「神武以来の天才」花開く 加藤一二三vs中原誠 1982年 第40期名人戦「十番勝負」

2020年07月31日 | 将棋・名局

 「中原と加藤の【名人戦十番勝負】みたいやな」

 というのは、今期の叡王戦を観戦していると、よく聞くセリフである。

 初戦の千日手から、2局連続の持将棋に、3局連続の200手越えなど、とにかく話題に事欠かない第5期叡王戦。

 このままもし、フルセットまでいけば、決着局は「第9局」ということになり、私の世代だと、

 

 「羽生さんが初タイトルを取った竜王戦は、持将棋入れて第8局までやってたなあ」

 

 なんて思い出すが、もう少し上のファンはやはり、中原と加藤の激戦を喚起されるのだ。

 そこで前回は羽生善治森内俊之の、平成ライバル物語を紹介したが(→こちら)、今回は昭和のそれを見ていただこう。

 

 1982年の第40期名人戦は、中原誠名人加藤一二三十段が挑戦した。

 名人9連覇中の「棋界の太陽」と「神武以来の天才」となれば、これはもう平成なら羽生善治谷川浩司

 今なら豊島将之渡辺明や、永瀬拓矢の決戦のようなゴールデンカードのようだが、この当時は、ちょっと微妙な反応だったらしい。

 ひとつは中原が、棋士人生初というほどの、深刻なスランプにおちいっていため。

 もうひとつは、

 「加藤はすでに、が過ぎているのでは?」

 という危惧があったことだ。

 加藤一二三といえば、藤井聡太棋聖のデビュー時話題になった「中学生棋士」のはしりであり、その後も

 

 「C級2組からA級までノンストップ昇級」

 「20歳で名人挑戦」

 

 という信じられないスピードで、出世街道を驀進。

 当時のナンバーワンといえば、大山康晴名人であったが、棋士やファンの間では、こう言われていたそうだ。

 

 「大山から名人を奪うのは二上達也(加藤も認める、8歳上の好敵手)だろう」

 「そして二上を倒すのは加藤で、その後は長い加藤の時代が続くはずだ」

 

 あの升田幸三九段も、その突出した才能に感嘆し、

 


 「二十歳で名人になるか、二十五、六歳でなるか。とにかく二十歳台で名人になるだろう」


 

 このころは、加藤一二三が名人になるだけでなく、「大加藤帝国」を築くことに、疑いを持つものなどいなかったことが、よくわかるセリフである。

 ところが加藤は、その後なかなか、期待に答える実績を出せない。

 初の檜舞台となった1960年の第19期名人戦では、大山相手に1勝4敗完敗を喫してしまう。

 しかも、決着局となった将棋では、一手で終わるところを、わざとトドメを刺さず盤上でおちょくられるという、ひどい屈辱を味わうハメに(その将棋は→こちら)。

 このダメージが効いたか、加藤はその後も大山の壁にはばまれ、タイトル戦でもことごとく敗れ、初タイトルの十段(今の竜王)獲得まで、なんと14年もかかってしまうことになるのだ。

 

 

 1968年、第8期十段戦の第4局。7時間(!)の大長考の末に発見した▲62歩が、加藤本人も自賛する好打。

 単に▲44角は△33角で切り返されるが、▲62歩、△同金が入っていれば、そこで▲62角成と取れる。本譜は△71金だが、この利かしが大きく加藤が勝利し初タイトルに前進。

 

 

 加藤にとって試練だったのは、このころ中原誠という、さらなる強敵があらわれたこと。

 棋才は加藤に優るとも劣らず、年下で追ってくる立場とあっては、ますますプレッシャーに。

 『ヒカルの碁』の倉田厚七段の言う通りなのだ。

 

 

 

 

 

 ましてや、「大山超え」をまだ果たしていない加藤からすると、上下からサンドイッチにされる形で苦戦はまぬがれない。

 事実、加藤は初対戦から、なんと対中原戦で1勝19敗と、とことんカモにされてしまうのだ。

 こういった戦歴を見て、当時の将棋界では

 

 「加藤はもう、名人になれない」

 

 そう悲観するファンも多かった。

 才能は折り紙つきだ。そこを疑う者など居はしない。

 だが、大山と中原に徹底的に叩かれ、また時間の使い方のアンバランスさなど、決して戦上手といえないタイプ(自身に逆転負けが多いことは加藤本人も認めている)とあっては、天下取りは難しいと。

 現に、中原とは1983年の第32期名人戦で戦っているが、このときも0ー4と一番も入らず一蹴されている。

 こういう「格付け」が決まるような結果が出てしまうと苦しい。

 現代でも、佐々木勇気増田康宏といった若手棋士が藤井聡太に一人勝ちをゆるしてしまっているのは、順位戦アベマトーナメントなど目立つところで喰らってしまい、

 

 「あー、彼らでも勝つのは難しいんだ。藤井聡太は別格なんだ」

 

 という空気感を作られてしまったことも、大きいのではあるまいか。

 谷川浩司森下卓佐藤康光といった大棋士も、羽生善治を相手にそこを悩まされた。

 プロテニスプレーヤーである関口周一選手を題材にした井山夏生さんの本『テニスプロはつらいよ  世界を飛び、超格差社会を闘う』によると(改行引用者)、

 


  そして、選手にとってもっとも怖いのは「あいつは弱い」と思われることだ。そうした認識や評判はあっという間に広まってしまう。

 そうなると、それまでなら諦めていた場面で相手が諦めなくなる。

 負けていても「もう少し頑張ってみようか」となる。

 もともと力の差なんてわずかだ。頑張られると逆転されることもある。

 すると「ほらやっぱりね。あいつは弱い」というレッテルを貼られてしまう。


 

 4タテを喰らった加藤一二三も、まさにそうだったのだろう。

 「中学生棋士」だった天才も、すでに40代で下り坂。さすがにもう無理では……。

 ということろから、まさかの逆襲がはじまるのだから、人生というのはわからないもの。

 当初、まったく勝てなかった中原相手にも、徐々に互角に戦えるようになってというか、

 

 「もともと力の差なんてわずか」

 

 なわけで、それを証明するかのごとく棋王戦王将戦十段戦などで勝利をおさめる。

 そして1982年の第40期A級順位戦を、8勝1敗の好成績で走り抜け、3度目の名人戦登場を果たすのだ。

 

 (続く→こちら

 

 

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マカオのカジノで大もうけや! ボンクラギャンブラー賽の踊り その4

2020年07月28日 | 海外旅行
 前回(→こちら)の続き。
 
 マカオのカジノで「1万円一発勝負」に挑むことになった私。
 
 前置きは長かったが、いよいよ本番だ。両替場で100ドルチップを手に入れる。
 
 はっきりいって、ちょぼこすぎて恥ずかしい額だが、私にとってはわずか一発の銃弾だ。
 
 泣いても笑っても、これを当てるしかないのである。心の中は映画『ジャッカルの日』並みの緊張感。
 
 ゲームは様子見で場内を回っていたときに、アタリをつけてある。
 
 ずばり「大小」だ。
 
 ルールは簡単。サイコロを3つ振って、3から10が「小」11から18は「大」。
 
 このどちらかに賭けるだけ。
 
 あとはゾロ目に関して細かくあるが、基本は「大か、小か」の2択。シンプルなことこの上ないゲームだ。
 
 素人の私に、ブラックジャックやルーレットのかけ引きなど無理だし、ディーラーとのやりとりもわずらわしい。
 
 そこで、一瞬で決まる「大小」で勝負。沢木耕太郎さんの『深夜特急』を軽く50回は読み返している自分としても、望むところである。
 
 まあ、これだと当たっても最初は2倍にしかならないが、初カジノで勝てれば額などよりも勢いが出るはずだ。
 
 そこからは、どんどん倍々ゲームで賭けて行って、1時間後には人生の勝者である。者どもよ、頭が高いぞ。
 
 選んだテーブルは、私とあと中国系のおばさんと、おじいさんがいた。
 
 見た感じ、どちらも一進一退だが、そのせいか顔はけわしい。
 
 おばさんは慎重に賭ける場所を吟味し、時には「見」も入れてメリハリをつけている。
 
 一方、おじいさんの方は勢い重視のオラオラ系だ。
 
 バンバン賭けて、当たれば快哉をあげ、負ければ天をあおいで呪詛の言葉を吐く。わかりやすいことこのうえない。
 
 ただ、全体的に見て、2人とも少しずつ負けがち。1勝2敗くらいのペースか。
 
 ジワジワと行かれている印象だ。
 
 おもしろいのは、おじいさんのほう。少し負けがこんで、3連敗もすると「アカン、こうなったらヤケクソやー」(言葉はわからないが、間違いなくこんなことを言っているは)の雄たけびとともに、ゾロ目に賭ける。
 
