高橋秀実『弱くても勝てます 開成高校野球部のセオリー』

2015年01月30日 | スポーツ

 本日は高橋秀実弱くても勝てます 開成高校野球部のセオリー』を紹介したい。

 おおよそ高校野球を語った本というのは世にあまたあるが、まず題材が開成高校というのが意表を突かれる。

 開成高校といえば、毎年200人近くが東大に入るという日本一の超進学校

 我々凡人には、およびもつかない超エリート集団であり、未来の支配階級のみなさんである。

 そんな勉強のイメージしかわかない学校の野球部に、果たして語ることがあるのか。そもそも野球部自体が、あるのかどうかも怪しいのではないか。

 ところがどっこいである。この開成高校野球部というのが、平成19年の大会で、東京都大会ベスト16入りしたというのだから驚きではないか。

 超絶秀才集団であり、スポーツ校でないゆえに専用グラウンドもなく、練習は週1回という、どこにでもあるごくごくふつうの野球部が、なぜそんな快進撃を見せたのか。

 興味を持った著者は、さっそく取材にかけつけることになったわけだが、まずいきなり驚かされることとなる。

 開成野球部、かなりのへたっぴいであったからだ。

 私の勝手なイメージでは、秀才集団のする野球は、で覚えたもので、それゆえにフォームなどは完璧

 さらにはパソコンや複雑な計算式などを駆使して、配球や球の飛ぶ位置などを見極める、いわゆる「データ野球」のようなものを想像していた。

 だが、まったく、そんなものはカケラもないとくる。

 そこにあるのは、どこにでもあるただの下手な野球部なのだ。著者の表現を借りれば「それも異常に」。

 ゴロはトンネル、フライは後逸、見事なエラーの山どころか、そもそも彼らはキャッチボールすらあやしいのだ。

 なんたって、レフトの選手が「野球って危ないですよね」といい、

 


 「外野なら(ボールから)遠くて安心なんです」




 そんな理由でレフトを守っているのだから、なにをかいわんや。

 学校によっては、なめとんかと体罰のひとつもいただきそうな心構えである。なんたって、

 


 「エラーは開成の伝統ですから」




 とくるのだから、言葉を失うではないか。

 まさか、こんなところで伝統なんて言葉が使われるとは、お釈迦様でも想像できまい。

 そんな彼らが、なぜにて強豪ひしめく都大会で結果を出せたのかといえば、それはズバリ、



 「下手は下手なりの戦いかたでやる」



 という、しっかりとした(?)戦術ポリシーがあるからである。



 (続く【→こちら】)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大槻ケンヂはマジックマッシュルームとUFOの夢を見るか その2

2015年01月26日 | 音楽
 前回(→こちら)の続き。
 
 マジックマッシュルームバッドトリップと、日頃のストレスが重なって、心の病を発症してしまったロックミュージシャン大槻ケンヂさん。
 
 
 「自分は大病を患っていてもうすぐ死ぬのだ」
 
 
 という脅迫的妄想に襲われていたオーケンは心療内科にせっせと通うようになるのだが、そのときの先生とのやりとりが、こんな感じ。
 
 
 「先生、僕はきっとエボラ出血熱です!」
 
 「大槻さん、それだったらすでに死んでますよ」
 
 
 コントやん!
 
