幕末・明治の海外グルメ事情は熊田忠雄『拙者は食えん! サムライ洋食事始』から その2

2016年07月29日 | 

 前回(→こちら)に続いて、熊田忠雄『拙者は食えん! サムライ洋食事始』を読む。

 今の日本人はやたらとグルメだが、江戸末期から明治にかけて、外交留学ではじめて


 「外国のメシ」


 これに接した日本人は、その味に苦戦を強いられた。

 前回のカレーを「きたない」と感じたこともさることながら、特にフランス料理がきびしかったようで、


 「食料の異なりには何分困り申候、何方にても随分美味重ね候得共、多くは獣肉にて、偶々魚肉を交へ候得どもこれまた油に揚げ、野菜至って少なく、たまたま菜の類、出し候てもまた油を加味致し、ボートル塗りつけ候品ゆゑ、一種も口に合候品無之……」(引用者注、一部表記できない漢字を変換しています)



 「ボートル」とはバターのこと。

 要するに、とバターが口に合わず、たまに魚が出てもそれもフライかなにかにしてあって、やはり油物。

 野菜もないし、ちっとも口に合わないッス……と、嘆いているわけだ。
 
 こうした当時の資料の抜粋を見てみると、昔の日本人にとってというのが、いかに重くて胃にしんどい物だったかがよくわかる。

 とにかく、


 「肉と油のにおいが耐えがたい」


 というフレーズが頻出しているのだ。

 中でも、なじみのない「ボートル」には例外なく苦戦しており、皆が皆、乳くさい臭いにやられ、ただでさえ



 「ボソボソで味のないせんべいみたい」



 と酷評されるパンが、さらに


 「ボートルを塗りつけ候品ゆゑ」


 ますます食べられなくなるとグチっている。

 パンにバターが無理となると、たしかに洋食はつらかろう。

 げにおそるべきは、ボートルのフレーバーなのである。

 かろうじておいしく食べられるのは、フルーツかデザートのアイスクリームくらい。

 この両者は比較的、文化的差異なく接せられるのは、なんとなくわかる。

 甘い物は当時は高級品であったから、ありがたがられたろうけど、それ以外は肉も魚も一部例外をのぞいて、すべて全滅

 そんなカルチャーギャップに悩む誇り高き「サムライ」たちは、旅の道中延々と


 「米が食いたい」

 「豆腐が食いたい」

 「沢庵が食いたい」


 故郷の味を、なつかしむ記録を残している。

 さらには、


 「よその食いもんばっかでは体が保たん!」


 とばかりに、船に大量の日本食を積みこんでいく。

 味噌醤油日本酒などは当然として、その他にもたとえば、福沢諭吉ら38名がヨーロッパに渡った際には評議の末、に乗せられることになったのが、


 「椎茸、干瓢、紫薇(サルスベリ)、麩、芋かぶ、切干大根、葛粉、梅干し、浅草海苔、松茸、沢庵、菜漬、玉子、切鯣(するめ)、鮭、鰹節、くわい、里芋、人参、大根、束芋、薩摩芋、山葵、鯵干物、切昆布、若布(わかめ)、唐辛子、白砂糖、鳥芋、蓮根、古生が(生姜)、相鴨、にわとり、籾糠、尾張味噌」


 高級料亭の仕入と見まがうかのような、堂々たる準備である。

 どんだけ乗せるねん、と。

 正直そこまでやるかとあきれるが、それほどに彼らにとって「獣肉」や「ボートル」は耐えがたいものだったのだろう。

 ほとんど、トラウマである。

 一昔前は、日本人が海外に行くと梅干しインスタント味噌汁を大量に持っていって、現地人のみならず日本人からも失笑を買っていたりしたものだが、なんのことはない。

 我々の大先輩も、まったく同じことをやっていたのだ。

 それも、市井の旅行者ではない。

 これから外国に出て、広い世界で日本のために思いっ切り新しい風を浴びてこようという、大志に燃えた男たちが、まずその文化の根幹の食にしてからが

 「バターが食えないから、味噌とか醤油を持っていっていいッスか」



 腰がメチャクチャに引けており、船員から


 「積み荷が多すぎる」


 文句を言われる始末。それでもぎゅうぎゅうに詰めこみたい、日本の食材なのだ。

 我々が日本茶カップ麺を持っていく程度のこと、なにを責められることがありようか。

 今の日本人にとってグルメは旅行中の楽しみだが、昔はかくも大変だったのだ。

 先人の苦労がしのばれるとともに、今の我々はバターフライも全然おいしく食べられるわけで、「慣れ」ってすごいよなあとも思ったものである。






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幕末・明治の海外グルメ事情は熊田忠雄『拙者は食えん! サムライ洋食事始』から

2016年07月28日 | 

 熊田忠雄『拙者は食えん! サムライ洋食事始』を読む。

 日本人の特徴としてよくあげられるのは、


 勤勉

 「を重んじる姿勢」


 最近ならアニメ漫画などがあるが、私が思うにもうひとつ、これがある。



 「なぜか、やたらとグルメ



 日本人は結構いろんな料理を食べるもので、ちょっと駅前など歩くだけでも洋中をはじめ、東南アジアインドなど、様々な国の料理を出す飯屋が、ひしめきあっている。


 それは旅行をするとさらによくわかり、国内はもとより、海外でも日本のツアーガイドブックグルメ欄が、とにかく充実している。

 名所旧跡より、圧倒的に買い物と食事なのだ。

 それに関して、外国の旅行会社やツアーコンダクターが、

 「日本人はあまり世界史に興味がなく、観光をしても寺や遺跡などがピンとこない。だから、そのエネルギーがにむかうのでは」



 そう分析しているのを聞いたことがある。

 それが的を得ているかは別にして、


 「日本人は食べることが好き」


 と外国人も思っていることは、よくわかる声だ。

 では、なぜにて、そしていつごろから、こんな日本人は世界各国料理を(たとえそれが多少日本風にアレンジしているとはいえ)味わうグルメ民族になったのか。

 その「外国のメシ」とファーストコンタクトした日本人の反応を取り上げたのが、この『拙者は食えん! サムライ洋食事始』である。

 日本人が外国の食事、なべても欧米風のパン肉料理に接することとなったのは、ポルトガル人による「日本発見」や長崎の出島

 ここでオランダ料理と接することもあったが、本格的に向き合うことになったのは、江戸末期から明治大正にかけての使節団留学生たち。

 彼らは時に外交のため、時に先進国から学ぶためにに乗って、ヨーロッパやアメリカに旅立った。

 その旅先の料理のみならず、途中に寄港することになるアジア中東の街などでも現地の料理を食したりと、なかなかにバラエティーに富んだグルメを経験しているのた。

 その反応というのは、今の視点から見るとやや意外というか、かんばしくないものが多い。

 たとえば、文久三年(1863年)の江戸幕府による第二回遣欧使節団

 そこでの資料では、船で働くインド人が食べているものについて、こう紹介している。


 「食事の節、脇を見るに、飯の上へトウガラシ細味に致し、芋のどろどろの様な物を掛け、此を手にてまぜ、手にて食す、至ってきたなき人物の者なり」


 もうおわかりであろう。これはカレーのことだ。

 今では日本の国民食ともいえるカレーライスは、初めて見たものにとっては「きたない」食べ物だったのだ。

 たしかにいわれてみれば、カレーの赤黒いルーや、キーマカレーなどのイエローグリーンな色彩は、見なれない者には異様に映るかもしれない。

 ましてそれが彫りが深く、ゆえに日本人にはちょっと怖く見えることもあり、また神秘的なイメージもあるインド人。

 そんな人がで食べている姿というのは、相当にインパクトがあったろう。

 ジーパン刑事のごとくに「なんじゃこりゃあ!」な気持ちになったことは、わからなくもない。

 どんなにうまいものでも、「初めて」のときは腰が引けるものなのだ。


 (続く→こちら



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太宰治『走れメロス』のセリヌンティウスはサンタラの名曲『バニラ』くらい釈然としない その2

