『坊っちゃん』vs松山は「屈辱感の回避による自己欺瞞」という岸田秀っぽい解釈

2024年04月30日 | 

 「これって、屈辱感の回避による自己欺瞞やろうか」
 
 
 そんなことを考えたのは、バーナード嬢曰く7巻の感想を書いていたときのことだった。
 
 この中で夏目漱石坊ちゃん』が取り上げられているんだけど、この物語には強烈な
 
 
 「松山ディス」
 
 
 こいつが盛りこまれていることで有名。
 
 いろんな文芸評論漱石本でも取り上げられる一方で、愛媛県には

 

 「松山坊ちゃん空港」

 「松山坊ちゃんスタジアム」

 

 といった、「坊ちゃん推し」施設があったりもする。
 
 ふつうは、いくら文豪とは言え自分の地元をボロクソに描いた作家の作品など、使いたくもないと思うものだが、なぜか坊ちゃん大人気

 そこで前回は、

 

 「松山市は文豪に媚びるより、仮面ライダー友近が夏目漱石をボコボコににする地方映画を撮れ!

 

 そう主張したが、もちろんこの『坊ちゃん』へのスタンスにはの理由も考えられる。

 たとえば「屈辱の回避による自己欺瞞」。
 
 人は自分が受け入れがたい苦しみを味わうと、その苦痛をごまかすために、なにか欺瞞を生み出し、その説にすがろうとすると。
 
 これは心理学者岸田秀さんが繰り返し著書で書いていることだが、たとえば大東亜戦争に敗れた日本人の言い分。
 
 みじめな敗北に終わった日米戦争を振り返って、戦後の世論は大きく2つにわかれた。
 
 ひとつは保守派
 
 
 「あれは日本がアジアを解放した聖戦だった。侵略なんてとんでもない。実際、あれでインドネシアビルマは欧米列強から独立できたではないか」
 
 
 もうひとつは左翼系
 
 
 「それはウソだ。あれはまごうことなき侵略で日本は間違っていた。あの時代を大いに反省し、その代償に得た平和憲法を遵守し、2度と戦争という過ちを犯さないようにしなければならないのだ」
 
 
 一見、正反対の主張のようだが、岸田先生に言わせると、実はこれ中身は同じものだそうな。
 
 どちらも、
 
 
 「300万人もの尊い命を犠牲にし、持てるものをすべて投入して必死に戦ったにもかかわらず大敗した戦争」
 
 
 という正視したくない、みじめな現実から目をそらすために、
 
 
 「あれはアジア解放戦争だった」
 
 「いや、負けて結果的に日本は平和憲法民主主義を手に入れた」
 
 
 という「あの戦争は無駄ではなかった」と思いたいだけの自己欺瞞にすぎないと。
 
 これわかるのは、体育会系の部活に居て「しごき」を受けて、明らかにその過去がつらかったのに、
 
 
 「あれは苦しかったけど、あれがあるから自分は強くなれた
 
 
 とか言ってた友達を思い出すからだ。
 
 その顔見て、「あー、ウソついてるなあ、この子」と思ったものだ。
 
 全然、楽しそうじゃないんだもん。
 
 でも、「そうでも思わないと、あの時代のことは振り返れない」というも伝わってきたので、
 
 
 「それ、自己欺瞞やろ? 岸田秀が言うてたで」
 
 
 なんてにはイジれないわけで、その記憶からも「はあ」とため息が出るような分析だ。
 
 「特攻隊」を美化する人もいるのも、その狂気的な作戦を批判するのに、
 
 
 「英霊のことを無駄死にと呼ぶのか!」
 
 
 とかカツアゲしてくるヤツはただの卑怯者だと思うけど、結構本気

 

 「批判してはいけない」

 

 って思ってる人もいるもの。

 たいていは「心のやさしい人」で、これもきっと、
 
 
 「若くして無意味に命を散らした兵隊たちが、あまりにもかわいそうすぎる
 
 
 という、あまりにもつらい現実に耐えかねて、「無駄死に」という言葉を否定するのではあるまいか。
 
 という方程式からこの「『坊ちゃん』問題」を考えると、こうも思えるわけだ。

 つまり、松山の人は夏目漱石が地元をボロクソにディスっているのをとっくに知っているか、あるいはだれかに気付かされるかしてショックを受けた。
 
 でも、それを認めるのは屈辱的であるから、気づかないふりをしている。
 
 あるいは逆に金之助を持ち上げることによって、それを「なかったこと」にしているか、
 
 
 「たしかに悪くは書かれているが、それでも漱石先生に取り上げられて名誉である」
 
 
 と感動、あるいは寛容な地元民のフリをしているのか。
 
 なんかこう、イジメられっ子が自分からバカにされるような行動をし、


 「いじめられてるのではない、イジられキャラなんだ」


 とアピールしたり、TV版の『新世紀エヴァンゲリオン』のトホホなラストを

 

 「あれが正解で、真のエンディングなんだよ。お前ら、エヴァをわかってないな」

 


 とか強がったりするようなものではないか。
 
 『エヴァ』の最終回に関しては、岡田斗司夫さんが意地悪な分析をしていて、あの最終回への反応は結婚詐欺師にダマされた女の人と同じだ、と。
 
 否定派
 
 
 「だまされた! 絶対にゆるせない!」
 
 
 とストレートに怒りまくって、肯定派は逆に、
 
 
 「あの人はもともとあーゆう人だったでしょ。こっちはわかったうえで遊んでたのよ。それがわからないなんて、まだまだね」
 
 
 ぶん殴ってやりたいのをグッとこらえて、余裕っちなフリをする。
 
 嗚呼、大東亜戦争の日本人と同じだ。これは今起こっている様々なスキャンダルへの反応にも、応用できそうである。
 
 で、松山の『坊ちゃん』に対するスタンスも、似たようなものではないのかなあ。
 
 どれだけイヤな気分なのか、あるいは気がついてないだけなのかはわからないけど、どこかに「屈辱回避」はからんでいそうな。

 うーん、邪推かなあ。
 
 でも、やっぱり変だよ、あれを地元民がありがたがるの。

 私は断然、地方をバカにする夏目よりも、松山市を応援します。

 

