山崎隆之八段が棋聖戦の挑戦者になったから嬉しい、なんて言うわけないだろ

2024年05月31日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 山崎隆之八段棋聖戦挑戦者になった。
 
 たぶん本人も自覚していて(絶対インタビューとかで自虐してるでしょう)、私も山ちゃんのファンだからあえて言っちゃいますが、おどろいた
 
 まさか、山崎隆之が挑戦者になるとは思わなんだ! めでたいぞ。
 
 めでたいことは、めでたいが、ここにひとつ言っておきたいこともあるのだ。
 
 こんな程度のことじゃあ、オレらは全然満足なんて、できてないやもん!(←何弁でしゃべってるのか)
 
 山崎隆之といえば奨励会時代から、谷川浩司羽生善治に続くとされていた逸材。
 
 その通り15歳三段になり「中学生棋士」も期待されたほどで、そこでややもたつくも17歳で四段デビュー。
 
 そこから高勝率を上げ……と語りだす前に、今回ちょっと調べてみておもしろいのが、三段時代の山崎の成績。

 これがねえ、なんかすごくなの。 

 なもんで本編の前に、いきなりちょっと脱線してしまうが、まず初参加である1995年第18回リーグ戦。
 
 もちろん、こっちは1期抜けの「中学生棋士」を期待するが、なんと開幕からいきなり7連敗(!)。
 
 そこから2勝1敗と立て直すも、その後が3連敗
 
 降級点もあるかもというピンチだったが、そこから5連勝して、かろうじてセーフ。

 結果は7勝11敗
 
 続く第19回三段リーグでは、一転3連勝スタート。
 
 これは走るのかと思いきや、そこから4連敗
 
 なんてこったいと頭をかかえると、そこから8連勝で一気にトップグループをつかまえてしまう。
 
 「来たで山崎!」と身を乗り出したところ、なんとそこから3連敗

 今回は11勝7敗でフィニッシュ。
 
 この期のリーグは大荒れで、トップの近藤正和三段こそ独走で早々と四段昇段を決めたものの、そこからがエグかった。

  残すは1枠で、最終日に2局を残して昇段の目が合ったのが5敗山崎

 まず、ここが自力

 以下、上位6敗野月浩貴三段木村一基三段山本真也三段伊奈祐介三段くらいまでがキャンセル待ち

 現実的には、木村までが圏内かなという予想だが、ラス前で山崎が敗れ、野月、木村、山本、伊奈は勝利

 自力はここで野月に移ったが、前期に続いて(トップからの最後3連敗で昇段を逃した)大チャンスを生かせず敗退

 次に、針が止まったのが木村

 17歳で三段に上がり、毎年好成績を上げながら、すでに23歳になっている。

 苦労人に大きな幸運が舞い込むかと思いきや、なんと木村も敗れてしまった。

 運命の羅針盤は目まぐるしく回転し、今度は山本の名前が点滅するも、夕方7時持将棋(!)が成立。

 キャンセル待ち勢からすれば「勘弁してくれ」というところだろうが、こういうこともあるのだ。

 指し直し局は山本が敗れ、すでに伊奈、山崎も最終戦に敗れていたため、上がったのは、自力昇段の一番を落としたはずの野月浩貴三段

 11勝7敗の成績で四段という幸運に恵まれた。

 こうなると、ヒドイのは山崎の立場。

 なんと、最後3連敗だった山崎は結果的に、ひとつでも勝っていれば昇段だったのだ!

 当時の記事によれば山崎は、最終日の初戦をポカで落とし、「ムリか……」とガックリきてしまい、最終戦では力を出せなかったと。
 
 結果論的には悔いが残るところで、ここで上がっていれば中学生でこそないが「15歳棋士」として話題になっていたろう。
 
 続く第20回でも、巻き返しを図るはずが開幕4連敗

 またかというところだが、そこから4連勝。そこから4連敗

 1勝1敗の後、3連勝9勝9敗の指し分けフィニッシュ。

 もうおわかりだろうが、とにかく星がかたよっているというか、白黒のほとんどが連勝連敗なのだ。

 

 ●●●●●●●〇●〇●●●〇〇〇〇〇

 〇〇〇●●●●〇〇〇〇〇〇〇〇●●●

 ●●●●〇〇〇〇●●●●〇●〇〇〇〇

 

 極端すぎや!

 まあ、何勝何敗か計算しやすいとは言えるけど、安定感に欠けまくり。

 連勝と連敗がハッキリする人は「メンタル」が弱いせいだという、きびしい考察もあったりする。

 まあ、山ちゃんの場合はその人間臭さが魅力であるし、その後は安定感もグッと増して1年後昇段

 それは良かったけど、こういったムラの部分は、ファンのもどかしさを誘発する一因かもしれないとか思ったりしたものでした。

 ただ、逆に言えばこの「爆発力」を今、発揮させれば、スゴイことが起こせるやもしれぬ。

 歴史が変わる大勝負になるはずの叡王戦が、思わぬ拙戦で盛り上がりに欠けたため、

 

 「八冠王の一角を崩す」

 

 という「神殺し」の偉業はいったんお預けとなった。

 これは山ちゃん(渡辺明九段にも)にキャリア「大ボーナスポイント」のチャンスもめぐってきたが、どうでしょう。

 展開的にはやっぱ伊藤匠七段が、やり遂げるのがドラマだけどねえ。

 最終局に入ったのは残念だけど、もし勝つのなら最高の展開でもある。

 などなど、ますます盛り上がりを見せる八冠狂騒曲

 挑戦者諸君、みんなガンバレ! 

 


 (やはり大荒れだった第18回三段リーグはこちら

 (その他の将棋記事はこちらから)  

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フスハーかアンミーヤか、それが問題だ

2024年05月28日 | 海外旅行

 アラビア語激ムズである。

 前回大阪大学でアラビア語を勉強していた、元奨励会三段だった石川泰さんによる、「アラビア語が難しすぎる4つの理由」から、

 

 ・動詞の活用が多すぎ

 ・母音が書かれてない

 ・それのおかげで辞書が引けない

 

 というを紹介したが、これを見るだけでも、そのキビシさがわかる。

 とくに辞書を使えないのは言語学習には致命的ではないか。

 いわば、将棋を指していて形勢が悪くなったとき、トイレでこっそりスマホAIに逆転の妙手を教えてもらうことが、できないようなものである(←最悪の例えだよ)。

 アラビア語の壁はまだまだあって、トドメがこれ。 

 


 4・「口語」と「文語」がまったくの別物
 
 アラビア語は「フスハー」「アンミーヤ」という2つのものに分かれている。
 
 フスハーがいわゆる「文語」で「標準アラビア語」とされるもの。
 
 イスラームの経典「クルアーン」(コーラン)が書かれている古典アラビア語をベースにしており、ニュース文芸作品などフォーマルな言語とされるが、一般では基本的には使われない
 
 一方のアンミーヤはアラビア語話者が一般的に使っている、くだけた言語。
 
 アラビア語圏と言えば、イエメンから西モロッコまで広く、方言も豊富でエジプト方言(映画やドラマが強いらしい)やレバノン方言が有名だそうな。
 
 つまりは、本格的にやるなら2種類の言葉をマスターしないといけないわけ。

 それはムリやろ、とひとつにしぼっても、これまたハードルが高い。
 
 フスハーは古典だけあって難解だし、日本人が『古今和歌集』『平家物語』みたいなノリでしゃべらないよう、一般人はほぼ使わないので、実用性は低い。
 
 ならアンミーヤをやるかといえば、そもそも日本でアラビア語の教材と言えば、ほとんどがフスハーのもので、学び方がわからない。

 しかもアラビア人は、アンミーヤを習うとなぜか、

 