 特に目が出る要素もなさそうだが、連敗後はかならずゾロ目。
 
 で、また、やられる。「ぎゃああああああ!!!!」という情けない声。でもって、また地味に大か小かに賭けだす。
 
 どうも、おじいさんにとっての、「負けてる時の景気づけ」のイベントらしい。
 
 ちまちま負けてたまったストレスを、大負けすることによって晴らすみたいな。
 
 結果的には、負けを塗り重ねているだけなんだけど、大敗によりクールダウンの効果はあるらしい。
 
 ともかくも、それで一息つくというか。なんにしても、豪快なやり方ではある。
 
 そのやりとりがおもしろくて、ついこのテーブルに決めてしまったのだ。
 
 よっしゃ、行くで! スタートは100ドルチップだが、この一歩は人類にとってはどうでもよいけど、私にとっての偉大な飛躍であると、アームストロング船長も別に語ってないけど、とにかく一歩だ。
 
 横ではおばさんが「見」を選んでいた。おじいさんはまた負けて、くやしそうに髪をかきむしっている。
 
 私はどうする。人生の勝者か、からっけつか。
 
 大か、それとも小か。
 
 迷っていては勢いを失う。ええい、ままよと「大」にチップを置いた。
 
 それを見たおじさんが、「若いのには負けんぞ!」とばかりに、今までよりも2倍以上のチップをつかむと、なんと「ゾロ目」に置いた。
 
 出れば36倍だが、はっきりいって無謀な勝負だ。どうも、飛び入りの私にムキになってペースを乱したらしい。
 
 こういうのは、ヤケになると負けなのだ。一発の魅力よりも、コツコツと積み重ねるほうが、結果的には勝つようにできている。ウサギとカメと同じだ。
 
 私は勝利を確信した。見よ、この落ち着きを、この冷静さを。
 
 隣でヤケのヤンパチになって自爆したじいさんとくらべて、なんというクレバーな動きなのか。まさに勝者のたたずまいである。
 
 ディーラーがボタンを押す。ダイスが踊りだす。来い、大! 大、大、大、大、大……。
 
 万力のごとく握りしめられる両のこぶし。栄光をかけた一回勝負。果たして賽の目は……。
 
 勝負とふたを開けると、そこには賽の代わりに冠かぶって笏をもって天神さんの格好をした狸……ではなく、1個目の賽「3」、2個目の賽「3」。
 
 そして3個目の賽の目は……。
 
 なんと「3」!
 
 3、3、3、見事なゾロ目の完成!
 
 この瞬間、「見」のおばさんが悲鳴を上げた。
 
 おじいさんは一瞬「は?」という目で静止した後、カジノの屋根をも震わす大声で、
 
 「よーっしゃあああああああああ!!!!!!」
 
 そして私は、「はわわわわああ」と、世にも情けない声とともに、ヘナヘナーとイスに座りこんでしまったのであった。
 
 はじめてのカジノで、初めての大小で、一回こっきりの勝負で、よりにもよってゾロ目が出るかと。
 
 確率は、計算しなくてもわかる136分の1。それがここで発動。しかも負け。
 
 おまけに、それまで連敗で、ここでも私の参入でペースを乱しゾロ目に自爆したはずのじいさんが大もうけ。
 
 なんてこったい!
 
 いや、もともと勝つ気も大してなかったけど、なんか、こういうやられかただと妙にショックだ。
 
 なんというのか、すげー引きずる負け方といいますか。
 
 まあ「ネタ的には最高」とは言えるけど、同時に
 
 「話ができすぎてて【作ってる】と疑われそう」
 
 でもあり微妙である。というか、ジイサンのあんなガッツポーズ見せられたら、すげえうらやましいよ!
 
 こうして私の初カジノは一敗地にまみれた。しかも、これ以上ない劇的、かつマヌケな形で。
 
 たった1万円なのに、尻の毛まで抜かれた気がしてならず、すっかり負け犬になりくさった私は、
 
 「今日はこれくらいにしといたるわ」
 
 受験時に白紙答案を余儀なくされた中島らもさんのごとく、吉本新喜劇の捨て台詞を吐いて貴重品入れであるガチャピン巾着を手に取ると、そのまま静かにカジノをあとにしたのであった。
 
 
 
 
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マカオのカジノで大もうけや! ボンクラギャンブラー賽の踊り その3

2020年07月27日 | 海外旅行
 前回(→こちら)の続き。
 
 「1万円で一発勝負」
 
 マカオのカジノで一勝負するわけだが、ギャンブル素人の私がダラダラとやっても勝ち目はないわけで、問答無用の一回こっきりで挑むことにする。
 
 さて、そう決めたはいいが、なんせこちらは賭けなどジュース代をめぐるジャンケン程度しか知らない、ドのつく素人。
 
 どこをどうやって遊べばいいか、皆目見当もつかない。
 
 ということで、偵察がてら、まずは各テーブルを見学してみることにした。
 
 どういった層の客が、いかなる雰囲気で戦っているのか。それを観光がてら楽しもうということである。
 
 マカオのカジノに関して、事前調査でよく聞いたのは、
 
「中国の好景気の影響で、大盛り上がりらしいで」。
 
 ちょうど「爆買い」という言葉が流行語になっていたころ、バブルな中国は世界各地で大暴れである。
 
 私もヨーロッパを旅行した際は、チェコのおみやげ物屋などで、高級石鹸を「箱買い」したり、
 
 「この香水、端から端まで全部ちょうだい」
 
 マイケル・ジャクソンのごとき、豪勢なショッピングにはげむ富裕層が席巻していた。
 
 なるほど、勢いのある国はちがうもんだというか、きっとちょっと前の日本人も同じようなことして、歓迎されたり、カモやとほくそまれたりしていたんだろうなあ。
 
 なんて感慨深いものがあったが、それはカジノでも同じようであった。
 
 「賭場の花はバカラ」
 
 という話は各所で聞いていたので、そのテーブルを中心に見て回っていると、これがいるわいるわ、いかにも金持ちそうな中国人のお客があちこちに。
 
 雰囲気としては、背が低くて、お腹が出て、勝っても負けても豪快に笑っている、日本の中小企業の社長さんみたいな気のよさそうなオッチャンが多いのだが、ちょっとばかり様子が違うのはその賭け方。
 
 こういった方々はギャンブルにうといのか、わりとポンポン無造作に賭けていく。
 
 ただ、そこに放り投げられるチップだ。
 
 あたかもゲーセンのメダルゲームのごとき気軽さだが、積み上げられているのは1000ドルのチップなのだ。
 
 1000ドル! 邦貨にして10万円弱。
 
 バイトなら、けっこうシフト入れて、月にやっとかせげるくらいの額。
 
 私のような貧乏人だと、わりと1か月、これで全然生活できますがな。
 
 そんな大金が、まあなんとも簡単にベットされていく。それも、1枚2枚ではない。
 
 朝食の皿にコーンフレークを盛りつけるかのごとく、ざらざらと流れていく。テーブルには山盛りだ。
 
 おいおい、こんな考えなしに賭けてもええんかいな。
 
 それで勝ったら爆笑、負けても「アッハッハ、こら残念」とやっぱり笑っている。
 
 彼ら中国の富裕層にとって、その程度の負けは屁でもないのだ。バブルおそるべし。
 
 他のテーブルでは、カードを引いて、それがディーラーの札より大きい数字か小さい数字かを競うという、これ以上ないシンプルなゲームが行われていたが、そこでもお約束の1000ドルチップがバンバン飛び交う。
 
