならず2時間くらいつぶせる映画館に行くのと、思想が似ているかもしれない。

 要は、「することが決まってる」というエクスキューズによって、初デートの緊張と経験値の少なさと、まだ微妙なおたがいの距離感をカバーできるということだ。

 さらにいえば映画やライブは「当たりはずれ」や好みの問題もあり、観たあと盛り上がれるかは賭けなところもあるし、その点でも「かわいい海の生物」というそれなりのアベレージを見こめるものがあるというもいいか。

 「かわいい」って言っておけば、なんとなく楽しいっぽいし。当たってるかどうかは別にして、ひとつの説ではある。

 ちなみに、友人サクラバシ君は、やはりこのセオリー通りに初デートは海遊館を選んだのだが、「ちっとも盛りあがらんかった」とぼやいていた。

 それはなぜなのかと問うならば、

 「オレ、魚嫌いやねん」

 とおっしゃる。なんでやねんといえば、

 「だって、あの目が怖いもん」(同じ理由で鳥もダメらしい)

 ……って、それやったら水族館選ぶなよ!

 と、つっこみたくなったが、そんな重度の魚嫌いでも、行かねばならんと思わせるところが、さすが我々は最後の偏差値重視マニュアル世代である。

 とりあえず、セオリーには従う。それくらいに、「初デートは海遊館」という呪縛は強かった。

 ちなみに、魚嫌いのサクラバシ君だが、刺身は「目がないから大丈夫」ということで好物らしく、同じ理由でフライドチキンもOKだそうである。





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運動不足のインドア派にオススメ 部屋でもできる「玉吉体操」&「四股を踏む」 その2

2017年05月19日 | コラム

 自宅でできる、手軽で簡単な運動法はないもんかね。

 というのは、運動不足やダイエットに悩む人たちに共通した思いであろう。

 そこで前回(→こちら)は漫画家である桜玉吉さんの提唱する「玉吉体操」を紹介したが、

 「あれはちょっと恥ずかしい……」

 という人のために、もうひとつオススメのインドア運動法を。

 それは「四股を踏む」

 これは友人ウエノ君に教えてもらったのだが、別に彼が力士というわけではなく、持病の腰痛治療にいい方法はないかと、かかりつけの医師に相談したそう。

 そこですすめられたのが「水中ウォーキング」と「四股」。

 ふーん、四股ねえ。やってもいいけど、そんなんジョギングとかにくらべて運動になるんかいな。

 そういぶかしんだものだが、ウエノ君は

 「家でできるし、まずはやってみ。意外とこれが、しんどいねん。ま、最初の5分でわかるわ。ハアハアいうで」

 そんなもんかねえと、帰ってさっそく足を開いた蹲踞の姿勢を取り、パンと前で手を合わせ、はーあ、ドスコイードスコイ! 

 気分を盛り上げてから、えいやっと右足を高々と持ち上げ、ここで「極真空手」のホームページから、「正しい四股の踏みかた」を。


 1.しっかりと腰を下ろします。四股踏み全体の姿勢として、背筋を伸ばすように行います(猫背にならない)。

 2.腰を下ろした状態で重心を片側に乗せます。注意点は、腰を上げてから重心を片側に乗せるのは負荷がかからないため、筋肉を効率よく鍛えることができませんので、腰を下ろした状態で重心を片側に乗せることがとても重要です。

 3.足をゆっくりとなるべく高く上げます。最初は無理をせず、だんだんと足を高く上げるようにしていきましょう。また、なるべく両足の膝が曲がらないように気をつけましょう。

 4.足を下ろしたとき、写真1のように手で体重を支えてはいけません。手は足に乗せずしっかりと腰を下ろします。そうすることで股関節が軟らかくなっていきます。

 
 
 これらを、ふかーく深呼吸しながら、やってる。

 なーんや、簡単やん。

 腕立てや腹筋と違って、たいしてしんどいこともないし、この程度でヘバるとはウエノ君、貧弱貧弱ゥ!

