「仕事の話は、すべて英語ですること」。
少し前の話だが、楽天やユニクロが社員に、そのようなことを義務づけたというニュースがあった。
なんでも、
「コミュニケーションを英語にすることで、本社を国際化する」
ということらしく、社員は会議も、書類も、メールも、すべて英語を使ってやりとりしなければならないという。
その規則を破ったものは、水責め、鞭打ち、営巣入り、他にも好きな女子の名前強制告白などの刑に科せられるといわれている(推測)。
そんな、企業内英語公用語化については、賛否両論あって、
「そこまでやるか。しかも2年で交渉から書類作成まですべての業務ができへんとクビって、大変すぎるで」
という意見もあれば、
「国際化を目指すには、これくらいやらんとアカンのや。英語ができひん企業人は負け犬ロードまっしぐら。オマエはそうなりたいんか?」
という人もいる。
個人的には、いい悪いはともかく、英語をマスターするのに有効な、ひとつの方法ではあるとは思う。
私も元外国語学習経験者(ドイツ語)なので、
「語学の勉強には『その言語を使うしかない環境に身を置く』のが一番」
というメソッドは、理解できるところはあるから。
「しゃべれないと死ぬ」状況だと、どんなボンクラでも、語学くらい出来るようになるもんです。
もちろん、効果がMAXな分、ストレスもMAX級なので、決してオススメというわけではない。
留学やワーキングホリデーで外国に行って、英語が身につかないまま帰ってくる人は、能力よりも、この苦しさに耐えかねるからなのだ。
このように、今日もまた日本人は民族的永遠の病であろう英語コンプレックス克服に血道を上げているわけだが、こういう話を聞くと、国際化とかいうと、なにかと英語ばかりが取り上げられるのが、なんとなくしゃくに障るところはある。
なんで、英語ばっか、こんなにクローズアップされるんやろ。
だいたいなんで世界でそこそこ英語が話されているかといえば、別に英語がすぐれた言語だからでもなんでもなく、大英帝国やUSAなど帝国主義国家が各地で戦争したり、植民地作りまくった結果のシロモノ。
なので、こちとら「しょうがなく」学んでやっているのに(私は学んでませんが)、それをしれっと、
「英語は世界の公用語」
なんて言われると、我々のような「チーム第二外国語」は業腹だ。
戦勝国だからって、えらそうにすんじゃねえよと。
それに、あんまし英語だけに特化されると、国際問題からビジネス、文化芸術まで、なにをするにも英語圏の奴らが有利すぎるというころもある。
もちろん「世界共通語」があると便利だけど、これはあまりに不公平すぎるのではないか。
その不公平感を無くすために、あえて
「英語以外の第三者的共通語」
を作るなりしてほしいものだとは、非英語圏の日本人としては、いつも思う(エスペラントはやはり欧米圏に有利なので不可)。
どこかの50人くらいしか使っていない少数民族のマイナー言語を「共通語」として採用するか。
できれば、文法や発音、表記の仕方なども、かなり簡略なものを選んで。
いわば、ホームとアウェーの有利不利を無くすために中立の日本でやっていたトヨタカップみたいなもので、言語でも、そういった偏りをなくしてほしいもの。
こうすれば、世界人類全員が「ヨーイ、ドン」で一から学ぶわけで公平だし、簡単な言語を採用すれば、少ない労力で教育できるから共通語普及率もアップするだろう。
また日本語にある「日本人にしかわからないニュアンス」みたいな、言語的齟齬も少なくなり、世界的コミュニケーションも、多少はスムーズになるではないか。
非英語人の自分は、「ユニクロ事件」からこんなことを考えるのだが、まあ無理だよなあ。
英語ネイティブが今さら「言語的既得権」を手放すはずないもんなあ。
ぶつぶつ。
そういってぼやいていると、ある日「辺境作家」の高野秀行さんが、自身のブログでこのニュースを取り上げておられた。
高野さん曰く、
「(楽天やユニクロは)《日本だけの会社じゃないから》と言ってるけど、それだったら英語じゃなくてもいいじゃん」。
そうだよなあ。
別に英語でもいいけど、英語じゃなくてもいいじゃんってのが、この手のニュースのキモだよなあ。
そこで高野さんは提案する。
英語じゃなくてもいいなら、他にどういう選択肢があるのか。
それが、おそらくは、そこいらの英語コンプレックスに凝り固まった識者が思いつかないであろう、ユニークなものだったのである。
(続く→こちら)