 いや、本人は大マジメの恐怖をうったえるのだが、端から見ると、これがなかなかズッコケなのである。
 
 そらそうだ。心はともかく健康体なうえ、バリバリの売れっ子ミュージシャンが、突然「不治の病」宣言したら、「またまた」と笑われることだろう。
 
 オーケンほどではないけど、私も心身の調子をくずしたときに似たような経験をしたから、氏の苦悩は少しはわかるつもりだ。
 
 こっちは死ぬ思いで相談してるのに、目に見えるケガ数値に出る病気じゃないから、むこうは全然ピンとこない
 
 なもんで、理解されないどころか、下手すると怒られたりイジられたりするんスよねえ。
 
 実際、治ったあと振り返ると、自分でも「あー、あのときはおかしかったなあ」と苦笑いするくらいだから、それをわかれというのも難しいんですけどね。
 
 でも、そのときは必死も必死。まこと「悲劇喜劇裏表」なのだ。
 
 仕事に没頭したりを鍛えてみたりと、治療のためさまざまに試み、せっせとを飲み、心の平安を保とうとするオーケン。
 
 そんなる日、医者の先生が、こんなことをおっしゃった。
 
 
 「大槻さん、テレビ見ましたよ」
 
 
 続けて言うには、
 
 
 「大槻さん、UFOはいけません!」
 
 
 先生曰く、
 
 
 「が弱った人がオカルト的なものに興味を持つと、激しく傾倒してしまう傾向がある」
 
 
 たしかに、当時のというか、オーケンはUFOやらオカルトやら、そういった『月刊ムー』的な物件は大好物で、よくエッセイのネタにもしている。
 
 といっても、本当の意味でというか、宗教的に「ハマッて」いたわけではなく、どちらかといえば
 
 
 「グレイって、あれヒル夫妻が『あれは実は作り話で、著作権がうんぬん』とか言い出したら通るんですかね」
 
 
 とかいった「と学会」的ノリのマニアなのだが、先生は
 
 
 「ダメです。今後一切、オカルトとUFOを禁じます!」
 
 
 これはつらい。いうなれば、アイドルファン
 
 
 「握手会やライブに出入り禁止。曲を聞いたり、テレビやネットで姿を観るのもダメ」
 
 
 といってるようなもんだ。
 
 お笑いファン劇場出禁とか、ボディービルダージム通い禁止とか、そんなの、耐えられないよー。
 
 とはいえ、治療のためには言うことをきかなければいけないわけで、オーケンはストイックな「禁欲生活」(?)に突入。一切のオカルトを絶つことに。
 
 そのせいではないだろうけど、数年たって、かなり心身がになってきた。
 
 心の平安を、一部とはいえ取り戻したオーケンは、そこでこう思うのだった。
 
 
 「あー、変な本読みてーなー」
 
 
 そこで思い切って切り出してみることには、
 
 
 「先生、オカルトとUFOを解禁してくれませんか?」
 
 
 どんな解禁要請なのか。闘病明けで、煙草ならわかるが、
 
 
 「調子がよくなったので、モスマンリンダナポリターノ事件にゴーサインを」
 
 
 というのは、世界広しといえどもオーケンだけだろう。なんてステキなんだ。
 
 ただ残念なことに、職務熱心な先生は、そこをゆるしてくれない。
 
 むしろ、「なにいってるんですか! ぶり返してもいいんですか!」と怒られる始末。
 
 そこから議論は
 
 
 「お願いしますよ」
 
 「ダメです」
 
 「なぜですか」
 
 「大槻さんは、はまりこむ人だから」
 
 
 そんな堂々めぐりの中オーケンは
 
 
 「じゃあオカルトはいいいです。UFOだけ解禁してくれませんか?」
 
 
 あまりの熱意というか、しつこさにまいったのか先生は、
 
 
 「そうですか、そこまでいいますか」
 
 
 これによりUFOに関しては解禁。「ヤッホー!」と快哉をあげるオーケンに先生は、
 
 
 「まあ、あれですよね、UFOには夢がありますからね」
 
 
 UFOにはがある。ホンマかいな。
 
 まあ、そういわれたら、そんなような気もするようなしないような、やっぱりしないような。
 
 ただ、「UFOには夢がある」というフレーズは秀逸である。
 
 その前向きなのか、あやしいのかわからない方向性が、迷走感たっぷりでナイスだ。
 
 かくのごとく、UFOには夢があるらしい。医者の先生のお墨付きだ。
 
 君たちには夢があるか。
 
 混迷の世に光を見失っている若者たちの、一助になれば幸いである。
 
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大槻ケンヂはマジックマッシュルームとUFOの夢を見るか

2015年01月23日 | 音楽
 「君たちには夢があるか~!!!」
 
 
 白鳳学園創立30周年記念公演で、後輩たちにそう檄を飛ばしたのは社会評論家で、竜牙会創設メンバーでもある大友健三郎氏である。
 
 今の若者はを失っている。
 
 というのは、昨今語られることの多い命題である。
 
 長い不況や、年金問題など国や役人に対する不信感によって、若人たちが希望を持てない世の中になっている。
 
 それはいかんではないか。これからの日本を担うべき彼ら彼女らが意気消沈していては、それこそお先がまっ暗である。
 
 そこで今回は不肖この私が、熱くについて語ってみたい。テーマは
 
 
 「UFOには夢があるか」
 
 
 若かりしころの大槻ケンヂさんは、心の病に苦しんでいた。
 
 オーケンといえばロックバンド筋肉少女帯のボーカルであり、またエッセイ小説の世界でも才能を発揮している才人。
 
 私も昔からファンであり、特に名作の誉れ高い『グミチョコレートパイン』は、全国の「オレってダメだな~」とボンヤリと悩んでる若者の必読書なんである。
 
 そんな才気あふれるオーケンだが、彼の経歴を語る上ではずせないのが、まずバンドブームの熱狂。
 
 それと「心の病」であろう。
 
 「表現者としての衝動」にかられ、バンドを組んだ若き日のオーケンは、「バンドブーム」の波に乗って、幸運にも世に出ることができた。
 
 だが、好事魔多しで、「売らんかな」主義の音楽業界とソリが合わず、苦悩の日々が続く。
 
 
 「ロックだなんだいったって、毎日CD売るため、やりたくもない仕事してペコペコ頭下げる日々」
 
 「やっていることは、中小企業の社長と同じようなもんだ」
 
 
 当時のエッセイを読んでいると、そんなグチで埋め尽くされており、華やかなように見えてバンドマンというのも、なかなか大変そうな商売らしいことがうかがえる。
 
 そんなこんなで煮詰まってきたオーケンは、それを打破するためにタイへ旅行することに。
 
 ここにひとつたくらみがあり、イケナイことではあるが、当時のオーケンは常々
 
 
 「ドラッグやってみてーなー」
 
 
 これはいい機会と、タイの島でマジックマッシュルームに挑戦することに。
 
 もちろんオーケンは、ふだんからキメキメなロケンロールな人ではなく、好奇心にかられての軽い遊びのはずだった。
 
 が、どっこいこれが、とんでもないことになるのである。
 
 なんでもマジックマッシュルームというのは、うまくトリップできれば、この世のものとは思えない至福の時間を過ごせるらしいのだが、悪くすると、いわゆる「バッドトリップ」になるとか。
 
