「史上最高」の戦い 羽生善治vs森内俊之 1996年 第54期名人戦

2020年04月30日 | 将棋・名局
 「名人戦」と聞いて出てくるワードは時代によって様々である。
 
 前回は羽生善治と久保利明の王座戦を紹介したが(→こちら)、今回取り上げるのは名人戦で、この話題となると、
 
 「そら、中原誠米長邦雄の《米中戦争》しかないやろ」
 
 「いやいや、《21歳名人》谷川浩司フィーバーを忘れてもろたら困る」
 
 「おいおい、大山康晴升田幸三の死闘を知らんとはド素人ばっかりやないか」
 
 などなど「名人の権威」という言葉が生きてた時代を知る、オールドファンの声が上がりそうだが、昭和に続く平成の名人戦といえばやはり、
 
 「羽生善治vs森内俊之
 
 このカードにとどめを刺すだろう。
 
 この2人は30代から40代はじめころにかけて、毎年のように名人戦を戦っていたが、初めて相まみえたのが1996年の第54期名人戦。
 
 これは森内にとって、最初のタイトル挑戦でもある。
 
 両者とも25歳という、フレッシュな組み合わせとなったこの七番勝負。
 
 結果こそ4勝1敗で羽生が防衛と、スコア的には差がついたが、内容面ではどれも非常に拮抗した戦いであり、そのレベルの高さから、
 
 
 「指し手の質では史上最高クラスでは」
 
 
 といった声も聞かれたほどだった。
 
 羽生の強さは今さらだが、敗れた森内評価もまた、大いに上がったのである。
 
 今回はその中から、開幕局を取り上げたい。
 
 羽生が先手で相矢倉になり、当時の将棋らしい、がっぷり四つの組み合い。
 
 むかえたこの局面。
 
 羽生が▲46角とのぞいたのに対し、森内が△62飛と、6筋に照準を合わせたところ。
 
 
 
 
 
 おたがい飛車先に戦力が集中しており、一気の攻め合いになりそうなところだが、ここで羽生が得意の「例のアレ」をくり出してくる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 ▲94金と打って、攻め駒をここで責める。
 
 よく、▲83▲23の地点にを打って、相手の大駒を責める形を「羽生ゾーン」と呼ぶが、これもその一種。
 
 羽生はこういうB面攻撃を、ひそかに得意としているが、後手も△66歩から殺到するのが目に見えているから、怖いところ。
 
 下手するとをうまくさばかれて、この金が「スカタン」になる可能性もあるけど、攻め合うよりも、こうやってじっとプレッシャーをかける方がいいという判断か。
 
 行くしかない後手は△66歩と取りこんで、以下▲68金引△67歩成▲63歩△同飛▲64歩△68と、と激しい順に突入した。
 
 そこから、大きな駒の振り変わりがあって、この場面。
 
 
 
 
 
 
 後手の△58飛がきびしい手で、次に△87銀と打てればおしまい。
 
 かといって、▲86銀△68歩成で、受けがない。
 
 後手玉はあぶないけど、まだ詰みはないということで、森内優勢かに見えたが、ここで羽生の指したのがおどろきの手だった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ▲98角と受けたのが、すごい手。
 
 たしかに大駒を玉の近くで受けに使うには、
 
 「飛車
 
 のイメージでとは言われるが、それでもこんな受け一方の角を打たされては、いかにも苦しげだ。
 
 デビュー当時の羽生は、敗勢になっても投げず、ねばりまくる根性で有名で、テレビを観ながら、
 
 
 「《羽生のクソねばり》を久しぶりに見たなあ」
 
 
 なんて感じ入ったものだが、ところがどっこい、これがそういうわけではないというのだから、将棋というのはむずかしいものである。
 
 「打たされた」感ありありのこの角だが、これで先手が、容易には負けないのだ。
 
 以下の手順を見ると、後手は当然の△57と、に▲69金と補強して、△48飛成▲66馬と引く。
 
 後手は△65銀と、かぶせてくる。
 
 
 
 
 
 今にも押しつぶされそうな先手陣だが、ここで▲57馬(!)と取るのが好手。
 
 攻防に利くカナメのと、と金の交換など、レートでいえば大損ぶっこき丸だが、駒を損しても急所のと金を払うのがいい判断。
 
 さらにはタテヨコに利いていたを、働きの弱い△57の地点に引きずりこむのも大きいのだ。
 
 △57同竜に、▲73金と取った形を見てほしい。
 
 
 
 
 
 あれだけ危険だった先手玉が、いつの間にか鉄壁になり、一方後手陣はスカスカなうえも中途半端で、有効な手がない。
 
 やむをえず△68金と打つも、一番固いところを攻める形で、不本意この上ない。
 
 ▲34桂とここで反撃し、△41歩に、▲43歩と攻めつけて先手が圧倒。
 
 羽生がまず初戦を飾ったのである。
 
 こうして見ると、▲98角と打ったところでは、すでに先手優勢だったことになり、ちょっと信じられないが、手順を見るとそういうことになる。
 
 うーん、あんな形から勝つ羽生はやはりすごいと感心してしまうが、この将棋にはまだ続きがあった。
 
 局後の検討によると、やはり、あの局面は後手が指せるらしいのだ。
 
 良くなかったのは△58飛で、自然に見えたが、ここはもっといい手があった。
 
 ちょっと盲点になる筋だが、あえて「アレ」をかけさせて……。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 △48飛と、ここに打つのが好手。
 
 これで、▲69金が先手で打てないから、後手の攻めが一手速い。
 
 今度▲98角△57と馬取りになるので、後手の攻めが刺さっている。
 
 というと、
 
 「あれ? この飛車、取られちゃうんじゃね?」
 
 首をひねったあなたはなかなかスルドイ。
 
 ▲22馬と切って、△同玉に▲66角と打てば王手飛車なのだが、これがいわゆる「毒まんじゅう」。
 
 △33歩と合駒して、▲48角と取らせてから△69角と打てば、角も取り返せる形で後手優勢だった。
 
 
 
 
 
 △58に打って充分に見えるところを、あえて王手飛車をかけさせる超高等テクニックで、森内も感心していたという。
 
 この将棋に大いに満足した私は、これから二人が、名人戦だけでなく他の棋戦でも、どんどんおもしろい将棋を見せてくれるのだと、新時代の幕開けに胸を躍らせたものだった。
 
 
 (羽生と森内の名人戦第5局編に続く→こちら
 
 
 
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古いテニス雑誌を読んでみた 『スマッシュ』2012年8月号 イオン・ティリアックとブルークレー

2020年04月27日 | テニス
 古いテニス雑誌を読んでみた。
 
 私はテニスファンなので、よくテニスの雑誌を買うのだが、古いバックナンバーを購入して読むのが、ひそかな趣味である。
 
 ブックオフなんかで1冊100円で投げ売りされているのなどを開いてみると、「あー、なつかしい」とか「おー、こんな選手おったなー」などやたらと楽しく、ついつい時間が経つのも忘れてしまうのだ。
 
