雨上がり アスファルト 新しい靴で 山崎隆之vs羽生善治 2009年 第57期王座戦 第3局 その3

2024年06月21日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回の続き。

 山崎隆之七段が、羽生善治王座(名人・棋聖・王将)に挑戦した2009年、第57期王座戦五番勝負。

 羽生2連勝でむかえた第3局は、後手になった羽生が横歩を取らせ山崎は自身が考案した「新山崎流でむかえうつ。

 後のない山崎は自分の土俵でなんとか一番返したいところだが、得意戦法をあえて受け、それを打ち破ることで相手のを破壊するのは、何度も見てきた羽生の勝負術でもある。

 山崎からすれば、いろんな角度からもプレッシャーがかかるところだが、そのせいでもないだろうが、中盤で早くも敗着を指してしまう。 

 

 

 

 △29飛の打ちこみに、▲16歩と角取りに突いたのが、最悪のタイミングでの催促。
 
 すかさず△48角成と切り飛ばして、▲同玉△37銀▲59玉△49飛成▲68玉△19竜と大暴れされて後手のペース。
 
 
 
 
 
 
 
 
 後手は△48角成と切る気満々なのに、これでは実質1手パスになってしまっている。
 
 ▲16歩を悔やんだ山崎だが、それでも△19竜に▲81飛成と飛びこんで、△28竜には▲38歩が手筋の中合△同竜△25竜と取る手が消える)。
 
 △25竜▲22歩成△同竜と成り捨てて、▲85桂とボンヤリ打つのが、「ちょいワル逆転術」のアヤシイ手。

 
 

 


 
 ふつうは▲37歩を取りたいところだが、そういうシンプルな手は相手の読みをわかりやすくしてしまう。
 
 それより、善悪は不明でも局面をゴチャゴチャさせておく方がいいという判断で、それこそ羽生が得意とする「手渡し」も彷彿させる。
 
 先手の切り札は、手に乗って▲77玉から脱出することだが、次の手が山崎の希望を打ち砕く決め手となった。
 
 
 
 
 


 
 △29竜と深く入るのが、立合人の藤井猛九段も、 
 


 「気付きにくい好手」



 
 
 ふつうはを取らせないよう△28竜としたいが、それには▲77玉の早逃げがピッタリ

 


 
 いわゆる、
 
 
 「黙ってても指そうと思ってたので、ありがたかったです」
 
 
 なんてニヤニヤされる形だ。
 
 そこを△29竜だと竜の横利きが残ったままで、▲73桂左成と攻め合うと、△同銀▲同桂成△65桂で逃げられない。

 

 


 
 かといって、今さら▲37歩を取る時代ではなく、本譜はやはり▲77玉と逃げる。

 そこでの利きが通ったまま、手番後手なのがマジックで、△84歩と打てる。
 
 
 
 
 
 

 △28竜だと、竜を活用するのに、ここで一回△38竜各駅停車しないといけないわけで、まるまる1手違ってくるのだ。
 
 ▲84同竜△74金と上部を押さえて、ふだんは慎重な羽生も、ここで優勢を確信したそうだ。 
 
 以下、十数手指して山崎が投了
 
 初のタイトル戦は3連敗と、苦い結果になった。
 
 正直なところ、当時の印象ではまだ山崎よりも羽生の方が「手厚い」という印象があった。
 
 若島正さんも指摘するように、棋力に差があるわけではない。
 
 それよりもやはり、経験値のようなもので、第2局に象徴されるような「余裕」「自信」「遊び心」のあるなしではなかったか。
 
 その意味では、これから山崎はどんどんタイトル戦に出るし、A級にもなって成長するだろうから、3年もすれば……。
 
 とか思っていたら、あにはからんや。
 
 なんとそこから、15年も待たされることになってしまうとは!

 長い、長いよ! お医者さんの話か!
 
 A級13年待ったし、2012年の第25期竜王戦では挑戦者決定戦に進出するも、丸山忠久九段1勝2敗で敗れてしまう。
 
 このときは、
 
 
 「オラ、来たで! 渡辺山崎新世代タイトル戦や!」
 
 
 意気込んだものだが、結果は脱力だった。
 
 そんなあれこれあって、若き「王子」も今では40代
 
 A級もキープできなかったし、もう下り坂なのか、残念だなと思ったら、ここに劇的な復活劇で、久しぶりのガッツポーズ。
 
 山崎隆之は、まだ終わっていないのだ。

 挑決の結果を受けて、いさましいちびのトースターな気分だったが、今のところ結果は2連敗

 しかも、内容的にも見せ場を作れてない感じで、このままだと、きびしい言い方をすれば、

 

 思い出挑戦」

 「予想通りの3連敗」

 

 となってしまう。

 それをくつがえすには、もはや「3連勝で大逆転奪取」しかない。

 

 「いい将棋を指したい」
 
 「まずは1勝」

 

 みたいな悠長なことを言うとる場合やないんや!

 もちろん、今のままでは苦しいが、昨日の叡王戦ではついに山が動いた

 これまで、だれもタイトル戦で勝つイメージのなかった「八冠王」についにが開いたのだ。

 カド番でのこのニュースは、山崎にとって千載一遇の大チャンスになるかもしれない。

 いや、するしかない。

 「山崎棋聖」誕生を願って第3局を、いや「残り3つ」の戦いを見守りたい。

 


(山崎隆之の新人王戦初優勝はこちら

(山崎のあざやかな終盤戦はこちら

(その他の将棋記事はこちらから)

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残酷な神が支配する 山崎隆之vs羽生善治 2009年 第57期王座戦 第3局 その2

2024年06月19日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回の続き。

 山崎隆之七段が、羽生善治王座(名人・棋聖・王将)に挑戦した2009年、第57期王座戦五番勝負は、羽生2連勝第3局に突入。

 後手の羽生が横歩を取らせると、山崎は自らが考案した新戦法「新山崎流」をぶつけてきた

 まさに両者の想いが合致した「直球勝負」は中盤の難所を迎える。

 

 

 

 羽生が▲23歩のタタキに△33銀と、桂馬の利きに逃げる工夫を見せたが、山崎も▲85飛と好手で対応。
 
 このあたり、両者とも好感触で指し進めているようだが、ここで次の手がまたも驚嘆を誘った。


 
 
 
 
 
 △44銀と上がったのが、控室の検討陣も再度ビックリの新手
 
 なんでも、この対局の5日前研究会△33銀までは検討されていて、羽生もそれを観戦していたという。
 
 だが、△33銀は指せても、次の△44銀はまったく言及されず、研究会で△33銀を指した飯島栄治六段
 
 


 「脱帽です」



 
 
 先手を持って指していた村山慈明五段
 
 