 おそらくは社長令嬢なのだろう、女子大生くらいのきれいな女の子が勝負している。
 
 ルールがルールだから、進行も早い。ということは、負けるのも早い。
 
 オープン、勝ち、1000ドルチップじゃらじゃら、オープン、負け、1000ドルチップじゃらじゃら、オープン、勝ち、またじゃらじゃら、オープン、負け、じゃらじゃら、負け、じゃらじゃら、負け、じゃらじゃら、負け、負け、負け、じゃらじゃらじゃらじゃらじゃらじゃらじゃらじゃらじゃらじゃら……。
 
 こういうのは一度負けだすと手が付けられない。テンポが速くて、やめるどころか、呼吸をととのえるヒマもない。
 
 こうして、ディーラーによってとめどなくチップを吸収された女の子は、ざっと見ただけでも日本円で200万はいかれていた。
 
 私だったら200万も負けたら、その場でドラえもんに「地球はかいばくだん」を出してもらうところだが、それでも彼女らはちょっとアツくなった程度で、苦笑しながら席を立って行った。
 
 許容範囲なのだ。
 
 まったくもって、おそるべきは金満家の体力。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」はとっくに終わった一炊の夢だったんだなあと、ちょっとしみじみしたり。
 
 なるほど、ざっと見て雰囲気は多少感じることはできた。あとは自分もこの世界に参入して運試しだ。
 
 勝てば王様負ければ乞食。
 
 金のあるなしは、人を格付けするのにもっともわかりやすい方法である。
 
 果たして私はどちらに転ぶのか、そしてまさに「神様のサイコロ遊び」を実践するような予想外の結末とは?
 
 次回、ついに勝負のとき。
 
 (続く→こちら
 
 
 
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マカオのカジノで大もうけや! ボンクラギャンブラー賽の踊り その2

2020年07月25日 | 海外旅行
 前回(→こちら)の続き。
 
 マカオで一勝負の兵站として、シェラトン・マカオホテル・コタイセントラルを選択した私。
 
 セール価格で安く泊まれたのだが、それと釣り合わぬ豪華さ。
 
 香港では『罪と罰』のラスコーリニコフが、ババア殺害計画を練っていた屋根裏部屋みたいなところで寝ていたのだから、その落差から感激もひとしおである。
 
 さあ、いよいよカジノで勝負だ。
 
 ここまで、ホテルまでバスに乗ったら「降ります」というのを運転手のじいさんになぜか無視されマカオの彼方にまで運ばれそうになったり、カードキーがこわれてて部屋を閉め出されたり。
 
 さらには支払いの段に、財布を入れていた貴重品入れが「ガチャピンの巾着」だったため、受付のお姉さんに、
 
 「シェラトンにガチャピンで来るなよ!」
 
 と、ゆかいに笑われたり(言葉はわからないが、絶対そうつっこんでいた)、ちょっとしたトラブルはあったものの、なんとかしのいで、いざ本番である。
 
 戦いに備えて、とりあえず勝負のルールを決めることにする。
 
 カジノはいいが、私は勝負師ではなく、そもそも資金もたいしてない。
 
 ふつうにダラダラと遊んだところで楽しめるかどうかは疑問だし、勝ち目も薄かろう。
 
 そこでメリハリをつけるために、決まり事を作ることにしたのだ。
 
 それは、「資金は1万円で、問答無用の一発勝負」。
 
 これである。
 
 私はこう見えて、ギャンブルとは無縁だ。麻雀、パチンコ、競馬、競輪に株などマネーゲームの類もまったく手を出したことがない。
 
 これでは戦略など練りようがないし、ビンボーなので長期戦も無理。
 
 ならば、これはもう1万円一本勝負しか策がない。
 
 ただ、これは単に私が素人で貧民というだけでなく、論理的帰結でもある。
 
 いまさら解説するまでもないが、ギャンブルというのは「胴元しかもうからない」システムになっている。
 
 テラ銭が引かれるため、回数をこなせばこなすほど、確率論的には勝率が下がるのだ。
 
 確率的に不利なら、長期戦は死、あるのみ。
 
 ならば、数的不利側は絶対に「一発勝負」で挑むべき。これはこちらの気質的にも、数学的にも、まったくもって正しい戦略なのだ。
 
 そこで1万円1回こっきり。勝てば、それを資金に時間で2時間、遊べるだけ遊ぶ。
 
 2時間たったら、どれだけ勝ってても強制終了。
 
 元金の1万円まですったら、それもお終い。ATMに走って補給とかは無し。
 
 おとなしく帰って寝る。一発目に負けても、もちろんそれでおしまい。
 
 要するに、1万円でやれるだけやって、それ以上マイナスにはしないところで撤収。
 
 まあ、そう簡単にやめられるかはわからないけど、とりあえずそういうルールで。
 
 これなら、負けても泥沼にはまることはなさそうだし、まあ1万円くらいなら「入場料」として許容範囲である。
 
 なにより「男は黙って一発勝負」というストイックさがいいではないか。
 
 こうして私は
 
 「確率論的に正しいチキン戦法」
 
 をひっさげて、もっとも広くて豪華と思われる「ホテル・ベネチアン」のカジノに降り立ったのである。
 
 次回、いよいよ勝負の幕が開く! わけなのだが、これが我ながらものすごい想定外の結果が待っているとは、このときは知るよしもなかったのであった。
 
 
 (続く→こちら
 
 
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マカオのカジノで大もうけや! ボンクラギャンブラー賽の踊り

2020年07月23日 | 海外旅行
 「マカオのカジノで大勝負や!」
 
 そんな雄たけびを上げたのは、不肖この私である。
 
 数年前の1月。少し遅めの冬休みを取った私は、香港に旅行することとなり、その際マカオにも寄ることとなった。
 
 マカオといえばカジノである。
 
 「東洋のモンテカルロ」という、場末感バリバリの愛称を持つ賭博都市マカオだが、当時は中国の富裕層の流入により、えらいこと活気づいていた。
 
 なら私もその勢いに乗らない手はなかろうと、一攫千金目指して乗りこむことにしたのだ。
 
 私はこのマネー獲得計画を「ルーン=バロット作戦」と命名し、勇躍マカオの大ホテル、シェラトン・マカオホテル・コタイセントラルにチェックイン。
 
 まずは景気づけのため、でかいホテルで英気を養おうということだ。さすがは私、このあたりは豪快というか、人間としてのスケールの大きさがうかがい知れるところだ
 
 といっても、そこは貧乏人の私のこと、しっかりと「セール価格」の日を選んでの滞在ではある。
 
 一泊ツインで1万円弱。
 
 ひとり6000円ほどで、世界最大規模の部屋数を誇るマカオのシェラトンに泊まれたのだから、私もなかなか運がいい。大勝負を前にして、幸先がいいことこの上ない。
 
 チェックイン時も、シェラトンの底力をまざまざと見せつけられた。
 
 なんといっても、ロビーが広い。大げさでなく、ちょっとしたスタジアム並みの規模がある。
 
 天井もやたらと高い。ドアマンがいて、受付の人もパリッとしたスーツ姿。
 
 もちろん、ホテル付属のカジノがあって、さっそく一勝負している人がいる。
 
 香港で泊まっていたクリスタルドラゴン・ホステル(仮名)など、ロビーはコンビニのトイレくらいの大きさで、受付はランニング姿のじいさん。
 
 ガキがスマホゲームで遊んでいる。宿帳は今どき手書きで、英語も通じない、もちろんカードなど不可。
 
 それでいて、ツインで4000円。香港は宿代が割高だ。
 
 シェラトンは部屋もすごかった。豪華で広く、アメニティーも充実。
 
 でかいバスタブに、テレビはNHKも映り、冷蔵庫、ティーセットなどくつろぐのに充分のアイテムも装備。
 
 14階からは夜景も見え、ベッドもでかく、一人たった6000円でこんなところに泊まれていいのかと思うほどだ。
 
 一方、クリスタルドラゴンの部屋は4畳半。
 
 「ツイン」とうたっているが、2個もベッドが入るはずもなく2段にしてある。
 
 窓も小さい。刑務所モノの映画やドラマに出てくる、囚人に食事を差し入れる小窓くらい。
 
 屋根も低いから、圧迫感がハンパない。
 
 もっともすさまじいのがバスルームで、畳一畳くらいの大きさに詰めこんでいるから、シャワーを浴びた後、床から便器からトイレットペーパーまで、びしょ濡れになる。
 
 これこそバックパッカー的安宿の醍醐味! 嗚呼、はやく人間になりたい。
 
 そんな、いつものビンボー生活からのシェラトンだから、私がどれほど感動したかは想像に難くあるまい。
 
 しかも、このマカオのホテルというのがたいてい歩道橋でつながっていて、いろんな高級ホテルやその道筋にあるショッピング街も楽しむことができる。
 
 この高級ホテルめぐりが思ったよりも楽しかった。
 
 「マリオット」
 
 「ホテルオークラ」
 
 「グランド・ハイアット」
 
 などなど、名前くらいは知っているホテルが並んでいるのだが、そのどれもがとにかく電飾でピカピカしていて、なかなかに景気がよろしい。
 
 「ベネチアン」なども、中に運河が走っていて、そこをゴンドラが行き来している。
 
 ビルの中に運河とは意味不明ではないか。
 
 そういえば、バブル時の日本もこういう施設が国中を席巻していたが、人は無駄に大金を持つと「豪華な下品さ」に行きつくのだろうか。
 
 中でもやはりはずせないのは、マカオのシンボルともいえる「ホテル・リスボア」であろう。
 
 その様相は下手な説明よりも、実物を見たほうが早いであろう。これ。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 どう見ても、昭和特撮ヒーローものの悪の秘密基地感バリバリ。すばらしいセンスだ。
 
 きっと最上階では、プールにすっ裸ギャル100人が泳いでいて、札束を餌代わりにした釣り竿で、IT社長がそれを釣り上げていくみたいな、下品で楽しい遊びをしているのだろう。
 
 これがですね、マカオ随一の観光地である聖ラザロ広場とか、その近くにあるモンテの砦から、よう見えますねん。
 
 こちらが砦からマカオの街を見下ろし、
 
 「ここで幾多の戦いがあり、多くの血が流されたのだな……」
 
 なんて歴史的感傷に浸っていると、そこにドーンと、このリスボア。
 
 もう腰くだけなことはなはだしい。
 
 日本でいえば、京都の銀閣寺や清水寺の境内にパチンコ屋があるようなものだ。このトホホ感がいい味である。
 
 そんなモナコやアスコットのような粋とは無縁なマカオのホテルライフだが、勝負には関係ない。
 
 むしろ、そういったアジア的カオスこそ、こちらの魂をゆさぶるというものなのである。
 
 
 (続く→こちら
 
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鋼鉄の騎士 森内俊之vs羽生善治 1989年 第8回早指し新鋭戦決勝

2020年07月20日 | 将棋・好手 妙手

 前回(→こちら)の続き。

 これまで、将棋界のあらゆる栄冠を獲得した羽生善治九段の、めずらしく撃ちもらした棋戦に「早指し新鋭戦」がある。

 1988年決勝では、まさかの大ポカで中押し負けを食らったが、リベンジに燃える羽生は翌年もまた、決勝までかけあがる。

 相手はふたたび、森内俊之四段

 戦型は後手になった羽生が、横歩取り△33桂戦法

 そこから、相振り飛車のような力戦に。

 森内が手厚い陣形を築いてから攻めかかり、ペースを握っているように見える。

 

 

 図は森内が▲43銀と打ったところ。

 △24飛▲33角成

 △35飛には▲46金と取って、飛車をいじめていけば、先手先手で押さえこみが決まり、自然に勝てそうな流れ。

 後手の指す手が、むずかしそうな局面だが、ここで鋭い手が飛んでくる。

 

 

 

 

 △36桂と打つのが、若き日の羽生が見せた切れ味

 ▲34銀成▲46金なら、△48桂成と取って、玉を薄くしてから食いつこうという実戦的なねらいだ。

 それでも先手がやれそうだが、装甲の一番固い部分をはがされたうえに、▲28になっているのも気になる。

 後手から、△93桂とか△64角とか、△55銀△76銀など、イヤミな手はたくさんあって、なにやかやと、嫌がらせをされそう。

 秒読みで、これは怖すぎるということで、森内は▲36同歩と取るが、羽生も△同飛と王手して▲37歩の合駒にも、かまわず△同銀成と特攻。

 ▲同銀に、△56飛十字飛車を取り返す。

 いじめられていた飛車を、あざやかにさばいて、羽生がうまくやったかに見えたが、なんとこれが悪手だというのだから驚きだ。

 ▲65銀と打つのが、攻防にピッタリの手で、やはり先手がやれる形。

 

 

 これで飛車詰んでいるうえに、先手は▲28になっていたを手順に活用できたのが大きいのだ。

 桂打ちでは、ともかくも△35飛と浮くしかなかった。

 ▲46金には、△65飛でまだ長い戦いだったのだ。

 以下羽生も、またもや飛車取りにかまわず、△36歩とたたいて勝負、勝負とせまるが、最後は森内が一手勝ちを果たす。

 羽生の勝負手も切れ味鋭かったが、森内の落ち着きが、それに勝った形。

 まさに、のちに名人戦で羽生を苦しめることとなる、腰の重さの萌芽を見るような内容だ。 

 こうして羽生は、またしても決勝の舞台で、森内に敗れた

 その後の羽生の実績を考えれば、この大会で優勝できなくても、その棋歴にかすりともキズがつくことはない。

 ただ、最大のライバルに大舞台で「往復ビンタ」を食らったのだから、若手棋戦とはいえ、こちらの想像以上に、悔しさもひとしおだったのではあるまいか。

 

  (「加藤一二三名人」誕生編に続く→こちら

 

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鋼鉄の騎士 森内俊之vs羽生善治 1988年 第7回早指し新鋭戦決勝

2020年07月17日 | 将棋・ポカ ウッカリ トン死

 藤井聡太棋聖が誕生した。
 
 これで長らく、屋敷伸之九段が保持していた「史上最年少タイトルホルダー」の記録を更新。

 しかも、相手が現在最強と言っていい渡辺明三冠で、結果だけでなく将棋の内容的にもトップ棋士と遜色なく、まさに文句なしの大偉業

 どころか、今度は王位戦と合わせて(第2局の終盤戦はおもしろかったなあ)「史上最年少二冠」の目も充分で、いやもう、こりゃスゴイことになってきた。
 
 ただ、このまま「一人勝ち」をゆるしていいかというと、それも問題かもしれない。

 話題性という意味では今はいいかもしれないが、ブームが落ち着いているだろう数年後のことを考えると、やはりここは

 「藤井聡太に肉薄するライバル

 の存在が必須なわけで、他の若手棋士たちの奮起も期待したいところ。

 みんなで張り合って、切磋琢磨して『ヒカルの碁』みたいになってほしいもんです。楽しみは尽きない。

 そこで、前回まではまさに一人勝ちして「退屈なチャンピオン」とあつかわれてしまった大山康晴十五世名人のシビアな盤外戦術を紹介したが(→こちら)、今回は同世代のスターに待ったをかける、ライバルの戦いを見ていただこう。

 

 トップ棋士でも、意外と取ってないタイトルや、トーナメントというのが存在する。

 王位棋聖王将、棋王を取っている郷田真隆九段はなぜか竜王名人に縁がないし、渡辺明棋王・王将がなかなか名人戦に出られなかったのは、現代の「棋界七不思議」のひとつだろう。
 
 では、平成の将棋界に絶対王者として君臨してきた、羽生善治九段はどうだろう。

 「永世七冠」をはじめとして、NHK杯優勝11回(!)とか全日本プロトーナメント時代も含めて朝日杯5勝。

 銀河戦7勝日本シリーズ5勝、若手時代には新人王戦も取っている。

 あと今はない棋戦では早指し選手権若獅子戦若駒戦天王戦達人戦IBM杯、オールスター勝ち抜き戦が16連勝(5連勝で優勝回数1とカウント)。

 こうして並べると、あらためてえげつないというか、カール・マルクスも激おこの富の独占ぶりである。

 となると羽生は七冠だけでなく、なにげに「参加棋戦全冠」という、究極のグランドスラムを達成しているのかといえば、実は羽生にも「撃ちもらし」がある。

 できて日の浅い叡王戦を別にすれば、羽生に優勝経験のない棋戦として「早指し新鋭戦」というのがあるのだ。

 早指し新鋭戦は2002年まで続いた「早指し選手権」の新人版。

 森内俊之佐藤康光藤井猛深浦康市行方尚史山崎隆之といった、そうそうたる面々が優勝者に名を連ねているが、ここに羽生の名前がない

 まず1988年決勝進出を果たしたが、実はこれはライバル森内俊之との大勝負というだけでなく、「羽生大ポカ」としても有名な一戦。

 戦型は先手になった森内が、角換わり棒銀から今では見なくなった、升田幸三九段の新手「▲38角」型を選択。

 中盤戦、羽生が△54歩と突いたところ。

 

 

 中央でイバっているを追い返して、自然な手に見えるが、これが上手の手から水どころか、ナイアガラの瀑布が漏れた大悪手。

 指した瞬間、羽生も「!」となったらしいが、次の手で将棋は終わりである。

 

 

 

 

 ▲53銀と打って、これまた升田流でいえば「オワ」。

 △55歩を取ると、パーンパパーン! とファンファーレを鳴らしながら▲25飛を取れる。

 

 

 

 △同飛には▲42銀打でおしまい。

 △24歩と受けても、▲55飛とまわって、歩切れの後手は指しようがない。

 先手は▲42銀打飛車は取れるわ、▲85飛からぶん回す筋はあるわ、やりたい放題。

 しょうがないので、▲53銀に羽生は△62金とするが、取られそうな銀を▲44銀上と進出させて気持ちいいことこの上ない。

 

 

 

 この将棋を振り返って森内は、

 

 「▲53銀で投了もあると思った」

 

 そうコメントしたそうだが(なかなか言うもんである)、それくらいの破壊力。

 まさに「一手ばったり」の典型のような形。

 以下、△44同金▲同銀成△52角となるが、俗に▲53金と打ちこんで必勝だ。

 「羽生のポカ」といえば竜王戦一手トン死が有名だが(→こちら)、この早指し新鋭戦でのウッカリも、決勝という舞台といい、テレビ放映されていたこともあって、なかなかのインパクト。

 ただ羽生といえば、一度敗れた棋戦と相手への「リベンジ率」が異様に高い男だ。

 そのイメージ通り、翌年すぐ、また決勝にあがってくる。

 相手も同じく森内俊之四段だった。


 (続く→こちら

 

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「《現代アート》とはお笑いのボケである」とパオロ・マッツァリーノは言った その2

2020年07月14日 | うだ話
 前回(→こちら)の続き。
 
 「現代アートって、どうやって鑑賞したらいいんですか?」。
 
 そんな難儀な敵との戦いに、ひとつの補助線をひいてくれそうな論としてこういうものがある。
 
 「アートとは、お笑いでいう『ボケ』である」
 
 こう喝破したのは、メイプル超合金のカズレーザーさんもおすすめ『昔はよかった病』などでおなじみの、パオロ・マッツァリーノさん。
 
 「アート」というのがむずかしいのは、個人的な感覚としては
 
 「リアクションの取りようがない」
 
 ということではないか。
 
 スポーツならスーパープレーは素人でも拍手を送りたくなるし、スコアを見ればどっちが有利か形勢もわかる。
 
 お笑いや手品、音楽はまさにそのライブ感覚で、わかりやすく反応できるものだ。
 
 ところが、これが芸術となると、そうはならない。
 
 すぐれた作品を見ても、それが良かれ悪しかれ、「うむ」とか、「なるほど」くらいしか口にしようがない。
 
 もっといえば、私のような自意識過剰な人間など「いい」と思っても、それをすなおに出すのは、
 
 「オレは芸術を理解できるぞアピール」
 
 で、なんだかイタいのではないかと心配になるし、逆に「ダメだ」となっても、それはそれで、
 
 「最新の芸術的センスについていけないポンコツ男」
 
 そう解釈されるのではと、気になって言い出せない。
 
 そうした苦悩の末、目の前にあるものをもう一度確認すると、マネキンがサイケデリックに塗られていて、そこに「原子への飛翔」とか題がついてたりして、頭をかかえることになる。
 
 そこで、この「どないせい」の部分に光をあたえるのが、パオロさんの論だ。
 
 「現代アートっていうのはとは、お笑いでいう『ボケ』」
 
 そこに続けて、こういうわけだ。
 
 「だから、その相手がくり出す珍妙なアイデアに、どんどん『つっこみ』を入れればいいんです
 
 現代アートはボケだから、つっこみを入れろ!
 
 まさに『つっこみ力』なる著書もあるパオロさんならではの意見だが、実はこれは単なるウケねらいではない。
 
 パオロさんの言葉を私なりに要約すると、アートというのものの本質は「非日常的な発想」であると。
 
 われわれがふだん生きていてとらわれがちな「普通」「当たり前」「常識」といった膠着した思考に、別角度の切り口をあたえ、そのことにより感性をゆさぶるのだと。
 
 つまりこれは、構造的にいえば「ボケ」であると。
 
 「サービス」には「レシーブ」「什麼生(そもさん)」といえば「説破」のように「奇想」には「常識からのつっこみ」が正しいリアクション。
 
 なるほど、われわれは難しく考えすぎていたのだ。
 
 それこそ、アートといえばこの人のアンディー・ウォーホールなら、
 
 
 「缶詰ばっかりや! キリスト教原理主義者の地下室か!」

 「毛沢東主席、多いな! これ全員で大躍進と文革やったら、どんだけ死人出るねん!」

  「『エンパイア』8時間て、どんだけやねん! 小林正樹監督の『人間の條件』と、《どっちが地獄かロングラン上映会》開催せえ!」
 
 
 この調子である。
 
 これだったら、どんなワケのわからない作品を見せられても、反応に困ることはない。
 
 ゆにばーすの川瀬名人でも、ラランドのニシダ君でも、好みの「つっこみ芸人」を参考に、どんどん見ていけばいい。
 
 かつて村上隆さんが、ある対談でこんなことを語っていた。
 
 「アートというのは、バカをやることなんですよ」
 
 それこそ村上さんの出すものなど、非常に賛否両論を呼ぶ時があるというか、正直私などもなにがいいのかよくわからないけど、そういうときも、「バカをやる人」に対するように、
 
