前回(→こちら)の続き。
「合コンで盛り上がるゲームを教えてください」
と、大学生になって遊ぶ気満々の後輩ホクヨウ君にたずねられた私。
そこで前回まで、私がいかに「チャラい学生のノリ」に苦戦してきたかについて語ってきたが、そんなノーパリピな私が今回オススメするのがこのゲーム。
ルールは簡単で、道具もいらずに楽しめる。特に「映画好き」「読書家」「音楽ファン」といった、うるさ型の面々が集まる飲み会などでやると、かならずアツクなること間違いなしなのだ。
私は北村薫さんの『朝霧』という本で知ったわけだが、以下その引用。
そういえば、おかしなゲームの出てくる話があった。「当然、読んでいそうで、実は未読の本を挙げる」という遊びだ。
五人でやるとする。自分が挙げた本を、他の四人が読んでいたら四点、三人なら三点といった具合。
どうです、簡単でしょ?
「未読の本」となっているけど、いろいろと「お題」を出す方がゲームの幅が広がる。
それが、ふだんから「おれはオタクだから」とか「これに関しては玄人」なんて言っているジャンルを選ぶと、なんともイヤーな盛り上がり方をするんですよ、イッヒッヒ。
とにかくこのゲーム、ライバルに
「え? おまえ、いつもは、あんな偉そうなこと言うてるのに、これ見たことないの?」
そう思わせられれば、られるほど、得点が高いという意地悪きわまりないルールになっている。
たとえば、お題が「映画」となると、
「ドイツの映画監督ルドルフ・トーメの名作『タロット』」
なんて答えても、ふだんの会話なら「へー、それおもしろいの?」なんて盛り上がるところだが、このゲームでは「ふーん」でお終い。ポイントはゼロ。
だって、知らないのが「当たり前」だから。そんな「オレは深いぜ」自慢をしても仕方がない。
でもこれが、『ロード・オブ・ザ・リング』とかなると、
「ええ!」
「あんなド定番観てないの?」
「おいおい、それでホンマに《映画好き》とか言うとったんか……」
間違いなく高ポイントゲット。
でも、その瞬間これまでキープしてきた「オレは映画には玄人」というキャラはガラガラと崩壊します。
はい、こう答えて「4ポイント」をいただいたのは、私のことですね(笑)。
嗚呼、これからは「映画好きを自称しているが、『ロード・オブ・ザ・リング』も見たことないヤツ」です。隠してたのに……。
いや、観ようとは思ってるけど、長いから……。
こういった見苦しい言い訳が、競技のスパイスにもなるんですね。
他にも、ボンクラキャラを自認しているのに『ファイト・クラブ』観てないとか、タランティーノが苦手で、『レザボア・ドッグス』も『キル・ビル』もノーチェックとか、『007』シリーズまったく知らないとか、北野武監督作も全滅とか、高得点ゲットと比例するように、「玄人」としての評価は旧暴落。
以下、本でもミステリファンが相手だと、「エラリー・クイーンの『Yの悲劇』!」で4ポイント。『Xの悲劇』も未読で、さらに倍。
ブラウン神父シリーズはまったくとか、『樽』は挫折したとか、チャンドラーは坊主とか、もうボーナスポイントつきまくり。
SFだと、「ハインラインの『月は無慈悲な夜の女王』、べスター『虎よ! 虎よ!』」で計8ポイント。
漫画なら「『ワンピース』『ジョジョ』『聖闘士星矢』まったく読んだことない!」で計12ポイント。
次々と高得点をたたき出す私。そのたびに「おお!」「おまえ、マジか……」と歓声が。
どうや、オレの独走や! 一気に大量得点で、このゲームはもらったで! 勝った、勝った、また勝った!
……で、私は明日から、なにを支えに生きていけばいいんでしょうか……。
このゲームを楽しむコツは、勝者へのご褒美をかなり大きくするか、敗者の罰ゲームをがっちりやらせること。
だって、そうしないと、だれも勝とうとしないんだもーん(笑)。
それくらいに、勝利と引き換えに、失うものが多すぎる遊びなのだ。私もここまで書きながら、もう軽く8回は死にたくなってます。まさにデスゲーム。
ちなみに、北村先生のエピソードでは怖ろしいオチがありまして、読書自慢の最高峰である大学の教授がこのゲームをやったところ、
熱くなった英文科の教授が思わず、大秘密を口走る。「ハムレット!」と叫んでしまうのだ。
この瞬間、部屋は凍りついたように静まりかえったそうな。
かように、「試合に勝って、勝負に負けた」という言葉が、これ以上に似合うものはない。ゲームの名前はズバリ『屈辱』。
北村先生によると、出典はディヴィッド・ロッジの『交換教授』だそう。
ロッジかあ、道理で意地悪なわけだ。イギリス流のユーモアは、ときにえげつないもんを生み出しますなあ。
え? 『交換教授』のこと?
もちろん、私は読んでませんよ。
はい、これで何ポイントもらえますか?
