ブラジルサッカーならこれを読もう! アレックス・ベロス『フチボウ 美しきブラジルの蹴球』 その4

2015年04月29日 | スポーツ

 (前回)に続いてアレックス・ベロス『フチボウ 美しきブラジルの蹴球』を読む。

 前回は「マラカナンの悲劇」が、ブラジル国民にとっていかに衝撃だったか語ったが、実際にこれは国民的トラウマともいえる事件。

 なんといっても、その後、山のような数の映画テレビ番組の題材なっているのだから、まさに日本でいう「玉音放送」レベルの題材なのだ。

 そのことからも、ブラジル人にとってのの深さが、うかがえようというものだが、中にはそのショックのために、歴史を作り替えようと試みた男さえいたのである。

 ジャーナリストのジョアンルイスは、かつて観たある映画に憤っていた。

 それが名画の誉れ高い『カサブランカ』で、ヒロインのイングリッドバーグマンが、本来愛しているはずのハンフリーボガートをおいて、どこの馬の骨ともわからんスカしたアンちゃんと逃げていく、というラストに納得がいかず憤慨。



 「こんなん、オレの望んだ『カサブランカ』とちがう!」 



 その思いから、映画の映像を自分で勝手に編集して、なんとラストでボギーとバーグマンが結ばれてハッピーエンドになるという内容に、作り替えてしまったというのだ。

 かつて、『新世紀エヴァンゲリオン』が例のズッコケ最終回を放映したとき、「裏切られた」と怒り狂った作家の本田透さんを代表とするコアなファンは、同人誌やウェブ上で



 「エヴァの本当のラストはこれや!」



 といった小説マンガを披露したりしていたが、まさにそれの元祖である。

 そんな『カサブランカ』を作った(勝手に)ジョアンにとって、もちろんのことワールドカップの結末も、ゆるされるものではなかった。



 「ウルグアイに負けたんなら、勝ったように作り替えればええんや!」



 ふたたび、歴史修正魂に火がついたのである。

 まずジョアンが目を付けたのは、ブラジルの対ユーゴスラビア戦でのゴール。

 これを決めたジジーニョは、よろこびのあまりボールをもう一度ゴールに蹴り込むのだが、これをブラジルの

 「本当の決勝ゴール」

 として、ウルグアイ戦の映像の中に挿入

 それを受けて、悲しみのに暮れるウルグアイ市民の映像とあわせると、アラ不思議。

 なんとまあ、ブラジルのゴールによって、ウルグアイ人が負けて泣いているように見えるではないか!

 タネをあかすと、このとき泣いているウルグアイ人の映像は、なんとウルグアイ優勝が決まった瞬間の歓喜の涙のシーン。

 まったく真逆の画面だ。

 ところが、映像のマジックというのはすごいもので、うまくつなげると、これがまったく反対の印象を、見ている者にあたえる。

 そりゃ、なにをいわれてもメディアがねつ造偏向報道をやめないわけである。

 ハサミでちょちょっとやれば、簡単に操作できて、全能感が味わえる。

 そら、クセにもなるし、大衆なんて阿呆にしか見えないのでしょう。

 あまりにうまくできたことに、気をよくしたジョアンは、今度はリオのカーニバル

 「ブラジル地元優勝の凱旋パレード

 として入れてみると、ますますブラジル勝ちのリアリティーが高まった。

 そこにモンテビデオ(ウルグアイの首都)で悲しみに沈むウルグアイ国民の映像を加えてみると、これはもう完璧に

 

 「ざまあみろ、ウルグアイ野郎が!」

 

 という気分になる。やったで、これでブラジルが世界一ですわ!

 この映像など、なんと元ネタはブエノスアイレスで行われたエバペロン葬列の場面であり、もはやウルグアイ関係ねーじゃん! といったところだが、ジョアンからすれば、むしろ



 「大嫌いなアルゼンチンのイヤがる映像使ったったで!」



 他国まで巻き込んでの憂さ晴らしで、一石二鳥なのである。

 なんでもええ、これでブラジル優勝ですわ、バンザーイ、バンザーイ!

 冷静に見れば「なにやってんだか」という話のようであり、私自身も「そこまでするか」と申し訳ないが笑ってしまった。

 が、その一方で考えてみれば、モノを創るということの本質の部分だけを取り出せば、ジョアンのやっていることというのは、そんなにおかしなことでもないかもしれない。

 悲しかったり退屈だったり理不尽だったりする現実を、妄想によって

 「こうあれかし」

 と作り替えるのは、創作の大きなモチベーションのひとつだものね。


 (続く


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ブラジルサッカーならこれを読もう! アレックス・ベロス『フチボウ 美しきブラジルの蹴球』 その3

2015年04月26日 | スポーツ

 (前回)に続き、アレックス・ベロス『フチボウ 美しきブラジルの蹴球』を読む。

 1950年ワールドカップブラジル大会で、ほとんど手中に収めていた地元優勝の栄冠を、最後の最後に逃してしまったブラジル代表。

 負けたのは悲劇だが、ブラジル国民はその後何十年もこの敗北に苦しみ、またそのため「賊軍」となった選手たちは、その人生を棒に振ってしまうほどの迫害を受ける。

 では、なぜにて「たががサッカー」でブラジル人が、ここまでのダメージを受けたのか。

 識者によると、ブラジルというのはポルトガルからの独立をはじめ、国の成立からワールドカップの年まで、さほどの歴史的うねりを体験していなかったところにあるという。

 フランス革命ロシア革命、アメリカなら南北戦争、ドイツなら2度大戦における敗北

 中国なら帝国主義との戦いと赤化イギリス植民地をすべて失い没落した。

 我が大日本帝国は言うまでもなく、国土を焼け野原にされた大東亜戦争

 多くの国には大なり小なりこういった、国の根幹がひっくり返るような歴史的挫折を経験しているもの。

 だがブラジルの場合、もちろん細かい困難はあったものの、大きな戦争に巻き込まれることもなく、比較的安定した生活を営むことができた。

 それによって、国民には重大なショックに耐えうる免疫力が育っていなかったというのだ。

 いわば、当時のブラジルは「苦労知らずのボンボン」だったのだ。

 そんなノンキな国民だったからこそ、初めて味わった敗北は消化しきれるものでなく、胃の腑を越えて逆流し、とんでもなくヒステリックなものになってしまったというのだ。

 なるほど、彼らにとってあのギジャの決勝ゴールは、日本における玉音放送のようなものだったわけだ。

 そういわれると、自殺者が出るというのも、理解できるような気もしてくる。

 というと、スポーツに興味のない人は、おいおい、そんなたいそうな話かよとあきれられるかもしれないが、人にとって大切なものとは、往々にして他人にとっては意味不明なものだったりするのだ。

 かつて杉良太郎は『君は人のために死ねるか』と歌ったが、逆に人は案外、自分以外のためだからこそ、死ねるというのはあるかもしれない。

 子供のためとか、大義のためとか、誇りのために死ねるなら、サッカーのために死んでも、特段おかしくもなかろう。

 ともかくも、いわば「若気の至り」ゆえに、ブラジルは「マラカナンの悲劇」の後遺症をなかなか払拭できなかったわけだ。

 その意味では、次の2014年ブラジル大会はまさに、国民的トラウマをはらす絶好の機会。

 こういうのを聞かされると、もう大盛り上がりは必至なので、ぜひともブラジルには因縁の決勝まで勝ち上がってと応援したくなるが、もし今回も準優勝だったら、おそろしいことになりそうかもなあ。


 (続く→こちら)



 

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ブラジルサッカーならこれを読もう! アレックス・ベロス『フチボウ 美しきブラジルの蹴球』 その2

