ダーク・ゾーン 郷田真隆vs渡辺明 2015年 第64期王将戦 第6局

2024年03月30日 | 将棋・ポカ ウッカリ トン死

 信じられない錯覚というのがある。

 将棋の世界では、トッププロでもウッカリポカはめずらしくないが、ときにそれが「両対局者同時」に起こることがあり、見ている方も「えー!」 と目が回ることになる。

 

 



 2015年の第64期王将戦

 渡辺明王将棋王郷田真隆九段との七番勝負は渡辺が3勝2敗と防衛に王手をかけ第6局に突入。

 角換わり腰掛け銀から大激戦になり、入玉模様の難解な終盤戦が続いている。

 

 

 

 角の王手に、後手の渡辺がを打って受けたところ。

 後手のと金が大きく、寄せるのは難しそうだが、先手も3枚▲19が生きているのも頼もしく、なんとかなりそうにも見える。

 先手玉も危なく、その兼ね合いもあり、また駒を使うと、どこかで王手しながら抜かれる筋も警戒しないといけない。

 ここからの戦いがすごいのだ。

 

 

 


 ▲38桂と、ここから王手するのが好手。

 ここでは▲47銀が後手玉に圧をかけながら、▲58にヒモをつける一石二鳥の手に見える

 だが、これには△79飛と打って、▲66玉△19飛成とカナメのを除去され入玉が確定。

 

 

 そこで▲38桂と捨て、△同と、とさせてから▲47銀と打つ。

 

 

 

 これなら、△79飛から△19飛成▲38銀と、と金をはずして後手玉は捕まっている。

 なるほどという手で、まるでパズルのようだが、ここは郷田が力を見せた。

 渡辺は大ピンチだが、ここで△17飛(!)という豪打(?)を繰り出す。

 

 

 

 

 これがまた、見たこともない筋だが、強い人はこういう「ひねり出す」手にも妙味がある。

 将棋は勝ちが決まったあとの収束の仕方と、不利なときのねばり方棋風が出ると言われるが、クールでロジカルな渡辺から、こういう力ずくな手が飛び出すのも混戦のおもしろさ。

 しかし、スゴイ手だなあ。

 ▲38銀は一手スキにならないから△58飛成で後手勝ち。

 ▲17同香はそこで△48と、こちらを取り、▲28銀△99角と打てば詰み

 えらい手があったものだが、郷田は負けじと▲18銀と打つ。

 △同飛成▲同香に後手は△65歩詰めろをかけ、▲66歩△69銀と下駄をあずける。

 

 

 先手玉は詰めろだが、ここでの手番は値千金で、先手に勝ちがありそう。

 ▲17銀と王手して、△27玉▲38銀と取る。

 △同玉▲28飛で詰むから△18玉ともぐりこむが、そこで一回▲68金と受ける手が冷静で、先手玉に一手スキが来ない。

 いよいよ手がなくなった後手は、△46桂とプレッシャーをかけ「寄せてみろ!」と最後の勝負をせまる。

 ここが問題の局面だった。

 

 


 

 ここでは▲28飛と打って、△17玉▲37銀と取っておけば先手玉に詰みはなく、後手玉は必至で明快だった。

 ところが、郷田は▲29銀としてしまう。

 

 

 

 これが信じられない大悪手だった。

 そう、なんと△同桂成と取られてタダなうえに入玉が確定。

 

 

 それで渡辺が王将防衛だ。

 手順を尽くして、ついに勝利をつかんだかに見えたその刹那の一手バッタリ。将棋は無情である。

 だが、ドラマはここで終わらなかった。なんと後手は△同玉と取ってしまうからだ。

 これには▲28飛と打って、△19玉▲43成桂と質駒のを取ってジ・エンド。

 感想戦で△29同桂成を指摘されると、ふたりとも「はあ?」。

 まさかのまさかだが、渡辺と郷田の両方が、この△29同桂成が見えていなかった

 両者の読みが、あまりにも一致していたせいか、ウッカリもまたおたがいをトレースしてしまったのか。

 この後の第7局郷田が制して王将獲得するのだから、結果的に見て、とんでもなく大きな錯覚であった。

 トッププロ同士でも、こういうことがあるから入玉形の将棋と秒読みは怖いのである。

 


(郷田がA級昇級を逃した大ポカはこちら

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最後の十段 米長邦雄vs高橋道雄 1988年 第1期竜王戦

2024年02月23日 | 将棋・ポカ ウッカリ トン死

 「《スカタン》って将棋用語としても使いますけど、意外と解説とかで言う機会ないんですよね」

 

 以前、将棋のネット中継での解説で、ある若手棋士がそんなことを言っていた。

 「スカタン」とは、『デジタル大辞泉』によると、

 

 


 1・予想や期待を裏切られること。当てはずれ。「すかたんを食わされる」

 2・見当違いなこと、間の抜けたことをする人をののしっていう語。
  
 とんま。まぬけ。すこたん。「このすかたんめ」「すかたん野郎」


 

 そんな「スカタン」は将棋でも使うことがあって、まさに

 

 「いい手と思って指したら、とんだ尻抜けで、大事な駒などがまったく働かなかったり、戦場から取り残されたりする状態」

 

 昭和の用語かと思ってたら、若手棋士の口から突然出てきたので、知ってるんやーと、たいそう印象的であった。

 「スカタン」で思い出すのは、こんな将棋も。

 



 1988年、第1期竜王戦の決勝トーナメント。

 準決勝3番勝負の第3局。決勝七番勝負をかけた高橋道雄十段米長邦雄九段の一戦。

 なぜ「七番勝負」ではなく「決勝七番勝負」なのかといえば、この期の竜王戦は第1期なのでまだ「竜王」がいないから。

 とはいえ、竜王戦はもともと「十段戦」が発展的解消して生まれた棋戦。

 本来なら決勝トーナメントを勝ち上がった挑戦者と「十段」のタイトルを持っていた高橋道雄十段が七番勝負をやればいいはず。

 だが、なぜかそうならなかった。

 代わりに高橋は決勝トーナメントの準決勝からという「特別シード」があたえられたが、なーんかだよなーというか。

 これがもしそこれそ「米長十段」「中原十段」「谷川十段」だったら、このシステムにしたのかなーとか邪推もしたくなるわけで、高橋は正直、釈然としなかったのではなかろうか。

 だって、今の竜王戦がリニューアルして「竜王戦」ができたとして、藤井聡太竜王準決勝からやれとか、言わないと思うもんなー。

 そんなことも思い出すが、勝負の方は1勝1敗でむかえた第3局

 相矢倉から激しい攻め合いになり、むかえたこの局面。

 

 

 

 △59飛成と成りこんで、米長が▲69歩と受け、高橋もそこで△51歩と手を戻したところ。

 一見、後手が攻めこんでいるようだが、▲63と金も大きく、また△48が重い駒なのも気になるところ。

 後手としては△51歩のところで△58金とかせまりたいが、その瞬間に▲52銀が痛打になる。

 △31玉でも△42玉でも、そこで▲58飛と取る手が▲41金までの詰めろ飛車取りでピッタリ。

 もちろん、実際そんなことにはならないが、激しい攻め合いのさなかなので、つい勢いで行ってしまいそうになるところを、黙って底歩(でいいのかな?)を打っておく。渋い
 
 となれば、先手の手も当然こうなるところ。

 
 
 
 

 

 

 

 
 ▲77銀を解消しておく。

 いかにも味の良い手で、相手が手を戻したところで、それに合わせるよう自らも落ち着いて自陣を整備。

 「勝負の呼吸」とはこういう応酬を言うのであろう。

 局面だけ見れば当然の一着だが、いざ実戦となると、なかなかこういう手は、わかっていても指せないものなのだ。

 初心者の方も、こういう手を見て「いいな」と感じられるようになれば、初段はもうすぐです。

 このあたりのねじり合いは、見ていても上達の宝庫で、たとえばこの局面。

 

 

 

 

 後手の猛攻に、先手が▲78銀と入れたところだが、次の手がまた好感覚。

 

 

 

 

 

 

 

 △14歩とここを突くのが、またぜひとも指におぼえさせておきたい手。

 強い人というのは、遊んでいる駒をいつも、スキあらば活用してやろうとねらっており、この局面で一番サボっているのは言うまでもなく△22に隠遁しているである。

 これを△13角とぶつける形になれば、角を使えるし、なにかのとき△22に逃げこめる。

 も突いてフトコロも広くなって、これまた、すこぶるつきに良い感触なのだ。

 そこから両雄とも激しく攻め合って、この局面。

 

 

 

 

 先手は底歩が固く、また攻めても▲43桂成や、場合によっては▲12金▲32竜から、一気に詰ましてしまうねらいもある。

 後手もが急所に利いているが、△58△48がダブって重く、やや先手持ちかなあと思うところだが、ここでいい手があった。

 

 

 

 △66桂と打ったのが、米長の軽視していた妙手。

 ▲同金と取ると、△78角成と切って、▲同玉△69竜と頼みの底歩を払われ、先手陣はあっという間に寄り形。

 という飛び道具の威力をまざまざと見せつけられた形で、米長は桂を取らずに単に▲56歩と必死の防戦も、やはり△78桂成▲同玉△69竜とせまられて先手が苦しい。

 高橋が七番勝負に大きく近づいたが、ここでまさかという手を選んでしまう。

 

 

 

 ▲77玉△78銀と打ったのが、まさかの大悪手

 次に、どっちからでも△67銀成とすれば詰みだが、これが簡単に受かってしまうのだから高橋も飛び上がったろう。

 

 

 

 

 

 
 平凡に▲57金と寄られて、△67に利かしていたはずの2枚の大空振り
 
 見事な「スカタン」である。

 先手は▲66からの上部脱出もあり、これ以上怖いところがない。

 以下、△51歩▲32竜と切って、一気に米長が寄せ切ってしまった。

 まさかの大錯覚だが、ちなみに△78銀では平凡に△67銀成と取って、▲同銀△42金打に当てながら補強するのが実戦的な手。

 


 
 こうして「負けない将棋」にしておけば、彼我の玉形の差で後手が優勢だったが、後手の攻めもうすく見えるため指しにくかったか。

 前期の「十段」で、初代竜王にもっとも近い位置にいたはずの高橋だが、七番勝負からハブられる「不条理」を押し破れず、おしいところで大魚を逃してしまうこととなった。 

 


