『トーマス・クック時刻表』を読むのは楽しい。
旅行が趣味という人は、様々な場面で
「嗚呼、旅に出たいなあ」
旅情をかき立てられるアイテムを持っている。
昔ならNHK『シルクロード』における喜多郎さんの音楽や、沢木耕太郎さんの『深夜特急』。
「世界の車窓から」を見るとむずむずする人もいれば、海外ドラマや映画などにあこがれる人もいるだろうが、私の場合はずばり、あの赤い表紙の時刻表なのであった。
ここで不思議なのは、私は別に鉄道が好きというわけではないこと。
世にはいわゆる「鉄ちゃん」と呼ばれる人たちがいて、その中でも「時刻表マニア」という人も存在する。
彼らは日本全国の時刻表を熟読して、
「見事なダイヤグラムだ」
感心したり、一番効率のいいルートを開拓して遊んだり、ときには
「自作のオリジナル時刻表」
を作成する濃い人もいるという。
こういう人にとって、時刻表というのは、キリスト教徒にとっての聖書のように、ひとたび離すことかなわずな必須アイテムだ。
どっこい、私はそういうわけではない。
男の子なのに電車どころか車や航空機といった乗り物に、まったくといっていいほど興味がない。
ところが、この『トーマス・クック時刻表』だけは別なのである。
大きくて、けっこうかさばるのだが、それでもカバンに押しこんで持っていく。必需品といってもいい。
そんな『トーマス・クック時刻表』のなにが魅力的なのかといえば、これは正直なところ自分でもよくわからない。
この本は読む楽しみというのが、まったくといっていいほど、無いアイテムである。
日本のガイドブックのように、カラー写真が満載だったり、役に立つミニコラムなどが載っているわけでもない。
そこにあるのは、
「Wien Hbf 12:40」
「Praha hlavni 16:30」
「Budapest keleti 20:15」
といった、本当に味も素っ気もない文字と数字の並び。
ぺらぺらの紙に、ひたすらにヨーロッパの列車の時刻表が書いてあるだけ。愛想ゼロ。
まるで、旧共産圏のサービス業並である。思わず、「やる気があるのか」といいたくなる簡素さなのだ。
ところが、妙なものでそのシンプルなところが、どうにも旅情をかき立てられる。
絵的にさみしいところが、かえって想像力を刺激するのだろうか。
特にあてどもない自由旅行の際には、安宿のベッドに寝転がって、この表を眺めながら明日はあっちにいこうか、次はこっちに行こうかと、あれこれと考えるのは楽しい。
旅先というのは、昼はいいけど夜は存外に退屈で、時間のつぶしかたに悩まされるが、私の場合、この時刻表を読みこむのが至福の時間であった。
はじめてヨーロッパを長期旅行したとき、『地球の歩き方』などのガイドブックよりも、よほどこの本の方にお世話になった。
目的地も決めず、ただ流れのままに旅するという超アバウトな旅程だったけど、不安よりもワクワク感が先立ったのは、おそらくこの本のおかげだ。
なんといっても、この本さえ持っていれば、ヨーロッパのどこにでも行ける。
パリからマドリードでも、ブラチスラバからアムステルダムでも、ケルンからチューリヒでも、リスボンからミラノでも、ウィーンからベオグラードへも、ソフィアからアテネでも、ローマからイスタンブールでも。
どこにいても、次の日には、思いついた場所に行くことができるのだ。
そう考えると、ヨーロッパというのは広大なようで、意外に狭いことがわかる。
たとえ西のロンドンから、東の果てであるアテネやイスタンブールすらも、オリエント急行のルートで、24時間あれば走破することができるのだ。
地理のややこしい旧ユーゴも、スイス山岳鉄道も(氷河急行にベルニナ特急なんて、名前もシブい)ロシアのシベリア鉄道も、自由自在にあやつれる。
この一冊のおかげで、私のヨーロッパ初長期旅行は、とてつもない充実のうちに終えることができたのである。
どこにいても、思いついた土地にすぐに行くことができる。そのことが、なんと軽やかで旅を自由にしてくれることか!
そんなわけで、私が旅の旅情をかき立てられるのは、『るるぶ』でも『地球の歩き方』でもなく、『トーマス・クックの時刻表』。
今でも本屋であの赤い背表紙を見ると、なんだかフワフワと落ち着かない気分になる。
うっかり仕事とかやめて、旅に出そうで困りものだ。