 

 

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この自陣飛車がすごい! 永瀬拓矢vs菅井竜也 叡王戦2019 羽生善治vs広瀬章人 竜王戦2018

2024年04月27日 | 将棋・好手 妙手
 「自陣飛車」というのは上級者のワザっぽい。
 
 将棋において飛車という駒は最大の攻撃力があるため、ふつうは敵陣で、できればになって活躍させたいもの。
 
 それを、あえて自分の陣地に打って使うというのは、苦しまぎれでなければ、よほど成算がないと選べないもので、いかにも玄人の手という感じがするではないか。
 
 そこで今回は、自陣飛車の好手を2つ紹介したい。
 
 

 2019年。第4期叡王戦挑戦者決定戦第1局。

 永瀬拓矢七段菅井竜也七段の一戦。

 両者ともただ強いというだけでなく、「容易には倒れない」という強靭な足腰が持ち味。

 そんな2人が戦えば熱戦になるのは約束されたようなもので、この将棋も相穴熊からねじり合いが展開される。

 むかえたこの局面。

 

 

 

 

 永瀬が序盤でリードを奪い、5枚穴熊(飛車までくっついて実質6枚!)の堅陣も構築して押し切るかと思われたが、菅井もをからめて実戦的に勝負勝負とせまる。

 

 

 

 

 △47歩成と入られ、玉形の差が響いてきそうな局面だが、ここで菅井が力強い手を披露する。

 

 

 

 

 

 

 

 ▲18飛と打つのが、根性の自陣飛車。

 玉のまわりの空間を埋めながら、端に火力を足す攻防手。

 次に▲13銀と打ちこめば、一気に攻守所を変えるかもしれない破壊力だ。

 永瀬は△14香▲同香△13歩から1筋を清算しにかかるが、▲同香成△同銀▲12歩とたたくのがうるさい。

 △同玉▲17香と、またもや足し算でド迫力だ。

 

 

 

 

 これで後手陣の方が王手がかかりやすく、嫌な感じになっている。

 形勢は不利ながら菅井の底力が発揮された展開だ。

 結果は永瀬がねじり合いを制して勝ち。

 

 


 続いては2018年、第31期竜王戦第1局

 羽生善治竜王広瀬章人八段の一戦。

 角換わり腰掛け銀の最新形から、羽生が果敢にしかける。

 この戦型らしい、先手からの細かいうえにギリギリの攻めを、広瀬も形が乱されながらもなんとか対処し、反撃に出る。

 

 

 

 △35桂も相当きびしいが、後手陣も丸裸で、手持ちの飛車もあるし一気に攻めこみたくなるところ。

 だが羽生の眼は、そんな平凡なところにはとらわれないのである。

 

 

 

 

 


 ▲29飛と打つのが、見た瞬間からして、いかにも好感触の一着。

 飛車を持って後手陣を見れば、金取りの▲31飛に手がのびそうだが、そこを攻防に利く自陣飛車

 これには挑戦者の広瀬も、思わず絶賛

 攻防の要駒である後手のにアタックをかけながら、飛車の打ちこみを消し、さらにはどこかで▲23飛成と飛びこむ筋もある。

 縦横ともに出力100、いや120%の使い方。

 こんな見事な起用法をされた日には、飛車自身もよろこんでいるのではないか。エネルギーの放出量がハンパではない。

 うーむ、なんだかパワーアップパネルで、最強装備をそろえたボンバーマンみたいだ。

 急がない余裕と、盤面を大きく使う視野の広さで、いかにも羽生らしい手といっていいだろう。

 結果も羽生が快勝。

 


 (羽生による攻めの自陣飛車はこちら

 (佐藤康光による自陣飛車と自陣角のツープラトンはこちら

 (その他の将棋記事はこちらから)

 

 

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『坊っちゃん』を書いた夏目漱石を仮面ライダーと友近がボコボコにする松山の地方映画が存在してほしいので3000字くらいかけて紹介するブログ

2024年04月24日 | 

 「きっと、これは原作を読んではらへんのやろな」
 
 
 そんなことを考えたのは、バーナード嬢曰く7巻の感想を書いていたときのことだった。
 
 この中で夏目漱石坊ちゃん』が取り上げられているんだけど、この物語については昔から疑問に思っていることがある。
 
 それは、
 
 
 「松山の人、なんでこの小説に怒らへんの?」
 
 
 私は『坊ちゃん』は未読で、なぜか水島新司先生のコミカライズ版を読んだだけだが、この物語には強烈な
 
 
 「松山ディス」
 
 
 こいつが盛りこまれていることは知っている。

 そこで今回「青空文庫」でさっと読んでみると、やはり「あー、こらアカンは」という内容で、実際いろんな文芸評論漱石本でも、
 
 


 「漱石は実際に松山で教師やってたけど、よほどイヤな目にあったんだろう」
 
 「よくここまで悪しざまに書けるな」
 
 「松山の人、よく怒らないね



 
 
