『ゆでたまごのリアル超人伝説』はミキサー大帝ファン必読の1冊

2018年08月30日 | オタク・サブカル
 『ゆでたまごのリアル超人伝説』を読む。
 
 子供のころに読んだ、マンガの話は楽しいものである。
 
 私は『北斗の拳』や『ドラゴンボール』に代表されるころの、いわゆる、
 
 
 「ジャンプ黄金時代」
 
 
 に育ったため、必然的に集英社の作品を取り上げることが多くなる。
 
 もちろん、ゆでたまご先生のキン肉マンも愛読しており、その作者の本となれば、やはり気になるのが、ものの道理であろう。
 
 内容的には
 
 
 「キン肉マン制作の流れを、プロレス的視点で語る」
 
 
 当時から、つっこみどころであった御都合主義的な展開(グレート中身が入れかわっても失格にならないとか、王位争奪戦で途中からわっさわっさ助っ人が出場してもOKとか)を、これすべて、
 
 
 「プロレスとはこういうもの」

 「興行的には見事だ」

  「さすがのショーマンシップ」
 
 
 といった、自画自賛のセリフだけで処理してしまうところが、すばらしい。
 
 私自身はプロレスや、格闘技一般に全然興味はないが、こういう
 
 
 「良くも悪くも、うさんくさい」
 
 
 ところがプロレスの、さらには昭和のマンガの味であり、楽しいところであろう。
 
 私がもっとも目をひかれたのが、第3章にある、
 
 
 「ゆでたまごが選ぶ『キン肉マン』ベスト興行12」
 
 
における(「バトル」「マッチ」でなく「興行」であるところがすばらしい)、対マリポーサ戦。
 
 ここでは
 
 
 「キン肉マン史上もっとも悲壮感のある場面」

  「ロビンマスクとテリーマンの行動には胸が熱くなる」
 
 
 といった、ファン的にも盛り上がる話題を取り上げながらも、なぜか妙にクローズアップされるのは、飛翔チームの中堅選手であるミキサー大帝。
 
 ミキサー大帝
 
 下半身は普通の人なのに、上半身がバカでかいミキサーというイカしすぎたフォルムに、「大帝」ときたものだ。
 
 
 
 
       
          こういう大帝
 
 
 
 歴史の時間に、たしか「カール大帝」という偉人がいたのは習った記憶があり、あとはピョートルとかジャングルとか色々いるけど、そこにミキサーを持ってくる感性は秀逸であろう。
 
 大帝というからには、やはり帝国を治めているのか。
 
 「皇帝」の定義は
 
 
 「数ある王国や諸侯をすべる存在」
 
 
 みたいなもんだから、きっと配下に
 
 
 「トースター国王」
 
 「冷蔵庫侯爵」
 
 「電子レンジ首長国連邦の長」
 
 
 なんてのもいるのだろう。
 
 ゆで先生はこの熊本城決戦において、ストーリーの展開上、主人公であるキン肉マン敗退させなければならないことになる。
 
 だが、そこはヒーローのこと。あっさり負けてしまっては、話が盛り上がらない。
 
 そこで、単に負けるのではなく、
 
 
 「すでにホークマン、ミスターVTRという強敵を相手にして、大きく疲労している」

 「ミキサー大帝のパワー分離器によって、伝家の宝刀『火事場のクソ力』を奪われる」

  「それはミキサー大帝一人の手に余るので、邪悪の神々による卑劣な手によって行われる」
 
 
 という3段階のエクスキューズを用意。
 
 ここまでしないと、「キン肉マン敗北!」というショッキングな事実は受け入れられまい。
 
 さすがは名興行師である。たかだか1回戦の中堅戦をあつかうにも、これだけの繊細な配慮を忘れない。
 
 見事な説得力で、まさかのミキサー大帝勝利を描いた先生は、そこからもノリノリで、
 
 
 「怒りに燃え、超人参謀、超人幕僚長という自らの地位を捨てて助太刀にかけつけるロビンとテリー」

  「数あわせに過ぎなかったミート君の、バックドロップによる奇跡の勝利」
 
 
 名シーンを次々と打ち出してくる。
 
 しかも感動的なのが、ここでもゆで先生は、超人に対する配慮をおこたらない。
 
 ミキサー大帝が負けるのは話の展開上、仕方がないにしても、
 
 
 「ただ負けるだけでは、ミキサー大帝のプライドが傷ついてしまう」。
 
 
 ミキサー大帝のプライド
 
 こういっちゃあなんだが、フォルム的にもキャラ的にも「イロモノ」っぽいこの超人の、レスラーとしての誇り見せ場にまで言及するとは。
 
 うーむ、先生のプロレスへのの深さには、心底うならされた。
 
 そこで先生は
 
 
 「キン肉マンが敗れはしたものの、ミキサー大帝のネジをはずしておくというワンポイントを入れることによって、仮に安全パイと思われていたミート君に負けてもののしられずにすむ。

  キン肉マンのかっこよさも際だち、ミート君の勝利も自然な流れに感じられ、敵のプライドも守られる。我々はミキサー大帝にも気を使っているのだ」。
 
 
 なんという深謀遠慮! まさに希代のプロデューサー! 見事なブックである。
 
 今こうして、当時の記憶を呼び覚ましながら、が震えるというものだ。
 
 ミキサー大帝にも気を使っている。なんという秀逸なフレーズであろうか。
 
 私は先生が語るジェロニモサンシャインへの想いよりも、この一行にこそ魂をつかまれた。
 
 もう一度書こう。
 
 
 ミキサー大帝にも気を使っている。
 
 
 何度でも声に出したい、美しい日本語だ。言葉の意味はよくわからんが、とにかくすごい自信。
 
 やはりゆで先生は、日本一のエンターテイナーであるといわざるをえない。
 
 ちなみに私は、王位争奪戦では、テリーマンキング・ザ・100トン戦が、ベストバウトだと思ってます。
 
 
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羽生と谷川 先崎 郷田 佐藤康光 まちがってるのは誰? 第55期名人戦の大パニック その2