と、そんなことを尋ねてきたのは、後輩ホクヨウ君である。
ホクヨウ君は今年大学生になったばかりの青年だが、受験勉強から解放されて、これから楽しいキャンパスライフを満喫する気満々である。
でもって彼の中には多くの若者同様に、
「キャンパスライフ」=「合コン」→「女の子と楽しいゲームで大盛りがあがり」→「お持ち帰りで、いやんその後のことはとてもここには書けない!」。
といった「勝利の方程式」が存在し、ゴールデンウィークにむけて、飲み屋の座興のネタを仕入れたいということらしい。
ゆるいところでは「しりとり」とか、「古今東西」、一時期テレビなどで「人狼」がはやったりしたが、それみたいなものであろう。
学生の合コンねえ。私もこう見えて大学生をやっていた時期もあったので、そういったイベントに参加してみたこともなくはない。
私の時代で飲み屋の座興といえば、まず「牛タンゲーム」や「せんだみつおゲーム」であった。
ちょっと前に流行った「斎藤さんゲーム」みたいなもんだが、あとは定番の「王様ゲーム」。「ポッキーゲーム」ってのもあったなあ。
これはお菓子のポッキーの両端を男女でくわえて、ぽりぽりとかじっていき、最後にチュッとやるかやらないかみたいな、軽薄な遊びである。
いかにノリとはいえ、まともな知性の持ち主なら、ようやりませんよ。ちょっとした試練である。
女の子とキスしそうな状況で試練もなにもないものだが、私にとってはそうだった。昔から、とかくこういったパリピ(当時はまだこんな言葉はなかったけど)なノリは苦手だったのだ。
これとともに人気だったのだが、正式名称は知らないが、「風船運びリレー」みたいなゲーム。
これは大きめの座敷などで、男女がほっぺたを使って風船を両側からはさみ、一緒に走るというもの。
一種の変形二人三脚で、これまたキャッキャ盛り上がること間違いなしだが、これまた自分にはつらかった。
知ってる間柄ならともかく、まだ会って間もない女子と、そんな恥ずかしいことなど日本男児である私が出来るはずもないではないか。
みんなは、まるでここは極楽浄土かというくらいに、楽しそうにはしゃぎまくっているんだけど、こちらがただただ、太宰治のように
「生まれてすいません」
な気分になってしまう。もう、どうしたらいいのやら。
なので、こういうスキンシップ系のゲームがはじまると、こっそりと抜けることが多かった。
じゃあ、最初から行くなよという話だが、当時はなにか、原秀則さんのマンガ『冬物語』なんかの影響で、
「学生というものは、チャラい遊びをしなければならない」
みたいな義務感のようなものがあり、やはり試練というか「修行」のつもりで行っていたのだ。なんの修行なのか。
唯一楽しかったといえば、たまに帰りの駅のホームなんかで、さっきまで飲み会の席にいた女の子と会ったりすること。
「あれ? なんで?」
「二次会どうしたん?」
なんて言い合って、話してみると、私と同じく
「あ、これはアカンやつや」
と逃げてきた子だったりする。
こういう人とは同病合い哀れむで、大いに盛り上がる。別の飲み屋行くか、それとも24時間のファミレスでコーヒーでも飲むかしながら、
「あーいうんは性にあいませんなあ」
「ほんまにねえ」
などと、しみじみと語り合うのだ。このときの、ホッとすることといったら!
なんて思い出もありまして、「彼女にするなら、結婚するなら、どんな女がええ?」というボーイズトークで、みなが
「家庭的な子」
「オシャレでかわいい子」
「イケイケのギャル」
「エロい女に決まってるやろ!」
などと盛り上がる中、ひとり
「一緒に梅の花でも見る茶飲み友達」
などと答えて「おまえには若さがない!」と笑われるのも、もしかしたらこの学生時代の経験があるからかもしれない。
などとボヤいていても、かわいい後輩の要望には応えたことにはならないので、次回はそんな「合コンのゲーム」が苦手だった自分がおススメする、楽しい遊びを紹介してみたい。
(続く→こちら)
「オレと海賊にならへんか」
そんな小学生のような提案をしてきた友人スミヨシ君が、その根拠として出してきたのは、高野秀行さんの『謎の独立国家ソマリランド』という本。
「海賊がどうやって外国の船を捕らえるのか、そういう映像を撮れないかな?」
取材中そう考えた高野さんが現地のスタッフに相談してみると、
「武器とボート自分で用意して、海賊雇ったらええねん」
まさかの「おのれで海賊になれ宣言」。たしかに私も親から「自分のことは自分でしなさい」と教育されたが、ソマリアの地で、
「海賊を取材したければ、自分で海賊をやりなさい」
とは、自己責任がすぎる言いぐさであろう。
だが、ここで「なんでやねん」とならないのが、「辺境作家」高野秀行。むしろ、
「おお、その手があったか!」
とばかりに、ノリノリで話を聞くこととなる。
雇うとなると、先立つものは金だ。予算はいくらくらいになりそうかと問う高野さんに、ソマリアンスタッフたちがあれこれとレクチャーすることには、まず海賊をレストランかカート居酒屋で接待。
「カート」とはソマリアやエチオピアなどで好まれている植物のこと。
現地では精神高揚の作用があると、手軽な嗜好品としてたしなまれている。一応「麻薬」ということらしいが、日本でいう煙草程度のあつかいらしい。
仕事を取るには、なにを置いても接待からというのは、アフリカでも日本でも同じらしい。続いて、氏族の長老や街の有力者に会い、「シマで商売させてもらいます」と、がっちりと根回し。
その期間は2週間くらい。車のレンタル代に宿泊飲食代込みで、ざっと3~4千ドル。
「海賊はだいたい個人でやっている」
とのことで、世間のイメージするような「ビッグ・ボス」もいないことはないが、基本的にはフリーランスか、下請け中小企業的な個人事業らしい。
だれかがマネーを出し、それに実行部隊として三々五々参加。出資者は経費など一切を払う代わりに、身代金は全額もらう。高野さんは、
「まるで日本の漁師の網元だ」
というが、たしかにこうなると、俄然やる気が出てくる。「海賊」と聞くと危なそうだが、網元レベルなら我々だって参加可能だろう。
肝心の経費がいくらかかるのか気になるが、それには色んな方法があるそうで、
「一つ船を乗っ取ってから、それをマザーシップにして、次の船を襲う」
という乱暴なのもあれば、経費を節約したいなら、むしろ
「ボートと兵隊を雇って、シンプルに船を一隻襲う」
という基本的なかたちがいいとのこと。
人員はどれくらいかといえば、オーソドックスなところで行くなら、
「スピードボート一台と、スタッフが7、8人」
ソマリの海賊は情報もGPSやコンパスのような機器もなく、いきあたりばったりで海に出るという。
3、4日ほどただよって、船があればアタック。見つからなければ、いったん戻って1週間ほど休んでから出直し。これをくり返す。