 「羽生さんらしい柔軟な手。全然、気付きませんでした」



 
  次にきびしいねらいがあるわけでなく、2筋守りもうすくなって、下手すると1手パスのよう。

 そもそも、△33銀と上がったからには、▲33桂不成とさせて桂馬の入手をはかりたいのかと思いきや、そうでもない。

 この真意の見えないフワッとした、フェザータッチが羽生将棋だ。

 こういう手を防衛のかかった一番で、しかも本家本元の山崎隆之に仕掛けてくるのが、なんとも大胆ではないか。
 
 羽生がこのように、あえて相手の土俵で戦おうとするのは、おそらく2つの意図があって、ひとつは谷川浩司九段もう言う「好奇心」。
 
 もうひとつは、本人がどこまで意識してやってるかは不明だが、「つぶし」が入っているはず。
 
 クリエイター型の棋士が必死で研究し、斬新な新手新戦法をぶつけても、下手すると初見でそれに対応し、アッサリと勝ってしまう。
 
 それだけでもショックなのに、羽生はよく次の対局などで、今度はの立場をもって挑んでくることがある。
 
 「自分の得意型」でせまられたうえに、それでもまた負かされ
 
 
 「あれれ~? おかしいなあ~。キミが考えたはずの戦法なのに、なぜかボクの方がうまく使えるみたいだね。なんでだろうね?」
 
 
 コナン君みたいに、盤上でそんなことを言われた日には、私だったら立ち直れません。
 
 羽生からすれば、
 
 
 「指されてみて有力そうだから、一度やってみたかった」
 
 
 という自然な発想かもしれないが(羽生の口から何度もきいたセリフだ)、やられた方はたまったものではない
 
 イジメか! 人の心を傷つけやがって! 一回コンプライアンス研修受けてこい!

 そういえば、かつて真部一男九段が、こんなことを言っていた。

 

 

 「羽生と大山は同じことをやっている」


 

 

 大山康晴十五世名人といえば、その圧倒的強さに加えて、様々な「盤外戦術」も駆使。

 相手に徹底的な「敗北感」を味あわせ、その後の対戦でも力を発揮できないよう精神的ダメージをあたえてきた。

 羽生は大山のようなアクの強いことはやらないが、盤上での無邪気とも言える冷酷さは、恐怖をあたえるという意味では、かつての大名人と変わらないと真部は言う。 

 この「新山崎流」の戦いも、山崎からすれば自分のフィールドで戦えるありがたさとともに、
 
 
 「ここを突破されたら」
 
 
 というプレッシャーとも戦わなければならないのだ。
 
 ちなみに、羽生はこの約半年後名人戦三浦弘行八段相手に、今度は先手番側を持って戦い勝っている。

 

 


 
 
 どっちもっても強いんかい!
  
 対戦相手からすれば、ホントに勘弁してほしいところだろう。
 
 羽生の新手にグラついたのか、山崎は早くも敗着を指してしまう。
 
 △44銀▲65桂を活用して自然だが、そこで△29飛

 

 

 

 

 惜しむらくは次の手で、山崎の王座戦は、終わりを告げることとなるのだ。

 

 (続く

 

 

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「新山崎流」を撃破せよ 山崎隆之vs羽生善治 2009年 第57期王座戦 第3局 その1

2024年06月18日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回の続き。
 
 2009年の第57期王座戦

 挑戦者決定戦中川大輔七段を破りのタイトル戦登場を決めた山崎隆之七段
 
 王座戦18連覇(!)をねらう羽生善治王座(名人・棋聖・王将)相手に、初戦は山崎流の独創を見せるも完敗
 
 第2局勝ちの局面を作りながらも、終盤で一手バッタリのような手を指してしまい惜敗
 
 ここでは、長期戦にそなえてテンションを上げていた羽生が、拳のおろしどころがわからなかったか、山崎に当たりが強く、
 
 
 「羽生が怒っている」
 
 
 と話題になった一局だった。
 
 今期棋聖戦と同じく2連敗カド番に追いこまれたが、もうこうなったら開き直るしかない。
 
 先手の山崎はやはり初手▲26歩だが、羽生は初戦とちがって△34歩から横歩取りに誘導する。
 
 羽生がこの戦型を選んだ理由は、よくわかる。
 
 そう、対横歩取り「新山崎流」を受けて立つためだ。
 
 山崎隆之といえば、その「独創性」が売りであり、そのなかのひとつに当時は後手番の有力戦法だった
 
 
 「横歩取り 中座流△85飛車戦法」
 
 
 これへの対策があった。
 
 「」があるということは、まずはノーマル山崎流があるわけで、それがこちら。
 
 2000年新人王戦
 
 決勝北浜健介六段を破って優勝した山崎は、丸山忠久名人との記念対局に挑んだ。
 
  
 
 
 まあ、ふつうは▲87歩で、そこで△85飛と引くのが中座真八段発案の「中座飛車」だが、ここで先手が新構想を見せる。
 
 
 

 


 
 
 ▲33角成△同桂▲88銀
 
 ここで早々と、角交換をするのが「山崎流」の対策。
 
 続けて▲88銀と、を打たずにで守る。
 
 意味としては、この後の戦いで8筋を使いたいということ。
 
 具体的には後手の飛車に動けば、▲82歩桂取り
 
 △82飛△84飛と引けば▲83歩△同飛▲84歩のタタキと▲66角の筋を組み合わせて、指し手のがグンと広がるというわけなのだ。
 
 本譜は▲88銀以下、△84飛▲58玉△62銀▲48銀△51金

 そこで、▲23歩△同金▲82歩とねらい通りに8筋で攻めて、先手が快勝する。

 
 

 


 
 この「山崎流」は中座飛車に手を焼いていた居飛車等の中で大ヒットするが、流行戦法は足が速いのが宿命で、やがて指されなくなる。
 
 だが、山崎の創作意欲はおとろえることを知らず、その数年後には「新山崎流」なる新構想を用意していたのだった。
 
 それが、この図。
 
 
 
 
 居玉のまま、をくり出すというシンプルこの上ない形。
 
 ふつうは相手の得意戦法に飛びこむのは怖いところだが、好奇心旺盛で、オールラウンドプレーヤーでもある羽生にとっては自然な選択だろう。
 
 実際、谷川浩司九段もそのような予想を立てていたし、羽生からすれば大舞台最新型を戦えることに、胸を躍らせていたのかもしれない。

 以前、藤井猛九段がこんなことを言っていたことがある。

 


 「羽生さんは、タイトル戦の防衛戦を楽しみにしてるんじゃないかな」


 

 そのココロは、

 


 「だって、将棋が強くなる最良の方法は自分より強い人と指すことだけど、今の羽生さんにはそれがいない

 「だから、そのとき一番調子のいい人と戦えるタイトル戦の防衛戦は、羽生さんにとって、もっとも勉強になるから、うれしいんですよ」


 

