「思考実験」というのは、おもしろいものである。
映画『ダークナイト』で悪役をまかされたジョーカーは、
「もしどちらか一人しか助けられない場合、【社会にとって大切な人】【あなたにとって大切な人】のどちらを選ぶか」
「自分殺されるかもしれないとき、【先手必勝】で人を殺してもいいのか。もしためらうのなら、それが【死んだほうがいい】犯罪者たちならどうか」
といった「心を試す」問題を突きつけることによって、人々やバットマンを苦しめた。
これはマイケル・サンデル教授の講義で有名になった「トロッコ問題」とかゲーム理論の講義に出てくる「囚人のジレンマ」みたいなネタだが、これらの分野に強いのは私も大好きなSFであり、
「もしタイムトラベルが可能になって、過去に戻り自分の親を殺したら」
「もし人類が滅んだあと、別の生物が【主】となった新しい生態系ができたら」
「もし宇宙人が地球で犯罪を犯した場合【法】で裁くことはできるのか」
といった、 シャーロット・アームストロングも裸足で逃げ出す
「あなたならどうしますか?」
が満載で、大学のゼミやディベート大会から飲み屋のウダ話まで、侃侃諤諤の議論を呼ぶのだ。
なんて話をはじめたのは、こないだちょっと興味を惹かれる「思考実験」を読んだから。
翻訳家の柴田元幸さんによるエッセイ集『猿を探しに』の中で、こんなエピソードが紹介されていたのだ。
ネタ元はジョゼフ・ランザの『重力』から。
1994年のこと。ある男がビルから飛び降りて死んだ。
ところが死体を調べてみると、頭を銃で撃ち抜かれていて、どうやら死因は墜落ではなくこちらのよう。
というのも、このビルは下に自殺防止用のネットがあって、もし撃たれてなければ自殺は成功しなかったかもしれないからだ。
では、撃ったのはだれなのかと問うならば、ビルの向かいの建物で夫婦喧嘩が原因。
激高した夫がピストルを取り出し妻を撃とうとしたが、はずれてしまう。
それが落下中の男に、たまたま命中したのだ。
すごい偶然の産物だったが、ではこれは「殺人事件」になるのか?
それとも「事故」? 「殺人未遂」?
だとしたら、夫の責任は妻に対してか死体になった男に対してか。
てな感じでございます。
でも、責任つっても、そもそも男は死のうとしてたし、それを殺したと言って「犯人を捕まえる」ことに意味はあるのか。
いやいや、自殺未遂ではあるけど撃たれなければ
「たぶん助かっていた」
わけだし、その「あったかもしれないその後の人生」はだれかがつぐなわないといけないんじゃ……。
さらにこの話には続きがあって、そもそも夫は銃で妻を撃つつもりなどなかった。
この夫婦はケンカになれば夫が「弾の入ってない銃」を振り回すのがお約束になっており、本当なら撃ってもなにも起こらないはずだったのだ。
では、なぜ弾が発射されたのかと問うならば、夫婦の息子が母親におこづかいを止められた腹いせに、こっそりこめておいたから。
こうしておけば、いつも通りケンカになったとき、空砲だと思っていた父親が母親を撃って殺してくれるだろうと。
うーん、じゃあ悪いのは息子?
でも、もしそうなってたとしたら「実行犯」は父親なわけだし、てゆうか死んだ男と息子は関係ないけど、やっぱりなんか罪に問われるのかとか。
そうなると少年法とかもからんできそうだし、どこから手をつけたらいいものなのか……。
という、なんだか法学部の試験に出てきそうな案件なのだが、なんかこういうゴチャゴチャした案件をワチャワチャ議論するのは楽しいなあ。
みなさんは、どう考えますか?
ちなみに、私が出した「自分なりの結論」が、柴田先生が書いていたオチとたまたま同じだったので、思わずニヤリとしてしまった。
さんざん考えた末に、なのか、あるいは「なんかもう、どうでもいいよ」と思ったのか、とにかく検屍官が下した結論は「自殺」だったという。
多くの思考実験同様、やはりふつうに地に足つけて考えれば、この結論に行きつくはず。
いや、「自殺」じゃなくて、「どうでもいいよ」の方なんですけどね……。