 そう余裕をカマしていられたのは、最初の5分だけ。

 これがですね、やってみると、メッチャしんどいんです。

 たしかに、10回もやると息が切れる。

 しかしまあ、何ごとも継続が大事。それに、簡単にできる割には「運動したー!」って気分にもなる。

 なにより、テレビでも見ながら気軽にできるのがいい。

 人間なにごとにもなれで、ウエノ君の言う通り最初はきつかったシコだが、週3、4回程度、ちょっとした空き時間とかにやってるうちに、少しずつ長時間できるようになってきた。

 効果の方なんですが、これがですね、あったんですよ。

 なんとなしに2ヶ月ほど続けてみたら、ある日気づいたのだ。

 「おお、めっちゃ足腰が強くなってるやん!」。

 ウォーキングをするとよくわかったのだが、今までだったら1時間くらいで「そろそろ帰ろうかな」となってたところが、2時間歩いても平気くらいに。

 明らかに、腰に元気がある。腰痛に効果があるというのも、こういうことかもしれない。
 
 あと、これは気のせいかもしれないが、

 「顔が、ひきしまったんじゃない?」

 とも言われることも。

 うーん、女子にそう言われると、ますます蹲踞の姿勢に力がはいっちまうぜ! 

 ふたたび極真によると、四股の効果は、


 1.大腿四二頭筋、大腿二頭筋を効果的に鍛えられる

 2.ゆっくり行うことで有酸素運動になる

 3.股関節を柔軟にすることができる

 4.蹴り技の際のバランス感覚を養える



 などなどだそう。

 極真空手の大山倍達もオススメの四股。かなり、きたえられます。

 


 

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運動不足のインドア派にオススメ 部屋でもできる「玉吉体操」&「四股を踏む」

2017年05月18日 | スポーツ

 自宅でできる、手軽で簡単な運動法はないものか。

 というのは、運動不足ダイエットに悩む人たちに、共通した思いではなかろうか。

 ジムに行くのはめんどくさいし、ジョギングウォーキングの日や真夏だと出られない。

 ルームランナーなど器具は高い場所も取る。ストレッチではちょっともの足りない。

 かくいう私も、なにか部屋で出来る運動はないかとあれこれ模索したもので、


 1.エア縄跳び(下の階の人に迷惑)

 2.ヒンズースクワット(ヒザが痛くなる)

 3.踏み台昇降(単調なのでやっていて飽きる)


 など試行錯誤したものだが、その末に「おお、これは!」とたどりついたものがあり、それがその名も「玉吉体操」。

 これは、『しあわせのかたち』や『防衛漫玉日記』を描かれた漫画家の桜玉吉さんが考案した運動法。

 漫画の中で紹介されていて、自分もなんとなくやってみたら、これがなかなかのスグレモノだったのだ。

 やり方は、ものすごく簡単。

 部屋でテキトー踊る。これだけ。

 玉吉さんは最初、NHKでやっていた気孔体操をまねて舞っていたそうだが、そのうちどんどん振り付けがアバウトになって、今では独自の進化を遂げたのだという。

 中でも音楽を取り入れたのが大正解で、仕事で煮詰まったときなど、お気に入りのCDをかけて気分転換に踊っていたら、1時間でも2時間でも経って、たいそう運動になる。

 おかげで体調もすこぶる良好になり、それだけで7キロの減量に成功したという。

 玉吉さんが自賛するところでは


 「お手軽で経済的ですばらしい儀式」。


 これがですねえ、最初はバカにしていたんですが、やってみると意外なほどハマるんです。

 玉吉体操のいいところは、とにかくわずらわしいルールがない。

 音楽をかけて、あとは好きに体を動かすだけ。

 ステップを踏むもよし、飛び跳ねるもよし、体をプルプル振るもよし、とにかく本能のままにレッツ・ダンシング!