 「なぜフスハーをやらないんだ」


 

 キレてくるという。

 アラビア人の中にはフスハーできない人も全然いるのに、やはりなぜかフスハーのゴリ押し

 なんたる不条理

 そのを突破してアンミーヤを学ぼうにも、

 

 「じゃあ、どこのをやるの?」

 

 先ほども言ったように、アンミーヤはアンミーヤで今度は一枚岩ではなく、イエメンからモロッコまでアラビア語圏で、それぞれの「方言」がある。

 その山のようにある、リビアとかシリアとかの「○○アラビア語」から、どれを学べばいいというのか。

 一般的には「エジプト方言」がいいと聞くけど、これは結構ガラッパチというか、日本で言う「江戸っ子言葉」みたいなノリらしく、

 

 「てめえ、こちとらイスラームの深い歴史を学ぶためにアラビア語をやってやったぜ、こんちくしょうめ。クルアーンの深い文言に、オマル・ハイヤームのイカした詩なんざあ、もう感動で涙がちょちょぎれるってもんだぜ、べらぼうめ」

 

 詩的な美しさを誇るアラビア語のはずなのに、妙にいなせな感じになってしまう恐れもある。

 うーむ、これじゃまるで、大阪人が使えもしない江戸言葉を使おうとする、上方落語の『江戸荒物』やなあ。

 これだけの壁というか、次から次へと強力な敵が現れるアラビア語はやはり難物であり、つまるところ私の頭脳と根気でもってすれば、こういうことになろう。

 
 
 
 
 
 

 


(石川泰さんのアラビア語動画はこちら

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大阪大学直伝 石川泰さんによる「アラビア語ってムリゲー」講座

2024年05月27日 | 海外旅行

 アラビア語激ムズである。
 
 なにげなく手をつけてみて、いきなりアラビア文字暗記できないという、「先頭打者ホームラン」を喰らってしまった私。

 


 

 

 

 


 将棋で言えば、
 
 
 の動きがおぼえられなくて挫折」
 
 
 みたいなもので、情けないことこのうえないが、年齢を重ねると記憶力が落ちるのでこうなるのだ(私だけ?)。

 
 
 

 これを頭にぶっこまないと、一歩も先へ進めません。

 

 


 
 こうして挫折を味わったとき、われわれがやるべきことは、気合を入れ直すことでもなく、再び立ち上がることでもない。
 
 同じ苦戦&挫折組のグチ言い訳を聞くことである。
 
 だからお前はダメなんだという声は春風のようにスルーし、
 
 
 「アラビア語 むずかしい」
 
 「アラビア語 挫折」
 
 「アラビア語 もうわけがわからなくてトッピンパラリのプー」

 
 
 などで検索してみると、やはり苦戦している人は多いよう。
 
 そこを、うまくまとめてくれているのが元奨励会三段で、大阪大学でアラビア語を専攻していたという石川泰さん。
 
 石川さんによると、アラビア語のむずかしいところは4つあって、
 
 


 1・動詞活用が多すぎる。
 
 動詞の活用は言語学習の基本のキ。
 
 私も学生時代には、
 

 「イッヒビン、ドゥービスト、エアイスト……」
  

 
 なんて呪文のように唱えたものだけど、これが複雑だったり不規則(つまりひたすら丸暗記が必要)だとゼーゼー言うことになる。
 
 それがアラビア語の場合は、同じく活用が多いフランス語英語3倍むずかしいとしたら(石川さんはフランス語も話せる)、さらにその10倍(!)大変だと。
 
 英語の30倍
 
 英語が下手で悩んでいる日本人には、なかなかに絶望的な数字である。
 
 もちろん、これは活用の「」だけの話でそれだけで「アラビア語はむずかしい」とは言えないだろうが、初心者をビビらせるには充分であろう。
 


 2・母音が書かれていない。
 
 アラビア語というのは子音だけで形成されるタイプの言語で、そこがおもしろいところでもある。
 
 だが、それだと一見しただけでは意味がわかりにくく、たとえば「MJ」と書かれていたら、
 
 「マジ
 
 かもしれないし、
 
 「マイケルジャクソン
 
 かもしれないし、もっと別の「メシ時間」「魔法呪文」「迷子じいさん」とかかもしれない。
 
 そんなもん、どうやって読むのかと言えば、まあ文脈とかでわかるわけで、
 
 
 「それ、MJで言ってるの?」
 
 「MJの『スリラー』は名曲だよね」
 
 「ゆびゆびたてたら、MJ

 
 
 とかなれば、なんとなく推測できて、
 
  
 「そろそろ12時だからか、まにょまにょ時限爆弾か」
 
 
 みたいな誤読は減るということだ。
 
 ただ、それにしたって文脈を読むなど初心者には至難で、それに関連して、
 
 


 3・辞書を引けない。
 
 
 外国語学習と辞書は切っても切り離せないが、これを封じられるのはしんどい。
 
 つまりは、「MJ」を調べようとしても、それが「マジ」か「マイケルジャクソン」か「マッサージ嬢」かわからないから、どの角度から辞書を開けばいいのか見当もつかない。

 外国語をやっていて、単語や語法を辞書で調べられないというのは致命的なハンディ。

 こういった諸々のことを見てみると、アラビア語と言うが言語が一筋縄ではいかないことが、わかっていただけるだろう。

 てか石川さんもガチで勉強してた人なのに、これじゃあアラビア語やる人が減るんじゃないかと、思わず心配してしまうほどだ。
 

 (石川さんの講義はさらに続く
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「アラビア語とアラビア文字の記憶は明日には消えてなくなります」と掟上今日子は言った

2024年05月24日 | 海外旅行

 前回に続いてアラビア語の話。
 
 世界の色んな言語を、旅行雑談くらいなら使えなくもないレベルで学んでいる私。
 
 ここまで英語ドイツ語フランス語スペイン語を制し(ちょっとだけ)、次なるターゲットはアラビア語。
 
 エキゾチックなアラビア文字に惹かれて、さっそくYouTubeを見たりアラビア文字学習アプリなどを落としてみたりしたが、これがとんでもない難敵であった。
 
 まずひとつめが、「文字がおぼえられない」。
 
 英語をはじめ、ヨーロッパ系言語やトルコ語などのありがたいのは、ラテン文字(ローマ字)のアルファベットを使っていること。
 
 なにげなくも当たり前のように見えるが、世界にはそれ以外にも独自の文字が山のようにある。
 
 おなじみ中国語漢字朝鮮語ハングルに、ロシア語ブルガリア語キリル文字
 
 タイ文字、ギリシャ文字、ヘブライ文字、ヒンディー文字、クメール文字。
 
 そしてなにより、われらが大日本帝国のひらがなカタカナ漢字と3種文字。

 このジェットストリームアタックが日本語学習者を悩ませる、などなど数えて行けばキリがない。
 
 これがねえ、おぼえられないの。

 もともと、たいして記憶力が良くないのに、40歳を過ぎてそれがさらに急激に悪化
 
 なじみがなさすぎるうえに、漢字のような表意文字的フックもなく、表の前で茫然とするしかない。
 
 しかも、その28文字だか29文字だかをおぼえたところで、それぞれの文字には
 
 
 語頭」「語中」「語末
 
 
 それぞれで形が変化し、それも頭に入れておかないといけないということは、実質4倍もあるということ。

 