2016年07月25日 | 若気の至り
 前回(→こちら)の続き。

 読書感想文が苦手で、書き直しの常習犯であった子供時代の私は太宰治の名作『走れメロス』でも、やらかしてしまった。

 メロスといえば、ラストの

 「きみはまっぱだかじゃないか」

 が恥ずかしくて授業中朗読できなかったというのが、「あるある」ネタに頻出するが、それよりも気になったのが、王様に死刑を言い渡されるところ。

 そもそもメロスは考え足らずというか直情型の人間で、ややはた迷惑なところがある。

 たいして出来ることもないのに王様に「激怒」して、そのまま死刑を宣告される。

 ノープランでなにをやっとるのかという話だが、そこでメロスは

 「死ぬのはしゃあない、けど、どうしても妹の結婚式には出たいから、そこはなんとかしてチョ」

 などと、なにげにドあつかましいことを王にお願いする。

 勝手に城に乗りこんで、反逆者として捕まって、そこで泣いて「結婚式に出たい」。

 それやったら家で余興の練習でもしとけよ! という話だが、これでは王様も

 「よっしゃ。じゃあ、朕がカメラ回すからお祝いコメント撮ってYouTubeにアップしよーぜ!」

 なんてのってくるわけもなく、

 「わかっとるんやで。そんなんいうて逃げるつもりやろ。だれがだまされるかいな、おとといこいやベロベロバーカ」

 しごくまっとうに拒否。

 当然であろう。世の中なめまくりか、メロス。進退窮まった彼はおのれの誠実を示すために、代わってこう提案する。

 「わかった、それなら人質を用意しよう。もし帰ってこなかったら、わたしのかわりに親友のセリヌンティウスを殺してOK!」。

 感動の友情物語だ。これには心の冷たい王様も「おお、それなら許そう」とメロスのいうことを聞き、そこからは涙、また涙……。

 ……て、待て待て待て。納得できるか!

 オレが帰らなかったら友だちを殺してくれ。メロス、なにを言っておるのか。意味不明である。

 もし私がセリヌンティウスの立場だったら、

 「オレの意見は?」

 まずここを確認するし、「いいよな」と肩をたたかれたら、確実に「あかんやろ」と答える。

 なんでおのれの失態で友を命の危険にさらすのか。しかも、それが「結婚式に出たい」というワガママである。

 とどめには、メロスは式で浮かれ、飲み食いしすぎて寝坊。そのせいで遅刻しかけるのだ。こんなヤツ、信用でけるか!

 なんのかのいって、セリヌンティウスは人がいいのか、一応人質を承諾するんだけど、絶対に心からは納得していないのではないか。
 
 「なんか、こんなんホンマの友情とちゃう……」

 私だったら、牢の中で絶対にそう思うだろう。エゴすぎるだろ。こんなバカに命あずけたくないよ!

 この件に関して、なぜメロスがこのような提案をしたのか考えてみると可能性としては、


1「絶対に帰ってくるつもりであった」

2「一応、帰ってくるつもりであったが、友だちの気持ちについては、そんなに気にしなかった」

3「ノリと勢いの産物で、特に深く考えていたわけではない」

4「セリヌンティウスに、なにか含むところがあった」

5「王様もぐるになった壮大なドッキリ大成功」


 あたりが考えられ、個人的には5あたりが正解だと思うけど、先生はどうお考えですかと問うてみたところ、返ってきた答えは「放課後書き直し」の命のみであった。



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太宰治『走れメロス』のセリヌンティウスはサンタラの名曲『バニラ』くらい釈然としない

2016年07月24日 | 若気の至り
 『走れメロス』のセリヌンティウスは、ものすごく釈然としなかったのではないか。

 というのは子供のころからの大いなる疑問であった。

 メロスに限らず古典的名作に親しむきっかけは、たいていが読書感想文である。

 おおよそ通信簿に「かわいげがない」「ひねくれもの」「協調性がない」などと書かれるような生徒は、たいていがこの課題を苦手とするものだが、西の「残念な児童」代表ともいえる私もまた、御多分に漏れずそうであった。

 「課題図書ではなく、好きな本を選んでいいですよ」

 というリベラルな先生相手に、江戸川乱歩『影男』を選び、

 「『殺しアリ』の地下格闘技を覆面姿で観戦するというのは、ブルジョアあるあるなんですね。感動しました」

 などと書いて放課後書き直しを命じられたり、石川啄木については、

 「じっと手を見る前に、近所のマクドかコンビニでバイトしたほうがいいと思います」

 などと書いて放課後書き直しを命じられたり、森鴎外の『舞姫』では、

 「これはエリート日本人の、『白人の姉ちゃんコマしたった』自慢です。オレも昔は無茶やっちゃってようとかスカしてる広告代理店のゲスいオヤジみたいで、うらやましいと思いました」

 「この人は偏差値が高いのをいいことに、『ドイツ語をできないという人の気持ちがわからない。あんなものギリシャ語とラテン語ができれば簡単なのに』とか言う鼻持ちならない男です。だれかどついたったらいいのにと思いました」

 「息子が思うよりも出来が悪かったせいで『死なないかな』とかマジいうヒドイ人です。結論としては、森とは絶対に友達になりたくありませんと思いました」

 などと書いて、もうリライト無間ループにおちいる始末。町田町蔵さんではないが、「ほな、どないせえっちゅうねん!」と言いたくなるではないか。

 そんなトンマを尻目に、ほめられているのは

 「主人公の生き方に感動しました。僕もこのような立派な心を持つことが大事だと教わったと思います」

 みたいな、大人に迎合するような文章を書きたれる子供であった。

 読書感想文があれだけの不評にもかかわらず絶対になくならないのは、読解力をきたえるとか、本に親しむようにするとか、そういうことではなく、

 「自分より力のあるやつに意見表明するのとき大事なのは、正直より、媚びることだよ!」

 という、大人になって、とっても役に立つノウハウを教えてくれるからである。

 微分積分なんかより、よほど実戦的学習であるといえよう。これは斎藤美奈子さんの『文章読本さん江』でも記されている真理です。

 そんな「リアルな大人の世界」を学べる読書感想文だが、『走れメロス』でもやらかしてしまったことがあるから困ったものである。


 (続く→こちら




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ティム・バートン『エド・ウッド』はB級映画ファン必見 その2