2015年04月23日 | スポーツ

 (前回)に続き、アレックス・ベロス『フチボウ 美しきブラジルの蹴球』を読む。

 1950年ワールドカップブラジル大会で、ほとんど手中に収めていた地元優勝の栄冠を、最後の最後に逃してしまったブラジル代表。

 この敗戦がブラジル国民にもたらしたトラウマは、それはそれは深かったようだ。

 スポーツの試合でショック死というのは、日本だと力道山のプロレス中継において、大量出血シーンで心臓麻痺を起こした人がいるというから、まだわかる。

 とはいえ、自殺までしてしまうというのが、なんともすさまじいというか、そこまでツラいか。

 言ってはなんだが、

 「たかがサッカーやん!」

 という話なんだけど、まあ自殺は極端にしても、ブラジル人の落ちこみようは尋常じゃなかったらしく、この敗戦に打ちひしがれる父親をなぐさめるためにペレが、



 「パパ、泣かないで。ボクが大きくなったらブラジルを優勝させるから」



 といって、本当に優勝させてしまったのは有名なエピソードだが、この日はペレのみならず、ブラジル中の少年が同じセリフを口にしたであろう。

 また、このときの白いユニフォームを封印したことから、代案としてカナリア色のユニフォームを着ることになり、それがブラジルのカラーともなるのだ。

 負けたこと自体も悲劇だが、もうひとつつらいのは、ブラジル敗北の責任を負わされることになってしまった選手たち。

 「勝つことになっていた」はずのチームが負けたとき、それを見守っていた人がまずすることは、「戦犯」探しなのは洋の東西を問わず万国共通である。

 ブラジルの場合、そこに人種差別がからんで黒人選手が、やり玉に挙げられた。

 特に決勝点を許してしまったゴールキーパーのバルボーザは、まさにA級戦犯として糾弾されることに。

 バルボーザにとって苦しかったのは、この敗戦の記憶を国民が、何年たっても薄れさせてくれないこと。

 たとえば、こんなことがあったという。

 バルボーザが街を歩いていると、手をつないでいる仲の良さそうな親子連れに遭遇した。

 彼が何者かわかった母親は、その場で指をさして息子に、



 「ほら、あの人よ、あの人のせいでブラジル人は悲しみに暮れることになったのよ」



 それはあの悲劇から、すでに20年も経ってのことだった。

 こういった出来事の数々は、心からバルボーザを打ちのめし、



 「ブラジルでは犯罪の最高刑でも、せいぜいが懲役20年だ。でもオレは50年経っても許されることがない」



 また、やはり戦犯として、後ろ指を指されることとなったビゴージは、そののち家から一歩も出られなくなった

 見かねた当時のチームメイトが、家に招待するときには電話で、



 「だれにもサッカーのことは話させないから。あの試合のことも、話題には出させない。そんなヤツは、オレがつまみだしたやる!」



 そう何度もいわなければ、来ることができないという有様だったという。

 たった一つのゴールが、かくも人の人生を無惨に轢きつぶしてしまったのだ。

 負けたとはいえ、彼らはブラジルの代表選手だ。栄えあるサッカー王国の戦士たちである。

 まさに英雄、国民のあこがれの的だったはずだ。

 それが、たった一つの敗戦で人生を棒に振ってしまうことになるとは、まさに「負ければ賊軍」を地でいく悲劇である。

 あと10分。わずか10分だけウルグアイの攻撃を止めることができていたら、彼らは賊軍どころか、200年は語られる大英雄になっていたはずなのだ。

 それが、この落差。

 まあ、それが勝負というものなのだろうが、それにしても、やりきれない話である。

 ブラジル国民が、なぜにてこれほどまでに「マラカナンの悲劇」に激烈なショックを受け、今でも戦犯を責めさいなむことを厭わないほどに引きずるのかといえば、それには理由があるそうだ。

 それは実はブラジルサッカーだけでなく、ブラジルという国自体の歴史に根があるのだという。

 と聞くと、なんだか大仰な話で「ホンマかいな」というところだが、これが読んでみると「ほーう」となるような、なかなか興味深い話であった。

 (続く


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ブラジルサッカーならこれを読もう! アレックス・ベロス『フチボウ 美しきブラジルの蹴球』

2015年04月20日 | スポーツ

 アレックス・ベロス『フチボウ 美しきブラジルの蹴球』を読む。

 「フチボウ」とはブラジル・ポルトガル語でフットボール。つまりはサッカーのこと。

 といえば、もうおわかりのように、ブラジルのサッカーについて語られた本。

 英雄ペレと天才ガリンシャ、「黄金の中盤」ソクラテスのインタビューに、98年W杯決勝について語るロナウドといった本格的な記事から、リオのカーニバルとサッカーの関連性。

 はたまた、熱すぎるクラブチームの成り立ちから、そこにはびこる「帝王」のような支配者の存在といった、いかにもブラジルなエピソードも満載。

 しまいには、フィールドにカエルを埋めて相手チームに呪いをかけるとか、名もなき少数民族のサッカー事情など、南米文学的「マジックリアリズム」なノリもあって、もう盛りだくさんの内容。

 分厚い本だが、文体は軽妙で、どんどん読み進む内に、いつのまにかブラジルサッカーとブラジルという国にずっぱまりしている良書である。

 中でも語られるべきは、ブラジルサッカーにおいて、はずすことのできないこの事件。

 そう、1950年ワールドカップ・ブラジル大会決勝リーグ第3戦。ブラジル対ウルグアイ

 そう、いわゆる「マラカナンの悲劇」である。

 世にいうサッカーの古豪強豪といわれるチームは、たいてい一度は地元でワールドカップを開催し、また多くはそこで優勝を果たしている。

 ウルグアイイタリアイングランド西ドイツアルゼンチンフランスなどが、そのそうそうたる面々だが、意外なことにブラジルは優勝できなかった。

 舞台は1950年7月16日の、エスタジオマラカナン

 運命の一戦を前に、なんとスタジアムには20万人近い観客が詰めかけていた。

 当時決勝トーナメントがなかったワールドカップでは、決勝リーグで1位になったチームが優勝というシステム。

 ブラジル、ウルグアイ、スウェーデンスペインで争われたリーグで抜け出したのが、地元ブラジル。

 スペインとスウェーデンに大勝したことによって、トップをひた走り、事実上の決勝戦となる3戦目のウルグアイ戦に勝てばもちろんのこと、引き分けでも優勝が決まるという状況だった。

 地元ということもあって、圧倒的に有利と思われたブラジルは、後半開始すぐに先制点を奪う。

 ふつうに見れば、もう大会はおしまいである。

 20万の観客、いやブラジル国民の歓喜は、ここに絶頂に達したことだろう。

 ところが、勝負というのは下駄を履くまでわからないというのが常であり、勝つしかないウルグアイは必死に攻めて、なんと後半21分同点ゴールを奪う。

 そうして悲劇の舞台は整った。

 運命の時は後半34分

 ウルグアイのギジャが放ったシュートは、無情にもGKバルボーザが懸命に伸ばす手をすり抜けて、ゴールに流れ込んでいった。

 この瞬間、マラカナン・スタジアムは恐ろしいほどの静寂に包まれた。

 まさかの出来事に、ただでさえ凍りついていた選手たちも、



 「あれほど静まり返った瞬間というのは、後にも先にも体験したことがなかった」



 というほどの、のような静寂だったという。

 まさかのうえにも、まさかの付くギジャのゴールによって、ウルグアイの劇的逆転優勝が決まった。

 あまりの衝撃に、その場で2人が自殺

 ショック死する者も出るほどの、まさに二重の惨事と相成ったのである。

 こうして起こってしまったブラジルの敗北は、たしかに悲しい出来事だった。

 だが、ここに、さらにもうひとつ悲劇が生まれてしまう。

 それは、ブラジル敗北の責任を負わされることになってしまった、マラカナンで戦っていた選手たちのことだ。


 (続く


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