 なんて作家や評論家も首をひねっているのだ。
 
 その一方で、愛媛県には「松山坊ちゃん空港」やら「松山坊ちゃんスタジアム」といった、「坊ちゃん推し」施設があったりもする。
 
 ふつうは、いくら文豪とは言え自分の地元をボロクソに描いた作家の作品など、使いたくもないと思うものだが、なぜか坊ちゃん大人気
 
 まあ、これにはいくつか可能性があって、一番大きいのは、
 
 
 「松山の偉い人で『坊ちゃん』を読んだ人がいなかった
 
 
 そこで

 

 「ん? なんか漱石ってウチで働いてたことあるんやて? じゃあ、名前使うたら宣伝になるやないか」
 
 
 なんて安易に考えてしまったか。
 
 これはありえそうで、実際、大阪は東大阪市の本屋で東野圭吾の『白夜行』が
 
 
 「東大阪市の布施を舞台にした小説です」
 
 
 とか「地元応援!」みたいな感じでポップを出されてたそうな。
 
 でもあれ、読んでみたらわかるけど、布施ってゴッサムシティみたいな書かれ方してて、絶対に「地元応援」ではないよなあと苦笑した次第。
 
 まあ、東野さんは布施とかその隣の今里出身らしいから、地元への愛憎がからんで漱石の「100%悪口」とはニュアンスが違うんだろうけど。

 実際、同じ場所を舞台にした『浪花少年探偵団』シリーズは楽しいジュブナイルになってるわけだし。

 それはそれとしても、たぶんその本屋さんは『白夜行』読んでないんだろうなあとは感じられるところだ。

 なんにしろ、どっちの作品も読んでたら地元民は、絶対にイヤな気持ちになること確実。

 とにかく『坊ちゃん』は全編ずーっと

 

 


 「いけ好かない連中だ」

 「田舎者はけちだから」

 「こんな田舎に居るのは堕落しに来ているようなものだ」


 

 なんかもう、

 

 東京の人って、こんなに意地悪なの?」

 

 あきれたくなるくらい悪口が次々と飛び出す。

 あまつさえ、漱石作品の良心的象徴であり「善人」であるはずのですら、 

 


 「田舎者は人がわるいそうだから、気をつけてひどい目に遭わないようにしろ」


 

 「人がわるい」のはおまえだろ!

 よくモノの本では、
 
 

 「主人公の気風の良いセリフ回しに舌を巻く」
 
 「清こそが、夏目作品に通底する善なるもの」

 
 
 とか書いてたりするけど、内実はこんなもんですわ。

 マジでブチギレ案件と言うか、今だったらこの人たちSNSでしょっちゅう炎上してそうだなあ。

 もうこうなったら、いっそ逆に、

 

 


 「おのれ! イギリスで背が低いことに悩んでが空き、帰国したら森鴎外に《非国民》とかののしられた、メンタルよわよわ野郎め、ゆるさんぞ!」


 

 とか言いながら、藤岡弘さんが夏目漱石をライダーキックボッコボコにする地方映画とか作ってみたらどうだろう。

 怪人のコスプレ姿で「勘弁してください!」と、泣きながら土下座して赦しを請う文豪に、

 

 「夏目さん、これはね、暴力やないの。世直しなのよ」

 
 
 とか、着物姿の水谷千重子さんが諭してる。
 
 とりあえず、私は観に行って愛媛を応援します。

 

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郷田真隆はなぜ挑戦者決定戦に弱いのか 棋聖戦 編

2024年04月21日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回の続き。

 郷田真隆九段と言えば、その実力にもかかわらず、挑戦者決定戦での勝率が悪い。

 そこで、実際にどれほど苦戦しているのか数えてみようということで、まず竜王戦挑決0勝1敗

 名人戦はリーグ戦だからむずかしいが、2度出場しているので2勝0敗

 王位戦3勝2敗叡王戦0勝0敗王座戦0勝4敗

 棋王戦2勝5敗王将戦1勝2敗

 ここまで8勝14敗3割6分3厘

 これが野球なら首位打者だが、あの郷田真隆の勝率と考えれば低すぎる

 あとひとつタイトル戦は残っているが、一気の巻き返しなるか。

 

 


 最後に棋聖戦

 ここまでの棋王戦王将戦は、獲得こそあるものの、やはりうっすらと負け越しており、「挑決は苦手」というイメージを払拭できないでいる。

 ただ、最後の棋聖戦は獲得経験も複数回あり、五番勝負に登場回数も一番多いということで、ここで一気の逆転もねらえそうである。

 まず、1990年後期(当時の棋聖戦は年2度開催だった)第57期棋聖戦で挑戦者決定戦に進出するも、森下卓六段に敗れる。

 このときの棋聖は18歳屋敷伸之で、もしここでまだ19歳だった郷田が勝っていれば、史上初にして、今でも実現していない、

 

 「10代同士のタイトル戦」

 

 を見られたことになり、これには本人も「残念でした」と語っていた。

 続いて半年後1991年前期、第58期でも連続で挑決に進出するが、これも南芳一王将に敗れてしまう。

 まあ、このあたりはまだ低段時代だから「これからさ」とかまえていられるところで、翌年の前期第60期棋聖戦では、阿部隆五段を押さえて初の五番勝負に登場。

 続く1992年後期第61期棋聖戦でも、塚田泰明八段を破って2期連続の檜舞台。

 どちらも、そのころ充実期だった谷川浩司棋聖に敗れるも、四段五段のころにこれだけ挑決まで勝ち上がり、2度も番勝負に出ているというのが、あらためてスゴイものだ。

 しかも、その間に王位のタイトルも取ってるし、マジで今の伊藤匠七段に負けない勝ちっぷりで、郷田がいかに強いかがわかっていただけるだろう。

 そこからしばらく、棋聖戦では鳴りを潜めるが、1997年の第68期では挑決に進出し、屋敷伸之七段に敗れるも、久しぶりに「棋聖戦男」ぶりをアピール。

 そして翌年の第69期では、挑決で「システム」藤井猛七段を退けての、お待たせ5番勝負に出場。

 そこでも、前期棋聖に復位した屋敷伸之から3勝1敗のスコアで奪取し、の棋聖獲得

 ただ、翌年には谷川浩司九段にストレートで奪われてしまい、ここでも防衛戦での苦戦ぶりを露呈している。

 しかし、こう見ると谷川も、羽生善治相手にこそ苦手意識に苦しめられていたが、の「羽生世代」の棋士たちには貫録を見せている場面が多く、本当に

 