 今回読んでみたのは『スマッシュ』の2012年8月号
 
 フレンチオープンの特集号で、表紙は優勝して赤土にひざまずくマリアシャラポワ
 
 今号で興味をひかれるのは、一時期物議をかもした「ブルークレー」問題。
 
 初夏のヨーロッパはクレーコートの季節。コロナの影響でテニスのツアーもストップしているけど、本来ならローランギャロスにむけたクレーの大会で盛り上がり始めるころ。
 
 クレーといえば「赤土」なイメージがあるけど、アメリカUSクレーコート選手権では緑の「グリーンクレー」があり、さらにもうひとつ青いクレーコートというのも存在したことがあった。
 
 ただ、このブルークレーコート、使ってみるとこれが、すこぶる評判が悪かった
 
 見た目の違和感もさることながら、
 
 
 「すべりすぎる。氷の上でプレーしてるみたい」
 
 
 という理由で、ロジャーフェデラーラファエルナダルノバクジョコビッチといったトップ選手からも、猛反対を受けていたのだ。
 
 実際、これを採用したマドリードオープンではナダルとジョコビッチが早期敗退
 
 特にナダルはその年、クレーコートで22連勝していて、その記録が止まってしまったのだから痛いではないか。
 
 では、なぜにて、そんな案が通ってしまったのかといえば、これがイオンティリアックという大物マネージャーの仕業。
 
 元ルーマニアのテニス選手だった彼は、引退後ビジネスの世界で大成功し、テニス界にも大きな影響力を持つことに。
 
 で、この人が、一代で名をあげた「大物」にありがちなように、とにかくクセがすごい。
 
 エゴイズムが強烈で、主催する大会では常に一番目立つ席に陣取り、自らの存在感をアピール。
 
 仕事面でも、あらゆる会社に自らの「ティリアック」の名を冠し、このマドリード大会でもダイヤをちりばめた、成金趣味丸出しのその名も「ティリアックトロフィー」を用意したのだから、わかりやすい人である。
 
 この人がひとたび、
 
 
 「クレーは青がええんや」
 
 
 そう言い出したのだから、それをくつがえすなど、できるはずもない。
 
 一応ティリアック側の言い分では、
 
 
 「青い方がボールもよう見えるし、あざやかでテレビ映りもキレイやないか」
 
 
 とのことだが、この話題を取り上げているレネシュタウファー記者によれば、
 
 
 「赤でもよく見えるし、青いコートはパッとしないし、足跡が目立ってかえって汚いのではないか」
 
 
 まあ見た目は慣れもあるかもしれないけど、クレーを青くするために酸化鉄から取り除かなければならないそうで、そのため、すべり止め効果が失われるのは問題だ。
 
 かたよったサーフェスは選手のプレーに悪影響をあたえる。スポーツ選手の仕事は勝つことだが、「いいプレーを見せる」ことも大事なわけで、そこを犠牲にしてはいかんだろう。
 
 その意味では、私もどちらかといえば反対派であり、なにより変更理由が、
 
 
 「クセの強いオッチャンのごり押し」
 
 
 というのが一番引っかかるところだ。
 
 イオン・ティリアックがテニス界に大きな貢献をしていることは事実だろうけど、トップ選手が早期敗退するような変更は、百害あって一利なしではないか。
 
 なんて外野としては思うわけだけど、やはり「大物」の意向にはなかなか逆らえないし、またマドリード・オープン自体があまり人気のない大会なため、なんとか話題づくりもしたい事情もあって、ATP会長も頭をかかえているとか。
 
 もしこのままブルークレーで行くなら、ナダルやジョコビッチが大会をボイコットする可能性もあり、これにはティリアックも、
 
 
 「えー、2人けえへんの? そんなん残念やわあ」
 
 
 そうボヤいているそうだけど、それやったらアンタが変なこと言いだすなよ! とレネさんも、つっこんでおられます。たしかにねえ。
 
 まこと、「大物」というのはめんどくさいものだけど、次の年からは無事(?)ブルークレーは廃止になり、なんとかめでたしめでたし。
 
 ただひとつすごいのは、なんのかのいってこのコートに適応して優勝してしまったロジャーフェデラー
 
 当時はまだ全盛期の勢いを取り戻せてなかったはずだけど、こういうところはすごいもんだ。
 
 ビッグネームが優勝してくれて、大会側としてはホッとしたろうが、なんにしても、まったく罪作りな「鶴の一声」である。
 
 この号にあった他のニュースとしては、
 
 「ナダルとジョコビッチ、グランドスラム4大会連続で決勝対決」
 
 「ダビド・ゴファン、ラッキールーザーからローラン・ギャロス4回戦進出」
 
 「錦織圭、ロンドン・オリンピック出場確定」
 
 などもあったが、長くなってしまったので、次の機会としたい。
 
 
 
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さばきのアーティスト ねばりもアーティスト 久保利明vs羽生善治 2007年 第55期王座戦

2020年04月24日 | 将棋・名局
 「さばきのアーティスト」久保利明は、ねばりも一級品である。
 
 振り飛車を得意とする棋士というのは、独特の粘着力のようなものを標準装備しているものだが、中でも久保利明九段のそれは、かなりのもの。
 
 前回は執念でもぎ取った深浦康市の初タイトルを紹介したが(→こちら)、今回は久保の強靭な足腰を見ていただきたい。
 
 
 2007年度の第55期王座戦
 
 羽生善治王座に挑戦したのは久保利明八段だった。
 
 羽生の2連勝でむかえた第3局
 
 先手になった久保の藤井システムに、羽生は△64銀型の急戦。
 
 攻め合いになるのを見越して、さっと米長玉にかまえた羽生の趣向が興味深い序盤戦だったが、仕掛けてからは一気に激しくなった。
 
 
 
 
 
 中盤戦。
 
 飛車の交換なうえにも取れそうで、振り飛車が大きな駒得だが、後手の攻めも先手陣の最急所にせまっている。
 
 もともと低い陣形の美濃囲いは△36コビンが弱点だが、そこに桂馬が跳んできているだけでなく、の援軍にのラインもあって、二重三重に圧がかかっている。
 
 受けがむずかしいどころか、すでに倒れていてもおかしくない局面だが、こういうところを持ちこたえるのが、振り飛車党の「腕の見せ所」だ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 ▲18金△57銀成▲37歩(!)。
 
 ▲18金はこれしかないが、△57銀成詰めろで飛びこむ筋があるから、無理だと捨ててしまいそうなところ、時間差▲37歩と穴をふさいで耐えている。
 
 ただ、見るからに危ない形で、「ホンマに受かってるん?」とドキドキしてしまう形だ。
 
 羽生は△58成銀と取って、▲同金に△57金とかぶせる。
 
 
 
 
 
 取れば言うまでもなく、△48銀で詰み。
 
 ▲47角成△58金、▲同馬、△48金、▲同馬、△同桂成、▲同玉に△68銀と打つのが、△66角からの詰めろ飛車取りで攻めが続く。
 
 こうなると、後手の米長玉が光って見える。これまた、どうやって守るのか1手も見えないが、久保はまたもギリギリでしのぐのだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ▲36歩、△58金、▲49歩(!)。
 