 たしかこんな内容で、なるほどなーと思ったものだが、この「新山崎流」を正面から迎え撃つところなど、まさに藤井九段の言う通りなのかもしれない。  
 
 ここで後手は、△74歩からじっくり指すか、△86歩と合わせて、横歩をねらいに行くか。
 
 前例△74歩が多かったそうだが、こういうとき羽生は積極的な手を選ぶことが大半で、やはり△86歩と行った。
 
 ▲同歩△同飛▲35歩と、先手は飛車の横利きで横歩を守る。
 
 そこで△85飛と引いて、今度は伸びてきたをねらいにいくが、それには▲77桂(!)と跳ねて、△35飛▲25飛(!)。
 

 



 ここで飛車をぶつけるのが山崎のねらいで、いやあ激しい戦いですわ。
 
 △同飛▲同桂△15角▲23歩がきびしい反撃。
 
 
 
 
 
 
 ここまでは定跡手順のようなものだが、このタタキの対応は後手もむずかしい。
 
 形は△同銀だが、そこで▲65桂と跳ねるのが、すこぶるつきに味の良い手。

 

 

 空中戦で、角道を開けながらの桂跳ねは、これが指せれば負けても本望というくらいだ。

 ならば△同金はどうかだが、これにも▲24歩と打って、△同角▲65桂でやはり先手が気持ちいい。

 ▲23歩でもでも取りにくい。
 
 どうするのか注目だったが、なんと羽生はわずか1分で次の手を選んだ。
 
 
 
 
 
 
 
 △33銀と、桂の利きに逃げるのが、おもしろい手。
 
 この手自体は研究会などで検討されていたそうだが、公式戦で登場するのは初めて
 
 ▲33同桂不成は後で△36桂の反撃が鬼だから、▲85飛にヒモをつけながら、▲81飛成を見せる。

 
 

 


 
 さすが、山崎はこういう将棋のスペシャリストで、これには羽生も、
 
 


 「この局面では一番いい手」



 
 
 と認めたが、それに対する応手がまた感嘆を呼んだ。

 

 (続く)
 
 

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深く潜れ 山崎隆之vs羽生善治 2009年 第57期王座戦 第2局 その3

2024年06月16日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回の続き。

 2009年の第57期王座戦五番勝負。

 その第2局で、ちょっとした「事件」が起こった。

 羽生善治王座(名人・棋聖・王将)と山崎隆之七段との戦いは、難解な形勢のまま終盤戦に突入。

 ところが、ここからまだまだ続くと思われた将棋が、山崎の見落としにより、あっという間もなく終わってしまった

 突然の終局に、羽生が激高。やおら立ち上がると山崎の胸倉をつかみ、そのまま地面に打ち倒す。

 
 「なぜ投げたのか、山崎!」
 

 居合わせたスタッフが、あわてて止めようとするも、羽生はまだおさまらない。

 「なぜ投げた、なぜ!」と山崎にストンピングの嵐をおみまいし、対局場は騒然となったのだった。

 

 

 

 

 王座戦第2局終局後の様子。イメージ図でお送りしています。

 

 

 

 この様子を間近で見ていた梅田望夫さんが表現したように、なぜ羽生が感情的になるような負け方を、山崎はしてしまったのか。

 実際、棋譜をみればわかるが、山崎の手は冴えており、羽生が容易に勝てる内容ではなかったことは伝わってくる。
 
 では差が棋力でなかったとしたら、勝敗を分けたのはなんだったのか。

 

  
 
 

 問題となるのはこの局面で、羽生が▲71角と打ったところ。

 山崎は△23歩と打ったが、ここでは△69銀と打って、△78銀成から△28竜王手角取りで先手の攻め駒を取ってしまえば、山崎優勢のまま先は長かった。

 だが、ここで頭をもたげてくるのが、梅田さんも書いていた「30分」問題だ。
 
 「△37桂不成」という手を決断できず、時間を使ってしまった山崎は、▲71角の時点で、すでに1分将棋
 
 終盤の競り合いなら、時間がないのはまだ想定内だが、△69銀なら「中盤戦のやり直し」のような、おだやかな局面になってしまう。
 
 羽生相手に、1分将棋の延長戦をノーミスで走り抜けるのは至難だ(羽生は8分残している)。
 
 それなら切り合いに持って行って、時間のないことが不利にならない短期決戦を選ぶべきでは?

 そう考えての△23歩だった。

 考え方自体に、は通っている。

 野球で言えば、リリーフピッチャーが残っていない。

 サッカーで言えば、交代枠を使い切ってしまった。

 その状態で「延長戦」に入っては物量差で苦しいから、9回裏代打攻勢をかけたり、アディショナルタイムに、ギャンブル気味のロングボールをゴール前に送りこんだり。

 山崎の言うことに、おかしなところはなく、見落としはともかくとして、戦略として充分説得力はあるところだ。

 だが、ここにこそ、このシリーズのキモがあった。

 時間のない終盤戦で、長い将棋に逆戻りしたときに、
 
 
 「さあ、ここから大熱戦だ」
 
 
 ワクワクして舌なめずりをしていた一方、その相手はこう思っていた。
 
 
 「長期戦では勝てない。一撃で決めないと」

 

 ここで思い出すのは、阿久津主税八段のある将棋。

 その一局は入玉形になったが、駒数では阿久津がハッキリ有利

 このまま素直に駒を取っていき、入玉すれば、点数勝負で勝てそう。
 
 仮に勝てなくても、自分の点数は十分に足りているから、指し直しになるだけ。
 
 つまり「負けがない」状態になったわけなのだ。

 ところが、ここで阿久津はアッサリと、

 


 「指し直しにしましょう」


 

 これには対戦相手も控室の検討陣も「ポカーン」であって、勝てるか、最低でも引き分けなのに、ここでドローにするなど意味がわからない
 
 NHKだったかアベマだったかの解説で、このときの話を振られたとき阿久津は、
 
 


 「いや、駒の取り合いとか好きじゃないし。それだったら、とっとと指し直した方がいいでしょ」



  
 みたいなクールな答えをしていて、やはりそこにあるのは、もちろん「点数勝負って?」という気持ちもあろうが、それ以上に、
 
 
 「さっさと指し直しましょ。どうせオレが勝つし」
 
 
 という自信余裕の賜物であろう。
 
 このときの山崎と羽生も、同じだったろう。
 
 長期戦になっても羽生は「苦しいが、まだこれから」と思い、山崎は「優勢でも、それはまずい」と思った。
 
 もしここで、

 

 「角を抜いとけば長期戦になるけど、最後はなんやかやで、オレ様が勝っちゃうんだよなー

 

 おそらくは他の棋士相手には、心のどこかでそう思っているよう、ふてぶてしくいられたら、きっとこの将棋は山崎がモノにしていたはず。

 それを知っていたから、羽生は勝ちに納得できなかった。

 なに腰引けとんねん。

 こんないい将棋やのに、勝手に折れてんちゃうぞ、続きやらせろや!
 