 これはマンガ家鈴木みそさんも体験記を書いておられたが、一度これにハマってしまうと、それはもう苦しいというか、大げさではなく、
 
 
 「この世の生き地獄」
 
 
 を味わうというのだ。
 
 オーケンも最初こそ、のんきに楽しい気分を味わっていたのだが、途中から急激にバッドトリップに移行し、悶絶することに。
 
 10時間以上のたうちまわり(このあたりは、みそさんも似たような体験をされている)、その体験のトラウマが日々の過度なストレスと合わさって、なんとパニック障害鬱病をわずらってしまう。
 
 まさかの大副作用に、このままではの危険もあると心療内科医に向かうことになるのだが、ちょっとした好奇心のつもりが、とんでもないことになってしまった。
 
 当時のオーケンは
 
 
 「自分は大病を患っていてもうすぐ死ぬのだ」
 
 
 という脅迫的妄想に襲われ
 
 
 「自殺すら考えた」
 
 
 というほどに追いつめられる。
 
 そんなシャレにならないシチュエーションで、医者の先生と病についてディスカッションを行うのだが、これが我々の想像を超えた、とんでもないシロモノだったのである。
 
 
 (続く
 
 
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

死にたくなったときはどうすればいいか

2015年01月16日 | ちょっとまじめな話
「死にたくなったらどうしたらいいですか」。

 先日、家でラジオを聴いていたら、そんな言葉が耳に飛びこんできた。

 どうやら人生相談のコーナーで読まれたハガキのようだったが、ラジオや新聞のみならず、皆さまも同じようなことを聞かれたり、また誰かに相談してみたことがあるではなかろうか。

 私自身この手の質問には、こう答えることが多い。

 「死にたくなったら、なるたけバカなことを考えなさい」

 これはミュージシャンで作家の大槻ケンヂさんも同じことをおっしゃっておられ、

 「僕は死にたくなったら、オリジナルのプロレス最強必殺技か、至高のおっぱいの形に想像をめぐらしてみる」

 こういう腰砕けなことに意識を追いやると、そのあまりの脱力感に「死のう」という気持ちが多少なりとも萎えて、楽になるのだ。

 私も落ちこんだときはネットなどで『ウルトラファイト』などバカ映像を見ることが多いし、鬱病に悩まされた中島らもさんも「やばい」と思ったときには、

 「てけてんてんてんてん」

 声に出して10回唱えていたとか。

 7回目くらいから、あまりにもバカバカしく恥ずかしく、鬱もそっちにつられて少しまぎれるのだそうだ。けっこう、みな同じことをやっているようだ。

 とはいえ、中には幸か不幸かスットコな妄想を喚起する「中2病」をすでに克服してしまっている人もいて、

 「いい大人が、おっぱいとか無理だよ!」

 そう、うったえてくるかもしれない。

 まあ、この意見自体は完全無欠に正論である。マジメな人など逆に

 「落ちこんでいるときにおっぱいなど、オレは究極のダメ人間だ」

 ますます死にたくなる可能性もある。

 そういう人はどうすればいいのか。むずかしいところであるが、自死回避と言えば、私の好きな言葉にこんなのがある。

 「来年のダービーを見るまで自殺できない」。

 将棋のプロ棋士である先崎学九段のエッセイで紹介されていたものだ。

 ギャンブル好きの先チャンらしい言葉だが、これにはなるほどと感心してしまった。

 私は競馬をやらないが、別にダービーでなく自分の知っているジャンルに置きかえれば実に応用が利く。

 野球ファンなら来年の阪神の結果でもいいし、サッカー好きが次のワールドカップの結果を知らずに死ねるはずもないだろう。

 私も2012年のこの時期に、少しばかり気鬱になったことがあった。

 別に、すぐさまビルの屋上からダイブしたいというほど深刻でもなかったが、「今、消えてしまったら楽だろうな」とボンヤリ思うくらい、それなりには落ちこんでいた。

 そんなときに、テニスの全豪オープン決勝終了後、優勝スピーチでノバク・ジョコビッチがこんなことを言ったのを聞いたのだ。

 「みなさん、また来年この場所で会いましょう」

 この瞬間、なんだか心の中の暗雲がスーッと引いていったのを、今でも覚えている。

 また来年会いましょう。ということは、もし今冗談でも死んだら、来年のオーストラリアン・オープンが観られないではないか。この素晴らしい決勝戦を、もう二度と。

 そう思った途端に、「あ、こら来年までは、しっかり生きないとな」とエンジンがかかったのだ。

 そう、来年の全豪決勝を見るまでは死ねない。変な言い方だが、

 「これで1年、寿命が延びたな」

 そう思ったものだった。ノバクには感謝している。

 あるとき、この話を友人サカイ君にすると、

 「あー、それわかる」

 大いに賛同してくれた。

 「オレもさあ、アニメ好きやんか。だから、『新世紀エヴァンゲリオン』がテレビでやってたときは、《今だけはなにがあっても死なれへん》って思ってたもん」。

 放送中は当たり前で、最終回から春夏の劇場版が公開されるまでの間は、石にかじりついてでも生き延びなければならない。

 「あの続き、どないなっとるねん」

 気になって死んでる場合ではないのだ。

 そうだよなあ。とりあえず死にたいときには、「気になる来年のなにか」を見つけておくと、応急処置にはいいはずだ。

 もっとも、サカイ君曰く、

 「夏の劇場版のラスト見たら、その場で死にたくなったけどな」

 一難去ってまた一難。人の心を救うというのは、なかなか大変なことであるようだなあ。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「デュッセルドルフの吸血鬼」ペーター・キュルテン大いに語る