普通は、一月でアタックが2、3回ほど。船を捕まえるまで、やれといえばやるが、その分経費は高くつくのは探偵の浮気調査と同じようなものか。
ボート1台に海賊7人、アタック一回につき6000ドル。3回分として18000ドルが、まず必要となる。
次に武器。「バズーカは3門はいる」ということで、これが1門6000ドル。
高いというなら、レンタルという手もある。コピーやファクスをリースするようなものか。
これなら、一月で2、3000ドル。たしかに、負担はだいぶちがうが、それにしてもバズーカのレンタルなんてどこでするのか。ツタヤかタイムズかといえば、
「重火器はレンタルでやることが多いよ」
とのこと。その世界では、けっこうあたり前のことらしい。
マシンガンもリースで1挺5000ドル。あとはAK47(カラシニコフ)だが、
「そんなものは海賊ならだれでも持っている」
らしいから用意しなくてもいいとか。
バズーカ1門レンタルで3000ドル、3門で9000ドル。マシンガン5000ドルで計14000ドル。
あとの経費は、スタッフが本物の海賊(!)にたずねてみたところ(しかもホテルの隣の部屋に滞在していた)、
「アタック中の経費も全額こっち持ち」
ガソリン代、食費、カート、それに酒。船酔い防止に酔っぱらうらしい。
それに弾代。これがざっと4000ドルと、ガソリン代もいる。あとは一月分の生活費。「拘束時間」で計算するそうだ。
初期経費はこんなもん。オプションで「撮影したい」場合「方法は三つ」。
「海賊に撮らせる」
「仲のいい現地スタッフを連れていく」
「別カメラマンを用意(海賊の街の結婚式を撮るような人)だと1万ドル」
通訳も必要。英語の。
人質や船のオーナーと、身代金の交渉を。海賊は英語ができないため、彼ら専門の通訳がいる。身代金の8パーセントが相場。
身代金は「積み荷の種類」による。オーナーや会社、国籍は関係ない。ベストは石油で、最悪なのは服や食器などの日用品。あと、海賊は人質を傷つけないとか。大事なのは金で、必要以上の暴力はいらないということか。
身代金の平均は100万ドル。オーナーにヘリを雇わせ、それを乗っ取った船の上に落とす。
身代金はすべて手に入るわけではない。地元の有力者に、ちゃんと分ける。相場は身代金の40~50%で、あとは交渉次第。
以上のあれこれをまとめてみると、仮に売り上げを1億円として(1ドル=100円)、
■初期費用。
海賊の街での根回し費用 40万円
ボート代と海賊の日当 180万円
アタック期間の諸経費 40万円
武器レンタル代 140万円
カメラマン代 100万円
★小計 500万円
□成功報酬
通訳代(売上の8%) 800万円
スタッフの取り分 500万円
現地氏族の長老および有力者の取り分(売上の40%) 4000万円
★小計 5800万円
◆ 合計 5800万円 ◇差引残高(利益) 4200万円
ボーナスとして、映像を名前を出さずBBCかCNNに売れば、100万か200万で買ってくれる。スタッフが、エージェントとしてやってくれる。
その代わり、5万ドルもらって、そいつはソマリアをはなれヨーロッパにわたる。そういう海賊も多いとか。
いかがであろうか、この整然かつ実用的な見積もりの数々は。
500万の投資で、成功すれば4000万円弱のバックがあって、うまくいけばさらにボーナスもあり。
なるほど、こう数字ではじき出されると説得力もある。というか、実際にソマリアではこれでビジネスをしているのだ。安心安定の実績あり。
わが友スミヨシ君は、これを見ての「オレと海賊やろう」なのだ。そんな子供じみた冒険のノリではない。これはれっきとしたビジネスなのだ。
「ソマリアで一旗揚げたい!」という方は、ぜひ『謎の独立国家ソマリランド』を手に、スミヨシ君までご連絡を。私は船酔いする体質なので、今回はご遠慮します。
飲み屋で、唐突にそんなことを言いだしたのは友人スミヨシ君であった。
海賊のバイト。いきなり意味不明だ。
ふつう、バイトといえばコンビニとかマクドナルドとか、お金が欲しいなら肉体労働とかが相場ではないのか。
そういえば彼は昔、9.11のテロのあとオサマ・ビンラディンが賞金首に指定されたニュースを見て、
「シャロン君、いいバイト見つけたぞ。オレと一緒にビンラディン探しに行こう!」
などと誘ってきた男であった。
どういう仕事観なのか。それはアルバイトではないだろう。どう見たって「プロ」の仕事だ。
そこを今回は海賊。おおかた『ONE PIECE』か『天空の城ラピュタ』の影響でも受けたのかと問うならば、
「なに言うてるねん。キミが貸してくれたソマリアの本に書いてあったんやがな」
そう言われて「あー」となった。先日、「なんか、おもしろい本貸して」という友に、高野秀行さんの『謎の独立国家ソマリランド』を渡したのだが、それに感化されたらしい。
高野秀行。「辺境作家」として、コンゴに怪獣を探しに行ったり、ゴールデントライアングルでアヘンを栽培したりという、破天荒な取材からのオモシロ本の数々で、読書ファンには有名なお人。
最近ではテレビ番組「クレイジージャーニー」で一般にも知られるようになったが、『ソマリランド』は、そんな高野さんが、
「世界でもっともデンジャラスな地域」
と呼ばれるソマリアに出向き、その独特すぎる体制や文化について語ったもの。
第35回講談社ノンフィクション賞を受賞した、メチャクチャにおもしろい一冊なのであるが、やはり楽しく読んだスミヨシ君はもう感動しまくり、バリバリに影響を受けたらしいのだ。
そこで友は、
「この本はすごいなあ。おもろいうえに、実用的や。なんちゅうても、『海賊の見積書』がちゃんと書いてあるもん。これさえあったら、ソマリアで海賊行為ができるんや。今度のゴールデンウィークにでも、ソマリア行って、やろうぜ!」。
けっこうなこと、ガチな目でそんなことをおっしゃる。
いや、たしかにそうなのである。高野さんは本の中で、ソマリアの文化風習言語など、日本(および西欧列強の文化)とはまったくちがった価値観をあぶり出し、その特異性をわかりやすく説明してくれるのだが、そこに
「海賊とは、本当のところなんなのか」
という、根本的な問いにも果敢に挑むのであった。
たしかに一口に海賊といっても、平和ボケ日本人にはいまひとつピンとこないところはある。
今どきスティーブンスの『宝島』みたいな、ドクロの旗をなびかせてラム酒を飲むイメージでないことはわかるけど、では今の海賊はどういうものなのか。
どういう人種がやっているのか。「貧困に苦しむ人がやむなく」なのか、それともマフィアのようにシステムがちゃんとあるのか。
それだけで食えるのか、それとも傭兵のように「パートタイム」なのか。男女比は? 実入りはどれくらいなの? 西崎義展さんはかかわっているの?