 


 


 一応「アラビア語 おぼえかた」みたいなので検索したり、学習サイトを見たりもしたが、結局のところは
 
 
 根性で暗記しろ」
 
 
 ということであって、ここで泣きぬれて蟹と戯れることになった。
 
 それでも、なんとかしようと、せっせこ「書き取りアプリ」とかで頭にたたきこもうとしたけど、ダメでした。
 
 どうしても、頭に入らないの。

 昔は、ドイツ語のややこい格変化なんか、20回くらい暗唱したら忘れなかったものだけど。
 
 ここへ来て、私は思い知らされたわけだ。
 
 
 「40過ぎると、文字のちがう外国語はヤバい」
 
 
 ということは、隣国なのに中国語韓国語はできないかも。

 バックパッカーなのにタイ語は絶望で、いまだ中2病なのにルーン文字もマスターできないということか。

 


 

 

 


 こんなもん、ムリムリ! 
 
 ということで、期待していたアラビア語は、なんと「文字がおぼえられない」という、小学生以下の理由で挫折。
 
 ドラえもんの「アンキパン」がこれほど欲しいと思ったこともなかった。
 
 みなさん、文字のちがう外国語は若いうちに基礎だけでもやっておきましょう。
 
 マジで、これはムリですわ。

 

 (石川泰さんによる「アラビア語ムリゲー講座」に続く

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アラビア語とアラビア文字=外国語学習ラスボス説

2024年05月23日 | 海外旅行

 アラビア語は激ムズである。
 
 ここ2年程、スキマ時間に語学の学習をするのにハマっている。
 
 昔は外国語、特に第二外国語を勉強するなれば高い参考書を買って、さらに高い辞書も手に入れないといけなかった。

 参考書は2000円くらいで、辞書は4500円くらい。
 
 文法はまだ独学できるとしても、発音リスニングはこれまた高いカセットテープ(!)やCDを買ってきてやることに。
 
 たぶん、ネイティブ的には不自然なんだろうなーみたいな、教科書的例文を暗唱
 
 手間も金銭的負担もなかなかで、そもそも勉強自体も大変だしと、かなりハードルの高いものだったのだ。
 
 それが今では、YouTube見ればネイティブや留学生の講座が山ほどあり、学習アプリも充実。
 
 単語の意味や文法のわからないところも、検索するなりAIに聴くなり、コメント欄で質問するなりすればいいのだから、ホントにいい時代になったものだ。
 
 マジで、自分が大学でドイツ語やってたとき、今みたいなアイテムあったら、どんだけ助かったことか!
 
 なんて、完全にオジ……豊富な人生経験を持つ壮年紳士のグチから入ってしまったが、こんないろんな便利なものは使わないにしくはないと、せっせと外国語を学ぶ日々。
 
 大西泰斗先生の『ラジオ英会話』と、あとは1日10分ほどアプリで遊んだりYouTubeを見たりするだけだけど、それでもコツコツやってれば、それなりの成果は出るから継続は力なり。
 
 フランス語をやって、軽くドイツ語をさらって、そのあとはスペイン語に。
 
 スペイン語はもともと日本人向けの言語なうえに、あらかじめ同じロマンス語圏のフランス語をやっていたから、かなりスムーズに勉強できた。
 
 特に発音なのは本当に大きく、あとローマ字読みでいいと単語がおぼえやすいということにも気づいて(だからドイツ語も単語は覚えやすかった)、言い方は悪いが、
 
 
 「フランス語のイージーモード」
 

 
 みたいな感覚だった。
 
 もちろん、基礎の部分をサラッとやるだけだから(過去形未来形くらいまでで終わり)、ネイティブみたいになれるとかは全然ないけど、それでも、
 
 


 Tu es gros, tu devrais manger de la pizza.
(あなたは太っているので、ピザを食べるのがよいでしょう)


 Wollen wir Mahjong mit Blut spielen?
(血液を賭けて麻雀をしませんか?)


 Ese es el que me hirió con una pistola de aire comprimido
(あれが私をエアガンで撃った人です)



 

 くらいの文章なら一応読めるのだから、継続というのは偉大である。
 
 私の目的は旅行で買い物をしたり、現地の人と軽い雑談くらいできればいいのだから、こんなもんでも十分なのだ。
 
 こうして、日・英・独・仏・西のペンタリンガル(ちょっとだけ)になった私は、さらなる獲物を探して世界地図を見つめる。
 
 次に目をつけていたのが、アラビア語
 
 当初の予定では、フランス、ドイツ、スペインのメジャー言語を押さえたあと、アラビア語、中国語と進む予定だった。
 
 昔、専攻してたドイツ語はそんなに広く使えないけど(戦争に負けたから)、英語はもともと通用度の高い言葉で、インド東アフリカなどでも使える。
 
 フランス語はフランス(ベルギールクセンブルクスイス)とマグリブ西アフリカで活躍する。
 
 スペイン語南米は全押さえとなれば、あとアラビア語と中国語をマスター(あくまでちょっと)すれば、もう世界中どこでも旅行できるんじゃね?
 
 かつてイスラム圏を旅行した経験からアラビア語には興味あったし、できればヨーロッパ言語以外の言葉を知りたいという欲求もあった。
 
 なにより、あのエキゾチックなアラビア文字が読めたら、結構自慢というか、合コンの話のタネにも使えるだろう。
 
 そういや、昔モロッコで買ったアザーン(イスラム圏で流れる《お祈りしましょう》という学校放送みたいなやつ)のCDを女の子にプレゼントしたら、すげえ微妙な顔されたなあ。

 その後、演劇をやっていた友達が「音響に使えそう」って持って行ったっけ。
 
 そんなことを思い出しつつ、ここに発動された「イラルアム作戦」により、森本公誠『イブンハルドゥーン』など読みながら、アラビアンな気持ちも高まっていたのだが、あにはからんや。
 
 このアラビア語なるものが、言語学習者泣かせというか、気ちがいというか。
 
 まさに「ラスボス級」のガチさを誇るとは思いもしなかったのだった。
 

 (続く

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1996年 第18回三段リーグ最終日 「中座飛車」「横歩取り△85飛車戦法」が消える日

2024年05月20日 | 将棋・雑談

 中座飛車はもしかしたら、将棋界に存在しなかったのかもしれない」

 