 ラブホテルの前で「帰る」と言われた男状態で、これが当時、話題になった「羽生ブチ切れ事件」である(←最低のたとえだよ、この人)。
 
 もちろん、マジで胸倉をつかんだわけはなく、冒頭のやりとりは「こうあれかし」という私の妄想だが、観戦者がビビるくらいには憤っていた。
 
 その理由は
 
 
 「おもしろい将棋を中断されたから」
 
 
 という、いかにも羽生善治らしい理由で、今だったら藤井聡太八冠も同じようなリアクションをするかもしれない。

 
 

 

 

 

 鍋倉夫先生の将棋マンガ『リボーンの棋士』の1シーンで、かなり似たようなシチュエーション。

 このときも、まだまだ「潜る」つもりだった安住さんについていけず、対戦相手の川井くんが息継ぎのために浮遊するシーンがある。

 

 

 

 

 

 もしかしたら、このシーン自体のモデルが、この王座戦の第2局だったのかもしれない。

 「一緒に行」けなかった山崎からすれば、ダメージの大きい負け方だったろう。

 「つまらなさそうな顔」なんて、せんとってよ! 

 

 「よかった、勝てた……」

 「ラッキーだった、危なかったよ」

 

 みたいな顔してくれよ、と。勝ったんやからさ!

 自分は苦しくて、それ以上は潜れなかった場所を相手は楽しんでいる。

 それを目の前で見せつけられたら、これはしんどいですわな。

 思えば、羽生は意識してないにせよ、こういうケースを積み上げて対戦相手に、

 

 「この人に勝つのは大変だ」

 「てか、無理かも……」

 

 という負荷をかけてきた。

 初陣の山崎はそれを乗り越えられるのかと、第3局へ突入。

 

 (続く

 

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どうした、オフィーリアよ 山崎隆之vs羽生善治 2009年 第57期王座戦 第2局 その2

2024年06月15日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回の続き。

 山崎隆之七段が、羽生善治王座(名人・棋聖・王将)に挑戦した2009年の第57期王座戦五番勝負。

 羽生の先勝を受けての第2局は、山崎の一手損角換わりから激戦に。

 

 
 
 

 図は羽生が▲71角と打ったところ。

 「山崎優勢」から「混戦」になり、ここでは難解な終盤戦に突入している。

 先手は2枚が後手陣の急所を射抜いているが、後手からも△69銀がキビシイねらいに。

 興奮度もMAXなたたき合いだが、ここで後手から△23歩と角取りに打ったのが敗着となってしまった。
 
 以下、▲82角成△24歩▲31飛と打って先手の勝ちが決まった。
 
 
 
 
 
 
 △41金打▲34飛成で、山崎が投了
 
 急転直下の結末で、なにが起こったのかはよく分からないが、とにかく終わってしまった。
 
 形勢がまだむずかしかったのは、▲71角という手に羽生が23分も消費したことから伝わってくる。
 
 おそらくは山崎に誤算があったのだろうが、ここから、後になにかと語られることとなる「事件」が起こる。
 
 盤側で見ていた、観戦記担当の梅田望夫さんの記事によると、山崎が投げた瞬間、羽生はびくんと震わせ、「おっ」と声を上げたという。
 
 投了が意外だったのだろう。
 
 ▲71角に貴重な持ち時間を23分投入し、後の展開を読みに読んでいたはずが、なんとそこから数手で終わってしまった。
 
 時間にして、わずか8分しか経っていなかった。
 
 目の前で、リアルタイムで見ていた梅田さんによると(改行引用者)、
 
 
 


 突然の投了に心から驚いている様子だ。
 
 そしてすぐ山崎に向かって、この将棋は難解なまままだまだ続くはずであったろう、そして自分の方が形勢が悪かったという意味のことを、かなり強い口調で指摘した。
 
 山崎もすぐさま言葉を返したが、羽生の口調と表情は厳しいままだった。
 
 数分後に関係者が大挙して入室してきたときには、穏やかないつもの羽生に戻っていたが、盤側で一部始終を観ていた私は、終局直後の羽生のあまりの険しさに圧倒される思いだった。
 
 羽生には勝利を喜ぶ、あるいは安堵するといった雰囲気は微塵もなく、がっかりしたように、いやもっと言えば、怒っているようにも見えたからだ。



 
 
 まあ、将棋ファンならこのあたりの事情は、なんとなく推測はできるところだ。
 
 羽生は▲71角と打つところでは「やや苦戦」を自覚し、ここからどうやって巻き返していくかを考えていた。
 
 そのための夜戦にそなえて、心身の準備をしていたのだろう。
 
 そこに突然の投了。
 
 あ? え? 
 
 羽生からすると、ハシゴをはずされたような気分になったのかもしれない。
 
 予約録画してたドラマの最終話が撮れていなかった気分。

 あるいはテレビ版『新世紀エヴァンゲリオン』のラスト2話が、あんなだったときの感じだったのかもしれない。
 
 
 「楽しみにしてたのに、そりゃねーぜ!」
 

 
 モヤモヤが残ったであろう証拠に、終局9時47分だが、感想戦は羽生がリードする形で深夜12時まで続いたそう。
 
 持て余した闘志をクールダウンさせるのに必要な時間だったのだろう。
  
 山崎からすれば、敗れたところに「なんで、もっとがんばらないんだ!」と対戦相手に説教されるなど、理不尽このうえないが、結果からすれば反論しようもない。
 
 感想戦での山崎によると、▲71角には△69銀と打っていくことを予定していた。
 
 ▲82角成飛車を取られても、△78銀成▲同玉△28竜王手角取り
 
 
 
 
 
 
 これで、△24竜と攻め駒を抜いてしまえば(▲68角と引いても△88金で詰み)、長い戦いながらリードは保てていた。
 
 だが、実際に指したのは、△69銀ではなく△23歩の催促。
 
 山崎の読みでは、▲31飛の局面で△41金打ではなく、△41金と引いて、きわどく受けるつもりだった。
 
 ここでを1枚温存し、▲34飛成△69角と打てば勝ちだと。
 
 
 
 
 
 
 残念ながら、これは勝手読みにすぎなかった。

 この局面では、▲63桂から後手玉に詰みがあるので不許可なのだ。

 これで羽生が2連勝

 スコアもさることながら、山崎にとってこの一局は、単なる1敗以上の大きな負けとなってしまった。

 途中までは優勢だったし、勝てる勝負を落としたから?

