前回(→こちら)の続き。
旅先のオランダで知り合った、東京外国語大学の学生さんキタハマ君。
彼の専攻であるマレー語からマレーシア文化の話になったが、ちょっとばかしかみ合わないところがあった。
具体的にどうということもないのだが、多民族国家で、イスラム教で、昔イギリスの植民地で……。
なんて筋肉少女帯『銀輪部隊』など歌いながらあげていくと、キタハマ君が、
「あ、わかりましたよ!」
え、何がわかったの? 今ので?
いぶかしげなこちらに対し、発見の喜びに、前のめりになっているキタハマ君。
「シャロンさん、今、マレーシアは元々はイギリスの植民地っていいましたよね」
う……うん、とやや気圧される。だが彼はかまわず、
「そこが違うんですよ、マレー語やってる僕らからすると、マレーシアがイギリスの植民地って見方じゃなくて、イギリスはマレーシアの宗主国って視点でしゃべってるんですよ」
キタハマ君は興奮したような口調で、
「そこにズレがあったんです。そういうことなんですよ」
よく古い四コママンガで、なにかいいアイデアが思いついたときフキダシの中で電球が光るという描写があるが、あれは本当です。
そのときの私は、まさにその心境であった。
暗かった脳内にパッと明かりがついたというか、なるほどというか、「ビンゴ!」と、叫びたいような心持ちであったのだ。
それや! と。
蒙が啓かれるというのは、こういうときのことをいうのであろう。
イギリスから見たら、マレーシアは植民地だけど、マレーシアからしたらイギリスは宗主国。
そういうことか。我々は同じ話題を、まったく逆の視点から語っていたのだ。
だから、同じことを話していても、感想や連想がずれる。
そりゃそうだ、同じテニスの試合でも、ロジャー・フェデラーのファンとラファエル・ナダルのファンでは、語るところに違いが出て当然。
あの世紀の名勝負といわれた2008年ウィンブルドン決勝も、どっちに肩入れするかで、話のニュアンスは180度変わってしまう。
そんな、いわれてみれば当たり前のことに、まったく気がつかなかった。
ヨーロッパ→アジア、アジア→ヨーロッパ、支配者と被支配者、それぞれに見方は違うはず。
それこそ、
「日本軍のマレー進駐」
という英馬(キタハマ君からすると馬英か)共通の「事実」を前にしたとして、それに対する対応や感情は、それぞれはっきりと別のものであろう。
同じこといってるつもりで、かみあわないのは、当然すぎるほど当然なのだ。
納得した。無茶苦茶に腑に落ちた。思わず飛び上がりたくなるくらいに、心に入ってきたのだ。
さらにいえば、これはものすごい快感でもあった。たいしたことではないかもしれないが、
「わかる」
というのが、こんなにも麻薬的な快感であると、このときはじめて知った。
同時に自分が、いかに一面的なものの見方しかしていない、視野が狭い人間なのかと思い知らされた。
学校で習った世界史の教科書というのが、「東南アジア」という呼称などを見ても、笑ってしまうくらいに「西洋中心主義」で書かれている。
そこに「ルネサンス」や「フランス革命」はあっても、マレーシアについては
「資源が豊富」
くらいのことしか載っていない。
地理も歴史も、教室ではほとんど語られた記憶がない。
日本と同じアジアなのに。あほらし屋の鐘が鳴るとは、このことであろう。
端から見れば「なんで今までわかんなかったの?」ってなものだろうが、人間、だれかに指摘されないと、わからないということはあるものですね。
思いこみや固定概念というのが、いかに人の考えや思想や判断力を貧しいものにするか、キタハマ君のなにげない一言が私に教えてくれた。
それまで、旅行といえば「欧米」しか頭になかったが、彼との会話以降、アジアやイスラム圏にも足を運ぶようになった。
それほど興味のなかった「日本史」に目を向けたり、学ぶことへの食わず嫌いがなくなった。
世界には、自分が今知っているものよりも、もっと複雑で、広い価値観というのがある。
なによりも、新しいものを知ること、発見と解読が身震いするほどの知的快感であることを身をもって感じ取ることができた。
そういう意味では、キタハマ君は私にとっての「知の師匠」といってもいいかもしれない。
これはおおげさではなく、寺山修司や池内紀、カール・セーガンといった人々に匹敵する影響を与えてくれたといっていい。
チリを舞台にしたミステリ、ロベルト・アンプエロ『ネルーダ事件』の中で著者はガリレオ・ガリレイ、そのガリレオの伝記的戯曲を書いたベルトルト・ブレヒト。
そしてチリのノーベル賞作家パブロ・ネルーダを「知性の象徴」として描いているが、そこにこんな一文がある。
「(ガリレオ、ブレヒト、ネルーダの共通項は)三人は周囲にいる人々を生まれ変わらせ、世界をまったく新しい視点で見られるようにし、教わったほうがそのことに気づかないほど、ごく自然に教えを伝える力があった」
この本を読んだとき、思い出したのが、まさにキタハマ君のことだった。
こんなことをいうと彼は「またまたぁ」と笑うだろうけど、オランダの地で彼と出会えたことは私の人生の分岐点でもあった。
今の私が、さまざまな事柄に対して、固定概念や偏見に流されそうになるときに、
「ちょっと待って、それ一回、別の視点から考えてみいへん?」
そう立ち止まってみる習慣がついたのは、間違いなく彼のおかげだ。
このことを、私は言葉にできないくらい感謝している。
ありがとう、賢人キタハマ君。
大人になった今、私はまた、あらためてお礼が言いたい。
だから、たぶん読んでくれないことはわかってるけど、ここにキミのことを書き記しておくよ。
キミは今もまた、新しい言葉を学びながら、アジアやヨーロッパを楽しく旅行してるのだろうか。
またどこかで、逢えたらいいね。