2018年08月26日 | 将棋・ポカ ウッカリ トン死

 前回(→こちら)の続き。

 1997年に行われた、第55期名人戦

 その開幕局で、谷川浩司竜王羽生善治名人が、続けてとんでもない手を指し、観戦者たちは騒然となった。

 クライマックスのこの場面。

 先手玉は△67飛成を取られるとおしまいだが、まだ詰まないので「一手スキ」が続けば勝ちが確定。

 


 
 

 そこで▲41銀と打った。

 これがどう見ても「詰めろ」なんだけど、というか、そうじゃなかったら負けだから、先手が選ぶはずがない。

 けど、じゃあ具体的な詰み手順はといえば、これが存外に見えないのだ。

 このときの様子を、当時『将棋世界』に連載を持っていた先崎学六段が描いている。

 まだ若手棋士だった先崎は連盟(プロはなぜか「将棋会館」のことを「連盟」と呼ぶことが多い)で研究しており、現地でも「先手勝ち」といった空気になっていたそうな。

 が、ここでも同じセリフが出る。



 「で、これって詰むの?」


 
 これには先チャンをはじめ、まわりにいた棋士や、棋力に自信のある関係者などもドキッとする。やはり、

 「どう見ても詰みだけど、具体的な順はまだ見えてないから」。

 そこで、じゃあいっちょ詰ましてみんべ、とあれこれいじくりまわすが、やはりなかなか詰まない。

 あれ? 沈みこむ一同。

 手を言うだけなら山ほどある。

 ▲32銀成、△同玉、▲41角、△31玉、▲23桂不成の筋からはじまって、▲32銀成、△同玉に、▲44桂の王手とか。

 △32同玉に、▲23桂成と取って、△同玉▲41馬と飛びこむとか。

 ▲41馬で、▲15桂とか、▲24飛と捨てるとか、どうやってもいけそうだが、最後は後手がしのいでいる。

 まさか……これ本当に詰まないの?

 タブーに触れるような気持になっていたところ、そこにやってきたのが、やはりこのころ、まだバリバリの若手棋士だった郷田真隆六段

 郷田は大盤解説の仕事をしていたのだが、「先手勝ち」のはずが、なかなか詰み手順が見つからず困惑

 休憩時間を利用して、一緒に検討すべく控室にやってきたのだ。

 ▲41銀と、△63飛

 一体、どういうことだ?

 さらにそこに飛びこんできたのが、なんと佐藤康光八段。

 あれ? キミは今日、連盟にいなかったはずだけどと問うならば、佐藤はテレビで観ていて、



 「絶対におかしい。詰むに決まってます」。


 
 やはり疑問を抱いて、なんとわざわざに乗って連盟までやってきたのだ。もう、とんだ大騒動である。

 ここでのポイントは、▲41銀と打った局面で、対局者が谷川と羽生でなかったら、こんな騒ぎにはならなかったろうこと。

 凡百の棋士なら、



 「▲41銀で勝ちだよね」

 「うん。あれ? でもこれ詰むの?」

 「……あー、いろいろやって、詰まないや。じゃあ後手勝ちか。ラッキーだったね」

 「読めてなかったか。でも、これは詰みと思うよね」

 「うん、おどろいたねえ」



 くらいの、詰みありでもなしでも、

 「ちょっとおもしろい局面」

 くらいの話で終わっていたはずなのだ。専門誌で「今月の珍プレー」みたいなコーナーで取り上げられる程度の。

 だが、ここに「谷川浩司」「羽生善治」という両の大ブランドがかかわってくると、ことはそう簡単ではない。

 「ラッキー」「読めてなかった

 こんなことが、2人の将棋で起こるわけがない

 ましてや、羽生は「詰みあり」と判断したからこそ、△63飛を取ったのだ。


 「一目、どうやっても詰み」
       ↓
  「でも、あれこれ試すけど、なぜか詰まない」
       ↓
  「あれ? じゃあ、先手谷川のウッカリ?」
       ↓
  「この不詰を読んで勝つなら、羽生バケモノやん」
       ↓
  「羽生が【詰み】をさける手を指す」
       ↓
  「え? じゃあやっぱ詰んでたってこと? でも、だからその手順は?」


 こういう流れで、こうなるともうなにが正しくて、なにがまちがっているのかサッパリだ。

 「やらかし」てる犯人はだれ?

 先チャンたちが、ムキになるのも理由があった。

 もし、ここで先手に詰みがあるとなると、それすなわち



 「自分たちは谷川と羽生に読み負けていた



 ということになる。

 勝負師というのは、単に対局だけで戦っているのではない。

 ふだんの将棋に関する言動ひとつひとつで、「こいつは強い」「たいしたことない」と格付けし合っている。

 そういう「見えない番付」が、実は勝負に大きな影響を及ぼすのだ。

 ここで谷川が

 

 「先崎、郷田、佐藤康光の思いつかない絶妙手

 

 を用意していて、

 

 「羽生だけが、それに気づいていた」

 

 ということになるなら、それを発見できないことは、自分たちの「格を落としてしまう」ことになる。

 だから、3人とも必死なのだ。

 ▲41銀はウッカリか絶妙手か。

 △63飛もまたウッカリか、それとも自陣の危機を察知した当然の手か。

 間違っているのは谷川か、羽生か、それとも先崎郷田佐藤康光か。

 結論を言うと、ポカをしたのは谷川浩司だった。

 やはり▲41銀は「一手スキ」になってなかった。

 あの場面で、△67飛成と取って、後手勝ちだったのだ。先手は別の順を選ぶべきだった。

 一方、羽生もまた見えてなかった。

 後手玉はしのげていたが、そこに思いがいたらず、観念して馬を取った。

 だが、それは一瞬おとずれた大チャンスを逃した、まさかのボーンヘッドだった。

 なぜこんな「Wウッカリ」が出てしまったのかといえば、まず谷川浩司の側は理解できなくもない。

 だれが見たって▲41銀は決め手級であり、これが詰めろでないなんて、今でも信じられない。

 もちろん、読み抜けがあったのは事実で言い訳できないが、局面を見ればイエス・キリストでもいうだろう。

 

 「これが詰まないと、確信していたものだけが石を投げよ」

 

 一方、羽生の方も同じで▲41銀で詰まないとは思わないだろうし、さらにはここに「谷川ブランド」というものも存在する。

 「光速の寄せ」谷川浩司が、

 