 それはいい。どんな強者でも、敗れることはある。

 読み抜けがあったこともわかった。ミスがあるのも、だれしも仕方がないことだ。

 やはり、この将棋を観戦していた「詰将棋解答選手権」でもおなじみの若島正さんが(改行引用者)、
 

 


 局後の感想戦では、山崎は羽生王座にけっして読み負けてはいなかった。

 いやそれどころか、明らかに読みの量では上まわっていたとしか思えない。


 

 こうおっしゃるように、この将棋の敗因は決して「棋力の差」にあったわけではなかった。

 では、なにが痛かったのか。

 それは山崎がなぜ、△69銀見送ったかということにあったのだ。
 
 

 (続く

 


 

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羽生善治「激怒」事件 山崎隆之vs羽生善治 2009年 第57期王座戦 第2局

2024年06月14日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回の続き。
 
 2009年の第57期王座戦で、のタイトル戦登場を決めた山崎隆之七段
 
 王座戦18連覇(!)をねらう羽生善治王座(名人・棋聖・王将)相手に、初戦は敗れたものの山崎流の独創的な将棋は見せてくれた。

 顔見せもすませて、さあ、ここからだぞと続く第2局が、少しばかり波乱を呼ぶ展開となった。
 
 もっとも、将棋自体は良い内容で、最後こそ山崎がポッキリ折れた感もあったが、途中までは、どちらが勝ってもおかしくない接戦だった。
 
 では、一体なにが波乱なのかと問うならば、当時話題になったある出来事。
 
 それが、
 
 
 「羽生善治ブチ切れ事件」
 
 
 といっても、羽生のキャラクターを知る人からすると「はあ?」という話であろう。
 
 羽生は怒るどころか、不機嫌な顔すら見たことがないという温厚で、飄々としたタイプだ。
 
 それが「ブチ切れ」とは、話を盛るのはいいけど「創作」はアカンで。サムネ詐欺ですやん。
 
 なんて、それこそ怒られそうだが、たしかにこれは多少の「盛り」はあるかもしれないが、決して「作り」ではない。
 
 これには深いわけがあり、おそらく将棋ファンならその理由を聞けば、
 
 
 「あー、そういうことね」
 
 「なんか、羽生さんらしいなあ」
 
 
 そう納得していただけるのではあるまいか。
 
 それは後の話として、まずは将棋の方だが、後手になった山崎が当時の人気戦法であった一手損角換わりを選択。

 羽生はシンプルな棒銀で仕掛けて行き、山崎は手に乗って金銀を盛り上げ、も作って押さえこみにかかる。

 むかえた、この局面。

 

 

 

 

 が動いていないのが、いかにも山崎流。

 今でこそ居玉で戦うのは、わりとよく見るようになったが、この当時では「藤井システム」など定跡化されたものをのぞけば、相当にめずらしかった。

 押したり引いたりの難解なやり取りが続いていたが、ここでは控室の谷川浩司九段、大盤解説の久保利明棋王ら検討陣の見解は一致してたそう。
 
 


 「難解ながらも山崎良し



 
 
 ただし、少し手にした模様の良さを具体的に「優勢」「勝勢」に結び付けるのは、きわめてむずかしい作業。
 
 これはおそらく、将棋というゲームが存在するかぎり、未来永劫言われることとなる「あるある」なのだ。
 
 事実、この局面で山崎の手が止まった
 
 長考に沈みこみ、次の手を指せずに苦悶する。
 
 この将棋の観戦記を書いた梅田望夫さんによると、山崎は羽生がトイレに立ったところで急に独り言を言い出したという。
 
 その内容というのが、
 
 


 「30分ですか」
 
 「30分ねえ」
 
 「30分かあ」
 
 「30分かあ」
 
 「30ぷーん」
 
 「30分」
 
 「30分か」



 
 
 記録係から「残り30分です」と告げられたことに対するボヤきだ。
 
 必死で戦う山崎には申し訳ないが、いかにも情景が想像できるというか、やってそうやなー。
 
 今なら、コメント欄SNSで山崎ファンが
 
 
 「出た、山崎節!」
 
 「何回30分言うねんw」
 
 「アカンで山ちゃん、羽生はそういう逡巡を察知して、突いてくるのがメッチャうまいんや! ポーカーフェイスで行かな!」
 
 
 なんて大盛り上がりになるところだろう。
 
 次の手は△37桂不成で、それは悪い手ではない。
 
 ただ、ここで40分も消費してしまったことは山崎の精神状態と、この後の展開に暗いを落とすこととなる。
 
 少し進んで、この局面。
 
 


 


 
 ここでは山崎に「本局最大のチャンス」がおとずれていた。
 
 ここでは△22飛と、遊んでいる飛車を活用すれば山崎優勢がハッキリしていた。

 


 
 だが、ここでさっきの40分が効いてくる。
 
 すでに残り2分になっていた山崎は、1分将棋になるのを恐れて、△15歩という精査を欠いた手を指してしまう。
 
 これも悪手ではないのだが、「優勢」が「混戦」になってしまい、またここで腰を落とせなかった後悔も、山崎の背中にのしかかる。
 
 


 「やった瞬間に気づいて後悔してるんですよ!」



 
 
 感想戦でも、頭をかかえていた。 
 
 そうして、クライマックスがここだった。
 


 


 
 

 山崎の次の手が敗着になり、そこから、あっという間に将棋は終わってしまう。

 まあ、それはしょうがないにしても、問題はそのだった。

 山崎が投了したとたん、羽生は梅田さんの言葉を借りれば「かなり強い口調」で、敗者に詰め寄ることになるのだ。

 

 (続く

 


 

コメント (3)
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「西の将棋王子」見参! 山崎隆之vs羽生善治 2009年 第57期王座戦 第1局

2024年06月11日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回の続き。
 
 
 「新世代到来」
 
 「打倒羽生世代
 
 
 との期待を担いながらデビュー後、なかなかタイトル戦登場がなかった山崎隆之七段
 
 その殻を破ったのが、2009年の第57期王座戦

 挑戦者決定戦で強敵中川大輔七段に勝ち、ついに檜舞台で戦うことに。
 
 相手は王座戦といえばこの人という、羽生善治王座(名人・棋聖・王将)。

 戦前の予想は、やはり羽生有利
 
 ただでさえ名人をふくむ四冠を保持してるだけでなく、このころの羽生は王座戦を17連覇(!)しており、しかも直近4期では連続のストレート勝ち。
 
 その相手も木村一基久保利明佐藤康光×2とヘビー級ぞろい。
 
 対戦成績でも、ここまで山崎の2勝8敗と、どこにもスキは見いだせないのだった。
 
 絶対王者に対して、若さの勢い(といってもすでに28歳だが)がどこまで通じるかだが、このシリーズはいろんな意味で、両者の持ち味が出た戦いとなった。
 
 注目の開幕局は山崎先手
 
 となれば当然、戦型は相掛かりだ。

 

 

 

 

 山崎のトレードマークともいえる▲36銀型を目指して、この局面。

 まだ序盤の駒組の段階だが、すでに山崎の異能感覚が発揮されている。
 
 をくり出していく形に、羽生は△85飛と高飛車にかまえる工夫を見せる。
 
 飛車の横利きを生かして、▲36銀にどこかで△35歩とする手など見せながら、先手の駒組を牽制しようというわけだ。
 
 それに対して、山崎は▲68銀角道を開けない工夫を披露。
 
 この形だと、▲76歩には△88角成▲同金しかなく陣形がゆがんでしまう。
 
 つまりは「もう、角道はしばらく開けません」という宣言みたいなもので、▲76歩なら△86歩から、横歩をねらわれるのを警戒したか。
 
 の相掛かりだと、横歩を取られないよう、角道は閉じたままにするというのは普通にあるが、当時は山崎くらいしか指す気が起きない形だったろう。
 
 ここからもふるっていて、▲68銀△95歩高飛車を生かしてから仕掛けると、▲同歩△96歩に、▲38銀(!)と引く。
 
 
 


 
 

 せっかく出たを引いて大きな手損だが、はてどういう意味が?
 