 「中座真八段引退」のニュースを聞いて、その危うい事実を、あらためて思い出すこととなった。

 そこで、先日は中座流の第1号局と、野月浩貴四段の「翻案」がなければ、そのまま「ボツ戦法」になっていた可能性が高かったという話をした。
 
 もしそうなったら、将棋界の勢力図はどうなっていたのか。
 
 個々の実績まではわからないが、少なくとも、後手番勝率に相当な影響をあたえたことは確かであろう。
 
 そんな、きわどいところで消滅をまぬがれた中座飛車だが、実はもうひとつ「実存の危機」にさらされた出来事があったのだ。

 それが1995年96年の第18回三段リーグ。その最終日の出来事。
 
 16回戦を終え、残るは2戦と、いよいよ大詰めをむかえていた。

 昇段圏内にあったのは12勝4敗堀口一史座三段(順位1位)と同じく4敗野月浩貴三段(14位)。

 この2人までが自力で、3番手藤内忍三段(23位)が、やはり4敗で追走。
 
 以下、順位上位で中座真三段(6位)、今泉健司三段(11位)が5敗

 木村一基三段(3位)が6敗で、藤内以下がキャンセル待ちという展開。
 
 順位1位の堀口は、1勝すれば決まりだから相当有利だが、それ以降は混戦気味。
 
 というのも、5敗以下の3人は複雑に当たり合っており、まずラス前今泉木村

 最終戦では、やはり今泉中座がそれぞれ直接対決なので、勝てばそのまま待ち順が上がることに。

 つまり、キャンセル待ち3番手の今泉は、実質2番手

 4番手の木村は3番手になるので、実際の順位以上に希望が持てる展開ではあるのだ。
 
 まずは17回戦で、ここで堀口が勝って1枠は順当に決まり。
 
 堀口はこの期安定しており、ここは予想できたが、残りのひとつに波乱があるのは三段リーグのお約束

 中座は勝利するも、野月藤内が敗れてしまう。

 特に野月はその前の15回戦にも敗れており、痛すぎる連敗

 これにより、中座はついに心臓を売ってでも欲しかった「自力」の権利を手に入れるが、他の対局は気にしないと決めていたため、まだ細かい順位のアヤはわかっていなかった。
 
 そうして最終戦

 目の前の対局に必死な中座は、ともかくも今泉との直接対決
 
 他は知らねど「勝てば四段」と、そしてもっといえば「奨励会最後の対局」として挑んだ今泉戦だったが、中座はこの大勝負を落としてしまう。
 
 といってもこれは、中座が勝負弱かったとは思えない。
 
 棋譜を見ればわかるが、この将棋は今泉が強すぎた。異様な強さだった。
 

 


 
 
 中盤戦。玉が固くを好所に据えて、今泉に勢いがある。
 
 次の手が、当然とはいえ好手だった。
 
 
 
 
 
 
 ▲48香と打つのが、△46桂を消しながら、後手玉のコビンにねらいをつけた、すこぶるつきに感触の良い手。
 
 そこからも、今泉はひたすらに攻め続けた。
 
 凶暴で荒々しく、なにかに憑りつかれたような強さだった。
 
 


 
 
 

 この勝負、実は最終戦の「決戦」に見えて今泉にとってはそうではなかった。
 
 ラス前に木村との直接対決に敗れて、すでに昇段の目はなくなっていたのだ。
 
 もし木村に勝っていれば、「勝った方が四段」という大勝負のはずの中座戦が、まさかの消化試合に。
 
 その脱力感と、自らのふがいなさへの怒りが、そのまま指し手に表れているようだった。
 
 一方の中座もまた、地獄にたたき落とされていた。
 
 必敗の将棋を、けじめをつけるかのように1手詰まで指して投げたが、だからと言って、なにが変わるわけでもない。
 
 
 
 
 
 
 
 実のところ中座はこのとき25歳で、あと1回リーグに参加する権利を残していたが、この期に上がれなければ、奨励会をやめると決めていたのだ。

 そして、最後の最後に手にした「勝てばプロ入り」という一番を落とした。

 あまりにも皮肉な結末だった。

 「帰ろう」と連盟を出ようとしたとき、だれかが声をかけたという。
 
 


 「中座くん、まだ昇段の目があるよ」



 
 中座自身、すべての状況を把握していたわけではないが、おそらく自分に勝った今泉が上がったのだろうと思いこんでいた。
 
 だが、今泉はすでに敗れており、野月藤内17回戦を落とした。
 
 最終戦で5敗の野月、藤内、そして上位6敗木村が敗れれば中座がまさかの昇段
 
 目は相当に薄い。だが、ありえないほど非現実的でもない。
 
 このときの中座は煩悶したという。
 
 自分が上がるには、競争相手が負けてくれるしかない。
 
 だが、彼らに対して「負けろ」と願うには、25歳の中座はあまりに奨励会の、いやさ三段リーグの苦しさを知りすぎていた。
 
 中座の同期である先崎学九段は、彼の昇段パーティーに出席したときの模様を『将棋世界』連載のエッセイで書いていた(改行引用者)。
 
 


 中座君はイイ男である。真面目で、誰からも好かれる。
 
 だから生き馬の目を抜くような奨励会では勝ち上がれないだろうと思っていた。



 
 この土壇場で、自分の幸せと他者のそれとを秤にかけてしまうような「イイ男」は、勝負の世界では苦戦を余儀なくされるということだ。
 
 祈ることもできず、かと言って期待することも、やめられなかったろう状態で、待つしかない中座に結果が届く。

 自力の権利を得た三段達が次々と星を落とし、中座の昇段が決まった。
 
 この瞬間、中座が崩れ落ちたのをカメラが激写している。

 

 

 

 

 

 こうして中座真四段が誕生した。
 
 もしこのとき、もし順当に中座が上がれなければ、多くの棋士の人生を変えた「△85飛車戦法」は世に出なかった。

 

 

 いやそれどころか、中座と言えば奥様が女流棋士の中倉彰子女流二段(現在は引退)なのは有名であるが、もしここで野月3連敗しなかったら。

 藤内2連敗しなかったら、木村今泉がその実力通り最終日に勝っていれば……。

 そのどれかひとつの条件が発動するだけで、この2人はまったくの人生を歩んでいたかもしれない。

 以前、将棋関係の記事で、中座家の家族写真を見たことがある。

 それはとても微笑ましいものだったが、この写真が成立するのは単純計算で128分だか、256分だか知らないが、その程度の確率でしか、ありえなかったのだ。

 われわれの普段感じている喜びも悲しみも、本当に紙一重で成り立ってるんだなと、こういうとき感じる。 

 
 


 (このとき涙を呑んだ木村一基が1年後昇段し、大爆発する様子はこちら

 (豊島将之三段が驚嘆した稲葉陽三段の精神力はこちら

 (その他の将棋記事はこちらから)
 
 
 

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

野月浩貴の「中座飛車」「横歩取り△85飛車戦法」発見伝

2024年05月16日 | 将棋・名局

 前回の続き。

 平成の将棋界で猛威を振るった

 

 「中座飛車」

 「横歩取り△85飛車戦法」

 

 この第1号局を見事勝利で飾った中座真四段

 

 

 なら、この将棋がきっかけで、この戦法が広まったのかと言えば、これがそういうわけではない。

 のちの取材でわかったことだが、中座はこの将棋や研究を通じて、この85飛型に自信が持てなくなり、もう指さないつもりだったというのだ。

 もしここで話が終わっていれば、この戦法はこれにて終了

 将棋史に名を残すことはなく、おそらく平成の将棋界は、また今と少しばかり違ったものになっていたことだろう。

 もちろん、それでも「丸山名人」や「渡辺竜王」は生まれていたかもしれないが(両者とも△85飛車戦法の使い手だった)、少なくとも将棋界全体の後手番勝率は、今よりも確実に落ちていたはず。

 2008年にプロ将棋史上唯一

 

 「後手番が先手番に勝ち越し

 