 アイツさえいなければ」

 

 という時代だったのだなあ。

 無冠になった郷田だが、2001年の第72期はそのキャリアの中でももっとも語られるべきシリーズかもしれず、まず挑決で深浦康市七段を破って5番勝負に。

 

 「これまでは眼前の勝敗にこだわらなかったが、今回は結果を出したい」

 

 という「美学派」が本気を出した羽生棋聖との勝負は、フルセットの激戦の末に郷田が勝利

 

 

 

 この一番は本当に両者力が入っていて、△57歩というイヤらしいタレ歩に、郷田の応手が驚愕

 

 
 
 
 

 

 

 ▲49銀と打ったのが、郷田将棋にあこがれる金井恒太六段も、おどろいたというスゴイ手。

 受け一方で貴重なも手放して、相当に指しにくい。

 そもそも、こんな消極的な手は郷田が一番嫌いそうだが、指した本人はこれでまだまだと見ていたよう。

 事実、ここから玉の上部脱出をめぐって激戦が展開され、クライマックスはこの場面。

 

 

 

 ここで羽生は△75同馬▲同玉△73金入玉を阻止するが、これが敗着になった。

 手番をもらった郷田は▲31成桂と踏みこんで、△同金▲同竜と切り飛ばし、△同玉▲43桂から一気に詰まし上げてしまった。

 

 

 

 

 △75同馬では△71歩▲同竜△53角か、単に△53角から△71金と竜を封じこめれば、難解ながらも後手有望だった。

 これには友人である先崎学九段が、『週刊文春』の連載で祝福する一文を載せていたが、たしかに報われるべき人が報われるというのは大きなカタルシスである。

 だが、ここでもやはり防衛戦がネックとなり、翌年には佐藤康光王将2連勝スタートから3連敗を喫し、またしても1年で失冠

 その後は2003年の第74期に丸山忠久棋王に敗れる。

 2013年の第84期と2019年の第90期ともに、渡辺明竜王王将棋王(王将・棋王)に敗れて挑戦ならず。

 

 ☆棋聖戦挑決 4勝6敗獲得2


 

 以上が、郷田真隆による、挑戦者決定戦での受難の歴史である。

 整理すると、

 

 竜王戦 0-1

 名人戦 2-0

 叡王戦 0-0

 王位戦 3-2(獲得1)

 王座戦 0-4

 棋王戦 2-5(獲得1)

 王将戦 1-2(獲得2)

 棋聖戦 4-6(獲得2) 

 

 合計 12勝20敗 3割7分5厘


 たしかに、これは低い。

 郷田の実力をもってすれば、本来はあり得ない数字だ。4割に届いてないとは……。

 これ、一発勝負でない名人戦をカウントせず、優勝できなかった叡王戦の敗戦も含めると10勝21敗3割2分2厘と、さらにヒドイことに。

 これはもはや、「将棋界の七不思議」と言っていい内容だが、一番不思議なのは再三いうが、

 

 「理由がよくわからない」

 

 ことであって、おそらく郷田自身も自分に、腹の底から「なんでやねん!」と、つっこんでいることであろう。

 ちなみに、一般棋戦の方では決勝に出ると、
 
 
 NHK杯 1勝1敗
 
 新人王戦 0勝1敗
 
 早指し選手権 1勝0敗
 
 銀河戦 2勝0敗
 
 日本シリーズ 3勝2敗
 
 
 しっかりと勝ち越しており、決して勝負弱いわけではないのだ。

 ホンマ、なんでなんやろ。

 


(郷田が中村太地に敗れた、2013年の第61期王座戦挑決はこちら

(郷田の切れ味鋭い名手はこちら

(その他の将棋記事はこちら

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郷田真隆はなぜ挑戦者決定戦に弱いのか 王将戦 編

2024年04月18日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回の続き。

 郷田真隆九段と言えば、その実力にもかかわらず、挑戦者決定戦での勝率が悪い。

 そこで、実際にどれほど苦戦しているのか数えてみようということで、まず竜王戦挑決0勝1敗

 名人戦はリーグ戦だからむずかしいが、2度出場しているので2勝0敗

 王位戦3勝2敗と、ここまではまずまずの成績だが、叡王戦0勝0敗王座戦0勝4敗棋王戦2勝5敗と下り坂に。

 ここまで7勝12敗と負け越しているが、ここからどうなるか。

 事務仕事が苦手な私は、もうすべてを投げ出してメイプルタウンあたりに亡命したくなっているが、果たして完走できるのか?