 振り付けを覚えたり、「○○運動を毎日5セット」とか制約もないし、かかるお金はゼロだし、の日でもできる。

 気分が乗らないときには、10分程度でやめても、けっこうスッキリするもの。
 
 服装も自由だし、なんだったらでもいい。

 玉吉さんは「パンツ一丁万歩計」という姿でやっているそうだが、たしかに解放感はありそうだ。カーテン閉めるのを忘れると大変だが。

 アレンジも自由。

 気分を変えるために、太極拳風にやってみたり、ヨガを取り入れたり、フリが思いつかなければラジオ体操でもよし。

 ソニックビートでも盆踊りでも、とにかく、ロケロケロッケンと踊るだけなのだから、なんと楽ちんなのか。

 運動オンチでもかまわない。だって、適当に踊るだけだもーん。

 だれに見られるわけじゃなし、遠慮することなくへっぽこな舞を舞いましょう。

 とにかく「ルールなし」。このハードルの低さが魅力です。

 こんな、コストパフォーマンスは最強な玉吉体操だが、唯一の欠点は、玉吉さん自身が言うように、


 「人にすすめると、必ず失笑を買う」


 アハハハハ! その通り。この玉吉体操に躊躇するのは、



 「やっている姿が、すごくマヌケ」



 だから、正確には「部屋でできる」じゃなくて、「部屋でしかできない」。

 そらそうだ。パンツ一丁で万歩計振りながら、「う~う~まん~の~くら~い~♪」なんて歌って気孔体操をやってたら、ただの変態ではないか。

 かくいう私も、いつものようにミッシェルガンエレファントのDVDを見ながら楽しく踊っていたら、を開けていたせいで、外から丸見えの丸聞こえ。

 イモジャー姿で大暴れしているのが白日の下にさらされ、赤っ恥とはこのこと。

 こんなノリすぎ注意の「玉吉体操」は効果も「継続力」も抜群。

 インドア派の皆さまに、ぜひともオススメです。


 (続く→こちら




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将軍サマは爆笑コント王? 宮嶋茂樹『不肖・宮嶋 金正日を狙え!』

2017年05月14日 | 
 宮嶋茂樹『不肖・宮嶋 金正日を狙え!』を読む。

 金正日といえば、今でこそ偉大なる首領様とか、主体思想とか、悪の枢軸とか、ならず者国家とか、おそるべき独裁者としてニュースなどをにぎわしていたが、ちょっと前までは写真の一枚も流出しなかった、謎のベールで包まれた人物であった。

 その北の将軍サマを日本ではじめてスクープしたのが、「不肖・宮嶋」こと、カメラマンの宮嶋茂樹氏。あの有名な、「東京拘置所の麻原彰晃」を撮った男だ。

 モスクワを訪問することとなった将軍様を追いかけて、ロシアの大地をにしひがし。カメラかついでかけずりまわり、まだ知られざる独裁者の姿を激写し続けた。本書はその突撃の記録である。

 ロシア警察や北朝鮮SPとやりあい、特殊部隊の照準をかいくぐり、シャッターを切る不肖・宮嶋の姿はまるで映画『スターリングラード』における凄腕スナイパーの戦いのよう。

 と書くと、なにやらずいぶんハードな内容のようで、硬派なドキュメンタリーのようだが、どっこい読みどころがそこだけではないところが、本書のキモである。

 この本は、そんなスパイ映画のようなヒリヒリした追跡劇であると同時に、これが全編、かの喜劇王チャップリンも裸足で逃げ出す大爆笑の記録になっているのだから、二重にたまらないのだ。

 そうなってしまった原因は、ひとつに宮嶋氏のガテンでスピード感あふれる文体のおかげだが、やはりもう1人の主役である金正日総書記の存在にある。
 
 我らが偉大なる将軍様といえば、アジアの独裁者、悪の枢軸と並んで表されるそのキャラといえば、「独裁者界最強のオタク」でもある。

 元々映画好きで知られており、日本の作品も大好き。果ては自らがメガホンを取り、ゴジラ役者である薩摩剣八郎を招いて怪獣映画を撮るというオタクぶり。

 これはもう、どう見ても悪の独裁者というか、全体的に見て大槻ケンヂさんの『グミ・チョコレート・パイン』に出てきそうなボンクラ男子。まちがいなく、『映画秘宝』読んでることだろう。

 「人としてボンクラ教」の教祖を自認する私としては、「独裁者兼センスが高校の映研」という彼の生き様には、非常なる興味を覚える。でもって、この本に出てくる将軍サマは、いい感じでボンクラなんだなあ。