2015年01月13日 | 映画

カミングアウトというものは、大きな衝撃をともなう行為である。

 少し前に俳優の城田優さんが



 「男が好き」



 なんてつぶやいて女子は騒然となったらしいが、整形とかカツラとか、こういった告白というのは言う方も一大事だろうが、聞く方もそれなりに大変である。

 たとえばマリアキュルテンというドイツ人女性。

1929年、マリアの住むデュッセルドルフは、ちょっとした恐慌状態におちいっていた。

 その年の2月、8才少女が建築現場で体を13ヶ所も刺され殺されたのを皮切りに、町中の至るところで残忍な殺人事件が起こるようになったのだ。

 被害者は主に小さな女の子で、5才程度の幼い女の子もいたが、中には70歳の老女や男性などもいたらしい。

 この恐ろしい事件に、デュッセルドルフの街は震撼

 この時のことをドイツでは「デュッセルドルフの恐怖時代」と呼んでいる。

 そんなある日、マリアは夫ペーターと夕食のテーブルに着いていた。

 そこで、ペーターは唐突にこう切り出した。


「マリア、最近街を騒がしている殺人鬼のことは知ってるね」




 もちろん、街を恐れさせている「デュッセルドルフの吸血鬼」のことを知らない人間などここにはいない。

 ペーターは静かに続けた。




「あの犯人、実はオレやねん」




 いきなり驚愕のカミングアウト。

 思わず口に入れたザウアークラウトを吹きかけるところだが、突然こんなこといわれても普通は信じないものだ。

 実際、マリアも最初は冗談だと思い笑い飛ばしたが、ひょんなことから正体がばれ逮捕直前だったペーターは、愛するにはどうしても事実を知ってもらいたかったのだろうだろうか。

 ここからさらにカミングアウトというか、自分の犯した罪を子細に報告。



女を絞殺屍姦したあとに投げこんだ。

  女中をハンマーで殴り殺し屍姦した。

  少女に性的いたずらをしたあげく体を切り刻み、性器にハサミを突っこみ、石油をかけて焼こうとした。

  幼女を絞殺し死体を30ヶ所以上ナイフで刺し、口などにを詰めて埋めた

  その幼女を埋めた地図を書いて、新聞社に送りつけた。

  手頃な犠牲者が見つからないときは白鳥生血を飲んでいた。





 いやいや、晩メシ食いながらする話とちゃう!

 と言いたいところだが、ペーターの告白は止まらない。

 まさにカミングアウトの絨毯爆撃に、マリアは耐えきれず嘔吐

 すべてを聞き終えたマリアは「心中しよう」とうったえるが、ペーターは拒否

 結局、1930年5月、ペーターは逮捕された。

 余談だが、ペーターは逮捕後も取調中


「刑事さんと速記者の白い喉をこの手でめたいッス」




 などと発言したり、反省の色が見られないというか、どこまでもマイペースな困った殺人鬼なのであったそうな。

翌年7月。ペーターはギロチンで処刑された。

 いかがであろう、この強烈なカミングアウトは。

 まったく、聞くほうもたまったものではない。

フリッツラング監督の『』はこの事件を題材にしたといわれるサスペンス映画。

 古い作品だけど傑作です(→こちら)。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ダビド・フェレールこそが男である!」と独眼鉄先輩は言った その3

2015年01月10日 | テニス
 前回【→こちら】に続いて「男」ダビド・フェレール戦記の第3弾。

 実力は充分だが、ナダルやフェデラーなど「4強」という厚い壁にはばまれ、なかなか2番手グループから抜け出せないフェレール。

 だが、そこで腐らないのが彼の立派なところだ。

 ライバルが強力だろうが、ビッグタイトルになかなか手が届かなかろうが、常に気持ちを萎えさせることなく全力で戦うのが彼のスタイル。

 グランドスラムやジャパンオープンだけでなく、ファイトあふれるフェレールの本領をもっと学びたければ、団体戦を見るのがいいかもしれない。

 基本的に個人戦であり、歴史的にオリンピックとも縁が薄かったせいか、なかなか「国を背負って戦う」という熱さと結びつかないテニスであるが、デビスカップは別である。

 国別対抗で行われるこの団体戦は、ウィンブルドンなどとはまたちがった熱気がある。

 一度見ていただければわかるが、その会場は、普段はクールなテニスの会場とは思えない、サッカーのワールドカップのような歓声と怒号に包まれる。

 ダビド・フェレールはそこで無類の力を発揮する。他の国とくらべて仲間意識の強いスペインの選手は、必然団体戦には大きな力を見せることとなるのだ。

 デ杯といえば、一昔前はトップ選手は出たがらない大会だったが、スペインに関してはナダルが積極的にエントリーしたことから、「無敵艦隊」が実現。ここ10年で4回の優勝を誇る常勝チームとなった。