 激しい空襲で屋根が吹っ飛んでいるが、この「掘っ立て美濃」のような形で、まだ寄りはない。
 
 飛車は取られるが、△69金ソッポに行ってくれると、先手は急に呼吸が楽になるので、▲41とのような手もまわってきそう。
 
 だが羽生もさるもので、次の手がなんと△68歩(!)。
 
 
 
 
 
 金がはなれては勝てないと見て、タダで取れる飛車を、わざわざ1手よけいにかけて確保しにいく。
 
 なんちゅう手なのか。
 
 そりゃ、意味を説明されればわからなくもないけど、それにしたってなかなか指せないよ。
 
 手番が来た久保は、ここで待望の▲41と
 
 歩を打たせたこのタイミングで、あえて飛車を逃げる手もあったが、勢いは金を取りたいところでもある。
 
 
 △69歩成に、▲37銀打と埋め、後手も△22銀といったん自陣に手を入れたところに▲16歩と天窓を開いて、まだまだ耐えられる。
 
 
 
 
 シビれるようなねじりあいで、こういうやり取りがたっぷり見られるから、羽生-久保戦というのは、一度味わったらやめられないのだ。
 
 そこからも超難解な終盤戦が続き、控室の検討では久保勝ちではという評判だったそうだが、いやそうでもないという声もあり、正直むずかしすぎてよくはわからない。
 
 ただ、最後に抜け出したのは羽生だった。
 
 途中、△25金△14歩といった、羽生らしいアヤシげな手が出るなど雰囲気が出まくる中、「詰めろのがれの詰めろ」をめぐるギリギリの切り返しが飛び交うとか、久保から最後に幻の絶妙手があったり、もうわけわかんないんだけど、とにかく勝負が決まったのはこの局面。
 
 
 
 
 久保は▲57角の王手から、最後の突撃をかける。
 
 もし詰みがなくても、どこかで▲48角と金をはずす手があって勝ちがありそうだが、ここで後手から「次の一手」のような決め手があった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 △46桂中合するのが、作ったようにきれいな手。
 
 ▲48角△38飛成で詰み。
 
 ▲46同角と取るしかないが、△35銀と打って詰みはなく先手玉は必至
 
 久保は▲35同角から王手ラッシュをかけるが、羽生は冷静に対処し、王座防衛で16連覇を達成したのだった。
 
 
 (羽生善治と森内俊之の名人戦編に続く→こちら
 
 (久保の軽やかな桂使いは→こちら
 
 
 
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「海外旅行はダイエットに最適」と、小野まゆらとさいとう克哉のさいとう夫婦は言った

2020年04月21日 | 海外旅行
 海外旅行はダイエットにいい。
 
 と始めてみると、
 
 「えー、旅行中は、おいしいものがいっぱいあるから、むしろ太るんじゃないの?」
 
 そんな疑問の声があがりそうだが、これがけっこう信憑性のある話なのである。
 
 これは経験的にもそう感じるし、パックパッカー漫画のユニット「さいとう夫婦」として活躍する、さいとう克哉さんと小野まゆらさんのお二人も、伝説的旅マンガ『バックパッカー・パラダイス』の中で、明言されているのだ。
 
 旅行中というのは、なんといっても、
 
 
 「規則的な生活」
 
 「適度な運動」
 
 「バランスのいい食事」
 
 「ストレスをためない日々」
 
 
 という、減量にピッタリな生活を送ることが多い。
 
 やたらとお金手間をかけて、運動したり高いダイエット食品を買うくらいなら、それを貯めて観光旅行をした方が、楽しくやせれてコスパは最強。
 
 最悪、やせなくても旅行自体は楽しいしネ。
 
 さいとう夫婦なんて、世界一周から帰ったら、妻まゆらさんは10キロ。
 
 夫克也さんなんて20キロもやせているんだから、ガチもガチ。
 
 だれか、『旅でダイエット』『バックパッカー減量法』なんて本を書けばいいのに。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 売れっ子の評論家である勝間和代さんは、
 
 「がんばっていい本を書いても、結局売れるのは《モテ》《》《ダイエット》《英会話》のコンプレックス産業だけ」
 
 そう嘆いておられたらしいが、特にダイエット本なら「○○でやせるダイエット」の○○に
 
 
 「ゆで卵」
 
 「コアリズム」
 
 「腹式呼吸」
 
 「もりやすバンバンビガロ」
 
 
 など、適当な単語を代入すれば一丁上がりという、ほとんど大喜利の世界なのだから、ぶっちゃけ粗製乱造されるのもむべなるかな。
 
 これが売れるんなら、旅ダイエットなんて全然ありではないか。
 
 『バッパラ』を出した『旅行人』はガラじゃないとして、主婦と生活社とか青春出版社から出せばいいのに。
 
 ただ、このダイエットには、わりと致命的な欠点があり、
 
 「日本では、ロングスパンで体重を落とせる旅が、できるほどの休暇を取れない」。
 
 日本は企業も、人権やときには生産効率すら無視しても、それこそコロナウィルスが蔓延しようが満員電車に放りこむなど、
 
 
 「意地でもサラリーマンをこき使いたい」
 
 
 という強迫観念にかられてるから、こればっかりはいかんともしがたい。
 
 欧米の「バカンス法」とまではいかなくても、せめて有給休暇を取るのが「非国民」と呼ばれなくなる時代にならないと、
 
 「旅ダイエットで印税生活」
 
 これは夢のまた夢であろうか。
 
 
 
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幻の妙手を探せ! 深浦康市vs羽生善治 2007年 第48期王位戦 第7局 その2

2020年04月18日 | 将棋・名局
 前回(→こちら)の続き。
 
 羽生善治王位深浦康市八段で争われた、2007年の第48期王位戦
 
 最終局も、いよいよ大詰めをむかえた。
 
 
 
 
 
 先手玉は詰めろで、後手玉に詰みはないこの局面。
 
 ここで残り時間21分から、19分を投入し、ギリギリのところで深浦が指したのが、目をみはる一撃だった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 ▲77桂と跳んだのが、根性の男、深浦康市が見せた乾坤一擲の勝負手。
 
 意味としては角道をとめつつ、後手玉が△53の地点に逃げたときに、▲65桂をはずしながら、王手でせまる筋ができたということだ。
 
 じゃあ問題なのは、この▲77桂詰めろになっているのか。
 
 なっているなら、先手が勝てそう。
 
 深浦の自戦記によると、ここではもともと▲77歩と指すつもりで、△76桂と詰めろをかけても、▲62金△同角▲61竜から詰まして勝ちと読んでいた。
 
 ところがこの順は▲61竜に△82玉、▲62竜、△72銀、▲71角、△81玉、▲72竜、△同玉、▲62金、△81玉、▲82銀、△92玉。
 
 
 
 
 
 ここで▲93銀成までピッタリ詰みかと思いきや、なんと△93の地点には△66からの利きがあるではないか!
 
