読んで楽しい『トーマス・クック ヨーロッパ鉄道時刻表』

2016年04月20日 | 海外旅行

 『トーマス・クック時刻表』を読むのは楽しい。

 旅行が趣味という人は、様々な場面で

 「嗚呼、旅に出たいなあ」

 旅情をかき立てられるアイテムを持っている。

 昔ならNHK『シルクロード』における喜多郎さんの音楽や、沢木耕太郎さんの『深夜特急』。

 「世界の車窓から」を見るとむずむずする人もいれば、海外ドラマや映画などにあこがれる人もいるだろうが、私の場合はずばり、あの赤い表紙の時刻表なのであった。

 ここで不思議なのは、私は別に鉄道が好きというわけではないこと。

 世にはいわゆる「鉄ちゃん」と呼ばれる人たちがいて、その中でも「時刻表マニア」という人も存在する。

 彼らは日本全国の時刻表を熟読して、

 

 「見事なダイヤグラムだ」

 

 感心したり、一番効率のいいルートを開拓して遊んだり、ときには

 「自作のオリジナル時刻表」

 を作成する濃い人もいるという。

 こういう人にとって、時刻表というのは、キリスト教徒にとっての聖書のように、ひとたび離すことかなわずな必須アイテムだ。

 どっこい、私はそういうわけではない。

 男の子なのに電車どころか車や航空機といった乗り物に、まったくといっていいほど興味がない。


 ところが、この『トーマス・クック時刻表』だけは別なのである。


 大きくて、けっこうかさばるのだが、それでもカバンに押しこんで持っていく。必需品といってもいい。

 そんな『トーマス・クック時刻表』のなにが魅力的なのかといえば、これは正直なところ自分でもよくわからない。

 この本は読む楽しみというのが、まったくといっていいほど、無いアイテムである。

 日本のガイドブックのように、カラー写真が満載だったり、役に立つミニコラムなどが載っているわけでもない。

 そこにあるのは、



 「Wien Hbf 12:40」

 「Praha hlavni 16:30」

 「Budapest keleti 20:15」



 といった、本当に味も素っ気もない文字と数字の並び。

 ぺらぺらの紙に、ひたすらにヨーロッパの列車の時刻表が書いてあるだけ。愛想ゼロ。

 まるで、旧共産圏のサービス業並である。思わず、「やる気があるのか」といいたくなる簡素さなのだ。

 ところが、妙なものでそのシンプルなところが、どうにも旅情をかき立てられる。

 絵的にさみしいところが、かえって想像力を刺激するのだろうか。

 特にあてどもない自由旅行の際には、安宿のベッドに寝転がって、この表を眺めながら明日はあっちにいこうか、次はこっちに行こうかと、あれこれと考えるのは楽しい。

 旅先というのは、昼はいいけど夜は存外に退屈で、時間のつぶしかたに悩まされるが、私の場合、この時刻表を読みこむのが至福の時間であった。

 はじめてヨーロッパを長期旅行したとき、『地球の歩き方』などのガイドブックよりも、よほどこの本の方にお世話になった。

 目的地も決めず、ただ流れのままに旅するという超アバウトな旅程だったけど、不安よりもワクワク感が先立ったのは、おそらくこの本のおかげだ。

 なんといっても、この本さえ持っていれば、ヨーロッパのどこにでも行ける。

 パリからマドリードでも、ブラチスラバからアムステルダムでも、ケルンからチューリヒでも、リスボンからミラノでも、ウィーンからベオグラードへも、ソフィアからアテネでも、ローマからイスタンブールでも。

 どこにいても、次の日には、思いついた場所に行くことができるのだ。

 そう考えると、ヨーロッパというのは広大なようで、意外に狭いことがわかる。

 たとえ西ロンドンから、の果てであるアテネイスタンブールすらも、オリエント急行のルートで、24時間あれば走破することができるのだ。

 地理のややこしい旧ユーゴも、スイス山岳鉄道も(氷河急行ベルニナ特急なんて、名前もシブい)ロシアのシベリア鉄道も、自由自在にあやつれる。

 この一冊のおかげで、私のヨーロッパ初長期旅行は、とてつもない充実のうちに終えることができたのである。

 どこにいても、思いついた土地にすぐに行くことができる。そのことが、なんと軽やかで旅を自由にしてくれることか!

 そんなわけで、私が旅の旅情をかき立てられるのは、『るるぶ』でも『地球の歩き方』でもなく、『トーマス・クックの時刻表』。

 今でも本屋であの赤い背表紙を見ると、なんだかフワフワと落ち着かない気分になる。

 うっかり仕事とかやめて、旅に出そうで困りものだ。



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