 このデ杯での栄冠を支えてきたのが、なにをかくそうダビド・フェレールなのだ。

 デ杯は初日シングルス2本、2日目ダブルス、最終日シングルス2本の、3日で計5本勝負というシステムになっている。

 これだと一人のエースが単複フル回転すれば勝てるケースもあるが、そういったエース依存のやり方はリスキーでもある。

 その選手が調子を落としたり、果ては欠場したりすると、どうしても戦力が大幅にけずられてしまう。

 その点、スペインはナダルにフェレールという、シングルスに「ダブルエース」をそろえていたのだから、強くないわけがない。

 ましてやそれがスペインのホームで、真っ赤なクレーコートを敷かれて待たれていた日には、勝てる気がしないというもの。

 ダブルスを死ぬ気で取ったとして、土のコートでナダルとフェレールから4戦して2勝以上する。

 気の遠くなるような夢である。相手からすればいっそ家で寝ていた方がマシなくらいであろう。それくらい、絶望的なスペインのオーダーなのだ。

 そんな「ミスター・デ杯」であるダビド・フェレールのすごさは、優勝を逃した2012年度の戦いからもかいま見える。

 ナダルの欠場で大きな穴があいてしまったスペインチームだが、燃える男フェレールの大車輪の活躍で2年連続の決勝に。

 そこではイワン・レンドルの時代以来、30年ぶりの悲願を成し遂げるべく勝ち上がってきたチェコ相手に、フルセットの末に屈しはしたが、フェレールはシングルスで2勝をあげ気を吐いた。

 それどころか、フェレールは大会を通じても、シングルスで一度も負けていなかったのだ。

 スペインチームはデ杯を取れなかったが、ダビド・フェレールはその誇りにかけて、一度もコート上では膝を屈しなかった。

 まさに試合に勝って勝負に負けた。

 嗚呼、なんてカッコええんや……。

 スペインは、ナダルの穴を見事にフェレールが埋めて戦ったのだが、おしむらくは専門誌も指摘するように2番手の「フェレールの穴」が埋められなかった。

 それほどに、この「絶対的なナンバー2」が、スペイン勝利のキーポイントだったのだ。

 判官びいきとともに、

 「仲間のために熱い男」
 「チームのために日陰に徹する男」

 というのも、日本人のハートにはドスンとくる。

 独眼鉄先輩の問いに、私は自信を持って「それは、ダビド・フェレールのことである」と答えたい。

 人気、実力ともに、フェレールは世界でももっと評価されていい男だ。それには、とにもかくにもグランドスラム優勝が必要だろう。

 一番期待が大きいのがフレンチ・オープンであろうが、もうすぐ開幕のオーストラリアン・オープンでのテニスも悪くはない。

 好漢の、メルボルンでの大暴れに期待だ。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ダビド・フェレールこそが男である!」と独眼鉄先輩は言った その2

2015年01月08日 | テニス
 前回(→こちら)の続き。

 クレーのみならず、芝やハードコートでもその実力を発揮し、トップ10を常にキープし続けるスペインの実力者ダビド・フェレール。

 2013年はフレンチ・オープンで悲願のグランドスラム決勝進出を果たすなど充実いちじるしかったし、2014年もややランキングは落としたが、それでも世界10指の実力者であることに変わりはなかった。

 にもかかわらず、彼はいまだテニス界に君臨するほどの実績を上げることができていない。

 フレンチ・オープンをはじめビッグタイトルはまだなく、世界ランキングも最高4位どまり。

 彼の力なら、もうワンステージ上にいてもおかしくないと誰もが認めるというのに、なぜなのか。その理由はといえば、これが実にはっきりしていた。

 そう、「ビッグ4」と呼ばれる存在。

 昨年、テニス界ではスタン・バブリンカ、錦織圭、マリン・チリッチといった選手が大ブレイクを果たしたわけだが、その少し前まではテニス界で頂点を極めようと思ったら、この4人の男を倒さなければならなかった。

