「伝説の三段」立石径は、なぜ奨励会をやめ医者になったのか

2024年08月23日 | 将棋・雑談

 「立石君が、詰んでると言ってます」
 
 
 というフレーズを聴いてピンとくる方は私と同世代以上の、それもかなりのディープな将棋ファンであろう。
 
 私も久しぶりに思い出したのが、今期の加古川清流戦のこと。
 
 立石径アマが貫島永州三段に勝利したというニュースを見たからだが、まさか今になって、立石さんの名前が将棋関連で出てくるとはとビックリしたものだった。
 
 立石径。
 
 かつて奨励会に在籍し三段まで上がったが、17歳という若さで突然退会し、関西の棋界に衝撃をあたえた人物。
 
 立石三段といえば当時、久保利明矢倉規広と並ぶ「関西三羽烏」と言われていた俊英で、谷川浩司村山聖の次代をになう存在として、プロ入り前から注目されていたのだ。
 
 中でも、立石はその先頭を走っており、久保や矢倉も、
 
 


 「立石君の背中を常に追いかけていた」



 
 
 口をそろえ、プロ入りどころか、A級タイトルもねらえる英才だっはずなのだ。

 それが、突然の退会劇。
 
 今でいえば奨励会時代の伊藤匠叡王か、先日の竜王戦で、四段昇段が期待された山下数毅三段が、なにも言わず急に消えたようなものである。
 
 立石さんのその後は、『将棋世界』による元奨励会員を追いかける特集(今泉健司五段や、藤内忍指導棋士六段も登場していた)で、少しばかり知られるようになる。
 
 もともと勉強が好きで、人の役に立つ仕事がしたいと願っていた立石三段は、自分は「勝負師」に向かない性格だという想いもあり、悩んだ末に医学の道を志す。
 
 高校は中退していたので、1から勉学をやり直し、3年かかったものの神戸大学医学部に合格。
 
 その後は小児科医として働き、将棋とは無縁の生活を送っていたのだ。
 
 かつての決断に「後悔はない」と言い切り、お子さんも生まれ、充実した生活を送られているようだった。

 次に、立石径と言う名を思い出すのは、さらに経って、鍋倉夫先生が描く将棋マンガ『リボーンの棋士』を読んだとき。

 ここに、立石さんをモデルにした人物が出てくる。
 
 作中では、ちょっと屈折した人物のように描かれているが、『将棋世界』のインタビューを読んだかぎりでは立石さん本人に、マンガのようなヤダ味は感じられない。
 
 あれは、あくまでフィクションの登場人物と受け取るべきだろうが、1992年の出来事が、令和に連載されていた作品に登場する。

 ここからも、「立石ショック」が、いかに大きなものだったか(『リボーン』の監修に元奨励会三段の鈴木肇さんが関わっている)、わかろうというものだ。
 
 そんな立石さんによると、2人お子さんが将棋に興味を持ったのがきっかけで、将棋への想いがよみがえったという。
 
 おそらくは藤井聡太七冠の活躍と、その余波であるブームの存在があるのだろうが、そう考えると「ヒーロー」というものの存在のすごさを感じるところ。
 
 彼はただ勝つだけでなく、そのことによって間接的にひとりの「将棋指し」を復活させたのだ。
 
 人が生きる理由が、もし地位でも金でも名誉でもなく、
 
 
 「この世界に、願わくば良い影響をあたえること」
 
 
 だとすれば、やはり彼の存在は様々なところに波及し、なにかを生み出し続けている。
 
 将棋の地位向上競技人口の増加、メディアの露出に女性ファンの獲得。
 
 立石径の話題も、またそのひとつなのだ。
 
 一度は将棋界をはなれた「天才少年」が、2人の子宝に恵まれ、その子供たちが「藤井聡太たち」の戦いを見て目を輝かせる。
 
 それを見た父親が、もう一度かつての自分を思い出して駒箱を開き、ついには公式戦勝利する。
 
 おお、まさにこれこそ、リアル『リボーンの棋士』ではないですか。

 

 


 (立石径三段を「伝説」にした、タイトルホルダーを超えた詰みはこちら

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佐々木勇気八段が広瀬章人九段を破って、藤井聡太七冠の待つ竜王戦七番勝負へ

2024年08月15日 | 将棋・雑談

 佐々木勇気竜王戦挑戦者になった。

 挑戦者決定戦で、広瀬章人九段を破っての檜舞台であり、のタイトル戦登場。

 女子人気の高いビジュアルにくわえ、「天然」なエピソードの数々で愛嬌も抜群。

 同性にも親しみやすいという、最強の男子である。

 もちろん将棋も才気あふれる魅力があって、強さとカリスマ性をそなえたスター棋士が、ついに覚醒だ。

 などと、その期待から、まずはグッと持ち上げることを書いてみたが、私と同じく多くの将棋ファンが、同時にこうも思っているのではあるまいか。


 遅い! 長かった! いつまで待たせるねん、ゴドーか!」


 佐々木勇気といえば、


 小学4年生小学生名人
 
 「13歳で奨励会三段


 というスピード出世を考えれば、30歳ではじめて全棋士参加棋戦優勝タイトル戦登場というのは、いかにものんびりしている。

 小学生名人戦から見ている、われわれ「うるさ型」のファンからすれば、もうこの男なんてとっくにA級三冠くらいを常時、持ってるはずだったのだ。

 将棋の世界では、時の「支配者」ともいえる棋士はたいてい早熟ではある。

 昭和の名棋士、中原誠十六世名人20歳棋聖を獲得し、23歳11か月で大山康晴十五世名人から名人を奪取。

 谷川浩司十七世名人は、言うまでもなく「21歳名人

 羽生善治九段10代のころからビッグトーナメントを総ナメし、19歳竜王を獲得、25歳七冠王

 他にも、佐藤康光郷田真隆屋敷伸之といった面々も、若くしてタイトルホルダーに(屋敷など18歳だ)。

 特に「羽生善治四段」デビュー時に将棋を知った私には、この「羽生世代」や屋敷、少し上の森下卓などの爆発的な勝ちっぷりを見てきたので(マジでイナゴの大群です)、なにかこう若手棋士とは


 「そういうもの」


 という感覚がすりこみになっているのだ。

 もちろん、その後も有望な若手棋士が多く出て、結果も出しているけど、なにかこう「物足りない」感があった。

 けど、たぶんそれは「羽生世代ショック」で感覚がバグっているだけで、世の中には「遅咲き」から息長く活躍している一流棋士はいる。

 たとえば森内俊之九段

 この人はデビューしていきなり全日本プロトーナメント(今の朝日杯)で谷川浩司名人を破って優勝など、一般棋戦(と順位戦)では強かったが、なぜかタイトル戦に縁がなかった。

 初登場は25歳名人戦と「羽生世代」の中では比較的遅く、獲得も31歳だった。

 その後、羽生に先んじて「永世名人」を獲得するのはご存じの通り。

 また昭和では加藤一二三九段が、中原誠20連敗を喫したり。

 米長邦雄永世棋聖が、やはり中原にタイトル戦で初顔合わせからシリーズ7連敗を喰らったり。

 わりと結構、足腰立たなくなるくらいのヤツを喰らっているが、その後はタイトル戦など、ほぼ五分で戦い、多くの栄冠にも輝いている。

 早熟と見せかけて、実は遅咲き

 もしかしたら、スピード出世に目をくらまされ、われわれは佐々木勇気の本質を見誤っていたのかもしれない。

 なんにしても、お楽しみはこれからだ。

 彼はといえば、藤井聡太の「30連勝を止めた男」だが、その後の対決では借りを返され続けている。

 それも、順位戦NHK杯決勝アベマトーナメントと大きいところで負かされたことで、


 「そっか、佐々木より藤井の方が強いんだ」


 という空気感を完全に作られてしまった。

 だが、こないだのNHK杯でついに連敗ストップ。


 

 2年連続同カードとなったNHK杯決勝。
 熱戦から最終盤で藤井がハッキリ勝ちになったが、ここで△55角成としてしまい、すかさず▲24飛が「詰めろ逃れの詰めろ」で大逆転。
 ここでは△66角成とすれば勝ちだったが、▲13香成の王手ラッシュで危ないと見たのかもという解説もあり、深い読みに裏づけられた「超ハイレベルな頭脳ゆえのポカ」の可能性も。 

 

 

 最後は相手の一手バッタリに助けられたが、あの藤井聡太を「ミスらせた」ことがすごいともいえる。

 かつての名棋士木村義雄名人に、クソねばりからトン死を喰らわせた、神田辰之助九段の名セリフの通りだ。

 曰く、


 


 「なんで勝っても、勝ちは勝ち」


 

 

 

 

 

 


 

 またこの挑決でも、藤井猛九段も言うよう、あの終盤力の持つ広瀬章人大悪手を指させるなど、このあたり理屈を超えた「勢い」も感じるところだ。

 これを本物にするためには、この竜王戦を絶対に勝たなければならない。

 があるなんて保証は、どこにもない。生涯の大勝負だ。

 となると、決勝戦など一発勝負はいいとして、こういう勝ち方では番勝負を制することはできない。

 4勝するには力で「読み勝つ」ことが必要であり、そこは佐々木勇気も試されるところではある。

 私は八冠王獲得までは「藤井聡太推し」だったが、達成後は完全に「呂布」「ゼットン」「ティーガーI」といったラスボスか、あるいは少年マンガかプロレス的な「ヒール」として見ている。

 つまりは、「倒すべき」なのだ。

 なかなか倒れないけどね。強くて、そこがまたいいんだナ(どっちやねん)。

 八頭龍キングヒドラを相手に、まずは伊藤匠がその剣で、首をひとつ切り落とした。

 2本目を落とす役割に、佐々木勇気ほどの適任はいないと思うが、果たして七番勝負はどうなるか。

 「ヤツ」のことだ、ほうっておくと、あっと言う間に「自動回復」で8本の首に戻るはず。
 
 その前に、ふたり目の「勇者の剣」のクリティカルヒットが入るのか。期待しかない。

 