 という大事件があったが、中座流の存在抜きに、この出来事を語ることはできないのだから。

 さらにおもしろいのは、中座がこの△85飛車型を指してみた意図は、なんと「守備で使う」ためだったこと。

 もともとは横歩取りから△84飛と引いて、△41玉△51金△62銀と組む形を中座は愛用していた。

 

 

 

 

  中原誠十六世名人が愛用した、いわゆる「中原囲い」だが、この形はの頭を▲36歩から▲35歩と、ねらわれやすい。

 こうなると、▲34飛横歩を取らせたがモロに響くということで、△84飛と引いたものを、もう一回△85飛と浮いて▲35歩牽制するようになるのだが、

 

 「じゃあ、もう最初から△85飛と引いとけばいんじゃね?」

 

 これが「中座飛車」のスタートであったという。

 

 後手番で攻められる、主導権を取れる」

 

 という戦法のスタートが「ディフェンスのアイデア」だったというのだから、もう、わけがわからない。

 つまり中座は「△85飛は守備的位置」と考え、そこにあるが完全には埋まらないとこの戦法を断念したわけだが、ここにまた別のアイデアをもった棋士が登場する。

 それが野月浩貴八段

 この将棋ので対局していた野月は、中座のアイデアを見て声をかけた。

 


 「おもしろい戦法ですね」


 

 

 そのとき、中座に「自分も指していいですか」と許可を取ったそうだが(ダメと言われたらどうなっただろう)このとき、すでにピンときていたのだろう。

 これが「守備の手」であることは感想戦などで聞いたのだろうが、それを知るよしもなく横目でながめていたときに、おそらく、

 

 「こっから攻めたら、イケんじゃね?」

 

 そのアイデアが、浮かんでいたのだ。

 そういえば、野月の棋風は自他ともに認める「攻め将棋」。

 創始者本人が気づいていなかった「鉱脈」を察知した野月は、これをオフェンシブな形に訳し直して大ブレイクさせることに。

 

 

 

 

 横利きを最大限に生かして△25歩と先手の飛車を押さえ、▲28飛と重くさせてから、△73桂と活用。

 ▲15歩△75歩と仕掛けて、飛車角桂一方的に攻めまくる。

 

 

 

 このときに、△85の位置が攻撃に絶好であると。

 逆に先手は攻める形がなく、このことを見抜いた野月のセンスには、すばらしいものがある。

 これが見事に当たって、野月は「先駆者特権」ともいえる形で早指し新鋭戦に優勝。

 さらにはA級順位戦降級がかかった一番に、井上慶太八段が採用したことによって「本物だ」との評価が一気に高まった。

 ここが運命の妙で、「中座飛車」の創始者は中座真四段だったが、彼は本当の意味でのこの戦法のすごさには気づいていなかった。

 そこを拾い上げたのは野月浩貴四段だが、彼一人だと、おそらく△85飛とするアイデアは思いつかなかった。

 両者のひらめきが、たまたま交錯したことが、この戦法の、そして将棋界の歴史そのものを左右した。

 そういえば、あの「藤井システム」も、

 


 「もし第1号局に負けてたら、もう藤井システムは使ってないですよ。え? もったいない? ふつうはそうでしょ。負けたら、もう使わないですよ」


 

 藤井猛九段本人が、そうおっしゃっていた。

 どんなすばらしい戦法でも、それを計られるのは「結果」という物差しのみ。

 そして、将棋の世界の結果など「99」の形勢が、一手で吹っ飛ぶ可能性もある危うすぎるのもにすぎない。

 中座真は他者との「化学反応」。藤井猛はたった1局の「結果」

 「革命」が起こるのは、そしてそれが伝播するのは、ほとんどが本人たちも意図しない「偶然」に頼られる。

 「藤井システム」も「△85飛車戦法」も存在しない平成の将棋界なんて想像もできないが、それは「結構確率」であり得た話なのだ。

 

 (中座真三段が四段になった三段リーグ編に続く)

 


 (井上慶太がA級残留を決めた中座流の名局はこちら

 (丸山忠久名人の横歩取りによる劇的な防衛劇はこちら

 (その他の将棋記事はこちらから)

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「横歩取り△85飛車戦法」が生まれた日 中座真vs松本佳介 1997年 第56期C級2組順位戦

2024年05月15日 | 将棋・名局

 中座飛車はもしかしたら、将棋界に存在しなかったのかもしれない」

 

 「中座真八段引退」のニュースを聞いて、その危うい事実を、あらためて思い出すこととなった。

 将棋界にはそのときどきで、「歴史を変えた」といえるような新手新戦法が存在する。

 昭和の新手メーカーといえば升田幸三九段で、

 

 「角換わり升田定跡」

 「升田式石田流」

 

 など現代に脈々とつながる新機軸の数々は、枚挙にいとまがない。

 平成だとやはり、はずせないのが「藤井システム」。

 この衝撃功績は、リアルタイムで体感した者にとって語っても語りつくせないほどだ。

 

 

 

 

 そしてもうひとつ、平成の将棋界をゆるがし、おそらくは多くの棋士たちの運命を変えたであろう新戦法が、もうひとつある。

 それこそが「中座飛車」あるいは「中座流△85飛車戦法」と呼ばれるもの。

 特に「丸山忠久名人」と「渡辺明竜王」誕生は、この戦法を抜きにしては語れないほどなのだ。

 

 

 

 

 この高飛車にかまえる形から、バリバリ暴れていくのがこの戦法の売り。

 後手番でも主導権が取れるということで、大流行を超えた居飛車党のマスト戦法になったほど。

 ただおもしろいことに、創始者である中座真八段は、この「中座飛車」の基本形のような形をあまり指していない印象がある。

 それには第1号局からの流れがあるので、まずはそこを見ていただきたい。

 


 1997年C級2組順位戦

 中座真四段と松本佳介四段の一戦。

 初手から、▲76歩、△34歩、▲26歩、△84歩、▲25歩、△85歩、▲78金、△32金、▲24歩、△同歩、▲同飛。

 △86歩、▲同歩、△同飛、▲34飛△33角、▲36飛、△22銀、▲87歩

 

 

 

 

 なんてことない、本当になんてことない横歩取りの序盤である。

 ほとんど何も考えるところもなく、ここでふつうに△84飛と引けば、これまで通りの日常が続くはずだった。

 だが、次の手で歴史が大きく変わるのだ。

 

 

 

 

 

 △85飛と、ここに引くのが「大爆発」の起こった瞬間だった。

 これまでの常識だと、こういう高い位置の飛車は不安定で、やってはいけない手と教科書に載っていたもの。

 実際、この手を見た棋士たちも一様に、

 


 「指がすべって、△84に引くはずの飛車を間違えたのかと思った」


 

 もちろん半分冗談だが、実のところもう半分はわりと本気で、そう感じたほどなのだ。

 それくらいに違和感のある飛車の位置。

 文字通りの「高飛車」な態度(「高飛車」の語源は本当にこれです)を取られたら、これをとがめたくなるというのは人情。

 この△85飛に、松本は大長考に沈み、▲38金△41玉の交換を入れてから、▲22角成△同銀▲96角と一気の踏みこみを見せる。

 

 

 

 

 挑発(実際はそんなことないのだが)に乗ったとばかりの怒りの角打ちで、そこから△65飛▲66歩△64飛▲65歩△同飛▲77桂

 △64飛▲65歩△24飛▲63角成

 

 

 