 ノバク・ジョコビッチ、アンディー・マレー、ロジャー・フェデラー、ラフェエル・ナダル。

 この鉄壁の4人が、フェレールその他、上位に食い込もうとする選手に冷徹に立ちはだかるのだ。

 ダビドはこの4人に、いかに痛い目にあわされてきたか。

 たとえば、2012年のグランドスラム大会では、まずオーストラリアン・オープンはジョコビッチに。

 フレンチ・オープンはナダルに、ウィンブルドンはマレー、USオープンでは再びジョコビッチと、すべて4強の壁にはばまれている。

 また、優勝した7つの大会も、決勝の相手はすべて4強以外の選手に勝ったもの。逆にジョコビッチやナダルと当たった大会ではことごとく一敗地にまみれているのだ。

 つまりは、フェレールというのはナンバー2の選手によくあるような、トップとの戦いには勝てないが、その他の選手には無敵状態であったといえるわけだ。

 4強がいない、もしくは番狂わせで消えた大会なら優勝、そうでないなら準優勝かベスト4くらい。

 なんてわかりやすい。

 かつて将棋の世界では、谷川浩司九段が羽生善治名人にどうしても勝てない時期があった。

 竜王戦や棋聖戦などタイトル戦で7連敗を喫し、ついにはすべてのタイトルを奪われ「七冠制覇」を許してしまうという屈辱を味わった。

 この結果だけ見ると、「谷川、どうした」と言いたくなるが、逆に考えれば、タイトル戦で7連敗したということは、

 「7回もタイトル戦に出ずっぱりだった」
 
 ということでもある。

 その間、谷川は森内俊之や佐藤康光、郷田真隆、森下卓といった若手精鋭たちを押さえて、ずーっとタイトル戦の舞台に立ち続けたわけだ。

 つまりは、羽生善治相手以外にはほとんど負けていない、無敵モードだったわけ。この時期の谷川は、とにかく他の追随を許さない、ものすごい強さだったのだ。

 ただ、最後の一人にどうしても勝てない。

 その一点だけで、それまで積み上げてきたものが、すべてがご破算になってしまう。それが勝負の世界のきびしいところであり、ナンバー2選手の苦しいところだ。

 谷川はあの時期超人的に強かった。だが羽生がそれ以上に神がかっていただけだ。

 ただ、他で勝ちまくっても、決勝戦で負けてはなんにもならない。それだったら、いっそ山の途中で負けてしまう方が、どれだけ気が楽だろう。

 2012年のフェレールもまた、谷川浩司に似たところがあった。

 身長175センチ、体格差をスピードと強靱な精神力でおぎなって戦う姿は見ている者の心を高ぶらせずにはおれないが、結果がなかなかともなってくれない。

 だがそんな、なかなか報われない道を歩きながらも、その闘志がいっかなおとろえる気配がない。その精神力の強さこそが、「男」フェレールの持ち味でもあるのだ。


 (続く【→こちら】)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ダビド・フェレールこそが男である!」と独眼鉄先輩は言った

2015年01月06日 | テニス
 ダビド・フェレールは男である。

 「男とはなんぞや」と問うたのは男塾三号生独眼鉄先輩だ。

 その答えには将棋界なら佐藤康光であるとか、野球なら男岩鬼など様々であるが、テニス界ではフェレールこそが熱き魂を持った男であろう。

 ダビド・フェレールはスペインのテニス選手。

 スペインのスポーツといえば、今ではサッカーが名高いが、実はテニスでも大きな果実を実らせている。

 もともとアカデミーを設立したり、国内のチャレンジャー大会(サッカーでいう2部リーグのようなもの)を充実させるなど、若手育成に力を入れていたところではあったが、1996年のオーストラリアン・オープンでカルロス・モヤが準優勝してから一気に花開いた。

 その後アレックス・コレチャ、アルベルト・コスタ、フアン・カルロス・フェレーロなど多くのチャンピオンを排出し、特にクレーコートのフレンチ・オープンでは毎年のように優勝者を出すほど。

 またテニスでは珍しい国別対抗戦デビスカップでも何度も栄冠に輝く、まさにテニス王国ともいえる実績を誇っているのだ。

 その結実ともいえるのがラファエル・ナダルというテニス史上に残るスーパーヒーローだが、通のテニスファンはナダルの陰で、このテニス王国を支える男への畏敬の念は忘れることはない。

 それが、ダビド・フェレールという男である。

 スペイン不動のナンバー2として君臨する彼は、昔から実力は認められていたものの、同僚で後輩のナダルがあまりにも大きな結果を出してしまったためか、いまひとつ目立たないポジションに甘んじることとなっていた。

 ジャパン・オープンで優勝したり、錦織圭と大きな場面で対戦することが多かったことから、日本ではかなりなじみのある選手ではある。

 だが、やはりグランドスラムのタイトルや世界ナンバーワンの経験がないことなどもあって、ジョー=ウィルフリード・ツォンガや、先日引退したニコライ・ダビデンコのような、

 「力はあるのに、もう一つ爆発しきれてない」

 といった、はがゆさを感じさせる選手の一人となっている。

 そんなフェレールがついに爆発したのが2012年。

 年始めのオーストラリアン・オープンでベスト8の成績を残すと、スペイン・クレーコーターの庭であるローラン・ギャロスでは初の(意外だ)ベスト4に。

 さらには苦手のはずのウィンブルドンでもベスト8に入り、ロンドン・オリンピックこそ3回戦で錦織圭に敗れたものの、USオープンでも準決勝まで進出して、その実力を見せつけた。