 最終盤でのまさかの読み抜けで、深浦は「天国を夢見、地獄へ落され」と自身でも語る転落劇に動揺するも、秒読みにせかされて桂を跳ねた。
 
 ここではまだ、後手玉が詰めろになっているかどうか読み切れていなかったそうだが、羽生の7分の考慮中になんとこれが「詰めろ逃れの詰めろ」という必殺手であることを理解する。
 
 そうなると、あとは羽生がどう対処するかだが、詰みなしと見たのだろう、△69銀不成と取ったが、これが敗着になった。
 
 ▲62金打として、△同角、▲同金、△同玉に▲53角と打って後手玉は詰んでいる。
 
 
 
 
 
 以下、△同玉、▲65桂、△同桂、▲51竜まで、羽生が投了
 
 これで、深浦新王位が誕生することとなった。
 
 フルセットを戦って、最後も大熱戦の中、すばらしい妙手を指して、しかも羽生からタイトルを奪ったのだから、深浦も最高の気分だったろう。
 
 ……と思いきや、実はこの将棋には、もうひとつドラマがかくされていた。
 
 結果はもう出てしまったが、そうなると気になるのは、△69銀不成が敗着なら、他の手はどうなの?
 
 実際のところ、羽生は自玉の一手スキが見えてなかった(本人は明言しないが、気づいていたら時間がなくなるまで返し技を考えたはずだ)、いわば、なかば「トン死」のような負け方をしたのだから、もしそれに気づいていたら、いい手があったのでは?
 
 答えは「あった」だ。
 
 なんとあの局面、▲77桂と跳んで勝ちのようで、本当はそうではなかった。
 
 ▲77桂には、やはり後手から△76桂と打つクロスカウンターがあった。
 
 
 
 
 
 
 この銀桂香のを、あざやかに飛び越える桂馬のベリーロールが、先手玉に対する詰めろになっている。
 
 と同時に、▲78に設置された、の利きをさえぎっているのがポイント。
 
 こうなっていると、先手が王手ラッシュをかけたときに、上部脱出の押さえ駒がないから詰まないのだ。
 
 一例をあげれば、本譜と同じように、▲53角まで進んだとして、以下△同玉、▲65桂、△同桂、▲51竜で、投了せずに△52歩と合駒する。
 
 ▲54飛、△63玉、▲52飛行成、△73玉、▲71竜△84玉の局面。
 
 
 
 
 
 
 もし、△76がいなければ、▲74竜でピッタリ詰んでいるが、香の利きが止まっているため、先手はこれ以上の手がない。
 
 つまり、▲77桂が「詰めろのがれの詰めろ」の絶妙手だとしたら、続く△76桂はそれを上回る、
 
 
 「詰めろのがれの詰めろのがれの詰めろ」
 
 
 という、劇的すぎるトリプルクロスカウンターなのだ!
 
 このあたりは、いろんな変化があってややこしいが、たしかに△76桂だと、後手玉が二枚飛車で追いかけまわされても、スルスル抜けてつかまらない。
 
 なんという手が、あったものか。
 
 幻に終わった逆転劇だが、もし△76桂が指されていたら、深浦康市はどうなっていただろう。
 
 彼ほどの男だから、仮にここで負けても、いつかはタイトルを取ったろう。
 
 ……と口ではだれでも言えるだろうけど、本当のところそれは、そんな簡単なことではないのは、多少将棋の世界を知っているものなら、わかることだ。
 
 この結果が逆だったら、もしかしたら今ごろ
 
 
 「なぜ深浦ほどの男が、まだ無冠なのか」
 
 
 と議論されていたかもしれず、まさにギリギリの栄冠だったのだ。
 
 
   (久保利明のねばり強さ編に続く→こちら
 
 
 
 
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幻の妙手を探せ! 深浦康市vs羽生善治 2007年 第48期王位戦 第7局

2020年04月17日 | 将棋・名局
 「幻の妙手」について語りたい。
 
 将棋の世界には、盤上にあったのに対局者が発見できないか、もしくは発見しても指し切れずに終わってしまった好手というのが存在する。
 
 前回は郷田真隆九段の指した妙手と、藤井猛九段が残念ながら発見できなかった、その返し技を紹介したが(→こちら)、今回は深浦康市九段と羽生善治九段の一戦から。
 
 
 先日、NHK杯優勝した深浦康市九段といえば、四段時代に全日本プロトーナメント(今の朝日杯)や早指し選手権優勝(決勝の相手はそれぞれ米長邦雄羽生善治)。
 
 その実力が一級品であることを見せつけたが、タイトル獲得やA級昇級が遅かった棋士である。
 
 順位戦の下のほうで苦労したことと(9-1での頭ハネ2回。この風通しの悪さには本当にウンザリする)、「羽生世代」の厚い壁が存在してたせいだが、そんな深浦に大きなチャンスが訪れたのが、2007年の第48期王位戦
 
 挑戦者決定戦で、渡辺明竜王を破って久しぶりに大舞台に登場した深浦は、羽生善治王位相手にもいい将棋を展開。
 
 3勝1敗とリードし、初のタイトル獲得に王手をかける。
 
 まあ、そこは天下の羽生のこと。簡単に勝たせてはくれず、カド番をふたつしのいでタイに押し戻し、勝負は最終局にもつれこむことに。
 
 この一番がまた、タイトル保持者を決めるにふさわしい大激闘になるのだ。
 
 たとえば、こんな手。
 
 
 
 
 
 ▲41角に、△62金打。
 
 △63を取って、▲53桂成とされる手を防いだわけだが、穴熊相手に固さ負けしないぞ、という気合を感じる。
 
 
 
 
 
 
 △71角の受けに、▲42銀がすごい手。
 
 まるで初心者のような筋の悪い攻めだが、これで存外食いついている。
 
 深浦流の、根性を感じる手だ。
 
 
 
 
 
 この△21を守る金打ちも、見たときはひっくり返ったもの。
 
 正直、いい手なのかどうか、私レベルではさっぱりわからないけど、熱戦の雰囲気は出ている。アツい。
 
 深浦はそれでも▲21馬と取って、△同金に▲55桂とせまる。
 
 羽生はもらった△66に設置し、ついに先手の穴熊を照準にとらえる。ド迫力の終盤戦だ。
 
 クライマックスはこの場面。
 
 先手が▲21飛成と金を取り、後手が△68銀と打ったところ。
 
 
 
 
 