 将軍サマのおとぼけぶりはといえば、まず飛行機が怖いため移動はすべて列車。

 大韓航空機爆破事件のトラウマという説があるが、もうひとつ「ただの鉄道マニア」という説もある。

 ホンマかどうかわからないが、こういう説が出ること自体がいいキャラである。

 その専用列車も、将軍サマの快適な乗り心地を重視したノロノロ運転をするもんだから、ダイヤが乱れまくってロシア人大迷惑。

 それだけならまだしも、美術館をいきなり「貸し切りにせよ」などと命令する。

 おお、貸し切り、これぞビッグマンの象徴である。世界のVIPといえば貸し切り。

 マイケル・ジャクソンがアニメイトやディズニーランドを一人で貸しきったようなものか。そういえば、マイケルもわれわれがあがめるべき「偉大なるボンクラ」だ。

 が、世界のマイコーならともかく、北の将軍サマではそれは通じないようで、せっかくおとずれたロシア人の客が大激怒(そらそうだ)。

 「だれや! 勝手に閉めたヤツ!」

 と怒りまくり、警察が

 「我慢せえ、北朝鮮から来た金正日や」

 となだめても、

 「キムジョンイル? そんなオッサンしらんわ! ただのチビやんけ!」

 なんて、北朝鮮の人民が聞いたら卒倒しそうなセリフが飛びかう。

 核を持ち、アジアでもっとも危険な男が、ロシア人からしたら「ただの知らんオッサン」とは、実にざんない話である。ロシアといえば、数少ない友好国だというのに、このあつかい。

 また、その騒ぎを自分に対する歓迎だと勘違いして、「お出迎えご苦労」と、ブチギレしている人々に笑顔で手を振る将軍サマがいい味である。見事な天然っぷりだ。

 騒ぎはそれだけで収まらず、場当たり的に「あっち行きたい」「いや、こっちがええなあ」とスケジュールを変え、各所で混乱を誘発し、無名戦士の墓ではマナーも守らず(というか知らなかったらしい)周囲をあきれさせる。

 もちろん「喜び組」のオネーチャンも呼びよせ、好き勝手しまくり。ロシアの警官に「なんでこんなヤツ、警護せなあかんねん」と、深い、深い、ため息をつかせる。お仕事、ご苦労様です。

 とどめには、インターコンチネンタルホテルに予約なしで泊まろうとして断られ、一般客の列(!)に並ばされてオレ様ご立腹などなど

 「どんな、ようできたコントや!」

 とつっこみたくなる将軍サマ。絶対、台本あるだろ。ナイスすぎるではないか。

 一番すごかったのが、ロイヤルバレエを観劇する場面。

 ロシアのバレエは基本的には撮影禁止らしい。著作権の問題もあるが、下手にフラッシュをたくと演技の邪魔になるし、オーケストラも楽譜が白く光って見えなくなるためだとか。

 「人間のクズ」と呼ばれたこともあるという不肖・宮嶋でさえも

 「勝負は幕間の休憩や」

 とカメラをしまっていたが(ちなみに将軍サマが「勝手に」カメラ持ちこみ規制をかけ「勝手に」金属探知器を用意したが、それが壊れていて意味がなかったというお間抜けなエピソードまである)、幕が開くと同時にバッシバッシとフラッシュの音が。

 出所はもちろん将軍サマの二階席。北朝鮮SPがカメラでもって撮影しまくり。おいおい、著作権は? 観劇のマナーは?

 そんなことは、偉大なる将軍サマの前には風の前のチリに同じである。苦しゅうないぞ。余は満足じゃ。

 とどめには、36ミリフィルムまでが登場し、舞台を録画しはじめるではないか。

 チャイコフスキーも指揮棒を振るったバレエの聖地で、カメラがガラガラガラガラと盛大に音を立て、世界最高の劇場の雰囲気を、場末の映画館へと変貌させる。

 とどめは舞台が終わったあと。将軍サマのわがままにめげず舞台をやり遂げ、笑顔でカーテンコールをする演者たちの前に、ドーンとバカでかい花輪が届けられたのだ。

 金ぴかに縁取られたそれは、どう見てもバレエというよりは「新装開店」といった様相を呈しており、ほとんど『笑っていいとも』のテレフォンショッキング。

 ここまでくると、ワザとやっているとしか思えない。バレリーナたちの笑顔は引きつるばかりなのだった。

 とまあ万事がこの調子でもう爆笑につぐ爆笑。いやもう、すばらしすぎる将軍サマのパフォーマンス。

 やはり、「人としてボンクラ教」には、欠かせない戦力である。こういうのをリスペクトというのだろう。

 本書を読むと、あの偉大なる独裁者も私と同じア……もとい人間なんだなあと、なんだか存在がぐっと身近に感じられる。

 これで北朝鮮人民の塗炭の苦しみさえなければ、もっと楽しく読めたのに。そこが残念といえば残念だ。




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モーガン・スパーロック『ビン・ラディンを捜せ!』を観て、なぜかプロレスについて熱くなる その2