 △95飛と端を制圧したところで、▲26飛(!)。
 
 
 
 


 これまた「うーむ」という手順。
 
 2手かけて上がったアッサリ引くだけでなく、最初に引き飛車にしたのを放棄して、▲26飛浮き飛車で受ける。
 
 この間、後手にを攻められ、穴も開いてしまっているが、それでも指せるという山崎の構想が、とにかくおもしろいではないか。
 
 その後も山崎は、相掛かり独特のコクのある押し引きから、今度は1筋から端攻めを喰らっても、ゆがんだ形で受けとめる。
 


 
 
 
 


 この▲18銀なんかも、見るからに悪い形に見えるが、この人にかかればむしろ、「山崎ペース」に見えるから不思議なものだ。
 
 思い出すのは2004年の第35回新人王戦
 
 佐藤紳哉五段との決勝戦第3局で披露した、この形。
 
 
 
 
 
 △12銀とへこまされたのが、見ているだけで士気が下がりそうだが、山崎自身は

 


 「このゆがんでいるのが、自分らしい銀」


 

 と見て悲観してなかったというのだから、やはり感覚がバグ……凡百の人とは違うのだ。
 
 この将棋は中盤で山崎にミスが出て、そのまま押し出されてしまったが(ということは、ここまでは不利ではなかったということだ)、その個性は大いにアピールできた。

 そりゃもう、ファンが見たいのはこういう将棋なんだからねえ。

 ライムスター宇多丸師匠風に言えば、

 

 「俺たちが自慢されたい山崎隆之」


 
 魅せてくれますわ、ホンマ。
 
 開幕局を先手番で失うという苦しいスタートながら、こういう将棋を見せてくれるなら、山崎には全然可能性ありと私は見ていたのだが、果たして第2局以降はどうなるのか。
 
 
 (続く

 

 

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チョイ悪逆転術 山崎隆之vs中川大輔 2009年 第57期王座戦 挑戦者決定戦 その2

2024年06月08日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回の続き。
 
 2009年、第57期王座戦挑戦者決定戦

 中川大輔七段山崎隆之七段との一戦は相掛かりから、両者らしい力戦模様の戦いになっている。

 


 
 
  

 山崎が▲36にくり出して、△33桂悪形を強要すれば、中川はその間に金銀をくり出し、△14歩から△13角で上部からの殺到をねらう。

 ここから先手は▲24歩△同歩手筋の打ち捨てで△13角を緩和させ、▲45歩△56歩▲65歩△53銀
 
 そこで▲79玉と自陣に手を入れ、ねじり合いの時間が始まった。

 

 

 

 

 何度見てもステキな中川先生。

 

 そこから駒がぶつかり合って、この局面。
 
 
 
 
 
 
 中川が△64銀と上がったところ。
 
 自陣がうすくなって指しにくいが、次に△75銀から△86歩が、かなりのきびしさ。
 
 後手の攻めがすべて良いところに利いており、どう受けるのかというところだが、ここからの山崎は軽快だった。

 

 


 
 
 
 

 ▲53歩と打つのが、筋中という一着。
 
 放っておくのは気持ち悪すぎるが、かといってこれが、どう応じても味が悪いという困った
 
 △同銀引はありえないし、△同銀上は自陣がうすくなる。
 
 かといって△51歩は利かされすぎだし、なにより歩切れになってしまっては、今度は攻めの方が心配になってしまう。


 山崎といえばNHK将棋講座でもおなじみの「ちょいワル逆転術」だが、いかにもそれっぽい雰囲気。
 
 いやー、これはマジで悩む
 
 中川はかまわず△75銀と出るも(きっとすごい駒音だったに違いない)、そこで今度は▲76金打の強防。
 
 
 
 
 
 
 攻めを呼びこんでいるようだが、このパワーショベルによる重たいブロックで、先手陣は意外と寄らないのだった。
 
 ▲53歩の借金を残す後手は、攻め続けるしかないと△86歩
 
 ▲同金上△同銀▲同金△57金の食らいつきに、▲55角と出るのが、すこぶるつきに感触の良い手。
 

  
 
 

 フトコロを広げながら、8筋で目標にされそうなを飛車取りの先手で、大海にさばいていく。

 ▲53歩のタラシで嫌がらせをし、やや無理気味に動いてきたところをいなしていき、敵の戦線が伸び切ったところで、その裏をついて一気のカウンター

 このあたりは、山崎の戦上手なところが発揮されているところだ。 
 
 △64銀と必死の防戦にも▲73銀と飛車取りに打って、△92飛▲64銀成△同歩
 
 そこで▲72歩がまた軽妙手で、攻めがつながっている。
 
 
 
 
 
 
 
 図は▲72歩に、△51歩と打ったところ。
 
 局面は山崎勝ちの流れだが、中川ものタイトル戦を前に、簡単にはまいらない。

 底歩一発で「ねばりまくってやるぞ!」と宣言しているのだが、ここで三たび軽妙手が飛び出して、山崎勝ちが決まるのだ。
 
 
 
 
 
 
 
 ▲52歩成△同歩▲83銀先手勝勢
 
 打ったばかりの底歩を無効化させる歩の成り捨てが、やはりこの際の手筋だった。
 
 △同玉とは指し切れないから△同歩だが、これで飛車を取りに行けば、後手玉は受ける形がない。
 
 一方の先手玉は右辺から攻められても、8筋9筋の非常階段に逃げこめば、まず捕まらない。
 
 中川は△31玉から執念の逃走劇を見せるが、▲23歩と退路封鎖し、以下丁寧な寄せで後手のねばりを振り切った。
 
 こうしてついに、待ちに待った山崎隆之のタイトル戦登場となった。
 
 ようやっとという感じだが、これはもちろん、まだまだ道半ば
 
 このレベルの棋士だと、挑戦だけして「おめでとう」とはならない。「取ってナンボ」なのである。
 
 しかし、それが簡単ではないのが、皆も知るところ。
 
 待ち受けるのは最強の男である羽生善治王座
 
 しかも現在、王座を17連覇中という、とんでもない看板を引っ提げての登場だ。

 
 (続く
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ストリート・キッズ 山崎隆之vs中川大輔 2009年 第57期王座戦 挑戦者決定戦

2024年06月07日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 棋聖戦第1局山崎隆之完敗だった。

 無敵を誇る藤井聡太八冠王の一角をだれがくずすかに注目が集まる中、棋聖戦では山崎隆之八段が名乗りをあげた。
 
 伊藤匠七段叡王戦で奮闘するなど、ここからは若手棋士が主役を張るかと思いきや、ここでベテランの復活。
 
 うむ、やはり対戦相手は多様なほうがおもしろいし、なにより私のような関西のファンは、この山ちゃんの躍進に大興奮
 
 よっしゃ、ここは盛り上げるぞと今回も山崎隆之特集。
 
 初戦はやられたが、まだまだ、これからやで!