 

 

 

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1996年 第18回三段リーグ最終日 「中座飛車」「横歩取り△85飛車戦法」が消える日

2024年05月20日 | 将棋・雑談

 中座飛車はもしかしたら、将棋界に存在しなかったのかもしれない」

 

 「中座真八段引退」のニュースを聞いて、その危うい事実を、あらためて思い出すこととなった。

 そこで、先日は中座流の第1号局と、野月浩貴四段の「翻案」がなければ、そのまま「ボツ戦法」になっていた可能性が高かったという話をした。
 
 もしそうなったら、将棋界の勢力図はどうなっていたのか。
 
 個々の実績まではわからないが、少なくとも、後手番勝率に相当な影響をあたえたことは確かであろう。
 
 そんな、きわどいところで消滅をまぬがれた中座飛車だが、実はもうひとつ「実存の危機」にさらされた出来事があったのだ。

 それが1995年96年の第18回三段リーグ。その最終日の出来事。
 
 16回戦を終え、残るは2戦と、いよいよ大詰めをむかえていた。

 昇段圏内にあったのは12勝4敗堀口一史座三段(順位1位)と同じく4敗野月浩貴三段(14位)。

 この2人までが自力で、3番手藤内忍三段(23位)が、やはり4敗で追走。
 
 以下、順位上位で中座真三段(6位)、今泉健司三段(11位)が5敗

 木村一基三段(3位)が6敗で、藤内以下がキャンセル待ちという展開。
 
 順位1位の堀口は、1勝すれば決まりだから相当有利だが、それ以降は混戦気味。
 
 というのも、5敗以下の3人は複雑に当たり合っており、まずラス前今泉木村

 最終戦では、やはり今泉中座がそれぞれ直接対決なので、勝てばそのまま待ち順が上がることに。

 つまり、キャンセル待ち3番手の今泉は、実質2番手

 4番手の木村は3番手になるので、実際の順位以上に希望が持てる展開ではあるのだ。
 
 まずは17回戦で、ここで堀口が勝って1枠は順当に決まり。
 
 堀口はこの期安定しており、ここは予想できたが、残りのひとつに波乱があるのは三段リーグのお約束

 中座は勝利するも、野月藤内が敗れてしまう。

 特に野月はその前の15回戦にも敗れており、痛すぎる連敗

 これにより、中座はついに心臓を売ってでも欲しかった「自力」の権利を手に入れるが、他の対局は気にしないと決めていたため、まだ細かい順位のアヤはわかっていなかった。
 
 そうして最終戦

 目の前の対局に必死な中座は、ともかくも今泉との直接対決
 
 他は知らねど「勝てば四段」と、そしてもっといえば「奨励会最後の対局」として挑んだ今泉戦だったが、中座はこの大勝負を落としてしまう。
 
 といってもこれは、中座が勝負弱かったとは思えない。
 
 棋譜を見ればわかるが、この将棋は今泉が強すぎた。異様な強さだった。
 

 


 
 
 中盤戦。玉が固くを好所に据えて、今泉に勢いがある。
 
 次の手が、当然とはいえ好手だった。
 
 
 
 
 
 
 ▲48香と打つのが、△46桂を消しながら、後手玉のコビンにねらいをつけた、すこぶるつきに感触の良い手。
 
 そこからも、今泉はひたすらに攻め続けた。
 
 凶暴で荒々しく、なにかに憑りつかれたような強さだった。
 
 


 
 
 

 この勝負、実は最終戦の「決戦」に見えて今泉にとってはそうではなかった。
 
 ラス前に木村との直接対決に敗れて、すでに昇段の目はなくなっていたのだ。
 
 もし木村に勝っていれば、「勝った方が四段」という大勝負のはずの中座戦が、まさかの消化試合に。
 
 その脱力感と、自らのふがいなさへの怒りが、そのまま指し手に表れているようだった。
 
 一方の中座もまた、地獄にたたき落とされていた。
 
 必敗の将棋を、けじめをつけるかのように1手詰まで指して投げたが、だからと言って、なにが変わるわけでもない。
 
 
 
 
 
 
 
 実のところ中座はこのとき25歳で、あと1回リーグに参加する権利を残していたが、この期に上がれなければ、奨励会をやめると決めていたのだ。

 そして、最後の最後に手にした「勝てばプロ入り」という一番を落とした。

 あまりにも皮肉な結末だった。

 「帰ろう」と連盟を出ようとしたとき、だれかが声をかけたという。
 
 


 「中座くん、まだ昇段の目があるよ」



 
 中座自身、すべての状況を把握していたわけではないが、おそらく自分に勝った今泉が上がったのだろうと思いこんでいた。
 
 だが、今泉はすでに敗れており、野月藤内17回戦を落とした。
 
 最終戦で5敗の野月、藤内、そして上位6敗木村が敗れれば中座がまさかの昇段
 
 目は相当に薄い。だが、ありえないほど非現実的でもない。
 
 このときの中座は煩悶したという。
 
 自分が上がるには、競争相手が負けてくれるしかない。
 
 だが、彼らに対して「負けろ」と願うには、25歳の中座はあまりに奨励会の、いやさ三段リーグの苦しさを知りすぎていた。
 
 中座の同期である先崎学九段は、彼の昇段パーティーに出席したときの模様を『将棋世界』連載のエッセイで書いていた(改行引用者)。
 
 


 中座君はイイ男である。真面目で、誰からも好かれる。
 
 だから生き馬の目を抜くような奨励会では勝ち上がれないだろうと思っていた。



 
 この土壇場で、自分の幸せと他者のそれとを秤にかけてしまうような「イイ男」は、勝負の世界では苦戦を余儀なくされるということだ。
 
 祈ることもできず、かと言って期待することも、やめられなかったろう状態で、待つしかない中座に結果が届く。

 自力の権利を得た三段達が次々と星を落とし、中座の昇段が決まった。
 
 この瞬間、中座が崩れ落ちたのをカメラが激写している。

 

 

 

 

 

 こうして中座真四段が誕生した。
 
 もしこのとき、もし順当に中座が上がれなければ、多くの棋士の人生を変えた「△85飛車戦法」は世に出なかった。

 

 

 いやそれどころか、中座と言えば奥様が女流棋士の中倉彰子女流二段(現在は引退)なのは有名であるが、もしここで野月3連敗しなかったら。

 藤内2連敗しなかったら、木村今泉がその実力通り最終日に勝っていれば……。

 そのどれかひとつの条件が発動するだけで、この2人はまったくの人生を歩んでいたかもしれない。

 以前、将棋関係の記事で、中座家の家族写真を見たことがある。

 それはとても微笑ましいものだったが、この写真が成立するのは単純計算で128分だか、256分だか知らないが、その程度の確率でしか、ありえなかったのだ。

 われわれの普段感じている喜びも悲しみも、本当に紙一重で成り立ってるんだなと、こういうとき感じる。 

 
 


 (このとき涙を呑んだ木村一基が1年後昇段し、大爆発する様子はこちら

 (豊島将之三段が驚嘆した稲葉陽三段の精神力はこちら

 (その他の将棋記事はこちらから)
 
 
 

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ロンダルキアへの洞窟 伊藤匠vs藤井聡太 2024年 第9期叡王戦 第3局

2024年05月02日 | 将棋・雑談

 ドラゴンスレイヤー、来たで!」


 
 パソコンのモニターの前でガッツポーズが出たのは、叡王戦第3局を見終えた瞬間であった。
 
 今期の叡王戦は、藤井聡太八冠伊藤匠七段という同世代ライバル対決に加え、ついに伊藤が第2局で、宿敵相手に一番入れたことでも話題を呼んでいる。
 
 藤井と伊藤と言えば、将棋ファンならだれでも知っている子供のころからの因縁があるが、当時は負かされて泣いた藤井が、プロ入り後は倍返しどころか「10倍」にしてお返ししていたところだ。
 
 なんといっても、この2人はプロになって初対局から、なんと藤井が持将棋ひとつはさんで、負けなしの11連勝(!)を記録していたからだ。
 
 と、これだけ聞くと将棋にくわしくない人は、
 
 
 「やっぱり、藤井くんは強すぎるんだね。力の差が歴然」
 
 「その伊藤って子、たいしたことないんじゃない?」
 
 
 なんて思われるかもしれず、それは数字だけ見れば一理あるのだが、これがわれわれ「ガチ勢」からすれば、
 
 
 「いやいやいや、それが、そんなことないんスよ、これが」
 
 
 
 その証拠に、伊藤匠の他での勝ちっぷりはものすごく、通算勝率は7割5分新人王戦優勝
 
 順位戦でもB級2組に上がっており、なによりここまで、21歳ですでにタイトル戦3度も登場しており、それこそ少し時代がズレていたら
 
 
 「伊藤三冠王、棋界を席巻」
 
 
 みたいになっても、おかしくないわけなのだ。
 
 実際、この11連敗を受けて、将棋ファンは伊藤の評価を落としていない。
 
 むしろ、
 
 
 「まあ、めぐり合わせやわな」
 
 「こういうのは、1回勝ったらガラッと流れが変わったりするねん」
 
 
 なんて、いたって呑気にかまえていたものだ。
 
 それくらい、伊藤匠の「信用度」がバカ高ということ。
 
 もしかしたら、将棋の中身まではなかなか伝わらない「観る将」の伊藤ファンの中には、
 
 
 「たっくんは、まさか藤井くんに1回も勝てないまま終わるのでは?」
 
 
 なんて本気で心配した人もいるかもしれないが、そんなこたあござんせんと、われわれは言いたかったものだ。
 
 11連敗したということよりも、
 
 
 「11連敗しても、なお棋士やファンの間で評価が下がらない
 
 
 このすさまじさを感じてほしいわけなのだ。
 
 そうしてついに、まさに「1勝」から流れが変わったのだ。
 
 しかも第2局も、第3局も、ともに終盤激ムズなバトルを制してのもの。

 

 

第3局の終盤戦。藤井有利のはずが、さしたる悪手もないのに、いつのまにか伊藤優勢に。
図で△78と、▲同玉の交換を入れずに、単に△76馬と銀を補充したのが、伊藤の読みの精度の高さを示した好手。
ここで金を取ってしまうと、△76馬のときに▲67歩や▲67銀と埋められて、かなりアヤシイ。
以下、▲46馬を切り札にした、藤井の超難解な王手ラッシュにすべて「正解」で応えて後手勝ち。
伊藤匠の強さを再認識させられた一局となった

 

 

 
 藤井のねばりもすさまじく、勝勢から1手まちがえただけで、奈落の底にズッポンという地獄のダンジョンを、に追われながらノーミスで駆け抜けての2勝
 
 ムチャクチャに価値が高い勝利なのだ。

 しかも、藤井聡太無敵先手番をブレーク!
 
 藤井聡太相手に、「終盤で勝ち切る」ことが、いかにむずかしいか。
 
 それは、八冠王誕生の王座戦や、今期の名人戦でも証明されているところ。
 
 私は八冠王誕生以来、藤井聡太を「ヒール」「ラスボス」として見ながら将棋を楽しんでいる。
 
 今のところ、「勇者たち」はまだまだ苦しんでいるが、ついに来ました、この男が!
 
 とうとう覚醒した伊藤匠の見事な「神殺し」なるか。エクスカリバーはあと一歩で抜けるぞ!
 
 時代がまた動くかも。もう第4局が楽しみでなりませんわ!
 
 


(信じられない大逆転が続いた今期の王座戦第3局第4局

(その他の将棋記事はこちらから)

 


 

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「【駒落ち】って強くなれるの?」の回答 上手篇

2024年02月29日 | 将棋・雑談

 駒落ちの将棋は棋力向上に役立つのでしょうか」

 

 先日、ネットで将棋の調べ物をしていると、そんな質問をしている人を見つけた。

 ネット将棋が主流な昨今、駒落ちを指す機会がないに等しいにもかかわらず、飛車落ち角落ちのような「実戦」として出てこない形を練習する意味があるのか。

 みたいな内容で、ナルホド言われてみれば、そう感じる人がいてもおかしくない。

 コアな将棋ファンはこういう声に

 

 「いやいや初心者のころは、むしろ駒落ちこそが強くなる早道」

 「強い人と《互角》の手合いで戦えることは、いい経験になるよ」

 「駒落ちは相手にスキがあるから、《弱点を突く》戦い方を学べるんだ」

 

 などなど実例とかあげながら、いろいろ解説できるんだろうけど、私はこの話題にあまり乗っていけないところがある。

 というのも、私自身に駒落ちの経験というのが、ほとんどないから。

 そもそも、駒落ち将棋を指す場所というのは、その多くが町の「道場」とか「将棋センター」みたいなところであろう。

 はじめて門をくぐると、そこの席主


 「坊や、おっちゃんと一局やろか」


 と声をかけてくる人懐っこいオジサン相手に、棋力の測定や、平手でちょうどいい相手がいないときなんかに指してもらうのだ。

 ところが私の通っていた「南波道場」(仮名)では、それがなかった。

 ここでは大人が子供を相手にするとき、なぜか「オール平手」。

 有段者と初心者が当たっても平手。とにかく平手。

 道場に私以外の子供がいなかったのは、大人が容赦なく負かしてワンワン泣かせるから。

 まあオッチャンたちも悪気はないんだけど、たぶん単純に「負けたくなかった」からだったと思う。

 いくら上級者でも、ハンディつけると事故も起こるわけで、将棋って負けるとカッとなりますもんね。

 なので、私も定番の六枚落ちはおろか、飛車落ち角落ちという手合いを一度も指したことがない。

 唯一、二枚落ちだけはマスターがたまに指してくれたが、これがまたこっちが定跡通りに指そうとすると、かならず「△55歩止め」をくり出してくる。


 

 


 ふつう二枚落ちといえば、3筋と4筋に位を張る「二歩突っ切り」が必殺定跡となるはず。

 

 

 

 

 こう組まれると、上手は▲34歩△同歩▲11角成の攻めを受けるため△22銀と上がらざるを得ない。

 これで壁銀を強要できるのがメチャクチャに大きく、実質上手は「飛車角落ち」のような戦いを余儀なくされるのだ。

 超絶完成度の駒組。考えた人、スゴすぎ。

 これねえ、二枚落ちでこれを使うかどうかは、大げさでなく天地の差が出る。

 それこそ、たとえば特に策もなく漫然と駒組して(私の得意技だ)、こういう局面になったら、これはもう相当に下手が勝てない

 

 

 

 

 なので「二歩突っ切り」を嫌がる上手は、相手が4筋を突いてきたら△55歩と捨てて、▲同角なら△54銀から△45銀と繰り出して力戦に持ちこむ。

 もちろん、これはこれで定跡で、別にこれだけで下手が悪くなるわけではないんだけど、毎回同じというのは少々辟易したもの。

 一般論としては、こういうのはまず「定跡通り」に指させて、そこを一通り指せるようになって「卒業」の免状を渡してから、「定跡外し」で力がついたのか試す。

 こういう流れなんだろうけど、「南波道場」は子供も少なく、あくまでオッチャン社交場で育成の場でもなかったから、これはしょうがなかったのかもしれない。

 そんなわけで、私は六枚落ちや角落ちどころか、

 

 「二歩突っ切りからカニ囲い

 「銀多伝

 

 という算数で言えば「九九」のような道を通っておらず、駒落ちが役に立つかどうかは理屈ではわかっても、「体感」としての説得力はないのだった。

 

 

 カニ囲いからバリバリ攻める定跡で、もっともオーソドックス二枚落ちの形。攻め好きの人や二枚落ち初心者は、まずここからスタート。 

 

 

 振り飛車のような右玉のような、こちらが「銀多伝」。
 カニ囲いと違って厚みで勝負するところや、△84の金が角と交換になりがちなところなどから、じっくりとした戦いを好む人向き。「平手感覚」で指したい人にもオススメ。

 

 

 ただ変な話、駒落ちの下手は判らないけど「上手」の効用のようなものなら少し語れるかも。

 それはズバリ、

 

 「駒落ちの上手は、不利な局面をがんばる訓練になる」

 

 ネット将棋にハマっていたころ、どういう流れか、


 「よければ駒落ちでお願いします」


 という対戦依頼が入ってきたことがあった。

 二段6級くらいだったと思うが、勝った方がハンディを押し戻していく「手直り」という形。

 具体的に言うと、「落ち」からはじまってが勝てば「飛車落ち」になり、むこうが勝てば「落ち」か「平手」になる。

 駒落ちの上手なんてはじめての体験だったが、角落ちは普通にこっちが勝利。

 飛車落ちもまだ余裕があったが、二枚落ちというのが、これが鬼キツだった。

 なんせ飛車角がないということは、自分から攻めることがまったくできないということ。

 塹壕に身をひそめて、ひたすら相手の砲撃を耐えるだけというのは、なかなかのストレス。

 そのときはド根性でねばり倒して、

 

 「下位者を相手にしてるんやから、最後は花を持たせてあげんと」

 

 なんて見学していた友人に笑われたけど、逆に言うと「ゆるめる余裕」なんてないくらい、上手が大変なハンディということなのだ。

 印象は


 「働けど働けど、わが暮らし楽にならず


 いやマジで遊びなのに、終わった後にで息をしていたのは、この将棋くらいでしたよ。疲れたー。

 やってみた感覚では、本当に

 

 「不利な局面でを折らさない」

 「常に局面を複雑化することを考える」

 

 というのは終盤の「逆転術」に必須科目で、これは平手の将棋にも役に立つんではないかと、ふだんから「根性で逆転」タイプの私は思ったものだった。

 

 

二枚落ち上手のド定番である△66歩の突き出し。
これでなにが好転するわけでは無いが、▲同歩か▲同角か、それとも手抜くのかで迷わせる「コンフュージョンの呪文」。
▲同角もあるが、ここは▲同歩と取って▲67銀と好形を作るのが冷静な指し回し。
ただしプレッシャーの中、そんな落ち着いた手を選べるかはまた別問題で、それが上手のワザ。

 

 でもこれ、「序盤で先行逃げ切り」タイプには、相当楽しくないだろうなあ。

 



(容赦ない大人が集まる道場戦記と、ボンクラが初段になる方法はこちら

(その他の将棋記事はこちらからどうぞ)

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持将棋&千日手 23時間15分の激闘 中川大輔vs行方尚史 2004年 第63期B級1組順位戦

2024年02月05日 | 将棋・雑談

 棋王戦の第1局は持将棋という結末となった。

 竜王戦に続いての同世代対決である、藤井聡太棋王(竜王・名人・王位・叡王・王座・王将・棋聖)と伊藤匠七段との第49期棋王戦五番勝負。

 その開幕戦は入玉形から、双方の玉が完全に捕まらない状態でドローとなったのだ。

 

 

 

 

 この将棋は後手の伊藤が、もともとの構想からして「持将棋でドロー」をふくみに戦っていたフシがあり、千日手でねらうならよくあるけど、それを相入玉でやるというのがスゴイ発想。

 

 まだ82手目だが、伊藤曰く

「飛車角交換になって、持将棋に持ち込めるというところかなと思っていました」

 

 将棋にはいろいろな戦い方があるなあと感心。おもしろいなあ。 

 ただ、この将棋はアイデアが新しかったが、正直、ふつうの持将棋の場合たいていは退屈なものになりがち。

 点数稼ぎの駒の取り合いや、終わるタイミングをつかめず、ただ成駒をたくさん作るだけの作業などはつまらなく、なんとかならんもんかと、いつも感じてしまう。

 手段は問わず相手玉をしとめれば勝ちというのが終盤戦の醍醐味なのに(「終盤は駒の損得よりもスピード」だ)、いざそれがムリとなると急にルールが変わって「駒得してる方が勝ち」って、どう考えてもだもの。

 こんなの点数なんて関係なく、相入玉になった時点で中断して、とっとと指し直せばいいじゃんとか思うけど、そうもいかないのかなあ。

 というわけで、今回はドローにまつわる長い、ながーい1日のお話。

  


 2004年の、第63期B級1組順位戦

 中川大輔七段行方尚史七段の一戦。

 順位戦といえば、持ち時間が6時間もあり、それだけでも充分長いが、この将棋はそれだけではすまない長丁場になる。

 その序章として、まず持将棋になった。

 今回の棋王戦と同じく、お互いの玉が敵陣に入ってしまい、詰ますことが不可能ということで241手引き分けに。

 

 

 

 棋王戦は後日指し直しとなったが、タイトル戦でない対局だと、先後を入れ替えて同日にやりなおし。

 一局を戦い抜いた、特に行方は150手(!)近く1分将棋を戦った疲れもあるから、やっている方は大変で、

 

 「指し直しに名局なし」

 

 という言葉もあるほど。

 終局は夜中の1時35分だから、実際のデータはわからないが説得力を感じるところ。私だったら帰りたい。

 この一戦のおそろしいところは、なんと指し直し局でも勝負がつかなかったこと。

 時刻は午前5時48分。今度は千日手で、またもドロー。 

 これは、おたがい同じ手順を繰り返さざるを得ない「ループ」の状態に入ること。

 

 

 指し直し局は△93歩、▲同歩成、△92歩、▲94歩の環から抜け出せず、ここで終了。

 

 

 

 こうなると、局面は永遠に進まないわけで、またも指し直し

 かつて高校野球の大阪府地区予選決勝で、南波高校明和高校が甲子園をかけ、延長18回引き分けのあと、再試合で延長45回を戦ったが、それを彷彿とさせる泥沼。

 中川と行方も、ここまできたらやるしかない。

 対局開始から約19時間が経過しているが、「待った」はゆるされないのだ。

 午前5時28分(!)開始の「第3局」も、また熱闘になった。

 気持ちはほとんどヤケクソだろうが、ある意味ランナーズハイというか、ゾーンに入った状態になるのかもしれない。

 そこからさらに、激闘4時間。ようやっと、この「はてしない物語」も終わりが近づいてきた。

 

 

 

 最終盤のこの局面、行方の次の一手が決め手である。

 

 

 

 

 

 

 

 ▲35銀が、退路封鎖の綺麗な手筋。ここで中川が投了

 試合終了は朝の9時15分。試合時間は合計で23時間

 ほとんど丸一日。飛行機に乗れば、地球の裏側の南米まで行けるほど。

 その間、この二人はずーっと将棋で戦っていたのだ。

 朝、職員が掃除をしようと対局室に入ったら、対局がまだ行われていて、ビックリ仰天だったそう。

 その光景もすさまじく、中川はスーツの上着のみならず、ネクタイからワイシャツから、すべて周りに投げ捨てていた。

 あのダンディで鳴らす男が、最後はランニングシャツ一枚で盤上に没我していたというのだから狂気的だ。

 この将棋は局後のエピソードもあって、感想戦のあと軽く食事をして帰ったのだが、中川は電車の中で気絶

 その後の記憶はなく、どうやって家に帰ったのか覚えていないという。

 登山が趣味の空手マスターで、

 


 「棋士は理系か文系か。中川君はどう思う?」


 

 という問いに、

 

 


 「体育会系です」


 

 と答えた男(まあ中川はストイックなだけで、正確な意味での「体育会系」ではないと思うが)がこの有様だ。いかに過酷な戦いだったかよくわかる。

 一方の行方尚史はどうだったか。

 酒飲みで、生活の乱れたところが魅力でもあり、10代のころは喘息に悩まされたナメちゃんのこと。

 これは倒れるどころではすまないどころか、ヘタするとの危険もあるのではと心配するも、結構これが大丈夫だったよう。

 その理由がふるっていて、

 


 「平気ですよ、ボク夜型なんで」


 

 そういう問題やないやろ!

 しかしまあ、酒を愛した昭和の名棋士である森安秀光九段真部一男九段なども、そうだった。

 激しい宿酔で昼間はヨレていても、深夜になると生気が増して行ったというから、ナメちゃんのスカしたようなセリフも、案外と的外れでもないのかもしれない。

 記録係星野良生2級(現五段)もふくめて、お疲れ様でした。

 なんにしても、すごい戦いで、序盤の千日手とかはまだしも持将棋はもう、指し直しとかよりも「引き分け」ってことで、いいんでないのと思ったものでした。

 


(行方尚史の卓越した終盤力はこちら

(その他の将棋記事はこちらからどうぞ)

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藤井聡太・中原誠・谷川浩司の過密スケジュール比較

2023年12月25日 | 将棋・雑談

 トップ棋士のスケジュールたるや、大変なものである。
 
 史上最年少でのタイトル獲得から八冠制覇まで、超過密スケジュールで駆け抜けてきた藤井聡太八冠王
 
 その強さあまねきため、冬に対局数が激減していることが話題になっているが、なかなかにおもしろい現象である。

 将棋にかぎらず、スケジュールをどう調整していくかはアスリートの仕事のひとつだが、これはなかなか自分の思い通りにはいかないわけで、むずかしそうではある。

 前回は生善治九段の「どこでもドアでもないと、やってられんで!」という過密日程を紹介したが、将棋も意外と「体力」のいる仕事なのだ。

 かつて五冠王になった中原誠十六世名人が、「全冠制覇」(当時は王座戦がタイトル戦でなく全部で六冠だった)をねらったものの、あまりの過密スケジュールで体調をおかしくし、棋王戦では加藤一二三棋王に敗れて大記録ならず。

 プレッシャーや頂点に立ち続ける孤独感にもさいなまれ、数年後にはなんと無冠に転げ落ちてしまうのだから(ただしすぐタイトルに復帰)、激務の中で結果を出し続けるというのはレジェンドクラスでも至難なのだ。

 また、この話題ではずせないのが、全盛時代の谷川浩司九段
 
 特に話題になったのが、1991年年末
 
 このころの谷川はのような強さで驀進中で、まだ覚醒前の羽生善治をボコっただけでなく、それまで手を焼いていた高橋道雄南芳一といった「花の55年組」からタイトルを次々とはぎ取っていったころ。
 
 そのあまりの強さに、
 
 
 「他の棋士たちと、大駒一枚ちがう」
 
 
 とまで称された谷川だったが、その対局日程がまたエゲツナイものだった。
 


 
1991年 12月 

1日 棋王戦 加藤一二三九段〇
2日 NHK杯 木下浩一四段〇
3日 
4日 竜王戦第5局 1日目
5日 第5局 2日目 森下卓六段〇
6日 
7日 王将リーグ 中原誠名人〇
8日
9日
10日 棋聖戦第1局 南芳一棋聖〇
11日 
12日 棋王戦 塚田泰明八段〇
13日 王将リーグ 屋敷伸之六段〇
14日
15日
16日
17日 竜王戦第6局 1日目
18日 第6局 2日目 森下卓六段〇
19日 
20日 A級順位戦 高橋道雄九段●
21日
22日
23日
24日 棋聖戦第2局 南芳一棋聖〇
25日 
26日 竜王戦第7局 1日目
27日 第7局 2日目 森下卓六段〇
28日
29日 王将戦プレーオフ 米長邦雄九段〇
30日
31日 王将戦プレーオフ 中原誠名人〇

 


 これ以上ないくらいにギュウギュウに詰められている。
 
 タイトル戦2つに王将リーグとかA級順位戦とか、どれもこれも大勝負ばかり。

 しかも、ほとんどが中1日程度で、連戦もある。

 棋聖戦の中1日でそこから2連戦とか、2日制の竜王戦から中1日順位戦というのもだが、クリスマスイブからの流れは常軌を逸している。
 
 ふつうは順位戦やタイトル戦を戦った次の日は疲れで使い物にならないというし、ということはその次の日だって全然万全ではないはず。

 そこを8日中5日が対局で、中身もタイトル戦と挑戦者決定戦とか濃厚すぎる。
 
 おまけに、この間の成績がほとんどA級にタイトルホルダー相手で、それ以外が森下卓屋敷伸之

 そんな「全員4番」のラインアップに12勝1敗(!)というのだから、なにもかもが色んな意味でメチャクチャではないか。

 マジで「大駒1枚」は誇張でもなんでもなかったのだ。
  
 まさに今では聞かない「馬車馬のごとく」とか「ワーカホリック」という言葉を思い起こさせる勢いである。
 
 このときのことをおぼえているのは、年末の対局が話題になっていたから。
 
 私は年末年始を寝正月の読書三昧で過ごすのを楽しみにしており、こんな時期に働きたくなんかないので、「イヤだなー」とか思っていた記憶があるのだ。
 
 そもそも12月の29日に対局があるのも大変だけど、その次の挑戦者決定戦大晦日ってのもすごい。
 
 まあ、年内に挑戦者を決めないと七番勝負の準備とかにかかわってきたんだろうけど、それにしても忙しすぎである。
 
 スタッフも冬休みが取れないし、里帰りも出来ないし、ご苦労様でした。
 
 でもこれ、勝ってたからいいようなもののというか、逆に言えば勝ってたからこそ体がもったようなものかもしれない。
 
 このペースで戦ってそこそこ負けてたら、ガックリきてガタガタになってたかもしれないものね。 

 だって下手するとこれ、棋聖を取れるアテはなくなり、竜王は取られて、順位戦は負かされて、しまいにゃ王将戦の挑戦逃した瞬間に年明けとかになってた可能性だってあるわけで、そんなもんどうやって新年迎えりゃええのよ。

 

 

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藤井聡太・羽生善治の過密スケジュール比較

2023年12月19日 | 将棋・雑談

 トップ棋士のスケジュールたるや、大変なものである。
 
 史上最年少でのタイトル獲得から八冠制覇まで、超過密スケジュールで駆け抜けてきた藤井聡太八冠王
 
 その強さあまねきため、冬に対局数が激減していることが話題になっているが、なかなかにおもしろい現象である。
 
 タイトル戦でバリバリ戦っている棋士といえば、この時期は竜王戦七番勝負王将リーグが佳境を迎えることが多い。
 
 そこを今回、王将は取っているし、竜王戦は4連勝で終わったから、ポッカリと予定が空いてしまったようなのだ。
 
 おかげで将棋中継がほとんどなく、われわれファンは無聊をかこつわけだが、まあそこは祭りの後のしばし一休みといったところであろうか。

 いやマジで、われわれはともかく藤井八冠はちょっとは休まないとねえ。

 といっても、師走もイベントや取材や雑用で、そうもいかないんでしょうが。
 
 というわけで今回は過密スケジュールのお話だが、このテーマでまず思い出すのが羽生善治九段
 
 四段デビューからこのかた常に多忙を極め、2000年度には89局(!)という史上最多対局数を記録。 
 
 また、本業のみならずイベントや取材など、普及活動にも熱心に取り組むという勤勉さ。

 「100面指し」なんて、とんでもなくしんどそうな企画に挑戦したり、その合間を縫って海外チェスの大会に出たりしてたのだから、その尽きることのない体力と、旺盛な好奇心にはおどろかされるばかりである。

 対局、その他の仕事、雑務、移動で、家に月3日くらいしか帰れなかったときもあるというから昭和モーレツ社員並み、いやそれ以上か。聞いてるだけでグッタリである。

 ちなみに盟友である先崎学九段の『将棋指しの腹のうち』によると、羽生はどんなに忙しかったり不調だったりしたときでも、グチや弱音を吐いたことがないと。

 将棋人生で唯一「疲れた」という言葉を発したのが、A級順位戦最終局を計8時間の、しかも段取りのすこぶる悪かった生放送をこなしたときのみだというのだからホント化け物です。

 羽生の強さのひとつに、この見た目からは想像もつかない強靭なスタミナ(精神力もふくむ)があったのだ。

 とはいえ多忙自体、大変は大変なようで、これまた先チャンの文春エッセイによると、羽生が『将棋年鑑』アンケートの「欲しいもの」の欄に「どこでもドア」と書いていたというネタがあった。

 それだけならなんてことないが、他に見てみると佐藤康光九段森内俊之九段もまた同じ答えで笑ってしまったと。

 これには、先チャンも

 

 「もっと移動を楽しむ心の余裕など持てないものかねえ」

 

 などとニヤニヤしながら、自分の欄を見たらそこにも「どこでもドア」とあってコケそうになったというオチがつくのだが、トップ棋士たちの対局日程表を見ると、これはもう笑い話でもなんでもない。

 取り急ぎソニーかパナソニックか東芝でもなんでも、すぐさまその英知を結集して「どこでもドア」を制作し販売すべきであろう。

 

 

 

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想像と偏見で、治安の悪いヤフーとかの知恵袋を再現してみたらこんな感じ

2023年11月22日 | 将棋・雑談

 この世界にはニ派に分裂して起る争いというのがある。
 
 源氏平氏新教旧教、邪馬台国畿内論北九州説ボルシェビキメンシェビキ
 
 セガ任天堂コロコロボンボン、ところてんは酢醤油黒蜜か、「しゅりゅうだん」か「てりゅうだん」か。
 
 といった面々が、今でも各地で血で血を洗う抗争をくり広げているのだ。

 そこで前回は、友人ハナヤシキ君とウンジャクガオカ君による、

 
 「ネットの知恵袋はやたらと質問者にキビシイ」

 「いやいや、5ちゃんねるの技術系の質問は意外とちゃんと答えてくれる」
 
 
 というバトルを紹介したが、これを読んでくれた友人イケダ君が、こんな質問をしてきた。
 
 
 「知恵袋のキビシイ回答って、どんな感じなん?」
 
 
 とのことで、そんなもん自分で検索でもせーよという話だが、

 

 「あんな、独ソ東部戦線の殺し合いみたいなところ、わざわざ見たないで」

 

 ということは、自分はイヤだがが地獄めぐりをするのは、やぶさかではないということであり、おそらく「神風特攻隊」を思いついたのは、彼のような人物なのであろう。

 友はヒドイが、たしかにちょっと見るのにカロリーを使うところはある。

 そこで、私のイメージする質問箱はこういうものというのを、だいたいの想像で書いて暗黒大陸めぐりの代わりとしたい。
 
 


 ★質問 
 
 藤井聡太くんの影響で将棋に興味を持ちました。
 
 ただ、ルールもおぼえて実際に指してみたところ、振り飛車が好きなのですが、将棋ウォーズで指しているのですが、なかなか勝てません。
 
 どうすればもっと勝てるようになりますか。
 
 
 ☆回答
 
 質問を読みましたが、どういうことを訊きたいのかわかりません。
 
 将棋は奥の深いゲームです。そこをこんないい加減なたずね方では、答える方も一苦労です。日本語も微妙に読みにくいので、もっと推敲しましょう。

 まずおかしいのが、振り飛車が好きと言ってますが、どこに振るのかが書いてません。
 
 振り飛車と言っても多様で、四間飛車、三間飛車、向かい飛車、中飛車があります。
 
 それもまたノーマル中飛車とゴキゲン中飛車、三間飛車や四間飛車も角道を止めるのか、それとも角交換型か石田流か。
 
 囲いは美濃か穴熊か、振り飛車ミレニアムか、それとも藤井システムか耀龍四間飛車なんてのもあります。
 
 それがわからないのと答えようがないのに、具体的な情報を書かず「振り飛車が好き」の一言で、すましてしまうあなたの態度に憤りを隠せません。
 
 本当に振り飛車が好きなのですか? 初心者だから、どう聞けばいいのかわからないなどは、ただの甘えですよ。
 
 もっとおかしいのが、あなたが将棋を始めたきっかけが藤井聡太竜王・名人ということです。
 
 だったら、角換わりか相掛かりのような居飛車を指すはずではないでしょうか。
 
 藤井竜王・名人は振り飛車を公式戦で指したことはないし、今後も指さないだろうと言っています。
 
 にもかかわらず、振り飛車を選ぶあなたという存在は、どこまでも信用がならないというのは、果たして言い過ぎなのでしょうか。

 藤井聡太「くん」というのも気になります。あなたは藤井竜王・名人の友達か何かなのでしょうか。

 自分があたかも藤井竜王・名人と対等な存在であるかのような書きっぷりであって、その勘違いと傲慢さにはあきれるばかりです。

 正直なところ、昨今の将棋ブームはファンの裾野が広がった反面、あなたのような質の低い競技者を生んでいるというのが現状です。
 
 そんなことも理解できない人に、将棋という神聖なものには触れてほしくさえない。おそらく大多数のファンが、そう感じていることでしょう。
 
 心から反省したうえで、もうこの世界に二度とかかわらないことを求めるとともに、ベストアンサーをお願いします。
 

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藤井聡太八冠王なら「名人以上」に香を落とせる? 升田幸三による「高野山の決戦」と王将戦の「指し込み」制度

2023年11月13日 | 将棋・雑談

 藤井聡太八冠王が、相変わらず負け知らずである。

 「同世代対決」と話題になった伊藤匠七段との竜王戦4連勝で防衛と、ライバル候補相手に容赦なく一発カマすなど、八冠獲得後もゆるむ様子を見せない。

 今のところ、彼を倒せそうな人をまったくイメージできない強さであり、これからどこまで強大な存在になるのか、想像もつかないところだ。

 とはいえ、ここまで強いと、それはそれで危惧するところはないこともない。

 なんといっても「全冠制覇」+「全棋士参加棋戦総ナメ」なんて見せられた日には、もうこれ以上の偉業なんて、あろうはずがない。

 今後はなにか記録とかかかっても、八冠のインパクトにはかなわないだろうし、飽きられちゃうんじゃないかなあ。

 とまあ、竜王戦を見ながらそんなことを考えていたわけだけど、ふとここで、「藤井聡太八冠王」がこのままでは絶対に破れない記録が、ひとつあることに気がついた。

 おいおい、今の藤井はがかっとんねん。もう目の前に障害になるようなもんはないんやで、と言う声は聞こえそうだが、これがあるにはあるのだ。

 そう、それは升田幸三九段がやってしまった、

 

 「名人に香を引いて勝つ」 

 

 といっても今のヤング諸君にはなんのこっちゃというか、私の世代でもほとんど「歴史の授業」だが、これが戦後すぐのことというのだから、えらいのこと。

 なんと升田は時の名人であった大山康晴を相手に「を落として」戦い、しかも勝ってしまったことがあるのだ!

 もともと升田と大山は兄弟弟子であり、「打倒木村義雄名人」を競う最大のライバルでもあった。

 そんな2人の運命が分かれたのが、1948年の第7期名人戦挑戦者決定戦第3局

 世に言う「高野山の決戦」で升田は、それこそ八冠をゆるした王座戦での永瀬拓矢に匹敵する大ポカを披露してしまい、9分9厘手にしていたはずの挑戦権を逃してしまう。

 

 

 

勝った方が塚田正夫名人への挑戦が決まる、升田幸三八段と大山康晴七段の大一番。
△87飛成の王手に▲57桂と合駒すれば、むずかしいところはあっても先手玉に詰みはなく、升田が勝っていた。
ところが勝利を確信していた升田が、ヒョイと指してしまった▲46玉が大ポカで、△64角、▲55桂に△47金と打たれて世紀の大トン死。
「このとき升田さんが勝っていたら、将棋界は大きく変わっていた」と大山自身も認める、戦後の歴史をまったく違うものにしてしまった大錯覚だった。

 

 

 升田はこのショックで大酒を飲み体を壊すだけでなく、対局するたびトン死のシーンが悪夢のようにフラッシュバックし、そのトラウマに悩まされ大山にまったく勝てなくなってしまった。

 ついには心身がパンクし休場にまで追いこまれるが、人生はわからないもので、それがかえって升田には幸いすることになる。 

 体をしっかりと休め、適度に将棋と距離を取れたことが良い方に転がり、復帰後の体調こそ完璧ではないものの、大山相手に大逆襲を開始。

 1955年の第5期王将戦で、なんと大山王将(名人)相手に3連勝

 当時の王将戦は3勝0敗とか、4勝1敗のように3つ星のがつくと、その時点で勝負ありとなる(だから3連敗から4連勝してもタイトルは取れないらしい)。

 さらには「指し込み」といって、負けている方はなんと相手に

 

 「香車を落としてもらう」

 

 というハンディをつけられて戦うという、屈辱極まりない対局を指さなければらないのだ。

 以前の王将戦で、渡辺明王将が藤井聡太三冠か四冠かに4タテを喰らってたけど、あれは本来第4局は渡辺の「香落ち下手」になるはずなのだ。

 それこそ、サッカーで言うなら

 

 「あなたはもうザコなんだから、これからは11対10でやってもらいなさい」

 

 と言われているようなもので、あんまりなあつかいではないか。

 タイトルはすでに失っての消化試合。香落ち下手という勝って当然、負ければプロとして、いやさ「名人」として、ありえない恥辱にまみれなければならない戦い。

 そんな場所で力を出せる敗者などいるはずもなく、さらし者のような勝負を余儀なくされた大山は升田に完敗してしまい、あまりのみじめさに泣き崩れたという。

 

 

1955年、第5期王将戦の第4局。後手(上手)の△11に香車がないのが衝撃的な局面。
ハンディ付きの戦いで、当時の升田の見解では「プロレベルで香落ち上手は勝ち目がない」とまで差があると見られたが、大山のミスにつけこんで上手がリードを奪う。
図の△84桂が絶好打で、以下は升田がハンディ戦とは思えぬ圧勝劇を見せる。

 

 

 升田と言えば幼少期、物差しの裏に

 

 「名人に香を引いて勝つ」

  

 という途方もないことを書きつけて(正確な文面は違うが意味はそういうこと)家出したというエピソードは、有名すぎるほど有名だ。 

 しかもそれを実現してしまったのだから、まさに「ヒゲの大先生」も鼻高々であったろう。

 「名人に勝つ」「名人になる」ならわかるけど、名人に駒を落としたうえで勝つとか、スケールでかすぎである。

 ホンマにマンガのキャラみたいな人やなあ。いちいちセンス抜群だ。

 その後、升田は大山からタイトルを次々と奪い、史上初の「三冠王」(当時の全冠制覇)になり全盛期を築く。 

 現在ではこの「指し込み」はあまりにも過酷すぎるということで、なし崩し的に実施されなくなったが、制度自体は今でも残っているという。

 ならここは、いっそこれを復活させてみたらどうだろうか。

 藤井八冠がデビューして以来、割とそれに合わせるようにルールを見直してきた連盟のことだから、話題作りの改定は「あり」なのではないか。

 彼のことだから、もしかしたら升田幸三以上話題性のあるだれかに、香を落とすことになるかもしれない。 

 いや、今は無敵を誇る藤井聡太だが、これがいつまで続くかはわからない。

 もちろん最初のころは藤井王将が、挑戦者を容赦なく指し込んでいくだろう。

 でも、しかしだ、未来なんてわからない。 

 もしかしたら今回は悲劇に見舞われた永瀬をはじめ、渡辺明豊島将之といった、かつての升田のように、王者から足腰立たないくらいボコられた面々が3連勝することだって、あるかもしれない。

 そうして

 

 「藤井聡太八冠王が、香落ち下手で戦う」

 

 なんてことになったら、こりゃドラマですがな!

 もはや藤井八冠をリヴァイアサン冥王サウロンのようにしか見えていない私は、なんかもう勝手に盛り上がっているわけで、主催者の方々、どうかご検討を。

 とか言ってると、藤井聡太がそんなことになるなんて、さすがにありえへんよー、と笑われそうだけど、彼や羽生善治と並ぶ「史上最強」候補の大山相手に、そのバカげたはなれわざを実現させたのが、升田幸三なのだ。

 そもそも今や「八冠王」なんて、ありえないことが起こったわけだ。

 じゃあこれからも、どんなスゲーことが起こるかなんて、わかんないじゃんねえ。

 


(升田、またしても名人戦の挑戦者決定戦で大ポカ

(升田による自陣飛車の絶妙手はこちら

(その他の将棋記事はこちらからどうぞ)

 

 

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影との闘い 島朗vs米長邦雄 1988年 第1期竜王戦 その2

2023年09月25日 | 将棋・雑談

 「永瀬王座が、和服を着てるやん」

 

 ということで、前回に続いてタイトル戦ドレスコードのお話。

 1988年の第1期竜王戦決勝七番勝負で顔を合わせた米長邦雄九段島朗六段

 4連勝初タイトルを獲得したのもさることながら、このときの島は全局に、和服でなく高級スーツという出で立ちで登場し、周囲をおどろかせる。

 

 

 

 

 

 

 さらには空き時間にプールで泳ぎ、プレッシャーのかかるはずの1日目にはナンパした女子アナとデートなど、従来の「古風」な将棋界では考えられない行動を披露。

 今のようにSNSがあったら賛否両論かまびすしかったろうが、当時はあまりに悪びれず、あっけらかんとした島の様子に関係者やファンも戸惑ったのではあるまいか。

 シリーズが偏ったスコアで終わったのは、もちろん島の実力と若さの勢い(当時24歳)もあるだろうが、それと同時にこの新しいスタイルに、ベテラン米長がフォームをくずしてしまったことも敗因として挙げられた。

 その乱れは「伝統」を無視したような、しかも若輩者であるはずの島の行動をおもしろくなく思い、かといって別にルール違反でもないし、島自体に落ち度もないから文句はつけられない。

 けど、やっぱり「なんか、ちょっと違う気がする……」というモヤモヤした思いはあって、その微妙なメンタルの加減が将棋にも直結してしまう。

 こういうかみ合わなさをどう対処するかは、盤上だけでない、もうひとつの戦いだろう。

 米長に鬱屈があったのは、こちらもまたアルマーニのスーツを用意していたことからも見てとれる。

 相振り飛車を指す振り飛車党のキメ台詞に

 

 「アイツが振るならオレも振る」

 

 というのがあるが、これもまさに、オレもセビルロー。思いもかけないところで、Mee too運動だ。

 島がいつものようにスーツ姿で出てきたところ、自分もそれに負けない「さりげない大人の着こなし」で対抗。

 

 「島君、本当の高級スーツはこう着るんだ。キミはまだ【着られてる】段階だね」

 

 若造にガツンとカマし、相手がおどろいたり、ひるんだりしたところに

 

 「さあ、対局を開始しようじゃないか」

 

 余裕とをふくんだ笑顔で場の空気感を変え、主導権を奪い返す。それくらいの心づもりだったのだろう。

 

 「この勝負の主役はお前じゃなく、このオレ、米長邦雄なんだぞ」

 

 こうなれば、盤上盤外ともに大いに盛り上がったはずで、ぜひその一触即発な様子は見てみたかったが、米長は結局それには袖を通さず和服で戦った。
 
 一見、豪快に見えてその実、周囲の空気に敏感なタイプの米長は、意外とそういう「反逆」的なことはできないタイプなのだ。
 
 ある意味「気合い負け」をしていたとも言えるわけで、米長とも仲の良かった河口俊彦八段が好んだ書き方を借りれば、
 
 
 「ここでスーツを着て登場できなかった時点で、米長の負けは決まっていたのだ」
 
 
 この島の行動には批判もあった。
 
 島の書くところによると、大盤解説を担当した中堅棋士が、
 
 
 


 「みなさん、両者の服装を見ましたか。羽織袴の正装の米長九段。さずがベテランらしい、堂々の着こなしです。
 
 それに引きかえ島六段の、たいして高そうもない、コール天のよれよれに、あの変わった靴。ふだん着そのもので……」


 

 結構、ヒドイこと言うてはります。

 まあこの棋士も、「伝統」に従わないことによっぽど腹が立ったのだろうが、あんまりな言い草ではある。今なら間違いなく炎上であろう。

 もっとも逆に言えば、米長自身がこの棋士のように心の底から島のいで立ちを「コール天のよれよれ」に見えていたとしたら、あんな大差で負けることはなかったのかもしれない。

 そういった逆風があっても、我が道を行った島は実に図太かった。

 と言うと、なんだか島がチャラチャラした遊び人か、空気を読まない困った男のようだが、そういうことではない。

 島と仲が良く、兄貴分と慕う先崎学九段による『週刊文春』のエッセイでは、それは多分にマスコミによって作られたイメージであると。

 実際のところの島は、むしろ古風で、周囲に気遣いを欠かさない繊細なタイプであると(ついでに言えば麻雀牌を河に流したり土に埋めたりする、かなりの「変人」らしい)。

 また将棋に関しても、A級順位戦で何度も降級のピンチをしのぎ、しぶとく残留する島から、戦いのさなかに泣き言グチを一切聞いたことがないことを取り上げて、

 

 「プロ中のプロ」

 

 そう賞賛した。

 なんとなくではあるが、悪気なく「天然」で内藤國雄中原誠を困惑させた、高橋道雄中村修とは違い、おそらく島はかなり「意図的」に衣装を選んでいたように思える。

 ただ、当時からいろいろ書かれたり、本人もあれこれ語ったりしてるけど、この「スーツ事件」は結局のところ、七番勝負にのぞむにあたって、
 
 
 
 ベストの将棋を指すために、自分のスタイルを絶対にくずさない。
 
 
 というシンプルな、島の立場からすれば、当たり前の上にも当たり前な意思表示にすぎなかったのだろう。

 その意味では、今回の永瀬王座も、もし本当にスーツがいいなら、それを押し通すべきだったかもしれない。

 ルールで決めたかなんか知らんが、今の王座がだれか皆わかってるの? オレやで、と。
 
 人によっては
 
 
 「わがまま」
 
 「空気を読まない」
 
 「人間が小さい」
 
 
 と取られるかもしれないが、ここで変に飲みこんで憤懣をためてしまうのは、間違いなくマイナスである。あのころの米長邦雄のように。
 
 温厚なイメージのある深浦康市九段藤井猛九段といった人たちも、大きな勝負で「言いたいこと」があるときは強くを通すシーンもあったと、インタビューなどで語ったりしている。
 
 だから、もし今期の王座戦がフルセットにもつれこみ、そこで永瀬が、
 
 
 「やはり和服では力が出せない。最終局は自分の着たい服で指させてくれ」
 
 
 なんて主張したら、今回は「八冠王待ち」な私でも、そこに関しては永瀬を支持したいと思っている。

 

 


 (竜王時代の島と羽生の大熱戦はこちら

 (島が羽生相手の防衛戦で見せた名局はこちら

 (その他の将棋記事はこちらからどうぞ)

 

 

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和服アルマーニ狂騒曲 島朗vs米長邦雄 1988年 第1期竜王戦

2023年09月24日 | 将棋・雑談

 「永瀬王座が、和服を着てるやん」

 

 なんて少しおどろいたのは、今期王座戦のことである。
 
 現在行われている第71期王座戦五番勝負は、永瀬拓矢王座が「名誉王座」を、挑戦者の藤井聡太七冠が「八冠王」をかけて戦う大勝負。
 
 そこで、ふだんはタイトル戦でもスーツで通す永瀬が和服で対局しているのが話題になっているが、この手の話で忘れてはいけないのが、島朗九段であろう。

 島は1980年(昭和55年)に17歳で四段デビュー。
 
 同期に、早くからタイトルを取り活躍した高橋道雄中村修南芳一塚田泰明などがいる「花の55年組」の一員だ。
 
 C1時代に23歳王位を獲得した高橋や、やはり23歳の若さで王将を獲得した中村王座になった塚田といった早熟な面々とくらべると、やや出遅れていた感があった島が爆発したのが、1988年のこと。
 
 「十段戦」を発展的に解消して生まれた新棋戦「竜王戦」で、
 
 
 羽生善治

 桐山清澄

 大山康晴

 中原誠
 

 という、今見てもオソロシイ重量打線を次々に打ち取って、決勝七番勝負1回目の大会で竜王がいないため「決勝戦」あつかい)に進出したのだ。
 
 これまでのうっぷんを晴らすような大躍進だが、島はここでも勢いが衰えない。
 
 本番の七番勝負では、なんと大豪米長邦雄九段4連勝で吹っ飛ばし、初タイトルを獲得してしまうのだ。
 
 これにはマジでブッたまげたもので、戦前の予想では経験実績で上回る「米長有利」が圧倒的だったからだ。
 
 そりゃ島だって強いから、勝ったこと自体はおかしくないけど、それにしたってスコアが4タテというのは、さすがにだれも予想できまい。
 
 それくらいの衝撃だったわけだが、このときの島が4局とも高級スーツを着て登場したことは、この結果と同じくらい、いや下手するとそれ以上に話題を呼んだのだ。

 

 

 

 


 


 将棋のタイトル戦といえば「和服」がお約束の中、堂々ブランド物のスーツ。
 
 それだけでも異質なのに、島は他のところでも、今までとは違う言動を見せていた。
 
 すすめられてもアルコールは一切口にせず、終始ソフトドリンクだけを手にし、対局やイベントの合間にホテルのプールでひと泳ぎ。
 
 1日目指しかけの夜には、前夜祭で出逢った女子アナナンパしてスポーツクラブのやはりプールで一緒に泳いだりと、これまでの棋士のイメージを覆すような、型破りな行動が目立ったのだ。

 ふつう、タイトル戦の1日目の後は、封じ手や2日目の展開を考えたりして悶々とするもので、中原誠十六世名人をはじめとした一流棋士でも眠れない夜を過ごすものだという。

 そこをナンパにスポーツクラブとは、自由が過ぎるというものだ。若大将か。
 
 これにはマスコミも
 
 
 「新人類」(「ゆとり世代」みたいなニュアンスの流行語)
 
 「トレンディ棋士」
 
 
 などと記事にして紙面を盛り上げたもの。

 これには、そのワードセンスと「2周くらい遅れてる」感に、まだヤングだった私は今でいう「共感性羞恥」にいたたまれなくなったが(将棋はオジサンの文化なのですね。「Z世代」とか言ってるのも聞いてられないッス)、これが米長のペースを乱したことも結果に響いたようだった。
 
 こういう、お互いの年代将棋観が違うことによって起こるズレに、どちらかがイライラしてしまい(多くは年長者の方が)、力を発揮できないことがあるのは将棋の世界の「あるある」。
 
 かつては、内藤國雄高橋道雄王位戦中原誠中村修王将戦森内俊之渡辺明竜王戦

 などなど、双方が意図しないところから生じる齟齬が、勝負を左右するケースはいくつかあげられ、将棋はメンタルのゲームというのが伝わってくる結果となっている。

 当時の記事とか読むと、たとえば内藤などは無口な高橋が、感想戦でも一言もしゃべらないのに苦労しており、しょうがなく立会人である中原誠名人と、ずーっと話していたりとかしてたらしい。

 情景を想像するだけで気まずくてしゃーないが、もちろん高橋に悪意はなく、こういう価値観や性格のしっくりこなさが(内藤はおしゃべりでサービス精神旺盛なタイプ)、内藤へのボディーブローになっていた。

 なんとなくムッとするけど、物言いつけたら「器の小さい人間」とか思われそうだし、とはいってもこのモヤモヤは無視はできない感じもするし、でも、そもそもこの子も悪い子じゃないしなあ……。

 じゃあ盤上で格の違いを見せつけたるわと言えば、それはそれで相手もメチャクチャ強いし、負かすのは大変で、ほなどないせえちゅうねん!

 てな感じで、まあ自滅とまでは行かないが、ムダなフラストレーションをかかえたハンディは負うことになってしまう。

 アスリートなんかが待遇にゴチャゴチャ言ったり、芸能人が「オレの名前を一番にしろ」とかいうのは、もちろん単なるワガママのこともあるんだろうけど、中にはこういう

 

 「意図はしてないけど、天然で発揮されてしまう盤外戦術」

 

 これにやられないよう、警戒しているケースもあるのかもしれない。

 
 (続く

 

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タイトル戦にはスーツか和服か 永瀬拓矢vs藤井聡太 2023年 第71期王座戦

2023年09月21日 | 将棋・雑談

 「あれ? 永瀬王座、いつもと違いますやん」


 
 なんてモニターの前で、すっとんきょうな声をあげたのは、王座戦を観戦しているときであった。
 
 今期の王座戦では挑戦者である藤井聡太七冠が、空前絶後の大記録「八冠王」をかけて戦っているのは、各所でニュースになっている。
 
 その一方で、迎え撃つ永瀬拓矢王座もまた、王座獲得連続5期の「名誉王座」をねらっており、その話題性からして「藤井ブーム」の、いやさもっといえば、令和初期の将棋史的にも、ひとつの大きな山場を迎えているのであった。
 
 その期待通り、第1局、第2局とも熱戦ですばらしく、できたらフルセットまで行ってほしいなあと、今からワクワクしている次第。
 
 そんな中、どちらかが長考中、対局場の風景をボーっと見ているときに、フト違和感を感じたわけなのだ。
 
 なんだか、「間違い探し」の問題を見せられているような、不思議な感じだったが、しばらくして「あー」となった。
 
 そう、永瀬王座がこのシリーズは、和服で対局しているのである。
 
 永瀬と言えば、個性派の多い棋士の中でも、また飛びぬけてキャラの立った人。
 
 「受けつぶし」を得意としたSっ気丸出しの棋風に、同業者が腰を抜かすストイックな勉強量など、その例は枚挙にいとまがないが、中でも、
 
 
 「タイトル戦でも和服でなくスーツ姿で通す」
 
 
 というのが話題を呼んでいたのだ。
 
 というと将棋を知らない人からは、
 
 
 「え? 将棋って和服着用が普通じゃないの?」
 
 
 という声もあるかもしれないが、棋士は普段の対局はほぼスーツである。
 
 デビュー当時の藤井七冠や中村太地八段学生服や、阿部隆九段が一時期好んでいた作務衣、また気合いの入った順位戦などでは和服を着るベテランもいるが、これは例外中の例外
 
 タイトル戦でも基本的には服装は自由であり、かつては「ひふみん」こと加藤一二三九段も和服を好まず、スーツで対局していた。
 
 42歳で悲願の名人を獲得したときも、和服の中原誠名人とちがい、やはりスーツで通していたから、その徹底ぶりはいかにも加藤一二三っぽいではないか。

 

 

 「加藤名人」誕生のときもスーツ姿。


 
 永瀬王座もまたその系譜にあり、たぶん最初の方は和服を着てたと思うんだけど(途中で着替えたりとかした時期もあったかな)、最近ではすっかり洋装がトレードマークになっていたものだった。
 
 ただ、やはり将棋のタイトル戦では、ほとんどの人が和服を着るために、そこに違和感を感じる人はいるよう。
 
 これに関しては、私はどっちでもいいというか、別に和服だろうが、スーツだろうがドラッケンフュアー・シュヴァルベンストライクだろうが、なんでもいい派である。
 
 もともと「○○は△△でなければならない」みたいな決めつけは好きでないし、そもそも、そういったものの起源をたどると、案外その根拠もいい加減だったりする。
 
 なんで「別にいいじゃん」って感じで、囲碁なんかもみんなスーツだし、そんなに気にならないのだ。
 
 ルールで決まってるならまだしも(今回の王座戦はそうしたみたいですね)、「同調圧力」でってのは、なんかヤだしなあ。
 
 こんなもん、なんでもOK。ポロシャツ短パンジーンズサイケコスプレ全身タトゥーでも好きにやればいい。

 そういえば昔、竜王戦挑戦者決定戦で盤外戦術(?)なのかどうなのか、若き日の先崎学六段がチノパンや、Tシャツにジーパンという姿で対局に挑んだことがあった。

 対して佐藤康光七段が1勝1敗の第3局では堂々の和服で受けて立つとか、バチバチにやり合っていたこともあったっけ。

 私は結構歴の長い「ガチ勢」にもかかわらず、
 
 
 「2日制とか、もう時代に合ってないし、やめてもいいんでね?」

 
 
 とか、かなりテキトーなタイプなので、この手のテーマでは「リアルガチ勢」の人には怒られがちですが、ハイ。
 
 ただ、ネット中継の充実した今、海外へのアピールという意味では、和服はかなりの武器にはなりそう。
 
 なのでまあ、原則としては自由を選んでいいとして、本人が「どうしてもイヤ」という以外は、基本的には和服でいいとも思う。

 このあたり、永瀬王座の「イヤ度」はどれくらいだったんだろう。
 
 気にしてないならいいけど、「ホントはスゴイ嫌」なのに着さされているんだったら、大きな記録もかかってるのに、ちょっと気の毒かもなーとか思ったり。
 

 

 (島朗の「アルマーニで竜王戦」編に続く)

 

 

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「銀河系マイクロ・ブラックホール将棋で遊ぼう!」とChatGPTは言った

2023年03月31日 | 将棋・雑談

 ChatGPTの話題で、世間は持ちきりである。

 AIと会話するだけで、仕事生活趣味のサポートやアドバイスをいただけるというスーパーアイテム。

 前回は古いゲームである平安京エイリアン』を作ろうと思ったら、その正体がやたらとおもしろげなアニメだったりして、こちらが望んでいたものとは違うが、妙にクリエイティブなところがおもしろい。

 こんな知らなかったアニメなんか教えてくれるんなら、もっと色々と質問してみたら、そのストーリーとかルールとか作って「シナリオライター」「ゲームクリエイター」的な仕事とかもしれくれるのではとか、妄想がふくらんだ。

 なにかアイデアはないかと考えてみると、かつて京都を旅行をしたときのことが思い浮かんできた。

 「平安京」つながりだろうけど、そのとき同行してくれた友人が細かいチェック柄のシャツを着ており、

 

 

 

 

 

 「お、オレに合わせてくれたんか。将棋盤がプリントされたシャツなんか着て」

 「ただの細かいチェック柄だよ。将棋盤にしてはマス目が多すぎるじゃん」

 「で、その【銀河系マイクロ・ブラックホール将棋】柄の服って、どこで売ってるの?」

 「そんなゲームはないよ! そんな無駄に壮大だと、たしかにこれくらいたくさんマス目が要りそうだけどさ!」

 

 みたいなやり取りで、キャッキャ言ってたのを思い出したわけだが、これもなんか、質問してみたら作ってくれんじゃね?

 ということで、さっそく訊いてみると、その答えというのが、

 

 

 

 

 あ、あったんだ。

 オリジナルゲームを作ってもらおうと思ったら、すでに存在していたとは。

 危ない、危ない。うかつに発表していたら、危うく「パクリ疑惑」をかけられるところであった。

 ちなみに、そのルールというのが、

 

 

 

 

 「飛び跳ね」「放出されたエネルギー」「周囲に展開」「プラズマ

 天文学や天体物理学にはくわしくないが、なにかとんでもないことが起こりそうな香りが芬々である。

 ソーラーブラックホールってなんじゃらほい。「プラズマ」が「」なところが妙におかしい。

 こんなもんを駒にして「」はなにを使用してるのか。やはり山形天童あたりで作ってるのだろう。か!

 うーん、なんだか、やたらとスケールはデカイ。これを題材にSFが書けそうだ。フレドリックブラウンとか、クリストファープリーストとか。

 ちなみに、棋戦やタイトル戦にはこんなのがあるそうです。

 

 

 

 一度はプレイしてみたいものなので、どこか大阪近辺で「銀河系マイクロブラックホール将棋教室」があれば、教えていただきたいものだ。

 

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将棋「棋士のニックネームは『悪魔の詰め将棋』と『チェス倶楽部の破壊王』です」とChatGPTは言った

2023年03月20日 | 将棋・雑談
 ChatGPTの話題で、世間は持ちきりである。

 AIと会話するだけで、仕事生活趣味のサポートやアドバイスをいただけるというスーパーアイテム。

 ただし、私の場合はこのブログの将棋ネタ探しに使いたかったが、そこではあまりにも私の知っている将棋界と、違う情報が提示されて困惑している。

 おそらく、われわれの知る将棋界は「組織」によって脳に組みこまれた「偽記憶」であり、そこでは

 

 「藤井猛九段は史上最年少で四冠王に輝いている」

 

 という「真実」が隠蔽されている。

 そこで「組織」の作り出す仮想空間から脱出するため、私は「の将棋界」のゆかい……新たな情報を集めている。

 今回のお題は、前回に続いて棋士の「愛称」。

 エース」「谷川ヒール」「タンス」「きりっしーという、私の聞いたことのないボキャブラリーが飛び出すにあたっては、もっと掘る価値はあろうということで、

 


とても興味深いので、もっとどんどん将棋棋士のニックネームを教えてください


 
 
 
 
 

 

 なにやら前回よりもさらに、きらびやかになった気がする。

 さすが「了解です!」とテンションアゲアゲで言うだけあって、開口一番から「千日手マン」とはパンチが効いている。

 別のだれかとごっちゃになってるのでは? じゃあ、次の「将棋の天使」はだれと混ざっているかと言えば、それは不明だ。

 佐藤天彦九段と言えば「貴族」だろうとか、いちいちツッコんでいたら話が進まないわけだが、次の「チェス倶楽部の破壊王」にはシビれた

 村山慈明七段と言えば、明るい好青年として知られるが、そんなバイオレンスなイメージだったとは。なんでチェス倶楽部なのか。

 このインパクトの前には、次の山ちゃん「銀河系の戦士」もかすむというものだ。

 そういえば昔『月刊ムー』の読者投稿欄には、

 

 わたしはエリザベス。第4銀河系帝国の王女。この地球に派遣されたゴルゴダの4騎士を探しています。

 ヴァンダーベルト、ディアスティル、デ・ラ・ヴェガ、フォン・ローゼンクランツ、これらの名前に「覚醒」した人たちの連絡を待っています。

 

 なんていうイタ……若さあふれる投稿がよくあったものだが、やはり「チェス倶楽部の破壊王」にはかなわない。

 さらには「たじちゃん」「かき氷女王」という、つっこみのフックがまったく見つからないところからの「泰明さん」でコケそうになった。

 それはただの名前だ。高群のさっちゃんが、ふつうに呼んでいるのではないか?

 

千日手マン

 

 

 

将棋の天使

 

 

チェス倶楽部の破壊王

 

 もうこうなれば騎虎の勢いと、さらに

 


 ★まだまだお願いします。


 

 天才か、おまえは!

 藤井猛九段のニックネームが「悪魔の詰め将棋」。

 意味は分からんが、爆裂的なセンスは感じる。真空ジェシカの漫才みたい。

 杉本師匠の「鬼丸」などマシな方で、「ヒロイン佐々木」はBL的なニュアンスを感じて現代的である。「相手」にはだれなんだろう。

 木村一基九段の「キリン」もパンチ力がある。

 あの濃いキャラクターを捕まえて、メチャクチャに散文的でそっけない。

 そのシンプルで投げやりなところが、かえって「文学」すら感じさせるほどだ。「デビル大石」もまったくのキャラだろ!

 西山朋佳女流三冠の「パフェ職人」はアベマトーナメントのあれか。そういえば、囲碁将棋チャンネルでやってた食べ歩き番組(?)は良かった。5回見た。

 清水さんの「かき氷女王」もそうだけど、女子にはスイーツと、このあたりはえらくベタな発想ではある。案外、保守的なのかもしれない。

 あと「藤井総士郎さん」がだれかもわかんないけど、その愛称が「総太郎」とか、なんでやねん。

 なにやらさっきから「ボケ足」が早すぎて「岡田将生」や「萩原聖人」に手が回らないくらいだ。

 私は大阪人だけど、ツッコミ体質ではないので、処理が大変。あ、「坂井秀至」さんは医者囲碁棋士ですね。

 

 

悪魔の詰め将棋

 

鬼丸

 

 

キリン 

 

 なにやら、このあたりの不思議なワードセンスもよく、どうやら私の知るより「真の将棋界」はゆかいで楽しいところらしい。

 

 

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