2017年05月11日 | 映画
 前回(→こちら)の続き。

 アメリカのドキュメンタリー監督であるモーガン・スパーロックに憤っている、わが友ミテジマ君。

 その理由は、『ビン・ラディンを捜せ!~スパーロックがテロ最前線に突撃~』という映画の中で、プロレスファンのパキスタン人おじさんが、その愛について、

 「プロレスはガチだからね」

 そう語ったところ、モーガンがこんなことを言ったからだ。

 「でも、これはショーだろ」。

 これには、思わずテレビの前でさけんでしまった。

 なんてことをいうんだモーガン!

 プロレスはガチではない。それは売れっ子アイドルのファンをつかまえて、

 「こんなかわいい子が、彼氏いないわけねーじゃん」

 「芸能界目指すようなイケイケだよ? 裏で派手に遊んでるに決まってるって」

 なんて言うようなもんだ。下手すると、その場で撃ち殺されても文句は言えない。

 私もヤングのころはデリカシーがなかったので、よく

 「プロレスって、八百長やろ」

 などと発言して、胸倉をつかまれたり、苦笑されたり、深夜営業のファミレスで朝までこんこんと説教されたりと、失敗をくり返してきたもんだ。嗚呼、モーガン、キミはその重みを知らないのである。

 そのへんの事情はわかるので、オサマが出てくるまでもなく、アメリカ対イスラムの一触即発なことになるのではないかと緊張が走ったが、そこはパキおじさんも、笑顔こそひきつっていたものの、

 「でも決勝はガチンコだよ、ベルトがかかってるからね」。

 見事な大人の対応を見せた。

 私はここに、信仰の力というのを見た。イスラムのことではない。プロレス愛のことだ。

 このパキおじさんは、今でもプロレスはガチだと信じている。少なくとも決勝は。いや、そりゃワシだって心の底では……、いやいや、んなことはない! ベルトがかかっているもの!

 私はこの場面で、ミテジマ君の憤慨を理解した。というのも、日本でプロレス人気が衰退したのは、

 「プロレスはショーです」

 と、はっきり認めてしまった瞬間からといわれている。

 そら、みんな薄々はわかっている。でも、あえてそれをいわずに、肉体と肉体とがぶつかりあう、「プロレス的」真剣勝負を楽しむというのが、粋人の魂ではないか。

 まさにアイドルと同じだ。わかってる、そんなもんわかってるねんと。でも、そこをガチと信じるもよし、斜めからの視点でも結構だけど、「すべて受け入れて」楽しむのがファンの正しい態度なのだ。

 それをつかまえて、いかにも「どや」な顔で「王様は裸だ!」と笑う、そんなさかしらな態度など笑止である。

 プロレスとは、そういうものだったはずだ。私はプロレスには興味はないが、その「純度」みたいなものの高さは認めているつもりだ。そこに

 「でも、ショーなんでしょ(笑)」。

 たしかにヒドイ。モーガン、あんたは頭が良くて、社会問題解決にも貢献してるか知らんが、人の心はわかってない! 

 いかに世界を語ろうが、すばらしい芸術を創作しようが、市政に生きる人々の夢を、悪気こそないとはいえ冗談にしていいのか。

 NO! 断じてNOである! ボンクラ男子、なめんなよ!

 当然のこと、パキおじさんもイラッとしたはずだ。

 敵国から来たこの青年は、明朗快活ないい男であると。これなら、もしかしたら将来アメリカという国と仲良くなれるかもしれない。そんな希望を抱いたのかもしれない。

 そこに「プロレスはショー」発言。

 わかってないぞ、モーガン。では聞くが、果たしてキミは同じノリで、

 「イスラムとか言うけど、ホントはアラーなんていないんでしょ?