 ということで、前回は、山ちゃんの三段時代の偏りすぎた成績を紹介したが、今日はプロデビュー後の活躍について。

 難関リーグを5期こそかかったものの卒業し、

 

 「あの大器がついに」

 

 鳴り物入りでのデビューを果たした山崎隆之四段。

 事実、プロになってから山崎は各棋戦で高勝率を上げ、順位戦ではC2こそ6期も足踏みしたものの、C1B22期で順調にクリアしB級1組へ。

 トーナメント戦でも、新人王戦2度優勝(相手は北浜健介六段佐藤紳哉五段)。

 早指し新鋭戦でも、北浜健介六段を破って優勝を飾る。
 
 また、NHK杯では羽生善治名人を破って全棋士参加のビッグトーナメントを制覇し、こちらは敗れたとはいえ(相手はまたも羽生善治)朝日オープンでも決勝に進出。

 そんじょそこらの新人とは、モノがちがうことを見せつけていった。

 ただ正直、見ている方としては、ちょっと物足りないところはあり、それがタイトル戦になかなか出てくれなかったこと。
 
 当時は30年近く続くことになる「羽生世代独裁のただなかだから、そう簡単ではないわけだが、そんな中チャンスがやってきたのが2009年
 
 第57期王座戦で、挑戦者決定戦まで勝ち上がってきたのだ。
 
 決勝で待ち受けるのは、こちらものタイトル戦登場を目指す中川大輔七段
 
 どちらもA級タイトルを張っていてもおかしくない実力なのに、なかなかそのを越えられないというところに共通点があったが、特に山崎には期するものがあったそう。
 
 というのも、このころの中川は理事職に就いており、その「二刀流」で多忙な日々を送っていた。

 会長時代の佐藤康光九段が、研究できるのが「本番の対局だけ」とその多忙さを語っていたが(てか、なんで現役棋士に会長や理事をやらせるんだ?)、中川もまた同じような境遇。

 山崎からすれば、
 
 


 「将棋に専念していられる自分が、理事の仕事に追われている中川先生に負けたら、ふだんなにをやっているのかと、なってしまう」



 
 
 というプライドもあって、相当に気合が入っていたらしいのだ。
 
 そんな2人の戦いは、期待通りの大熱戦になる。
 
 戦型は先手になった山崎が相掛かりから、得意の▲36銀型を選択。
 
 
 
 
 


 図はその銀を棒銀として、ずいっとくり出したところだが、次の手が中川らしいと言われた強い手だった。

 

 

 


 
 

 

 

 △33桂と跳ねるのが、「中川流」の一着。
 
 角道二重に止める形になってしまい、ふつうは筋悪としたものだが、こういうゆがんだ形を苦にしないのが中川将棋だ。
 
 
 
 
 
 

 少し進んで△14歩の局面で、後手のねらいがわかる。
 
 桂跳ねで使えない角は、△13角とこっちから使う。
 
 また△54金と、守りの金を中央にくり出して行くのも、これまたいかにも中川好みの一着。

 空手マスターであり、「登山研」で山も登るという体力派の男に、こうも振りかぶられると相当な圧力である。

 

 

 

 

 

かつて『将棋世界』に掲載された、私の大好きな1枚。
あまりのステキさに、当時作っていた文芸同人誌の表紙に使わせてもらったもの。
友人にも大ウケで、一時期仲間内でこの画像のアイコラや「写真で一言」など「中川先生大喜利」が大流行した。


 
 もちろん、山崎だって負けてない。
 
 銀の速攻は封じられたようだが、それはあくまで「見せ球」。
 
 むしろ、それで相手に悪形を強いることが、ねらいだったりする。

 あとはを転進させ中央で使っていく。このゴチャゴチャした「屈伸戦法」こそが、山崎の持ち味でもあるのだ。

 
 (続く
 
 
 
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ポルトガル語とスペイン語ってホントに似てるの? その2

2024年06月04日 | 海外旅行

 前回の続き。

 

 スペイン語ポルトガル語は、日本語の標準語関西弁ほどの差しかない」

 

 子供のころ読んだ『キャプテン翼』にそんなシーンが出てきて積年のだったが、今回少しスペイン語を学んだところで、それを検証するチャンスを得た。

 

 

 

 


 

 

 島国であり、また言語学的にも世界から孤立している日本語話者からすると、ちがう言語なのに通じるというのがピンとこないが、世界には、


 
 「違う分類はされるけど、中身は結構同じやん」
 
 
 という言葉が結構ある。
 
 では、スペイン語とポルトガル語はどうなのか。
 
 少し専門的な話をすれば、フランス語、スペイン語、ポルトガル語、イタリア語ルーマニア語あたりは言語学的には、

 

 「ロマンス語群

 

 というところに所属。
 
 ローマ帝国公用語で、中世ヨーロッパではインテリの共通語でもあったラテン語から派生したもので、その方言とも言えるもの。
 
 いわば兄弟みたいなもので、語彙動詞の活用など相当に共通点が多いのだ。
 
 で、件のスペイン語とポルトガル語がどれだけ似ているのか見てみると、これはねえ、たしかにと納得できるところはある。
 
 具体的に言うと、語彙が近い。


 


 casa(家)」
 
 「mesa(テーブル)」
 
 「hora(時間)」
 
 「mar(海)」
 
 「flor(花)」



 
 とか、スペルがまったく同じものも多ければ(発音は微妙に違ってたりしますが)、

 


 si/sim(はい)」
 
 「o/ou(または)」

 「noche/noiti(夜)」
 
 「ciudad/cidade(都市)」

 「dinero/dinheiro (お金)」


 
 
 など、ちょっと違うだけで、簡単に類推できるものも山ほど。

 英語で「I drink water every day」をそれぞれ訳すと、
 
 


 Yo bebo agua todos los días.(スペイン語)
 
 Eu bebo água todos os dias.(ポルトガル語)



 
 
 かなり似ている。というかほぼ同じだ。
 
 他にも、「This is my book」だと、
 
  


 Este es mi libro.(スペイン語)
 
 Este é o meu livro.(ポルトガル語)


 

 文法面でも、「食べる」という意味の「comer」の活用が、

 


 スペイン語

 yo como (わたしは食べる)

 tú comes(あなたは食べる)

 él/ela come(彼は・彼女は食べる)

 nosotros comemos(わたしたちは食べる)

 vosotros coméis(あなたたちは食べる)

 ellos/ellas comen(彼らは・彼女らは食べる)


  ポルトガル語
 
 eu como (わたしは食べる)

 tu comes(あなたは食べる)

 ele/ela/você come(彼は・彼女は食べる)

 nós comemos(わたしたちは食べる)

 vós comeis(あなたたちは食べる)

 eles/elas/vocês comem(彼らは・彼女らは食べる)


 


 同じや

 てか、書き写しながらスペイン語のところに「eles」って書いちゃったよ。ややこしいなあ!
 