 これを見ると、

 「世界ランキング最高4位の選手なんだから、それくらいはできるだろう」

 そう簡単に思われがちだが、ハードに芝、それにクレーとサーフェスの違う大会でコンスタントに好成績を残すのは、見ている側が考えるより相当難度が高いのである。

 スペインといえば土のスペシャリストのイメージが強いが、あらゆるコートに対応できる力を備えているのがフェレールの魅力。

 この年は年間過去最多の7大会で優勝。トップの座をおびやかす2番手グループの中では、頭一つ抜け出すこととなった。

 2013年のオーストラリアン・オープンでも、「因縁の」錦織圭を4回戦で吹っ飛ばしてベスト8入りを果たし見事な安定感を見せつけている。

 ではこれだけの力を持ちながら、なぜにてフェレールはいまだグランドスラムのタイトルを取れず、ランキングも4位が最高でストップしているのか。

 これはもういうまでもない、上に「4強」という大きな壁が存在したからである。


 (続く【→こちら】)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

髑髏と一休さん  門松は冥土の旅の一里塚

2015年01月03日 | オタク・サブカル

正月といえば思い出すのが、髑髏一休さんである。

 『一休さん』といえば、利発な小坊主である一休さんが、大人をナメた屁理……「とんち」を駆使し、室町時代の都で大活躍するアニメだ。

 そんな痛快な物語であるはずの『一休さん』だが、ときに妙に暗い話が挿入されることがあり、それが正月を題材にしたこんなエピソード。

戦争のせいで、その年の京都は難民であふれかえっていた。

 住むところもなく、飢えに苦しむ彼らだが、追い打ちをかけるように悪い侍たちがあらわれ、都から追い出されそうになる。

 そもそも、戦争をはじめたのが侍たちだというのに、さらに被害者である難民を迫害するとは何事か!

義憤に燃える一休さんの耳に、さらなるひどい話が届く。

 なんと、あの桔梗屋さんが、いくさに乗じてもうけようと、京都中の米を買い占めているらしい。

 それを、戦争と飢饉によってすべてを失い、のたれ死にしそうになっている人たちに高額で売りつけようというのだ。

 なんて頭のいい……じゃなかった、ひどいことをするのだ! ガマンならぬと桔梗屋さんの店に走る一休さん。



 「米を仕入れて、ほしいという人がいるから売る。こっちは普通に商売しているだけですよ、ガッハッハ」



 という悪どさあまねきため、いっそさわやかでもある桔梗屋さんに、返答に窮した一休さんはいつものごとく、



「とんちで勝負だ!」



論点をすり替え、勝ったら買い占めた米を、すべていただくと宣言。

 そうして見事、詭弁……じゃなかったとんち、勝負に勝った一休さんは蔵じゅうの米俵を持って、飢えた人々のところへ駆けつける。

 そもそもが桔梗屋もひどいけど、口先三寸で人のものをただで取り上げるなんて、一休もたいがいエゲつないが、なんにしても、めでたしめでたし。

 ここまでなら、いつもの一休さんなのだが、ところがこの回はこれで、めでたしとはならない。

 なんと、一休さんが駆けつけた難民キャンプには、だれもいなくなっていたからだ。

 一体どういうことかと問うならば、



 「ここにいた人たちは、みんな刀を持っていくさに行ったよ」



 無人の河原で、呆然と立ちつくす一休さん。

 そう、いくさによって住んでいるところを追われた人々は、みな今度はみずからが武器を取り戦場へと向かったのだ。



 「いくさに出て人を殺せば、米の飯をたらふく食わせてやるぞ」



 という言葉を聞いて……。

 やがていくさも収まり、年が明ける。

正月、みなが浮かれている中、一休さんは京の街を練り歩く。

 深く編み笠をかぶり、手にはしゃれこうべのついた錫杖。

 彼はを鳴らしながら、しゃれこうべを高く掲げ、



 「お気をつけなさい! お気をつけなさい!」



 警句を鳴らし、一句詠む。


「元旦は 冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし」


 年も明けて、気分一新の元日に「冥土」という単語が出てくるところが、ずいぶんとロックである。

 いわば、友達があつまって「誕生日おめでとー」とハッピーバースデートゥーユーを歌っているところへポツリと、



 「でも結局、誕生日をむかえるってことは、避けられないという恐怖に対して、また一歩近づいたっていうことだよね」



 なんて、つぶやくようなもの。空気をこわすこと、おびただしいですわなあ。

 当然、街の人々は怒って一休さんにを投げる。



 「正月早々えんぎでもねえ」

 「とんでもない小坊主だ」



 投石によりケガをした一休さんは、を流しながら、それでも静かに、



 「ご用心なさい、ご用心なさい……」



 そう呪文のようにつぶやき都を練り歩くが、正月の喧噪の中、もはやその声を聴くものは、だれもいないのであった……。

 ここで一休さんが詠む、

 

 「元旦は 冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし」

 

 という句は、実際にアニメのモデルとなっている、一休宗純が読んだもの。

 そもそも宗純は僧なのには飲むわ、結婚はするわ、は好きだわ、という放埒な人で、かなり横紙破りな……。

 ……って、そんなウンチクを語っている場合ではない。

 おい待て、これは『一休さん』ちゃうんけ。ヘビーすぎるわ!