 そう彼らの前で訊けるのか?

 これは揚げ足取りではない。実際のところ、この映画のテーマともかぶるところがあるのだ。

 モーガンが作品を通して言いたいことの中に「リスペクト」があると思う。異文化、異民族でも、それぞれちがっても同じ人間だ。

 「自分とちがうから」「興味がないから」「わからないから」「バカバカしいから」といった理由で排除してはならない。お互いに尊重しあえるよう、もっと知り合おうではないか。

 だったら、「イスラム」は認めるけど、「プロレス」はイジってもいい、とはならないのではあるまいか。「信じている」という意味では、この両者は等価のはずなのだから。

 教養も才能あるキミなら、話せばわかってくれるはずだ。モーガンよ、今からウチの近所のデニーズに来いと。ミッキー・ロークの大傑作『レスラー』を観ながら、朝までディスカッションしようじゃないか。

 なんで新日と全日の区別もつかないド素人が、こんなにもプロレスのために熱くならなければいけないのか意味不明だが、本来なら、それこそ米パ戦争が勃発してもおかしくない暴言だったかもしれないものに、おじさんはグッと耐えた。

 そして惑いを押し殺して、

 「プロレスはガチンコ」。

 こんな男らしい宣言はあろうか。

 ミスター高橋氏によるプロレスショー宣言のあと、近所の居酒屋でレモンチューハイをあおりながら、

 「わかってたよ。でも、でもなあ……」

 と、私の前で男泣きに泣いたミテジマ君が、このモーガンの発言に立ち上がったのは、しかりであろう。

 たしかにこれはダメだよ、モーガン。あんたは気の利いたジョークのつもりかもしれないけど、パキおじさんは、ちょっと狼狽してたじゃないか。

 日々まじめに働いて、仕事終わりのプロレス観戦が楽しみというお父さんに、

 「でも決勝はガチンコだよ、ベルトがかかってるからね」。

 へどもどと、こんな発言をさせてはいけないのだ。これは理屈抜きの、男の仁義として。

 以上の旨をミテジマ君に伝えると、

 「そう、そうやねん! シャロン君、わかってくれたか!」

 大感動されてしまった。

 もう一度言うが、私はプロレスどころか格闘技全般になんの興味もないけど、それにしたってゆるせる、ゆるせないの基準くらいはわかる。

 こうして深夜の居酒屋で、大いにその友情を確かめ合った私とミテジマくんは、その後も子供のころ読んでいたマンガ『プロレス・スターウォーズ』や、ファミコンの『タッグチームプロレスリング』の話で盛り上がり、それを聴いていた別の友人の、

 「あのさあ、そのスパーロックとかいう人に代わって言うけど、たぶんその映画の見るところ、そことちゃう気がする……」

 という言葉は、店の喧騒の中に溶けていったのであった。



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モーガン・スパーロック『ビン・ラディンを捜せ!』を観て、なぜかプロレスについて熱くなる

2017年05月10日 | 映画
 「モーガン・スパーロックほど、悪逆非道な男を見たことがない!」。

 そんな憤りの声をぶつけてきたのは、友人ミテジマ君であった。

 モーガン・スパーロック、といえば映画ファンにはなじみのある名前だ。アメリカのドキュメンタリー監督。

 代表作ともいえる『スーパーサイズ・ミー』では、マクドナルドのメニューを30日間食べ続けるという「人体実験」で、ファストフードにかたよったアメリカ人の食と健康事情をレポートした社会派である。

 それが悪逆非道。はて? まじめで、世界の諸問題と積極的に向き合うインテリ監督に、そんな言葉は似合わない。友はなにをもって、モーガンをそんな糾弾するのかと問うならば、