 

 


 次も、棋王戦に続いて獲得経験のある王将戦

 まずはずせないのが、1994年の第44期王将戦プレーオフで、このとき挑戦権をかけて戦ったのが羽生善治六冠王

 このとき羽生は「七冠王ロード」のクライマックスへ向かってひた走っており、郷田はそのストッパーの役を担うことになったが、残念ながら敗れてしまった。

 その後、2002年第52期にもプレーオフに進出するが、羽生にまたもやられてしまう。

 その後は長くプレーオフ進出に縁がなかったが、12年後2014年第64期王将戦で七番勝負に進出。

 このときも、リーグ戦で独走態勢に入りながら、勝てばすんなり挑戦というところで2つ星を落とし、羽生に追いつかれるという、まさかの失速

 流れ的にプレーオフは勝てないと思われたが、そこをしっかり立て直したのはさすが。

 本番の七番勝負でも、充実著しかった渡辺明王将からフルセットの末奪取し、王将獲得

 

 

 

 図は第7局の序盤戦。

 横歩取りから、後手の渡辺が△53角と打ったところ。

 先手が▲12歩と攻めて、がなくなったタイミングで8筋をねらうが、郷田は好きにすればと▲11歩成

 堂々と歩を成られて、これで行けなければなにをやってるかわからないと、△86角と切って▲同歩△同飛

 

 

 

 

 力強く踏みこんだはいいが、こうなってみると後手の8筋突破が受からない形。

 歩があれば▲87歩で大優勢だが、もちろん渡辺はそれがないことを見越しての攻撃だ。

 このままではを作られるのは必至。かといって、頭の丸いしかないのでは受けもむずかしい。

 先手が困っているようだが、郷田は平然と次の手を指した。

 

 

 

 

 ▲87角と打つのが、形のこだわらない郷田の腕力。

 一見、突破されたように見えるが、2枚のがうまく連携して一気にはつぶれないのだ。

 以下、△85飛▲66角△65桂▲21と△77銀▲59玉△66銀成▲同歩△39角▲38飛△57角成▲54桂で激戦。

 

 

 

 スゴイ形だが、本格派の2人が、こんなおかしな局面を戦っているのはそれだけで熱局の証拠であろう。

 そこから少し進んで、この局面。

 

 

 

 先手の攻めもカサにかかっているが、後手から△57歩のビンタも玉頭だけに痛烈。

 後手はまだしか持駒がないが、先手も攻めるとなるととかを渡すことになりそうだし、▲87質駒になっている。

 うまく対処しないと、裸玉に近いだけに一撃で仕留められる危惧もあるが、次の手が郷田らしい一着だった。

 

 

 

 

 

 

 ▲47金と上がるのが、なにも恐れない勇者の一手。

 一見「金はナナメに誘え」で守備力が激減しているようだが、そこをあえて▲58の地点を開ける▲47金が、郷田流の見せ場。

 △62歩▲同桂成△44歩▲54歩△62銀▲同成銀△43金上▲56金のショルダータックルが決め手になった。

 

 

   

 この手を見越しての▲47金だったのだ。

 △67馬に、▲55桂と上部から押しつぶして先手勝勢

 第1局画期的新手に、第6局大逆転と並べて、実にドラマチックなシリーズであった。

 翌年の第65期王将戦でも、羽生善治の挑戦を勝2敗で蹴散らしてタイトル戦初防衛

 こう見ると、2010年代前半王将棋王を獲得するなど、円熟期とも言っていい内容。かなり充実していたようだ。

 

 ☆王将リーグプレーオフ 1勝2敗獲得2

 

  (続く

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郷田真隆はなぜ挑戦者決定戦に弱いのか 棋王戦 編

2024年04月15日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回の続き。

 郷田真隆九段と言えば、その実力にもかかわらず、挑戦者決定戦での勝率が悪い。

 そこで、実際にどれほど苦戦しているのか数えてみようということで、まず竜王戦挑決0勝1敗

 名人戦はリーグ戦だからむずかしいが、2度出場しているので2勝0敗

 王位戦3勝2敗叡王戦0勝0敗王座戦0勝4敗

 ここまで5勝7敗と負け越しているが、ここからどうなるか。

 ぶっちゃけ、かなり数えるのがダルくなってきたが、今さら後に引けないので続けたい。

 


 続いては獲得経験もある棋王戦

 こちらは1997年に、南芳一九段を破って挑戦権を獲得。

 そこまでは良かったが、5番勝負では羽生善治棋王1勝3敗のスコアではね返されてしまう。

 で、ここからがまた試練になる。

 まず、2000年の第26期棋王戦では、挑戦者決定戦で敗者復活から上がってきた久保利明六段に、2連敗し挑戦を逃す。

 翌2001年の第27期、今度は敗者復活戦から勝ち上がったものの、佐藤康光九段先勝しながら勝ち切れず。

 2002年の第28期では、これまた敗者戦から上がってきた丸山忠久九段に2連敗し、王座戦と同じく怒涛の3年連続挑決敗退。

 しかも、2度敗者組2連敗しているんだから、ちょっと問題ありだ。

 おまけに2005年の第31期棋王戦でも、敗者戦から森内俊之名人に挑むも敗れ、郷田ファンからすれば頭をかかえたくなる惨状

 ただ、2011年の第37期棋王戦では、敗者戦から上がってきた若手トップの広瀬章人七段を押さえて、ようやっとトンネルを抜ける。

 このときも初戦を敗れて、「またか」とおもわせたところを2戦目でキッチリと取り返しての挑戦で、少しヒヤヒヤはしましたが。

 

 

 

 

 図は挑戦者決定戦の第1局

 「振り穴王子」の穴熊に郷田も対抗して、この局面。

 こんなもん、どうみても▲21飛成しか思い浮かばないが、次の手がいかにも「郷田流」だった。

 

 

 

 

 

 

 ▲85歩と、ジッと伸ばすのがコクのある手。

 目先の飛車成にとらわれず、穴熊の最急所に圧力をかけておくのが、この際の好判断だった。

 もちろん▲21飛成でも悪くはないのだが、ここでそれを保留できる精神力がすばらしい。

 控室で検討していた青野照市九段からも「郷田好み」のお墨付き。

 なにかこう理屈抜きで「つえーなー、オイ」という気にさせられるのだ。

 将棋はこの後、熱戦になって二転三転の末に郷田が敗れたが、その存在感は存分に見せたようだ。

 続く久保利明棋王との五番勝負でも郷田は強かった。

 

 

 

 第1局のこの局面。

 やはり相穴熊の戦いだが、作戦負けで苦しげなところ、次の手が意表の一着。

 

 

 

 

 ▲96銀と出るのが、形にこだわらない強い手。

 ねらいとしては次に▲85歩から歩を交換すれば、一歩を手持ちにした上にが大いばりで指せると。

 それはいけないと久保は△73桂と交換を拒否するが、今度はそこでまたもやジッと▲87銀

 

 

 

 

 手損となったが、後手に△73桂と跳ねさせ、アーマークラスを下げたことが地味に効いている。

 木村一基八段曰く、

 


 「負けてもこういう手を指すと「強いなあ」と感嘆しますね」


 

 この将棋こそ敗れたものの、その後3連勝3勝1敗奪取

 ようやっと苦労が報われる形に。

 王座戦とちがって、こっちはハッピーエンドだったが、その翌年には渡辺明竜王1勝3敗で敗れて失冠

 挑決ともうひとつ、防衛戦でなかなか本領を発揮できないのも、郷田の泣き所だったが、これまたなぜか。

 理由はやはり不明である。

 おっと、忘れるところだった2021年、第47期の挑決でも永瀬拓矢王座に敗れて、またひとつ黒星を増やしてしまった。

 永瀬は今バリバリでA級タイトルの常連だから、ある程度はしょうがないとはいえ、うーん、ここは久しぶりに郷田のタイトル戦が見たかったのだが……。

 

 (続く

 

 

 ☆棋王戦挑決 2勝5敗獲得1

 

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郷田真隆はなぜ挑戦者決定戦に弱いのか 叡王戦&王座戦 編

2024年04月12日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回の続き。

 郷田真隆九段と言えば、その実力にもかかわらず、挑戦者決定戦での勝率が悪い。

 そこで、実際にどれほど苦戦しているのか数えてみようということで、まず竜王戦挑決0勝1敗

 名人戦はリーグ戦だからむずかしいが、2度出場しているので2勝0敗

 王位戦3勝2敗

 今のところは5勝3敗と勝ち越しているが、ここからどうなるのか。

 正直、ちょっとめんどくさくなってきたが、がんばって数えてみたい。

 

 


 続くのは叡王戦だが、ここでもまず第1回の大会で決勝に進出するも、山崎隆之八段に敗れて準優勝

 まあ、このときはまだタイトル戦じゃなかったから、ノーカウントだけど、このときのトーナメントを

 

 「ソフトへの挑戦」

 

 をかけた戦いと解釈すれば、やはり負けているということにもなるなあ。


 ☆叡王戦挑決 0勝0敗

 


 次は王座戦

 王座戦は郷田が獲得どころか、5番勝負にも出たことがない棋戦である。

 ただ、しっかりと挑決4度も勝ち上がっているのがさすがで、つまりはそこで4連敗していしまっているということでもある。

 またしても、なんでやねん。

 うちわけは、1997年の第45期王座戦で、島朗八段に負け。

 1998年谷川浩司竜王に、必勝の局面から「1手トン死」を喰らって大逆転負け。

 1999年の第47期では丸山忠久八段に敗れて、3年連続の挑決敗退。

 これはかなりしんどい結果だが、そのあと2013年にも久々に勝ち上がったものの、やはり中村太地六段に敗れガッカリ。

 これには相性がいいのか悪いのか、よくわからないものである。

 そういえば郷田と言えば丸山天敵で、対戦成績でも負け越しているはず。

 その理由は郷田が後手になったとき、ムキになって丸山必殺の角換わり腰掛銀を受けるからで、それにほとんど勝てていないからだ。

 そういえば佐藤康光九段もそうで、谷川浩司九段や丸山のような「スペシャリスト」に後手番の角換わり腰掛け銀で挑んで、痛い目にあわされてきた。

 象徴的なのがこの将棋で、2011年の第70期A級順位戦

 

 

 

 

 渡辺明竜王と郷田真隆九段の一戦は角換わり腰掛け銀から「富岡流」と呼ばれる形になる。

 △同金、▲33銀、△同桂、▲同歩成、△41玉、▲22と、△49馬、▲74桂、△同金、▲53馬、△58馬、▲72歩。

 

 

 

 

 △72同飛、▲62金、△42金、▲45桂、△53金、▲同桂成、△62飛、▲同成桂、△68銀、▲88玉。

 

 

 

 

 まで渡辺の勝ち。

 相居飛車の定跡通り先手番バリバリ攻めて押し切るという「後手番ノーチャンス」のような、よくある将棋に見える。

 これが当時「事件」と騒ぎになったのは、なんとこの手順は「後手負け」という定跡としてすでに確立しており、角換わりのにも掲載されている有名な順だったこと。

 「富岡流」からその定跡通りに進んだところでは、当然「負ける」側の郷田が手を変えるはずで、「郷田新手」を皆が予想し期待していたところ、なんとそのレールに乗ったまま最後まで走って投了

 なんてこったい! これじゃあ、まるで棋譜並べだ。

 公式戦、しかも持ち時間6時間の順位戦で、なぜこんなことが起こったのか。

 結論から言えば、郷田はなんとこの定跡を知らなかったから。

 郷田と言えば、パソコンはおろか携帯電話なども、

 


 「そんなものより大事なものはいくらでもある」


 

 

 と言い放って長く持たなかった「硬派」で知られ、今では当たり前の研究会や、ケータイのメッセージなどでの最新手順の情報交換も一切拒否していた男。

 日々の鍛錬と、自分の信念のみを信じるという文字通りの「一刀流」で、それでタイトルまで取ってしまったサムライの姿は、

 

 「カッコよすぎるやん……」

 

 金井恒太六段をはじめ、多くの棋士観戦記者ファンをシビれさせるが、そのスタイルには常に、こういった落とし穴がつきまとう。

 これが「定跡」になっていることを知らされた郷田は呆然としたそうだが、さもあろう。

 もちろんこれは極端な例だし、郷田の力をもってすれば、この程度の罠は「誤差」の範囲内だが、生涯勝率を少しばかり下げてしまっているのも事実だ。

 これはねえ、「オランダサッカー」問題と同じで、むずかしいよねえ。

 「信念」か「結果」か。

 もっとも、それを「もったいない」と感じるのは素人考えで、本人たちの弁では、意地だけでなく勝算があっての採用だと語っている。

 それに棋士人生を長い目で見れば、たとえ相手のエース戦法に挑んで負けても、きっと黒星以上に得るものもあるのだろう。

 そういったことを視野に入れれば、

 

 「角換わりを、さければいいのに」

 

 というのが、いかに底の浅い意見であるかわかろうというもの。

 玄人の将棋ファンとし鳴らす私としては、そういう輩は大いにバカにしたいところであるが、2013年NHK杯決勝で丸山と当たった郷田は、後手番で横歩取りを採用。

 

 

 

 図で△75飛と引いたのが好手で、▲45を取って△47の地点をねらうのが速い。

 先手は左辺の角金銀になって受けにくく、郷田がそのまま勝ち切りNHK杯初優勝を決めた。

 あざやかな指しまわしで、さすが郷田はどの戦法を指しても強いなあ……。

 ……て、あれ? やっぱ、じゃあ今までも角換わりは避けといたらよかったんちゃうん! 

 最初からもっと柔軟に戦型を選んでたら、NHK杯だってもっと勝てたかもしれないのに……。

 もっとも、私(ド素人)なんかがそんなことを言ったところで、郷田なら、

 

 「それって、なんか意味あるんですか?」

 

 なんて答えるのだろう(「あー、意味ない、意味ない」は酔った郷田の口癖)。

 もっともだ。そんな郷田は郷田ではない。

 あーもー、めんどくせーなー。オレはアンタについていくよ、もう!

 

 ☆王座戦挑決 0勝4敗

 

 (続く
   

 

 

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郷田真隆はなぜ挑戦者決定戦に弱いのか 王位戦 編

2024年04月09日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回の続き。

 郷田真隆九段と言えば、その実力にもかかわらず、挑戦者決定戦での勝率が悪い。

 そこで、実際にどれほど苦戦しているのか数えてみようということで、まず竜王戦挑決0勝1敗

 名人戦2度出場しているけど

 

 「勝ってれば挑戦者なのに……」

 

 という敗戦があるかどうかわからないので(調べろよ)2勝0敗ということに。

 


 続いて王位戦

 郷田は初タイトルが王位であるし、1993年から95年にかけて、3年連続羽生善治と七番勝負を戦った印象などから「王位戦男」とも呼ばれた。

 棋士によって相性のいい棋戦というのはそれぞれあって、羽生善治九段王座戦に、森内俊之九段名人戦

 佐藤康光九段棋聖戦や、渡辺明九段竜王戦などがパッと目につくが、王位戦に関しては郷田以外にもいたもの。

 佐藤義則八段高橋道雄九段(王位獲得経験もあり)なども、かつてはリーグ入りの常連で、そう呼ばれたものだった。

 なら比較的勝率も高いのではと期待も高まるわけで、まず1992年の第33期王位戦では、佐藤康光六段に勝って挑戦者に。

 七番勝負でも谷川浩司王位にいきなり3連勝し、その後2つ返されたものの、第6局では終盤の競り合いで絶妙手を披露し、見事に初タイトル獲得。

 これが当時、絶賛されたので少し見ていただきたい。

 

 

 

 

 図は谷川王位が△66歩とたたいて、▲同金△57角成としたところだが、これが疑問で、もっと早く△73桂と跳ねるべきだったそう。

 先手は▲67金上として△39馬に、▲78飛と回る。

 

 

 

 これがが味のいい手で、郷田はこのあたりで手ごたえを感じたという。

 谷川は遅ればせながら△73桂の両取りだが、かまわず▲75飛とさばいて、△85桂▲86角が絶妙の跳躍!

 

 

 

 

 自陣で眠っていた飛車角が、敵の急所をねらう位置に飛び出して、見事な躍動感を生み出している。

 郷田はこの年、棋聖戦でも2度谷川挑戦してどちらも敗れているから(当時の棋聖戦は年2回開催だった)、ちょっと苦しいかなとも思われたが、それをはね返した精神力はすばらしかった。

 翌年、羽生善治四冠の挑戦を前にストレートで失冠したが、その次の1994年第35期王位戦では挑決で高橋道雄九段を退けてリベンジマッチの舞台へ。

 さらに翌年の36期でも、谷川浩司王将に勝って、またも挑戦者に。

 それぞれ3勝4敗2勝4敗で羽生王位に防衛をゆるすも、ここまでの成績を見ると、王位戦とは相性が良かったともいえる。

 ただ、1997年の第38期と、翌年の第39期でそれぞれ佐藤康光八段名人)に敗れて挑戦はならず。

 郷田と言えば王位のイメージが強かったが、意外なことにこの後、挑決まで上がってくることはなかった。

 獲得1期というのも、あらためて調べてみておどろいたもの。もっと取ってると思ったのだ。

 