 手を尽くしてを作るも、後手も△52金と当てて、そこから▲25歩△同飛▲26歩、と一回、飛車の成り込みを防ぐ。

 後手はかまわず△63金を取り、▲25歩飛車を取り返し、△72角と攻防の自陣角を放って大乱戦に。

 

 

 

 

 おもしろい将棋になったが、結果は後手が勝ち、新構想は見事に成功

 その後この▲96角と打つ形も、数局の例外をのぞいて、まったく指されていない
 
 つまり、ここで△85飛と引くのは一見不安定なようで、実は成立することが証明された。

 となれば、この棋譜の影響でこの「中座流」が一気に棋界を席巻したのかと問うならば、それがそうでもなかったのが、おもしろいところだ。

 

 (続く

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

運命は勇者に微笑む 羽生善治vs谷川浩司 2002年 第43期王位戦 鈴木大介vs久保利明 2003年 B級1組順位戦

2024年05月12日 | 将棋・好手 妙手

 「いい手」というのは連鎖するものらしい。

 将棋において、いわゆる「インフルエンサー」になるのは、新手や新戦法を開発した人である。

 「藤井システム」や横歩取りの「青野流」「勇気流」。

 また最近では「エルモ囲い」など、AIなどの手でも、優秀なら皆が参考にするわけだが、それのみならずインパクトのある「好手」もその流れにある。

 かつては、受けがむずかしい局面を検討していた棋士たちがよく、

 

 「大山先生(康晴十五世名人)だったら、どう指しただろうか」

 

 とつぶやいていたそうだが、今なら

 

 「藤井聡太なら」

 「AIなら」

 

 同じように考えて手を読む人も、多いのではあるまいか。

 そこで今回は、そういう谷川俊太郎「朝のリレー」のような「好手のリレー」を見ていただきたい。 

 


 2002年の第43期王位戦

 羽生善治王位(竜王・王座・棋王)と谷川浩司九段の七番勝負から。

 挑戦者谷川の3連勝を受けての第4局

 後手になった羽生は、谷川の十八番である角換わり腰掛銀を受けて立つ。

 むかえたこの局面。

 

 

 


 これは当時、課題局面のようになっていた図であった。

 ふつうは△32金とか逃げるところで、以下▲41角△74角▲28飛△42飛▲11銀という前例があるそうだが、羽生はここで意表の新手をくり出した。

 

 

 

 

 

 

 


 △24金と出たのが、話題を呼んだすごい手。

 歩越の金は形が悪く、

 

 「金はななめに誘え」

 

 という格言もあるほどだが、そのを行くのが羽生らしいといえば、らしい。

 一見、これで守備力が激減してしまったようだが、上部が厚く、△13から△14に玉を収納するルートが、思った以上に攻めにくいのだ。

 以下、▲53桂成と成捨てて、△同金▲71角△52飛▲61銀がこの形の手筋で、△51飛▲62角成で後手が困っていそうだが、それにはぺちっと△42銀で受けておく。

 

 

 

 

 

 いかにも気が利かない手だが、これで先手から有効な攻めがない。

 ▲51馬△同銀▲71飛と打ちこむも、△38角▲39飛△74角成で後手が猛烈に手厚い。

 

 

 

 以下、谷川の食いつきをしのいで、羽生がカド番をひとつ返す。

 シリーズは1勝4敗で敗れるが、大きなインパクトを残した形となった。

 


 その「羽生新手」が、いかに他の棋士たちに影響をあたえたのかと言えば、大きな一番で現れたのが、この将棋。

 2003年の第61期B級1組順位戦

 鈴木大介七段と、久保利明七段の一戦。

 この期、久保はすでに昇級を決めており、この一局は消化試合だったが鈴木はキャンセル待ちの一番手につけており、絶対に負けられない勝負。

 戦型は「振り飛車御三家」にふさわしく、相振り飛車となり、むかえたこの局面。

 

 

 

 

 後手が△25桂とせまったところだが、この流れから見れば、正解はおわかりでしょう。

 

 

 

 

 

 


 ▲26金と出るのが、力強い好手。

 ふつうは▲38金だが、△37歩の追撃や、が薄いのも気になるところ。

 なので、歩打ちを先にかわしながら端攻めにも備えて、これで耐えているというのだから、鈴木大介もいい度胸をしている。

 以下、△43馬▲69飛△16歩手抜き▲55桂の反撃で、鈴木が熱戦を制する。

 

 

 

 

 ▲26上部に厚くて、端攻めがまったく怖くないのだ。

 自力昇級の権利を持っていた井上慶太八段が、高橋道雄九段に敗れたため、鈴木は初のA級に。

 このとき、▲26への金上がりについて鈴木は、


 


 「羽生さんの△24金を、イメージして指した」


 

 羽生は升田幸三賞を取るような「画期的新戦法」こそ残していないが、有形無形の様々な形で、数えきれないほどの戦法や勝負術にその影響をあたえている。

 それこそ「藤井システム」などにもであって、この金上がりも、またそのひとつ。

 そう考えると羽生の、いやその他多くの棋士たちの目に見えない「升田幸三賞」が、きっと山のようにあるに違いないのだが、われわれのようなただのファンには、それが見えないのが残念だ。

 


(鈴木大介の渾身の勝負手はこちら

(その他の将棋記事はこちらから)

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「伊藤匠 11連敗からの逆襲」は「ノバク・ジョコビッチ覚醒2011」になれるか

2024年05月09日 | テニス

 「11連敗したとて、まあこれからよな」
 
 
 「伊藤匠はタイトルを取れるのか」という議題で将棋ファンが話し合うとき、侃侃諤諤やり合った末、だいたいがこういう結論になった。
 
 今期の叡王戦第3局を終えたところで、挑戦者の伊藤匠七段が、藤井聡太叡王(竜王・名人・王位・王座・棋王・王将・棋聖)相手に2勝1敗とリード。
 
 のタイトル獲得に、王手をかけているところである。
 
 第1局を終えた時点で、藤井が伊藤に負けなしの11連勝をしていたことを考えると、ずいぶんと景色が変わったようだが、まあこういうのは勝負の世界にままあることではある。
 
 長い目で見れば「今」の成績はあくまで今のことにすぎず、数年もたてばどう変動するかなんてわからない、なんてことは、さんざん見てきているのだ。
 
 なのでまあ、
 
 
 「こんなん、1勝したら、そこからわけわからんことに、なったりするもんな」
 
 
 なんて、伊藤ファンのヤキモキをよそに、いたって呑気にかまえていたわけである。
 
 でもって実際、今伊藤が逆襲に転じているわけだが、こういうは上げていけば枚挙にいとまがない。
 
 たとえば、テニスノバクジョコビッチ
 
 ノバクはその圧倒的ポテンシャルにもかかわらず、デビュー当時はロジャーフェデラーラファエルナダルという2強に、頭を押さえられていた。
 
 また、大事な試合で原因不明の疲労感に襲われ、リタイアを余儀なくされるなど、
 
 


 「あいつは万年2位だ」
 
 「すぐにガス欠を起こす。練習をサボってるんだろ」



 
 