 「これや、この映画を観てくれたら、コイツがいかにヒドイ男かわかる!」。

 そうして紹介されたのは、モーガン・スパーロック監督作品である『ビン・ラディンを捜せ!~スパーロックがテロ最前線に突撃~』。

 内容としては、9.11のテロののち、子供の将来に不安を持ったモーガンが、

 「オレが悪のボスであるオサマ・ビンラディンを自ら捕まえたる!」

 そう宣言して、イスラム圏の国々を回り、捜査するというもの。

 もちろん「自分で捕まえる」というのは冗談で、実際はそういうコメディータッチな体でムスリムの人々と接し、その過程で、

 「アメリカでは今、イスラムの人々が全員テロリストのように報じられているが、本当は彼らだってわれわれと同じ善良な市民なのだ」

 ということを伝えていく、ヒューマンなドキュメントだ。

 私個人は『スーパーサイズ・ミー』といい、こういう

 「みんなは、まじめでかしこい人だって思ってるみたいだけど、ボクだって、こんなひょうきんなことができるんだよ」。

 といった「秀才が、がんばっておバカなボケをふりまく」タイプのノリは苦手なのだが、映画自体はさすが売れっ子監督。なかなかおもしろいうえに、イスラムの国々の生活文化なども見られて、とても勉強になる。

 なんだ、ふつうに良作ではないか。これのどこに悪があるのかといえば、途中、パキスタン編に突入したところで、「ん?」となった。

 われらが大日本帝国は、まあいろいろ言いたいことはあるとはいえ、一応は親米だけど、世界の諸民族や国家には反アメリカという人々も目立つ。

 イスラム国家であるパキスタンも御多分にもれず、強い反米意識、ビンラディンへの礼賛の声、過激なデモなどUSAをざわつかせる要素が散見されるが、私が気になったのは、パキスタン商店街のおじさんによるこんな言葉だった。

 「プロレスはガチンコだよ」。

 プロレスはガチ。政治ドキュメンタリーで、なぜ唐突にこんな言葉が出るのかといえば、パキスタン男子はたいそうプロレスが好きで、しかもアメリカン・プロレスも大いに好むのだという。

 「アメリカは嫌いだけど、アメリカ文化は好き」

 というのは、私も色んな旅行をしていて感じる「反米あるある」だけど(中国や韓国で日本のマンガやアニメが好まれるのと同じですね)、この商店街おじさんもTシャツ屋で、プロレスシャツが店頭にディスプレイされていたから、相当なファンである。

 そこで、モーガンは笑いながらたずねる。

 「プロレス、好きなんだ」。

 それに対するパキお父さんの答えが

 「もちろんさ、プロレスはガチンコだからね」。

 この言葉に、私は深い感銘を受けた。

 プロレスはガチ。なんだか太古の昔、たぶん室町時代末期くらいまで、我々日本人の間では、そんなことが信じられていたような気がする。

 そこでハタとひざを打ったのだ。友人ミテジマ君は、大のプロレスファンである。

 常日ごろ、『週刊ゴング』と『大阪スポーツ』を愛読しており、家では弟と日夜スパーリング(という名のプロレスごっこ)を重ねるという熱心さだ。

 ところがだ、モーガンはそんな、パキスタンのミテジマ君ともいえるTシャツ屋のおじさんに、笑顔でとんでもないことを言い放ったのである。


 (続く→こちら



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大槻ケンヂ、清水伯鳳と「闇部隊・ブラック」について大いに語る