 「どう見ても決め手と言う手をビシリと指してきた」

 

 なら、そら信用してしまうというのは、先日の対高橋道雄戦(→こちら)と同じカラクリ。

 現に、先崎、郷田、佐藤康光といった面々ですら「まさか」と思ったのだから、羽生がそのにハマってしまうことも充分ありえるのだ。

 正解は「どっちもウッカリした」。

 翻弄された他の棋士たちからすると、ポカーンであろう。

 人騒がせな枯れ尾花というか、大山鳴動して鼠一匹とは、まさにこのことではないか。

 とんだドタバタだが、トップ棋士が山ほどそろってこんな、失礼ながら「喜劇的」なことも起こるのかと、たいそう印象深い一局だったのだ。

 ちなみに、シリーズは4勝2敗で谷川が制して「十七世名人」に。

 そう考えると、十七世、十八世、十九世と永世名人シリーズにはどれも「信じられないポカ」が、かかわってることになる。

 このレベルの棋士の、それも若くて充実期にある将棋ですら、とんでもないミスが出るものなのだ。

 そりゃ「逆転のゲーム」と呼ばれるはずであるなあ。



 (絶妙手編に続く→こちら

 (終局後に起こった佐藤康光の悲劇は→こちら

 (「谷川十七世名人」誕生の一局は→こちら

 

 

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羽生と谷川 先崎 郷田 佐藤康光 まちがってるのは誰? 第55期名人戦の大パニック

2018年08月25日 | 将棋・ポカ ウッカリ トン死

 人の指す将棋のおもしろさは「悪手」や「フルえ」にこそある。

 前回(→こちら)は「最年少タイトルホルダー屋敷伸之棋聖」を生んだ塚田泰明九段の大トン死を紹介したが、今回は豪華に、羽生善治谷川浩司のW主演。

 それも、名人戦という大舞台で起こった、とんでもない事件を取り上げたい。

 1997年に行われた、第55期名人戦。

 ときの名人である羽生善治に、谷川浩司が挑戦したシリーズでのこと。

 プロなどのハイレベルな将棋というのは、もうあきれるほどに難解で、特に終盤は「悪手の海」と呼ばれるほど変化が多い。

 けど、対局者が強くて信用されている場合、おかしな手でも

 

 「それが、本当に悪い手かどうか」

 

 が、わかりにくいことがある。

 いわゆる「羽生ブランド」と呼ばれるもので、



 「こんな強い人が、こんな簡単なミスなどするはずがない」



 そう思いこんでしまうからだが、ここに「」がつくブランドが2人いるから、よけいに話がややこしい。

 そこで「え?」という手がどちらからも出ると、なにが起こったのか、わけがわからない、ということになる。

 問題となったのは、開幕局のこの局面。

 後手の羽生が、△85にいた飛車で、▲65を取ったところ。

 


 
 

 

 局面は、ぱっと見、先手が行けそうに見える。

 先手の玉は危なそうだが、まだ、いきなりの詰みはない。

 △67飛成と取られると受けが難しいが、まだ1手の余裕がある。

 なら、ここから後手玉に「詰めろ」の連続で迫れれば勝ちだ。

 で、この後手玉がどうなのかといえば、これがいかにも寄りそうである。

 ▲15が急所に刺さっているし、も左辺の制海権を押さえている。

 銀桂の持駒もあるし、どこかで▲28飛車や、▲46も働いてきそうだ。

 ましてや、指しているのが「光速の寄せ」の谷川浩司竜王。

 鋭い一手で決着をつけるにちがいない。と思われていたところに、▲41銀という手が放たれた。

 

 


 

 この銀打ちは、いかにもという形。

 放っておくと▲32銀成、△同玉、▲41角など、きびしい攻めをねらっている。

 というか、後手玉は詰みそうだ。

 かといって、△63飛と馬をはずして受けに回っても、▲32銀成、△同玉、▲23桂成を△同玉と取れない(▲41角と打って王手飛車)ようでは、とても後手陣はもたない。

 となると、後手に指す手がないことになる。

 手段に窮した羽生は長考に沈むが、果たしていい手はあるのか。

 なさそうだなあ。谷川先勝か。

 これでシリーズはおもしろくなるぞ、なんて、すっかり打ち上げ気分でいると、だれかが、こんなことをつぶやいた。



 「で、これって、どうやって詰むの?」



 いやいや、どうやって詰むのって、どうやっても詰みに決まってるじゃん。

 大盤解説も、控室の声も、われわれ視聴者の、そのすべてがそう思っていた。

 いや、確信していた。

 詰むに決まってる

 だが、みな心の中で、ひそかには感じてもいたのだ。

 じゃあ、具体的にはどういう手順で?

 実を言うと、これがなかなか見えない

 どうやっても詰みそうだが、意外と後手玉にねばりがある。ああやって、こうやって、あれ? なかなかつかまらないぞ。

 なんとなく落語「うなぎ屋」の気分になったところで、場が異様な雰囲気につつまれていることに気がついた。

 あれ? これって詰まないのでは? 少なくとも、自然に追って詰みということはない。

 てことはウッカリ? いや天下の谷川がまさか。

 きっと、みなが気づかない絶妙手を、用意しているにちがいない。

 でも、それってどんな手なの? てゆうか、本当にそんないい手があるの? でも……え? え?

 パニックにおちいるのは当然だ。

 もしここで谷川に錯覚があって、後手玉が詰まないなら、△67飛成と取って後手勝ちになる。

 だとしたら大事件だ。

 てゆうか、これを詰まないと看破して、この順を選んで勝ったら羽生すごすぎない?

 もしかしたら、必殺に見えた▲41銀は、すべてを悟って首を差し出した「形作り」ということなのか。あれが後手勝ちなの? 

 でも、こんなすごい形作りってあるんかいな。これもまた「羽生マジック」か。え? マジで?