 この局面、先手玉は△88角成からの簡単な詰めろで、後手玉はまだわずかに詰まない
 
 なにかひねり出さなければならない場面だが、ここで深浦が指したのが、この将棋を熱戦から王位戦の歴史に残る名局に格上げさせた、目をみはる一撃だった。
 
 
 (続く→こちら
 
 
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パリとフランス軍と銃と兵隊さんとドーベルマンのお話

2020年04月14日 | 海外旅行

 パリといえば思い出すのが、こちらを威嚇してくるイカついドーベルマンであった。

 貧乏で、オシャレでもないバックパッカーだが、一番好きな街はパリである。

 というと、すぐさま、

 「似合わねー」

 「見栄張ってるんじゃね?」

 「とりあえずフランス人と、せしぼんたさんに謝ってください」

 などといった失笑や罵倒の声が聞こえてきそうだが、こればっかりは本当なのだから仕方がない。

 で、その輝かしき花の都とのファーストコンタクトこそが、殺意むき出してにらみつけてくるドーベルマンなのである。

 はじめてパリに行ったのは、今からもう20年近く前。まだユーロが導入される前で、通貨がフランだったころのこと。

 テニスのフレンチ・オープンを観戦するためであったが、せっかくヨーロッパまで出かけるのに、パリだけというのももったいない。

 そこで、バイトでせっせと貯めた金をかき集めて、物資が底をつきるまでヨーロッパを放浪することにしたのである。

 そこでまず、なぜかベルギーを出発点にフランス入りすることに。

 ブルージュから電車でパリ東駅に到着した私は、これ以上ないくらいに期待で胸を膨らませていた。

 なんといってもパリである。華やかなフランスの首都、花の都パリだ。

 ルネ・クレールの映画やスタンダールの小説で美しく描かれた街。大好きなヨーゼフ・ロート『聖なる酔っぱらいの伝説』の舞台でもあるのだ。

 さあパリよ、思う存分その美しさを我に味あわせたまえ!

 勇んで電車を降りて、まず旅人を迎えてくれたのは、豊穣なワインの香りでも、美しきパリジェンヌの姿でもなく、迷彩服姿に身を包んだ軍人の銃口であった。

 兵隊と銃。

 いきなり、ハードすぎる出迎えである。

 あれ? なんかメチャクチャ警戒されてるんッスけど……。タラップを降りた途端、若い兵士がしごく高圧的に、

 「ヘイ! お前だれやボン、どこからきて、フランスでなにするか、とっとと言えビヤン!」。

 フランス語なんでサッパリわからないが、旅行者のカンと経験で、たぶん荷物とか身分証明のチェックを求めているだろうことくらいはわかる。

 ニセ者の可能性もあるので、たとえ相手が警察などでも、財布やパスポートをうかつに出すのは禁物だが、警戒するこっちにかまわず、軍人は居丈高に「パスポール!(フランス語で「パスポート」のこと)」をくり返す。

 勢いに押されパスポートを取り出すと、今度はかたわらにいたドーベルマンに命じて、バックパックをクンクンさせるのである。

 またこの犬が命令ひとつで、すぐにでもこちらのノド首にかみついてきそうな、なんとも迫力のあるヤツであった。きっと「フューリー」とか「ファルシオン」とか「ストームブリンガー」みたいなトガッた名前がついているにちがいない。

 ガチの兵士、銃、ドーベルマンの3点セットに、こちらもビビりまくりである。少なくとも、日本ではなかなか経験できないメンツだ。

 しかも、この兵隊さん、ピストルではなく銃身の長いライフルを右手に装備しており、それも日本の警官のようにホルスターに収まっているわけではなく、堂々のむき身。

 どころか、よく見ると右手の指はずーっとトリガーにかかっているのだ。

 おいおい、すぐにでも撃つ気やないかい!

 まさか、さすがにすぐ額をぶち抜かれることはないと思うけど、うっかりバナナの皮ですべったりしたら、その途端に指に力が入ってバーン! ということにならないか。イヤだぞ、そんなエスプリな死に方は。

 そういや、ミュリエル・スパークの短編に『バン、バン! はい、死んだ』ってのがあったっけと、こちらが尿をちびりそうになっているのをよそに、お犬様の鼻クンクンは続いている。

 どうやら麻薬犬のチェックらしい。

 のちにわかるのだが、当時ユーロ導入に向けて国境でのパスポートチェックをなくした西ヨーロッパ諸国だったが、それによる麻薬の流入を防ぐべく力を入れていた時期だったそうなのだ。

 まあ、それなら安心だ。私はだらしないバックパッカーだが、麻薬の類はノータッチなので、堂々と犬に荷物をかがせて、すぐさま無罪放免。

 ちなみに、これものちに聞いたのだが、兵隊さんの銃にはちゃんとトリガーに安全装置がかかっており、銃からも基本的には弾が抜いてあるそうな。

 本気で撃つ気はなく、最初から威嚇目的の装備なのだ。これなら、バナナでスッテンも問題ない。転び放題である。

 なーんや、それならなんてことないやん。竹光でおどかしよってからに。ビビって損したで。

 なんて余裕をかましていたら、私の後にチェックされていた人の中には、どこがどうアヤシかったのか、ガンガン犬にプレッシャーをかけられている人もいたから、けっこう笑い事ではなかった。

 まさにエッフェル塔より凱旋門より、如実にリアルな「ようこそパリへ」という洗礼を受けた格好。

 このような先制パンチを食らっては、もうパリに関してはテニス見たらさっさと出た方がええかもなあと、いささかテンションが下がり気味。

 まさかその後、旅行日程の大幅な変更を余儀なくされるほど長くこの街に居続けることになるとは、このときは予想もしなかったものであった。

 

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「銀冠の小部屋」を封鎖せよ 郷田真隆vs藤井猛 2002年 第61期A級順位戦

2020年04月11日 | 将棋・好手 妙手
 「幻の妙手」について語りたい。
 
 前回は若手時代の羽生善治九段が見せた、伝説端歩突きを紹介したが(→こちら)、今回は同じ「羽生世代」の棋士による熱局を。
 
 
 2002年の第61期A級順位戦
 
 藤井猛九段郷田真隆九段の一戦。
 
 藤井システム相手に、左美濃から銀冠に組み替えた郷田だが、序盤巧者の藤井相手に作戦負けにおちいる。
 
 形勢は藤井有利のまま進むが、郷田もなんとかふんばって勝負形に持ちこみ、むかえたこの局面。
 
 
 
 
 
 
 △46金と突進したのに対して、先手が▲64歩と、土台になっていた除去したところ。
 
 後手から△29金と打つ筋がいつでもあるが、すぐに決行しても、攻めが細くなかなか決まらない。
 
 なにか一工夫ほしい場面だが、ここで郷田が、アッという鬼手をくり出す。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 △17香と、いきなり放りこむのが、郷田がねらっていた必殺手。
 
 放置すれば△19竜でおしまい。
 
 ▲同香なら、△47金と取って、▲同金なら△29金で、▲17に逃げられないから詰み。
 
 
 
 
 
 
 ▲同玉なら、△19竜と底をさらって、▲18香の合駒が先手でないので、△47金と取って勝ち。
 
 
 
 
 
 
 
 
 これは順番が大事で、△17香を打たずに△47金と取って▲同金、△29金▲17玉が「銀冠の小部屋」の手筋。
 
 △39竜とせまっても、持駒にがあるから、▲38金でピッタリ受かる。
 
 
 
 
         △39竜に▲38金までで、受け切り。
 
 
 
 
 また、△47金、▲同金としてから△17香と打つと、▲同玉、△19竜に、やはり▲18金とハジいて先手勝ち。
 
 
 
△19竜の王手に、▲18金と先手で受けて、後手の攻めは切れている。
 
 
 
 ちょっとややこしいが、要するに後手はを渡すタイミングをずらすことによって、竜を金ではじいて、先手で受ける筋を巧妙に消しているのだ。
 
 まさに、米長邦雄永世棋聖の言う通り、
 
 
 「風邪はひいても後手はひくな」
 
 
 流れ△47金と取ってしまいそうなところを、なにもせず△17香が絶妙。
 
 まるで、屋根から突然降ってきた槍ぶすまのようで、小部屋への脱出路を、見事にふさいでいるのだ。
 
 藤井は▲17同香、△47金に、▲39香と打ってねばるが、△48金打、▲同金、△同金、▲29金に、△49金打が郷田流のすばらしい見切り。
 
 
 
 
 
 形だけ見れば、とんでもない筋悪で、ふだんの郷田なら絶対に指さない類の一手だ。
 
 しかも、この瞬間、先手玉は絶対に詰まない「」とか「ゼット」という形だから、ここから詰めろ連続でせまられると、後手の負けは確定する。
 
 ムチャクチャに怖い形だが、「自玉に寄りなし」と読み切っているから、あえて悪い形に踏みこめるのである。
 
 強いなあ。
 
 こうなると、一見愚形の2枚の金から、逆に郷田の誇らしげな顔が見えるようではないか。
 
 以下、藤井も必死にせまるが、郷田の対応も冷静で、再逆転はならなかった。
 
 ……と、まとめて終わりたいところだが、それでは正確さを欠く記述になってしまう。
 
 というのも、今「再逆転」と書いたが、実はこの将棋は一度も逆転などしていなかったからである。
 
 そう、この将棋は△17香の鬼手をくらっても、正しく対応すれば、まだ先手が勝っていたのだ。
 
 それに気づいていたのは、控室で検討していた先崎学八段と対局者の郷田だけだった。
 
 その手とは、▲18香(!)。
 
 
 
     △17香には▲18香の右フックが決まる
 
 
 
 なんとこれで、後手にこれ以上の攻めがない。
 
 △同香成に、▲同銀で受け切りだ。
 
 見えてなかった藤井は頭をかかえたが、鬼手を食らった後、冷静なこんな手は、なかなか思い浮かばないだろう。
 
 てか、浮かぶヤツの方がおかしいって!
 
 郷田もすごいが、先チャンもまたバケモノであるなあ。
 
 嗚呼、この世代は強すぎるよ。
 
 ちなみに、この期の藤井は6勝3敗の成績ながら、プレーオフ羽生善治竜王に敗れて、名人挑戦はならなかった。
 
 もしここで▲18香を指せていたら、7勝2敗で見事……。
 
 となったかどうかはわからないが、レースはまた違った展開を見せていたし、もしかしたら「藤井名人」の可能性もあったかもしれない。
 
 棋士のキャリアというのは、本当に秒読みの一瞬のひらめきで、大きく左右されるものなのだと実感する。
 
 
 
 (深浦康市の初タイトル獲得編に続く→こちら
 
 
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スカトロジーで学ぶ「多様性の尊重」 その2

2020年04月08日 | ちょっとまじめな話

 前回(→こちら)の続き。

 「エロジェダイ」こと友人タカイシ君のおすすめで、スカトロ動画の上映会をした、我が母校大阪府立S高校のボンクラ男子生徒たち。

 グロがダメな私は早々にギブアップを宣言したが、そこで感じたことというのが、

 

 「自分と違う人間というのはいるものだ」

 

 と同時に、

 

 「でも、それはそれで尊重すべきなんやろうなあ」

 

 たしかに、私自身にスカトロ趣味はなかった。正直、ひいた。
 
 でも、その趣味を持っている人を、どうこうしようとはならない。とも思ったわけだ。

 そりゃ、その嗜好を押しつけられたりしたら困るし、もし好きになった女の子に「飲んで」とか言われたら、どうしたもんかと頭を抱えるだろう。

 けど、それでもだからといって、差別したり、迫害したり、検閲禁止をしようとも思わない。

 そういう趣味なら好きにやって、なんの問題もないのである。

 当然、私も自分の好きなものは、他の人がどう言おうと好きにやらせてもらう。

 それはスカトロのようなマニアックなものだけでなく、私が嫌悪感を抱いたり密かにバカにしているものでも、すべて同じ。

 「嫌い」「イヤ」「理解不能」となっても、「差別」「迫害」「禁止」はしない。

 多様性って、きっとこういうことなんじゃないだろうか。

 別にイヤならイヤでいい。理解する必要もない。かといって、排除する必要もない。

 ここでのポイントは「多様性の尊重」とは

 

 「自分と違う人のことを理解しよう」

 

 ということではないこと。

 そんなことを掲げてもハードルが高いし、またそういうことを言いがちな「善良な人」ほど、うまくいかなかったり、「放っておいてほしい」とか反応されると、

 

 「こちらが努力しているのに、むこうが応えてくれない」

 「信じていたのに裏切られた」

 

 最悪なのは「改心」させようとしたり、あげくには勝手に盛り上がって「アンチ」になってしまったりと(「善良な人」はときに自分の善を絶対視するもので「独善」とはよく言ったものです)、めんどくさいケースが多いのだ。

 大事なのはたぶん、

 

 「自分と違う人のことは、《そういうもの》として放っておく」

 

 ということなんだけど、人はこの一見簡単そうなことが案外できないらしく、

 

 「理解しようとして失敗から逆ギレ」

 

 とか下手すると「」「不道徳」「不謹慎」と認定して石を投げるとか、迷惑なアクションを起こしてしまう。

 「おたがい様」かもしれないのにだ。

 そもそも、「自分の不快」でなにかを抑圧したら、自分が好きなものが、

 「オレ様が不快だから」

 と、やり玉にあがったとき反論する「道義的権利」を失うのに。

 それだったら「わからないまま、じっとしてる」方が、よほど世界は平和なんだけど、人はどうも、

 

 「自分と違うもの」

 「理解の範疇を超えているもの」

 

 これを放置するストレスに耐えられないようなのだ。

 あと、

 

 「自分から見て少数派だったり、《下》と判断した者たち」

 

 これが楽しそうにしていることに、無条件でイラッとするものもあって、それが相乗効果を生んだりもする。

 

 「○○のくせに生意気だ」

 

 とかね。

 まったくもって不条理に余計なお世話だが、これもまた理屈では割り切れない人の業なのだ。

 翻訳家でありスティーブンミルハウザーポールオースターの名訳で知られる翻訳家の柴田元幸先生は、あるエッセイでこんなことを書いている(改行引用者)。

 