2016年07月21日 | 映画

 前回(→こちら)の続き。

 ティムバートンの映画『エドウッド』では、

 

 「史上最低の映画監督」

 

 と呼ばれた彼の、そのフリーダムすぎる現場がユーモアたっぷりに描かれている。

 ショボイ特撮、どんなミスがあっても一発OKの気合撮影など、そのハチャメチャぶりを発揮する彼だが、他にも、人手が足りないので、一人の役者を二役三役も使い回す。

 だが、これが役者の個性が強すぎて(そらその役者が元プロレスラーだもんなあ)、すべて同じ人なのがバレバレだったりする。

 たしかに、アニメなんかで人が大勢出てくるシーンなどでは声優さんが足りなくて、達者な人がひとりで三役四役をこなすというのはよくあること。

 とはいえ、普通はメインキャラの人を使っても、一応はわからないように口調を変えたり(といってもベテランさんなどは個性が強いためどうしても見破ってしまうものだが)努力はするものだ。

 そこをエドの場合は、だれがどう見ても使い回しというのがわかる撮り方をする。

 アニメでいえば、『新世紀エヴァンゲリオン』においてシンジ君と綾波アスカミサトさんと指令とペンペン同じ声のようなもので、



 「エド、それはいくらなんでも、やりすぎや!」



 豪快につっこみたくなるのである。

 がないもんだから、スポンサー探しの勢いで「映画に出して」という素人を主演にする。

 足りないカットは、ありもののフィルムをつないで水増し

 ところが、これが全然つながっておらず、そのあまりのシュールな編集に試写した偉いさんをして

 

 「素晴らしいギャグだ!」

 

 間違った感動を呼び起こさしめる。

 怪物着ぐるみミニチュアを作る予算がないから、勝手に倉庫から盗み出して使う。

 しかもそれが壊れていて、役者に



 「その動かないタコと戦う演技をしてくれ」



 などという、シビれるようなムチャぶりを言い放つ。

 やりきれなさにウィスキーをあおり、

 

 「ヘルプ! オー、ヘルプ!」

 

 気合の名演技を披露するヴェラの姿は、ティムのセンス爆発で、この映画の最大の見せ場です。 

 とにかく、どの作品もどの作品も、スタートからラストまで、

 

 「これが本当にプロの仕事か?」

 

 頭の中にハテナがかけめぐる怪作ぞろい。

 なんというのか、「創作読本」みたいなテキストの

 

 「映画監督、これだけはやっちゃダメ」

 

 の章に載ってそうなことを、すべてやるのがエドという男。

 後年、水野晴郎先生(マイク水野)の『シベリア超特急』を見たときに、



 「あー、この映画の現場はきっと、『エド・ウッド』そのままだったんだろうなあ」



 と感じたものであった。笑っていいんだか悪いんだか。

 それを、いかにも全編愛情たっぷりに作りあげたティム・バートン、いい仕事をしてます。

 結論からいうと、これはの映画なんですね。

 エドの映画への愛、ヴェラへの愛、ティムのエドへの愛、B級作品への愛。

 そしてなにより、そんな彼らを生温かい目でもって見てあげる、我々酔狂な映画ファンのひねくれつつも素直な愛。
 
 物語のラストで映画は完成し、恋人を連れてあたかもハッピーエンドのように描かれているが、実際は『プラン9』は大コケし、それ以降エドは制作費にも事欠き、におぼれ若くして死ぬ。
 
 だからこそ、ティムはきらびやかなラストを演出した。

 それは、目一杯幸福感を高めておくからこそ、その後の「見せない」アンハッピーエンドがより際立つという演出であり、同時におそらく乾坤一擲の「ギャグ」でもあった。

 いや、すごいことするよ、ティム・バートン。

 映画史にくわしい人なら、まさに泣き笑いの明るく哀しいラスト。

 A級もB級も、映画を愛する人は必見の名作です。素晴らしいの一言。



 ★スットコ映画の星『プラン9』は→こちらから



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ティム・バートン『エド・ウッド』はB級映画ファン必見

2016年07月20日 | 映画

 『エドウッド』を観る。

 エド・ウッド。

 そう聞くと、マニアックな映画ファンはたいてい静かに、をふくんだ苦笑いのようなものを浮かべる。

 なにをかくそう彼は

 

 「史上最低の映画監督」

 

 として名を馳せる、知る人ぞ知るカルト映画界伝説の男なのであるから。

 そのエドの生涯を追った伝記映画がこの作品。

 監督怪獣B級SFホラーをこよなく愛するスーパーオタク野郎ティムバートン

 このエド・ウッドという人のなにがスゴイといって、とにかく撮る映画撮る映画すべてが超絶的にスットコなのが素敵だ。

 レベル的には、はじめて動画を撮れるカメラを買ってもらった中学生が作った自主フィルムを、さらに10倍くらいひどくした感じ。

 やる気と映画へのは人一倍あるが、その映画人としての才能センス無さは逆方向に一級品

 しかもその内容が、『グレンとグレンダ』のように、



 「オレ、女装が趣味やから、服装倒錯者の映画を撮る!」



 なんて言って、監督に主演までやってしまうようなもの。

 まあ、高校映画サークルなんかには山ほどいるようなタイプだが、こういう人がハリウッドでメガホンを撮るとひどいことになる。

 ただでさえ才能予算も、いいスタッフ役者もないないづくしなのに、それに加えて、エドの撮影はかなりアバウト

 劇中の描写を借りて説明すると、まずセットが安い。

 低予算映画だから仕方がないとはいえ、UFOを出すのに、灰皿を絵の具でに塗って、それをで釣って釣り竿でフラフラと操演

 アダムスキーマイヤーという素朴きわまりないやり方だが、いくら吊り線が特撮の魂だとしても、その動かし方なんかが、あまりにも下手っぴいで、見ている方は目をおおいたくなる。

 お願いやから、もうちょっと、うまくやってくれえ!

 エドのいいかげんな撮影は、技術面だけではない。

 墓場のシーンで、じゅうたんにを敷き詰めて屋外であることをを表現しているのに、それがめくれあがってセット丸出しになっても、



 「観客は、そこまで気にしないよ」



 涼しい顔だけど、いや、気にするよ! めっちゃ気になるよ!

 さらには、役者が素人なもんだから、セリフがゴニョゴニョとくぐもって聞きづらかったりしても、



 「大丈夫、なんとか聞こえるさ」



 OKを出す。役者がに出るとき、うっかりドアにぶつかっても、撮り直しをせず、



 「彼はいつもドアにぶつかるという設定なんだ」



 サクサク進めようとする。

 ああいえばこういう。一休さんか!

 もっともムチャクチャなのが、主演であり、その才能と過去の業績に惚れこんでいるヴェラルゴシの代役。

 エド・ウッド映画のである元怪奇映画の大スター、ヴェラ・ルゴシだが、エドが映画人生をかけて作るはずだった『プラン9フロムアウタースペース』の撮影中に死去してしまう。

 困ったのはエド。親友といっていいヴェラがいなくなった心痛もさることながら、主演俳優がいなくなってしまった。

 ここでエドがとった策は、代役を立てること。

 とはいえ、そう簡単にそっくりさんは見つかるわけもない。なんとか

 

 「目だけが似てなくもないかもね」

 

 というマッサージ師(!)を探し出したエドは、「で行こう!」と決定する。



 「いやいや、これはどう見ても別人や!」



 一斉につっこむスタッフ一同だが、ここでエドの取った起死回生のアイデアは、



 「画面に出ている間、ずっとマントで顔を隠している



 それ、おかしいだろ

 いくら吸血鬼役でマントをはおっているとはいえ、出ている間中それでずーっと鼻から下を見えないように覆う。

 まあ、『死亡遊戯』みたいに映画やドラマの途中で、役者が死んだり役を降りたりして、唐突にキャストが変わって気まずい思いをするというのは、まま起こりうることだ。

 それには、



 なんの説明もせずしれっと別の役者を出して、

《大人の事情なんだよ、わかるよね。つっこまないでよ》

 と観客のやさしさにうったえる。

 

 あるいは、

 

 

 次のシーンや回からなんの説明もなくその人物が存在を「なかったこと」にされ、

 《大人の事情なんだよ、わかるよね。

 つっこまないでよ》

 と観客のやさしさにうったえる



 などといった方法で、なんとか処理をするものだが、そこを



 「顔を手で隠して代役にする」



 とは、素朴すぎるというか、シンプル・イズ・ザ・ベストも、ここに極まれりであろう。

 こうまでやられると、逆につっこむのが野暮に思えてくる。

 なんたってエドの口癖がパーフェクト!」なのだから。

 これだけ見ても、そのハチャメチャぶりというか、

 

 「こんなやつに映画撮らすなよ」

 

 つっこみたくなる自由なエドだが、彼の爆走はまだまだこんなものではないのである。



 (続く→こちら



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『総天然色ウルトラQ』対『怪奇大作戦』対『けいおん!』

2016年07月17日 | おもしろ映像
 前回(→こちら)に続いて『総天然色ウルトラQ』のお話し。

 「岡崎京子さんも『くちびるから散弾銃』で『ウルトラQ』をほめてたよ!」

 ということで、ギャルなどイケイケ女子でもけっこう楽しめる怪獣番組ではないかと紹介した。

 こういう話をしていると、もっとなつかしの怪獣を見たくなってネットで検索してみたら、『ウルトラQ』をネタにしたMAD映像が転がっていた。

 なにげなく見てみたのだが、これがえらいことおもしろいでやんの。

 昔から(それこそネットが普及する前から)、こういうMADは好きだったけど、あまり出来のいいのはそれはそれで困りものだ。

 だって、時間取られちゃうものなあ。あーやめてー、おもしろ映像を次々検索してしまう自分の指が憎い。

 こっちはネットのほかにも映画も見たいしテニスもみたいし、嗚呼、宇月原晴明『安徳天皇漂海記』の続きも早く読みたいんだよー(泣)。

 そんな時間食い虫の特撮MADをいくつかご紹介。

 『ウルトラQ』+『けいおん!』(→こちら

 『怪奇大作戦』+『けいおん!』(→こちら

 かわいらしい絵とおどろおどろしさがマッチしていて良作ぞろい。

 なんて紹介しておいてなんですが、私『けいおん!』は見たことないんです。

  『青春デンデケデケデケ』とか『スクール・オブ・ロック』の女の子版みたいな感じかな。あるいは『ローラーガールズ・ダイアリー』のバンド版とか。

 『アンヴィル! 夢を諦めきれない男たち』だったら、リアルでイヤだなあ。




 ■おまけ 今見てもおもしろい『怪奇大作戦』→こちら







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『総天然色ウルトラQ』と岡崎京子『くちびるから散弾銃』

2016年07月16日 | オタク・サブカル
 前回(→こちら)の続き。

 『総天然色ウルトラQ』が地上波で放送されている。

 現在、関西のKBS京都で毎週土曜日の深夜に放送されているのだが、録画したそれをおせんべいや、かりんとうをいただきながら鑑賞するのが、独身貴族の日曜日の優雅な楽しみだ。

 それにしても、『ウルトラQ』はやはりおもしろい

 大の怪獣ファンである私は、もちろんのこと本家モノクロ版『ウルトラQ』のDVD全巻を保持しているが、このたびカラーバージョンを見てみると、これはこれでいいもの。

 よく保守的な映画ファンは『ローマの休日』や『市民ケーン』といった古典的名作のカラー版が出ると


 「邪道だ!」


 と怒ったりするが、私は全然OKである。

 もちろん着色の出来が悪かったりするのは問題だし、


 ビリー・ワイルダー『お熱いのがお好き』

 アルフレッド・ヒッチコック『サイコ』


 みたいな「あえてモノクロ」な作品なら、まだその意見もわからなくもないけど(まあ、それでも別に色つけてもいいと思いますが)、そんな文句つけるようなことでもないような。


 「カラー版しかなくなる」


 これは困るけど、どっちもあるんだったら、見比べて好きなほうを取ればいいだけだしねえ。

 カラーだろうがモノクロだろうが、「いいものはいい」が本質であろう。

 でもって、あらためて何度も見たはずの『ウルトラQ』を再度色付きで見直しているわけだが、いやあ、やっぱりおもしろいです、これは。

 第1話ゴメスとか、これを一発目に見せられたら子供が食いつかないはずはないと身震いする。

 ナメゴンは超不気味でコワいうえに、現在にも通じる風刺もきいてるし、子供のころは


 「怪獣じゃなくてただのサルじゃん!」


 と不満だったゴローは今見ると切ないし、M1号とか普通に人気出そうなゆるキャラだし、今見ても全然古さを感じさせない。

 まったくの余談だが、『おそ松さん』の一松はあの目を「半目」とか「ジト目」と表現されてたけど、怪獣ファンからいわせればあれは「ギラ目」やね。

 もしくは「ツインテール目」。

 なんて、毎週末は楽しく特撮タイムを満喫しているのだが、『Q』を知らないヤングからすると、


 「それって、思い出補正かかってるんやないの?」


 なんて笑われそうだ。

 いわゆる


 ゴジラの脅威を描いた第一作が一番」

 「ガンダム最初のヤツ以外認めない」


 そういう「オールドファンの偏狭な主張」ではないかと。

 私はリアルタイム世代でなく、レンタルビデオ(DVDじゃないんだよ)で見た口だからそこまで「原理主義」かどうかはわからないが、『ウルトラQ』は今見ても普通に面白いのではないかとは思う。

 そう言い切れるのは、昔、岡崎京子さんの『くちびるから散弾銃』を読んだから。

 バブル時代を舞台に、ちょっとイケイケ女子3人が、しゃべりまくるこのマンガ。

 キャラ的に合ってないのは承知だが、一時期けっこう岡崎京子さんにはハマっていたこともあって愛読していたのだが、その中で『ウルトラQ』が出てきて驚いたもの。

 たしか「夜更かし」がテーマで、


 

 「深夜になにげなくやってる古い映画とかドラマって、つい見ちゃうよねー」



 といった「あるある」ネタの中に、



 「そうそう、『ウルトラQ』とかね」



 というセリフが出てくるのだ。

 ここを読んだとき、思わずを見張ったもの。

 バブル女子特撮なんてというか、モンタギュー家キャピュレット家ナチ共産党並みにそりが合わないと思ってたけど、まさか岡崎マンガで融合を果たすとは思わなかった。

 まさに歴史的和解といえよう。

 へー、岡崎先生『ウルトラQ』とか見はるんやー。

 そう、つまるところ『ウルトラQ』は女子も、しかも文化系趣味など見向きもしない(『くちびるから散弾銃』でも「が好きな男子はキモイ」みたいな話があった)バブル系女子から見ても、それなりにおもしろいわけだ。

 なら、なかなか見る機会のない、この古典を見逃す手はあるまい。

 そう、怪獣に興味ある人もない人も、オタク男子もギャルも、週末は『ウルトラQ』でアンバランスゾーンを堪能しましょう!

 
 
 (『けいおん』『怪奇大作戦』編に続く→こちら



 おまけ ネットで見られるカラー版の第3話(ナメゴン)→こちら

     第16話(ガラモン)は→こちら

     モノクロ版第18話(パゴス)は→こちら

 

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チェンジ、レオパルドン! で失笑を呼ぶ男、スパイダーマン!

2016年07月14日 | おもしろ映像

 前回(→こちら)の続き

 「今の若い者は本物を知らんのやな」。

 そんな嘆き節を発したのは、友人イマフネ君である。

 本物を知らない。

 なるほど、昨今の日本は不景気なせいか、商品でもエンターテイメントでも廉価版がはびこっている印象がある。

 レストランよりもチェーンのハンバーガーや牛丼、お菓子もパティシエの作るケーキよりもコンビニスイーツ。

 映画は名画座ではなくDVDで鑑賞し、エロもアダルトビデオではなく、ネットの無料動画ですませるというありさまだ。

 それが時代であり、まあ悪いとは言わないが、それだけというのも、なにやらさみしい気もする。

 いくらデフレの世の中とはいえ、ときには我々も「本物」を嗜好するのも悪くはあるまい。

 こういうことをいうと、年寄りのグチやら、果ては「老害」認定されるかもしれないが、そこをあえて踏みこむ友は、なかなかに豪気だ。

 そう、人間、批判されても、言うべきことはある。

 まったく、わが友ながら大した男だ。

 で、その大人物イマフネ君がいう、若者に味わってほしい本物とはなんなのか、グルメか、それとも文学音楽のことなのかと問うならば、

 「そらもう、スパイダーマンに決まってるやんけ」

 へ? スパイダーマン? あの今やってるハリウッド版のこと? 

 あれやったら、別にキミがいわんでも、みんな観てはるんちゃうと問うならば、


 「ドアホ! あんなスマートなんが、スパイダーマンなわけないやろ。オレが言うてる『本物』は東映版のヤツや。チェーンジ、レオパルドーン! の方に決まってるやないか!」

 おお、そうか。東映版のヤツか!

 などと言われても、昨今のヤングにはなんのこっちゃかもしれないが、実は我々のような昭和世代にとってスパイダーマンといえばハリウッドではなく東映製作

 アメイジングではなく、レオパルドンなのである。

 おもしろいものはネットではなく、『てれびくん』とか『テレビランド』で情報収集していた時代なのだ。

 かのマーベル・コミックのヒーローであるスパイダーマンは、一度日本で実写化されている。

 でもって、このスパイダーマンというのが、なんとも変というか、日本独特にアレンジされたシロモノ。

 どこがヘンといえば、まあ一言でいえば汗臭いというか、いかにも昭和特撮といった暑苦しさ。

 なんといっても有名なのが、キメポーズと決め台詞。

 やたらとくどい動きと、押しつけがましさ充分の声量で、



「愛のために血を流す男、スパイダーマン!」



 とか、カマしてくるのである。

 はっきりいってうっとうしい。ハリウッド版のような、恋人や家族とのしっとりとしたドラマなど、熱波で吹き飛ばす勢い。

 とにかく熱い。サウナで鍋焼きうどんを食わされている気分だ。

 さらにもうひとつ、この東映版の売りとしてはレオパルドンははずせまい。



 チェーンジ! レオパルドーン! 

 

 との絶叫とともに登場するこの日本オリジナルのメカは、とにかくもう

 「おもちゃ屋の陰謀

 という色が強すぎて、強烈なインパクトを残す。

 アメリカのスタッフが、


 「日本のスパイダーマンはいい作品だ。レオパルドンはアレとして……」

 とコメントしたのは有名な話だが、私もはじめて見たときはマーベルもスパイダーマンのことも、なにも知らなかったのにもかかわらず、

 「こんなんホンマのスパイダーマンやない!

 画面に向かって、つっこんでしまったものだ。

 海の向こうではどう、といった小賢しい知識ではなく、人としての「本能」が言わせた言葉であろう。

 ようは知らんけど、絶対、ホンマはこんなんとちゃう、と。

 この無垢で無知な子供にすら「なんか違う」感バリバリであったレオパルドン。

 なにがどうと説明するのは難しいが、「昭和の業」といったものを感じさせるメカである。

 「みんなが映画館で見るスパイダーマンはカリフォルニアロール。アボカドの寿司もいいけど、やっぱ日本人は本物の握りを食わなアカンのやな」。

 しみじみと、そう語るイマフネ君。

 全体的に論理が二重三重にねじれている気もするけど、言いたいことはわからなくもない。なんか、

 「香港では『出前一丁』が本物のラーメンあつかい」

 みたいなノリであるなあ。

 そんな東映版スパイダーマン。子供のころ観て以来再放送とか全然やってくれないんで、あらためて今回YouTubeで検索したら、やはりいました「本物志向」のファンの人々が。

 で、見直したら予想以上に暑苦しい内容で笑ってしまった。

 ベッキーさんや乙武さんも、このポーズとセリフを拝借して記者会見すれば、けっこう世間もゆるしてくれたような気もするがどうか。




 (『総天然色ウルトラQ』編に続く→こちら


 おまけ 東映版スパイダーマンの活躍は→こちら


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カルト特撮ヒーロー列伝! だれが呼んだか「赤い通り魔」レッドマンの思い出

2016年07月13日 | おもしろ映像
 『レッドマン』が大ブレイクしているという。

 『レッドマン』とはかつて、『おはよう!こどもショー』という子供番組内で放送された、1話5分の特撮ヒーローもの。

 生まれる前に放送されていた番組にもかかわらず、その評判は子供のころから耳に届いていた。

 『ウルトラマン』や『仮面ライダー』にくらべると格段にマイナーな存在であるにもかかわらず、なぜにて実力以上の知名度があったのかと問うならば、一応は名門である円谷プロダクション制作であったことと、その内容のスットコさ。

 低予算のせいであろう、怪獣モノの醍醐味であるミニチュアのビルの破壊シーンなど一切なし。

 なにもない原っぱで、ただただウルトラマンのバッタものヒーローが、おそらくは「怪獣ショー」などの出張営業でくたびれた着ぐるみ怪獣と肉弾戦を行うだけという、チープこの上ないシロモノ。

 それだけでもトホホなのに、さらなるレッドマンの狼藉は、そのダーティーなファイトスタイル。

 怪獣の頭を持って地面にガンガン打ちつけるとか、口の中に槍をぶっ刺すとか、とっくに死んだ敵なのにトドメと称してナイフを突き立てるとか、もう残虐極まりない。

 とても正義のヒーローとは思えない、えげつない戦い方なのだ。

 私なども特撮ファンのはしくれとして、学生時代にビデオ(DVDじゃなく!)で見て友人たちと爆笑したものだが、2016年になってまさかこんなもんが世間で(かどうかは知らないけど)再ブレイクするとは感無量である。

 まったくインターネットというのはすごいもので、昔はこういった「すごい作品がある」という噂を聞いても、それを目にする機会はなかなかなかった。

 私は幸い周囲に妙にマニアックな仲間や、あとは大阪芸術大学に友人が結構いたので、そのツテで『愛の戦士レインボーマン』『怪傑ズバット』『流星人間ゾーン』『シルバー仮面ジャイアント』などなど名作(?)を鑑賞することができた。

 かの有名な『ゾーン』におけるガンダーギラス出現のエピソードを、女の子たちも集まった「ビデオ上映合コン」で披露して、これでもかという総スカンを食らったことは、今でもいい思い出である。

 このイベントはもともと友人の恋の橋渡しのために企画されたものだが、

 「ゾーンファイターと恐獣ガンダーギラスの輪投げの三回勝負」

 という伝説の名シーンで私と大阪芸大の友人だけが爆笑する中、他の面々は完全に置いてけぼりの「ポカーン」状態であり、当然のごとく恋する友はフラれたわけで、さらなる爆笑を誘ったものだ(←鬼かオマエは)。

 それが、今ではパソコンやスマホで検索すればいくらでも見られるわけで、ありがたい世の中になったもの。

 なんたって、人気アニメの『さよなら絶望先生』で『ウルトラファイト』のパロディーをやったりしているのだ。

 どう見ても「ご乱心」というか、だれが元ネタわかるねん! といった話だが、今だとグーグルで調べれば、なにをあつかっているかすぐにわかるわけで、その意味でも便利になったもの。

 むしろそれで『レッドマン』のごとく「新規昭和の狂った特撮ファン」が生まれることもあるわけで、まったくいい時代である。

 あの合コンのときもグーグルやYouTubeがあれば、きっとその場で女子たちも「すぐググるね」なんていってみんなで盛り上がって、きっと恋する友も彼女とうまくいったのであろう……。

 いや、んなわけないか。レッドアロー!  


 (スパイダーマン編に続く→こちら




 おまけ その1 レッドマンの雄姿は→こちら

 おまけ その2 中身はアレだが主題歌はカッコイイぞ! →こちら

 おまけ その3 『絶望先生』による『ウルトラファイト』は→こちら




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アンソニー・ホプキンス主演『ヒッチコック』にみる、金髪フェチとティッピ・ヘドレンの受難 その2

2016年07月10日 | 映画

 前回(→こちら)の続き。

 映画『ヒッチコック』でも描かれていたように、偉大なる映画監督アルフレッドヒッチコックは、金髪美女が大好きなおじさんであった。

 なので、自作の映画に出演した金髪美女を口説くのであるが、一度として受け入れられたことがない。

 はっきりいってセクハラだが、女優に手を出さない監督は大成しないという意見もあり、その点ではヒッチ先生のやっていることは、よくある話なのである。

 ではなぜ、映画に出演させてやったにもかかわらず、モテなかったのか。

 これは女優ティッピへドレンとのエピソードによって、そのからくりが少しはわかることとなる。

 金髪を追い求めるヒッチ先生は、先生の代表作にもなる『』にティッピを抜擢。

 もちろんのこと、いつものごとく

 

 「オレの女になれヒッチ!」

 

 猛アタックをかける。このあたりのことは『ヒッチコック』でも、ふれられている通り。

 しかし、ティッピはそれを拒否

 それを根に持ったのか、映画の中で先生は、これでもかこれでもかとドSモードで鳥にティッピを襲わせる

 結果的にその嗜虐性が鳥の怖ろしさをスクリーンいっぱいに表すことになって、『鳥』は恐怖映画の名作となった。

 まあ、ここまでならクリエイターの変態性がいい意味で作品に貢献できたということで、映画史的にはいい話なのであるが、ここで止まらないのが先生。

 ヒッチ先生は、『ヒッチコック』にもあったように、『鳥』のあとにもティッピ・へドレン(その他、お気に入りの女優全員)の仕事プライベートにあれこれと口を出して、彼女を辟易させる。

 しまいには、ヒッチコックの干渉から逃れるためか、彼女は一時期女優業を休業することとなるハメに。

 こうなると、立派なパワハラであり、ストーカーである。

 いい感じに、見苦しいフラれ男だ。カッケーぜ! ヒッチ先生!

 さらに、ヒッチ先生が本領を発揮するのは、後年、『マーニー』でティッピをふたたび抜擢したときのこと。

 ティッピ・へドレンは撮影に、であるメラニーグリフィスを連れてきていた。

 撮影日がメラニーの誕生日だったということで、ヒッチ先生は彼女にプレゼントをあげることに。
 
 よろこんだメラニーが箱を開けてみると、そこには小さな棺桶の模型があった。

 子供への贈り物に棺桶

 これだけでも、それこそ『サイコ』のアンソニーパーキンス並みに怖い。

 しかも、その棺桶を開けてみると、中には精巧に作られたお母さん(ティッピ・へドレン)の人形が寝かされてた。

 さらには、そのにはロープが巻きついていたそうである。

 なんというのか、なかなかのゆがみっぷりであるというか、正直ドンびき

 プレゼント開けたら、お母ちゃんがヒモで首しめられて、棺桶に横たわっている!