 ところが、ここで指された羽生の手が、また驚愕の一手だった。

 なんと△63飛と、を取って受けに回ったのだから。


 (続く→こちら

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将棋 この大トン死がすごい! 「史上最年少タイトルホルダー屋敷伸之」を生んだ塚田泰明のポカ

2018年08月21日 | 将棋・ポカ ウッカリ トン死

 人の指す将棋のおもしろさは「悪手」や「フルえ」にこそある。

 前回(→こちら)は森下卓九段が、名人戦でやってしまった大ポカを紹介したが、今回は

 

 「史上最年少タイトル獲得」

 

 の記録を持つ屋敷伸之九段

 といっても、本日のは正確には屋敷のそれではなく、対戦相手だった塚田泰明九段がやってしまったもの。

 とはいえ、これがまた舞台設定的に「歴史を動かした」感が半端ではなく、今回はその主役を屋敷とさせていただいた。

 屋敷伸之といえば、16歳のときに、三段リーグ1期抜けして四段プロデビュー。

 16歳で四段というのは、それだけでも将来のA級候補だが、なんせ時代は

 羽生善治佐藤康光森内俊之村山聖先崎学

 といった面々が、次々プロ入りして大活躍していたころ。

 スター過多の時代にあって、当初屋敷はまだ「有望な若手の一人」といったあつかいであった。

 そんな屋敷が名をあげるのに、時間はかからなかった。

 1989年後期、第55期棋聖戦で準決勝で塚田泰明八段、挑戦者決定戦では高橋道雄八段

 タイトル経験もある「花の55年組」の実力者を破って、いきなり檜舞台へ。

 初の大舞台でも、中原誠棋聖を相手にフルセットまでもつれこむ健闘を見せ、敗れたものの、その存在を存分にアピールしたのだった。

 これだけでも十分にすごいのに、さらに屋敷がその破格さを見せつけたのが、翌56期棋聖戦。

 ここでも、ふたたび本戦トーナメントをかけ上がり挑決へ。

 相手は前期も戦った塚田泰明だが、ここでも負けては先輩の名が泣くと、屋敷を追いこんでいく。

 

 



 
 
 塚田の玉頭攻めが決まって、屋敷玉は陥落寸前。

 △55△65へのの進出が受けにくく、▲79に質駒もあり、受けるのは難しそうだ。

 絶体絶命の屋敷は▲72桂成と、とりあえず王手する。

 先手がここを「ねらっていた」のか、それとも形作りのつもりだったのか。

 はたまたを手にして、もうひと粘りしたかったのかは不明だが、後手からすると、さほど脅威のない手である。

 われわれでも指すであろう、△同角と取れば、後手玉はまだ安泰。

 一方、先手はやはり危機的状況で、塚田が勝ちだったはず。

 ところが、塚田はこれを△同玉と取ってしまう。

 


 
 

 これが、ありえないオウンゴールで、みなさまもなにが悪いのか考えてみてください。

 そう、むずかしく考えると、かえって思いつかないかも。

 平凡に▲62金と打って、升田幸三流にいえば「オワ」である。

 

 


 


 以下、△82玉、▲71銀、△92玉、▲84桂までで、あまりにもそのままな「並べ詰み」なのだ。

 控室では、△72同玉の瞬間に、

 

 「えーーーーー!!!!!!!」

 

 将棋会館の建物をゆるがすほどの、叫び声が響きわたったという。

 おそらくは、対局室にいた2人にも聞こえるほどの。

 それくらいに、衝撃的な大トン死だった。

 急転直下の終局後、塚田はとんでもない量のをかいていたというが、理解はできる。

 かかっていたのは、タイトル戦の挑戦権なのだ。

 プロの終盤戦というのは難解であり、だからこそ、まさかの▲62金という、俗のうえにもな王手をウッカリしたのだろうか。

 ちなみに、▲72桂成、△同角に▲54歩をとっても、△79飛成詰めろを取る筋があって、後手の攻めは続いていた。

 そこを、この驚愕の大トン死。

 そして、この将棋のなにが歴史的なのかといえば、このポカがなければ屋敷の、

 「史上最年少のタイトル獲得」

 はなかったかもしれないからだ。 

 もちろん、結果は勝ったのだから「それも実力」という声もあろうが、藤井聡太四段誕生が三段リーグのラス前で敗れ、「他力」になったことといい、

 「一瞬、運命が自分の手をはなれた」

 そんな瞬間だったことは間違いない。

 「史上最年少の屋敷棋聖」も、「藤井フィーバー」も、本来ならば

 「彼ら自身の力ではどうしようもない」

 という状況になっていたことはたしかなのだ。

 いかに彼らが強かろうが才能に恵まれようが、このとき歴史は「主人公」になった彼らではなく、塚田泰明や「自力」を手にしていた他の三段たちの手の中にあったのだから。

 運命は自分自身の力で、コントロールできるとはかぎらない。

 だとしたら、人生における「成功」「結果」とはなんなのか。

 もちろんそれは称賛されるべきだが、そのことを世界の「判断基準」にすることは、果たして正しいのか。

 そんなことを考えさせられた、あまりにもすごいトン死だったので、今でも憶えているのだ。


 (羽生と谷川の名人戦編に続く→こちら

 

 (史上最年少タイトルホルダー屋敷棋聖誕生については→こちら
 
 
 

 

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将棋 この大逆転がすごい! 森下卓が名人位を取りそこなった大落手