 スチュアート・ダイベックという作家が僕は大好きで、短編集を一冊訳してもいるが、彼の描くシカゴの下町では、おばあちゃんの真空管ラジオはいつもポルカ専門の放送局に合わせてある一方、孫たちはロックバンドを組んでスクリーミン・ジェイ・ホーキンスのシャウトを真似しあったりしている。

 どっちが正しいか、正しくないか、といった話はいっさい出てこない。両方が、別に意識して仲よくしようと努めたりせず、ただ併存している。

 おばあちゃんのラジオも、何せ古いから、ときどきチューニングがポルカからずれて、違う音楽が紛れこんできたりする。こういう方がずっといい。


    ―――柴田元幸「がんばれポルカ」

 

 バリバリの「ロック世代」である柴田先生だが、その通りではないだろうか。

 ポルカもロックもスカトロも、その価値はすべて並列上にある。えらそうにする必要もないし、卑下する意味もない。

 

 「え? そこをアップにするんですか?」

 「そんな【カクテル】とか、ムリっすよ!」

 

 放送室で悲鳴を上げた若き日の私だが、柴田先生も言う通り、独善なんかより「こういう方がずっといい」のである。

 

 

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スカトロジーで学ぶ「多様性の尊重」

2020年04月07日 | ちょっとまじめな話

 「多様性とはなにか」ということを、スカトロ動画から学んだ。

 と、はじめると、なんだかわけがわからないうえに、私がスカトロジストのような印象をあたえそうだが、そういうことではなく、今から説明してみたい。

 高校生のころ、クラスメートだったタカイシ君は皆から「ジェダイ」と呼ばれていた。

 ジェダイとはもちろん『スターウォーズ』のそれで、彼がなにゆえにそのような尊称で語られるのかと問うならば、なにをかくそう、それは

 

 「エロのジェダイ」

 

 なのであった。

 健康な高校生にとって、エロというのは勉強や、将来の展望を鼻息プーで吹き飛ばす最重要科目である。

 でもって、「ジェダイ」タカイシ君はネットのない時代、そのカナメともいえる「アダルトビデオ」にメチャクチャくわしかったのだ。

 そんな男なので、彼の周囲には

 

 「ジェダイよ、われにナースもののAVをあたえよ!」

 「マスター、桜木ルイの新作をお願いします!」

 

 という迷える子羊たちが、常に群がっていたのである。

 私はそちらに関しては「活字派」で、あまり映像作品にはくわしくなかったが、あるとき彼と話していて、

 

 「シャロン君はどんなんが好きなん? よかったら、ええのん用意するで」

 

 ソムリエか、ポン引きのように誘われてしまったのだ。

 そこで、ふつうのを観てもおもしろくないということで、なかなか見る機会のないマニアックなものをどうかと頼んでみると、用意してくれたのがスカトロ動画なのだった。

 スカトロジーとは、要するに糞尿志向というか、お笑いコンビであるリットン調査団藤原さんの名言を借りれば、

 

 「あー、女子高生のおしっこをドンブリ一杯飲みてえ!」

 

 といったノリであり、まあなかなかにノーマルではない愛の形である。

 そんなコアなものをひとりで観るのもなんなんで、放課後、放送部の友人に頼んで機材を用意してもらい、ボンクラ男子が集まってワイワイ鑑賞したのだが、これがインパクト充分だった。

 まずは入門編(?)ということで、女優のみなさんが、トイレで排泄する動画からスタート。

 和式便器にまたがり、音を立てて女性が放尿し、脱糞する。

 

 「どうや、これがスカトロいうやつや。まずはゆるい感じから、なれてくれ」

 

 笑顔で紹介するタカイシ君だが、情けないことに私はここで、すでに逃げそうになった。

 こう見えて、グロはダメなのである。それをモロに見せられては、とても正視できるものではない。

 さらにタカイシ君は

 

 「洋式便器の中にカメラを仕込んで見る、放尿脱糞シーン」

 

 こんなビデオをセットし、こうなるとまるで自分の顔面めがけて「ブツ」が飛んでくる気分が味わえる。今でいう「VR」感覚である(ホンマかいな)。

 

 「どうや、ええ感じやろ」

 

 ジェダイは上機嫌だ。

 さらには、プレイの幅がもっと具体的になってきて、そろそろあまり言及したくないが「接触」「飲食」が入ってくると、もうグロッキーである。

 ヘタレな私は、ここで、

 

 「オレ、もう無理やから」

 

 ギブアップしたが、上映会はその後も続き、ちょっとここではとても書けないようなハードな展開を見せ、最後まで見た友人曰く、

 

 「人の想像力って、限界がないんやなあと感心したわ。ようあんなん、思いつくで。だって、太ったオッサンの脂肪を吸引器で吸ってそれを(以下マジでグロいので略)」

 

 性的興奮や嫌悪感を超えて、ほとんどアートを見る目で観てしまったというのだ。

 この上映会を通じて私は思ったわけだ。

 

 「世の中には、自分と違う価値観の人間がいるものだ」

 

 同時に、こうも思ったわけだ。

 

 「違うことは違うけど、それはそれで尊重すべきであろうなあ」

 

 (続く→こちら

 

 

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米長邦雄も絶賛「伝説の▲96歩」 羽生善治vs森内俊之 1988年 新人王戦決勝 第2局

2020年04月04日 | 将棋・好手 妙手
「手を渡すのがうまい」
 
 というのは羽生善治九段の将棋を語るのに、よく出てくるフレーズである。
 
 前回は、村山慈明七段が見せた絶妙手を紹介したが(→こちら)、今回は同じ研究会だったよしみで、古い羽生将棋を見ていただきたい。
 
 
 将棋のテクニックで、難解な局面では、あえて相手に手番を渡すというのがある。
 
 うまくやれば、それが迷いを呼んだり、ときには悪手を誘発したりする効果があるのだ。
 
 かつては、大山康晴十五世名人がこの達人で、
 
 
 「生涯で、これほど相手に悪手を指させた人はいない」
 
 
 そう評したのは先崎学九段だが、米長邦雄加藤一二三二上達也内藤國雄といった幾多の名棋士が
 
 
 「はい、手番あげるから、いい手を指してみなさいよ」
 
 
 大山から投げかけられた問いに、苦しめられたもの。
 
 その勝負術を継承する羽生が披露した、有名なものといえば、この局面。
 
 
 
 
 1988年新人王戦。決勝3番勝負の第2局
 
 羽生善治五段森内俊之四段の一戦だが、次の手が「伝説」と呼ばれる1手だ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ▲96歩と突いたのが、観戦していた米長邦雄九段も大絶賛した一手。
 