 「全然おもんないやん!」
 
 「すべっとるがな!」
 
 もう、ガンガンいけばいい。
 
 だって、「アート」なのに、全然心が動かないというのは、漫才やコントでいえば「笑いが起きていない」のと同じようなもの。
 
 「奇想」「バカ」に対して、「ふーん」としか返ってこないなら、それは「すべっている」わけだから、そう伝えるしかない。
 
 お笑い好きの女子高生がライブ後のアンケートに書くように、
 
 「もう少し、ボケの方ががんばってくれると、よりおもしろくなったかもしれません」
 
 とか言っておけばいいのだ。すべってるのは「むこうの責任」なんだから。
 
 以上のようなことを、アビコ君に伝えてみたところ、
 
 「なるほど! それやったら、ボクにもできそうですわ。お笑いやったら、よう見てますし」
 
 こうして私は、一人の悩める後輩をまた救ったのだが、彼によると、後日に有名な「アート映画」に出かけて、彼女の隣で、
 

 「『みーなごーろーしー♪』って楽しそうに歌うな!」

  「火を吹いて後ろ向きに飛ぶとか、どういうセンスや!」
 
 「100万人ゴーゴー大会って、20人くらいしかいてないやんけ、いかす、いかすゥ!」
 
 
 などと、その感性のままにバンバンつっこんでみたそうだ。
 
 これが、思ったよりも痛快であったらしく、
 
 「そうかー、アートってこんなおもろいもんやったんかあ」。
 
 ミイラ取りがミイラというか、アビコ君自体すっかりアートにハマってしまったそうだが、肝心の彼女はといえば、
 
 「こんなオシャレなところで、バカみたいに大声出して、恥ずかしいったらありゃしない!」
 
 すっかりへそを曲げてしまい、気まずいデートとなってしまったという。
 
 嗚呼、まったく芸術をわからぬ無粋な女であることよ!
 
 
 
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「《現代アート》とはお笑いのボケである」とパオロ・マッツァリーノは言った

2020年07月13日 | うだ話
 「現代アートというのは、お笑いでいう『ボケ』なんですよ」
 
 そう喝破したのは、日本文化史研究家で『反社会学講座』『昔はよかった病』などの著作でも有名なパオロ・マッツァリーノさんであった。
 
 なんてはじめてみたきっかけは、少し前に地元の焼き鳥屋で一杯やっているとき、後輩アビコ君がこんなことをたずねてきたからだ。
 
 「現代アートって、どうやって鑑賞したらいいんですか?」。
 
 はて面妖な。アビコ君はふだん、スポーツとギャンブルを愛するガテンなタイプで、そういった文化系の趣味など縁が遠い男。
 
 それが唐突に芸術とか、ははーん、さては女の影響だなとアタリをつけてみたところ、
 
 「そうなんすよ、先輩。彼女が現代アートとかいうのにハマってて、困ってるんスよ」。
 
 ビンゴであった。彼は最近、彼女ができたのだが、くだんの女性が友人に誘われて「現代アート展」なるものを観に行ってから、話題の中心がもっぱらそこになっているのだという。
 
 それ自体は優雅な話であり、芸術で心を豊かにするというのはいいことだとは思うのだが、いかんせんアビコ君は、そういう素養がゼロ。
 
 なんといっても我が後輩は、アート系の友人と話していて、レンブラントやフェルメールを
 
 「日本ハムファイターズの助っ人外国人」
 
 とカン違いし、「ゴッホといえばさあ」と、流れでだれかがいったとき、
 
 「龍角散か」
 
 と答えた伝説の男である。アートなど、引越センターしか浮かばないのだ。
 
 そんな男が、彼女と「アート展」なるものに行って困惑するのも無理はなかろう。
 
 アートとのつき合い方といえば、私は大阪芸術大学に通っていた友人が多いから、その手のイベントには、いくつか行ったことはある。
 
 そこは実に多種多様な「アート」で埋めつくされており、絵画あり、彫刻あり、オブジェありと、なんともにぎやか。
 
 もちろん、まったく理解などできない。
 
 なめられてはいかんので、そこは渋面を作り、いかにも芸術を堪能しているようなふりを、仲代達矢並の演技力で周囲にアピールしているが、内実は、
 
 「これの、どこがおもろいねん」
 
 頭の中はクエスチョンマークでいっぱいだ。
 
 そりゃそうであろう。こわれた自転車の上にコーヒーカップを置いて「英雄の凱旋」。
 
 空き缶でピラミッドを作って「苦悩する静物」とか言われても、こっちはチンプンカンプンである。
 
 「そうでしょ、あんなん全然わからんでしょ。さすが先輩、話が合いますねえ」
 
 龍角散に、そこを「合う」といわれるのも、私としても不本意だが、まあ言いたいことはわかる。
 
 わけのわからん会場に連れていかれて、ちっとも理解できないうえに、横では彼女が、
 
 「ステキね。こういう才能って、なんだか、あたしをちがう世界へと連れて行ってくれる気がするの」
 
 などとほざい……もとい、ウットリ語っているのを見せられた日には、どうも反応しようもない。「そうでっか……」と。もちろん、
 
 「おまえ、そんなん言うてるけど、ホンマにわかってるんか?」
 
 なんてセリフは、ぐっとのどの奥に押し戻さなければならないのだ。えらいぞ、男の子。
 
 そこでこう、難敵「現代アート」にどう対処すればいいのか、アビコ君ならずとも悩むところであるが、そのひとつの回答をたたき出してくれたのが、冒頭のパオロさんである。
 
 「現代アート」=「お笑いの『ボケ』」
 
 この方程式からはじき出される答えとは?
 
 
 (続く→こちら
 
 
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将棋 この盤外戦術がすごい! 大山康晴vs羽生善治 1988年 王将戦

2020年07月10日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 大山康晴といえば盤外戦術である。

 いまはあまり聞かなくなったが、かつての将棋界では盤上の棋力だけでなく、それ以外の場面でのやりとりも、勝負に関わっていた面があったという。

 大山康晴十五世名人はその達人であり、ただでさえ圧倒的な強さを誇るのに、そのうえ心理戦など各種の「勝ち方」にも長けているとあっては、攻略するのは至難である。

 私が将棋に興味を持ったころは、すでにキャリアも晩年だったが、それでもときおり、

 

 「おお、これが噂の」

 

 思わせる事件もあったもの。

 前回は田丸昇九段が、人生最大の大勝負で食らった精神攻撃を紹介したが(→こちら)、今回はあの「天才少年」すら被害にあった一例を。

 

 1988年の第38期王将戦で、大山康晴十五世名人と羽生善治五段が当たることとなった。

 かつての大名人と、次世代王者候補の若者とあって、注目度の高いカードだったが、この一局は内容以上に、その大山の不可解な行動によって話題を集めた。

 なんとこの対戦を突如、2日制にしようと提案したのだ。

 この将棋自体、王将戦のリーグ戦でも挑戦者決定戦でもない、ただの予選にすぎない1局である。

 それを将棋会館で途中まで指して中断し、わざわざ封じ手を行って、次の日に青森に遠征。

 そこのイベントで公開対局にし、決着をつけようというのだ。

 羽生からすれば、「急になんでやねん」という話だし、まだ高校生だから学校もあるしで(実際、羽生はいそがしすぎて全日制の都立高校を卒業できなかった)、嫌がらせのようにしか思えまい。

 しかもえげつないのが、対局開始が5月の21日。

 すぐ移動して、青森での公開対局が次の日で、23日がまた移動日

 そしてなんと、休む間もなく翌日の24日が、富岡英作六段との竜王戦4組決勝

 160万円の賞金と、本戦トーナメント出場をかけた大一番だったのだ。

 まるで最近の、藤井聡太七段のような日程だが、もちろんコロナ騒動などなく「大山の意向」でこうなった。

 負担の大きすぎるスケジュールで、こんなことをする意味などまったくないはずだが、大先輩である大山の威光に、いかな羽生といえども逆らえるわけもない。

 結局そのイベントは敢行されたが、振り回された羽生は力を出せなかったか、不出来な将棋を見せてしまうことに。

 

 

 

 中盤戦。大山が△57歩の軽手を放ったところ。

 これが、指した本人も自賛する好感覚で、飛車の働きに差があり、後手が優勢。

 このあとも、後手にだけ気持ちのよい手が連発し、若き日の羽生を圧倒

 

 

 

 投了直前の図だが、これを見るだけで、いかに大山が好きなように指したかわかる。

 もともとからしてハードなスケジュールに移動の疲れ、また青森のファンサービスなど気も使い、将棋も完敗。

 さしもの未来の七冠王も、グッタリさせられたそうな。

 この強引、かつ今ひとつ真意の見えない行動の意味はわからないが、大山(だけでなく当時の有力棋士や評論家の多く)は、もちろん強さは認めながらも、羽生のことをあまり買ってなかった。

 それは今思えば、あまりに昭和将棋界と価値観が違いすぎたことも一因だが、そのへんのことを鑑みれば、まあ好意的な話ではないだろう。

 これだけ見れば、ワケの分からない出来事だけど、前回の田丸八段とのやり取りもつい最近のことで、となれば、この一連の騒動も「盤外戦術」のひとつだったかも、と子供心に思った記憶がある。

 もしそうなら、自分の孫ほどの年齢の子にも「仕かける」心意気は、ある意味すごいかもしれない。

 もう60代もなかばだったのに、現役感バリバリではないか。

 ちなみに、『大山康晴名局集』に掲載された自戦記で、大山はこの将棋を取り上げているが、手の解説に終始し、青森に遠征うんぬんについては、まったく触れられていない。

 なんとも不自然で、このあたりも、ますます「やってんな」感を深めるところだ。
 
 ただ、羽生も負けてないのは、続く4組決勝だ。

 強敵、富岡六段を相手に難解な終盤戦を戦い、むかえたこの局面。

 

 

 

 △35銀と打たれて、飛車が死んでいるうえに、▲88にいるもブラになって、△65で重しになっている敵のを取ることもできない。

 先手ピンチを思わせるが、ここですばらしいカウンターがあった。

 

 

 

 

 

 ▲77角と上がるのが、妙手一閃。

 これでバラバラだったはずの先手の駒が、見事な連結を発揮することに。

 次、▲65金と取られると、△77角成▲同玉と取り返した形のが抜けていて、先手玉に寄せがなくなる。

 かといって、ここで△66銀と取ると、よろこんで▲同飛と取られ、死んでいたはずの飛車が逃げられるうえに、△同角には▲同角で、責められるだけだった大駒2枚が見事にさばけてしまう。

 

 

 それでも富岡は△36銀とするしかないが、やはり▲65金をはずされて攻めが薄い。

 一回△48飛と王手して、▲67玉に、△77角成とするが、▲同玉で後続がない。

 

 

 

 以下、上部脱出を果たして羽生が制勝。

 さすがの強さで、大山の存在感も健在だが、羽生の胆力も並ではなかった。

 まだ10代なのに、負けてませんねえ。

 以前、藤井聡太七段に対して、

 

 「もっとイベントなどに出席しなさい」

 

 などと注進した棋士がいたらしく、

 

 「学業との両立にいそがしい藤井君に、変な負担をかけるな」

 

 ファンがそう反論したという出来事があったが、もし大山先生が今でも生きてたら、全然そんなん言うてはったんでしょうね(笑)。

 

 (羽生善治と森内俊之の早指し新鋭戦編に続く→こちら

 

 

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古いテニス雑誌を読んでみた 一藤木良平&ティムラズ・ガバシュビリ

2020年07月07日 | テニス

 古いテニス雑誌を読んでみた。

 私はテニスファンなので、よくテニスの雑誌を買うのだが、最近古いバックナンバーを購入して読むのにハマっている。

 今回読んでみたのは『スマッシュ』の2010年8月号

 フレンチオープンの特集で、表紙はわれらが錦織圭

 内容も優勝者のラファエルナダルの記事など、盛りだくさんとなっている。そこで気になるトピックスを拾っていくと。

 


 ■一藤木良平選手にインタビュー。

 人気マンガ『テニスの王子様』の主人公のモデルになったともいわれる、一藤木貴大選手のさんに話を聞いている。

 一藤木兄弟といえば、お父様スペインを中心に、2人の息子たちをプロとして育てて行く過程を『スマッシュ』で連載されていた。

 私はよく知らないんだけど、その独自路線なやり方や兄弟のふだんの言動などにどうも賛否があるらしく、ファンなどから、ちょっときびしい意見も聞くこともあった。

 実際、このインタビューでも

 

 「意地悪な質問だけど聞いてみました」

 「愚問だけど得意なショットは?」

 

 などなど、聞き手の大森豊さんも、なんだか含むところがあるような口調で質問していた。

 その答え自体は普通だったんだけど、

 

 「言うよね~。まだまだだとは思うけど、本人がそういうんじゃなぁ」

 「(目標は「世界一」の答えに)大会期間中の過ごし方や立ち振る舞いを見ていると世界1位なんて全然無理でしょ」

 

 かなり辛口な意見。

 まあ、なんか色々と言いたいことあったんでしょうねえ。なにがあったんやろか。

 


 ■ティムラズガバシュビリローランギャロス4回戦進出。


 世界にはフランスアルゼンチンスウェーデンのような数々のトップ選手を輩出する「テニス王国」と呼ばれる国がある反面、なかなかそうもいかない「不毛の地」というのも存在する。

 ちょっと前のイギリスとか、わが大日本帝国もそうだったけど、そういう悲しい土地にポッとスターが出てきて孤軍奮闘したりしているのを見ると、応援したくなるのが人情だろう。

 ギリシャステファノスチチパスとか、ブルガリアグレゴールディミトロフとか、ポーランドフベルトフルカチとか。

 ノルウェーキャスパールードクリスチャンルード息子さんですね)とか、リトアニアリカルドベランキスなどいるけど、ジョージア(旧名グルジア、ただし国籍ロシア)の孤軍選手といえば、これがガバシュビリになる。

 今ではニコロズバシラシビリがいて、ツアー3勝、最高ランキング16位USオープンベスト16など活躍しているが、少し前まではジョージアといえばガバシュビリ一択であった。

 ハマるとすごいが、いったん崩れれると、とめどないところから「クレイジー」と称されるこの男は、スペインでの修行期間を生かしてパリで爆発。

 予選を勝ち上がり、3回戦では元ナンバーワンであるアンディーロディック相手に58本のウィナーを決めてストレートで完勝。その存在感を示した。

 ただ「クレイジー」病はそう簡単に抜け出せるようでもなく、4回戦では職人ユルゲンメルツァーに打ち取られた。

 たしか当時、すごいやつが出たと注目したんだけど、今はどうかと調べてみたら、最高43位とまずまずの選手に。ニックネームが「Tsunami(津波)」。

 ウィキペディアによると、

 

 「そのエネルギッシュなプレースタイルとノーマークの予選勝ち上がりからツアー上位進出を果たすことが度々あった事から」

 

 ということで、とにかく勢いがあるということか。

 そういえば、昔マークフィリポーシスがそのビッグサーブ湾岸戦争で活躍したミサイルをかけて「スカッド」って呼ばれてたけど、それを思い出すなあ。

 今度、「テニス選手のニックネーム」特集でもしてみようかしらん。

 

 

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将棋 この盤外戦術がすごい! 大山康晴vs田丸昇 1990年 第15期棋王戦挑戦者決定戦

2020年07月04日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 大山康晴十五世名人といえば、盤外戦術である。

 いまはあまり聞かなくなったが、かつての将棋界では盤上の棋力だけでなく、それ以外の場面でのやりとりも、勝負に関わっていた面があったという。

 格闘技やスポーツなどでも、試合前のインタビューで相手を挑発したり、過激なファンがプレッシャーをかけたり。

 はたまたホームの利を生かして、自分たちに有利なルール審判を採用したり、様々な策を弄するもので、そうやって精神的に優位に立とうとする戦術を、大山名人もまた得意としていたのだ。

 私が将棋に興味を持ったころは、すでにキャリアも晩年だったが、それでもときおり、「おお、これが噂の」と思わせる事件もあったもの。

 前回は二上達也九段が喰らった残酷な指しまわしを紹介したが、今回もまた好人物が被害にあった話を。



 1990年の第15期棋王戦

 挑戦者決定戦に進んだのは、大山康晴十五世名人田丸昇八段だった。

 このときの大山は、すでに66歳というのがすごいが、一方の田丸はこれがの挑決進出。

 タイトル挑戦の実績は、棋士にとって大きな勲章

 田丸にとっては、人生最大といっていい大勝負だったが、この将棋が序盤から波紋を呼ぶのである。

 ポイントになったのが、出だしの数手。

 初手から▲76歩、△34歩、▲48銀に、後手の大山が△84歩と突いた。

 まだ4手しか進んでいないが、ここにかけひきがあった。

 3手目に、田丸は居飛車党だから、ふつうなら▲26歩と突くところだが、そこを▲48銀

 ちょっとした工夫で、このまま飛車先不突で駒組を進めたり、右四間飛車や、場合によっては大山の嫌っている、相振り飛車風にするふくみもある出だしだ。

 そこで大山は△84歩と、居飛車にする。

 振り飛車党である大山の居飛車は、若いころならともかく、晩年ではレア中のレアケース。

 大山からすれば「敵に策あり」と警戒してウラをかいたのだろうが、田丸からすれば大名人による百戦錬磨の振り飛車を捨てさせたという意味では、いきなりの大戦果ともいえる。

 以下、▲56歩△85歩と進み、相居飛車が確定。

 

 さあ、これからというところだが、ここでまさかという展開が起こる。

 なんと次の手が、結果的には敗着になってしまったのだ。

 ▲55歩と中央の位を取ったのが、ふつうの手に見えて疑問だった。

 すかさず△86歩、▲同歩、△同飛▲78金△85飛として、次に△86歩のたらしと、▲55を取る味があって、すでに先手がまとめにくい。



 


 以下、▲96歩△86歩▲77桂△82飛▲85歩と、なんとか局面をおさめようとするが、△74歩から桂頭をねらって後手優勢

 

 

 

 

 ▲55歩では、先に▲78金▲57銀として、なんということもなく、これからの将棋だった。

 勝てば人生が変わるという一局を、たった12手で失ってしまった田丸の心境はいかばかりだったか。

 大差になっても投げられず、田丸はひたすらに指し続けるが、大山は得意の「全駒」態勢で、相手になにもさせずに圧倒

 

 

 

 まさに、血も涙もない惨殺劇だった。

 田丸からすれば、結果はもとより、まったく将棋の形にならなかったことも、悔いが残ったろう。

 話題になったのは、この後だった。

 田丸が無念の投了を告げた後、なんと大山はその場ですぐ、主催者やスタッフと、5番勝負の打ち合わせをはじめたのだ。

 ふつうなら敗者におもんばかって、そういうのは別のところでやるものだろうが、これが大山流である。

 田丸からすれば、最愛の恋人を奪われたうえに、その憎き恋敵が目の前で、彼女との結婚式と新婚旅行の、セッティングをはじめるようなもの。

 甲子園行きをかけた試合に敗れ、泣きながら最後のミーティングをする監督や球児がいる部屋に、勝ったチームがわざわざ入ってくる。

 しかも、その目の前で、これ見よがしに入場行進や、校歌斉唱の練習をはじめたら、ぶんなぐられても文句は言えまい。

 当時の記事でも、

 

 「はっきり言って嫌味だったが」

 

 そう書かれていたが、こうやって相手に徹底的な敗北感を味あわせ、「負け下」に追いこんでいくのが、大山流の勝負術だった。

 60を超えて、ますます盛んな巨人。

 棋力だけでなく、いろんな意味でも「強い」棋士だったのだ。

 

 

   (大山が若き日の羽生善治に仕掛けた盤外戦術編に続く→こちら

 

 

 

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ニコルソン・ベイカー『中二階』と東海林さだお

2020年07月01日 | 
 ニコルソン・ベイカー『中二階』を読む。
 
 朝起きたら虫のカフカ変身』とか、気ちがい小説の代名詞である夢野久作ドグラ・マグラ』。翻訳不可能といわれた怪作ジェイムズ・ジョイスフィネガンズ・ウェイク』などなど、
 
 「ようこんなん、書こうと思いましたな」
 
 そう感心する小説は枚挙にいとまがない。
 
 そんな「な小説」のひとつに、ニコルソン・ベイカー中二階』は間違いなくあげることができる。
 
 ストーリーは基本的にない
 
 建物の中二階にあるオフィスで働く主人公が、あれこれ考え事をしながらエスカレーターに乗って降りる。そんだけの話。
 
 というと、なんやねんそれと言われそうだが、この小説のキモは「あれこれ考えながら」のこと。
 
 これがアメリカのビジネスマンらしい「グローバル社会の矛盾」とか「世界経済の今後のゆくえ」なんてことではなく、
 
 
 「炭酸飲料を飲むときに使うストローの遍歴」
 
 「スーパーで渡される紙袋の用法」
 
 「トイレにあるペーパータオルの使い勝手」
 
 
 などなど、身近にある道具機械などについて、あれこれと、らちもないことを思い浮かべるだけなのだ。
 
 しかもこれが、膨大な「注釈」を入れて語る語る。
 
 
 「ストローをコーラの缶に挿すと浮き上がってしまうが、これをどうすればうまく沈みこむようにできるか」
 
 
 について約1ページ半におよぶ「注」で語りまくるのだ。
 
 田中康夫の『なんとなくクリスタル』か! これを「変な小説」と言わずして、なにをというのか。
 
 でもって、この物語は約200ページ間、ずーっとこの調子。
 
 
 「靴ひもの正しい結び方」
 
 「耳栓へのこだわり」
 
 「我いかに、トイレにある熱風乾燥器を認めていないか」
 
 
 そんな「知らんがな」な考察が、これでもかと押し寄せてくる。とこのとんまで、どうでもいい話なのだ。
 
 じゃあ、これがつまんないのかといえば、なぜかおもしろい。不思議な読ませ方をする。
 
 なんなんだろうなあ。バカバカしいんだけど、
 
 「こんなバカバカしいもん、頭いいヤツじゃないと絶対に書けないよな」
 
 と思わせるんだよなあ。
 
 この「どうでもいいこだわり」を書き連ねて読ませるスタイルって、だれかに似てるなあと思ったら、読んでる途中でハタとひざを打った。
 
 これって、日本でいえば東海林さだおさんだ。
 
 ショージ君もまた、その著書や連載の中で、
 
 
 「あんぱんは、こしあんか粒あんか」
 
 「味つけノリにしょうゆをつけるのは、ゴハンから見て表側か裏側か」
 
 
 といった、日常の些末に対する論を展開することを得意とされているのだ。『中二階』には、
 
 
 「トーストにバターを、どう塗るのがベストか」。
 
 
 というくだりがあって、
 
 「これこそまさにショージ君!」
 
 我が視点のスルドサに、ひそかにニンマリしたものだ。
 
 とにかくこの小説、全編この調子で「ホチキスをとめる爽快感」みたいな「どうでもいい」ことがあるだけです。
 
 私のようにそのスットボケ感がくせになる人もいれば、「だから何?」と本を投げ出す人もいるかもしれない。
 
 そういえば、東海林さんは味つけのりの話を書いたとき、
 
 
 「そんなくだらんことより、天下国家のことを論じんか!」
 
 
 といった、おしかりの手紙を受け取ったそうだが、ショージ君のように、
 
 
 「天下国家のことはクダラナイが、味つけのりとしょうゆの話は楽しい」
 
 
 そう感じる人には、ニコルソン・ベイカー『中二階』は、けっこうおススメです。
 
 
 
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