 これを見てメラニーは、



 「こんなゲッスいオッサン知らんわ」



 心底軽蔑したそうである。そらそうやろうなあ。

 そんな、クリエイターとしては120点としてはマイナス1万点なヒッチコック。

 けど結果的に、先生にとってこのモテなさっぷりは、映画監督としては、よかったのではなかという気もする。

 あくまで私見であるが、ヒッチ先生の創作の源の何分の一かは、この

 

 「満たされないリビドー」

 

 に拠っていたのではないかという気がする。

 ド変態ではあったけど、そのあふれでるフェチっぷりを、妙なアートとかでなく、あくまでエンターテインメントに昇華させたところは、さすがは職人技。

 そこが、ヒッチコックの偉大さだと思うわけなのだ。




 ★おまけ 『ヒッチコック』の中であつかわれていた『サイコ』は→こちらから。






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アンソニー・ホプキンス主演『ヒッチコック』にみる、金髪フェチとティッピ・ヘドレンの受難

2016年07月09日 | 映画

 映画『ヒッチコック』を見る。

 アルフレッドヒッチコック

 いうまでもなくサスペンス界の大巨匠といえる偉大な映画監督で、その代表作『サイコ』の舞台裏をあつかった作品だ。主演はアンソニーホプキンス

 映画好きの間では、文句なしの大レジェンドであるヒッチ先生。

 かくいう私も大好きで、イギリス時代をふくめ主要な作品はほぼ観ている。

 好きなのは、表ベスト3が『ハリーの災難』『北北西に進路を取れ』『レベッカ』。

 裏ベスト3は『ロープ』『救命艇』『スミス夫妻』。

 いやあ、全然賛同されないけど、意外と『ロープ』好きなんですよ。

 そんな映画界のレジェンドであり、今見ても古びないうえにハズレもほとんどないというヒッチ先生だが、その名を残すのは映画の才能のみならず、その特殊な性癖

 『ヒッチコック』の中でも描かれていたが異様な金髪フェチっぷりと、それをスクリーンの中で追いこんでいく、ドS嗜虐嗜好である。

 とにかく、ヒッチコックがヒロインにこだわったのは

 

 「金髪のクールビューティー」

 

 あらゆる作品を通して、ただひたすらにこれに執着し続けた。

 中でもグレースケリーが大のお気に入りで、

 

 「全作品、グレースで撮りたいヒッチ!」

 

 そう公言しておられたというヒッチ先生。

 グレースがモナコ公妃になってしまったときは地団駄ふんでくやしがり、その後『北北西に進路を取れ』のエヴァマリーセイント、『めまい』のキム・ノヴァク

 『』のティッピヘドレンなどなど、金髪の(キム・ノヴァクはわざわざ髪を染めさせた)グレース・ケリーを再生産しようと奮闘したのだから業が深い。



 「現実にはいない理想のヒロインを、作品の中で表現する」

 

 というのは、クリエイターの基本だが、我らがヒッチ先生はそれだけでは終わらない。

 なんと先生は、グレース・ケリーをはじめ、ヒロインに抜擢した女優たちをガンガン口説いていたそうである。

 それも、それこそ自身が撮る映画の中のケーリーグラントのようにスマートなものではなく、



 「オレ金髪大好き! だからオレの女になれヒッチ!」



 きわめて男らしく言い寄っていたのだという。なんというストレートな肉食。

 というと、なんだかヒッチコックがただのゲスイおっさんみたいであるが、そうではないのである。

 これはよくいわれることなのであるが、才能ある映画監督が一流になれるかそこそこで終わるかの判断基準に、

 

 「主演女優を口説けるか」

 

 という物差しがあるという。

 ハリウッドでもヨーロッパでも日本でも、およそ映画監督で歴史に名を残すような人物は、一度はドあつかましくも、主演女優とつきあうなり結婚なりしている。

 そこを、尻込みするような監督は、残念ながらなかなか一皮むけないのだというだ。

 根拠があるかどうかはわからないが、妙に説得力のある話ではある。

 チャーリーチャップリンリュックベッソンウッディアレンとかなど、なぜか変態度の高い名前が思い浮かんでしまうが、私は



 「クリエイターの才能(というか、それを発揮するだけの情熱)というのは、その人の変態度に比例する」



 という意見の持ち主であり、そういう意味ではヒッチ先生の態度は映画監督として、まったく正しいのである。

 ただ、ヒッチ先生の場合は、無念なことにその映画史で間違いなく5本の指に入る才能にもかかわらず、いかんせんモテなかった

 グレース・ケリーをはじめ、狙った金髪にかたっぱしからフラれていったそうだ。

 映画の中では奥さんのアルマに浮気をとがめられているシーンがあったが、先生は死ぬまで奥さん以外の女性を知らなかった、とも聞いたことがある。

 なぜモテなかったのか。

 たしかに、ヒッチ先生はハンサムでもないし、体系的にもたいそう肥えておられる。

 だが上の世界の恋愛では「才能に惚れる」ということもあろうし、あの見た目もそれはそれで「愛嬌がある」といえなくもない。

 なら、少なくとも一人くらいは

 

 「ウチ、あの天才ヒッチの愛人なんよ!」

 

 なーんてブイブイいわせる女優が出てもおかしくないのではと思うのだが、その疑問が解けたのは、『マーニー』という映画の制作秘話を聞いたときであった。

 いったい、なぜヒッチコックはそのあふれんばかりの才能にもかかわらず、モテなかったのか。

 次回(→こちら)に続きます。



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大森庸雄『ロック豪快伝説』がスゴすぎる! キッス(KISS) ジーン・シモンズ編 その3

2016年07月06日 | 音楽

 前回(→こちら)に続いて、大森庸雄ロック豪快伝説』を読む。

 ここまではエアロスミスの、



 「ツアー先のホテルで、チェーンソー持って大暴れ」

 「レコーディングそっちのけで、本物のマシンガンでサバイバルゲーム」



 などなど、豪快というか、迷惑極まりないというエピソードを紹介した。

 続いてはキッス

 そのベーシストであるジーンシモンズは、ドラッグもたしなまない、ロケンローな世界では天然記念物級に珍しい人である。

 では、彼はどこが「豪快」なのかといえば、ジーンは「大の女好き」。

 まあそれだけならロックスターにはよくある話だが、ジーンが違うのは、彼は自分が関係を持った女性記録をすべて残していたこと。

 ポラロイド写真に撮り、その枚数は4000枚を越えるという。「春の歩み」ロックバージョンだ。

 西のジーン・シモンズ、ジェームズ三木といったところか。世界一うらやま……ゲスくて、ヒドいコレクションといえよう。

 ついでにいえば、ジーンはその行為をビデオで撮影もしていて、そのテープには女の人の写真が貼られていたそうだ。

 たしかに、そうしておけば、だれが録画されているか一発でわかる。

 クリエイターだけど、事務仕事も得意だね、ジーン! ……て、もはやスターというより、ただのエロオヤジの発想である。

 このジーン・シモンズ、女好きと同時にものすごい吝嗇家、「出すものは舌でもイヤ」というドケチであることで有名だそうだ。

 が、ものには例外というのはあるもので、歌手でありオスカー女優でもある、シェールとつきあったころ。

 このときだけは彼女の魅力にまいってしまったのか、湯水のように貢いだそう。

 奮発して、コンコルドのチケットなんてもんもプレゼントしたらしいから、すごいもんだ。

 あー、それはちょっと乗ってみたいかも。でも、チケットぴあで売ってるの見たことないけど。

 また、デートの演出も凝りに凝りまくっており、誕生日にはなんと戦車にのって迎えに行ったそうである。

 どういう根拠でもって、彼はシェールがそれをよろこぶだろうと判断したのだろうか。ふつう、女子は戦車に興味ないやろ!

 そもそも戦車で、公道を走ってもいいのだろうか?

 車種はなんだったのであろう。レオパルト? 61式? は深まるばかりである。

 ミュージシャンである大槻ケンヂさんによると、ジーンの自伝


 「いかにオレ様がを稼いだか、いかにオレ様がモテたか、いかにオレ様以外の人類が愚かであるか」


 という三点だけで構成された、大林監督『尾道三部作』も顔負けの『オレ様三部作』であるそうだ。

 カッコよすぎる内容だ。あこがれまくりである。

 私も彼のように生きるべく、来週のデートにそなえてハナテン中古車センターに、戦車を買いに行きたいと考えている。



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大森庸雄『ロック豪快伝説』がスゴすぎる! エアロスミス スティーブン・タイラー編 その2

2016年07月05日 | 音楽

 前回(→こちら)に続いて、大森庸雄ロック豪快伝説』を読む。

 世界のロックスターたちの破天荒すぎるエピソードを紹介した本書によれば、エアロスミスは、



 「テレビを窓から投げ捨てる」

 「音がうるさいからアンプを銃でぶっこわす」



 といった滅茶苦茶なことを、ふだんからやっていたらしい。

 そんな彼らはどんなレコーディングをしているのかというと、これもまたとんでもない話が満載なのであった。

 『ドローライン』というアルバムの、レコーディングしたときのこと。メンバーはアーモンクという町にある、大邸宅に集まって仕事をしていた。

 プロデューサーはその時のことを、こうコメントしたそうだ。



 「あのレコード一枚に半年の時間と50万ドルが費やされた」



 さすがは伝説のロックバンドである。豪快だ。

 さぞや充実したレコーディングだったのだろうと思いきや、彼らがアーモンクでやっていたのはなんと「水鉄砲遊び」。

 館の明かりをすべて消して、暗闇の中サバイバルゲームでキャッキャいってたのだとか。夏休みの子供か。

 いやいや、彼らはただの子供ではない。大人財力を持った子供、それもハンパじゃない額のマネーを持ったコドモオトナである。

 水鉄砲に飽きたメンバーに、ギタリストジョーペリーが新しい鉄砲を持ってきた。

 今度のは水ではない。本物トンプソンサブマシンガンである。

 さらに20丁以上のを持ちこんで、連日連夜レコーディングをよそに撃ちまくっていたそうだ。

 シンバルをショットガンで、バラバラにするのが楽しかったそうである。そうでっか。

 これで目覚めたのか、ジョーはレコーディング終了後も、家で銃をバンバン撃って楽しんでいたとか。

 彼の家はスタッフから武器庫と呼ばれていたそうな。ミリタリーマニア垂涎の物件だ、ってそういう問題ではないか。

 音楽の世界ではマイケルジャクソンがその奇行や「ネバーランド」についてイジられがちだが、この本を読むとその程度のことは、



 「ちょっとした、あるあるネタ」



 くらいに思えるからオソロシイ。

 『アマデウス』のモーツァルトなんて、コイツらとくらべたら全然普通じゃん!

 

 (続く→こちら



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大森庸雄『ロック豪快伝説』がスゴすぎる! エアロスミス スティーブン・タイラー編

2016年07月04日 | 音楽

 『ロック豪快伝説』という本がおもしろい。

 音楽ライター大森庸雄さんの書いた本であるが、これを読むとビートルズローリングストーンズといった有名ロックバンドのメンバーたちが、いかにハチャメチャでクレイジーなヤツらであったかよくわかる。

 ミックジャガーキースムーンジミヘンドリックス

 音楽に興味のない人でも名前くらいは知っているであろう彼らスーパースター

 これがステージ上でも私生活でも、頭がぶっ飛んでるというか、どいつもこいつも犯罪者ばかり。

 たとえばエアロスミス

 スティーブンタイラーをボーカルに据えた、デビューしてもう40年近くになる伝説のロックバンド。

 ちなみにスティーブンのさんは女優のリブタイラーだ。

 1970年代、当時のロックバンドの間では、



 「ツアー先のホテルの窓からテレビを投げ捨てる」



 という行為が流行っていた。

 「なんで、そんなもん流行ってるねん」という気もするが、まあとにかく流行っていた。

 エアロスミスもその例にもれず、テレビをぼっかんぼっかん派手に投げ捨てていたそうである。危ないがな。これぞまさしくプラズマ・ダイブ。

 当時エアロスミスの裏方をやっていた、ディックハンセンはこう語った。


 「でっかいテレビに長い延長コードをつないで画面をつけたままバルコニーから落とすのが好きだった。そうするとホテルのプールに飛びこんだとき、きれいに爆発するんだ」


 「好きだった」じゃないだろ、止めろよ!

 それにしても

 

 「きれいに爆発するんだ」

 

 というフレーズは秀逸だ。

 自分たちの奇行にまるで自覚がなく、実にすがすがしい。なんだか文学的高貴ささえ、ただよっている気がするではないか。

 ちなみに、延長コードをつけて投げるというのはエアロスミスのオリジナルだったよう。

 ツアーには特注の超ロングコードを機材と一緒に持ち歩いていたというのだから、粋というかアホというか、とにかく愉快な人たちである。

 また彼らの破壊はテレビだけにとどまらない。77年全米ツアーではチェーンソーを持ち歩いてまわったらしい。

 なぜチェーンソー

 楽器と間違えて持ってきて「こりゃまたうっかりさん」というわけではないだろう、である。

 そのチェーンソーでエアロスミスのメンバーは大暴れ

 ギタリストジョーペリーがモーテルのアームチェアまっぷたつにすると、ワインひとケース(!)飲み尽くしたスティーブンは部屋にあった家具を、野犬よろしくうおんうおんとうなる「獲物」で次々に切り裂いていったという。

 なんでそんなことするんだ? スティーブンは滝本竜彦さんのファンなのだろうか。ジョーはそのままセーラー服姿美少女とともに、風車を回しながら戦うように。

 さらにイカれているのがこれ。

 ある日、スティーブンの奥さんがリビングでレッドツェッペリンを聴いていた。

 電話をしていたスティーブンが「音を下げてくれ」と頼んだが、無視したのか聞こえなかったのか、音は下がらない。

 するとスティーブンはつかつかとアンプに歩みより、ワルサーPPKをかまえて、いきなり5連射

 アンプが粉々になったことを確認すると、平然と電話を続けたという。

 まるで『モンティパイソン』の1シーンだ。てか、奥さんに当たったらどうすんのよ。

 こんな「豪快」すぎる面々が、目白押しの本書。音楽を志し、ロックに生きたい若者は必読であろう。

 でも、マネしたら炎上どころか絶対に捕まるから、よい子は読むだけにしておくようにネ。



 (続く→こちら



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