ニュースでは「海賊対策のため自衛隊が」とかしれっと言ってるけど、その正体は、あらためて考えると謎だらけである。そこで、
「海賊がどうやって外国の船を捕らえるのか、そういう映像を撮れないかな?」
そう考えた高野さんが、同行していた現地スタッフにたずねてみると、
「できるよ」。
との答え。
おお、できるのか。これで海賊のなんたるかが取材できるぞ、とよろこぶ高野さんにスタッフが続けることには、
「タカノ、君が海賊と武器とボートを雇えばいいんだよ」。
へ? 雇う? それってどういうこと?
もしかして、「自分で海賊をやれ」ってことではないかいな?
どうもそういうことらしい。
さすがは、「現地の人と同じように生活」し、そこから取材するスタイルで、現地の人と同じようにアヘンを栽培し、現地の人と同じようにアヘン中毒になった高野さん。
ここでは「現地の人と同じように海賊になれ」とのお誘い。そしてここから、スミヨシ君も感銘を受けた、やり手ビジネスマンも顔負けともいえる怒涛の、
「海賊行為の見積書」
提出となるのである。
(続く→こちら)
前回(→こちら)の続き。
『狼たちの午後』は硬派な社会派に見せかけて、実は上質のコメディーである。
銀行に強盗に入ったはいいが、金はないわ、銀行員のお姉さま方にはなめられるわ、それでいて外に出たらスナイパーにドタマをぶち抜かれそうになったりと、やることなすことズッコケのソニーとサル。
高跳びを画策するも、「ちょうどいい海外の地名が出てこない」というマヌケさも相まって、うまくいかないというのだから、なにをかいわんやだ。
そんなすっとぼけたやりとりの中、外ではソニーの「妻をここに呼べ!」という要求に応えて、交渉担当の警部が連れてきたのが、本妻と二人の子供ではなく、なんとソニーのゲイの恋人レオン。
おいおいソニー、お前そっちやったんかい! 衝撃の展開。
しかも、ソニーとレオンは結婚式まで挙げた夫婦だったのである。ちがう、警部、そっちちがう!
といいたいところであるが、なんとソニーが強盗に入った理由というのが、レオンの性転換手術の費用を工面するためだった、という事実が明らかになる。
くぁあ、ソニー、お前めっちゃええヤツやんけ! 泣かせるわあ。
この事実により、ゲイの人権団体からも支持を受け、ソニーはますます「怒れる若者」としてヒーローに。嗚呼、もうなにがなんだかわからない。
なんとか事態を収拾しようと、FBIが投降を呼びかける。レオンがダメならと、次はソニーのお母ちゃんを呼んでくるが、ママは延々と、
「あんな女と結婚するからあかんねや」
と泣き言をたれ流す。ではと、今度は本妻と電話で話させると、やはり延々と
「あたしがデブだからダメなの?」
ソニーが「黙れ、オレにしゃべらせろ」というのを聞く耳のもたず、ひたすらグチるグチる。もう見ていて
「そら、男にも走りたくなるわな」
同情することしきりである。
ラチがあかないまま、FBIはソニーに直接交渉をする。
「今ならまだ間に合う、2年で出られるぞ」と。
これにはグッと心がゆらぐソニーだが、
「安心しろ、サルは仕留めてやる」
相棒を見捨てることをほのめかされて、「ふざけるな!」と(でも、ちょっと後ろ髪引かれる思いで)それをつっぱねる。
もう、この辺りではソニーに感情移入しまくり。
がんばれソニー、権力の犬なんぞに負けたらアカン! ワシはお前の味方や! アホやけどな! と、すっかりやじうまの一員である。
ラストは人質を楯に空港までなんとか到達するソニーとサルだが、そこで……。
……と、ここからは実際に映画を観て欲しいって、すでに浜村淳なみにストーリーをほとんど語ってしまったが、ここで開放された銀行員のおばさんが、
「サル、飛行機は初めてなんでしょ、お守りをあげるわ」
というシーンが、なんだか泣けるのだよ。
と、ここまでざっと『狼たちの午後』の全容を語ってきたが、どうであろう。脚本的には完全にコメディーである。
一応、実話を元にしているということでシリアスに撮ってあるが、監督がちがえば一字一句書き直すことなく、まんま爆笑コメディーとして撮り直せるであろう。バージョン違いを山ほど作った『ガラスの仮面』の狼少女みたいに。
そしてなによりすばらしいのが、アル・パチーノ演ずるところによるソニー。
もう、見事なくらいな愛すべきスットコだめ兄ちゃんっぷりである。
なんかこう、「いるよなあ、こういうヤツ」と男子にしみじみ思わせる役柄。いいヤツなんだけど、いかんせん直情型でバカ。
でも人情には厚くて、サルみたいな過敏なタイプからも好かれているということは、意外と人望もある。
愛する人のために強盗するなんていう、男気ありすぎなところも熱い。でも、やることはオマヌケ。明らかに運も悪い。ついでにいえば、女運もなさそうだ。
なんちゅうか、全身から「ダメなヤツはなにをやってもダメ」オーラが出ているけど、それでもというか、それゆえにというか、なーんか憎めないんだよなあ。
この『狼たちの午後』は、徹底的にシリアスでありながら、その内実は「人間喜劇」的要素が強く、またその魅力を「愛すべき男」アル・パチーノが支えている。
ラストはハッピーエンドじゃないけど、同じ若者の挫折を描くアメリカン・ニュー・シネマみたいにしめっぽくならないところがよい、良質のボンクラ青年映画である。
私としては大いに気に入ったわけであり、願わくばエンディングテーマは筋肉少女帯の『踊るダメ人間』にしてくれたら、雰囲気もピッタリだったのになあ。
ダメな男を見ると、ついつい守ってあげたくなってしまう困ったお姉さまは必見の一品だ。
いかにも硬派なタイトルに、主演が『ゴッドファーザー』のアル・パチーノ。DVDパッケージの紹介文によると、
「焼けつくような白昼のブルックリンの街の銀行を襲った2人組の強盗と警察の対決を描く。『十二人の怒れる男』を撮った社会派の巨匠シドニー・ルメットによるアカデミー賞六部門ノミネートの傑作!」。
これは一体どんなハードなストーリーが展開されるのかと期待していたのだが、これが見てみてビックリ。
なんと狼な社会派と見せかけて、この映画、思いっきりコメディーだったからである。
というと、おいおいちょっと待て、この作品は実際にニューヨークで起こった銀行強盗事件を題材にしたセミドキュメントのような映画ではないか。
演出もシリアスで、どこにも笑いの要素があるのかという意見はあるかもしれないが、私にはどう見てもコメディー映画にしか見えなかったのである。
事件は夏のニューヨーク、ブルックリンの銀行で起こる。
閉店時間まであと少しという時間帯、3人組の銃を持った男が押し入ってくる。
「手をあげろ!」。
リーダーはアル・パチーノ演ずるソニー。ピストルと猟銃で武装した彼らは、支店長をはじめとする銀行員を人質に取り、金を要求する。
このオープニングからして、これからのハードな2時間を予想させてくれるところだが、あにはからんや。このソニー率いる強盗団というのが、実に場当たり的で頼りないのである。
まず開始数分で、仲間の一人がビビリまくって、
「ソニー、オイラには無理ッスよ」
泣きを入れて、「あとはまかせた」といきなり敵前逃亡。おいおいである。
残されたのはソニーと、その相棒「ベトナム帰りでムショ帰り」、神経症気味のサル。
いきなり一人減ったけど、今さら後に引けないと、パニックを起こしている女性銀行員に銃を突きつけ、金庫を開けさせる。
ところが、有り金を全部詰めろとの要求に差し出されたのは、なんと現金1100ドル。
この支店の金は、すでに全額本店の方に送られてしまった後なのであった。残っていたのは1100ドルと、カウンターにある小銭のみ。
もうここで爆笑である。この導入部、どう見てもシチュエーション・コメディーの冒頭ではないか。
いきなり、なかなかなマヌケっぷりを発揮するソニーたちだが、さらに悪いことに、次の対策を講ずる間もなく、あっという間に警官隊に包囲されることに。
外には武装警官にパトカーにヘリコプター、さらにはFBIまで登場。うかつに外に出ればスナイパーが狙っているという、スットコ強盗団には身にあまる、超マジモードの大歓迎。
億単位の大金をかけているならともかく、小銭程度の強奪でドタマをぶち抜かれてはたまるまい。
あまりのことに呆然となり、頭をかかえるソニー。どう見ても笑うところだ。
しかも、ここからの展開も、シリアスなのに妙にほのぼのしている。
まず、人質のはずの銀行のお姉さまたち。
当初こそ、ライフルを向けられて「キャー」なんて、しおらしく叫んでいたが、ソニーとサルがあまりに頼りないことに完全に気を抜いて、だんだん倦怠になっていく。
のんびり煙草は吸うわ、銃で遊ぶわ、帰りが遅いというダンナに「冷蔵庫のもの温めて食べて」と電話するわと、ひとり気を張って糖尿病の発作を起こす支店長とは対照的に、リラックスしまくり。
そんな「のほほんストックホルム症候群」とでもいうようなのんびりムードの中、金も盗れず進退窮まったソニーは開き直って、海外に高飛びを決意。
警察に逃亡用の飛行機を用意させるが、そのやりとりの中、ソニーが調子にのってアティカ刑務所の暴動(1971年に、劣悪な環境と差別待遇により囚人が起こしたもの。死者も出た)を引き合いに出して、野次馬たちをあおったせいで、いつのまにか彼は民衆の英雄に。外は今でいう「祭り」状態に。
「がんばれ、ソニー!」のコールが鳴りやまないまま、ソニーはサルと逃亡先について相談するが、
「南の国へ飛ぶ、どこがいい」
「……ワイオミング」
「それ、アメリカじゃねーか!」
なんていう漫才のような会話を披露したりと(もちろんサルは大まじめ)、状況の過激さと強盗二人のスットコぶりが、もう見事なコントラストなのである。
(続く→こちら)
後輩の「自炊ってどうやるんスか」との相談に、男のカンタン料理を教えることとなった私。
「料理ができる男子はモテる」などという妄言を一顧だにしない男の中の男である私は、ボンクラ自炊三原則を元に料理を語っていきたい。
非核三原則は「持たず」「作らず」「持ちこませず」だったが、ボンクラ自炊は
「安くて簡単」
「栄養たっぷり」
「味はともかく腹はふくれる」
この三つが原則だ。食材は近所のスーパーで買えるもの。一人暮らしの大敵である野菜不足を安価でおぎない、しかも5分でできる。
前回はどんぶりものを紹介したが、今回は軽くオツマミ。大味な男の料理のアクセントにどうぞ。
1.「ねばねば」
これまた、中島らもさんの本に載っていたもの。今はなくなった近鉄小劇場近くの「川六」という店のメニュー。
納豆、オクラ、山芋をまぜて梅肉を入れて食べる。サッパリして超ヘルシー。ハシが進む。
2.レンジでハマグリ。
東海林さだおさんの本に載っていた、究極に簡単なレシピ。
ハマグリを皿に並べて、電子レンジでチン。
口が開いたらハマグリの塩味だけでいただく。それだけ。
でも、案外ちゃんとした料理みたいに見えるのが不思議。
3.ドイツ風カレーソーセージ。
カレーソーセージといっても日本ではあまりなじみがないかもしれないが、実はドイツ人のひそかなソウルフード。
ベルリンなどでは、トレーラースタンドの屋台で売られている。こっちでいえばコンビニの肉まんみたいなものか。
レシピをネットで検索すると、隠し味にまずスープを作るとかレモンがどうとか書いてあるけど、ボンクラ男子にそのような手間のかかる子とは無縁だ。
ここは、まさにカレーソーセージのルーツをあつかった、ウーヴェ・テム『カレーソーセージをめぐるレーナの物語』を参照し、
「フライパンにカレー粉を少しふりかけ、ケチャップをぶちこみ、かきまぜ、黒コショウを少し加えて」
それを輪切りにしたソーセージに、豪快にぶっかけて食べる。お好みでパンをそえて。
ベルリンっ子みたいに、紙皿に乗せ、プラスチックの楊枝で食べると雰囲気が増す。
ブリュッカー夫人の言うように、冬の寒空にさらされて食べると、なおグッド。
とまあ、ここまで数回、ボンクラ独身貴族による「サルでもできる男の自炊教室」について語ってきたが、長年の経験からして、コスト的にも栄養的にも最強なのが、
「納豆卵かけゴハン」+「レバニラ炒め」
この組み合わせではなかろうか。
レバニラはフライパン洗うのめんどければ、レンジでチン作戦でもいいし(ただしレバに火が通ってるかはちゃんと確認しよう)。
朝はヨーグルトとフルーツで、夜は毎日これを食べておけば、栄養的にも財布的にも、相当に間違いがない。
あと、「一人暮らしは大量にカレーを作って、一週間くらいそれを食べ続ける」という技もあるけど、カレーは洗い物が大変だからなあ。
前回(→こちら)の続き。
後輩の「自炊ってどうやるんスか」との相談に、男のカンタン自炊を教えることとなった私。
ボンクラ自炊三原則は
「安くて簡単」
「栄養たっぷり」
「味はともかく腹がふくれる」
この三つが大事。
前回は超簡単スパゲティーを紹介したが、今回はナベ。
お鍋はいい。野菜や肉もたっぷりで栄養も満点。
安いし、雑炊をすれば動けないくらい満腹するし、作り方もカンタン。
「一人ナベは寂しい」という人もいるが、そこは逆に
「一人だから、具材も選び放題の食べ放題だぜ、ひれ伏せ愚民ども!」
といい方に解釈しよう。めんどうな鍋奉行にわずらわされることもないしね。
最近では鍋スープの素がスーパーなどでいろいろ買えるため、それを開けて具材を煮こめばいいだけだが、ちょっと工夫の変わり種も楽しい。
1.タマゴとトウガラシ鍋
中島らもさんの『明るい悩み相談室』にあったレシピ。
土鍋に鶏のスープを張って、モツと鷹の爪を入れる。
煮立ったらニラとキャベツを大量に放りこみ、溶き卵をこれまたたっぷりと流しこむ。
で、汗だくになりながらハフハフ食べる。栄養の面でも辛さでも、元気が出ること間違いなしのメニュー。
2.鶏そばナベ
鍋に市販の鶏ナベスープを張る。
具は白ネギと大根を細く切って(ピーラーを使うと便利)、鴨肉(鶏肉でも可)と一緒に煮こむ。
あとは40円くらいの安いソバを大量に買ってきて、しゃぶしゃぶみたいに入れてすぐ食べる。
鶏の脂がソバに絡んで美味。用意がカンタンなのがいい。彦摩呂さんが紹介していたものとか。
3.民族の祭典ナベ
旅行や京都関係の本で最近売れっ子の、グレゴリ青山さんのレシピ。バックパッカーにおススメ。
スープはダシの出る乾物ならなんでも。
コンブ、干しエビ、干しシイタケ、レモングラス、ショウガは皮つきのままでOK、これらを適当に。
タレはまず白ゴマを大量にすり、そこに酒、砂糖、塩、味噌、ごま油を好みで入れる。
そこでさらに、旅行中に買ったものの、使うアテもなくキッチンに眠るはめになっていたアジアの調味料を、ここぞとばかりにどっさり投入。
オイスターソース、ナンプラー、五香粉、ガラムマサラ、サンバル、コチュジャンなどなど、あとはそれで水炊きをするだけ。
「不思議とまずかったことはない」
「アジアの味がする」
とのことで、冷蔵庫の肥やしになってる調味料を整理するときにいいかもしれない。
あとわが家ではよく「蒸しブタもやし」を食べるのだが、鍋を出すのがめんどくさいときは、豚肉ともやしを皿にのせチンするだけでもOK。
塩コショウかポン酢でいただきます。基本的に、温野菜系はレンジでできるから楽ですね。
(ご飯&パン編に続く→こちら)
「自炊って、どうやったらいいんスかね」
そんな相談をしてきたのは、後輩ミズハイ君であった。
彼は一月ほど前から、一人暮らしをはじめたのだが、掃除や洗濯など、なれない家事にとまどっているという。
中でも食事は、毎日のことで悩みどころ。
料理はめんどいけど、外食やコンビニ弁当ばかりは金がかかるし、栄養も偏って良くないことも多い。
そこで自炊ビギナーでも、簡単に作れるメニューはないものかと、独り暮らし歴だけはムダに長い独身貴族の私に問うてきたわけだ。合言葉は、
「安くて簡単」
「栄養たっぷり」
「味はともかく、腹はふくれる」
この3つである。
まずはスパゲティから紹介しよう。
パスタ類はカンタンに作れて、具材もシンプルなミートソースから納豆に明太子といった和のテイストもあり、バラエティーも豊か。
しかも、見た目もそこそこで、工夫次第では女の子にも、ごちそうできたりするから、なかなか使いでのある奴なのだ。
☆レシピ1 ナスのピリ辛パスタ。
フライパンにオリーブオイルを入れ、切ったナスを豆板醤でいため、そこにゆでた麺を放りこんでまぜるだけ。
SF作家である、田中啓文さんのホームページで紹介されていたスパ。
むちゃくちゃカンタンにできるが、ナスにオイルと豆板醤がしみこんで食欲をそそる。
田中さん曰く
「ベーコンやアスパラなどを入れてもうまいけど、そのままで充分」
とのことだが、栄養を考えると野菜をもっといれてもよいかもだ。
★レシピ2.『週刊文春』流トマトパスタ。
将棋のプロ棋士である先崎学九段が、自身連載もしていた『週刊文春』の記事を参考に作ったスパゲティ。
フライパンにオリーブオイルを大量に入れ、唐辛子とニンニクを弱火で炒め、具材をテキトー(ここポイント)に入れる。
そこにお湯とトマトジュースを放りこむ。
煮立ったら麺をインして、あとはお好みで味を足してできあがり。
ソースが麺に、しみこみやすくて、おいしい。
先崎流では
「キノコをポン酢しょうゆで味付けして、大根おろしと、カイワレを大量にそえたもの」
もあるという。
このレシピのすばらしいところは、女子ウケもねらえるかもというところ。
なんといっても、先チャンの報告によれば奥様の穂坂繭三段もまた
「くやしいけど、おいしい」
と、うなったという。
女性の、しかも負けず嫌いが基本である棋士という職業の穂坂三段(こちらは囲碁のプロ)が認めたのだから、これは本物であろう。お試しあれ。
かようにスパゲティーは簡単、安価、腹がふくれるという意味では相当に優秀な食い物だが、唯一の弱点が
「ゆで時間が長い」
鍋に入れて10分とか、どんなスローライフなのか。待てるかい!
食品会社は宇宙刑事ギャバンの蒸着のごとく、0,05秒でゆであがるパスタを早く開発してほしいものだ。
(鍋編に続く→こちら)
前回(→こちら)に続いて、替え歌の話。
替え歌というのは楽しいが、同時に呪縛力もすごい。
一度でも変な歌詞がインプットされてしまうと、もう元の歌詞では歌えなくなってしまうこともあり、注意が必要だ。
フランツ・シューベルトの「軍隊行進曲」が、ファミコンゲーム『チャレンジャー』の一面のBGMにしか聞こえなくなったり。
日本中で愛される「たぬきのきんたま」が、実のところ元ネタは荘厳な宗教音楽だったりと、一度すりこまれてしまったら、もう
「あのころの自分には戻れない」
そこで前回、ベートーヴェンの第九と、カップうどん「どん兵衛」のコラボ(?)について語ったが、もうひとつ強烈な印象を残した替え歌というのがコレ。
「ロッキーのテーマ」
『ロッキー』といえば、今さら説明するまでもなく、シルベスター・スタローン主演の映画。
無名のボクサーくずれであるロッキーが、再起をかけて戦うストーリーもさることながら、この作品を後世に残す要素に、あのテーマソングがある(→こちら)。
パパーパー、パパーパー。
名曲であり、ボクサーのみならず、気合いを入れるために聴く映画の曲としては、『地獄の黙示録』のヴァーグナーと双璧を為すであろう。
ちなみに私はヴァーグナー派。ボンクラはなぜかヴァーグナーが好き。パンパパパーパーパンパパパー。
そんな名曲ロッキーだが、はじめてこの曲と出会ったのは、映画ではなく、おもしろコントであったところが不幸のはじまり。
大阪で年末に放映していた『朝まで働けダウンタウン』という番組で、今田耕司さんと東野幸治さんが組んでコントをするというコーナーがあったんだけど、その「Wコージ」が披露したネタというのが、「ロッキーのテーマ」。
そこで二人は、合唱隊の皆さんとともに、あの名曲を替え歌にするのだが、その歌詞というのが、
エイドリアンはブサイク
いつも毛糸の帽子
だけど彼女はフランシス・コッポラの妹
それでもヒロイン
ロッキーの恋人
そんな彼女はフランシス・コッポラの妹
Youtubeなどでも、残念ながら見つからなかったんだけど、これがもう、はじめて聴いたとき、腹をかかえて笑ってしまった。
これは、実際に耳にしてみないと、なかなか、わからないかもしれない。
だまされたと思ってみなさまも、ロッキーのテーマにのせて、何回か歌ってみてください。そのメロディーとのハマりっぷりがわかります。
エイドリアンはブサイク、いつも毛糸の帽子、「ほっといたれよ」という話である。
まあたしかに、あのタリア・シャイアの貧乏くさ……もとい生活感あふれる雰囲気があるからこそ、あの「エイドリアーン!」というギャグも生きるわけだが(あれはギャグじゃないって)。
さらに悪かったのが、これに大ウケした私だけでなかったこと。
クラスの悪友たちも、やはりこの替え歌に爆笑し、
「おい、年末のダウンタウン見たか」
「今田東野のコント、めっちゃ笑ったなあ」
などと報告しあい、冬休み中、遊びに行くといえば皆で
「えいどりあんは~」
と歌いまくったのである。インプリンティング完了。
こうなると、もうオチはおわかりであろう。
私が映画にハマって、洋の東西を問わず見まくることになるのは20歳くらいのことであったが、その中にもちろんのこと、『ロッキー』も存在した。
本来なら、『ロッキー』はそのハングリーさからいって、島本和彦『アオイホノオ』のモユル君のごとく、男の燃える魂を、ガンガンと打つはずであった。
嗚呼、だがあにはからんや。私の脳には、すでにあの替え歌がインプットされている。
おかげで、ロッキーのロードワークのシーンも、リング上で見せる不屈の闘志も、
「そこや、ロッキー、がんばらんかい!」
感情がグッと高ぶった瞬間、頭の中に流れるのは
「えいどりあんは~ぶさいく~」
これでは、どんな感動的なシーンも腰砕けである。
ロッキーとエイドリアンの、素朴で不器用な愛のシーンでも、
「いつも~けいとのぼ~し~」
だめだあ! 全然感動できない。もうトホホのホである。
かくのごとく、私は替え歌の影響力により、一本の映画から感動を奪われた。まさに「映画が盗まれている」。
もしかしたら、ここをお読みの方の中には『ロッキー』を未見で、かつ素直にも私の言う通りにあの歌詞を5、6回歌ってしまった、という人がおられるかもしれない。
だとしたら、もうあなたは爆笑することなく、あの映画を観ることはできません。
それほど、この替え歌は強烈。ご愁傷様としかいいようがない。
替え歌のすりこみというのはおそろしい。
人を洗脳し、思うままにあやつろうという試みは、オウムやFBIのMKウルトラ計画などなど様々あったものだが、
「一度とりつかれると、もうその通りにしか行動できず、元の人生に戻れなくなる」
という意味では、ゆかいで、よくできた替え歌というのは、その最たるかもしれない。
最近では『森のくまさん』がどうとか騒動があったけど、『隣組』と『ドリフのビバノン音頭』とか、『太陽戦隊サンバルカン』と『愛國戦隊大日本』など、私の中ではすでに「本家越え」されていると言っていい。
映画『戦場に架ける橋』で有名な『ボギー大佐』を、
「サル、ゴリラ、チンパンジー」
この歌詞で歌うなど、だれが最初に考えたのかわからないが、もはや「天才の仕事だ」と感嘆するしかなく、今さら
「元の歌詞はこんなんやで」
と持ってこられても困るくらいだ。
かように、強烈な「すりこみ力」を持つ替え歌が、「洗脳」を主目的とするCMで使われるのは必然というもの。
私も数々の名作替え歌で、「元歌詞クラッシュ」の憂き目にあった。
古い話で恐縮だが、私の世代だと『藁の中の七面鳥』はすべて、
「あっらこんなーとっころに牛肉が、たまねーぎーたまねぎあったわね」
としか歌えなくなる(そんなCMがあったんです→こちら)。
この曲を聞くと、運動会のフォークダンスではなく、ハッシュドビーフが食べたくなるのだ。
そのインパクトたるや、なぜか桜玉吉さんがマンガの中で頻出させたくらいのもので、今考えると、なにかこう絶妙に「イラッとさせる」要素があったらしい。
学校などで訊くと、
「あのCМ、なんかムカつくよな」
という声もよく聞いたし、当時のボキャブラリーからしても、
「そもそも、ハッシュドビーフってなんやねん!」
というつっこみも入るところだ。
下町育ちのガキに、横文字のメシといえばカレーかラーメンくらいなのである。
まあ、悪名は無名に勝るという意味では、これだけ視聴者の心をザワザワさせた、ハウス食品のヒット作といえるかもしれない。
食べ物関係でいえば、ベートーヴェンの交響曲第9番ニ短調もアウトだ。
俗に「歓喜の歌」といわれるアレだが、この曲にはじめて接したのが、1万人の第九とかではなく、これがどん兵衛のCM。
今だと、このCMといえば思い浮かぶのは上戸彩さんか、あるいはスマップの中居君といったところだが、私が子供のころといえば、山城新伍さんと川谷拓三さんでおなじみだった。
年末になると、年越しそば販売を見越して、けっこうどん兵衛のCMを見ることとなるのだが、そこで流れるのが歓喜の歌。
新伍&拓三が、合唱団を引き連れて歌う、その歌詞というのが、
「仕事納めだ正月近い みんなで楽しく天ぷらそば食べよう」
これが、歓喜の歌のメロディーに合わせて流れてくる(→こちら)。
これを毎年聞かされた私は、この曲といえば
「フロイデ、シェーネー、ゲッテルフンケン」
ではなく、
「しーごとおさめーだ」。
だれがなんといおうと、そうなってしまう。
学生時代、私はドイツ文学が専攻だったので、ベートーヴェンというよりシラーの詩としてこれを暗記したが、そんな自分でも、暗唱しながら脳内に流れるのはやはり、すべての人が兄弟にどうたらとかではなく、どん兵衛なのだ。
さあ、みんなも歌ってみよう。しーごとおさめーはー。
もう、あなたは、あの時代には戻れない。
のちに、この曲を再ブレイク(?)させる『新世紀エヴァンゲリオン』の第弐拾四話において碇シンジ君が、
「カヲル君、キミが何をいってるのかわからないよ!」
悲鳴を上げていたけど、私にははっきりと、あのメロディーとともにカヲル君が、
「楽しく天ぷらそばを食べよう」
と言っていることは、わかるのである。
(「ロッキーのテーマ」の替え歌編に続く→こちら)