 なにぶん子供のころの記憶なんで、細部は違っているかもしれませんが、愉快なとんち話を期待してたら、こんなもん見せられてコケそうになった。

 正月早々、どんなもん放りこんでくるねん、と。ペシミズム満載。そら石も投げられますわと。

 ようこんなもん『一休さん』でやったなあ。たしか脚本は辻真先先生だそうですが。

 これだから、昭和という時代は一筋縄ではいかない。

 子供向けアニメだと油断して見ていたら、いきなりこんなビーンボールが飛んでくることが、あるかもしれませんよ。

 ご用心なされよ、ご用心……。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

加藤郁美『切手帖とピンセット』と金正日総書記の華麗なる肖像

2015年01月01日 | 
 元日早々、北朝鮮の切手がステキすぎる。

 そんな話がしたくなったのは、年末に読んでいた、加藤郁美『切手帖とピンセット』に触発されてのことである。

 かの国の切手が具体的にどうイカすのかは、後に画像で紹介するとして、まず本の話からすると、切手というと、趣味としては地味というか昭和の香りというか、なんとなくマニアックな印象を受ける。

 切手に興味のない私も昔は漠然とそう感じていたのであるが、海外旅行に行くようになり、家族や友人に絵はがきを送ったりしていると、それが多少変わってくるところがあった。

 切手は、意外とおもしろいぞ、と。

 この本はタイトルの通り、世界各国の切手の、特に1960年代のレトロなデザインのものを集めてオールカラーで紹介したもの。

 その地域はヨーロッパから南米、アジアなど幅広く、中にはソ連の宇宙開発や東ドイツの共産主義ボーイスカウト「ピオニール団」。

 さらにはまだ「地上の楽園」だったころの北朝鮮など、「そんな時代もありました」な歴史を感じさせる図柄もあったりして、ながめているだけでもなかなか楽しい。

 海外旅行において、絵はがきを選ぶのはひそかに心おどる作業である。

 以前、旅行雑誌の投稿欄に、

 「旅先から、気に入った絵はがきに『おかえりなさい』とだけ書いて、自宅の住所を書いて送ります。すると、一足先に日本について、わたしが帰ってくるのをポストで『おかえりなさい』と待ってくれているのです。それが旅の楽しみの一つです」

 みたいなことが書かれてあって、最初読んだときは、

 「なーにが『おかえり』だ、しゃらくさい。なんか、自意識過剰の自分大好き女のにおいがするぜ、なあ」

 なんてイヤ事をかましたりしていたが、いざ自分が旅に出て絵はがきを書くとなると、まあ「おかえり」はやらないにしても、自分宛に絵はがきというのは、悪くないアイデアであると感心したものだった。

 まず、絵はがきはおみやげにいい。

 安いしかさばらないし、ちょっとセンスのいい店を探せば、部屋に飾っておいても映えそうな、いい感じのデザインのものがけっこう見つかったりする。

 私のお気に入りは、パリの下町や路地裏をモノクロで撮った図の絵はがきで、古い映画が好きなもんで店の棚ごと買いたくなったりしたものだ。

 観光客向けのみやげ物屋で安物買いの銭失いするくらいなら、ずっと安上がりだし飾りでもある。なんといっても、家に送ってしまえば、他のみやげのように荷物にならないのがすばらしい。

 で、その絵はがきにおまけについてくるのが世界の切手。これが、なかなかあなどれない思い出の品になるのだ。

 王族の肖像画とか、世界史の教科書で読んだ歴史上の人物とか、俳優や女優などなどバリエーションが豊富。

 私がヨーロッパを旅したときは、ちょうどユーロ導入前夜で、ユーロ札か硬貨の記念切手みたいなものが人気だったが、そういうメモリアルな切手があると、自慢や話のタネになったりもする。

 わざわざコレクションしようとまでは思わないが、旅先や、友人が外国から絵はがきを送ってくれたときには、切手とともにありがたくアルバムに納めさせていただいている。

 そんな多種多彩な世界の切手だが、もっともナイスだと感じたのは、北朝鮮の切手。

 これは買ったのではなく、バックパッカー専門誌『旅行人』において、蔵前仁一編集長が紹介されていた。

 図柄は偉大なる将軍サマなのであるが、そのレイアウトがなんともイカスというか、論より証拠と言うことで、とりあえず見てください、コレ。



 



 どーんと、どうです、なかなかのインパクトでしょう。

 なんでも北朝鮮の白頭山に立つ将軍サマだそうだが、構図がすばらしすぎる。

 マントを風になびかせ、山の上でのこのヒーロー立ち。

 ぶわははははは! なんちゅうセンスや! こんなイメージが許されるのは、日本では水木一郎アニキか宮内洋くらいなもんや!

 ようやるわあ。だって、これ同じポーズを富士山の上で天皇陛下がやってたら、絶対おかしいやん!

 もう、あまりのインパクトに、最初見たときは10分くらい笑い続けました。ダッハッハ、腹いてえ!

 北朝鮮といえば、あのめまいがするようなマスゲームといい、怪獣映画『プルガサリ』の思わせぶりすぎる内容とか(だって正義の怪獣が「悪の独裁者」を倒すってストーリーなんだゼ)、この切手に象徴される将軍サマのずれたナルシシズムといい、どこまでも「どや」の方向性が迷子である。

 いやあ、何度見てもいい絵だなあ。

 それにしても、他のブログやツイッターが年賀状や初もうでの話で盛り上がっている中、ここの新年一発目は偉大なる将軍サマのカッケー画像。

 さすが私は2015年度も攻めの姿勢を忘れない。今年度もそのマイナーぶりにますますみがきがかかること必定のまさにロケットスタートであり、本年度もよろしくお願いいたします。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする