「われわれ全員の仕事」について、ロシア文学者の沼野充義先生が

2021年12月31日 | ちょっとまじめな話

 「誇り高く生きる」しか、ないんじゃないかなあ。

 というのが、後輩諸君にできる、唯一のアドバイスかもしれない。

 私はいい歳して、頭に「ド」のつくボンクラであるが、それゆえかときに、同じような人種の後輩から、相談を受けることもある。

 そんな彼ら(ときに彼女ら)のことを、あれこれと考えていると、いつも結局は、ひとつの結論に行きついてしまうことになる。

 「負けるなよ、せめて誇り高く生きるんだ」と。

 悲しいことであるが、この世界には人の尊厳を踏みにじることが、人生の喜びであるという人が存在し、それが後輩諸君の「相談」で頻出する。

 私自身は、こういう人を、できるだけ避けて生きてきた。

 そして、たまさか、彼ら彼女らのような人に出会うと、こうも思うのだ。

 「そういう人に、決して負けてはいけない」と。

 ここでいう負けるとは、一般的な「勝ち負け」ではない。

 たとえば、その「踏みにじる人」が自分よりも偉かったり権力があったり、金持ちだったりしても、そんなことはどうでもいい。

 そういう人に試合で負けたり、成績が下だったり、モテなかったりしても、それだって、なんてことはない。

 ここで私がいいたい「負けるな」とは、

 「そういう人を見て、【自分も見習ってしまう】こと」

 これこそが、大いなる敗北なのである。

 キミにとって、そしてにとって負けなのはなにかといえば、そういう「踏みにじる人」を見て、

 「こういうのが、【賢いやり方】なんだ」

 と学んでしまったり、「踏みにじられた」屈辱感に耐えられなくなって、

 「自分の尊厳が踏みにじられたらなら、他のだれかの尊厳を踏みにじれば、この苦しさが軽減されるのだ」

 そう考えてしまうことだ。

 「この人がやったように」と。

 たとえば、暴力でなにかを強制されたとき、人は決して強くないから、

 

 「自分は暴力で支配された。ということは、暴力というのは支配に有効な手段(これは悲しかな事実である)なんだ」

 「こんな苦しみを自分だけが受けるのは不条理だから、他者にも同じ目に合ってもらわなくては帳尻が合わない」

 「でも、それをそのまま言うのはみっともないから、【おまえのため】とか【伝統】という言葉で糊塗しよう」

 

 とか、なることはある。気持ちはわかる。

 自分の感じた劣等性を、他者にスライドさせることによる自己欺瞞を土台にした、「屈辱感の軽減」は、下手な薬やはげましの言葉より、よほど効き目があったりする。

 でも、そういう姿を見ると、私は思うのだ。

 「それ、おまえ(オレ)負けだよ」と。

 それは大きな誘惑であるが、決してのってはいけない。

 そう、聖書(私はクリスチャンではないけど)に出てくる悪魔は決して、殺人や破壊を行わない。

 映画『ダークナイト』のジョーカーと同じだ。人を追いつめ、

 「自分が傷ついたなら、その代わりに他者を傷つければ、心が落ち着くぞ」

 そう誘いかけてくる。

 「悪魔」とは「誘惑者」の別名なのだ。

 だから、もし「負け」そうになってるキミにアドバイスをするとしたら、たとえ他で、世間的には負けに見える状態におちいっても、その「最終防衛ライン」だけは死守すべきだ、と。

 シュテファン・ツヴァイクだったか、ロマン・ローランだったかの本に、こんな言葉があったよ。

 

 「たとえ自身が堕ちようとも、奴隷商人にはなるな」

 

 たいした取り柄もない我々だけど、いやだからこそ、たとえなにがあっても、せめてそこくらいは、強がって生きよう。

 という話をすると、

 「それ、わかります」

 神妙な顔で、うなずいてくれる子もいれば、

 「ボクが聞きたいのは、そういうんや、ないんスけどねえ……」

 という顔をする子もいる。

 中には、こう問う者もいる。

 「話はわかりました。じゃあ、どうしても耐えられない不条理に出会ったとき、具体的にどうすればいいんですか?」

 これにはたぶん、ロシア・スラブ文学者である沼野充義先生の言葉が「正解」だろう。


 どんなに、おそろしい同調圧力のもとにあっても、心の中ではそっと不同意の姿勢をつらぬくこと

 そして、大声を張り上げなくてもよい。小さな大事なものを、そっと守り続けること。

 それはおそらくですね、文学に携わるわれわれ全員の仕事ではないかと思うのです。

 

 それをやったとて、人生において、たいしたプラスはないのかもしれない。自己満足と言われれば、それまでだろう。

 でも、だれかのそういう姿を見ると、そこに、かすかな希望の灯がともる。

 そして、いつもかどうかは、わからないけど、たまになら、本当に何回かに一回でも。

 ささやかな誇りを「そっと守り続ける」ことが、できるのかもしれないという、強い力が湧いてくるのだ。

 

 

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For auld lang syne, my dear, for auld lang syne

2021年12月29日 | 日記

 2021年も、もうすぐおしまい。

 コロナのおかげで不便を強いられたが、なんとか乗り切って、今度は2022年。

 そこで今日は、ざっと今年を振り返って、おしまいにしたい。

 こんなん全然読まないでいいんで、代わりに「八方・今田の楽屋ニュース」でも見ましょう。

 それではドン。

 

 5キロのダイエットに成功した、『じゃりン子チエ』が朝の楽しみだった、朝日杯最終日はドラマチックだった、サンデル教授の「実力も運のうち」がピンとこない人はレナード・ムロディナウ『たまたま』を読もう、竹ブラジルのネタが天才過ぎてもう、樹村みのりはすごいけどエライことカロリーを使う、春キャベツにハマった、久しぶりに落語を聴いた、かわいいポットを買った、オシャレなやかんを買った、今世界で一番男らしいのは川瀬名人だ、藤井聡太がなにをやってももう驚かない、山田五郎さんのYouTubeは見るべし見るべし、読書量が減っているのが今の悩み、なんとなくヒッチコックを観直したら全作品見返したくなって困った、こんだけのことやっても選挙は勝つんだとコケそうになった、信じられないくらい頭の悪い人を何人か見た、ノバク・ジョコビッチを観て『ロッキー』があれだけ人を熱くさせる理由がわかった、ポン・ジュノってすごいんだけど明らかに気ちがい、ゴジラSPがメチャおもしろかった、真空ジェシカがついに行ったけど「ボケがジャムってる」のは大丈夫なのか、リマスターされた世界の古い町並みの動画ばかり見ている、「役に立つこと」を身につけられない私の役割はきっと「なかなか日の当たらないムダなもの」を拾い上げることなんだろう、いつまで経っても寝るのが下手だ、シルクロードを歩いてみたい、平和だったころにシリアに行っておかなかったのは本当に痛恨だ、イエメンもそうなった、来年こそは旅に出たい、春になって雪が溶けるようにすべての人の悩みが全部どこかに流れていけばいいのにシオシオのパー、

 

 今年おもしろかった本。

 

樹村みのり『カッコーの娘たち』

エラリー・クイーン『ローマ帽子の秘密』

伊藤ヒロ『異世界誕生 2006』

イザベラ・バード『日本紀行』『朝鮮紀行』

山際康之『八百長リーグ 戦時下最大の野球賭博事件』

青柳碧人&帯谷ミドリ『放課後ミンコフスキー』

マリオ・バルガス=リョサ『悪い娘の悪戯』

寺尾隆吉『ラテンアメリカ文学入門』

常盤新平『ザ・ニューヨーク・アイ・ラヴ』

E・S・ガードナー『どもりの主教』

沼野充義『チェーホフ 七分の絶望と三分の希望』

野崎まど『アムリタ』

灰田高鴻『スインギン ドラゴンタイガーブギ』

ドストエフスキー『地下室の手記』

猿谷要『北米大陸に生きる』

池内紀『カール・クラウス 闇にひとつ炬火あり』

井山夏生『テニスプロはつらいよ 世界を飛び、超格差社会を闘う 』

ジェイコブ・ソール『帳簿の世界史』

 

 

 

今年おもしろかった映画

 

『地獄の逃避行』

『日本沈没』

『コピーキャット』

『キングコング 髑髏島の巨神』

『勝手にしやがれ』

『蜘蛛の巣城』

『ペレ 伝説の誕生』

『クリスマスのその夜に』

『ヒンデンブルグ』

『真夜中のカーボーイ』

『スパルタンX』

『ビューティフル・マインド』

 

 それではみなさん、2022年にまたお会いましょう。

 

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「前進流」の受け 谷川浩司vs森雞二 1987年 第46期A級順位戦

2021年12月26日 | 将棋・好手 妙手

 「助からないと思っても助かっている」

 と言ったのは、受けの達人で鳴らした大山康晴十五世名人であった。

 もちろん、私のような素人レベルなら、助かっているのは、ほぼ「たまたま」の産物だが、これが達人の粋になると、

 「助からないと思っても(全部読み筋だから余裕で)助かっている」

 というケースもあり、その強さに感嘆することになる。

 前回は「受ける青春」中村修九段の見事なしのぎを紹介したが(→こちら)、今回もまた、すばらしい受けの手を。

 

 1987年の第46期A級順位戦

 谷川浩司王位森雞二九段の一戦。
 
 後手番になった森の四間飛車から、相穴熊戦に。

 森が仕掛けて、激しい攻め合いになり、むかえたこの局面。

 後手が△79同竜とせまったところ。

 この局面を一目見て、「どちら持ちたいか」アンケートを取ったら、どういう結果になるだろう。

 まあまあの人が「後手」をクリックするではあるまいか。

 先手陣は▲11の馬がいるから△88銀みたいな手はないけど、その代わりに、一路上の△87桂と打つ筋があって詰む。

 形は竜に当てて▲88銀だが、△78金と打って、▲79銀と取れば△87桂と吊るして詰み。

 

 

 

 ▲88金も、△87桂、▲同金、△78金▲88馬、△同金、▲同金に△87歩と叩く。

 

 

 

 ▲同金に△78銀とか自然に攻めていけば、いずれ受けがなくなる。

 とにかく先手は▲87の地点が開いてるのと、そこに敵のが立つのが痛すぎる。

 さらには後手の持駒も豊富で、玉は絶対詰まない「ゼット」となれば、万策尽きているようにしか見えないのだ。

 ところがここで、うまいしのぎがあった。

 「光速の寄せ」が見せた、盤上この一手の受けとは……。

 

 

 

 

 ▲87銀と、ここに打つのがうまい手。

 この一見フワッとした銀打で、信じられないことに、後手からこれ以上の手がない。

 △87桂を防がれたうえに、▲11の馬▲88▲77に利いており、どのように手をつなげても、一手負けは必至なのだ。

 森は△78銀と食いつくが、▲同銀、△同竜に▲88金とハジく。

 

 このとき竜が△79なら前述の△87桂、▲同金、△78金で寄りだが、この形だと竜がいるから△78金と打てない

 ゆえに、△87桂、▲同金には△同竜しかないが、これが一手スキになっておらず(▲11の馬を見よ!)、▲82歩成、△同金上、▲83歩が間に合う仕掛け。

 メチャクチャに迫られてる先手玉だが、とにかく馬の超長距離迎撃ミサイルが強力すぎて、どうあがいても詰みがない。 

 ▲11から▲88へのラインが美しすぎて、後手からすれば、本当に心がなえる局面ではないか。

 以下、△78金と一手スキをかけても、▲82歩成、△同金、▲83桂、△同金、▲81竜、△同玉、▲72銀から追っていけば詰む。

 

 まさに、計算されつくした一手勝ち。

 受けの妙手に続いて今度は「光速の寄せ」の合わせ技ときては、さしもの「終盤の魔術師」森雞二もまいった。

 動きの取れない後手は△86竜と香を取ってねばるが、▲82歩成、△同金、▲75銀打が手厚い手で先手勝ち。

 

 

 「前進流」と呼ばれる谷川浩司だが、受けだって見事なもの。

 まさに「助からないと思っても余裕で助かっている」という、強すぎる終盤力なのだ。

 

 (「大山康晴引退」をかけた伝説に続く→こちら

 

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独身貴族のクリスマス日記 森繁久彌 ポール・オースター キャロル・オコンネル クレイグ・ライス 登場

2021年12月24日 | 時事ネタ

 クリスマスと言えば平常運転である。

 先日は、大学時代の友人が披露した、ちょっと常軌を逸した疑心暗鬼を紹介したが(→こちら)、かように80年代から、私がヤングだった90年代のクリスマスと言うのは、ちょっとイカれた文化だったのだ。

 あまりにクリスマスに関心がないため、

 「実はすごい女とつきあっているから、余裕をかましているのか」

 なんて妄想をかきたてるとか、なにかこう「時代」というものの持つ洗脳感のスゴさに、今さらながら感心するが、ではそんな私がどんなクリスマスを過ごしているのかと問うならば、たとえばラジオとか。

 1956年朝日放送『クリスマス特集 テレホンリクエスト』

 パーソナリティーの上品な敬語が、時代を感じさせる。

 かかる曲も優雅で、森繁久彌さんがゲストで出たりと、なかなか豪華な内容。

 コタツに入って、コーヒーでも飲みながら聴いていると、なんとも贅沢な気分になれる。

 

 クリスマスと言えば、朗読劇なんかもいい。

 ポール・オースター『オーギー・レンのクリスマスストーリー』。

 アメリカ文学者で翻訳家の、柴田元幸先生による訳文がすばらしい一品。朗読も柴田先生自らのもの。

 村上春樹さんとの対談集『翻訳夜話』で読んでから、なんとなくこの季節になると聴きたくなる。

 朗読劇は机の整理とか、部屋の掃除とか、「ながら」で聞けるのがよく、なんとなく、知的な雰囲気になるのもグッド。
 
 『翻訳夜話』では原文と柴田訳のみならず、村上春樹訳でも読めるというオトクな内容になっているので、ぜひご一読を。

 あとは映画『素晴らしき哉、人生!』を観るか。

 人生で初めて泣いた映画だけど、ラストでボロボロ涙を流しながら、

 「うーん、でもこれって、根本的な解決には全然なってないよなー」

 なんて冷静に考えてしまうあたりが、私が今ひとつ人気者になれないところなんだろうなあ。

 あとは「クリスマスはクリスティを」の通り、『ポアロのクリスマス』でも読むか。

 キャロル・オコンネル『クリスマスの少女は還る』か、クレイグ・ライス『大はずれ殺人事件』もいいなあ。

 晩ごはんは、半纏着てネギたっぷりのタマゴ雑炊。

 なんにしろ、私のクリスマスは今年もこんなもんだけど、世間はどうなんでしょう。

 今でも、派手にやってるのかな?

 

 

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「不思議流」と「受ける青春」 中村修vs羽生善治 1990年 棋聖戦

2021年12月21日 | 将棋・好手 妙手

 「自陣飛車」というのは上級者のワザっぽい。
 
 飛車という駒は攻撃力に優れるため、ふつうは敵陣に、できれば成ってにして暴れさせたいもの。
 
 そこをあえて、自陣で生飛車のまま活用するというのは難易度が高く、いかにも玄人という感じがするではないか。

 前回は谷川浩司九段の手の見え方を紹介したが(→こちら)、今回は「駒をしても受け切ってる」という、ちょっと不思議なしのぎを見ていただきたい。

 

 1990年の棋聖戦、羽生善治竜王中村修七段の一戦。

 後手番になった中村の向かい飛車に、羽生は銀冠で対抗。

 7筋の位を取る先手の積極的な駒組に、振り飛車は機敏に対応し、自分だけを作って、見事なさばけ形を作る。

 不利におちいった羽生だが、そこからなんやかやと手をつくして、勝負形に。

 むかえた、この局面。

 

 

 

 羽生が9筋に味をつけてから、▲86桂と打ったところ。

 「美濃囲いは端歩一本でなんとかなる」

 と言われるように、次に▲94歩と打つ手が受けにくい。

 また▲74歩のコビン攻めもからめて、▲62歩のタタキとか、振り飛車がイヤな形だが、ここからが「受けの中村」の腕の見せ所だった。

 

 

 

 

 △54飛と打つのが、うまい自陣飛車。

 横の利きで、▲94歩▲74歩の筋を、同時に受けている。

 いかにも「不思議流」中村修らしい、やわらかい手だ。

 とここで、筋いい方なら

 「あれ? これ攻めがつながってね?」

 身を乗り出すところであろう。

 羽生は▲23馬と歩を補充し、△39角と馬を作りにきたとき、▲94歩と香取りに打つ。

 一回△66角成と王手して、▲77桂に、飛車がいるので△94香と取れるが、そこで▲74歩と突くのが手順の妙。

 

 

 

 △同歩なら、飛車の横利きが消えるから、▲94桂と王手で取って調子がいい。

 先手がうまく手をつないだようだが、ここで中村は、見事なしのぎを見せるのだ。

 

 

 

 

 

 △74同飛と取るのが、「受ける青春」本領発揮のカッコいい手だった。

 ▲同桂と取るしかないが、△同歩と取り返した形がサッパリしてて、これ以上攻め手がない。

 

 

 

 先手は二枚飛車こそあるが、存外に使う場所がない。

 後手陣は厚みがあって、不思議と手をつけるところが、見つからないのだ。

 ▲69香と打って、△55馬▲86飛(!)と、非常手段的な手で局面の打開を図るが、冷静に△45歩を封じられて、後続がない。

 

 

 

 

 ▲65香△64歩▲84歩、△同歩、▲同飛と特攻をかけるも、△83金と、はじき返されて切れ筋。

 手段に窮した羽生は、▲83同飛成から、バンザイアタックを仕掛けるしかないが、以下、中村はあっという間に、先手玉を仕留めてしまった。

 美濃囲いの弱点にゆさぶりをかけられて、イヤな気分のところを、△54飛の自陣飛車から、△74同飛で先手の攻めをかわしてしまう。

 駒は損しても、これでしのいでるという発想がスゴイ。

 まさに妙技ともいえる手順で、「受け将棋萌え」の私はもうウットリなのである。

 

 (谷川浩司の受け編に続く→こちら

 

 

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「ファントム彼女」はモデルかアイドル? 昭和平成クリスマス妄想編

2021年12月19日 | 時事ネタ

 「キミ、アイドルとつきあってるんか?」

 そんなことを訊いてきたのは、友人ヤマモト君であった。

 「今年のイブって、どうしてんの?」

 というのは、12月に入るころから、ちょいちょい周囲で聞かれるようになる質問である。

 今は知らねど、私がヤングのころは、はじけたとは言え、まだバブルの残り香が濃く残っていた時代であったので、

 
 クリスマスに恋人がいて予定がある=人生の勝利者

 クリスマスなのに独り身で、なんの予定も入ってない=ミジンコ以下の下等生物


 という、厳然としたヒエラルキーが存在した。

 ために、ときにおずおずと、ときに栄光に目を輝かせながら、皆そっと探りを入れてきたわけなのだ。

 今思えばというか、当時からでも「なんじゃそりゃ」とバカバカしい感じもするが、それが「時代性」というやつ。

 そんな疑問を感じる者は、

 「モテないからだ」

 と決めつけられ、高級スーツやブランド物を身にまとった人々が、阿呆みたいに高いディナーを食し、よろしくやっていたのだから、まあ景気がいい時代だったのは間違いない。

 ただ、人の価値観は様々であり、私自身はそういう文化に興味がなかったので、クリスマスだろうが、ふつうに家でうどんとか食ってたわけだが、これがどうも周囲には変に見えていたよう。

 当初は、

 「あいつは女に相手にされないミジメな男だ」

 という評価だったが、こちらがあまりに太平楽なので、
 
 「ヤツは世間の流行などに流されない、【信念の人】ではないか」

 などと、評価が変わったりもしたが、もちろん私にそんな強い思想などあるわけもない。

 あまつさえ、これは今でもどういう思考過程か謎だが、どうにも疑心暗鬼におちいったらしい、大学時代の友人ヤマモト君が、

 「シャロン君、オレら友達やんな。だから、絶対に友達にはウソをつかへんと、ここで誓ってくれ」

 なんだか妙に真剣な表情で言うのだった。

 私はホラは吹くが、ウソはつけないタイプだけど(記憶力が悪いので、ついたウソをすぐ忘れてバレるのだ)、いったいなんのこっちゃと問うならば、それが冒頭のセリフ。

 「オレだけには教えてくれ。キミ、隠れて裏で、モデルアイドルと、つきあってるんやろ?」

 これには思わず、スココーンとコケそうになった。

 話が、どっからどうやって、そうなったんや。

 ワシがそんな、モデルかアイドルなんて言うシロモノと、つき合えるかどうかなんて、それこそ「友達」やったらわかろうもんやろ。

 あきれてそう返すと、

 「たしかに、そらこっちもキミが、まともな神経持った女の子には相手にされへん、底抜けなんは知ってるけどな」

 いや、自分も、そこまでは言ってないッスけど……。

 いろんな意味で言葉もないこちらに、ヤマモト君はブツブツと、

 「でもなあ、おかしいもん。ふつうに考えたら、いっつもクリスマスになっても、あせりもせんと平常運転やん」

 まあ、12月24日言うても、特別なことはないわねえ。

 「てことはや、そんな余裕をかましてられるんは、実はコッソリ彼女を作ってるんちゃうかと」

 違うけど、まあそういう人も、おるかもしれへんね。

 「でや、これもふつうなら、周囲に自慢くらいはするはずやのに、そこを黙ってる。てことは、これは内緒でつきあわなあかんような女の子やろうと」

 はあ……なんか、筋が通ってるような、通ってないような……。

 「そうなると、もう相手は禁断の恋やないけど、有名人と言うことになるやん! じゃあ、モデルかアイドルやと」

 そこで、友は目をむくと、

 「頼む、絶対にだれにも言わんから、だれとつきあってるか教えてくれ! どこで出会ったんや?」

 そう土下座までされては、こっちも笑うしかないわけだが、どうも友は本気の本気で、私が口外できないような有名人と恋仲だと、思いこんでいるようなのだ。

 どんな妄想や。

 そりゃ、私が福士蒼汰君のようなスーパーイケメンか、IT社長のような金持ちならわかるが、こっちはただの、どこにでもいる量産型大学生だ。

 それがモデルかアイドルなど、発想が飛びすぎや。

 仮に、人に言えない恋をしてても、それは不倫とか、あとは仲間内でつきあってるのを秘密にしてるとか、それくらいのが自然ではないのか。

 だが、友には

 「クリスマスなのに、恋人もいないヤツが平気な顔をしている」

 というのが、どうしても理解できず、あまつさえ、

 「不倫とかやったら、オレなら普通に自慢するもん」

 などと、サラッと、とんでもないことをおっしゃる。

 「いや、オレはそういう文化圏の人間と、ちゃうだけやねん。クリスマスに高い金払ってデートするより、家で『怪傑ズバット』観てるほうが、気楽で楽しいんや」

 何度説明しても、

 「頼む、教えてくれ。友達やないか!」

 額を地面にすりつけて懇願するわけで、もうええっちゅうねん!

 まったくもって、わけのわからない誤解だったが、どうも高校を卒業して、すぐに家業を継いだ彼には、「大学生」という存在は、

 「全員、色魔色情狂

 という思いこみがあったらしい。

 お前ら、キャンパスライフと称して、毎夜毎夜、秘密の地下室とかで、すごいことやっとるんやろ。オレは『ホットドッグ・プレス』とか読んで、知ってるねんぞ。

 まったくもって、とんだ誤解であり、まあたしかに○○○○○の連中とかは学祭のとき、似たようなことしてはあったけど、ワシには無縁やっちゅうねん。

 その後、私が相変わらず茫洋としたクリスマスやバレンタインを過ごしているのを見て、ようやっとヤマモト君も、

 「こいつはタダのスカタンか」

 納得していただいたが、この話をすると仲間内では大いにウケるだけでなく、

 「でも、ヤマモトなら、言いそうやな」

 納得までしていただいて、友はふだん、どういう人生を生きているのかと、心配になったものだ。

 これを読んだ方の中には、

 「そんなこと考えるヤツ、ホンマにおるんかいな」

 「その人、よっぽど阿呆なんやな」

 なんて、あきれる向きはあるかもしれないが、要するにそれくらい、当時のクリスマスは皆、どうかしてたわけなのである。
 

 

 

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盤上の錬金術 羽生善治vs谷川浩司 1989年 棋聖戦

2021年12月16日 | 将棋・好手 妙手

 「手はあるもんやなあ」

 というのは、強い人の将棋を見ていると、よく思うことである。

 中盤の難所で手詰まりになったり、終盤戦で追い詰められて

 「投了しかない」

 といったところから、火事場の馬鹿力的な何かでもって、手をつないでいく。

 巧みな序盤戦術や、寄せ合いで見せる、あざやかな詰みも楽しいが、次の手が見えないところから、「ひねり出す」手にもまた、将棋の醍醐味がある。

 前回は米長邦雄と大山康晴の「大雪の決戦」を紹介したが(→こちら)今回は無から有を生み出す、ひらめきについて。

 

 1989年の棋聖戦。谷川浩司名人と、羽生善治五段の一戦。

 相矢倉から、後手の谷川が玉頭から強襲をかけると、羽生も攻めこまれながらも、手に乗って上部脱出を目指していく。

 むかえたこの局面。

 

 

 先手のと金が大きく、また後手からは上部を押さえる駒がないため、これ以上に追っていく手が、ないように思える。

 私が後手なら、次に指す手がまったく思い浮かばず、秒に追われて投げてしまうかもしれないところだが、強い人はここから、もう一山あるのだ。

 

 

 


 △84角と打つのが、なるほどという手。

 王様が逃げると、△51角と飛車を取られてしまうから、▲同玉しかないが、△63竜とカナメのと金をはずされ、先手玉はにわかに危ない。

 

 

 ▲91飛成を取るが、△83竜からどんどん押し戻されて、これで入玉での安全勝ちは望めなくなった。

 

 

 

 ただ、かなりせまってはいるものの、駒が少ないのが後手の悩みどころ。

 その通り、すかさずスピード勝負に切り替えた羽生は、豊富な持ち駒を生かして、ここに豪打を放つ。

 

 

 

 

 

 ▲43角が、カッコイイ一打。

 放っておくと、▲32角成からの一手スキ

 △同金▲31角、△12玉、▲13香、△同桂、▲21銀から詰む。

 後手は戦力不足で、先手の玉も右辺が広く、△64香のような手も、ほとんど効果が期待できない。

 今度こそ投了かなーとか思いきや、またもや谷川はここで、鬼手をくり出すのだ。

 

 

 

 △55金が、「手はあるもんやなー」の第二弾。

 王様を下に逃げるのは、今度こそ、危険きわまりない。

 ▲同玉と取るが、△44金王手角取り

 ▲64玉△43金引で、見事、自玉に巻きつけられたダイナマイトを解除してしまった。

 

 

 

 この手があるなら、▲43角では▲43銀の方が良かったという声もあったが、ここは谷川の手の見え方をほめるべきか。

 ただ、羽生もここであわてず、▲61角と打ったのが、これまた感触のよさそうな手。

 

 

 

 △83竜を消しながら、▲43角成と金を取る手をねらった攻防手で、猛追されても、あわてないところが、流石である。

 今度こそ先手が勝ち切ったように見えたが、後手も△71香と打って楽にさせない(▲同竜△53角の王手飛車)。

 その後も、中段でゴチャゴチャやりあっていたが、先手が少し残していたようで、最後は▲87香と打つのが、ようやっとのトドメで勝ち。

 

 

 

 △同竜は先手玉への脅威がなくなり、そこからゆっくり攻めていけば勝ち。

 先手はなにかされても、▲73玉からスルスル入ってしまえばいい。

 こういうのを見ると、上位者相手の駒落ちで、勝勢を築きながら、そこからなかなか勝ち切れない理由がよくわかる。

 こうやって、ゴチャゴチャとイヤな手を駆使され、そのうちに間違ってしまうのだ。

 時間もないのに、よう思い浮かぶもんであるなあ。

 私にとって「将棋の強い人」は、この谷川のように、

 「なんのかの、ひねり出してくる

 という人のことなのであり、それが熱戦の醍醐味とも言えるのだ。

 

 (「受ける青春」中村修の妙技編に続く→こちら

 

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ルイ・マル監督『ビバ!マリア』はエレガントな美女西部劇

2021年12月13日 | 映画

 映画『ビバ!マリア』を観る。

 『死刑台のエレベーター』

 『地下鉄のザジ』

 『さよなら子供たち』

 などなど、お気に入りのルイ・マル監督といえば、これは手を出さないではいられません。

 主演が名女優ジャンヌ・モローに「BB(べべ)」ことブリジット・バルドーと豪華版だが、まさにそれにふさわしい、盛りだくさんな内容に仕上がっている。

 私は映画紹介に関しては「浜村淳スタイル」を採用しているので、ネタバレがイヤな方は、今回、全部飛ばしてください。

 

 

 

 オープニングは1889年のアイルランド

 イングランド軍が衛兵交代をしている隣の芝生で、小さな女の子が毬遊びをしている。

 かわいらしい光景で、なんとも牧歌的なはじまりかと思いきや、女の子のむかう先にいたパパが毬にをつけると、なんと衛兵たちのいる砦が大爆発

 続けて1884年のロンドン

 やはりかわいらしい少女が、雪の中でりんご売り。
 
 健気な彼女が、お届け物を警察署に。

 おまわりさんから、頭をなでられたりしながら、しばらくすると署がドッカン

 パパと少女が、逃げ込む先の建物には貼り紙があり、そこには「賞金首」の文字。

 もちろん、そこにあるのは2人の写真

 そう、なんとこの仲睦まじい父娘は、支配者であるイングランドに対抗する、アイルランドの爆弾テロリストだったのだ!

 そこからさらに時が過ぎ、すっかり大人になったブリジット・バルドーは相も変わらぬテロ生活

 ジブラルタルで、中央アメリカで、憎きイングランド軍をバッコンバッコン爆発させます。まさに爆弾娘。

 残念なことに、中央アメリカの仕事でパパは捕まり、最後の命令で泣く泣く橋とイングランド人もろともパパを吹っ飛ばしたべべは、ボードビル一団にまぎれむことに。

 そこで、なんとジャンヌ・モローと「マリアとマリア」というユニットを結成し旅芸人になる。

 そこから、急にミュージカルがはじまり、ジャンヌとべべが歌うわ踊るは、足や肩までチラリと見せるサービスぶりで、そこにロマンスもはさまって、楽しい歌劇と恋愛ものに。

 『地下鉄のザジ』を撮ったルイ・マルのことだから、スラップスティックな恋愛コメディーに走るのかと思いきや、ジャンヌが革命青年に恋して、物語はまさかの急展開

 死んだ恋人の意志を継ぎ、さすがは女芸人ということでシェイクスピア『ジュリアス・シーザー』のセリフで民衆をアジってアジって、なんと気がつけば革命軍のリーダーに(!)。

 さっきまで機嫌よく、歌って踊ってしてたのに、

 「なんでそーなるの?」

 という話だが、最初は嫌がっでたべべも、女の友情と昔取った杵柄ということで、いつも間にやら爆弾片手に手助けするハメに。

 そこからは美女2人が、ライフル撃つはマシンガンぶっ放すは、当然のことながら爆弾もバンバンで、もう大変なことに。

 いつの間にか物語は南米風西部劇になり、アクションあり美女の危機ありのハラハラドキドキで、でもそこはルイ・マル監督だから、やたらとエレガント

 なにかもう、娯楽要素てんこ盛りで、まー観ていて楽しく、ただただゴキゲンだ。

 あと、この映画はエンタメの裏に、ひそかな風刺性もある。

 中南米といえば、とにかく「独裁」のイメージがあった時代背景もあり、しかも権力といえば資本家軍隊宗教がワンセットということで、時代や地域を問わず普遍性があることもわかる。

 今なら「メディア」も入ることだろうけど、

 「電気がある」

 ことが権力者の自慢なんだから、まだそういう時代ですらないのだろう。

 

 「ここは中世」

 

 ってセリフもあるしね。

 こういうのは、できたら「他人事」として楽しみたいけど、今の日本だとどうなんでしょう。

 そんなことも感じさせてくれる、ハチャメチャでゆかいな娯楽作『ビバ!マリア』は、女優の魅力もすばらしく、とってもオススメです。

 

 

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「将棋ワーキャー」のコーナー! inspired by 真空ジェシカのラジオ父ちゃん その2

2021年12月10日 | 将棋・雑談

 真空ジェシカが、M-1グランプリの決勝に進出した。

 ということで、先日(→こちら)はお気に入りのラジオ番組「真空ジェシカのラジオ父ちゃん」の人気企画、

 

 「ワーキャーのコーナー」

 

 これの将棋バージョンを考えてみたわけだが、こういうのは、パーティーゲーム感覚で、仲間とキャッキャやった方が、より楽しめるもの。

 ということで、さっそく将棋ファンの友人ウエマチ君に声をかけてみると、彼は先日の記事を見るなり、

 

 「こんなラインアップ、だれがわかるねん!」

 

 友によれば、私の出した名前は一般性を欠いており、最近のファンはポカーンであろうと。

 曰く、塚田正夫なんて今の子はだれも知らんとか(失礼な!)、ガダルカナルってなんやねんとか(団鬼六先生の本によると戦時中は「55の位は天王山」を「55の位はガダルカナル」と言っていたとか)要は「マニアックすぎ」とのダメ出しを受けまくった。

 なんだか話は、トガっているせいで、テレビなどで結果を出せない若手芸人に対する、先輩の説教のようになってきたが、そこから2人で、

 

 天野宗歩坂田三吉はワーキャーだが、小野五平は玄人受け」

 「花田長太郎関根金次郎は玄人受けだが、土居市太郎に関しては【土居矢倉】がブレイクしたから、もはやワーキャー」

 

 などなど議論は紛糾したが、それでもなんとか意見をまとめ、少しばかり修正したみた。

 
 それが、

 

 ■歴代実力制名人

 ワーキャー名人=渡辺明

 玄人受け名人=丸山忠久

 

 ■タイトル戦

 ワーキャータイトル戦=名人戦

 玄人受けタイトル戦=十段戦

 

 ■一般棋戦優勝

 ワーキャー棋戦優勝=NHK杯選手権者

 玄人受け棋戦優勝=タイトル戦昇格前の叡王戦

 

 ■順位戦

 ワーキャー順位戦最終局=将棋界の一番長い日

 玄人受け順位戦最終局=降級争い 

 

 ■高学歴棋士

 ワーキャー高学歴棋士=中村太地

 玄人受け高学歴棋士=北浜健介

 

 

 ■攻め将棋

 ワーキャー攻め将棋=戸辺誠

 玄人受け攻め将棋=中村真梨花

 

 ■受け将棋

 ワーキャー受け将棋=木村一基

 玄人受け受け将棋=渡辺大夢

 

 ■新手メーカー

 ワーキャー新手・新戦法メーカー=山崎隆之

 玄人受け新手・新戦法メーカー=阿部健治郎

 

 ■人気振り飛車党棋士

 ワーキャーあこがれの振り飛車党棋士=久保利明

 玄人受けあこがれの振り飛車党棋士=中田功

 

 ■中飛車

 ワーキャー中飛車=ゴキゲン中飛車

 玄人受け中飛車=ツノ銀中飛車

 

 

 ■矢倉囲い

 ワーキャー矢倉囲い=金矢倉

 玄人受け矢倉囲い=銀矢倉

 

 ■格言

 ワーキャー格言=「歩のない将棋は負け将棋」

 玄人受け格言=「銀は千鳥に使え」

 

 ■桂使いの名手

 ワーキャー桂使いの名手=三枚堂達也

 玄人受け桂使いの名手=中原誠

 

 ■竜王戦ドリーム

 ワーキャー竜王戦ドリーム=梶浦宏孝

 玄人受け竜王戦ドリーム=真田圭一

 

 こんな感じかなあ。

 せいぜい頭ひねって修正してみましたが、ウエマチ君、どんなもんでしょ?

 

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「将棋ワーキャー」のコーナー! inspired by 真空ジェシカのラジオ父ちゃん

2021年12月08日 | 将棋・雑談

 真空ジェシカが、M-1グランプリの決勝に進出した。

 私は昔からラジオが好きで、radikoやYouTubeが充実した今は関西以外の番組やネットラジオなども楽しめるようになって、これが実にすばらしい。

 ダウンタウンの『ヤングタウン木曜日』や『誠のサイキック青年団』など、深夜放送を熱心に録音していた学生時代のような熱が再燃しているところである。

 最近だとお笑いのラジオからネットにあがったネタ動画に移行して、そこからファンになるケースが多く、

 

 『ラフターナイト』→『空気階段の踊り場』→『キングオブコント優勝』

 

 という流れで大ブレイクした空気階段など、典型的なそのパターン。

 今では、すっかり売れっ子になった2人には、

 

 「まあな、水川と白鳥も、今はああやって活躍しとるけど、俺が育てたようなもんや」

 

 なんて鼻高々だが、真空ジェシカも『ラフターナイト』→『ギガラジオ』からのM-1で、完全にそのラインに乗っかってきた。

 これはもう、ぜひとも本番で爆発してもらうしかないわけで、決勝にむけて、大いに盛り上がっているところだ。

 そんな真空ジェシカも、自分たちでやってる『ギガラジオ』以外に、ちゃんとした(?)ラジオ番組も持っている。

 それが、TBSラジオでやってた『真空ジェシカのラジオ父ちゃん』で、今はポッドキャストに移行しているが、『踊り場』と同じく、「ラフターナイト」優勝からの抜擢だから、これはたいしたものなのである。

 ふつうより、メールコーナーがやたら多めとか、独特の空気感を持った放送が味なのだが、中でもゆかいのがリスナーからメールで募集する

 

 「ワーキャーのコーナー」

 

 これは世にある、神羅万象あらゆるものを、

 

 「ワーキャー」

 「玄人受け」

 

 に分けてしまうというもの。

 「ワーキャー」とは要するに「ベタ」「素人さん向け」で、番組ホームページで出ている例は、

 


 ワーキャーセンター試験科目「英語」

 玄人受けセンター試験科目「倫理」

 


 元受験生からすると、玄人受けは「ドイツ語」。

 社会なら「マイナー科目の典型例」としてよく出てきて、理系学生に人気の(出題範囲がせまいため)倫理より、そこにもかかりにくい「地理」の方がいいと思うが、このあたりは議論が紛糾しそう。

 そんな私も、将棋に関してはファン歴も長く、多少は「玄人」と自負しているところもある。

 そこで今回は、来年には売れっ子になっているだろう、真空ジェシカに乗っかり企画として、棋界の「ワーキャー」と「玄人受け」を考えてみたい。

 それではガクさん、お願いします。

 

 「将棋ワーキャーのコーナー!」

 

 ■歴代実力制名人

 ワーキャー名人=渡辺明

 玄人受け名人=塚田正夫

 

 ■タイトル戦

 ワーキャータイトル戦=名人戦

 玄人受けタイトル戦=九段戦

 

 ■一般棋戦優勝

 ワーキャー棋戦優勝=NHK杯選手権者

 玄人受け棋戦優勝=オールスター勝ち抜き戦5連勝

 

 ■順位戦

 ワーキャー順位戦最終局=将棋界の一番長い日

 玄人受け順位戦最終局=指し分け2回で降級点消去 

 

 ■高学歴棋士

 ワーキャー高学歴棋士=中村太地

 玄人受け高学歴棋士=加藤治郎

 

 

 ■攻め将棋

 ワーキャー攻め将棋=戸辺誠

 玄人受け攻め将棋=高島一岐代

 

 ■受け将棋

 ワーキャー受け将棋=木村一基

 玄人受け受け将棋=神谷広志

 

 ■新手メーカー

 ワーキャー新手・新戦法メーカー=山崎隆之

 玄人受け新手・新戦法メーカー=山田道美

 

 ■人気振り飛車党棋士

 ワーキャーあこがれの振り飛車党棋士=久保利明

 玄人受けあこがれの振り飛車党棋士=石川陽生

 

 ■中飛車

 ワーキャー中飛車=ゴキゲン中飛車

 玄人受け中飛車=英ちゃん流中飛車

 

 

 ■矢倉囲い

 ワーキャー矢倉囲い=金矢倉

 玄人受け矢倉囲い=流れ矢倉

 

 ■格言

 ワーキャー格言=「歩のない将棋は負け将棋」

 玄人受け格言=「55の位はガダルカナル」

 

 ■桂使いの名手

 ワーキャー桂使いの名手=三枚堂達也

 玄人受け桂使いの名手=富沢幹雄

 

 ■竜王戦ドリーム

 ワーキャー竜王戦ドリーム=梶浦宏孝

 玄人受け竜王戦ドリーム=伊奈祐介

 

 こういうのは、お題があれば、いくらでも楽しめそう。

 やってみると、ちょっとした空き時間なんかのヒマつぶしに最適なので、将棋ファンの皆様はお試しあれ。

 

 (続く→こちら

 

 

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電光石火作戦 米長邦雄vs大山康晴 1986年 第44期A級順位戦 その2

2021年12月05日 | 将棋・名局

 前回(→こちら)の続き。

 順位戦史上に残る大激戦の末、米長邦雄十段棋聖加藤一二三九段大山康晴十五世名人の3人のプレーオフとなった、1986年の第44期A級順位戦

 パラマス方式で、まずは大山と加藤一二三が戦って、これは大山が勝利。

 

 

 

 中盤で加藤にチャンスがあったが、なぜかその手に両対局者ともに気づかないという椿事があり、大山が優勢に。

 上の図は最終盤の局面だが、▲53銀とせまった手に、△66角、▲同角、△53金と、角を犠牲に攻め駒をクリーンアップするのが好判断。

 「受けの大山」の力を見せて、挑戦者決定戦にコマを進める。

 続けて、米長との最終決戦だが、当時の雰囲気では、これが相当に「米長有利」と思われていたらしい。

 大山は、たしかにリーグの星は走ったが、体調は万全ではないだろうし、逆に米長は死に体から天国まで、意地の大逆走した勢いがある。

 また、王将戦棋王戦などタイトル戦で勝っていたイメージもあり、米長の弟子であり、この将棋を観戦した先崎学九段いわく、

 


 「大山シンパと先生の親戚の人以外は世界中の誰もが米長先生が勝つと思っていた」


 

 この日は天候が有名で、3月だというのにものすごいになり、交通網が完全にストップ。

 なので、大一番なのに観戦者が少なく、控室の棋士やスタッフはヤキモキしたそうだが、この「大雪の決戦」で、大山康晴は一世一代の勝負術を見せつける。

 

 

 大山の三間飛車に、後手の米長はめずらしい矢倉で対抗。

 この局面、先崎の見立てによると、後手が指せそうと。

 次に△74飛とゆさぶれば、先手は▲77歩しかなく、これでは効かされすぎな上に、▲89桂が使えなくなりヒドイ。

 そこから△64銀とぶつけて、▲54の歩を奪回しながら、どんどん盛り上げていけば、これはもう、後手が自然によくなるでしょうと。

 ところがここで、大山からすごい手が飛んでくる。

 

 

 

 

 ▲25歩、△同歩、▲17桂が、まさかの奇襲

 当時の感覚では、振り飛車側からを跳ねて仕掛けるなど、まったくありえないことであった。

 ましてや大山と言えば、

 

 「最初のチャンスは見送る」

 

 という語録があるくらいな、石橋をたたいて渡らない慎重派のはずなのに……。

 控室も騒然となったそうだが、それ以上におどろいたのが米長だった。

 そもそもこの勝負自体、先も言ったが勢いは完全に米長にあり、『先崎学&中村太地 この名局を見よ!』という本の中でも先崎は、

 


 「片方は指し盛りで、もう片方はがん明け。米長先生は負けると思っていないわけだ」


 

 そこに、この「飛び蹴り」。

 ここで米長のペースは完全に狂わされ、ボロボロになってしまう。

 

 陣形の差がありすぎる上に、△73に取り残されたもひどく(大山もそこに目をつけての開戦だった)、後手が苦しげに見える。

 △43金と上がったのが、早くも敗着で、ここで先手に決め手が出る。

 

 

 

 

 ▲24角、△同金、▲52銀で先手必勝。

 △42金には▲53歩成が「ダンスの歩」のような小粋な手筋。

 

 

 △同金に▲41銀成で、角がきれいに死んでいる。

 米長はどうも、この歩成を見落としていたらしく、このあたりも、らしくないところ。

 以下まったくのノーチャンスで、米長は病み上がりだったはずの大山の軍門に下り、「63歳で名人挑戦」という大記録を達成させてしまう。

 『この名局』によると、▲17桂には△74飛▲77歩を利かせてから、△13桂と受ければこれからの将棋だったが、米長からすれば、せんない解説だろう。

 まさかのうえにも、まさかの結果だったが、敗因は先崎いわく、

 


 「生涯の油断」


 

 それを見抜いて、とっさに頭突きをカマした大山の勝負術も見事だった。

 このエピソードを読んだとき、米長邦雄のような百戦錬磨の男が、名人戦の挑戦者決定戦で「油断」することもあるのだなあと、不思議な気分になったものだ。

 これは余談だが、この日は名人挑戦のかかった一番ということで、開始前から深夜の決戦になることが予想されていた。

 そこで若手棋士や奨励会員が買い出しに出て、お弁当カップ麺を大量に購入し兵站を整えていたわけだが、それがなんと、まさかの「ワンパン」で午後9時には将棋が終わってしまった。

 熱局を期待したのにアテが外れたこと、師匠である米長邦雄の拙戦もあって、なんと先崎少年は買い置きのカップ麺を、4個も立て続けに胃の腑へと流しこむことに。

 おかげで、猛烈な腹痛に見舞われたそうで、今となっては笑い話だが、そのときのショックの強さが、うかがいしれるエピソードでもある。

 先チャンによると、局後にスナックまで歩いていたとき、一緒にいた米長が目に涙をためながら、こうもらしたそうだ。

 


 「今日は負けるとは思わなかった。俺の運命が変わったんだ」


 

 

   (羽生善治と谷川浩司の熱戦編に続く→こちら

   (63歳挑戦者、大山康晴の戦いぶりはこちら

 

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大雪の決戦と「生涯の油断」 米長邦雄vs大山康晴 1986年 第44期A級順位戦

2021年12月04日 | 将棋・名局

 「勝ったと思ったときが危ない」

 

 というのは、将棋を観戦していて、解説者などからよく聞くセリフである。

 私など子供のころは、

 「勝ったと思うということは、現実に【勝ってる】わけだから、別に危なくなくね?」

 単純にそう思っていたが、いざ自分が指してみたりすると、「勝ったかも」と邪念が入った瞬間に気がゆるんだり、緊張したりして、おかしくなってしまう。

 時間はあるのに、なぜか手拍子で指しそうになり、が出たせいでフルえて手が伸びなかったりと、ロクなことがない。

 でもこれは、自分のような素人だからなんだろうなあ、と感じていたわけだが、いろいろと将棋の本などを読んでいると、そういうことでもないらしい。

 かつて鈴木大介九段は、

 


 強い人は勝つまでよろこばず、負けるまで悲観しない。

 弱い人は勝つ前によろこんで、負ける前に悲観する。

 僕は勝つ前によろこんじゃう。


 

 

 「勝つ前によろこんで」散々辛酸をなめたであろう鈴木九段でも、自虐をふくめて戒めなければならない。

 A級棋士で、タイトル挑戦2回に、NHK杯優勝経験もあるダイチ君でもこうなのだから、そりゃ私なんかがゆるんだり、ブルブルになるのも当たり前だろう。

 ましてや対局前から「勝てる」と確信していては、思わぬ落とし穴が待っていることになる。

 前回は、伊藤沙恵里見香奈の入玉型の激戦を紹介したが(→こちら)、今回はそういう、痛恨の「油断」について。


 
 1986年の第44期A級順位戦は、かつてないほどの大盛り上がりを見せた戦いだった。

 その主役は2人いて、ひとりは大山康晴十五世名人

 通算1433勝。名人18期をふくむ、タイトル獲得80期

 棋戦優勝44回永世名人永世十段永世王位永世棋聖永世王将の称号も持つスーパーレジェンド大山も、すでに63歳でキャリアの晩年も晩年である。

 それでも、なにげにA級をキープしているのがすごいが、この年の順位戦は苦戦が予想されていた。

 というのも、1984年2月にNHK杯優勝するも(60歳越えてます!)同年5月にガンが発覚。

 すぐ入院し、手術を受けることになったが、翌年の第43期順位戦は休場を余儀なくされる。

 その翌年に復帰するも、体調面での不安は当然あるだろうし、休場のせいで「張り出し」と順位も最下位

 これでは復活どころか、ふつうに「降級候補」だったわけで、

 「A級から落ちたら引退する」

 と公言していた大山にとって、それは人生の、いや将棋界全体の一大事であった。

 そんな波乱を含んでいたせいか、この期のA級は史上まれな激戦になる。

 挑戦権はもとより、3名の降級(前期休場していた大山の参加で『11人いる!』になっていたため)もだれも決まらず。

 私は星取の計算が苦手なのだが、なんと途中まで「全員5勝5敗」で並ぶ可能性もあったという。

 そうなると、前代未聞の「11人プレーオフ」になる。

 パラマス方式だから、順位下位のふたりは全員ぶっこ抜きの「10連勝」が必要になり、指し分けは落ちない規定だから、「降級者ゼロ」で、「来期の降級が5人」になるそうな。

 さすがにそうはならないが、それでも結果を見れば、6勝4敗3人5勝5敗5人4勝6敗3人

 森安秀光八段勝浦修九段青野照市八段の3人が4勝しながら落ちてしまったのだから、いかにきわどい争いだったか、うかがいしれるところだ。

 ここでもうひとりの主役になるのが、米長邦雄十段(今の竜王)・棋聖

 米長は1984年、十段・棋聖・王将・王位の四冠王になり、

 

 「世界一将棋の強い男」

 

 としてブイブイ言わしていたが、そこをピークに絶不調におちいってしまう。

 タイトルを次々と奪われただけでなく、順位戦でも1勝4敗という、キャリアで初めてともいえる低空飛行を披露。

 挑戦どころか、これでは降級一直線の星。

 このころの米長は相当に落ちこんでいたそうだが、そこから歯を食いしばって高度を上げていく。

 転機となったのが、6戦目の有吉道夫九段戦で、この将棋も中盤にド必敗になる低調ぶり。

 

 図は米長が▲56桂と打ったところで、ここでは後手の有吉がハッキリ優勢。

 A級陥落の影におびえる米長は、目の前が真っ暗になっていたろうが、ここで有吉に逸機が出る。

 △56同飛と決めに出たのが疑問で、▲同銀、△79と、▲29飛、△66金、▲57歩、△55歩

 

 

 まさに「火の玉流」の猛攻で、▲47銀なら△65桂で寄りだが、▲同銀(!)と取る強手があった。

 以下、△同角に▲41銀と打ち返して、ここで攻守所を変えることに。

 

 

 

 ここから勢いにのって、米長が逆転を決めるのだが、では有吉はどうすべきだったのか。

 △56同飛では、△53金と取る好手があった。

 

 

 ▲同桂成は△同角

 ▲44桂は△同金で、どちらも桂のコンビネーションをいなす形で、駒をさばいて調子がいい。

 ▲44桂、△同金に▲77角という手はあるが、これには△55桂という反撃や、△79と、▲44角、△33金打と受けておく手でも、問題なく有吉が必勝だった。

 まさしく、執念の勝利をもぎ取った米長は、ここから一気に加速。

 連勝モードに入り、最終戦ではなんと名人挑戦の目があるほどに、まくり返すことになるのだ。

 もしあそこで、有吉に順当負けしてたら……。

 本人のみならず、周囲のファンも、さぞやゾッとしたことだろう。

 一方の大山はと言えば、なんとこちらは前半から好調に飛ばしていく。

 病み上がりの心配もなんのそので、ラス前まで6勝3敗自力で挑戦権獲得の目もあったのだから、その回復力たるやおそるべしだ。

 最終戦で谷川浩司棋王に敗れたものの、同星だった加藤一二三九段二上達也九段に敗れ、米長もくわえて、これで3者とも6勝4敗でゴール。

 降級、挑戦権、どちらも大盛り上がりだった順位戦は、舞台をプレーオフに移すことになるのだった。

 

 (続く→こちら

 

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地味とか言うな! 元・平城京の「奈良先輩」のボヤき

2021年12月01日 | 海外旅行

 「奈良って、なーんか地味なんよなあ」

 あるとき、あんこう鍋をつつきながら、そんなボヤきを発したのは、友人オウジ君であった。

 オウジ君は奈良県の出身なのだが、おたがいの地元トークなどで盛り上がると、ときおりこういう自虐モードにはいることがある。

 たしかに、大阪人の私から見ても、奈良は地味である。

 一時期、仕事の関係で奈良によく行く機会があり、その際オウジ君のような奈良人に、

 「どっか、帰りに寄れる、ええとこない?」

 と訊くのだが、これが決まって、

 「いやー、別に

 これが京都なら、

 

 「将棋ファンやったら、南禅寺とか行ってみたら?」

 「冬なら、雪化粧した金閣寺とかきれいよ」

 「京都のパンとスイーツは、ハズレがないから安心して」

 「学生の街やから、古本屋めぐりが充実してるねん」

 

 なんて、いくらでも出てくるのだが、これが奈良だと、

 

 「観光地? どこもアクセス悪いで」

 「遊ぶ場所? 大阪でええんちゃう?」

 「食いもん? 【奈良にうまいもんなし】っていうから」

 

 けんもほろろ。

 たしかに、見どころはなくはないが、場所がバラバラで周りにくいし、メシ名物とかピンとこない。

 奈良公園の鹿はかわいいけど、スレていて、案外獰猛だったりするし。

 人もおだやかで、全体的に大都市感がないというか、住むのには静かで良さそうだけど、他のアピールポイントが少なすぎるのだ。

 新幹線も停まらないしなあ。

 そんな奈良のさらなる弱点は、遺跡古墳のショボさ。

 いや、もともとは平城京なんだから、豪華絢爛な建物とかバンバンあったんでしょうけど、今ではその面影もない。

 実際に行ってみればわかるけど、歴史ロマンに誘われて、奈良の遺跡をめぐると、そのほとんどが

 「予算が足りなくて打ち捨てられた工事現場」

 みたいなのだ。その哀しさといったらない。

 近所の三角公園にある砂場みたいなところに、ロープで囲いがあって、

 「○○古墳」

 とかあった日には、腰が抜けます。これで、どうせえと。

 なんか、ウソでもいいから、もっと復元するとか、なんとかならんもんか。

 関西の番組で、笑い飯哲夫さんが奈良を案内する企画とかやると、たいてい、

 

 「え? これが遺跡?」

 「そうですよ。奈良が誇る、偉大な歴史的跡地です」

 「ただの石やん!」

 

 みたいな、自虐ノリがかならず出てきたもんです。

 本来、そのポテンシャルでは京都に負けていないはずどころか、歴史的には「先輩」「にいさん」のような存在のはず。

 それが、この格差では、オウジ君でなくとも、「もっと、がんばれ」と言いたくもなろう。

 一応、仕事でお世話になった義理もあるので、奈良には奮起していただきたいところ。

 私としては、『ガメラ3』の京都駅みたいに怪獣を誘致して、大仏とか五重塔とか、バンバン壊してくれるのを見たいのだが、どうか。

 

 

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