エリート東京外国語大学生と「頭がいい」の定義

2016年04月04日 | ちょっとまじめな話

 「頭がいい人」と話をするは楽しい。

 ヨーロッパを旅行していたときのこと。

 ロンドンから、オランダの首都アムステルダムにむかう夜行バスで、キタハマ君という日本人旅行者と出会った。

 彼は東京外国語大学に通う学生さん。

 私は旅先で妙に高学歴の人と出会うことがあり、東大の子に

 

 「一応、東大です」

 

 という「あるある」なセリフを生で聞いたり、在学中、司法試験に合格した京大生がいたり、なかなか接点のない人と話ができるのも、また旅の楽しみのひとつだ。

 このキタハマ君もご多分に漏れず、専攻のマレー語だけでなく、英語やインドネシア語など5カ国語を話せるというすごい人。

 オランダに来たのも、

 

 「インドネシアの言語文化について学ぶとなると、オランダの影響ってはずせないんですよ。だから、自分の目で見てみたくて」



 なんとも殊勝だ。話す内容も、

 

「旅行中は外交官をやってる先輩をたずねるのが楽しみで」


「友達がスイス航空に就職するために、わざと留年してるんですよ。航空会社って、数年に一回しか募集かけないから、それに合わせて卒業するためです」



 なんていう、どう考えても私の役に立たない就活情報とか、アムス観光のあとはライデンという街に行きましょうと誘われて、その理由というのが、



ライデン大学教授と食事会をする」



 というのだから、もう心の底から

 「日本の未来はまかせました」

 土下座でもしたくなるような、モノホンのエリートなのであった。

 キタハマ君のさらにすごいところは、そんな支配階級側の人間なのに、気さくで、頭の良さを鼻にかけたりすることもない、とてもフレンドリーな好青年であること。

 私もレベルが違うが、学生時代はドイツ語を専攻していたし、明るい彼とはウマが合うところがあったので、すっかり仲良くなった。

 私は外大での勉強法やエリートの生態について興味があったし、キタハマ君もオランダの隣国であるドイツ文化や、近しい言語であるドイツ語とオランダ語の差違などについて知りたかったらしく、夜寝るのも惜しいというくらいに盛り上がった。

 話題はキタハマ君の専攻である、マレー語に移った。

 不勉強なことに、マレーシアといえば若竹七海さんらの『マレー半島すちゃらか紀行』くらいしか知らない私は、彼のマレーよもやま話を楽しんでいたのだが、時折そこに、ちょっとした違和感のようなものが浮き上がってくることが気になった。

 言葉にするのは難しいのだが、なんとなくかみあってないというか、ある意見についてお互い同意しているのに、そこに微妙なズレがある。そのはっきりしない感じ。

 それはキタハマ君も感じているようで、ふたりで

 

 「なんなんやろうな」

 「なんなんでしょうね」

 

 なんて言い合っていたが、こうなるとその違和感の正体というのが知りたくなる。

 そこでキタハマ君が、

 

 「漠然としたものをつかまえるのは難しいから、まずは言語化してみましょう」



 なにやら、かしこげなことを提案する。

 「うむ、私も同じことを考えていたんだ(←ウソつけ)。やってみようじゃないか。」

 こちらも答えると彼は、

 

 「じゃあ、僕たちのイメージというか意識の違いを言葉にしてみましょう」

 「たとえばシャロンさんは、マレーシアっていう国に、どんな印象あります。簡単でいいですよ、思いつくまま言ってみてください」



 マレーシアねえ。多民族国家で、イスラム教で、昔イギリス植民地で、あとは銀輪部隊とか……。

 そういわれると、オレってホンマにマレーシアのこと知らんなあ。

 日本とは歴史的にも、けっこうつながりあるはずなんやけど。怪傑ハリマオとか。

 なんて、阿呆がバレそうなことを考えていると、それまで目をつぶって熟考していたキタハマ君が

 

 「あ、わかりましたよ!」



 え、何がわかったの? ので?

 たったこんだけのやりとりで、いったいなにがわかったちゅうのか。

 いぶかしく思っていると、キタハマ君はいかにも楽しそうに、こう続けたのである。


 (続く→こちら

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