 などと、ファンのみならず、選手仲間からもキビシイあつかいを受けていた時期もあったそうな。
 
 ノバクの本によると、
 
 
 「テニス界で最もジェントル
 
 
 と言われていた、ジョーウィルフリードツォンガにすら、「なまけもの」と酷評されたというのだから、読んでいてが痛くなったくらいだ。
 
 そんな彼だったが、体調不良が
 
 
 「グルテン・アレルギー」
 
 
 という持病せいだったことがわかったり、また積極的に食餌療法に取り入れたことなどがいい方に転がると、形勢は一気に逆転
 
 2011年はシーズン開幕から、41連勝(!)と大爆走。
 
 このときの衝撃は今でも忘れられないほどで、とにかく当たるを幸いなぎ倒すというか、まさに、
 
 
 「負ける気せんね」
 
 
 という、安定感エグすぎな強さ。
 
 相性のいいオーストラリアンオープンをはじめ、マイアミモンテカルロマドリードローマと、ビッグトーナメントを次々と制覇
 
 ローランギャロスこそベスト4でフェデラーに止められたが、続くウィンブルドン初制覇
 
 そのままナンバーワンになると、ハードコート・シーズンに入っても勢いはおとろえず、トロント優勝
 
 さすがにオーバーワークというか勝ちすぎで、このあたりではケガにも悩まされたようだが、USオープンもしっかり優勝し、年間最終ランキングも堂々1位でフィニッシュ。
 
 すさまじい勝ちっぷりであって、
 
 
 「今までのくすぶりは、なんやったん?」
 
 
 不思議な気分になったのをおぼえている。
 
 テニスの内容も素晴らしく、とにかくアンフォーストエラーがほとんどない。
 
 そのため、ラリーがきれいに続いて、見ていて本当に気持ちのいい進撃だったのだ。
 
 その後のノバクは、クレーコートで無類の強さを発揮するナダルや、「王の帰還」を果たしたフェデラーなどと競い合いながらも、トップの位置をキープ。
 
 グランドスラム全冠制覇、ゴールデンマスターズ(マスターズ9大会全冠)達成、グランドスラム通算24勝(史上最多)など、
 
 
 「テニス史上最強の選手」
 
 
 と呼ばれるに充分なほどの実績を残した。
 
 正直、2010年までの時点では、ノバクがここまでのことをやれるとは思っていなかった。
 
 いや下手すると1位にもなれず、グランドスラムタイトルが、2008年オーストラリアンオープン1個で終わっても、そんなに不思議に感じなかったかもしれない。
 
 
 「ノバク・ジョコビッチは、フェデラーやナダルには勝てない」
 
 
 皆がそう思いこんでおり、数字的にはそれは決して、おかしな結論でもなかったからだ。
 
 それが、今では押しも押されぬ大レジェンドだ。
 
 未来のことなんて、だれにもわからない。
 
 叡王戦の結果次第では、数年後には
 
 
 「藤井聡太が投了した瞬間、伊藤匠八冠が誕生」
 
 
 みたいなことが起こるかもしれず、もしそうなっても私は、
 
 
 「あー、よくあるやつね」
 
 
 きっと、たいして驚きもしないことだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏目漱石vsピューリタン革命 愛媛県松山市が『坊っちゃん』に見せた不屈の英国流ユーモア

2024年05月06日 | 

 「もしかして、これが噂の【英国式ユーモア】というヤツか!」
 
 
 その発見に感嘆しそうになったのは、夏目漱石坊ちゃん』について考えていたときのことであった。
 
 ここまで私は漱石の代表作ともいえる『坊ちゃん』において、
 
 
 「松山の人は、なぜ作品中で、あんな地元ボロクソに描いている小説を球場や観光施設の名前に取り入れているのだろう」
 
 
 という疑問に対し、
 
 
 「そもそも原作を読んでいないのではないか」
 
 「いや、読んではいるけど
 
 【漱石に悪口を描かれている】
 
 という屈辱的事実に耐えきれず、《なかったこと》にしているか、あたかも《寛容》なフリをしている、という岸田秀的態度ではないか」
 
 
 などと予想してみたが、先日サウナでリラックスしているときに、ふとこういうものも思いついたわけなのだ。
 
 それが、
 
 
 「松山人が発揮する反逆の英国式ユーモア」
 
 
 人生にはユーモアが大事とは、よく言われるところである。
 
 とはいえ、ユーモアと言われても、にわかにはピンとこないところもある。「お笑い」とかとは違うモノなの?
 
 ここで参考になるが、河合塾で講師もされている青木裕司先生の名著『世界史講義の実況中継』。
 
 大学受験で世界史選択だった私が大いにお世話になった本で、レーニン毛沢東を礼賛する思想的に偏っ……全編が熱い信念につらぬかれた渾身の講義なのだった。
 
 そんな青木先生の授業の中で、こんな一説があった。
 
 
 「ユーモアとはなにか」
 
 
 先生が言うにはユーモアというのは基本的に、失敗したり、だれかにバカにされたりしたときに、
 
 
 「こんな自分を、みんなで笑ってくれよ」
 
 
 というスタンスで見せるものだと。
 
 一方、フランス人の得意な「エスプリ」というのは逆で、
 
 
 「こいつはバカだから、みんなで指さして笑おうぜ」
 
 

 ただ、青木先生が言うには、ユーモアとは単に自虐するだけでなく、そこに「反骨」「反逆」の精神がなくてはならないと。
 
 そこで例に挙げるのが、イギリス清教徒
 
 「ピューリタン革命」でおなじみのピューリタンだ。
 
 彼ら彼女らはエリザベス朝時代、堕落した英国国教会カトリックに対し、もっと純粋な信仰を取り戻すべきではないか、と訴えたプロテスタントの人々。
 
 いわば、自習時間に教室でさわぐ生徒たちに、
 
 
 「かにしてください! 自習時間は自習をする時間で、遊んでいいわけではありません!」
 
 
 とか注意していた学級委員みたいなものだが、こういう人が煙たがられるのは、どこも同じである。
 
 
 「男子、ちゃんとして!」
 
 
 みたいなノリで詰め寄る新教徒に、旧教エリザベス女王軽蔑の念を隠さず、こう言い放ったという。
 
 

 「アンタら、えらいマジメっ子やねんね。純粋無垢やわー。ピュアでかわいいわねー。あ、純粋って言葉のホンマの意味わかってはるかな? 《阿呆》ってことやねんで」


 
 
 メチャクチャにイジリ倒したのだ。
 
 それを受けたイギリスのプロテスタントはどうしたか。
 
 ふつうはブチ切れ案件だが、そこはユーモアの本場であるイギリスのこと、なんとプロテスタントたちは、
 
 

 「ほう、ワシらがピュアとな。そら、おもろいやん。じゃあ、こっちはにアンタらが言うように《ピュアな奴ら》(ピューリタン)って名乗ったるわい!」


 
 
 相手の悪口を、そのまま自分たちの名前にしてしまったのだ。
 
 またオランダでは、スペイン植民地支配に抵抗した貴族たちが「ゴイセン」(現地読みでは「ヘーゼン」)を自称していたが、なんと意味は「乞食」。
 
 貴族が乞食。同じように、スペイン人から

 

 「おまえらなんか乞食や!」

 

 とののしられたのを、
 
 

 「ハイ、それいただき!」

 


 とばかりに名乗ってしまったのだ。
 
 青木先生が言うには、こういう相手のディスにヘコまない不屈の闘志こそが「英国式ユーモア」であるというのだった。

 日本でも「萌え豚」「社畜」「パチカス」「バキバキ童貞」なんて自称して、自らの境遇をたくましく「キャラ」に昇華させる人は多いが、それみたいなものであろう。

 なんてことを思い出して、「そっか」となったわけだ。
 
 だとしたら、これは松山市とも当てはまるのではないか。
 
 松山は夏目漱石に『坊ちゃん』の中で「荒くれの住む田舎」みたいに描かれて、善人のはずのにすら悪く言われている。
 
 ふつうなら落ちこむところだが、そこをあえて「英国式ユーモア」で切り返しているのではないか。
 
 
 「え? 夏目が悪口言うてる? じゃあ、オレらはあえてそれにノッて、こっちで色々アイツの名前つけたろうやないけ!」
 
 
 これなんである。

 大嫌いな土地に、自分の作品の名前が残ったら、アイツ嫌がりよるでワッハッハ!
 