(森下卓がタイトル戦で見せた大スカタンはこちら

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禁断の位置「一段金」 日浦市郎vs中川大輔 1989年 第20期新人王戦 第2局

2024年02月11日 | 将棋・ポカ ウッカリ トン死

 「《スカタン》って将棋用語としても使いますけど、意外と解説とかで言う機会ないんですよね」

 

 以前、将棋のネット中継での解説で、ある若手棋士がそんなことを言っていた。

 「スカタン」とは、『デジタル大辞泉』によると、

 


 1・予想や期待を裏切られること。当てはずれ。「すかたんを食わされる」

 2・見当違いなこと、間の抜けたことをする人をののしっていう語。
  
 とんま。まぬけ。すこたん。「このすかたんめ」「すかたん野郎」


 

 
 要するにのような存在を指す言葉である。だれがやねん。

 そんな「スカタン」は将棋でも使うことがあって、まさに

 

 「いい手と思って指したら、とんだ尻抜けで、大事な駒などがまったく働かなかったり、戦場から取り残されたりする状態」

 

 昭和の用語かと思ってたら、若手棋士の口から突然出てきたので、知ってるんやーと、たいそう印象的だった。

 そんな「スカタン」で思い出すのは、まずこの将棋。

 



 1989年の第20期新人王戦

 日浦市郎五段中川大輔四段で争われた、決勝3番勝負の第2局

 日浦の先勝を受け、後のなくなった中川だったが、相掛かりの後手番で苦しい戦いを強いられてしまう。

 むかえたこの局面。

 

 

 

 中川が△54香と打ったのに、日浦が▲48金と受けたところ。

 後手は飛車を奪われ、自陣にも火がついてあせらされている。

 一目は△36金と打って、▲29飛(▲16飛もある)に△37金と食いちぎって、▲同銀△66桂とかせまりたいが、攻撃の形に含みがなく単調で、見た目ほどには威力がない。

 なにかひねり出したい場面だが、ここで中川はどうしたのか、まさかという手を指してしまうのだ。

 

 

 

 

 

 △39金と打ったのが、典型的な「スカタン」。

 次に、△38金と取って、▲同金△57桂成がねらいだが、自然に▲27銀とかわされて、これ以上ないくらいの大空振りである。

 

 

 

 

 中川ほどの強者がまさかというか、それこそルールをおぼえたての初心者がやらかしそうな失敗。

 取り残された△39が、あまりにもヒドイではないか。

 そもそも△38金から△57桂成のねらいも、これまたあかららさまでとても通るとは思えず、やはり後手が苦しいが、この金でそれが決定的に。

 に追われたか、それともなにか打開策はないかと必死に考えていた中、エアポケットにおちいってしまったか。

 この手に対して日浦は

 


 「この金を見て、負けられないと思った


 

 と語ったが、さもあろう。

 プロ将棋ではなかなか見ない愚形で、冒頭の若手棋士が「使う機会がない」というのも、そもそも強い人の将棋だと、めったに表れないからだろう。

 だからこそ、「こんなこと、あるんやなー」と今でも記憶に残っているのだ。見事な「スカタン」である。

 将棋の方はこのまま日浦が勝ち、見事に新人王戦優勝を決めるのであった。

 


(異筋の金が好手になるケースはこちら

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さわやかなポカ、やりきれぬウッカリ 塚田泰明vs郷田真隆 1991年 NHK杯 中川大輔vs深浦康市 2005年 B級1組順位戦

2023年11月19日 | 将棋・ポカ ウッカリ トン死

 将棋のポカやウッカリも、様々である。

 大事な駒をタダで取られたり、王手飛車を喰らうなど、やってしまったほうも笑うしかないズッコケもあれば、人生のかかった大一番でやらかしてしまい、なぐさめの言葉もかけようのない場合もある。

 最近ではやはり「藤井聡太八冠王」が誕生した王座戦

 

 

「名誉王座」と「八冠王」をかけた2023年、第71期王座戦五番勝負の第3局
先手の藤井から▲21飛の王手に、△31歩と「金底の歩、岩より固し」で受けておけば、後手の永瀬が勝ちだった。
本譜は△41飛と打ったため、▲65角でまさかの大逆転。
 

 

続いて第4局。やはり永瀬必勝の終盤戦で、ここでは▲42金からバラして▲52飛と打てば△55の銀や△37の角を手順にスイープできる「負けない将棋」で先手勝ち。
だれもがフルセットを確信したところで、時間に追われた永瀬は▲53馬と指してしまい、まさかの展開で「八冠王」が誕生。

 

 

 衝撃の結末2連チャンには言葉もなかったが、10点差9回裏ツーアウト20点差アディショナルタイムに入っても、とんでもない事件の可能性があるところが将棋のドラマなのである。

 ということで、今回はポカのお話。

 


 

 まずは「さわやか」編。

 1991年NHK杯戦

 塚田泰明八段郷田真隆四段の一戦。

 塚田先手で相掛かりから力戦調の激しい戦いになって、むかえたこの局面。

 

 

 

 強豪同士で熱戦、ここからの終盤戦が実におもしろそう。

 攻めのターンが回ってきた郷田は、まず△69と、とせまる。

 と金を活用しながらの金取りで、自然な手だ。塚田も▲49金と寄る。

 

 

 

 難解な寄せ合いで、どちらが優勢かまったくわからないが、なんとこの将棋は次の手でおしまいなのである。

 

 

 

 

 

 △89飛成が、これ以上ない「さわやか」な大悪手

 を作りながらを補充して、自然な一手に見えるが、これがとんでもない大ポカだった。

 と言われても、私など一瞬よくわからなかったが、盤上を広く見渡してほしい。

 そう、なんとこの▲23にあるで、タダ取られてしまうのだ。

 当然、次の一手は▲89同馬で、そこで郷田が投了

 大熱戦のはずが、急転直下の結末となった。

 これを見れば、最初にわざわざ△69と▲49金の交換を入れた図面を見ていただいた理由がわかっていただけるだろう。

 そう、このほんの少し前の局面では、と金が△78にいたため、△89飛成としても馬が利いていなかった

 郷田はそのイメージがあったため、大丈夫と思いこんで、桂を取ってしまったのだ。

 

 郷田がイメージしていたのが、この図。△78のと金がいて竜が守られている。

 

 

 説明されると「あー、なるほど」とわかるけど、それにしたって、すごいウッカリである。

 指された塚田もたまげたことだろう、これには郷田も笑うしかあるまい。

 

 もうひとつは、人生をかけた一番でのやらかし。

 ポカが陰惨になるというのは、これはもう順位戦と相場が決まっていて、2005年の第64期B級1組順位戦

 この期のB1は深浦康市八段が9勝2敗と独走し、早々とA級復帰を決めていた。

 残る1枠を争うのは、中川大輔七段阿部隆八段

 最終戦を残して中川は8勝3敗自力昇級の権利を持つが、もし敗れると最終戦が抜け番で、すでに8勝4敗でフィニッシュしている阿部が、順位の差で頭をハネることになってしまう。

 勝てば天国、負ければおしまいとスッキリした形の中川に、最後立ちはだかるのが、すでに昇級を決めている深浦

 消化試合ということもあって、いつもほどの熱で戦ってくることはないかもしれないが、結果を気にしなくていい気楽さが、将棋にどう影響をあたえるかも不明。

 また、将棋界には

 

 「自分にとってはどっちでもいい勝負でも、相手にとっての大一番であるなら、それは全力で勝ちにいかなければならない」

 

 という、余計なお世……「米長哲学」もあるうえに、そもそも深浦自体が大強敵とあって、中川と阿部、どちらに転ぶかは、まったくわからない状況だった。

 ところが、結果はともかく、熱戦は必至と思われたこの大一番、なんと序盤早々に将棋は終わってしまうのだ。 

 

 

 

 中川が、ちょっと趣向を凝らした形の横歩取りに誘導したが、ここで△44歩と突いたのが軽率すぎた。

 すかさず深浦が、後手陣の不備を突く一撃をおみまいする。

 

 

 

 

 

 ▲25角と打って、升田幸三風に言えば「オワ」。

 △51金と逃げてなんでもないようだが、それには▲36角引とするのが機敏なスイッチバック。

 

 

 

 金の動きのを取る見事なフェイントで、▲81角成を受ける手がない。

 むりくり受けるなら△71飛だが、こんな受け一方の飛車を打たされては、大駒2枚の働きが違いすぎ、とても指しきれないだろう。

 中川は△71金と苦渋の辛抱を選ぶが、深浦はゆうゆうと▲52角成で、早くも大きなリードを奪う。

 

 

 

 以下、馬の力を生かして上部から圧倒

 見事、「米長哲学」を完遂し、その結果阿部A級に。

 中川はその実力からしてA級棋士になっていてもおかしくなかったが、その将棋をこんな形で落としてしまうとは、なんともやりきれない気持ちになるではないか。

 


★おまけ

(A級昇級をフイにした郷田の大ポカはこちら

(C級2組の泥沼に足を取られた井上慶太先崎学の大ポカ)

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大逆転と「竜殺し」の英雄たち 藤井聡太vs永瀬拓矢 2023年 第71期王座戦 第4局

2023年10月12日 | 将棋・ポカ ウッカリ トン死

 藤井聡太八冠王が誕生した。

 第3局に続いての最終盤でのドラマで、いまだ興奮冷めやらぬと言ったところ。

 

 

 

 事件の現場は、この図。

 ここでは平凡に▲42金と打ち、△22玉▲32金△13玉▲22銀から自然に押して、△24玉▲27飛

 

 

 △26金と打つしかないが、▲37飛をはずしてから、△同金▲55馬と中央を制圧して勝ち。

 また▲42金に△同金も、▲同成銀△同玉▲52飛と打つのが好手。

 

 

 