 この手のなにがすばらしいのかは、正直なところ、高度すぎてよくわからないのだが、米長の解説では、この局面では▲72角とするのが普通。
 
 そこで後手が、△75歩などと仕掛けて、先手は▲83角成という手を含みに、受けにまわるという展開になる。
 
 そこを端歩を突いても同じようになるなら、玉のフトコロが広いうえに、手持ちのが反撃に使えて、こちらのほうが良い、と。
 
 そう言われると理屈はわかるが、今まさに戦いがはじまったところで、じっと端歩を突いて、手を渡せるという度胸が並ではない。
 
 これから猛攻を受けることは必至なのに、こんな効いてるかどうか微妙な手を指すのは、ムチャクチャ怖いはず。
 
 しかも、相手は天下の森内俊之だ。
 
 これで攻めこまれて、そのままつぶされでもしたら、アホらしすぎるではないか。
 
 ただ、この一手パスをとがめてみろといわれると、これがなかなか見つからないのが、この将棋の実に不思議なところ。
 
 将棋の形勢を判断するのに
 
 
 「駒の損得」「玉の固さ」「駒の働き」「手番」
 
 
 を参考にするものだが、そのうちのひとつを放棄するような手で、
 
 「どうぞ、ご自由に」
 
 とやられて、これで有効手がないなど、そんなバカな話があるものか。
 
 この局面、先後にする、いわゆる「ひふみんアイ」をして後手側から見ると、よりわかるけど、本当に「え?」っていう手にしか見えないのだ。
 
 だが現実に、ここで後手にハッキリした手がない。
 
 森内は△65歩▲57銀に、△75歩としかけるも、やはり
 
 
 「動かされている」
 
 
 と感じていたようだが、森内のその懸念は当たった。
 
 後手は玉頭をからめて、激しく攻めたてるも、羽生は手厚い指しまわしで、それをガッチリと受け止めてしまう。
 
 
 
 ▲38歩と打ったのが、入玉を阻止する決め手。
 金銀5枚+と金の護衛をひき連れて、ふんぞり返っている羽生玉が印象的。
 
 
 
 
 金銀7枚を手にし、まるで森内のお株を奪うような、カナ駒のスクラムで押しつぶし、見事、新人王戦初優勝を飾るのである。
 
 かくして「羽生の▲96歩」は、ここに伝説の一手となったのだが、この一局には後日譚があり、なんとこの妙手を、とがめる手というのが発見されたのだ。
 
 1990年の竜王戦で、石田和雄八段有森浩三五段に見せたその順とは、▲96歩の局面で△75歩と突く。
 
 ▲同歩、△同銀までは森内の指し手と同じだが、▲76歩に、前例は△66歩のところ、なんとそこで△84銀(!)と引き返すのだ。
 
  
 
 
 羽生の▲96歩
 
 
 「なにか指してください。もっとも、たいして有効な手はないでしょうけどね」
 
 
 という問いかけだとしたら、それに対する回答が、
 
 
 「たしかに。じゃあ、こっちもパスするので、あなたこそ、なにか指してください。手を渡すくらいだから、あなたこそ有効な手はないでしょう」
 
 
 「パス」が最善手なら、こっちもそのまま「パス」で返せば、また先手が「パスが最善手」の局面を処理しなければならなくて困るはず。
 
 というのは、言われてみれば論理的な発想であり、今なら角換わり系の将棋における
 
 「相手の最善形が、くずれるまで待つ手渡し」
 
 なども理解できるようにはなったが、子供のころ観たときは、たまげたもの。
 
 なんなんだ、これは?
 
 ただ難しいなりに、将棋の奥深さのようなものは感じられ、今でも忘れがたい局面だ。
 
 ちなみに勝又清和七段の解説によると、△84銀のパスには、さらに▲95歩(!)と手を渡した実戦例もあるらしい。
 
 そうして将棋の手は、どんどん進化していくのだが、たとえ過去の局面になっても、やはりこの手自体の輝きは今でも色あせない。
 
 それは、この局面が
 
 
 「難解な局面で相手に手を渡せる」
 
 
 という羽生将棋の大きな特徴、その見切り度胸、自らの読みへの自信、そしてなにより、カオスを楽しむおおらかさ。
 
 そういった「羽生マジック」のエッセンスが詰まった象徴のような図であり、どれだけ時が経とうとも、決して古びることはないのだ。
 
 
 (郷田真隆と藤井猛の熱戦編に続く→こちら
 
 
 
 
 
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海外旅行の夜のお供にラジオをどうぞ(ただしアラビア演歌は苦手)

2020年04月01日 | 海外旅行
 外国に行くと、夜はよくラジオを聴いた。
 
 私は海外旅行が好きで、一人でも全然いけるタイプだが、ひとつ困るのが夜の過ごし方。
 
 一人旅のメリットは気楽で、だれにも気を使わなくてよいところだが、デメリットは夜が長いこと。
 
 特に私のような安宿を利用するエコノミー旅行者は、飯を食ってなにもない部屋のベッドで寝転がっていると、たいそうわびしいのだ。
 
 これがユースホステルのようなドミトリー(相部屋形式の宿)だと気のいい旅行者たちと、おしゃべりするという手もあるけど、あいにくそういう相手がいないときなどはラジオのお世話になり、今のようにスマホもない時代、これがあるとないとでは、ずいぶんと気持ちがちがったものだった。
 
 音楽は偉大だ。言葉がわからなくても楽しめるところが、とにかくすばらしいし、理解できないDJのおしゃべりだって無音よりはあるだけ、なんぼかマシである。
 
 ただ、ひとつ注意してほしいのは、アラブ圏ではこれがその限りではないこと。
 
 ヨーロッパは問題ない。聞こえてくるのは、日本人でも耳慣れたロックやラップやポップスだ。
 
 アメリカやオーストラリアも似たようなもの。アジア圏も、エキゾチックなエスニック音楽を楽しめる。
 
 だがアラブ圏だと、いかんともしがたいのが、流れているのがアラビア語の音楽ばかりだからだ。
 
 いやいや、それはそれで異国情緒があふれていていいではないかと言われそうだが、どうもアラブの音楽というのはしっくりこないというか、メロディがやたらと「演歌」っぽいのだ。
 
 節回しがベタというか、コブシが効いてるわけでもなかろうに、なぜかこう津軽海峡とかアンコ椿っぽい。
 
 しかも、曲が変われど変われど、どれも同じパターンの曲。
 
 アジアにもそういう曲はあるけど、番組を変えれば欧米向けの放送局があって、聞きなれた雰囲気の曲が楽しめる。
 
 どっこいイスラム圏は、やはり「西欧のものはいかがなものか」的偏見があるせいか、どの局をまわしてもアラビアン演歌一辺倒。
 
 実際はいろいろ違うんだろうけど、アラビア音楽の素養と演歌的節回しへの興味にかけている私にはなんともなじみがなく、どれも同じに聞こえてしまう。
 
 高橋由佳利先生の名作『トルコで私も考えた』や、ドイツとのハーフであるサンドラ・ヘフェリンさんの本でも、
 
 「イスラム圏の人は演歌好き」
 
 という情報が提示されており、「エジプトのサブちゃん」「モロッコの冠二郎」「チュニジアのバーブ佐竹」と言った人たちが放送局を席巻している。
 
 これでは旅の風情もへったくれもなく、外国の夜というよりは、どちらかといえば地元のサウナ感が増す感じであり、私は異国の空の下、ひそかに頭を抱えることになるのである。
 
 
 
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