 こうして松山と『坊ちゃん』を結びつけることによって、われわれは松山に飛んだり、現地で野球の試合を見るたびに、
 
 
 「『坊ちゃん』ってどんな話やっけ」
 
 
 と気になり、今回の私のように読んでみたりすることもあろう。

 なれば必然、その内容にあきれ返り、
 
 
 「松山のことをこんなに悪く言うなんて、なんて夏目は性格が悪いんだ!」
 
 
 その悪評は際立ち、むしろ松山に同情するようになる。
 
 夏目はそれこそ自分の「黒歴史」をユーモア小説で塗りつぶしたつもりかもしれないが、逆に松山によってそれをいつまでも掘り返されるのだ。
 
 なんという見事な意趣返し

 実際、『坊ちゃん』を読んでみても感じるのは、主人公のイヤな言い草と、松山に対する判官びいきのみだ。

 しかも、その漱石ファンの「聖地巡礼」で観光客もやってくる。

 そういう連中からお金が落ちれば、

 

 「悪口書いてもらったおかげで、すわってるだけで金がチャリンですわ! を刷ってるようなもんや! 夏目先生、アザーッス!」

 

 てなもんであろう。なんと痛快なことか。

 そこまで計算しての「坊ちゃんスタジアム」「坊ちゃん列車」だったとは……。
 
 松山人の骨太なユーモアには恐れ入るしかない。これこそが、パンク魂ではないか。
 
 
 「悪口言われてるのに、媚びてるのかな?」
 

 「愛媛の有名人が、夏目漱石をボコボコにしばく映画を撮ったらいいのに」


 
 などと、一瞬でも想像した自分が恥ずかしい。
 
 抵抗者たちとの魂の抱擁。これぞ真の「日英同盟」といえるだろう。

 カッケーぜ松山!

 夏目漱石といえば、『吾輩は猫である』などでユーモアが評価されているそうだが、松山のやり口にくらべれば足元にも及ばないと言っても過言ではあるまい。 

 私は今、松山の見せている熱き反逆の魂に、感動の震えが、いまだ止まらないところなのだ。

 ……て、そんなわけないか。
 
 
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ロンダルキアへの洞窟 伊藤匠vs藤井聡太 2024年 第9期叡王戦 第3局

2024年05月02日 | 将棋・雑談

 ドラゴンスレイヤー、来たで!」


 
 パソコンのモニターの前でガッツポーズが出たのは、叡王戦第3局を見終えた瞬間であった。
 
 今期の叡王戦は、藤井聡太八冠伊藤匠七段という同世代ライバル対決に加え、ついに伊藤が第2局で、宿敵相手に一番入れたことでも話題を呼んでいる。
 
 藤井と伊藤と言えば、将棋ファンならだれでも知っている子供のころからの因縁があるが、当時は負かされて泣いた藤井が、プロ入り後は倍返しどころか「10倍」にしてお返ししていたところだ。
 
 なんといっても、この2人はプロになって初対局から、なんと藤井が持将棋ひとつはさんで、負けなしの11連勝(!)を記録していたからだ。
 
 と、これだけ聞くと将棋にくわしくない人は、
 
 
 「やっぱり、藤井くんは強すぎるんだね。力の差が歴然」
 
 「その伊藤って子、たいしたことないんじゃない?」
 
 
 なんて思われるかもしれず、それは数字だけ見れば一理あるのだが、これがわれわれ「ガチ勢」からすれば、
 
 
 「いやいやいや、それが、そんなことないんスよ、これが」
 
 
 
 その証拠に、伊藤匠の他での勝ちっぷりはものすごく、通算勝率は7割5分新人王戦優勝
 
 順位戦でもB級2組に上がっており、なによりここまで、21歳ですでにタイトル戦3度も登場しており、それこそ少し時代がズレていたら
 
 
 「伊藤三冠王、棋界を席巻」
 
 
 みたいになっても、おかしくないわけなのだ。
 
 実際、この11連敗を受けて、将棋ファンは伊藤の評価を落としていない。
 
 むしろ、
 
 
 「まあ、めぐり合わせやわな」
 
 「こういうのは、1回勝ったらガラッと流れが変わったりするねん」
 
 
 なんて、いたって呑気にかまえていたものだ。
 
 それくらい、伊藤匠の「信用度」がバカ高ということ。
 
 もしかしたら、将棋の中身まではなかなか伝わらない「観る将」の伊藤ファンの中には、
 
 
 「たっくんは、まさか藤井くんに1回も勝てないまま終わるのでは?」
 
 
 なんて本気で心配した人もいるかもしれないが、そんなこたあござんせんと、われわれは言いたかったものだ。
 
 11連敗したということよりも、
 
 
 「11連敗しても、なお棋士やファンの間で評価が下がらない
 
 
 このすさまじさを感じてほしいわけなのだ。
 
 そうしてついに、まさに「1勝」から流れが変わったのだ。
 
 しかも第2局も、第3局も、ともに終盤激ムズなバトルを制してのもの。

 

 

第3局の終盤戦。藤井有利のはずが、さしたる悪手もないのに、いつのまにか伊藤優勢に。
図で△78と、▲同玉の交換を入れずに、単に△76馬と銀を補充したのが、伊藤の読みの精度の高さを示した好手。
ここで金を取ってしまうと、△76馬のときに▲67歩や▲67銀と埋められて、かなりアヤシイ。
以下、▲46馬を切り札にした、藤井の超難解な王手ラッシュにすべて「正解」で応えて後手勝ち。
伊藤匠の強さを再認識させられた一局となった

 

 

 
 藤井のねばりもすさまじく、勝勢から1手まちがえただけで、奈落の底にズッポンという地獄のダンジョンを、に追われながらノーミスで駆け抜けての2勝
 
 ムチャクチャに価値が高い勝利なのだ。

 しかも、藤井聡太無敵先手番をブレーク!
 
 藤井聡太相手に、「終盤で勝ち切る」ことが、いかにむずかしいか。
 
 それは、八冠王誕生の王座戦や、今期の名人戦でも証明されているところ。
 
 私は八冠王誕生以来、藤井聡太を「ヒール」「ラスボス」として見ながら将棋を楽しんでいる。
 
 今のところ、「勇者たち」はまだまだ苦しんでいるが、ついに来ました、この男が!
 
 とうとう覚醒した伊藤匠の見事な「神殺し」なるか。エクスカリバーはあと一歩で抜けるぞ!
 
 時代がまた動くかも。もう第4局が楽しみでなりませんわ!
 
 


(信じられない大逆転が続いた今期の王座戦第3局第4局

(その他の将棋記事はこちらから)

 


 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする