前回の続き。
A級から落ちて10年目の2009年。
第67期B級1組順位戦で、昇級のチャンスをむかえた45歳の井上慶太八段。
ここまで、ラストの2局で1つでも勝てばA級復帰というパターンを2度も逃がし、今回も2敗をキープしながらラス前で、勝てば昇級という一番を森下卓九段相手に勝ちきれない。
正直「またか……」とファンは、いやだれより本人こそがそう思ったことだろうが、最終戦が久保利明棋王という超難敵であったことがかえって良かったというのだから、勝負というのはわからない。
タイトルホルダーが相手とあって、なかば「あきらめていた」という気楽さから、先日紹介した米長邦雄九段のように、井上はかえって内容のいい将棋を見せることになる。
▲72とと引いたのに△63角と打ったのが、井上自慢の切り返し。
と金に当てながら、△41の金にもヒモをつけ、攻めては△27角成から△49馬のねらいもあるという、まさに八方にらみの角だ。
将棋はこれで井上が優勢、いや勝勢といっていい流れに。
しかし、ここから「勝ち切る」となると、これまた大変なのは皆様もご存じの通り。
しかも相手は、ねばり強さに定評のある、いや、ありすぎる久保利明である。
「正直ここで投了されるか……」
などという甘すぎる期待なんかに、応えてくれるはずもないのだ。
▲79銀打が「ねばりもアーティスト」な久保利明、根性の受け。
銀取りを受けただけで、しかも貴重な持駒も投入しているという、夢も希望もないがんばりだが、こういう大差の将棋が次第にアヤシクなるというのは、よく見る光景。
「どう指しても勝ちなのでかえって迷ってしまった」
井上も反省するように、ここから苦労を強いられるのだが、「どう指しても勝ち」という局面が結構危ないというのは、本当にその通りなのだ。
井上もこれといった悪手を指しているわけでもないのに、いくつか決定機を逃しただけで、もうわけがわからない。
それでも、なんとか先手玉に迫り、△57歩成となったところで、ようやっと後手は勝ちを確信。
▲29銀と馬を取っても、△58とから詰みで受けもない。
ホッとしたところだが、井上は次の手が見えていなかった。
▲45飛と打つのが、しぶとい攻防手。
受けなしはずの先手玉だったが、王手しながら飛車を4筋に利かしたことで、必至がほどけてしまった。
そこからさらに、玉の逃げ方を間違えたせいで盤上は泥仕合の様相を呈する。
それでもまだ後手優勢だろうが、大差でむかえた9回2死のツーストライクから、どんどん点差を縮められては、気分的にはもう余裕など吹っ飛んでいる。
現に井上も、対局前は「よい将棋をさせれば」と殊勝な面持ちで盤に向かっていたが、このあたりでは
「どんな内容でもいいから勝たせてください」
泣きたくなっていたというから、本当に人の心はままならず、将棋はおもしろい。
最終盤、▲96角が入ったところでは、双方1分将棋ということもあって、もうなにが起こってもおかしくないが、ここから△65玉とかわしたのが冷静な手だった。
▲69香の食いつきに、△37とと補充して、▲同玉に△67桂と止めたのが最後の決め手。
駒がゴチャゴチャしてわかりにくいが、これで後手玉に寄りはない(らしい)。
以下、久保も▲78桂から死に物狂いの食いつきを見せるが、最後は盤上の駒がすべて働くピッタリした詰みがあって、かろうじて井上が逃げ切った。
これで井上は日程の関係で、一足早く8勝4敗でフィニッシュ。
同時に3敗で首位を走っていた杉本昌隆七段が敗れたため、ここで井上の昇級が決まった。
このとき稲葉陽四段、菅井竜也三段、船江恒平三段の井上門下生が応援に来ており昇級を一緒に喜んだそうだが、このあたり好人物井上の人柄がしのばれるところ。
もっとも、最終盤では師匠の乱れっぷりに、みなパニックに陥っていたそうですが(笑)。
こうして井上は10年ぶりのA級復帰を決めた。
45歳にして、タイトルホルダーの久保利明や渡辺明、上り調子の山崎隆之などをおさえての昇級となれば、これはなかなかの快挙と言えるのではあるまいか。
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