 △同玉▲53銀から並べて詰み。

 △33玉▲55馬△同角成▲同飛成とこのあたりをキレイに掃除すれば後手に指す手がなく、これも先手が勝つのだ。

 永瀬は▲52飛が見えず、▲62飛と打つのでは大変と読んで▲53馬とするが、これが敗着になってしまった。

 後手玉はわずかに詰まず、大げさではなく歴史を動かす大逆転になってしまった。

 最後、▲27飛や▲52飛で、敵の攻め駒をすべて取ってしまう勝ち方は、本来なら永瀬のお家芸で大好物な手順のはず。

 もし他の棋士が相手だったなら、嬉々として「全駒」を実行し、相手を公開処刑としてさらしたに違いない。

 そもそも将棋の内容自体、スコア的に永瀬の3勝1敗、下手すると3連勝防衛となってもおかしくないものだった。

 それが、この結末

 負けるときは、よくできたもので、自然な手である▲74歩△72歩の交換や、優勢を決定づけたはずの▲85香など、すべての駒が味方を裏切っている。

 ▲74歩がなければ、最後△98飛▲78歩合駒できたし、最後もが駒台にあれば▲53馬でも、△22玉、▲31銀、△12玉に、▲13香と打てるから詰んでいた。

 まさに、あらゆる駒が負けるように配置されており、これぞまさに「勝ち将棋鬼のごとし」で、まあ、なんたること。

 なんでこんなことになるのか、理由はまったくわからない。

 もちろん、

 

 「最後まであきらめず、△37角、△55銀とプレッシャーをかけ続けた藤井がすごかった」

 

 という優等生的な答えはあって、それも間違いではないと思うけど、それにしたって、この第3局第4局のラストはありえない話である。

 いや、大逆転自体はいい。

 でもそれが、ニ番も続くのが信じられないのだ。

 かつて森雞二九段だったか、田中寅彦九段だったかが、

 

 「将棋の世界で催眠術を使うのは大山先生(康晴十五世名人)と羽生君(善治九段)だけ」

 

 控室の雑談とかでの発言だが、完全な冗談よりは少なからず本気に寄ったニュアンスだったという。

 もちろん、将棋の結果に催眠術なんてものが関わってくるわけもないのだが、その逆転を導く指しまわしと、人間的棋力的は実際に盤を対峙した者にとって、不思議なとして働いてくる実感があるかもしれない。

 永瀬の実力と、このシリーズにかけた執念を見れば、そうとでも考えなければ、どうにも納得できないものとなっているのだから。

 こうして前人未到で空前絶後の「八冠王」は成された。

 

 「中学生棋士」

 「29連勝」

 「史上最年少タイトルホルダー」

 

 そして「八冠王」でいったん決着がついた感のある「藤井伝説」序章の(まだ序章か!)次の興味は、彼を倒す「勇者」がだれかに移っていく。 

 まずは竜王戦だ。伊藤匠

 2018年、第11回朝日杯将棋トーナメント準決勝。羽生善治竜王藤井聡太四段の一戦で記録係を務めた彼は、

 

 


 「藤井さんの勝つ姿は見たくない。これ以上引き離されたくない」


 

 

 無名の奨励会員として黙々とペンを走らせながら、内心ではそう歯噛みしていたという。

 そんな男が、ついに最高峰の舞台で「勝つ姿」を消し去るチャンスを得た。第1局完敗だったが、まだまだ勝負はこれからだ。

 関西からは服部慎一郎が元気だ。「藤井さんと同世代に生まれたのは不運」と苦笑いする藤本渚新人王戦決勝を戦っている。

 タイトル戦で押し返された出口若武佐々木大地が、巻き返してくるかもしれない。本田奎はどうした? 次の爆発はまだか。

 高田明浩も生意気で大物っぽいぞ、そして奨励会には「中学生棋士」の可能性があり、前期13勝5敗で三段リーグの次点を獲得した山下数毅もいる。

 彼ら(もちろん「彼女ら」が出てくればなおグッド)はいかにして「打倒藤井」を果たすのか。

 いや、果たしてもらわないと困る。

 将棋界のすべてを手に入れた藤井聡太は、もう前から言われているけど、すでに「主人公」ではなく堂々たる「ラスボス」だからだ。

 これからは彼を「ヒール」として見る方が、将棋界は圧倒的におもしろい。

 なんなら、アベマトーナメントの控室で見せていた、開けっぴろげで辛口だった、あのモードを全開にする「キャラ変」もアリなくらいだ。

 そしてそれは、これからの将棋界の盛り上げのため、いやさ、 

 

 「もっとシビれる将棋をワシらに見せんかい!」

 

 そうさけぶ、われわれのようなエゴくて欲しがりの将棋ファンの欲求を満たすためにも、今戦っている伊藤匠ら「勇者たち」が、神殺しの熱い戦いを見せることは必須なのである。

 


★おまけ

(名人位を逃した「大内の▲71角」はこちら

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「七冠王ロード」のボトルネック 羽生善治vs森内俊之 1995年 王将リーグ

2023年10月04日 | 将棋・ポカ ウッカリ トン死

 王座戦第3局衝撃の結末だった。

 永瀬拓矢王座が「名誉王座」を、藤井聡太七冠が「八冠王」をかけて戦う今期王座戦五番勝負は2勝1敗と藤井が大記録に王手をかけた。

 その第3局が永瀬勝勢から、まさかの後に、さらにまさかがズラリと並ぶような大逆転劇で藤井が勝利

 まだ結果が出たわけではないが、もしこれで「八冠王」が決まるなら、予選の村田顕弘六段挑戦者決定戦豊島将之九段戦に続く綱渡りであり、実力は当然として、藤井のおそるべき強運にも戦慄せざるを得ない。

 こういうのは資料などで

 「藤井〇-永瀬●」

 みたいな記録だけあとで見ると、必然に見えるというか、

 

 「藤井が順当に勝利」

 「すべてが勝つ運命にあったのだ」

 

 とか、したり顔で語ってしまいそうになるけど、そういうことではないのだ。

 よくスポーツなどでも大きな大会で優勝したり、記録を達成するには、何回か

 

 「もうダメだ」

 「終わった」

 

 という危機をくぐり抜けないといけないと言われるが、それがよくわかるドラマであるということで、今回はそういう将棋を。

 


 

 1995年の将棋界は、かつてない「フィーバー」で持ちきりだった。

 前年度、羽生善治六冠王が「七冠王」ねらって、最後のひとつとして挑戦した第44期王将戦は、フルセットの末に谷川浩司王将防衛し、意地を見せた。

 前人未到の大記録に「あとひとつ」までせまって、おあずけを喰らったのには大きな脱力感があったが、同時に「そら、そうやわな」という妙な納得感も感じられたものだった。

 ところがどっこい、終わったと思ったところからの羽生のリカバリーがすさまじく、まずは棋王戦3勝1敗名人戦4勝1敗と、どちらも森下卓八段を相手に防衛

 棋聖戦では三浦弘行四段3連勝のストレートで、王位戦では郷田真隆五段4勝2敗王座戦では森雞二九段に苦戦しながらも3連勝で次々に防衛

 あと残る竜王戦佐藤康光七段を破り、王将リーグも突破して挑戦者になれば「七冠ロードふたたび」になるという、とんでもないことになったのだった。

 だがこの、最後の難関とも言える王将リーグは、なかなか羽生も楽には勝たしてくれなかった。

 1回戦で村山聖八段を倒したものの、続く2回戦では森内俊之八段相手に大苦戦を強いられる。


 
 
 
 

 図は森内が▲59香と田楽刺しを決め、羽生が△57歩とつないだところ。
 
 が逃げると▲53香成でオシマイなので、やむを得ない歩打ちだが、馬が好機にボロっと取られることが確定しては、泣きたくなるようなところ。
 
 その通り、ここで▲56香と打つのが意地悪な攻め。
 
 △55歩と止めたいが、歩はすでに△57に打ってしまっており、二歩で不許可。
 
 泣きの涙で△43金引と辛抱するが、これでは先手勝勢である。
 
 ……はずだったが、ここで森内が信じられないポカをやらかしてしまう。

 

 

 
 
 
 
 
 ▲92竜と入るのが、ありえない1手。
 
 遊んでいる竜を活用して自然なようだが、これが大悪手になっているのだから、将棋はオソロシイ。

 その瞬間にヒョイと△47馬とかわされると、ヒドイ形になっているのが分かる。



 
 
 
 

 そう、ここでねらいの▲53香成を炸裂させると、△同金寄▲同馬
 
 そこで△同金なら▲32金で詰みだが、馬を取らず△92馬と、飛車の方を取られてしまうのだ!

 

 

 


  
 こんなことなら、先に▲58香と取って、△同歩成▲92竜としておけばよく、それで先手は負けようがなかった。

 

 


 
 森内からすれば、△58いつでも取れるもの。
 
 そういう駒を一番いい時期に取りたいと保留するのは、強い人に共通の感覚であり「味を残す」なんて言い方をする。
 
 ただ、それが裏目に出ることも、ままあるもので、それがまさにここ
 
 羽生からすれば、▲56▲92の位置関係が、の利き筋に入って絶好で、目を疑ったのではあるまいか。

 △47馬以下、▲69金△56馬▲81竜△25銀、▲同歩、△96桂で、投了寸前からこうなるのは夢のような展開。


 
 
 
 
 
 
 
 ただ、こんなウッカリがあっても、まだ形勢は先手に分があった。

 先手陣は上部が抜けており、今度は入玉のおそれが出てきたからだ。

 ▲97玉△89馬▲96玉に羽生は△71桂と、懸命にしがみつく。

 

 

 

 

 犠打一発で、▲同竜△84金としばるが、▲85馬と大駒を犠牲にムリヤリ上部を開拓して、やはり先手玉に寄りはない。

 後手が入玉するのは絶望的だから、ここで点数を失ってもパワープレイで入ってしまえばよい。

 △同金▲同玉に一回△56歩と受けないといけないのでは、さすがに後手の猛追もここまでだ。

 

 

 

 ここでは▲94玉とすれば入玉確定で、こうやって負けのない形にしてから後手玉にせまっていけば、やはり先手が楽勝だった。

 ところが森内は、なにをあせったのか、ここで単に▲55桂としてしまう。

 これにはすかさず△57歩成と取り、▲43桂不成(ここも成るのが正解)、△32玉▲25歩△56馬▲57銀△83香と上部を押さえられては先手が勝てない。

 

 

 

 森内になにが起こったのかはわからないが、おそろしいほどの乱れで、まさかというウルトラ大逆転
 
 堅実派で取りこぼしの少ないこの男が、こんなことをやらかしてしまうのだから、将棋とはおそろしく、羽生も「持っている」としか言いようがない。

 これで羽生は2連勝といいスタートを切ったが、まだまだこのリーグはすんなりとは終わらないのである。

 

 (続く

 

  

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「負けない将棋」の大逆転劇(仮) 藤井聡太vs永瀬拓矢 2023年 第71期王座戦 第3局

2023年09月28日 | 将棋・ポカ ウッカリ トン死

 「なんかもー、すごいことになってるやん!」
 
 
 パソコンの前で、そんな悲鳴をあげそうになったのは、言うまでもなかろう王座戦第3局のことである。
 
 永瀬拓矢王座が「名誉王座」を、そして藤井聡太七冠が「八冠王」をかけて戦う今期五番勝負は1勝1敗第3局に突入したが、ここまで観て感じたことは、永瀬のガチ度だ。
 
 藤井聡太といえば、デビュー当時の劇的な詰み絶妙手など、瞬発力の目立った勝ち方を経て、タイトルを取ってからは「横綱相撲」のような戦い方が主となった。
 
 序盤で作戦勝ちし、中盤でジリジリ差を広げ、終盤はその読みの精度で危なげなく逃げ切る。
 
 評価値グラフの形から「藤井曲線」と呼ばれる、おなじみの必勝パターンだが、第1局、第2局ともに藤井からそれが見られないのだ。
 
 おそらくは人生最大級の大勝負で、永瀬はまず最初の関門である序盤でリードさせない。
 
 それどころか、むしろ自分の方が模様の良い局面を作りあげたりして、その研究の深さに驚嘆させられたものだ。
 
 しかも第1局では、無敵を誇る藤井の先手番をブレークして先勝

 

 

第1局の終盤戦。むずかしい戦いだが、藤井が▲92桂成と飛車を取ったのに、△14銀と上がるのが絶妙の受けで永瀬勝ち。

 

 

 これまでの勝ちっぷりから「藤井有利」と思われていたところを、この将棋でちょっとこちらも、すわり直すことに。

 いやいや、そんな決めつけるのは早いぞ、と。

 第2局も激戦だったが、終盤で永瀬がチャンスを生かせず、藤井が貴重な後手番の勝利をものにしてタイに押し戻す。

 

 

激しい競り合いの中、▲41金と寄せに行ったのが永瀬の判断ミスで、△62銀、▲31金に△43玉と上部に泳ぎだされて、一気に勝ちにくくなった。
ここは▲44馬、△33金、▲54馬、△43銀に▲45馬と、ゆっくり指しながら後手の攻め駒にプレッシャーをかけて先手が有利だった。
いかにも永瀬好みの手順に見えたが、1分将棋で決断できなかったようだ。

 

 

 ここでずるずる行かないのは、さすがの強さで、針はまたも藤井側に振れる。
 
 そうして迎えた第3局は、もうご存じの通り衝撃の結末であった。

 

 


 
 永瀬勝勢から、藤井が▲21飛と形づくりというか「思い出王手」をしたのに、平凡に△31歩と「金底」を打てば勝ちだった。
 
 これはごく自然な手というか、文字通り「オレでも指せるわ」という一着というか、むしろこれ以外の選択肢が思いつかないところ。
 
 それを△41飛と打ったばかりに、▲65角と打たれて大事件。

 

 

 


 これで△56をはずされると、先手玉にまったく寄り付きがなくなるのだ。

 これ以降、永瀬は明らかに雰囲気がおかしくなり、すかさずカメラが両対局者のアップをとらえていたが、が泳ぎ動揺を隠せない。

 おそらく、背中や脇からはが噴出していたことだろう。
 
 感想戦によれば、△31歩以下▲43銀△同金▲31飛成からの特攻をしのぐ手順を読み切れなかったようなのだが、それでも、いや、だとしたらなおさら△31歩に手が行きそうなものではないか。

 とこれだけ見れば、「永瀬がやらかしたか」で終わりであり、特に今は評価値があるから、なおさらそう感じるところ。

 ところがどっこい、感想戦を参照すると、それがそう簡単ではないのがわかるから、将棋というのは奥が深い。

 終局後すぐにこの局面が口頭で検討され、△31歩には、とりあえず▲43銀と打つと。

 

 

 

 永瀬が▲21飛△41飛と合駒したのは、この手を警戒してのもの。

 これが▲42銀打からの詰めろだが、△同金と取って、▲31飛成△41歩などなら▲32銀とかで怖い思いをするが、△41飛とここで飛車を合駒すれば、これ以上攻めが続かず後手が勝ち。

 

 

 

 

 だが、ここで△43同金▲31飛成と取らずに、▲32銀とする最後の勝負手がある。

 

 

 

 たとえば、△42金▲31飛成△41歩とふつうに受けると、そこで▲42竜から、▲34角と打てるから後手玉は詰み

 これがまた油断ならぬという、いやそれどころではない超難解な手で、実際、アベマの解説を担当していた深浦康市九段村田顕弘六段も、

 

 「これ、どうやって受けるの?」

 

 終局後も、しのぎを発見するのに四苦八苦していたようなのだ。

 謎は村田顕弘が解き明かし(すげえ!)、▲32銀には一発△39飛王手するのが正解。

 

 

 

 

 これが絶妙手で、意味としては3筋守備に利かしながら、王手で「合駒請求」をしている。

 を持駒から削れる。ここがポイントだった。

 ▲59香なら、そこで△42金と引いて、▲31飛成△41歩

 

 

 

 

 ここで▲42竜、△同歩、▲41金△52玉に、▲34角と打てれば後手玉は詰むが、それを△同飛成と取る手を用意したのが△39飛の効果。

 また、があれば▲44香でこれも先手が勝つが、哀しいことにそれは今、駒台には乗っていないのだ。

 ならばと香車を残して▲59角と合駒しても、今度はそこで△52玉と上がるのがギリギリのしのぎ。

 

 

 

 

 持駒にがないと、ここで後続がなく、先手の攻めは切れている。

 ▲31飛成とするしかないが、そこで△51金とすれば、しか持ってない先手にはもう指す手はないのだ。

 

 

 

 藤井はこれで負けと読んでいたが、永瀬はどうもこの変化が読み切れなかったようだ。

 「受けの永瀬」なら数分でも時間があれば射程圏内だったろうが、▲21飛と打たれたところで1分将棋に突入するなど、結果論的に言えばツイてなかったとも言える。

 てか、しれっと「読み切れなかった」とか言ってるけど、これメッチャむずかしいって!

 こうして見ると、将棋の終盤戦は超難解で、とんでもなくおもしろいことが、よくわかる。

 たしかに△41飛は永瀬の大ポカだが、それにはこういう激ムズ変化が水面下に流れてのものなのだ。

 その意味では「永瀬、ダセーなー」みたいな気持ちにはなれない。

 よく佐藤天彦九段をはじめ、棋士アマ強豪などの「リアルガチ勢」が、評価値だけを見てファンが「やらかした」「溶かした」とか言うことに違和感を訴えているが、それはこういうこと。

 そんな簡単な話じゃ、ないんだろうなあ。

 と言っても、普通はこんなもんワシら素人は読めないから、そうなるのもしゃーないけどね。

 これが、まさに「指運」というやつである。
 
 いつも思うんだけど、これは本当によくできた言葉だ。
 
 プレッシャーに追われながら、読み切れないところでとっさに指がいく場所。
 
 極限状態で選んだそれが、正解かハズレかは実力であり、同時にどこまで行っても「」でしかないものだ。
 
 強いものは当然、「正解」に行く確率が高いわけだが、それだって決して100%ではない。
 
 将棋の大勝負は最終盤での一瞬のひらめきと、あと所詮は「たまたま」で決まる。
 
 その意味では極論を言えば、あとに残る結果なんか決して絶対的なものでなく、半分「おまけ」みたいなものとも言えるのだ。

 とはいえ、勝負の世界は「結果がすべて」でもある。

 将棋に大逆転はつきものだが、それがよりにもよってこんなところで出てしまうあたり、なんかもうスゴすぎて言葉もないッス。
 
 もしこれで、このまま「八冠王」が達成されたら、この大逆転劇はまさに、将棋界の歴史を大きく変えるかもしれない。
 
 それこそ、昭和の将棋史を根こそぎ塗り替えた可能性すらあった、あの「高野山の決戦」に匹敵する歴史的事件になるかもしれないのと思うと、その興奮は深夜になっても収まらないのだった。
 


 (またも大逆転で「八冠王」誕生となった第4局はこちら
 

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谷川浩司名人の手紙 井上慶太vs木下浩一 1989年 第47期C級2組順位戦

2023年05月11日 | 将棋・ポカ ウッカリ トン死

 将棋界でもっともやりきれない「やらかし」は順位戦でのそれであろう。

 人間だれしもミスはするものだが、そのときと場所によっては取り返しがつかないことがある。

 将棋の世界では「大内▲71角」のような、名人位を取り損ねたという悔やんでも悔やみきれない失策もあるが、それと同じくらい、いや場合によってはそれ以上にダメージがあるのが順位戦でのそれではないか。

 今ではそうでもないらしいが、昭和の順位戦というは相当にかたよった棋戦で給料対局料、シード権から、その他連盟内の政治的立場まであらゆるところで、クラスの差がモノをいったという。

 若手時代の森下卓九段は勝ちまくっていた自分より、平凡な成績なのにクラスが上の中堅棋士のほうが何倍もの対局料をもらっていたことを知っておどろいたという。

 また先崎学九段の本でも、その年の勝率一位の棋士より、その年ほとんど勝てなかった上位棋士のほうが年収だったというエピソードが紹介されていた。

 当時の有名な言葉に、こんなのがあって、

 

 「順位戦の1局は新聞棋戦の20局分だ!」

 

 新聞棋戦とは今は使う人はいないが、要するに棋王戦とか新人王戦のような「順位戦以外の棋戦」のこと。

 いやいや順位戦も別に新聞社主催しているんだから、随分とおかしな言葉であるけど、それもあながち極論ともいえなかったほど、この棋戦には良くも悪くも特別感があった。

 それはまさに、のちにA級にまで昇ることになる森下、先崎の両者がC2時代のことを「地獄の日々だった」と回想することからも伝わってくる。

 「Cクラスから上がれない」

 これは金や地位に名誉だけでなく、閉塞感、憤懣、非条理、不公平、自虐や自己嫌悪などをまぜこぜにしたような、もっと大きな精神的負荷を棋士たちにあたえるのだ。

 

 1989年、第47期C級2組順位戦井上慶太五段8勝1敗の好成績で最終局をむかえた。

 デビュー当時から期待されていた井上だが、この順位戦ではなかなか爆発できず、初参加から7-38-26-46-47-3と好成績を残すも昇級までは結びつかなかった。

 とはいえ、もともと力はあるわけで、この年も1敗をキープし2位につけ自力の権利を持ったまま快走。

 最終戦の木下浩一四段に勝てば、文句なしにC1昇級が決まるところまでこぎつけた。

 将棋の方は、木下が先手で相掛かり。井上が攻めを強く呼びこみ、激しいたたき合いに。

 猛攻が一段落したところから、井上が反撃に出て終盤を優勢に進める。

 

 

 

 ▲84角の攻防手に△56歩と突くのが急所中のド急所で、▲88壁金も痛く、一目後手の攻めがに入っている形。

 ▲同歩△57銀と打ちこんで、▲79玉△48銀不成飛車を取る。

 ▲78金と壁を解消して手数を伸ばそうとするが、△69銀

 

 「玉の腹から銀を打て」

 

 の格言通り。

 

 

 

 こういう教科書通りの手がスムーズに入っていくというのは、すでに局面が決定的という証拠。

 ▲68金△58飛と打って、先手玉は受けなしだ。

 手段に窮した木下は▲62角成と切って、△同玉に▲82竜と王手。

 

 

 

 いわゆる「最後のお願い」という手だが、ここではハッキリ後手勝勢で、先手のラッシュは「形作り」の域を出ない。

 ふつうに△63玉とでもかわしておけば、敵は戦力不足なうえに上も抜けていて、これ以上の攻めはない。

 一方、先手玉は放っておけば△68飛成と取って、▲同玉に△78金まで。

 ▲69金を取っても△88金で詰み。

 ▲69玉と取っても、△59飛成▲78玉△79金から△68竜と王手しながらボロボロ駒を取っていけばいい。

 見事な寄せで、1枠は決まりと皆が確信したところで事件が起こった。

 竜の王手に、井上が△72金と打って合駒したのだ。

 

 

 をしかりつけて自然な手に見える。▲73を打っても詰みはなく、竜が逃げれば△68飛成でおしまい。

 ところがこれが、9分9厘手中におさめていたはずの、C1行きの切符を失うウルトラ大悪手だった。

 よく見るとこの局面、完全に後手がすっぽ抜けている。

 なんと、を手放したばっかりに……。

 
 
 

 


 ▲73角△52玉に、ここで▲58金と取れるのを井上はウッカリした。

 △72を使ってしまったばっかりに、ここで後手の攻めがまったく頓挫している。

 いうまでもなく、を手持ちにさえしておけば、△78頭金で詰みだ。

 頭がまっしろになったろう井上は△46角と打つが、▲69玉△82金▲62飛から王手の連続でこのをはずされて勝ちはない。

 まさかの大逆転で、井上は昇級を逃してしまう。

 この期のC2は波乱のリーグで、トップの森下卓五段こそ最終戦を勝ったが、2番手の井上、3番手の沼春雄五段、キャンセル待ち1番手の石川陽生四段と立て続けに敗れたのだ。

 その結果、上位2敗の日浦市郎五段佐藤康光四段が大逆転で昇級

 のち新人王戦で優勝する日浦もさることながら、名人にまで登り詰めた佐藤康光にとっては、結果的に見て、とんでもなく大きな幸運となった。

 この逆転劇には後日談がある。

 大一番をまさかの「一手バッタリ」で落としてしまった井上は、その後浴びるようにを飲み、ただ泣いて暮らした。

 本人によると「将棋をやめよう」と本気で考えるほどに、思いつめたという。

 そこに一通の手紙が届いた。差出人は兄弟子である谷川浩司名人だった。

 そこには、こう書かれていたという。

 


 残念な結果になってしまったけど、報われない努力というのはないと思う。決して悲観する事はない。自信を持って臨めば来期は絶対上がれる。


 

 この手紙の文面は有名で、よく

 

 「谷川は井上に【報われない努力はない】とはげまし」

 

 と紹介されていることが多いが、私が目を引かれたのは、そこに続く「思う」というフレーズだ。 

 大人になれば、いや、ならなくても別にわかることだが、世の中には「報われない努力」なんて山ほどある。

 谷川だってそんなことは承知だ。だから報われない努力はない「と思う」と書いたのだろう。

 ここは文脈的には「報われない努力はない」と断言する方が自然であり(実際その次の井上の未来については、この確実であるはずないものを「絶対上がれる」と書いている)、その弟弟子をはげましたいという気持ちも伝わるのではないか。

 そこを、そうしなかったところこそ、まだ10代だった私は胸を打たれた。

 世間に伝わりやすい、ときに【感動】も呼びやすい「報われない努力はない」よりも、

 

 「報われない努力はないと思う」

 

 この歯切れの悪さこそに、きびしい淘汰の世界に生きる、谷川浩司の精一杯の誠実さを見た気がしたからだ。

 あふれる涙をぬぐいながら、井上慶太はこの手紙を何度も読み返したという。

 次の年、井上は8勝2敗の成績で昇級を決め、7年目にしてようやくC2脱出。

 その後、C1でも9勝1敗の頭ハネをくらうなどで4期かかったものの、B22期B11期抜けで、A級まで昇りつめるのである。

 


 (井上のA級での戦いに続く)

 (郷田真隆のA級昇級の一番での大ポカはこちら

 (先崎学の泥沼C2時代の大ポカはこちら

 (その他の将棋記事はこちらからどうぞ)

 

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「世紀末四間飛車」の荒さばきと大ポカ 櫛田陽一vs森下卓 1988年 王位リーグ

2023年05月04日 | 将棋・ポカ ウッカリ トン死

 櫛田陽一がトップ棋士にならなかったのが、いまだ不思議である。

 アマ強豪として鳴らした実績もある無頼派棋士であり、その才能を大いに期待された男。

 1987年にデビューしてすぐ、初参加の全日本プロトーナメント(今の朝日杯)で決勝に進出。

 谷川浩司王位に敗れて優勝こそならなかったものの、翌年のNHK杯でも決勝まで勝ち上がり、島朗前竜王(当時は名人と竜王を失って無冠になった棋士を「名人」「竜王」と呼ぶトホホな風習があった)に快勝して、いきなりビッグトーナメントを制する快挙。

 若手時代からジャイアントキリングを連発し、大きな大会の決勝で戦ったところなど、今でいえば糸谷哲郎菅井竜也のような勝ちっぷりであり、その本格的で力強い振り飛車は「世紀末四間飛車」と恐れられたものだった。

 そんな、トップ棋士としての将来を約束されたような櫛田だったが、ある時期から成績が落ちはじめ、デビュー時の勢いを失っていく。

 いやそれどころか、まだ30歳の時点で早々とフリークラス宣言をして、事実上現役を退いてしまうのだ。

 これには驚かされたが櫛田によると、佐藤康光森内俊之といったライバルに追い抜かれたことや、自身が努力をおこたっていたことを自覚したショックで、私生活が乱れてしまったことが原因だという。

 「羽生世代」の登場は序盤戦術の進歩や、棋士のイメージをスマートなものにしたこととともに、将棋に対するストイックな姿勢をつらぬくことによって、こういう「無頼派」なプレースタイルを駆逐してしまったことも将棋史的には大きかったかもしれない。

 そこで今回は、そんな「昭和の魅力」にあふれた櫛田の将棋を紹介したい。

 これは櫛田の持つ独特の腕力と、終盤のアッという展開も合わせて、当時とても話題になった一局である。

 

 1988年王位リーグ。櫛田は森下卓五段と対戦する。

 先手の櫛田が三間飛車を振ると、後手の森下は△64銀型の急戦で対抗。

 櫛田は▲75歩の位を取っての▲76銀型からさばこうとするが、森下は得意の金銀をくり出す押さえこみを披露し、ジワジワとせまってくる。

 むかえたこの局面。

 

 中央の金銀が先手の大駒2枚を封じて、飛車のさばけるメドも立っており、後手が指せそうに見える。

 ふつうは▲86歩だが、飛車を引くくらいで△67歩成が受けにくく、下手すると完封されそう。

 なにか手を作っていかないといけない局面だが、ここから櫛田が見せる指しまわしがパワフルなのだ。

 

 

 

 

 ▲65歩、△同金、▲77桂がすごいさばき。

 たしかにダイレクトで△89飛成と取られるわけにはいかないが、それにしてもひねり出したものだ。

 ただ、いかにも薄いというか、森下もあわてることなく△87飛成とし、▲65桂△76竜と飛車を取っておく。

 これが、「駒得は裏切らない」の森下流。

 飛車を失ってこれがまた▲65桂取りにもなるのだから、やはり先手がいそがしいが、ここからがまたすごいのだ。

 

 

 

 

 

 ▲53桂成(!)、△同金、▲45桂

 取られそうなを捨ててをつり出し、もう一枚のを使う。

 なんだか、あまりにもふくみがないというか、いかにもアマチュアが苦し紛れに指しそうな手順だが、そう。

 これこそが「アマ強豪」出身の櫛田の力強さでもあるのだ。

 以下、△52金▲53歩とたたいて、△42金▲52金と、あくまで直接手で食いついていく。

 ただどうにも単調で、こういう攻めでは堅実さを身上とする森下には通じないとしたものだが、ここでは△51歩と打つのが、おぼえておきたい手筋

 

 

 ▲同金と金を引きずりおろして威力を弱めてから、△44歩を取りに行けば後手が優勢だったようだ。

 その代わりに、森下は△44角と出る。

 玉のフトコロを広げながら△53の地点にも利かして、味の良さそうな手に見えたが、これが危ない手だったか。

 ▲42金、△同玉、▲52歩成、△同玉に▲54金と打って、にわかにアヤシイ。

 

 先手の攻めも細いが、次に▲53桂成、△同角、▲63金打のような筋が受けにくく、なにかのときにを取れる形で、相当に食いついている。

 なんといっても先手の美濃囲いが手つかずで、とにかくメチャクチャでもいいから、攻めさえ切れなければ勝てるという穴熊のようなパターンに入っており、後手が怖すぎる局面なのだ。

 ただし、相手は森下卓である。

 当時の森下は優勝やタイトル戦にはまだ縁がなかったが(決勝で勝ち運がなく「準優勝男」と呼ばれていた)、実力では谷川浩司羽生善治に次ぐナンバー3と見られていたほどの男。

 このピンチも森下にかかれば、なんということもないはずと、さらなる熱戦が期待されたが、なんとこの将棋はここから、わずか3手で終わってしまう。

 結論から言えば櫛田が大ポカを指してしまうのだが、その伏線となる森下の次の手が不可解で、おそらくほとんどの人が当てられないのではあるまいか。

 

 

 

 △26角と出るのが、意味不明な手。

 ただ角が逃げただけで、詰めろでもなんでもなく、相手に手番だけを渡した手だ。

 しかもここで先手に妙手があるだけでなく、仮にそれを発見できなくても▲53桂成とすれば△同角の一手に▲63金打のような平凡な攻めでも、この角出はまるまる一手パスと同じあつかいになってしまう。

 櫛田もさぞや、おどろいたことだろうが、ここで大事件が起こるのだから将棋というのはわからないものである。

 

 

 


 ▲27歩△37銀まで森下勝ち。

 ▲27歩が一手ばったりの大悪手

 △26角と出た手が詰めろでもなんでもないのだから、受ける必要はなかった。

 いやそれどころか、この歩を打ったばかりに▲27への逃げ道を自らふさいでの大トン死。見事な自殺点である。

 この歩の代わりには、▲48角と出る手で後手がシビれていた。

 

 

 

 △同角成は当然▲53桂成で詰みだが、後手もが逃げるようでは話にならない。

 そもそもプロにかぎらず将棋の強い人なら、▲39で隠遁しているをスキあらば活用したいと考えるもの。

 櫛田ほどの棋士が、そのチャンスを逃してしまったというのが、おかしな話だ。

 それこそ、▲48角のようなカウンターは、振り飛車党の大好物っぽいのに。

 それにも増して不可解なのは、やはりその前の△26角だ。

 先も言ったが、これは詰めろでもなんでもない。

 そもそもこの角は、▲44金と取らせて、△同銀で銀を活用しながら△53を受けるという形にしたいのだ。その発想があるから、やはり△26角はちょっと思いつかない。

 先手が▲27歩という、ありえない大悪手を指してくれる以外はすべてヒドイ結果が待っている。

 なぜ森下のような地に足をつけたタイプの棋士が、こんな手を指したのかわからず、さらにはそれが結果的には勝着になるのだから、まったく今並べ直してもわけがわからないのだった。

 

 (森下が名人戦で見せた大ポカはこちら

 (その他の将棋記事はこちらからどうぞ)

 

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この一撃で「オワ」 中座真vs大石直嗣 2011年 第69期C級2組順位戦

2023年04月15日 | 将棋・ポカ ウッカリ トン死

 「オワ」というのは、升田幸三九段がよく使った言葉である。

 序中盤であざやかな構想妙手を見せ、早々と勝敗の行方を決定してしまったときや、逆に信じられない大トン死を食らってしまったときなどに、

 

 「この将棋は、これにてオワ」

 

 私は世代的に升田幸三九段の現役時代は知らないが、多く書かれている升田論や、やはり升田将棋をリスペクトする先崎学九段のエッセイなどでも、よく見かける表現。

 すごい手を食らって「おわあ!」とおどろいた状態かと思っていたが、なにかで「終わり」の略だと聞いたこともあり、くわしいことはよくわからない。

 まあ「ビックリするような急転直下でおしまい」

 くらいの感覚でいいと思うが、不思議なことに語源を検索してもなにも出てこないので、今では死語になっているのかもしれない。

 

 1958年、第17期名人戦第7局。
 升田の指した△44銀が、本人も生涯ベストと自賛した名人防衛を決定づける好着想。
 意味は超難解だが、▲45歩と突かせてから△33銀と戻っておけば、先手の角、銀、桂がまったく使えない形となり後手が必勝(らしい)。
 まさに「この銀上りでオワ」。

 


 とはいえ、羽生善治九段をはじめ多くの棋士が

 

 「一度は指して見たかった」

 

 あこがれる升田幸三のパワーワードをこのまま埋もれさすのは惜しいので、今回はそんな「オワ」な一手を紹介したい。

 

  2011年、第69期C級2組順位戦

 中座真七段大石直嗣四段との一戦。

 ここまで中座が3勝、大石は2勝と、双方星が伸びない中の対戦で、いわゆる「の大一番」という対決。

 後手の大石が、当時流行していた一手損角換わりを選択。

 局面は序盤、中座が飛車先の歩を交換し、大石が△45歩と突いて、▲46にいたをバックさせたところ。

 

 まだ。なんということもない場面で、これからの将棋に見える。

 初心者の方は△33角と打つ手が気になるかもしれないが、▲28飛▲88ヒモがつくからなんでもない。

 ところが、この将棋はすでに後手が必勝。ここで必殺手があるのだ。

 

 

 

 

 △46歩▲同銀△48歩で「オワ」。

 なんとこのわずか3手で、先手はすでに指す手がない。

▲同金▲同玉が逃げるのも、そこで△33角と打てば、▲48にある駒がになって▲28飛としても△88角成と取られてしまう。

 

 



 この歩打ち自体は部分的には手筋だが、一回△46歩とワンクッション入るところが盲点になったか、中座はこの手が見えなかった。

 これで先手は、どうもがいてもをなんの代償もなくボロっと取られてしまう。

 序盤の駒組も終わってない段階で、これはヒドイ。

 私だったら、バカバカしくなって投げる。いや実際、中座だって他の棋戦なら投了しただろう。

 しかし、これは順位戦である。

 しかも、中座はここまでまだ3勝

 この期は順位がよく、また最終戦もあるため、すぐに降級点を食らうわけではない。

 それでも万にひとつ、こんな負けを食ったことが最悪の結果を生んでしまったら、泣くに泣けないではないか。

 以下、中座は▲48同金△33角に、歯を食いしばって▲27飛と引く。

 当然の△88角成▲77角と打って、△同馬▲同桂△88角と打たれて銀香損が確定。

 ▲78金に、△99角成

 

 

 

 すでに将棋は終わっているが、中座はその後、まったく勝ち味のない局面を99手まで指し続けた。

 自らのふがいなさへの憤りや、脱力感をグッと飲みこんで、最後まで折れずに戦った執念もすごい。

 ここから投了までの手順は、きびしいことを言えば棋譜としての意味価値はほとんどないが、だからこそ、その無念さが伝わってくる。

 この中座の悲壮なねばりこそ、まさに「順位戦の手」だが、そういえばこれも「オワ」と同様、最近ではあまり聞かなくなった言葉かもしれない。

 

 

 

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奇蹟は一度しか起こらない 藤井聡太vs渡辺明 第48期棋王戦コナミグループ杯 第3局

2023年03月06日 | 将棋・ポカ ウッカリ トン死

 先日の棋王戦第3局は衝撃の結末だった。

 先手番28連勝(!)と無敵状態の藤井聡太五冠に対して、渡辺明棋王名人が後手番ながらリードを奪うと、そのまま勝勢を築き上げる。

 だが、明快な決め手をひとつ逃しただけで、おかしくなるのが将棋の終盤戦のおそろしいところで、まだ渡辺がリードを保つも混戦に突入。

 その後も、後手勝率が95%を超える時間も長かったが、勝ちを逃した精神状態に藤井の巧妙なねばりに勝負手もあって、いつしか泥仕合に。

 いくら客観的には「勝ってます」と言われても、そんなもん当人たちは知る由もないし(それにしても△37桂とか森内俊之九段は手が見えていたね)、1分将棋にくわえて、局面もゴチャゴチャした状態が延々と続いて、わけがわからない。

 評価値を参照しながら観ている初心者の方や、あまり実戦経験のない人からすれば、

 

 「おかしいなあ。なんで、こんな簡単な手が指せないの?」

 「悪手だらけで、二人とも超よえーじゃんw」

 

  みたいに見えるかもしれないけど、こんなんもん、やってる方は「そんなん言われても」という話なのだ。

 いわゆる「評価値がアテにならない」という、将棋のおもしろさのエッセンスが一番詰まった戦いだが、最後に抜け出したのは、やはり藤井だった。

 必敗の局面を根性腕力でひっくり返し、ついに勝ちをその手にたぐり寄せた。

 

 

 

 正直、この局面を前にして私はあきれ返っていた。

 これを勝つんかい! あの渡辺明がこの将棋を勝てないのなら、もうこれからは100戦やって100連勝やん。

 マジか、えげつないな。見ている方は「六冠王おめでとう」ですむけど、こんなん他の棋士からしたら絶望しかないよなー。朝日杯もすごかったしなー。

 なんて「ぼんち揚げ」をボリボリ食べながら考えていたら、なんとここで藤井が指したのが▲26飛

 世に「噴飯」という言葉があり、要するに「お茶吹いた」ってことなんだけど、私の場合はぼんち揚げの粉が、桜島の噴火のごとく部屋に舞い散った。

 ちょ、ちょっと待てーい

 尾崎放哉のしょうもな……自由律俳句のごとく、ひとりで咳に苦しむ私を尻目に、一瞬にして評価値は99から99へ。

 ここでは▲25歩と打てば、藤井が詰め将棋の名手であることを持ち出すまでもないほどの、それほど難解でもない詰みのはずだった。

 まさかこの流れで再逆転があると思えず、また詰まないのも打ち歩詰がからんでピッタリ逃れていたりとか、まさに「勝ち将棋鬼のごとし」。

 なんだか渡辺がかつて、羽生善治九段の「永世七冠」を阻止したときのようなドラマではないか。

 そうえいば、あのときは3連敗から4連勝で逆転したっけ。

 こちらがお茶を飲んで落ち着くにつれ、すでに先手に勝ちがない状態がハッキリとしてきた。

 その後は投げきれない藤井が、めずらしく落胆をモロに表していたりしながら、勝ち目のない局面を指し続けたけど、気持ちはわかる。

 勝ってれば「史上最年少六冠王」だし、これで名人戦プレーオフ王将防衛戦とはずみがつくのに。

 また、ここでシリーズが終われば、タイトなスケジュールも多少マシになるとか、別にそんな邪念が入ったわけでもないだろうけど、まさに茫然。

 こんなこともあるんだねえ。まあ疲れもあるんだろうなあ。大勝負に出ずっぱりだものなあ。

 以前、藤井猛九段が、

 

 「どんな大差の将棋でも不思議なことに、かならず一回はチャンスが来るんですよ」

 

 と言ったあと、

 

 「でも、苦しい局面を延々と考えて疲れちゃうし、時間も使わされてるから、いざという時に逆転の手を指せないんだよね」

 

 なんてことをおっしゃってましたが、まさにその通りの幕切れ。

 将棋はこういうこともあるから「貴重な経験」と思うしかないし、むしろそうできるかが試されるところ。

 そうえいば、羽生善治九段が昔、竜王戦挑戦者決定戦で丸勝ちの局面で「一手トン死」を食らった有名な将棋があるけど、そのときの羽生は、おそらく「全力で勝ちにいって」その後2連勝し、大ポカを無理くり「なかったこと」にしてしまった。

 藤井もまた、番勝負だったことが幸運だったわけで、ここで踏ん張ってこれを「なかったこと」にできるのかどうか。

 いや、藤井は棋王戦だけではなく、広瀬章人八段とのプレーオフに、世紀の決戦となった王将戦もある。

 移動日や取材もふくめれば、気持ちを切り替えるインターバルは絶望的に少ないが、果たしてどうなるのか。

 無敵の王者にブレは生じるのか。

 「どうせ藤井が勝つ」という予定調和に穴が空き、他の棋士たちの逆襲のキッカケになるのか。

 いやいやもう3月の将棋界は、超おもしろくなってきたんですけど!

 

 (その他の将棋記事はこちらからどうぞ)

 

 

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キングに気をつけること 羽生善治vs関浩&大内延介 1986年勝ち抜き戦&1987年名将戦

2022年12月10日 | 将棋・ポカ ウッカリ トン死

 前回中村修王将戦に続いて、まだ荒削りだった、若手時代の羽生善治九段の将棋を。

 将棋にかぎらず、才能勢いのある若手が活躍するのは、どの世界でもおなじみの光景。

 デビュー当時の羽生もそうだったし、続けてあらわれる村山聖佐藤康光森内俊之先崎学郷田真隆屋敷伸之とか、今でも藤井聡太五冠を筆頭に伊藤匠五段とか服部慎一郎五段なんかも、いつ見ても勝っていて、周囲の棋士からすれば迷惑を感じていることだろう。

 常に年間7割以上、ときには8割勝つ彼らだが、たとえ8割勝っても2割負けるのが勝負というもの。

 そこで今回は「勝って当然」のエリートが見せる2割の負けを、それも「え?」とおどろくレアな負け方を紹介してみたい。


 1986年のオールスター勝ち抜き戦。羽生善治四段と関浩四段との一戦。

 

 

 

 相矢倉のねじり合いから、先手の羽生が▲74と、と引いたところ。

 銀桂交換の駒損ながら、と金が手厚く先手も指せるとの読みだったのだろうが、この構想はそもそも成立していなかった。

 後手から次の手は△86歩だが、▲同歩に続く手を羽生はウッカリしていた。

 

 

 

 

 

 

 △86歩、▲同歩に△55銀と出るのが、「次の一手」のような切り返し。

 ▲同歩とさせてから、勇躍△86飛と走り、▲87歩△77歩成で一丁上がり。

 

 

 

 ▲同金寄△46飛と、きれいな十字飛車が決まって後手優勢。

 駒得なうえに飛車もさばけ、先手のカナメ駒である▲74と金までも空振りさせて、痛快なことこのうえない。

 その後も関が、丁寧な指しまわしで、期待の新人から金星

 これで羽生は、デビューからの連勝で止められ、プロ初黒星を喫する。

 
 続いては1987年の名将戦。大内延介九段戦。

 大内得意の穴熊に対して、羽生は銀冠からうまく指しまわす。

 

 

 

 図はを交換したところで、これからの将棋だが、次の手が参考にしたい一着だった。

 

 

 

 

 

 △25歩と、ここを突くのが、ぜひとも指に憶えさせておきたい感覚。

 が手に入ったので、△26歩、▲同歩、△27歩、▲同銀、△35桂の穴熊崩しを見せながら、△24角とのぞく筋もできている、一石二鳥の味の良い手。

 戦いが起こっているのが7筋なので、どうしてもそこに目が行きがちだが、視野を広く持って指すのが見習いたいところ。

 そこからも羽生が順調にリードを広げ、この場面。

 

 

 

 

 後手の勝ちは決定的で、ここから数手で終わるはずが、まさかの信じられないポカをやらかしてしまう。

 

 

 

 



 △39香成としたのが見落としか、それとも油断かという大悪手





 

 すかさず▲78飛が飛車の横利きを最大限に利用する受けの手筋。

 なんとこれで、受けなしに見えた先手玉に寄りがないのだから、羽生少年も目の前が真っ暗になっただろう。

 先の図では先に△28銀成として、▲同玉に△27金を決めてから△39香成とすれば、せまい穴熊は駒を打つスペースがなく、投了するしかなかったのだから。

 

 

 ▲78飛以下、△28銀不成、▲同玉、△38金から飛車を奪って攻めるが、これがいかにも細い攻めで逆転模様。

 ▲38同飛△同成香、▲同玉、△78飛▲49玉と落ちて、後手の攻めは完全に空振りだ。

 

 

 

 先手玉には詰めろもかからず、後手玉は飛車取りは残っているわ、▲24歩は激痛だわと収拾がつかない。

 大内は「怒涛流」のパワーを見せつけ、あっという間に後手の銀冠を攻略。

 まさかという着地失敗で、「天才」羽生善治にもこういうことがあるのであるが、こういうのをふくめて8割以上勝っているのだから、どんだけ強かったんやという話でもあるのだ。

 


 (若き羽生と村山聖との熱戦に続く)

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コンフュージョンの呪文 豊島将之vs前田祐司 2009年 銀河戦

2022年08月19日 | 将棋・ポカ ウッカリ トン死

 王位戦第4局が延期になった。

 現在行われている、お~いお茶杯第63期王位戦七番勝負の第4局は、挑戦者の豊島将之九段が体調不良ということで、延期となってしまった。

 竜王叡王を失い、無冠になってしまった豊島だが、「九段」表記もそろそろ飽きてきたこともあって、ここは王位か王座のどっちかくらいは取るべしと、観ている方も気合を入れて待っていたのだが、そこにこの報。

 肩透かしを喰らってしまった形だが、代わりに配信された阿久津主税八段里見香奈女流五冠との棋王戦が、最後まで手に汗握る大熱戦でメチャメチャ楽しかったので結果オーライ。

 里見さん、おしかったなあ。あっくんも終盤戦では手が震えていたし、ここを勝っていれば、編入試験にも勢いがついたろうに残念だ。

 その編入試験も、第1戦ではデビューから爆発している(今期12勝1敗!)徳田拳士四段に敗れてしまったが、まあ勝負の世界は甘くないということか。まだまだ、これからッスよ。

 とりあえず、ここからしばらくは「豊島王位(もしくは王座)」と「里見四段」誕生を楽しみに過ごすということで、今回は若手時代の豊島将棋を紹介したい。 

 

 2009年銀河戦

 前田祐司八段と、豊島将之五段の一戦。

 戦型は、後手になった豊島が、このころよく指していたゴキゲン中飛車に振る。

 前田は長く順位戦B級1組で活躍し、NHK杯でも優勝経験がある実力者だが、このときはすでにベテランの域に達している。

 若手ナンバーワンともいえる豊島となれば、まあ問題はないだろうと思われたが、この将棋は大苦戦を強いられ、終盤ではこの局面。

 

 


 ▲62銀と、教科書通りの「美濃くずし」が決まって、苦戦を通り越して、ここでは必敗である。

 △同金と取るしかないが、急所中のド急所▲71角が入っては、もはやそれまで。

 ここで投げてもおかしくないくらいだが、豊島は△92玉と寄り、▲62角成△82金と入れてねばる。

 

 

 


 これがどう見ても希望のないねばりというか、先手陣は手がついてなく、詰みはないどころか、詰めろすら、かけるのは困難。

 それにくらべて、後手玉は延命のきかない形な上に、手番も渡している。

 逆転のコツには、

 「相手にプレッシャーをあたえる」

 ことが重要なのに、その要素がないというのだから、これはもう、相当に苦しいわけなのである。

 前田は▲71竜と入り、いよいよ受けがなく、後手は△38飛と打って、

 「駒が入ったら、詰ますぞ」

 せめての主張点を入れてくるが、そこで▲48金の犠打。

 

 


 このあたりは、いろいろと勝ち方がありそうだが、この金打ちも手筋で、△同とと取らせれば、飛車の横利きが消え、先手玉が「ゼット」になる。

 わかりやすい形にして、速度計算をしやすくするのがコツで、やはり先手が勝ちである。

 ▲48金以下、やむをえない△同とに、▲82竜、△同玉、▲71金と自然に押していく。

後手は△61金打と、やはり悲壮なねばりを見せるが、▲同金から駒得しながらな攻めが続いて、まったく状況は好転しない。

 そうして、とうとう最後の場面をむかえた。

 

 


 ここまで、懸命のがんばりを見せてきた豊島だったが、さすがにこれは、いかんともしがたい。

 頭金の1手詰が受けられないとなれば、今度こそ投げるしかないと思われたところだが、豊島はまだあきらめない。

 完全に受けのない、必至の局面で、一体なにを指すのか。

 次の手は、強い人ほど当てられないと思います。

 

 

 

 

 

 

 △71銀と打つのが、目を疑う1手。

 いや……だってこれ、受けになってないよ! 5手詰だよ!

 これはさすがに、私でも見つけられます。

 そう、▲72金打、△同銀左、▲同成香、△同銀、▲82銀まで。

 なんら難しいところもなく、詰んでいる。

 なんだこれ? どういうこと?

 まったく意味のない手で、人によっては「こんな手を指すのは、いかがなものか」と感じるかもしれないが、あにはからんや、これがとんでもない事件を引き起こすこととなる。

 30秒将棋の中、瀕死の状態でも、はいずって逃げようとする豊島の迫力に押されたか、なんと前田はこの簡単な5手詰を見逃してしまうのだ!

 まさか前田も、無意味な受けなどするはずがない、と思いこんだのか、▲61成香としてしまう。

 といっても、この手自体も駒を取りながらの自然な攻めで、△72金とさらなるがんばりに、▲62銀と腕ひしぎを決めれば、それでお終いだった。

 そこを▲75桂としたため、△47角と攻防手が入って、これで一気に局面がわからなくなってきた。

 

 

 

 それでもまだ、先手が勝ちなのだろうけど、前田はパニックになったのか寄せを発見できず、▲71成香、△同金、▲56銀と受けに回るが、そこで豊島は△82香

 

 を渡すと、先手玉はムチャクチャに危険な状態だが、逃げているようでは勝てない。

 そもそも、ここではすでに、後手玉に有効な攻め手も、いつの間にか見えなくなっている。

 前田は誘われるよう▲同金としてしまい、△同金、▲83香の瞬間、△69角打から詰まされてしまった。

 いかがであろうか、この大逆転劇。

 必敗の局面でも投げず、最後は相手がおかしくなって、5手詰を逃すという椿事もあったが、こういう「根性」を見せられるのが、豊島将之という男。

 とよぴーといえば、スマートな研究派というイメージが強いけど、終盤はこういう泥まみれの戦いをしていることが多く、そこが魅力でもある。

 今は藤井聡太というバケモノがいる上に、王座戦で相対する永瀬拓矢も負かすのは大変な男だが、どこかでこの△71銀のような魔術を駆使して、ふたたびはい上がってくることを期待しようではないか。

 

 (豊島と渡辺明の熱戦はこちら

 (豊島の順位戦デビュー戦の妙手はこちら

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投了の匣 脇謙二vs野本虎次 1985年 第44期B級2組順位戦

2022年08月01日 | 将棋・ポカ ウッカリ トン死

 「投了は最大の悪手」

 というのは、将棋の世界でまま聞く言葉である。

 敗勢になってもガッツでがんばる棋士や、まだねばる手があったのに、それに気づかなかったり、心が折れて卒然と投げてしまう人(こないだの神谷広志八段こちらとかこちら)やアべマトーナメント藤井猛九段みたいに)に対して使うこともあるが、要は安西先生の、

 

 「あきらめたら、そこで試合終了ですよ」

 

 ということだが、実際のところは「負け確」の将棋を投げずに指し続けるのは、相当な精神力が必要ではある。

 中にはもっとディープなケースがあって、自玉が詰んでないのに、あるいは逆に相手玉に詰みがあるのに、それを気づかず投げてしまう人もいたりする。

 文字通りの「最大の悪手」であり、今回はそういう将棋を。

 

 1985年、第44期B級2組順位戦の開幕戦。

 脇謙二六段と、野本虎次六段の一戦。

 前期、初参加で7勝3敗の好成績をおさめ、順位を5位につけた脇は25歳という若さもあって、当然昇級候補のひとりだった。

 だが、その大事な初戦を脇は落としてしまう。

 野本は前期に降級点を取っており、この期も2勝8敗と振るわず2度目降級点を食らってC1に落ちてしまうのだから、脇からすればよもやの「死に馬」に蹴られたわけだ。

 ただ、これだけなら、この世界でちょいちょい聞く話で、まあ順位戦の「あるある」ともいえること。

 実はこの将棋は結果もさることながら、その内容こそが大問題だった。

 まずはこの局面をみていただこう。

 

 

 

 先手の野本が▲74銀と打ったところで、ここで脇が投了

 以下、△同玉に▲66桂と打って、あとは金銀3枚があるから自然に追っていけば詰みということだ。

 ……とここで、

 「あれ? それちょっと、おかしくね?」

 首をひねったアナタはなかなかスルドイ。特に詰将棋が得意な人は違和感があるのではないか。

 そう、この場面をよく見ると、後手玉に詰みはない

 となれば、これは後手勝ちということになるが、その通り。

 なんと脇は、自分が勝っている局面で投了してしまったのだ!

 手順を追ってみよう。△74同玉▲66桂と打って、△84玉に▲85歩

 △同玉に▲74銀ともう一度ここに打って、△76玉▲67金△87玉▲98金まで、歩ひとつも余らないピッタリの詰みだ。

 

 

 ……に見えたが、この読み筋には、最後に信じられない大穴が開いていた。

 

 

 

 

 

 △96玉と、ここに逃げて詰んでないのだ。

 ▲88金空き王手しても、△97になにか合駒をねじこんで寄らず、後手優勢の終盤だった。

 形を見れば、脇がなにを錯覚したかは一目瞭然。

 最初の図と、見比べてほしい。

 

 

 

 この局面では、▲99にある香車の利きがまだ生きており、後手玉は△96玉逃げられなかった

 そのイメージがあったから、▲98金のとき、その金で▲99の香利きがさえぎられることをウッカリしたのだ。

 たしかに、いわれてみるとナルホドで、脇が混乱したのもわからなくもない。

 現に、私も子供のころ手順を頭の中で追って、▲98金の場面が不詰なのが一瞬わからなかったものだ。

 まさかの大錯覚で、開幕ダッシュに失敗した脇はこれに怒ったか、その後は競争相手の塚田泰明六段との1敗決戦を制しての7連勝

 2位に浮上し自力昇級の権利を得るが、ラス前の9回戦でベテラン吉田利勝七段に敗れて次点となった。

 脇はこの後、毎年のように好成績を上げるが、結局B1には上がれず、なんと22年もB2にとどまった。

 結果論的に見れば、あの野本戦の投了図が、脇の棋士人生を大きく左右したことになる。

 脇の実力からすれば、もっと上でも戦えただろうに、惜しい負け方であった。

 

 

 (脇と米長邦雄の熱戦はこちら

 (脇と中村修の順位戦はこちら

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「思い出王手」ぽろぽろ 神谷広志vs増田康宏 2017年 第76期C級2組順位戦

2022年07月26日 | 将棋・ポカ ウッカリ トン死

 「投げっぷりのいい」棋士というのがいる。

 現代では敗勢の将棋でも、あきらめずにがんばるのは、まあ普通というか当たり前のことである。

 これが一昔前になると、負けを自分で読み切ってしまうと、そこでアッサリ投げたり、あるいは「綺麗な終局図」を大事にして、いわゆるクソねばり的な指し方を良しとしない棋士も多かった。

 代表的なのは滝誠一郎七段島朗九段

 真部一男九段のように、なんと奨励会三段のころ、四段昇段をかけた一局で早投げを披露したツワモノもいる。

 

 

 

 1971年の東西決戦(当時は年2回、三段リーグの関東優勝者と関西優勝者の勝った方が四段になった)森安正幸三段-真部一男三段戦の投了図。

 たしかに後手の森安が有利だが、四段昇段がかかった将棋をこの局面で投げるのは、おそらく将棋史全体を通しても真部だけだろう。

 

 その系譜に、もうひとり加わるのが神谷広志八段で、前回のまだねばれたのに投げてしまった佐藤康光戦に続いて「そこで投げるの?」な一戦を。

 

 2017年、第76期C級2組順位戦

 神谷広志八段と、増田康宏五段の千日手指し直し局。

 ここまで7勝2敗で、自力昇級の権利を持っている増田にとって絶対に負けられない一番だが、神谷も降級点の可能性を残しており、やはり落とすわけにはいかない。

 そんな将棋の方はどちらが勝つかわからない熱戦になり、むかえた最終盤。

 

 

 

 

 増田が▲53飛と打って、後手玉に必至をかけたところ。

 受けはないから、あとは先手玉が詰むや詰まざるやだが、まずはどこから王手をかけるべきか……。

 というのを、ここから必死に読むのかと思いきや、なんとここで神谷は投げてしまったのだ。

 え? 投了

 対戦相手の増田もビックリしたらしいが、さもあろう。

 先手玉には△78銀、▲同玉、△56角とか、△69飛成と切る筋とか、危なそうな手順はいくらでもある。

 格調が高いといえばそうかもしれないし、そりゃ読み切ってしまったんなら仕方がないけど、1分将棋はなにがあるかわからないし、とりあえず王手しそうなところではないか。

 それを投了。

 なんかもったいないなーと、口をとがらせたくなるが、実はそれどころではなかったことを、神谷は終局後に聞かされて愕然

 なんとこの投了図、増田玉には詰みがあったのだ。

 手順としては、△69飛成、▲同玉、△78銀、▲同玉、△67金、▲88玉、△79角、▲98玉、△96香と追う。

 

 

 

 ここで先手に飛車という高い合駒しかないのが泣き所で、どれを使っても△同香成、▲同桂に△88金から簡単に詰む。

 さほどむずかしくないように見えるこの詰みを、両者ともに見えていなかったそうだが、増田は

 


 「詰まされても仕方ないと思っていた」


 

 とコメントしていたから、そりゃおどろくだろうというハナシだ。

 ちなみに増田の▲53飛が大悪手で、ここでは▲45角と打つのが攻防にピッタリで明快。

 

 

 また、先に▲82角と王手して、なにか合駒を使わせて自玉の詰みを消してから▲53飛でも、問題なく先手が勝ちだった。

 深夜2時。疲れと秒読みで「なんでもあり」になった、順位戦ならではのハプニング。

 これを負けていたら増田は、順位わずか2枚差の石井健太郎五段に逆転されて、C2に足止めされていたのだから、とんでもなく大きな幸運となった。

 

 (脇謙二の「勝ってるのに投了」編に続く)

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