2017年05月08日 | 音楽
 清水伯鳳という人物をご存じだろうか。
 
 以前、大槻ケンヂさんがエッセイで何度か紹介されており知ったのだが、この人の人生というか生き様というのが、実にハッタリがきいていてよい。
 
 オーケンによると、清水氏は
 
 
 「世界各国の要人を守るプロボディーガード一家の17代目」
 
 
 いきなり、ハッタリがきいている。池上遼一先生とか、一昔前の劇画に出てきそう。
 
 「プロボディーガード」だけでなく、「一家」とつくところが、またいい。
 
 そんな彼の所属する極秘部隊は、その名も「闇部隊・ブラック」。
 
 闇部隊ブラック。
 
 これまた、レインボーマンとかコンドールマンとか、昔のヒーロー特撮に出てきそう。死ね死ね団とか。
 
 なんでも、この組織は
 
 
 「国家レベルの極秘事項」
 
 
 だそうだが、清水氏の著作に堂々と紹介されており、そのあたりがまた落合信彦というか角川春樹風味で、ナイス極秘である。
 
 そんな清水氏は当然、幼少のころから英才教育を受けることに。
 
 要人警護のための、日夜猛特訓を課されていたのだが、その内容というのが、
 
 
 「食事は片足立ち」

 「その際、テーブルはなく上げている方の足の膝に皿を置く」

 「もし落としたら一食抜き」

  「夜は丸太の上で寝る」
 
 
 映画『少林寺三十六房』を思わせる修行、というか苦行。内容的に、
 
 
 「すごいのはわかるけど、それって意味あるの?」
 
 
 そう疑いたくなるあたりも、味わい深い。
 
 しかも、にいてもスキあらば、父親や祖父が襲いかかって来るという。
 
 もちろん寝ているときでも。24時間、気が抜けないのだ。
 
 よく思春期の女の子などが、
 
 
 「ウチの両親、すごく干渉してくるの。マジウザイ」
 
 
 なんて愚痴を言ったりしているが、清水家とくらべれば、たいしたことはなかろう。
 
 というか、これってほとんど児童虐待なのでは?
 
 そんな清水一家も、時には家族で旅行することもある。
 
 だが、もちろん「闇部隊・ブラック」の人間に、のどかな旅行などあるはずもない。
 
 ハイキングでを登り大自然にふれ、「パパ、空気がきれいだね」なんて深呼吸でもしたところで、清水パパはこう宣言するのだ。
 
 
 「ここで生きてみろ!」
 
 
 どんな宣言だ
 
 凡百の育児書には決して載っていないであろう、オンリーワンすぎる親父の子育てメソッド。
 
 さらにはコブラマングースを戦わせて
 
 
 「ここから一瞬の攻撃を学び取れ!」
 
 
 なんてイメージトレーニング(たぶん)をさせられたり、いきなり飛行機に乗せられて、パラシュート初体験なのに決死のダイビングを敢行とか、もうやりたい放題。
 
 まるで虎の穴竜牙会。私が子供なら、「気ィ狂うとんのか!」とのつっこみが抑えられないところだ。
 
 そんな過酷な試練をクリアすると待っているのが、卒業試験
 
 でまた、その内容というのが、
 
 
 「麻薬中毒からの更正」

 「電気ショック」

  「足の指の間にキリを刺す」
 
 
 三つの中からひとつ選んで、
 
 「これに耐えてみろ!」。
 
 いや、どれも普通に拷問なんスが……。
 
 ここまでで充分にお腹一杯な気持ちだが、修行にはさらに続きがある。
 
 無事卒業試験を終え(ちなみに「キリを刺す」を選ばれたそうです)ボディーガードとして一人前になったのかといえば、そこにはまたもやパパが立ちはだかり、こんな指令が。
 
 
 「お前は笑うということを知らない。それではいかん。今すぐお笑い芸人に弟子入りしろ」
 
 
 国家機密レベルのボディーガードが、なぜお笑い
 
 やはりこれからの時代には、警護にもユーモアのセンスが大事なのだろうか。
 
 これを受け、清水氏は実際に萩本欽一さんの付き人をやっていたそうある。
 
 欽ちゃんファミリーだったのか。これは、さすがの私も、
 
 「オーケン、それは話作ってるやろ!」
 
 つっこみたくなったが、後日『欽ちゃんの仮装大賞』にゲストで出たオーケンが、欽ちゃんご本人にたずねると、
 
 
 「あ、清水君、いたね。無口な人だったよ」
 
 
 ホンマの話やったんかい!
 
 そんなハードなんだかスットコなんだか、よくわからない清水伯鳳さんには娘さんがおられるそう。
 
 「筋肉番付」や「ウルトラマンメビウス」他にも、なんと「水戸黄門」にまで出演しているアクション女優さんなのであった。
 
 写真を拝見したが、清水あすかさんといって、とってもおきれいな方。
 
 雑誌『映画秘宝』ではお父さんに続いてオーケンと対談し、「正拳突き」についてマニアックな知識(テレビと違ってバックスイングを取らない、とかなんとか)を披露されておられた。
 
 やはり彼女もお父さんから、「ここで生きてみろ!」と密林の中に放り出されたのであろうか。
 
 想像するだに、実にハッタリがきいていて、いい話である。
 
 18代目の活躍が、今から楽しみだ。
 
 
 
 
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