2018年08月17日 | 将棋・ポカ ウッカリ トン死
 人の指す将棋のおもしろさは「悪手」や「フルえ」にこそある。
 
 前回は丸山忠久が名人戦で見せた、まさかのトン死を紹介したが(→こちら)、今回もまた名人戦でのお話。
 
 世に「将棋界の七不思議」というものがあり、今なら、
 
 
 「渡辺明が、名人戦に出たことがないこと」
 
 「どうして豊島将之ほどの実力者が、長く無冠だったのか」
 
 
 などがあがると思うが、少し前なら
 
 
 「高橋道雄や南芳一など、【花の55年組】が、勢いを失ってしまったのはなぜか」
 
 「棋聖3期の屋敷伸之が、なぜC級1組に14年も停滞したのか」
 
 
 と並んで、
 
 「森下卓がいまだ、タイトル保持者になれていないのはなぜか」
 
 が入ってくるのは間違いない。
 
 森下卓といえば、今では増田康宏六段の師匠として有名だが、若いころはデビュー時から評価が高く、羽生世代の棋士と並んで「名人候補」のひとりであった。
 
 ところが森下は、その棋力と研究熱心さにもかかわらず、妙に勝負弱いところがあった。
 
 新人王戦早指し選手権という大会で、ことごとく決勝で敗れ、
 
 「準優勝男
 
 なる、ありがたくもないニックネーム(本人によると準優勝6回、挑決敗退3回、順位戦の次点2回)を頂戴したりしたこともあったのだ。
 
 そんな森下が、地力を発揮し出したのが1990年
 
 新人王戦決勝で大野八一雄五段に勝って初優勝を飾ると、天王戦では阿部隆五段を破って、全棋士参加棋戦にも優勝(その将棋は→こちら)。
 
 また大型棋戦である全日本プロトーナメント(今の朝日杯)でも、A級棋士の桐山清澄九段に勝ち優勝。
 
 将棋の内容的にも圧倒していて、「森下強し」を思わせた。まさに、殻を破った時期だったのだ。
 
 一方の順位戦では、要所でライバル羽生善治に手痛い目に合ったりもしたが、それでも5年かかったC2以外は、そこそこ順調に昇級していく。
 
 そしてついにたどり着いたA級リーグで、初参加の森下は7勝2敗の好成績を残し、プレーオフでも中原誠永世十段を破って名人挑戦権を獲得。
 
 このときは
 
 
 「羽生と中原の名人戦を見たい」
 
 
 という世論の声も、なんのそので中原を圧倒し、これまた「森下強し」を印象づけた。
 
 そうしてむかえた名人戦。待ち受けるのは因縁の羽生善治名人(竜王・棋聖・王位・王座・棋王)。
 
 順位戦全日プロ決勝でも痛い目にあわされた相手だが、それだけに期するものがあったろう。
 
 充実の森下は、その第1局から全開の指しまわしを見せる。
 
 当時の両者らしい相矢倉から、羽生の攻めを森下はらしい、いかにも重厚な受けで迎え撃つ。
 
 中盤に放たれた2枚の角が躍動し、あっという間に森下勝勢
 
 このままいけば、開幕戦を会心譜、それも後手番での勝利で飾れるという、これ以上ない展開になるはずだった。
 
 クライマックスは、この場面だった。
 
 
 
 

 先手玉は受けのない形で、後手はまだ安全なため、羽生もあきらめていた。
 
 一方、森下は局面的には元気百倍だ。
 
 先手の唯一の望みは上部脱出だから、△95金とでも打って、それを防いでおけばなんの問題もなく、先手は投了していたことだろう。
 
 ところがここで森下は、信じられないような、すっぽ抜けをやらかしてしまう。
 
 
 
 
 
 
 
 上部脱出を防ぐ意思は同じだが、△83桂と打ったのが決め手に見えて、がつくウルトラスーパー大悪手だった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 すっと▲75歩と突いて、悪夢のような大逆転
 
 なんとこの一手で、先手玉にまったく寄りがなくなってしまったのだから、将棋の終盤戦の怖ろしさには、あきれるばかりだ。
 
 △83桂でなく△95金なら、△67飛成、▲同玉、△68角成の詰めろ。
 
 そこで▲75歩と空気穴をあけても、△85金と取って、頭上の重しはどけられない。
 
 どっこい、△83桂▲75歩だと、△67飛成から△68角成▲76玉で、まったく上が抜けている
 
 まさに勝利への脱出。
 
 森下は△95金に、▲35金を取られてダメと読んだそうだが、それには△88飛成1手詰みなのだ!
 
 
 
 
 
 
 一瞬の転落劇に森下も唖然となったろうが、投げるに投げられず△54金と指し続けるも、▲35金から▲68金と、要の攻め駒を次々スイープされ完切れ
 
 この将棋を落とすようでは波には乗れず、森下は1勝4敗のスコアで完敗した。
 
 将棋の充実度を見れば「森下名人」も充分すぎるほどありえる内容だったのに、あまりにも大きすぎた「一手ばったり」だった。
 
 にしてもだ、羽生相手に最終盤まで100点満点、いやそれ以上の150点の将棋を指して、たった一手悪手でおしまいなんて、あんまりといえばあんまりではないか……。
 
 結局、森下は6度タイトル戦に登場したが、一度も勝つことはできなかった。
 
 当時の森下の力を知っているものからすれば、信じられない結果であり、これに関しては「不思議なこともあるもんだ」と、首をひねることしかできないのだった。
 
 
 (屋敷伸之編に続く→こちら
 
 (羽生と森下の血涙の一戦は→こちら
 
 
 
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将棋 この大トン死がすごい! 「激辛流」丸山忠久が名人戦で見せた痛恨の1手 

2018年08月13日 | 将棋・ポカ ウッカリ トン死
 人の指す将棋のおもしろさは「悪手」や「フルえ」にこそある。
 
 前回は羽生だけではない、郷田真隆の「1手トン死」を紹介したが(→こちら)、今回は丸山忠久の大ポカを取り上げたい。
 
 丸山といえば「激辛流」と呼ばれ、俗に「友達をなくす手」といわれる手堅い(でも実は最短の勝ちにつながる)勝ち方を売り物にしている棋士だ。
 
 そんな棋風だと、ポカも少なそうに感じられるが、これが天下のマルちゃんも一度、とんでもないウッカリをやらかしている。
 
 それも、名人戦という大舞台でだ。
 
 
 舞台は2002年度、第60期名人戦。
 
 森内俊之八段戦でのこと。
 
 2年前、佐藤康光を破って初タイトルである名人を獲得した丸山は、次の年も谷川浩司の挑戦を退けて、2連覇を達成していた。
 
 強敵相手に、いずれもフルセットの激戦を制し「丸山名人」の呼び名も確固たるものとなりつつあったが、このシリーズは挑戦者の森内が押し気味で、開幕2連勝を飾る。
 
 ここを落とすと、ほぼおしまいの第3局は、丸山が得意の横歩取りからうまく指し進め、有利に運ぶ。
 
 森内も必死にせまるが、局面は丸山必勝態勢である。
 
 
 
 
 
 
 最後の突撃ともいえる▲72香成
 
 この局面では、自然に△77銀成と取り、▲同馬△85金とでもしておけば、▲65玉△38角くらいで、自玉の危機も緩和しながらの攻めとなり、丸山勝ちだった。
 
 
 