 なーるほど。たしかに、これは通じるはずだ。
 
 もちろん、


 


 「graciasobrigado(ありがとう)
 
 「mariposaborboleta(蝶)



 
 
 みたいな似ても似つかない単語もあるし、発音微妙に違うし、こまかい差異も色々ある。
 
 けど、やっぱり似てるというか、基本構造が同じなので、スペイン語やったら語彙をそのまま置き換えるだけで、ほとんどポルトガル語も話せるようなものなわけだ。
 
 ホント方言だよなあ。
 
 


 「言ってるじゃん」(関東風)
 
 「ゆうてるやん」(大阪弁)
 
 「ゆーとーやん」(兵庫弁)



 
 
 くらいの差?

 それとも、落語を聞いたときの感じかしら。

 

 「なるほど、そらホン大変や」
 
 「アンタ、しょうもないことばっかり言うて、なぶってんねやないで」
 
 「そんなムチャするから、全部わやなってもうたがな」

 
 
 とかとか、「ホン」「なぶる」「わや」がわからなくても、ニュアンスは十分伝わったりする(「本当に」「からかう」「ダメにする」くらいの意味)。
 
 少なくとも、大阪人の私が本気の沖縄弁津軽弁を理解するよりは、近いんじゃないかなあ。
 
 そう言えば昔、雑誌『旅行人』の編集長で旅行作家でもあった鹿児島出身の蔵前仁一さんは、
 
 

 「ボクは日本語と英語が少しと、あとサウス・ジャパニーズ語が話せる」 

 


 という冗談をおっしゃっていた。
 
 ここで蔵前さんが言いたいのは、単に鹿児島弁を英語風に言い換えたところでなく、「言語」と「方言」というモノの曖昧性や、その差異のおもしろさだ。
 
 スペイン人はポルトガル人の言うことを8割くらいは理解できるらしいが、たぶん多くの日本人は、日本語であるはずの鹿児島弁を聞いてもリスニングできないだろう。
 
 だったら「言語」と「方言」ってなにが違うんだろう。
 
 そういうテーマをはらんでいて、考えるだに楽しい「サウスジャパニーズ語」問題なのだった。

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ポルトガル語とスペイン語ってホントに似てるの?

2024年06月03日 | 海外旅行

 ポルトガル語を学習中である。
 
 ここ数年、スキマ時間に外国語をやることにハマっており「1日15分勉強」で

 

 英語

 フランス語

 ドイツ語

 スペイン語

 

 この4つをマスター(中1レベル)してきたペンタリンガルの私。

 そんな程度の勉強では、たいして役に立たないのではと思われそうだが、これくらいでも、

 


 He can hit a home run with a bunt.
(彼はバントでホームランを打つことができます)

 

 Le gardien de but français n'a jamais touché le ballon.
 (フランスのゴールキーパーは一度もボールにさわれませんでした)

 

 Mein Freund ist vom Zaun gefallen, also habe ich es gefilmt und verkauft.
 (友だちが柵から落下したので、撮影して売却する)


 

 くらいなら意味を取れるのだから、そうそう馬鹿にもできない。

 なかなかに順調な進撃で、次はアラビア語だと意気ごんでいたところ、なんと
 
 
 アラビア文字がおぼえられない
 
 
 という、テニスで言えばラケットにボールが当たってくれないレベルな挫折を味わう羽目に。
 
 我ながら情けないが、40代になると記憶力がスコンと抜けるので、しょうがない面もある(マジなのよ)。
 
 ということで、ここはプランBに移行だと、ポルトガル語に転進することにしたのだ。
 
 ここまでの英・独・仏・西はメジャー言語だが、ここで急にポルトガル語という地味なところへ。
 
 特にポルトガルやブラジルに縁があるわけでもないのに(ポルトガルは旅して、いいところでしたが)なぜポル語なのかと問うならば、これが子供のころからの積年のを解くため。
 
 曰く、
 
 
 スペイン語とポルトガル語は、標準語関西弁くらいの差しかない」
 
 
 子供のころ読んだサッカー漫画の名作『キャプテン翼』の中で、そういう豆知識が披露されていたのだ。
 
 ブラジル留学をひかえてポルトガル語を学ぶ主人公大空翼君が、アルゼンチンの天才ファンディアス選手に話しかけるシーンがある。

 


 
 
 
 
 
 


 
 これを見たとき、
 
 
 「ホンマに、そんなことあるんかあ?」
 
 
 不思議に思ったもの。
 
 まあ、子供のころで外国語のことなどよくわからないし、そもそも日本語という言語学的にも孤立している言語を持つ感覚では
 
 
 「外国語だけど、なんとなくわかる」
 
 
 なんて言葉があるのにピンとこないのだ。

 しかしこれが、世界には探せばたくさんあって、有名なところではセルビア語クロアチア語

 この2つはセルビア語がキリル文字、クロアチア語がラテン文字(ローマ字)を使う以外、ほとんど同じなのだという。

 実際、外国語学習者におなじみの白水社エクスプレス」シリーズでは、「セルビアクロアチア語」と1冊にまとめられている。

 まあ、本来なら「同じ言語」なのを民族的アイデンティティのため、
 
 
 「アイツらと一緒にせんとって! 嫌いやねんから!」
 
 
 と言って無理くり別物に仕上げたようなもんだから、似てるのは当たり前なんですが。
 
 こっちでも、日本近隣諸国でおたがいに、あたかも
 
 
 「われわれは、ヤツらか影響など受けていないし、有用なこともなにも教わってないんだゾ!」
 
 
 みたいに、ふるまいたがる人がいるから、国や民族なんて、どこも大同小異だ。

 しかし、歴史的にエグイほど憎み合い、殺し合ってきたセルビア人とクロアチア人が、意思の疎通はスムースというのは大いなる皮肉であるなあ。

 そんな例もあるので、この謎が気にはなっていたんだけど、なんせスペイン語なんてやる機会がないものだから放っておいたら、それから30年くらいたって、「お」となったわけだ。
 
 今なら、検証できるやん。

 ということで、ここにスペイン・ポルトガル比較文化計画、その名も「ルイーゼロッテ作戦」を始動。

 ポルトガル語をしゃべりたいとかいうよりも、ほとんど実験感覚で、はじめてみたわけだ。
 
 で、これが、なるほどーと感じるところ多々で非常に興味深いものだった。

 

  (続く

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