ライトスピード・ガール 伊藤沙恵vs里見香奈 2017年 第28期女流王位戦 その2

2021年11月27日 | 女流棋士

 前回(→こちら)の続き。

 2017年、第28期女流王位戦第2局

 里見香奈女流王位と、伊藤沙恵女流二段の一戦は、相振り飛車から「伊藤流」と呼ぶべき、個性的な陣形になっている。

 

 後手の飛車筋をかわして、▲58玉と寄ったところ。

 後手の美濃囲いとくらべて、ふつう、こんな薄い形では「勝ちにくい」といしたものだが、なかなかどうして、伊藤沙恵の独特すぎる玉さばきを御覧じろ。

 形勢は、若干だが後手有利で、里見もここから仕掛けて行く。

 

 伊藤はやはり、守備駒がバラバラなのが痛く、里見の攻めも巧妙で、ここでは見事な飛車の両取りがかかっている。

 先に銀をもらってるので、金を取られても駒損ではないが、先手陣は飛車に弱く、そこをいじめられるのはつらい。

 ……はずだが、伊藤はすっと▲68飛で、両取りを受ける。

 △同角成▲同玉で、たしかに駒得は主張点だが、△89飛とされると、桂香を回収されて、そこをチャラにされるのは時間の問題に見える。

 どう受けるんだろうと見ていると、そこで▲66角

 

 

 △66に駒を打たれるスペースを埋めながら、▲11角成をねらっている。

 筋ではあるが、先手玉は足元がスースーして怖いところ。

 ただ、△29飛成には▲39金▲39歩底歩があって、先手も相当がんばれるうえに、さらに伊藤はこの角に、もうひとつの策をたくしていた。

 それが「入玉」。

 そう、伊藤の武器は、その形にこだわらない受けの力。

 もうひとつは上部での戦いに強みを発揮する

 「中段玉のスペシャリスト」

 であることなのだ。

 こうなってくると、や上ずった金銀が、敵陣トライの「先発部隊」となって働いてくる。

 あせらされた里見にミスが出て、形勢は逆転模様になるが、中段玉の攻防はゴチャゴチャしてわかりにくく、ましてやに追われながら、正確な手を指し続けるのは至難でもある。

 

 

 ▲44玉と逃げたこの場面は、まさに追いつ追われつのハンターと山鹿のようだが、次の手を伊藤は見落としていた。

 

 

 

 

 

 △55竜のまわし蹴りが、入玉阻止の手筋ともいえる手。

 ▲同玉△34角成で封鎖されるから、▲33玉と逃げこむしかないが、ここが後手の大チャンスだった。

 

 ここでは△32歩と打つのが好手で、後手にかなり、分がある戦いだった。

 


 ▲同と、と取ると、△34角成、▲同玉、△24金、▲33玉、△44角という手順でピッタリ詰む

 

 

 となると、▲32同玉▲22玉しかないが、△34角成と、ボロっと大駒を1枚タダで取れたわけで、これなら後手が勝つ流れだった。

 里見は単に△34角成で、これでも先手玉は危険きわまりないが、力強く▲同玉と取るのが、伊藤の度胸を見せた手。

 メチャクチャに怖い手だが、△53竜▲43金と打って、頑強に抵抗。

 そこからも、入玉をめぐって、ほぼ右上の3×3だけを使った局地戦が展開され、もうわけがわからない。

 

 

 途中、里見が何度か寄せを逃したようだが、手順を聴いてもサッパリ理解できない。

 上の図から△33金と取って、▲同と△同竜まで受けがないようだが、△33金に▲22と(!)の裏切りがしぶとい手で、まだ決まらない。

 以下、△32金の押し売りに▲26香とつないで激戦は続く。

 後手は△24歩▲同香としてから△13竜とするが、先手には▲44角王手しながら、▲22の地点を守る切り札があり、まだ耐える可能性がある。

 伊藤もほとんど崖っぷちのダンスだが、つま先立ちで、落ちずに踊り続けるのだから、たいしたもの。

 


 この▲16桂から▲24桂打の継ぎ桂も、すごい形だが、これがが立たない筋に、安い駒で援軍を送るという好着想で、とうとう先手の勝ちが決まった。

 その後も、必死に手をつくす里見だが、ついに▲11にダイブ完了した先手玉を仕留めることはできなかった。

 いかがであろうか、この伊藤の将棋。

 あのふんわりした雰囲気のお嬢さんが、こんな曲線的、かつタフな戦いぶりで最強里見香奈に勝ってしまうというのがステキだ。

 このシリーズは2勝3敗で敗れ、そこからもあと一歩でタイトルに届いていないさえピーだが、それはまあ、運が悪いというか、めぐりあわせのようなもの。

 とにかく、ひとつ取ってしまえば、あとは「ドミノ理論」で、2つ目3つ目と転がっていくのは見えているのだ。

 それだけの力はあるのだから、転機になるであろう、今回の女流名人戦はしっかりと見守りたいところである。

 

 (米長邦雄と大山康晴の「大雪の決戦」に続く→こちら

 (これまた激戦の女流王位戦、第4局は→こちら

 

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入玉模様の大激戦 伊藤沙恵vs里見香奈 2017年 第28期女流王位戦 第2局

2021年11月26日 | 女流棋士

 「こんなもん、ただの萌え動画やないか!」

 パソコンの前でさけびたくなったのは、ある将棋動画を観ていたときのことだった。

 それが、第2回女流ABEMAトーナメント

 「女流棋戦を、もっと配信してほしいなあ」

 いつもそう思っていた私としては、将棋ブームの今、こういう企画がどんどん出てくるのは、うれしいかぎりである。

 そこでハマってしまったのが、まさについさっき、女流名人戦の挑戦権を獲得した伊藤沙恵女流三段率いる「チーム伊藤」の控室の様子。

 対「チーム里見」戦で、トップバッターの石本さくら女流二段が戦っているときのこと、チームメイトの伊藤さんと室谷由紀女流三段(意外な組み合わせで、そこもいい)が、それを見守っている。

 注目なのは、室谷さんが席をはずして、ひとりお留守番の伊藤さんのお姿。

 そこで彼女はモニターで将棋を観戦しながら、お菓子を食べているのだが、本当に

 「ただ食べているところ」

 だけが、5分くらい流れるのだ。

 ふんわりした雰囲気の伊藤さんが、無心におせんべいかなにかをボリボリかじる姿は、それはそれはキュートでございました。

 

 

 

 

 私は美少女アニメやゲームにはうといが、なるほど、これが「萌え」というやつか。

 ということで、今回はアベマでも大活躍な女流棋士の将棋を語ってみたい。

 

 2017年、第28期女流王位戦第2局

 里見香奈女流王位と、伊藤沙恵女流二段の一戦。

 両者得意とする相振り飛車だが、ここで見せた伊藤の駒組が独特だった。

 

 4筋にある飛車の射程をかわしての、▲58玉という形が、これぞ「伊藤流」の駒さばき。

 個性的で楽しいだけでなく、私もたまに自分で指すと、なんかこんな形で戦うことが多いので、そこも個人的な親近感を感じるところ。

 もっとも、さえピーは読み構想力のたまもので、私の場合は

 「単に駒組がヘタ」

 という大きな違いがあるが、なんにしても、目を引く棋風であることは変わりはない。

 実際、この将棋も「出雲のイナズマ」の激しい攻めを、ときに力強く、ときにのらくらとかわしながら、伊藤流の「ある作戦」で切り抜けるという大激戦になるのだから。 

 

 (続く→こちら

 

 

 

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「オチないんかい!」という関西人について、大阪人が対処法を考えてみた その3

2021年11月24日 | ちょっとまじめな話
 前回(→こちら)の続き。
 
 「話にオチないんかい!」
 
 そう関西人がつっこみがちというイメージがあるけど、それは果たして本当なのか。
 
 いわゆる「オチのない話」問題は、
 
 
 「句読点の有無」
 
 「サービス精神」
 
 「エンタメ体質」
 
 
 これがあるかないかが本質であって、関西人がどうとか、話の中身が「おもろい」かどうかとか、実はそれほどにはメインの理由ではないのでは?
 
 実際、前回も言ったが、著作の中で「オチがない話」に憤っている西原理恵子さんは高知出身だし、オーケン東京人。
 
 その他でも、特に関西人じゃない人の本や、ラジオなどでも同じようなことを言っている人は結構いる。
 
 ツイッターやインスタグラムにあがっている、夕焼け食事の写真。
 
 また、心象風景をつづったポエムなどが不評なのは、内容うんぬんじゃなくて、そのひとりよがりゆえに、
 
 「受け手のことを、あまり考えているように見えない題材」
 
 そこにガッカリしてしまう。
 
 そしてそれは、おそらく関西人のそれが、あけすけで目立つだけで、どの地域の、どの国の、どこの民族にもきっと一定数いるはず。
 
 空気を読んで、それを黙っているだけで。
 
 だから、関西では、いやそれよりもっと広く西原さんやオーケンのような「サービス精神」を重視する人と話すときは、軽くでいいから起承転結オチを用意するといい。
 
 むずかしく考える必要はない。
 
 私の見立てでは、「オチ」とは「プチズッコケ」とか「プチ自虐」でいいのだ。
 
 ブログを書くコツなどを指南した本や、サイトなどで必ず出て来るのは、
 
 「失敗談など自虐を書け。自慢話は厳禁」
 
 これは、その攻撃的舌鋒が売りである斎藤美奈子さんも強調しておられた、「読んでほしい文章」の必須中の必須要項。
 
 逆にいえば、これさえ入れておけば、お手軽に話が収まるという便利アイテムでもある。
 
 だれかと話すときは、話のところどころと最後に、プチ自虐を入れる。
 
 たとえば、私が大学時代遭遇した、
 
 
 「この服、いい色でしょ。昨日買っちゃった」
 
 
 という報告なら、そこにもうひとつ増しで、
 
 
 「でも、ちょっと高かったんだよねー。しばらく、3食カップ麺生活かも」
 
 
 とか、プラスアルファがあれば、
 
 
 「ファッションはお金かかるもんね。でも、似合ってるからええやん。その服で、オシャレにチキンラーメン食うたらええねん(笑)」
 
 
 なんて会話が多少スムーズにつながる。
 
 あるいは、
 
 
 「高かったんだよねー」
 
 
 の後に、やはりそこで終わらず、
 
 
 「散財したなあ。ところでさあ、今までで一番高い買い物って何? これ、やっちまったわーみたいな」
 
 
 なんて、相手に「パス」をまわすとか。
 
 こんなもんで、いいんじゃないかなあ。
 
 聞いていて「オチがない」と感じる話は、とにかく、
 
 
 「買った」
 
 「行った」
 
 「話した」
 
 
 みたいに、「それだけでおしまい」という終わり方に、強く感じる。
 
 なんだか、すごい急ブレーキをかけられたようで、つんのめり方がハンパではないと。
 
 とにかく、言いっぱなしにしないことが大事。
 
 なんにしろ、「オチのない話」の本質は、「おもしろくない」よりも、
 
 「句読点とサービス精神の欠如
 
 が問題なのだ。
 
 そこを押さえたうえで、話のおりおりと最後に「プチズッコケ」を入れれば、だいぶ景色が違って見える。
 
 むこうがあなたに好意的ならば、その「オチ」だけで
 
 
 「あなたを楽しませたかった」
 
 「聞いてくれてありがとう」
 
 
 という感謝の意味として伝わるはず。
 
 その意味で、「オチ」とは内容よりも、文章でいう「句読点」であり、これがあることによって、
 
 
 「自分の聞いてほしい話は終わったよ、ありがとう」
 
 
 という想いが伝わる。
 
 まあ、食事でいう「ごちそうさま」みたいなもんです。
 
 「今、自分のターンは終わった」ことを伝え、「次どうぞ」と会話の橋渡しをする。
 
 「オチ」を求める人は、おたがいの、その気持ちを重視しているのだから。
 
 なんだか、大げさみたいだけど、「オチ」を求める人の考え方をポジティブに表現すると、たぶん、そういうことなんですよ。
 
 え? それでも「おもんない」「オチないの、サブいわー」とか言ってくる人がいる?
 
 うーん、それはもう関西人がどうとか以前に、
 
 「ただのデリカシーがない人」
 
 だから、単純に距離を置いてつきあうのが、いいんじゃないでしょうか。
 
 でも若いと、しょうがないかもなー。
 
 私なんかも、10代のころは
 
 
 「世界でおもしろいことを言えるのは、オレ様ダウンタウンだけ」
 
 
 とか本気で思ってたし。
 
 たぶん、今のヤングたちも、大して変わらないでしょう。そら偉そうに、「オチないんかい!」とか言いますわ。
 
 うん、サラッと書いてるけど、尿もれるほど恥ずかしいぞ。ザッツ黒歴史
 
 ただ、そんな自意識過剰男子にとっても、「サービス精神」とか「感謝の心」があったのも本当。
 
 だからまあ、そういう人は大人になったら、当時のことを思い出して、布団の中で「あああああ!」とか、もだえてるから、そのとき笑ってあげましょう。
 
 
 
 
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「オチないんかい!」という関西人について、大阪人が対処法を考えてみた その2

2021年11月23日 | ちょっとまじめな話
 前回(→こちら)の続き。
 
 「話にオチないんかい!」
 
 世間話で関西人につっこまれて、他府県の人がビックリしたり、憤ったりしているという話はよく聞く。
 
 それはなぜかと問うならば、ひとつは関西人にありがちな、
 
 
 「オレはおもしろい」
 
 「笑いのセンスがある」
 
 
 という勘違い(単に「人気者」だからみんなが笑ってくれるだけだったり)から生まれる「上から目線」。
 
 それともうひとつ、ここから個人的見解になるんだけど、そういった「芸人気取り」以外に、たぶん「オチ」を求める傾向として、
 
 
 「句読点の有無」
 
 「サービス精神」
 
 「感謝の心」
 
 
 これらが、あるのではないかと。
 
 単純な「お笑い」的要素は、実はそんなに重視されてないわけで、そこを「おもしろい」かどうかで測ろうとすると、本質を見失うのではないかと思うわけだ。
 
 まず、そもそも論として、私としては本当に「オチのない話」に違和感を感じるのが、関西人だけなのかという疑問がある。
 
 そう感じたのは、マンガ家である、西原理恵子さんの本を読んでいたときのこと。
 
 『鳥頭紀行』や『毎日かあさん』など、エッセイ漫画で西原さんはたまに、
 
 「話の面白くないヤツ」
 
 に怒っていることがある。曰く、
 
 
 「つまんねえ話を長々と」

  「しかも、そこにオチがなくて、時間返せとブチ切れそうになる」
 
 
 また、ミュージシャンの大槻ケンヂさんも、エッセイや対談なんかで、たしか
 
 「ライブの打ち上げに行かなくなった」
 
 ことに対する理由として、
 
 
 「いやもうねえ、つまんないうえに、オチもない話を延々する人とかがつらくて。どうしてやろうかと思いますよ」。
 
 
 やはり、似たような提言をされておられる。
 
 先日、マトコちゃんという女子としゃべっていたとき、話題が彼女が昔行った旅行の話になった。
 
 なんでも、ハイソな人々が集まる地区のオシャレなカフェで食事をしたそうなのだが、そこで周囲から聞こえてくる会話を、なにげなく耳にしていて驚いたことが、
 
 
 「すごいねん。あそこの人ら、自分の話しかせえへんのよ」
 
 
 場所柄、比較的オシャレだったり裕福な人が集まるゆえか、そのほとんどが、自分のこと、さらにいえばイケてる自分のこと、平たく言ってしまえば
 
 「ストレートな自慢話
 
 しか飛び交っていないというのだ。
 
 そこでマトコちゃんがいうには、
 
 
 「あの人らって、サービス精神とか感謝の気持ちがないんやろかね?」
 
 
 彼女は不思議そうに、
 
 
 「あたしなんか、そりゃ自慢が楽しいのはわかるけど、それよか人としゃべってたら、せっかく自分のために時間割いてくれてるわけやから、もっとゆかいな気分になってほしいけどなあ」
 
 
 そう言ってさらに、
 
 
 「それに、長話を聞いてくれたら、ありがとうって思うけど、そうやない人もおるんやね」
 
 
 これには深く、うなずかされたものだ。
 
 わかるよ。メッチャわかる
 
 話を聞いてくれてる人には、せっかく自分のために時間を割いてくれているんだから、一緒に楽しんでほしい。
 
 それこそ、このブログだって読んだ人に、楽しい気分になってほしい。役立つ情報を届けたい。
 
 けっこう、自然な発想だと思うわけなのだ。
 
 このとき私は、先の西原さんと、オーケンことを思い出したのだ。
 
 そう、この3人の言っていることは同じだ。
 
 西原さんにしても、オーケンにしても、マトコちゃんにしても、べつに単に「話がつまらない」こと自体に怒っているわけではないのだ。
 
 それよりも、むこうに
 
 「聞いてくれてる人を楽しませたい
 
 という発想がないことに、ガッカリしているのだ。
 
 話の内容が問題なのではない。
 
 人とのコミュニケーションは、いついかなるときでも、良いものでもない。
 
 そんないつも、興味を引ける話題があるわけでもないし、話術の達人がいるわけでもない。
 
 親友や恋人ですら、話してて退屈を感じることだって、いくらでもある。
 
 会話というのは、そういうものなのだ。
 
 だったら、
 
 「自分のターンのときは、なるたけ相手がよろこびそうな話をしたい」
 
 という願望を持つのは、ポジティブな人間関係構築に大事なのではないか? 
 
 ということが言いたいわけだ。
 
 
 (続く→こちら
 
 
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「オチないんかい!」という関西人について、大阪人が対処法を考えてみた

2021年11月22日 | ちょっとまじめな話
 「《オチないんかい!》って怒られちゃうんだけど、どうしたらいいのかな」。
 
 なんて相談を持ちかけてきたのは、友人トサコちゃんであった。
 
 彼女は昔、アルバイトをしてた店で一緒だった女の子だが、私の住む大阪ではなく、もとは東北の出身。
 
 進学を機に関西に出てきたわけだが、北国とこちらでは文化がいろいろとちがうらしく、最初はとまどうことが多かったそうな。
 
 中でもビックリしたのが、こちらで仲良くなった人と話をしていて、突然に、
 
 
 「……って、話にオチないんかい!」
 
 
 そうつっこまれること。
 
 彼女はふつうに話してるだけなのに、急にそんなこと言われても、どう対処したらいいか困っているというのだ。
 
 たしかに世間話をしていて、別におもしろトークというわけでもないのに、最後にオチを求めるという傾向が関西にはある。
 
 かくいう私も、大学生になったとき、はじめて関西以外の人とガッツリ話をして、そこに「オチ」がなくておどろいたもの。
 
 その内容というのは今でも憶えていて、静岡出身の子が、その日着ていたジャケットを見せながら、
 
 
 「昨日さ、梅田の街で、おしゃれな店見つけてね」。
 
 
 前置きした後、ちょっと自慢げに、
 
 
 「いいと思って、買っちゃった」。
 
 
 そこで数秒沈黙が流れ、私が「……うん、それで?」と問うならば、彼はニッコリ笑って、
 
 
 「それでって……それだけだけど」
 
 
 このときの衝撃は、どう表現すればいいのだろう。
 
 大げさに言えば、異文化とのファーストコンタクトというか、
 
 「え? まさかそれで終わり? ただの報告?」
 
 そしてたしかに、自分もまた関西人の御多分にもれず、こう思ったのである。
 
 「そこからの展開オチもないの?」。
 
 私は生まれも育ちも大阪という生粋の浪速っ子で、交友関係もそのほとんどが地元以外でも兵庫奈良京都和歌山といった面々。
 
 経験上、われわれ関西人(特に大阪人)の
 
 
 「自分たちはおもしろい」
 
 「笑いのセンスがある」
 
 
 という自負はただの「幻想」であることは、なんとなくわかっていたので(関西人は単に「明るくてノリが良い」ことを「プロの芸人的な笑いのセンス」と混同しているケースが多いから)、上から目線で
 
 「ないんかい!」
 
 と声をあらげることはなかったけど、その話がおもしろいかどうかは別にして、
 
 「トークの最後にオチ」
 
 というのが、もしかしたら関西独特の文化(私はこれに懐疑的だが、そのあたりについては後ほど)なのではないかと、はじめて思い至ったわけなのだ。
 
 しかも、たいして悪気もない(いや、あることもあるかな)「ないんかい」に、
 
 「怒っている」
 
 「怖い」
 
 と受け取る人もけっこう多いと。
 
 なるほどー。そうなんやー。
 
 私は海外旅行が好きで、その理由のひとつに、
 
 「異文化と接触することによって生じる自己の相対化
 
 が心地よいというのがあるけど、その萌芽はこのときの「オチのない話」にあった。
 
 「自分の常識が、他者には必ずしも、そうにあらず」
 
 ということを学んだ、それなりにインパクトのある事件だったのだ。
 
 将棋の羽生善治九段は「怖いものはなんですか?」というアンケートに
 
 
 「常識」
 
 
 と答えたことがあったが、共感できるところ大だ。
 
 私が「当たり前」「ふつう」「常識」という言葉が偉そうに飛び交うときに、少しばかり警戒心を持つようになったのは、この「オチ事件」からかもしれない。
 
 それって、自分の文化だけを絶対と思いこんだ、ただの「世間知らず」なんじゃないの? と。
 
 大げさに言えば、行ってもほとんど価値のない日本の大学で、もっとも勉強になったことが、この発見かもしれない。
 
 それくらいの衝撃だったのだ。
 
 なんて振り返ってみても、「そんな、たいそうな話かよ」と笑われそうだけど、本当におどろいたのは事実。
 
 それにこの問題は、これから関西に住むかもしれない人にとっても、そういう人に対するこちらにとっても、それなりに解決策を用意しておいた方が、スムーズなコミュニケーションの助けになりそうな気はする。
 
 そこで次回は、この関西人にとっては「オチないんかい!」、他府県人に取っての
 
 「オチとか言われても……」問題
 
 の本質と対処法について語ってみたい。
 
 
 (続く→こちら
 
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「中原誠の名人防衛は【詐欺師の手口】」と米長邦雄は言い、高橋道雄は「違う」と応えた

2021年11月19日 | 将棋・雑談

 「おいおい、【詐欺師の手口】って、なんやねん」

 この間、そんなLINEを送ってきたのは、友人フカリバシ君であった。

 先日、中原誠名人が見せた、執念ともいえる名人防衛劇を紹介したが(→こちら)、友はそこで米長邦雄九段が口にした、

 「詐欺師の手口

 という言葉にひっかかり、それってなんじゃらほいと、連絡してきたのだ。

 こちらとしては、藤井聡太三冠竜王も奪取、「最年少四冠王」で大盛りあがり、でも関西人としてはとよぴー無冠で、素直にはしゃげないなあ……。

 ……みたいなことを書こうとしてたうえに、さすが昔の話で資料も残ってないので、ここは華麗にスルーしたかったが、自分で書いたものはしょうがないということで、当時のことを思い出しながら説明してみたい。

 「詐欺師の手口」とは、この名人戦を総括した米長が、中原の見せた勝負術を評した言葉。

 1992年、第50期名人戦で、高橋道雄九段の挑戦を受けた中原は、1勝3敗という崖っぷちから、3連勝で奇跡の逆転防衛。

 将棋の内容的には、高橋が押していたため、これはスコア以上の大逆転感があったが、ここにひとつ、このシリーズを語るアヤがあった。

 決着後の評論や観戦記などで、こう書かれることが多かったからだ。

 

 「高橋は、苦手の横歩取りをぶつけられたせいで、名人になれなかった」

 

 たしかに、結果だけ見れば、そういうことはできる。

 高橋は矢倉3勝したが、相掛かり横歩取りには1勝もできず、シリーズも勝つことができなかった。

 流れ的にも、データ的にも、それは間違っていない。

 これを後押ししたのに、米長の観戦記があり、そこで出たのがこの言葉なのだ。

 他人の、それも名人の将棋をつかまえて詐欺よばわりとは、ずいぶんと剣呑だが、そこで米長は高橋の将棋を

 

 「田舎から出てきた、働き者で実直なお父さん」

 

 に例えて話を進める。

 今期の名人戦は、高橋道雄九段が中原誠名人に、

 

 「矢倉で決着をつけましょう」

 

 と提案し、名人もそれに乗ったと。

 ところが、名人の方はいざ自分が負けそうになると、

 

 「矢倉で決めるとか、それは口約束に過ぎない」

 

 お父さんが苦手とする空中戦法を駆使して攪乱。

 そのまま、上着のポケットから財布をスるようにして(と米長は例えていた)、

 

 「矢倉で名人になる」

 

 と決意していたお父さんとの紳士協定を、ごまかしてしまったと。

 おしゃべりや文章が、うまい人にありがちな、

 「気の利いたことを言おうとして、かえってわかりにくくなる」

 という、若干めんどくさい言い回しだが、要するに、

 

 「高橋君の将棋はすばらしかった。相手が堂々と戦ってくれば、君が名人だった」

 

 弟弟子をはげまし、中原には、

 

 「アンタ、名人とか言うたかって、結局は矢倉から逃げてのことですやん」 

 

 そう苦言を呈し、さらには、

 

 「でも、それでキッチリ勝ったアンタは、やっぱすごいですけどな」

 

 ついでに称賛もするという、やはりここでも

 

 「矢倉は将棋の純文学」

 「相矢倉戦を制してこそ、真の王者たりうる」

 

 との「矢倉原理主義」が顔をのぞかせるという、なんとも持って回った一文だったのだ。

 さすがに当時の『将棋マガジン』は手元にないから、間違ってるところもあるかもしれないけど、だいたいのニュアンスはこういうものであった。

 『米長の将棋 完全版』の2巻に、米長が名人になった期のA級順位戦(中原-高橋戦の翌期)を自戦解説している章があるのだが、そこで少しだけそのことに触れている。

 

 

 

 「なるほどねえ」というところで、一応それが「結論」ということになったのだが、話はここで終わらなかった。

 これに、高橋道雄が反論したのだ。

 たしか、その一年後に今度は米長挑戦者になったときだったと記憶するが、自分のことをフォローしてくれた兄弟子には申し訳ないけど、それはちょっと違うと。

 自分は横歩取りは苦手どころか、むしろああいう、飛車角桂で軽く飛びかかっていくような将棋は好みだし、得意でもあると。

 先輩に対して静かな口調ではあるが、ハッキリと反論。言うもんである。

 最初これを読んだときは、

 「まあ、負けてくやしいもんな。【苦手】【弱点】とか決めつけられて、ちょっと言い返したくもなりますわなあ」

 なんて「負け惜しみ」と思いこんでいたのだが、その後、高橋道雄は横歩取りの革命であった

 「中座流△85飛車戦法

 が出てきたとき、これを見事にマスターしてA級に返り咲いたこともあった。

 

2008年、第67期B級1組順位戦の最終局。

8勝3敗で自力昇級の目を持った高橋と、キャンセル待ち3番手ながら(高橋との直接対決のため実質2番手)チャンスがある行方尚史八段との一戦。

大一番は横歩取りから難解な空中戦が展開されるも、高橋が制勝。

このころはこの形で勝ち星を稼ぎ、高橋にとってはまさに、A級復帰の原動力となったドル箱戦法であった。

 

 

 

  

 たしかに、高橋は横歩取りが「苦手」なんかではなかった。

 いや、もしかしたら若いときはそうだったかもしれないが、たとえ後付けでも、

 「有無言わさぬ結果

 で応えられたら、それには敬意を表するしかない。

 わかったようなことを言わないでほしい。オレは【苦手】をぶつけられたんじゃない。セコい手で撹乱されたわけでもない。

 相掛かりも横歩取りも、堂々と戦って敗れただけだ、と。

 高橋道雄の訴える声が、聞こえるようではないか。

 私だったら、すぐ乗っかって、

 

 「そーなんスよ、ヨネ兄さん! あの人、マジでヤバいっしょ。矢倉やらんとか、名人のくせにサブいですわー。逃げまくりで、棋士の誇りとか、ないんスかね?」

 

 とか絶対言っちゃうよなあ。

 だからまあ、あの七番勝負はノーカンというか「実質名人」はもうオレでええやんとか、Twitterとかでブツブツ言うぜ。

 だって、矢倉では勝ったもん! 

 それとくらべて、なんてプライドなのか……。

 とかなんとか、別に自分が負けたわけでもないのに、我が身を恥じたものであった。

 私は自分に闘争心がないせいか、こういう若者の強がりのような反応を、どこかまぶしく思えてしまう。

 だから、当時のトップ棋士の矢倉へのこだわりと、高橋道雄の意地とセットで、なんとなくだが今でもおぼえているのだ。

 

 

 

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神話時代の終焉 中原誠vs高橋道雄 1992年 第50期名人戦 その6

2021年11月16日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回(→こちら)の続き。

 1992年の第50期名人戦は、挑戦者の高橋道雄九段相矢倉の重厚な将棋で、中原誠名人3勝1敗とリード。

 追い詰められた中原は第5局を得意の相掛かりで取ると、第6局では意表の横歩取りを披露。

 激しい戦いを制して、フルセットに持ちこむことに成功(第1回は→こちらから)した。

 最終戦。注目なのは、もちろん振り駒である。

 のちの1998年、第56期名人戦で、谷川浩司名人佐藤康光八段が挑んだときは、双方第6局まで先手番をキープし、最後の一局は

 

 「ウン千万円の振り駒」

 

 と言われたそうだが(結果は後手になった佐藤が勝って名人奪取)、ここはふだんなら「あまり気にしない」と達観していたはずの中原も、

 


 「正直なところ先手が欲しかった」


 

 と告白したのだから、本当に大きな「神様のサイコロ遊び」になった。

 結果は願いもむなしく、高橋先手

 ▲76歩に、後手はしぶしぶ△34歩。

 ここで先手は▲66歩として「無理矢理矢倉」のように組む手順もあったが、高橋曰く、

 


 「その形は指したことがありません」


 

 堂々と▲26歩で、空中戦を受けて立つ。

 中原も△84歩。第6局と同じだ。

 降谷でも沢村でもなく、最終局も「先発は東条」だった。

 とにかく、矢倉だけは勘弁という意味では、中原の姿勢は徹底していた。

 もっとも、高橋も第6局では1手バッタリが出るまでは、いい将棋を指していたし、当然最終局でも予想はしていたハズで、研究もおこたりなかったろう。

 果たして、柳の下に二匹目がいたのか。むかえた、序盤戦のこの局面。

 

 

 

 △22金と寄って飛車成を受けたのが、中原「強情流」の1手。

 △22銀は危険だし、△23歩とも打ちたくないからでというのはわかるが、こんな愚形を序盤早々強いられては、苦しいことは一目瞭然だ。

 そこから双方、自陣を整備してこの局面。

 

 

 

 

 両陣とも好形に組みあがって、中原は悪くないと思っていたそうだが、次第に「ん?」となる。

 先手は7筋のが大きいし、飛車先も伸びて、後手の2筋3筋に歩がないこともうすく、そこに歩を伸ばして圧迫する手もありそう。

 実はこの局面、控室の検討でも見解が一致し、すでに高橋優勢なのだ。

 第3局の終盤戦に続いて、またもや高橋が名人位に手をかけた瞬間がここだった。

 ここでは「地道高道」らしく、厚みで押しつぶすもよし、また好機に▲74角と打ちこむ手も強烈で、そのまま先手が押し切っていたはずなのだ。

 だが、ここから高橋が乱れだす。

 後手が△96歩、▲同歩、△92香と端からゆさぶりをかけたのに、▲67銀と引いたのが、弱気な手だった。

 自陣を引き締めて自然なようだが、左辺の厚みを放棄してしまったのが良くなく、▲74角の威力も半減している。

 続いて、△55歩の突き捨てに、▲27角と打った遠見の角が疑問手

 

 

 

 △54角と合わせられて、先手が損をしてしまった。

 ここで高橋の読み筋はおそらく、▲同角、△同銀直に▲55歩と取って、△同銀、▲56歩で銀を殺せるというもの。

 

 

     

 

 

 だが、それには切り返しがあった。

 △66銀と捨てる好手があり、▲同銀には△76角王手香取りで、突破される。

 ▲27角と打つところでは、なにもせずじっと▲55同歩と取っておくのが落ち着いた手で、優位を維持できたのだ。

 

 

 高橋好みの一着にも見えたが、大一番でこういう、ゆるめるような手を指しにくいのは将棋の定番「あるある」。

 このあたりの、ちぐはぐな指し手に中原が息を吹き返した。

 からラッシュをかけ、一気にペースをつかんでしまう。

 少し進んだ、この局面を見てほしい。

 

 

 

 

 先手は▲86飛車▲87が、あまりにもヒドイ形で戦意がなえそうだ。

 「名人位へのプレッシャー」などというのは類型的すぎて、高橋に失礼な気さえするが、それにしても、あまりにらしくない将棋になってしまった。

 それでも高橋は懸命に食らいつき、最後は1手違いに近いところまで持っていったが、健闘むなしくそこで力尽きた。

 1勝3敗の崖っぷちから3連勝で大逆転。

 シリーズ前半戦の内容を思えば、信じられない結果だが、まさに中原誠の底力を見た想いだ。

 追い詰められながらも、なにかないかとカバンの中身から押入れの奥まで、すべてひっくり返して戦った末、見事に逆転防衛を決めた中原名人。

 これこそが、米長邦雄をはじめ、多くの観戦者が感服した大名人の勝負術。

 またの名を「詐欺師の手口」。

 米長は様々なふくみがあって言ったことだろうが、私はただただ「中原すげー」しかなかった。

 この勝利には感動することしきりだったが、これで力つきたか、中原は翌年の防衛戦で、宿命のライバル米長邦雄4連敗のストレート負けを喫する。

 また、49歳で悲願の名人位についた米長も、翌年には羽生善治四冠に2-4で名人位を奪われる。

 ここから名人位はいったん谷川浩司に移行したあと、佐藤康光丸山忠久森内俊之と、次々若き「新名人」を生み出すことに。

 これまでの「定跡」なら、米長邦雄や加藤一二三のようなポジションだった彼らは、過去の「神話」にとらわれることなく、自らの力でチャンスを生かし、頂点に立つ。

 まだ28歳だった「佐藤康光名人」誕生に興奮したことを、今でもおぼえている。

 古臭い「神話」にキッパリNoを突きつけた彼は、まさにそこで「革命」を起こしたのだから。

 森内俊之に至っては、「選ばれし者」を差し置いて、先に「永世名人」を獲得。

 ここでついに「残酷な神」は葬り去られた。

 これ以降、名人は「選ばれる」ものから、「実力で勝ち取る」ものになり、また時代は新たな熱気を生み出していくことになるのだ。

 

 (伊藤沙恵と里見香奈の激戦編に続く→こちら

 (米長邦雄の言う「詐欺師の手口」については→こちら

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クは空中戦のク 中原誠vs高橋道雄 1992年 第50期名人戦 その5

2021年11月15日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回(→こちら)の続き。

 ここまでの通り、1992年の第50期名人戦は、挑戦者の高橋道雄九段中原誠名人3勝1敗と押しこんでいる(第1回は→こちらから)。

 これはスコアのみならず、内容面でも圧倒しており、特に中原が「相矢倉」で3敗したことも衝撃だった。

 カド番の第5局は、中原先手で初手▲26歩

 当然であろう。負けたら終わりの勝負で、意地もへったくれもない。

 プライドも名人の沽券もかなぐりすてて、相掛かりにたくすしかないのだ。

 矢倉で勝ってこそ名人? 純文学? 知らん、知らん!

 そんなん言うてるうちに、このザマや。ほたらなにか? もし負けたら、アンタが養ってくれる言うんか?

 文字通りの「必死のパッチ」である。

 ただ、この将棋は中原の居直りが功を奏したか、はたまた高橋にプレッシャーがあったか、中盤戦でほぼ決着がつくという意外なこととなった。

 

 

 

 

 ここが封じ手の局面だが、▲22歩と打って「オワ」である。

 まだまだこれからのように見えるが、後手陣は金銀バラバラの浮き駒だらけで、△22同金壁形も痛く、すでに収拾がつかないのだ。

 事実、ここでは高橋も相当に悲観しており、

 

 「封じ手に【投了】と書こうかと思った」

 

 と語るほど。

 さすがに、本当には投げないにしろ、それくらい後手が勝てない形なのだ。

 以下、▲74歩から▲94歩と教科書通りに仕掛けて、先手が圧勝する。

 これで中原から見て2勝3敗と、星をひとつ返すこととなったが、さあここである。

 第5局は思わぬ拙戦だったが、高橋からすれば後手番であるし、スコア的にも「捨て試合」にできるところではあった。

 問題は、高橋が先手になる第6局である。

 当然、矢倉で来るはずだ。こうなったら、受けるほうもエースにたくすしかない。

 「沢村先発」。すなわち相矢倉だ。

 だが、中原はここに勝ててない。

 いわば、長期戦で自軍は弾切れに悩まされつつあるのに、まだ相手の方は潤沢な補給も受けた主力部隊が、無傷で残ったままのようなもの。

 果たして、シリーズ2勝の相掛かりが使えない後手番で、

 

 「負けてるのを見たことがない」

 

 と称賛される、高橋必殺の「矢倉▲37銀型」をブレークできるのか。

 いや、できたとしても、最終局の振り駒次第では、もう一回、高橋の先手番矢倉と、やりあわなければならないかもしれない。

 八方ふさがりになった中原は、ふたたび苦悶の海に沈む。

 なにを指すのか。矢倉か? それとも振り飛車のように、他の戦法でかわす? その付け焼刃が、今の高橋に通用するのか?

 またしても、オープニングに注目が集まった。

 高橋の初手は100パーセント▲76歩である。その次の手が問題だ。
 
 堂々と矢倉なら△84歩△34歩なら変化球。

 エースと心中か、はたまた、まだ隠し玉があるのか。


 1戦目 降谷●
 2戦目 沢村●
 3戦目 川上〇
 4戦目 降谷●
 5戦目 川上〇

 
 この星勘定で、あなたなら川上を使えない6戦目の先発を、どうするだろうか。

 まるで、告白の返事を聞く高校生の心境だ。どっちなんだ、どっち?

 答えは△34歩だった。

 将棋ファンで『血涙十番勝負』という大名著もある山口瞳さんも、雑誌で取り上げたように、またしても名人が矢倉を捨てた

 「エース沢村」はもう出番がない。まさかの展開だが、ことここまでくれば予想できたともいえる。

 矢倉回避はわかった。じゃあ、なにを指す。

 振り飛車か? それとも横歩取り? 

 ▲26歩に、中原の4手目は△84歩

 中原誠名人は、負ければ無冠に転落するというこの大一番に、初めて横歩取りを採用したのだ。

 たしかに中原は居飛車中心のオールラウンダーで、横歩取りだって問題なく指せる。

 とはいえ、このカド番で指しなれない戦法を持ってくることは、やはり勇気が必要だったろう。

 現に米長邦雄谷川浩司との名人戦では、指しているのを見た記憶がないし、中原自身も、

 


 横歩取りは以前、席上対局で2番勝っている。

 第4局のあと銀河戦でも高橋君相手にうまく指せたんでね。

 銀河戦の結果は大きかった。負けていたら作戦に窮していたかもしれない。


 

 
 銀河戦はまだしも、「席上対局」の結果まで持ち出してくるとは……。

 いわば、降谷と沢村が通用せず、シリーズ2勝と頼れる川上も投げられないこの試合で、今はセンターを守っている「元投手」の東条秀明を、

 

 「練習試合でいいピッチングをしていたから」

 

 という理由で、初めて公式戦のマウンドに送るようなものだ。

 追い詰められてのこととはいえ、片岡監督……じゃなかった中原名人の度胸も並ではない。

 ……て、さっきから『ダイヤのA』を読んでない人にはサッパリだろうから、実際のプロ野球で例えると、要するに阪神で言えば、村山実ジーン・バッキーを差し置いて、ピーター・バーンサイドが先発するようなものです(←よけいにわかりにくいだろ!)。

 そんな、奥の手と言えるのかどうかという、苦しまぎれだが、将棋のほうは熱戦に。

 

 

 △54桂と打つのが、いかにも「桂使いの中原」らしい好感触の手。

 飛車切りを催促しながら、桂馬も入手できそうだから、それを△46に打てば、継ぎ桂の手筋が、先手の中住まいの弱点であるコビンにヒットする。

 以下、▲44飛、△同歩、▲64桂、△同歩、▲73歩成、△同金、▲62角、△63金、▲44角成、△43歩、▲55馬、△76歩、▲88角

 そこで△85飛と浮くのが、「自在流内藤國雄九段のような華麗なさばきで、後手の駒がいかにものびのびしている。

 

 

 

 高橋が押しこまれているようだが、まだ難しい形勢で、ここで▲22馬と踏みこめば、先手が有望であった。

 △46桂打も怖いが、それ以上に後手玉も薄い。

 好機に▲72銀▲61銀挟撃されると、あっという間に寄ってしまうかもしれない。

 チャンスだったが、高橋は第3局に続いて、ここでも踏みこめなかった。

 ▲56馬と自重して、中原のさらなる攻撃を誘発してしまったのだ。

 最後は「一手ばったり」のようなポッキリ折れる負け方で、まさかの先手番ブレークをゆるしてしまう。

 これで勝負は3勝3敗タイに。

 様々な思惑が交差した第50期名人戦も、ついにフルセットで決着をつけることになった。

 そう、これこそが大名人中原誠の、かけひきと勝負強さ。
 
 そしてここからも、渡辺明名人

 


 「印象に残った名人戦」


 

 として取り上げ、この名人戦を総括した米長邦雄九段

 


 「詐欺師の手口」


 

 と呼んだ、海千山千の勝負術が、見事な逆転劇を生むことになるのだ。

 

 (続く→こちら

 

 

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矢倉か相掛かりか 中原誠vs高橋道雄 1992年 第50期名人戦 その4

2021年11月14日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回(→こちら)の続き。

 挑戦者の高橋道雄九段が2連勝してスタートした、1992年の第50期名人戦(第1回は→こちらから)。

 スコアのみならず、得意の矢倉が通じないのが苦しい中原誠名人は、第3局で、どの戦型を選ぶか注目されていた。

 意地の矢倉か、変化をつけて相掛かりか。

 固唾をのんで見守る中、中原は盤面右側の歩を持ち上げた。

 私はこれを知ったとき、思わず裁判の「無罪」のように、

 

 「▲初手26歩」

 

 と大書して、カメラの前に(どこのだ?)走り出したくなったほどだ。

 相掛かりだ。名人が矢倉を捨てた

 衝撃のオープニングだが、この選択を私は心ひそかに、よろこんでもいた。

 それは弱気な名人を嗤おうとか、相掛かりが見たかったとか、そういうことではない。

 他になにを言われようと、「名人のくせに」とヤジられようと、プライドを捨てて勝ちに行く、

 「大名人中原誠の本気モード

 が見られるのだとワクワクしたからなのだ。

 気分は小林旭。嵐が来るぜ、と。

 ガチで結果を取りにいった相掛かり選択だが、もちろん、だからといって、それで勝ちが決まったわけではなく、ともかくも目の前の一番をものにしなければならない。

 中原は浮き飛車から▲59金▲48銀型にかまえる。

 

 

 

 のちの「中座流△85飛車戦法」につながる「中原囲い」を選択し、軽くさばいていくが、高橋もを自陣に埋めるねばっこい指し方で、主導権を渡さない。

 難解な戦いが続いたが、最終盤の競り合いで、中原に危険な局面がおとずれた。

 

 

 

 ここまで、細い攻めを懸命につないできた先手だったが、この▲32銀成で、控室にいた中原の弟子である小倉久史四段が悲鳴を上げたという。

 高橋は△24角と打つ。いかにも好感触な攻防手だ。

 

 

 

 中原は▲33成銀と取るが、そこで△57香と放りこんでラッシュをかければ、後手が勝ちと結論が出ていたのだ。

 

 

 

 このシリーズ、高橋道雄が名人位に手をかけた瞬間が確実に2度あって、その1回目がここだった。

 まさに「あと1手」で、すべての将棋指しが目指す名人の頂に、たどり着けるところまできたのだ。

 この事実だけでも、かつての高橋道雄が、いかにを持った棋士だったかわかろうというもの。

 頂点をかけた、究極の2択だ。攻めるか、それとも受けるか。

 将棋で起こるドラマは、そのほとんどが秒読みの中で交錯する、一瞬のひらめきや決断に過ぎない。

 夢にあと一歩まで近づいた高橋だったが、ギリギリの状況で、ついに選択できなかった。

 △33同角と手を戻してしまい、これではいけない。

 ▲63桂成△11角▲52竜とせまられて、以下いくばくもなく中原が勝ちとなった。

 

 

 

 高橋にとっては惜しい、中原にとっては九死に一生という戦いだったが、とにもかくにも、この結果は中原にとってはとんでもなく大きかった。

 続く第4局は、今度こそ「エース投入」で相矢倉だ。

 逃げた、というそしりを受け、しかも最後は負け筋さえあった将棋だったが、勝ってしまえば1勝1勝

 中原からすれば、一息つけた上に、相手がダメージを受けているところに矢倉でたたいてタイに持ちこめば、一気に流れが自分のほうに来るはずだという算段である。

 ところが、この中原の継投策が、高橋には通じない。

 第3局こそ落としたものの、ここまでの流れを見れば、

 

 「オレの矢倉は通じる。いや、名人は恐れてさえいる」

 

 自信を持つのは当然であり、その姿勢はブレることがなかった。

 

 

 

 第1、2局に続いてガッチリと組み合ったが、ここから高橋が軽快に攻めかかる。

 

 

 

 

 

 ▲24歩、△同歩、▲同角が、高橋道雄、絶好調の仕掛け。

 駒損になるが、△同銀には勇躍▲44飛と取って、△43歩とでも受ければ、▲34飛から▲54飛とか、▲64飛とか。

 そうやって、ぶん回して大暴れすれば、▲23歩のたたきなどもあって自然に勝てると。

 

 「矢倉は先に攻めたほうが有利」

 

 といわれるが、その通りの突貫である。

 将棋はまだまだこれからだが、またしても高橋が主導権を握った戦いにはなった。

 どうしのぐか関心の集まる後手だが、今度は中原が驚愕の手を披露する。

 

 

 

 

 △26歩と打つのが、ちょっと指せない、すごい手。

 ねらいは、そりゃ△27歩成から△37と、を見せて先手をあせらせるということなんだろうけど、とても間に合うとは思えない。

 だとしたら、これはこのいそがしいのに、丸々1手パスになる可能性が大で、事実ここから高橋は好機に▲26銀と取り、▲37桂から▲25桂と、この手を逆用して攻めつぶしてしまう。

 ただ、この手自体はすごいというか、いわくいいがたいインパクトを残すもので、どう見ても好手には見えないけど、名人の底知れぬ力を見た思いだった。

 逆に言えば、そんな幻手にも惑わされず、自らの将棋をつらぬいた高橋も、また見事の一言。

 次々と連打を繰り出して、またも「エース降谷」をノックアウト

 これで3勝1敗。いよいよ名人位にリーチがかかった。

 ここへ来て、われわれはようやっと自分たちが、今おそるべき「リアル」に立ち会っていることを自覚することとなる。

 このまま「高橋道雄名人」が誕生すれば、歴史が変わるのだ。

 それは単に、新名人が誕生するだけでなく、

 

 「名人は選ばれるものがなる」

 

 という「神話」が崩れるという、将棋界のありかたそのものを、根本的にくつがえしてしまう「革命」に他ならなかったのだから。

 

 (→こちら

 

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矢倉は将棋の純文学 中原誠vs高橋道雄 1992年 第50期名人戦 その3

2021年11月13日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回(→こちら)の続き。
 
 1992年の第50期名人戦中原誠名人を相手に、挑戦者の高橋道雄九段2連勝でスタート(第1回は→こちらから)。

 この結果を見て、われわれ観戦者は少しばかり、ザワザワすることになる。

 

 「あれ? これちょっとヤバくね?」

 

 中原が2連敗していることではない。

 高橋道雄の強さは、将棋ファンなら先刻ご承知のところで、タイトル戦で挑戦者が2連勝するのもよくあること。

 ふつうなら、むしろこれでシリーズが盛り上がると、呑気にかまえているところなのだ。

 では、なぜ平静でいられないのか。

 「中原の矢倉」が、ここまで通じていないからだ。

 これは第1話の名人戦における「神話」(→こちら)同様、またも説明が必要だが、昭和の将棋界では「矢倉」というのが将棋の王道ととらえられていた。

 米長邦雄永世棋聖の有名なセリフ、

 

 「矢倉は将棋の純文学」

 

 のように、矢倉を極め、それで勝ってこそ真の王者である、という思想というか、「信仰」のようなものが支配的だったのだ。

 今の感覚では「へー、そうなんやー」くらいのものだが、このフレーズこそがまさに、このシリーズを語るキモ。

 いわば昭和の矢倉戦法は、野球における「エース」という存在。

 マンガ『ダイヤのA』でいえば(今、久しぶりに読み返してハマっているのです)、青道高校が初戦に降谷暁、2戦目に沢村栄純を立て必勝を期したところ、その両方とも落としてしまったようなものなのだ。

 ただ負けただけでなく、「チームの柱」が試合をつくれなかったことは、今後の展開が見えなくなる意味でもショックがある。

 こうなると興味津々なのは、中原先手で戦われる第3局戦型

 ふつうに考えれば、選ぶのは矢倉である。

 敗れたとはいえ、やはり中原にとっては最大の得意戦法であるし、なにより先も言った通り、

 

 「矢倉で勝ってこそ名人」

 

 という縛りもある。エースが打たれた借りは、エース自らが返すしかない。

 

 

  七番勝負、第1局の再掲。

 「こういう将棋」で勝たないと、第一人者たる資格はないというわけ。 

 

 また、中原はおだやかに見えて、相当に意地っ張りな面もあり、ライバル米長邦雄との勝負では、ムキになって矢倉を連投させたこともあった。

 七番勝負で勝つには4勝しないといけないのだから、どっちにしろ、いつかは「高橋の矢倉」をブレークしないといけないわけで、それならここで、となるのは自然なところではある。

 ただ今回、そんな簡単な話だろうかというのは、なんとなく感じられるところだった。

 まず、高橋道雄は強い

 将棋の実力は周知としても、この大舞台で持てる力を存分に発揮できる精神が、いかにも頼もしい。

 矢倉の強靭さも評価できる。

 名人中原相手に2連勝、そこに名人挑戦プレーオフの南芳一九段戦、谷川浩司四冠戦も含めれば、高橋の矢倉はトップ棋士に連勝中で、特に先手番のそれは無類の強さ。

 それは「意地」「プライド」といったもので、突破できるほど甘くないのではないか?

 万一負けでもしたら、3連敗のカド番で、今度は後手番から高橋の矢倉を受け止めなければならない。

 それはもう、実質終わりのようなものである。

 もうひとつ、選択をややこしくしているのは、先手番だと中原には

 「中原流相掛かり

 という、もうひとつの得意戦法があったこと。

 谷川浩司から、名人位を奪い返す原動力となったこの戦型は、当時まだ(今でも?)定跡が整備されておらず、力戦のようになりやすい。

 初見での対応力や戦法との相性、経験値の差がハッキリと生きるわけで、「スペシャリスト」中原に分があるのは間違いないところなのだ。

 ふたたび『ダイヤのA』でいえば、青道には降谷、沢村に続いて、3年生でリリーフ経験も豊富な、サイドスロー川上憲史投手がいるようなもの。

 

 

 1985年の名人戦第6局。

 ▲45桂と単騎ではねるのが、「中原流相掛かり」の見せ場。

 こんなんで攻めがつながるかと、首をひねりそうになるが、△88角成、▲同銀、△42角の受けに、▲14歩、△同歩、▲24歩、△同歩、▲77桂と巧みに手をつないでいく。

 △54銀と逃げると、▲53桂成、△同角、▲24飛のきれいな十字飛車が決まる。

 渡辺明名人も学んだ盤面を広く見た構想で、谷川から名人奪還に成功する。

 


 勝負にこだわるなら、流れを変える意味でも、ここは相掛かりが有力だが、それではどうしても「逃げた」というイメージが付きまとってしまうリスクもある。

 

 「降谷、沢村で試合を作ってから、リリーフエースの川上にスイッチ」

 

 なら必勝パターンだが、

 

 「エース2枚が通じないから、リリーフの3年を緊急登板」

 

 では、作戦的にも気持ち的にも、完全に後手に回ってしまっている。文字通り、

 

 「ピッチャーびびってる、ヘイヘイヘイ!」

 

 まさに「名人の沽券」にかかわってくるのだ。

 野次馬の私ですら、「どうすんねやろ?」と感じたのだから、当事者である中原名人は苦悶に沈んだことだろう。

 矢倉だと、勝てば視界が一気に開けるが、負ければほぼゲームセット

 相掛かりだとチャンスは多いが、腰が引けていることを露呈してしまうことになる。

 ここへきて、王者の条件である、

 

 「矢倉で勝ってこそ名人」

 

 という言葉が、中原にとっては大きな圧、いやもっといえば「呪い」のように重くのしかかってくることになる。

 大注目の第3局。

 初手は、果たして……。

 

 (続く→こちら

 

 

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「地道高道」の本領 中原誠vs高橋道雄 1992年 第50期名人戦 その2

2021年11月12日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回(→こちら)の続き。

 1992年の第50期名人戦、挑戦者に名乗りをあげたのは高橋道雄九段だった。

 このころの名人戦と言えば、中原誠谷川浩司、それに米長邦雄の3人が順繰りに戦うという感じだったが、そこに「花の55年組」から殴りこみが、かかることに。

 フレッシュな挑戦者だったが、戦前の予想では中原有利

 それは高橋から見て、4勝13敗と星がかたよっていることと、またこのころの将棋界では、


 「名人は将棋の神様に選ばれた者だけがなれる」


 という、厳然たる「神話」が存在していたからだ。

 とはいえ、それを考慮に入れても、高橋がそんな簡単に、引き下がる相手とは思えないところはある。

 31歳と、名人である中原誠より13歳も若く、A級順位戦プレーオフでは南芳一九段谷川浩司四冠と強敵を撃破。

 タイトル5期の実績もあり、Cクラス時代にタイトル戦で米長邦雄加藤一二三4タテを喰らわせた強さは、棋界に激震を走らせた。

 そんな男を、対戦成績はともかく、将棋の神様がどうとか言う、こういってはなんだがオカルトめいた話で、片づけてしまっていいのか。

 当時の高橋将棋で、印象に残っているのがこれ。

 1986年の第12期棋王戦

 谷川浩司棋王と、高橋道雄王位の五番勝負。

 1勝1敗でむかえた第3局は、高橋が先手で相矢倉に。

 高橋が4筋から仕掛けて行ったところ、谷川がから反撃。

 

 

 

 この△95歩が機敏な1手で、▲同歩には△97歩とタラして、▲同香に△同角成と強襲。

 ▲同桂に、△95飛(単に△44香もありそう)、▲96歩、△同飛、▲98歩に△44香と打つと、飛車がお亡くなりに。

 

 

 

 

 まだ戦いが始まったばかりで、いきなり飛車を召し上げられるのは痛いし、のキズも残って、これは先手がツライ。

 すでに先手が困っているようだが、ここで高橋が指した手には、度肝を抜かれた。

 

 

 

 

 

 ▲48飛(!)、△96歩、▲98歩(!)。
 
 なんと、端の取りこみを甘受して、▲98歩と受けたのだ。

 他になんの代償もないのに、一方的に9筋を土下座させられるなど、屈辱きわまりない手順だが、そこをじっと辛抱できる高橋のメンタルが並ではない。

 ふつうは、こんなの指せない。

 それこそ谷川浩司が先手だったら、ナイフや銃でおどされてすら、絶対に指さないだろう。

 それを受け入れるのが、高橋道雄の強さである。

 しかも、ありえない手順にペースを乱されたか、谷川がモタついたスキを突いて逆転に成功するのだから、あにはからんや。

 シリーズも3勝1敗で棋王を奪取して二冠に輝き、このころは

 「高橋道雄最強説」

 が棋界を席巻したものだった。

 なので私の中では、決して派手なタイプとは言えない高橋が、その圧倒的地力で「神話」を、もっとハッキリ言えば、

 

 「名人は選ばれた者だけがなれる、特別な何かであってほしい

 

 という棋士や、将棋ファンの「願望」が作り出す同調圧力を打ち破れるかが、とにかく注目だったのだ。 

 という、ちょっと長い前提がある中、第50期名人戦が開幕。

 第1局は中原が先手で相矢倉になった。

 

 

 

 中盤戦のこの局面。

 先手の銀立ち矢倉と後手の4枚矢倉が美しく、将棋の本道という感じがする。

 ただ、中盤以降は相入玉の形になり、正直そんなにおもしろい戦いではなかった。

 ではなぜ、その将棋の、それも駒組の段階の図を紹介したのかと言えば、これがこの七番勝負を語るのに、はずすことのできない重要なものだから。

 「こういう図」こそが、このシリーズの趨勢を決定づけることになるので、まずは「そういうもの」と憶えておいていただきたい。

 続けて第2局。今度は高橋が先手で相矢倉

 前局に続き、またもがっぷり四つに組んだ両雄だが、ここは先手の高橋が軽快に仕掛けていく。

 中盤戦。形勢は難しいが、図で▲12歩と打ったのが、「高橋らしい」と声の上がった一手。

 

 

 

 駒を補充しながら、と金を作って敵の金銀をけずっていこうという確実な手だが、それゆえに鈍足な手で、後手からの反撃が怖いところ。

 それを堂々「やってこい」と。

 たしかに、△73桂△85歩の入ってない後手の攻撃陣は、いかにも1手遅れている印象だ。

 

 

 中原が△75歩の突き捨てを入れるタイミングを逸したこともあり、高橋が優勢になり終盤戦へ。

 ここで先手に、カッコイイ決め手がある。

 

 

 

 

 ▲37銀が、強烈な右フック。

 △同馬は攻防のカナメの駒がソッポにやられ、先手陣に怖いところがなくなる上、▲44歩のたたきや▲45を打って攻める筋がきびしくて持たない。

 手段に窮した中原は△68馬から「バンザイアタック」を仕掛けるしかないが、しっかりと受け止めて制勝。

 これで、挑戦者が2連勝スタートだが、見ているほうはここで、少しばかりざわつくことになる。

 高橋の強さが意外だったわけではない。

 それよりなにより、中原誠が

 「初戦、2戦目と、どちらも矢倉で落とした」と

 いう事実に、大きな危機感を抱いたからなのだ。

 

 (続く→こちら

 

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「名人は選ばれた者がなる」という神話 中原誠vs高橋道雄 1992年 第50期名人戦

2021年11月11日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 大名人の最後の勝負術にはシビれるものがある。

 偉大なチャンピオンというのは、その全盛期に圧倒的な力を見せることもさることながら、それを失った晩年にも、執念と呼べるふんばりを発揮することがある。

 「常勝将軍」木村義雄は、おとろえの出たキャリア最終盤に、この男だけは名人にさせまいと、「筋違い角」の奇襲でもって指し盛りの升田幸三を退けた。

 その升田幸三は、敗れたとはいえ1971年度の第30期名人戦で、当時は「ハメ手」「邪道」と言われた「升田式石田流」を7局中5局で投入し、名人復位まであと1歩までせまった(その熱戦は→こちら)。

 また大山康晴十五世名人は、「A級から落ちたら引退」を公言する中、陥落の危機を何度も超人的な勝負強さでしのぎ切り、69歳で死去するまで、その地位を守り通した(その伝説的戦いについては→こちら)。

 そんな数ある伝説に加えて、私が印象が残っているのに、中原誠名人の戦いぶりというのがある。

 それは、ある名人戦のことで、このとき中原は、充実の挑戦者から押しに押され、絶体絶命のピンチに立たされる。

 そこからの戦いぶりが、まさに「名人の勝負術」というもので、追いかけていて興奮した。

 特に大きな記録などが、かかっていたわけではないので、歴史的に見ればやや地味かもしれないが、あとあとからは

 

 「昭和将棋の終焉」

 

 という大きなターニングポイント前夜ともいえるので、前回は若き日の羽生善治森内俊之が見せた必死の「飛不成」を紹介したが(→こちら)、今回は「神話」時代最後の名人戦を、ここで改めて語ってみたい。

 

 1992年の第50期名人戦

 中原誠名人への挑戦に名乗りを上げたのは、高橋道雄九段だった。

 戦前の予想はと言えば、これはもう満場一致で「中原が有利」。

 このときの高橋と言えば31歳と、44歳の中原より若く、タイトル5期の実績もあり、一時期は谷川浩司などをおさえて、

 

 「一番強いのは高橋道雄」

 

 と恐れられたほどの男だ。

 なのに下馬評不利とは不思議な気もするが、これには根拠があって、まず対戦成績が中原から見て、13勝4敗と大きく勝ち越していたこと。

 なにより大きかったのは、昔の将棋界では、

 

 「名人は将棋の神様に選ばれた者だけがなれる」

 

 という「神話」が、厳然と存在していたからなのだ。

 名人戦の歴史を振り返ってみると、これがおそろしいほどに偏ったものであることがわかる。

 1935年にはじまった実力制名人戦は、その50回(以下すべて1992年当時の記録)の歴史の中で、

 

 木村義雄

 塚田正夫

 大山康晴

 升田幸三

 中原誠

 加藤一二三

 谷川浩司

 

 わずかこの7人しか、「名人」を生み出していない。

 しかも、木村義雄が8期、大山康晴が18期、中原誠が14期と、その8割を3人で独占

 まだ若かった谷川(4期)はともかく、名人2期の升田幸三と1期の加藤一二三は、その実力からして少ない印象だし、のちの米長邦雄もわずか1期の在位だった。

 つまり、昭和の将棋界では、不動の名人になるには

 

 「だれもが認めたナンバーワン」

 

 のみがなれるもので、2番手の棋士は、どれだけ才能に恵まれ、努力を重ねようが、

 

 「そのがんばったごほうびとして、キャリア後半に1期か2期だけ、ならせてあげるネ」

 

 というあつかい。その権威や政治的影響力も、今とはくらべものにならないほど絶大なものだった。

 升田や加藤や米長が、いかにのタイトル戦で大山や中原を負かそうが、石に刺さった剣は抜ける気配もなく、

 

 「棋聖王将はいいよ。十段とか王位もオッケー。でも、名人だけはダメなんよねえ」

 

 という不条理きわまりない、まさに萩尾望都先生のおっしゃる『残酷な神が支配する』世界だったのだ。

 それゆえ、二上達也山田道美有吉道夫大内延介森雞二桐山清澄森安秀光など、タイトル経験もある猛者が挑戦しても(内藤國雄に至っては挑戦者にすらなれなかった)、

 

 「まあ、どうせ名人が勝つんでしょ」

 

 まさに今の藤井聡太三冠のよう、世論がハナから決めてかかっていた空気の中では、戦う前から結果は見えている。

 危なかったのは、大山ならフルセットになった有吉戦と、「升田式石田流」シリーズの升田戦。

 中原なら、「痛恨の▲71角」で有名な大内戦に、あとは米長が互角に戦えたくらいで、実際に名人が多くは問題なく防衛した。

 

 

 1975年、第34期名人戦。中原誠名人と大内延介八段の七番勝負。

 3勝3敗(1千日手)でむかえた第7局。勝てば名人になれる大内は、中盤で大量リードを奪う。

 中原の死に物狂いのねばりを、なんとか振り切ったに見えたところで▲71角と打ったのが、運命の1手となった。

 ここは▲45歩と突き、△同銀に▲44歩とタタいて、△同銀とさせてから▲71角なら決まっていた。

 大内も読み筋で、そうやるはずだったが、なにが起こったのか先に角を打ってしまう。

 以下、持将棋に逃げられた大内は第8局も敗れ、「名人神授説」をさらに強固なものとする結果となる。

 

 

 河口俊彦八段言うところの、

 


 「名人位のゆくえは将棋ではなく【世論】が決める」


 

 また、なんとか奪取した升田、加藤、米長のようなナンバー2の名人は、かならずと言っていいほど「悲願の」と語られ、まさに棋士人生で最後の到達点というあつかい。

 名人獲得は偉業であるけど、

 「まずは、キャリア初期の難関のひとつ」

 そうとらえられる大山、中原、谷川、そして後の羽生善治とは、かなりニュアンスの違う伝えられ方をするのだ。

 棋力だけで言えば、大名人と2番手棋士の間に、そこまで差が出るのも不思議な話だが、なぜ、そんなことになってるのか。

 まあハッキリ言って、根拠なんかないんだけど、このころは

 「そういう時代だった」

 としか言いようがなく、高橋は苦手とする中原のみならず、この

 

 「選ばれし者バイアス

 

 というものが生む、圧倒的なアウェー感とも戦わなければならなかったのだ。

 

 (続く→こちら

 

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善き人のためのソナタ グザビエ・マリスvsロジャー・フェデラー 2012年ウィンブルドン4回戦 その3

2021年11月08日 | テニス

 前回(→こちら)の続き。

 2012年ウィンブルドン4回戦。

 ロジャーフェデラーケガに同情し、そのせいでプレーがどうにもおかしくなっている、ベルギーのグザビエマリス。

 フォアハンドを打てなくなったフェデラーに、

 

 「かわいそうに……」

 「いやいや、同情は禁物!」

 「でも……」

 「バカ野郎、なに考えてるんだ、試合中だぞ!」

 

 葛藤しているのが、ありありとわかるのだ。

 これまで通りプレーすれば、圧倒的有利なのはわかっているのに、それができない。

 その一方で、フェデラーは静かに静かにゲームを進めていた。

 腰を痛め、フォアは封じられたが、幸いなことにサービスには影響がなかった。

 使えないものは、しかたがないと割り切るしかなく、そっちは最低限つなぐだけにして、バックハンドネットプレーに活路を見出した。

 できるだけサービスポイントを取れるようにし、長いラリー戦を避ける。だましだまし、なんとか試合は続けられている。

 だが、それはあくまで「続けられている」というだけで、事態が好転しそうな気配はなかった。

 当てるだけの力のないフォアハンドでは、棄権を回避するので精一杯といった様子で、なんとも痛々しい光景だ。

 よほど、

 「もういいよ、ロジャー。これ以上は無理だ」

 そう言ってあげたくなったが、あにはからんや、ここで私は驚愕の光景を目にすることになる。

 気がつけば、いつの間にかフェデラーが、2セットアップしていたのだ。

 おいおい、これは、どういうマジックか。フェデラーはこの試合、最大の武器をうばわれていたはずなのだ。

 もちろん、マリスがそれを見て、調子をくずしたのも事実である。

 けど、それにしたって、絶好調のはずのマリスからハンディ付で、2セットリードなど、どうやれば可能なのか。

 言葉は悪いが、まやかしにかかったような気分だったが、そうやって、主導権を取ってしまったころには、彼の腰の状態はいつのまにか元に戻っていた。

 無理なショットを打たずに、じっと回復を待つ戦い方がついに報われて、ようやっと体が持ち直したのだ。

 フォアハンドも復活した。試合は開始時同様の、五分に戻っていた。

 さあ、仕切り直しである。

 と感じたのは、マリスも同じであったろう。

 皮肉なことに、フェデラーが回復してホッとしたのか、マリスのプレーのキレも、また元に戻っていた

 こうなっては、元々上がり調子だったマリスも強い。

 第3セットを奪い返して、これでセットカウントはフェデラーの2-1

 これには、私のみならず、世界中の観戦者が、

 「最初から、そうやっとけよ!

 つっこみを入れた思うが、彼からしたら

 

 「治ってくれてよかったよ、これで、こっちも全力でプレーできるぞ! さあ、ここから試合開始だ!」

 

 てなもんだったろう。

 まあ、彼が間違いなく「いいヤツ」であることは、よくわかる展開ではあったし、

 「ベストの状態である相手と、思いっ切り戦いたい」

 というフェアプレー精神には、正直ちょっと感動した。

 きっと彼にとってのそれは、獲得できる賞金や、ウィンブルドンの準々決勝進出という栄誉より、ほんの少しばかり大事なことだったのだろう。

 だが、時はすでに遅かった。

 互角の打ち合いで戦うなら、フェデラー相手に2セットダウンというのは重すぎる負債である。

 4セット目はフェデラーが見事に取りきって、6-46-12-66-2で、ベスト8進出。

 この試合を見て思ったのは、フェデラーの精神力もさることながら、マリスの心持ちだ。

 彼の敗因は、ハッキリしている。

 「あまりに、人が良すぎた

 自分はいいテニスをして、しかも相手がケガとなれば、変なことは考えず

 「今日のボクちゃん、マジでツイてるぜ、超ラッキーボーイ!」

 とか素直に受けとって、弱点となったフォアを、バンバン攻めてしまえばよかったのである。

 そうすれば、勝てた可能性は相当に高いが、それができなかったどころか、ケガに同情し、プレーに乱れが出た。

 彼は戦いのさなかに、敵の心配をすることができる、やさしい男だった。

 それは一人の人間としては、すばらしいことかもしれないが、勝負師としては甘かった。はっきり言って、甘すぎた

 ことこの試合にかぎっては、彼の自分の心の中にあるやさしさに、ツバを吐きかけるべきだったのだ。

 一方、おそるべきはロジャーフェデラーである。

 王者フェデラーは、この絶体絶命のピンチに、まったく、あきらめることがなかった。

 ひとつのグチも口にせず、不運をののしらず、ラケットや審判に、やつあたりすることもなかった。

 考えていたことは、ただただ試合を壊さないこと。気持ちを切らさないこと。

 相手の乱れに乗じて、じっと我慢し、体の回復を待つ。最後まで、棄権は考えない。

 フェデラーはコートの向こうの男や、スタンドのファンの同情の視線など、ものともせず、目の前の相手に、どうすれば逆転勝ちできるか、きっと、それしか頭の中になかったであろう。

 まったくもって、すごい男ではないか。

 どんな逆境になっても、なんという落ち着き、そして、なんという執念

 フェデラーはその後、決勝戦アンディー・マレーを破って優勝することとなる。

 もう一度言うが、勝てた試合を、むざむざ逃したマリスは甘すぎた。

 勝負の世界で「いい人」がほめ言葉にならないのは、こういうことをいうのだろう。

 だけど人間、なかなかフェデラーみたいな勝ち方も、できんよな。

 マリスの心にスキがあったのは、たしかだろうけど、それでもなにか、すごいものを見せられた気分になったよ。

 

 

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王者の死んだふり グザビエ・マリスvsロジャー・フェデラー 2012年ウィンブルドン4回戦 その2

2021年11月07日 | テニス

 前回(→こちら)の続き。

 2012年ウィンブルドン4回戦。

 ロジャーフェデラーと、ベルギーのグザビエマリスとの戦いは、思わぬアクシデントの発生で観戦者は騒然となった。

 フェデラーが、試合中にフォアハンドを、まったく打てなくなってしまったのだ。

 の違和感のせいだが、最大の武器であるフォアを、ただ当てて返すしかできないとは、明らかな異常事態である。

 これを見て、私は思わずため息をついた。
 
 こりゃロジャーは負けるな。

 それどころか、あんな手打ちしかできないんじゃあ、途中棄権という、最悪のシナリオも考えられる。

 逆にマリスからすれば、こりゃあもう、願ってもないような大チャンスである。

 あとは、相手の弱点をついていけば、楽勝のプップクプーで栄光のウィンブルドンベスト8進出だ。

 と思いきや、ここから試合はおかしなことになりだす。

 マリスが、なぜか突然に乱れ出したからだ。

 それまで、気持ちいいほど躍動していたはずの彼のテニスが、敵の不備を見て、それに合わせるようにおかしくなるのだ。

 相手のスローボールのような、打ちごろのフォアハンドに、おつきあいするかのような、ゆるい球を返す。

 サービスが入らなくなる。ネットに出るタイミングが、いかにもおかしい。

 チャンスボールも叩いていかない。なんだか、こわごわとプレーしているように見える。

 それを振り払おうとするように「えいや!」っと強打をおみまいすると、それをネットにかけてしまう。プレーが、どうにもちぐはぐになってしまったのだ。

 これは、だれがどう見ても、フェデラーのケガが原因である。

 ふつうに考えれば、こうなってしまえばフェデラーのフォアをねらえば、ポイントは好きなだけ取れる。

 そらそうだ。当てることしかできないのだから。

 野球でいえば、上位打線が全員バントしかできないようなもの。

 将棋なら飛車落ちで戦うとか、ともかくもそんな大ピンチを超えた、崖っぷちに追いこまれたわけだ。

 だが、マリスは、そこで足を止めてしまった。

 それどころか、フェデラーを助けるような自滅を開始したのだ。

 ここでのマリスの心境というのは、なんとなく想像できる。

 フェデラーのフォアがおかしくなった瞬間、すぐに感づいたはずだ、

 「おいおい、ロジャーはケガしてるぞ」と。

 次におそらく、「なんと気の毒に」と考えたのではあるまいか。

 フェデラーといえば、無敵の王者として君臨する時代が長かったが、このころはといえば、ライバルのラファエルナダルノバクジョコビッチの突き上げにあい、世界1位から陥落

 グランドスラム大会でも2年間優勝がなく、

 

 「フェデラーの時代は終わった」

 

 このところ、ずっといわれ続けてきたのだ。

 松岡修造さんなど、ハッキリと、


 「もう引退の時期かもしれない」

 
 それだけに、得意であり、もっとも愛着のあるウィンブルドンでは、再起をかけてきたであろう。

 それを、4回戦なんかでケガで負けてしまうとは、あまりにも、あまりである。

 あくまで推測に過ぎないが、プレーを見るかぎりは、同情がわき上がるのを押さえられなかったのは、たしかだろう。

 この間の彼の葛藤は、いかばかりか。

 

 「勝てる、チャンスだ!」

 

 という想いと、

 

 「でも、相手はケガしてるのに、そんなことでいいの?」

 

 おそらくは「勝負師」と「ひとりの人間」として、その天秤は揺れに揺れたはずなのだ。

 勝負は不思議な闇試合に突入した。

 お互いにふらつき、行く先が見えなくなったこの試合だが、その後なんと、予想もしえなかった結末をむかえるのである。

 

 (続く→こちら

 

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「勝負の世界は、いい人だと思われたら終わり」 グザビエ・マリスvsロジャー・フェデラー 2012年 ウィンブルドン4回戦

2021年11月06日 | テニス

 前回(→こちら)に続いて、ベルギーのレジェンド選手である、グザビエマリスについて。

 今年のアントワープ大会で、教え子であるロイド・ハリスと組んでダブルスに出場しているのだが、現役時代のマリスでおぼえているのが、2012年ウィンブルドン4回戦。

 対戦するのは、なにを隠そうロジャーフェデラー

 言わずと知れた、テニス界の王者であり、世界ナンバーワンの座に長く君臨。

 グランドスラムのタイトルも、数えきれないほど獲得するのみならず、このウィンブルドンでも、ほとんど負けたところを見たことがないという、まさに

 「ウィンブルドンの主」

 ともいえる存在でもあるのだ。

 トップシードと、力のあるベテランという、4回戦くらいらしい、実に通好みなカードであった。

 とはいえ、勝敗予想はと言えば、これはもう圧倒的にフェデラー有利

 このころのフェデラーは全盛期こそ、いったん過ぎた印象こそあるが(まあ、その後何度もよみがえるんですけど)、それでもことには変わりない。

 ましてやのコートとなれば、これはもうフェデラーの庭のようなもので、その意味でも格が違うわけだ。

 ところがこの試合、マリスが実にいいテニスを見せる。

 この一番に照準を合わせてきたのであろう、体がよく動き、またチャレンジャーという気楽な立場もあったせいか、のびのびとしたプレーを披露。

 これにはフェデラーも予想外だったのか、ファーストセットは明らかに、マリスのペースで進む。

 試合自体は競っているものの、勢い流れは、マリスにある感じなのだ。

 これにはちょっと、こちらもすわり直すことになる。

 おいおい、マリス、やるやん

 このテニスが最後まで続けば、これはかなり、いいゲームになりそうな。

 フェデラー順当勝ちと思いきや、こいつはおもしろくなってきたぞ、とこちらもエリを正すと、ここで予想外のアクシデントが起きて、さらに風はマリスに吹きはじめることとなる。

 フェデラーのフォアハンドが、いきなり、おかしくなったのだ。

 あらゆるショットを完璧にこなし、史上最強のオールラウンドプレーヤーと呼ばれるロジャー・フェデラー。

 中でも、その強力な武器は、フォアハンドの強打である。

 特に、甘いボールを回りこんでねらいを定めたときには、逆クロスにもダウンラインにも、またアングルにも打てる自在さ。

 この年の決勝で敗れた、アンディーマレーも、これに大きなプレッシャーをかけられたものだ。

 それが突然に、まったく機能しなくなったのである。

 具体的にいえば、振り切れなくなった。

 どこか故障があったのであろう、大きなバックスイングが取れなくなった彼のフォアは、腕を固定して、来た球にその面を当てて軽く返すだけしかできない。

 よく初心者の方がやる、「羽子板打ち」になっていたのだ。

 のちに、それがの違和感であったことをフェデラーは記者会見で明かしたが、最大の武器が、まったく封じられてしまうことになった。

 これで状況は、ますますマリスに有利になった。

 ただでさえ、あつらえたように絶好調なのに、相手が故障ときたもので、それもフォアハンドという、テニスでサービスの次に重要なショットが打てないのだ。

 こりゃ、大番狂わせあるぞ。

 ますます、目がはなせなくなったが、どっこい、この試合はここから、実に意外な展開を見せはじめることになるのだった。

 

 (続く→こちら

 

 

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