 
 
 
 ところが、丸山は△72同金としてしまう。
 
 これも自然なようだが、なんとこれが名人という大魚を手放してしまう大悪手になるのだから、あまりにもマルちゃんにツキがなかった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ▲71竜と根元のをかっさらって、△同金▲42歩から▲95が生きていて、きれいな詰み
 
 この場面をテレビで観ていた記憶があって、△同金の瞬間「!」となったのを、ぼんやりとおぼえている。
 
 とぼしい棋力ながら、
 
 
 「▲42に歩を打ったら危ないよな」
 
 
 と思っていて、
 
 
 「早く△77銀成とすればいいのに」
 
 
 とも思っていたからだ。
 
 確実に通る手を、一番いいタイミングで指したい、という発想はプロ好みで、「味を残す」なんていう言い方をするが、その本能が結果的に裏目というのは、ままあること。
 
 ただ、それがよりにもよって、ここで出るとは……。
 
 名人戦史上に残る大トン死
 
 森内は続く第4局も制して、初タイトル獲得。
 
 「無冠の帝王」を返上することとなったのだから、大きな一番だった。
 
 
 
 (森下卓編に続く→こちら
 
 (「丸山名人」誕生の一局は→こちら
 
 
 
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将棋 この大トン死がすごい! 郷田真隆も1手トン死を食らってます

2018年08月10日 | 将棋・ポカ ウッカリ トン死
 人の指す将棋のおもしろさは「悪手」や「フルえ」にこそある。
 
 前回(→こちら)は佐藤康光会長の華麗な飛車タダ取られを紹介したが、今回は佐藤と並ぶ実力者である郷田真隆
 
 郷田といえばイメージされるのが
 
 
 「硬派」
 
 「剛直」
 
 
 といった単語で、その将棋の王道ともいえる本格派の棋風にファンは魅了される。
 
 だが、その実力と人気にもかかわらず、郷田はそれに見合った実績を残しているとは正直言い難い。
 
 デビュー時から、タイトル戦の挑戦者決定戦に何度も勝ち上がり、3年目1992年には、棋聖戦2度王位戦で挑戦権を獲得。
 
 その王位戦では、王者谷川浩司から見事にタイトルを奪い取るという、はなれわざを披露している(四段でのタイトル獲得は郷田が唯一。そういえば、これもまた羽生が絶対更新できない記録のひとつだ)。
 
 このころのことを知っている身からすると、本来もっと勝っていていいはずなのだと、強く言いたいわけなのだ。
 
 タイトル獲得通算6期、優勝回数7回はすばらしい実績だが、個人的には、この3倍の数字は軽く超えていても、おかしくないと思っている。
 
 そんな郷田が、なぜにて実績的に少々歯がゆいのかといえば、これは谷川浩司のところでも書いたが「美学派」の棋士は、どうしても勝率面でをしやすいこと。
 
 そしてもうひとつは、あきれるほどに、タイトル戦の挑戦者決定戦での勝率が低いことだろう。
 
 正確な数字はわからないけど、たぶん3割程度。
 
 技術やメンタルに特に問題があるとも思えず、ひそかな将棋界の七不思議のひとつである。 
 
 そんな郷田のポカは、やはり挑戦者決定戦で出たものが有名で1998年第45期王座戦
 
 羽生善治王座への挑戦をかけて、トーナメントの山を勝ち上がってきたのは郷田真隆棋聖谷川浩司竜王
 
 谷川先手で相掛かりになり、きわどい終盤戦に突入。
 
 
 
 寄せ合いの中、谷川が▲83金と打ったのが好手で、ここでは先手が勝ちのように見える。
 
 自玉はまだ安全で、後手は頭金の1手詰が受けにくい。
 
 ところがここで、見事なカウンターがあった。
 
 
 
 
 
 
 △34角と打つのが、郷田の力を見せつけた絶妙の受け。
 
 絶体絶命に見えた後手玉だったが、この角打ちでピッタリ受かっているのだから、その読みの力には恐れ入る。
 
 完全に足の止まった先手は▲72金と活用するが、△41玉と一回逃げて、▲46歩のアヤシイ催促に△51香と打つのが、これまたピッタリの受け第2弾。
 
 
 
 「下段の香に力あり」な上に、これがさっきの△34角とも連動して、がどくと△57香成から詰ますねらいもある攻防の1手なのだ。
 
 快打2発で、これで先手は指しようがなく、谷川はなかば形作りで▲62金と寄った。
 
 
 
 形勢は後手がハッキリ勝ちに。
 
 この場面では、シンプルに△62同飛と金を取ってしまえば、それで決まっていた。
 
 ▲同馬△57香成から、簡単に詰み。
 
 ▲同成桂はそこで△53香と馬を取れば、△42に玉の逃げ道ができ、△34角の利きも絶大で、後手玉に迫る手がない。
 
 一方、先手陣は受けても一手一手だ。
 
 
 △62同飛、▲同成桂としてから、△53香と取る。
 ▲52金、△同角、▲51飛と追っても、△42玉、▲52飛成、△33玉でなにも起こらない。
 
 
 
 ところがこの場面で郷田が選んだのが、とんでもない尻抜けだった。
 
 黙って△53香を取ったのだ。
 
 
 
 
 古い言い草だが、まさにアッと言ったが、この世の別れ。
 
 皆様も、よく見てください。
 
 
 
  なんと▲51金打で、一手詰めではないか!  
 
 指した郷田もあきれたろうが、負けを覚悟していただろう谷川も目を疑ったのではあるまいか。
 
 郷田ファンからすれば頭をかかえるよりないが、ベテラン棋士になった今でも相変わらず竜王戦とか王座戦挑決でバンバン負けており、もう20年近く同じ心配をされている。
 
 たった一手のミスで、あまりにも大きなものを失ってしまうのが、プロ将棋の世界。
 
 郷田ほどの実力者でも大舞台をかけた場面で、こんな負け方をしてしまうこともあるのだから、本当に「将棋に勝つ」というのは大変な作業なのだ。
 
 
 
 (丸山忠久の大トン死編に続く→こちら
 
 (「ここ一番」で苦戦する郷田の苦悩は→こちら
 
 
 
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将棋 この大ポカがすごい! 佐藤康光会長でも飛車をタダで取られます 

2018年08月07日 | 将棋・ポカ ウッカリ トン死

 人の指す将棋のおもしろさは「悪手」や「フルえ」にこそある。

 前回(→こちら)の森内俊之九段に続き、今回はそのライバルである佐藤康光会長となるのが流れであろう。

 と思ったのだが、ここでしばし考えこむことになった。

 はて会長って、大舞台でなんか、やらかしたことあったかしらん。

 いやまあ、佐藤康光九段も人間だから、ウッカリポカもそれなりにあるだろうけど、これがにわかには思いつかない。

 特にタイトル戦などでは、あっただろうか。

 今回のネタは、ほとんど私の記憶だよりだから、思い出せないだけでたぶんあるんあろうけど、出てこない。困った。

 そこで今回のポカは、歴史的というほどではない一品をチョイス。

 ただし、ポカの中身自体は、なかなかに味わい深いですが。

 

 舞台は、2011年棋王戦、対畠山鎮戦。

 後手番佐藤のゴキゲン中飛車から、激しい戦いになったが、畠山有利で最終盤に突入。




 

 クライマックスがこの局面。

 ▲75桂と打って、後手の受けがむずかしそうだが、ここで佐藤が指したのが驚愕の一手。

 

 

 




 

 

 △25飛成

 働きの弱い飛車を成って、▲75プレッシャーをかけたが、これがもう信じられないボーンヘッドだった。

 そう、なんと△25の地点にはが利いているのだ。

 ▲同角成と、タダで飛車を取られてゲームセット。

 まさに、初心者のようなウッカリというか、前回までの羽生や谷川、森内のポカは、手順にちょっとしたひねりがあったり。

 あるいは駒の配置が、錯覚を呼びやすかったりしたゆえのものだが、ここまでストレートなミスは逆にいっそさわやかである。

 畠山鎮も、あまりにあからさまなタダ取りを前に、

 

 「竜を取らないで勝つ手順はないか」

 

 を一応探したそうで、その気持ちもわからなくもないところもある。

 強豪相手に激戦を戦って、勝てそうなところから

 「大暴投でサヨナラ勝ち」

 みたいなことになっては、拍子抜けもはなはだしいだろう。

 特に畠山鎮の場合、性格的にも「わーい、ラッキー」とよろこぶタイプでもなさそう。

 むしろ、最後までやりたかったと、悔しがったのではあるまいか。

 一方、佐藤康光は、もちろん「待った」などできるはずもなく、そのまま投了するしかなかった。

 ポカがなくても、順当に行けば先手が勝ちそうだったことが、せめてものなぐさめであろう。

 昔、芹沢博文九段だったか昭和のベテラン棋士が、



 「矢倉の序盤で、後手が△64角と飛車取りに出る手があるだろ。あのとき、《飛車を逃げないでくれたらな》って真剣に思うことがあるんだ」



 なんて、冗談とも本気ともつかぬ口調で後輩に語ったことがあるとか、本で読んだ記憶があるけど、まさにそんなことが起こったわけだ。

 会長も、笑うしかなかったろうが、ポカに気づいた佐藤の表情も見てみたかった気がする。

 申し訳ないけど、いいリアクションしてそうなんですよね(笑)。


 
 (郷田真隆編に続く→こちら
 

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将棋 この大逆転がすごい! 森内俊之十八世名人をめぐる歴史的大ポカ2題 その2

2018年08月04日 | 将棋・ポカ ウッカリ トン死
 前回(→こちら)の続き。
 
 第65期名人戦で、永世名人の座をかけて挑戦者郷田真隆九段と相まみえる森内俊之名人
 
3勝2敗でむかえた第6局で「王手飛車龍取り」の必殺手を繰り出すなど必勝態勢を築いた森内だったが、最後にとんでもないドラマが待っていた。
 
     何度見てもあざやかな一撃
 
 
 
 その主役は森内ではなく、郷田真隆だった。
 
 「森内十八世名人
 
 の誕生をだれもが確信する中、ほとんど蚊帳の外に追い出されていたはずの、この男だけが、
 
 

 「逆転するとすればこの筋しかないと思って」

 
 
 ひそかにねらっていたのだから、勝負師の魂というのはおそろしい。
 
 自玉が受けなしの郷田は最後の突撃をかけるが、これがどう見ても詰みなどない、いわゆる「思い出王手」に見える。
 
△53香と打ったこの局面。やはり先手の勝ちである。
 
▲55金とでも王手を受けておけば、問題なく「森内俊之十八世名人」のはずだった。
 
 ところがなんと森内は魔に魅入られたように、たったひとつの間違いを選んでしまう。
 
 それこそが、郷田が最後の最後に仕掛けた、周到かつ恐るべきだった。
 
 ここで指された▲47玉が「ココセ」(相手に「ここに指せ」と指令されたかのような悪手のこと)という大落手で、△58角成から追って、△27歩が好手。
 
 
▲同飛なら△33桂で、▲15銀の詰みが消えてピッタリ負けになっている。
 
 
 
 
▲同玉には△36馬▲同玉△35金と強引に飛車をはずして、後手玉は安泰で、先手玉は受けがない形。
 
 一瞬の大逆転で、森内の手からするりと栄冠の座がすべり落ちた。
 
 まさに驚異の展開で、棋譜を見たときはおどろくやら、あきれるやら。
 
 これだけでも唖然なのに、さらにすごいのが、この手痛い敗北から森内は見事にリカバー
 
 大熱戦になった第7局を制して、見事十八世名人になってしまったことだ。
 
 この結果には当時、腰が抜けるほど、おどろかされたもの。
 
 永世名人がかかった一局で、あんな信じられない大まくりを食らって、私だったら、もうまともな状態で最終局など戦えないよ。
 
 そこを、まるで何事もなかったかのように得意の手厚い指しまわしを見せ、大一番を勝ち切った。 
 
 もう十八世名人とかなんとかよりも、その強靭すぎる精神力にシビれたもので、過去のどんな好手妙手よりも「森内強し」を印象づけた出来事だった。
 
 よう勝てるな。バケモンかと、本気でおののきましたよ。
 
 こんな規格外の男、森内俊之が名人の座にいては、羽生の永世名人獲得も相当な難事に思われた。
 
 だが、次の年の名人戦で羽生を挑戦者にむかえた森内は、またも歴史に残る大逆転を食らうこととなる。
 
1勝1敗でむかえた第3局、森内流の腰の重い横綱相撲で中盤から圧倒し、いわゆる「中押し」の形になる。
 
 ただ桂取りを防いだだけの悲しい受けで、いわゆる「プロが絶対指さない」と解説される手だ。
 
 
 羽生も半ばあきらめていたようだが、森内がうまく決めきれずに手こずっていたところに、まさかのポカが出たのだ。
 
 
▲98銀と飛車を詰ましたのが、お手伝い以上の利敵行為
 
 
 
 
 
 
 ポンと桂馬を跳ねた空き王手で、一気の大逆転
 
 この場面、森内は本当に頭をかかえたのだが、たしかにひどいことになっている。
 
 取れそうな王手で逃げられたうえに、打ったはその桂で取られ、殺したはずの飛車も生還している。
 
 攻守所を変え手番が回ってこず、どれだけしたかわからない惨状だ。
 
 正確には、まだ森内に若干勝ち目のある形勢だったようだが(どんだけ大差だったんだ)、流れ的にはそうは思えまい。
 
 貴重な後手番での勝利をものにした羽生が、そのまま押し切って十九世名人に。
 
 これまた、口から泡を吹くほどおどろいたものだ。
 
 前年の第6局はそのあまりの急転直下から、
 
 
 「50年に一度の大逆転」
 
 
 といわれたが、それと同じくらいのものが、連続で起こるとは。
 
 しかもそれが、安定感では棋界随一の、森内俊之による一瞬のエアポケット
 
 さらには、それが「羽生善治十九世名人」誕生につながるんだから、もうなにがなにやら。
 
本因坊秀策との「耳赤の一局」で有名な幻庵因碩は、
 
 

 「碁は運の芸なり」

 
 
 と言い放ったそうで、
 
 「二人零和有限確定完全情報ゲーム
 
 である囲碁や将棋には、厳密にはの要素はないはずだが、こういった理屈ではかれない結末を見ると、なにやら不思議な説得力のようなものが浮かび上がってくるのだ。
 
 
 (佐藤康光編に続く→こちら
 
 
 
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将棋 この大逆転がすごい! 森内俊之十八世名人をめぐる歴史的大ポカ2題 

2018年08月03日 | 将棋・ポカ ウッカリ トン死
 人の指す将棋のおもしろさは「悪手」や「フルえ」にこそある。
 
 前回(→こちら)の谷川浩司九段に続き、今回は永世名人つながりで森内俊之九段に登場していただこう。
 
 平成の将棋界における王者といえば、これはもう異論なく羽生善治だろう。
 
 通算1400勝越え、タイトル99期
 
 通算タイトル数の現役2位が、谷川浩司九段27期なのだから、文句のつけようのない絶対王者である。
 
 だが、そんな羽生にも
 
 「絶対に更新できない記録」
 
 というのがあり、たとえば「最年少タイトルホルダー」(屋敷伸之18歳6か月棋聖獲得、羽生の初タイトルは19歳2か月での竜王獲得)がそれ。
 
 またマニアックなところでは、今はなき「早指し新鋭戦」での優勝なし(その将棋は→こちら)などがあるが、もっとも将棋界をおどろかせ、本人も痛恨だったのが、
 
 「十八世名人の座を、森内俊之にかっさらわれる」
 
 これであろう。
 
 将棋にくわしくない人にとって、羽生善治といえば「羽生名人」の印象が強かったろうが、実は羽生が名人戦を比較的苦手としていたのは、ファンには有名なところ。
 
 たとえば、初めて名人になり、3期目失冠したあとなど、その後6年間も挑戦者になれなかったりした。 
 
 一方、名人戦でめっぽう強かったのが、宿命のライバルである森内だった。
 
 若いころは優勝回数は多いのに、なぜかタイトルに縁がなく
 
 「無冠の帝王
 
 などと呼ばれたこともあったが、名人戦では羽生の永世位獲得を阻止しつつ、着々と「森内名人」の地歩を固めていく。
 
 そうしてむかえた、2007年度、第65期名人戦
 
 羽生と同じく名人獲得4期で、「十八世名人」にリーチをかけた森内が、ついに「羽生越え」に挑む。
 
 挑戦者はこれまた「羽生世代」のライバル郷田真隆九段
 
 この「羽生よりに永世名人」はファンのみならず、当の森内にも微妙な感覚を引き起こしたらしく、そのせいでもないだろうが、開幕2局は郷田が制することに。
 
 だが、そこでくずれないのが森内の強みで、第3局からは立て直して一気の3連勝
 
 とうとう、十八世名人として歴史に名を残すまで、あと1勝に迫る。
 
 運命の第6局は相矢倉から、先手番の森内がリードを奪う。
 
 負ければおしまいの郷田も必死にねばるが、途中なんと王手飛車龍取りという、ゴージャスな大技が決まって先手勝勢。
 
 
 
     
 
 プロ同士の将棋で、ストレートな王手飛車が決まるのもめずらしいのに、しかもそこにさらに「竜取り」までついてくるのだから、なんともレアケース。
 
 まさに永世名人誕生を祝うに、ふさわしい一撃だ。
 
 これは決まった。他のタイトルならまだしも、羽生がまさか永世名人を他の棋士に先んじられるとは……。
 
 ……なんてことは、私は特に名人というタイトルを特別視してないから、あんまし思いはしなかったけど、意外なのは意外だったなあと、それなりに感慨もあって、でも実はここはまだドラマの序章にすぎなかった。
 
 将棋は、もはやおしまいだ。
 
 あとは
 
 
 「いつ投げるか」
 
 「勝者のコメントはどんなものか」
 
 
 終局後の話であり、おそらくは森内も
 
 
 「自分が先でいいのか」
 
 
 という、複雑だった気持ちに整理をつけていたころだったろう。
 
 ところがこの局面、たったひとり違う景色を見ていた男がいた。
 そう、挑戦者の郷田真隆だ。
 
 (続く→こちら
 
 
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