 ☆王位戦挑決 3勝2敗獲得1

 

続く

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郷田真隆はなぜ挑戦者決定戦に弱いのか 名人戦 編

2024年04月07日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回の続き。

 郷田真隆九段と言えば、その実力にもかかわらず、挑戦者決定戦での勝率が悪い。

 そこで、実際にどれほど苦戦しているのか数えてみようということで、まず竜王戦挑決0勝1敗

 続いては名人戦

 ここはA級順位戦というリーグ戦だから、挑戦者決定戦もなく、そこをどうとるかが問題。

 2007年第65期名人戦と、2009年第67期名人戦に挑戦者として出場しているから、2勝0敗ということでもいいが、逆に

 

 「勝ってれば名人挑戦だったのに」

 

 という敗戦があったかどうかがわからないし、調べるのがめんどいので「0敗」かどうかはわからない。

 まあ、とりあえずここでは2勝0敗ということにして話を進めるが、本番の七番勝負では勝てなかった。

 とはいえ、2007年森内俊之名人に、2009年羽生善治名人にどちらもフルセットまで行っており、「郷田名人」の可能性は十分すぎるほどあった。

 特に2007年は「永世名人」のかかった森内に2勝3敗カド番から「50年に1度の大逆転」を喰らわせてフルセットに持ちこむという、ドラマチックな戦いを披露。

 しかも、最終局で先手番を引くという大チャンスだったが、大熱戦の末敗れてしまったのは残念だった。

 

 

 

 その名人戦の最終局

 森内勝勢のところから郷田が決死のねばりで喰いつき、ここでは控室も「またも逆転か!」と色めきだっていた。

 駒が、特に先手陣の桂香の利きがゴチャゴチャしてややこしく、

 


 「むずかしすぎる」

 「これが詰将棋だったら、考える気もしない」


 

 検討陣も悲鳴をあげるほど。

 しかも、次の手がまたスゴイのだ。

 

 

 

 

 

 ▲73銀と捨てるのが、名人への執念を込めた郷田渾身の勝負手。

 △同金▲85桂と取る手が、▲31角△22歩▲23角成△同玉▲22角成以下の「詰めろ逃れの詰めろ」になるのだ!

 あまりの難解さと郷田の迫力に、さすがの森内もパニックになったが、ここで冷静に△83と引いて耐えていた。

 ▲23角成△同玉▲84金(!)という根性のしがみつきにも、△59角と打つのが冷静だったよう。

 

 

 

 

 と言っても、やはりメチャクチャな駒の配置で理解は不能だが、これで△66竜と取る手や、が入れば△76金で詰む形になり、どうやら決まったようだ。

 角切りを強要して、後手玉が安全になったのも大きい。

 ▲75銀△84飛と取って、▲同銀引不成△76金まで郷田が投了

 「森内俊之十八世名人」が誕生した。

 郷田も強かったが、森内の超人的な落ち着きが印象的なシリーズだった。

 

 2009年の名人戦も、第5局で羽生の横歩取りを完全に封じ、3勝2敗とリードを奪ったときには、

 

 「まあ、郷田は一回は名人になるべき男やもんな」

 

 ひとりごちたものだが、そこから逆転されてしまい、またも悲願ならず。

 

 

 

 図はそのシリーズ第5局

 横歩取りの激しい切り合いから、羽生が△27飛とおろしたところ。

 ふつうは▲28歩しか見えないところで、△25飛成から、じっくりした戦いになりそうだが、次の手が「お見事」という着想だった。

 

 

  

 2筋を受けずに▲23歩と、ここにタラしたのがキビシイ手だった。

 次に▲22歩成△同金▲42角打から詰まされてしまうが、これを受けるうまい手がない。

 △52歩と受けるしかないが、そこで▲75馬飛車取りに逃げられるのがピッタリで先手絶好調。

 △44飛と逃げるしかないが、▲82歩△同銀を一発利かして▲18角が気持ちよすぎるクリーンヒット。

 

 

 

 

 郷田の見事な指しまわしに戦意喪失したのか、羽生はその後、ねばることもできずに土俵の外にたたきだされた。

 ただ、そこから勝つのがこのころの羽生や森内相手だと大変なことで、第6局第7局に敗れた郷田は、あと一歩のところで、またしても名人を獲得ならず。

 このころの森内と羽生は、名人戦で強かったなあ。

 格やその王道的棋風からも「郷田名人」はしっくりくるんだけど、なかなかうまくいかないものである。

 また郷田はA級順位戦で何度か「4勝5敗降級」という目にも合っている。

 深浦康市九段も似たようなことになっているが、彼らが実力とくらべて実績的に歯がゆいのは、こういうハードラックのせいでもあるのだろう。

 

 ☆名人戦(プレーオフ) 2勝0敗

 

 (続く

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郷田真隆はなぜ挑戦者決定戦に弱いのか 竜王戦 編

2024年04月05日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 郷田真隆はなぜ、「ここ一番」という戦いを落としてしまうのか。

 勝負の世界では、勝率は高く、仲間内からもその実力を認められていながら、なぜか思うような結果が出ない人というのがいる。

 豊島将之九段20歳タイトル戦に登場しながら、実際に獲得するまで長い年月を必要とした。

 A級棋士として活躍し、王座のタイトルも取ったことのある斎藤慎太郎八段は、14歳三段になり、三段リーグでも毎年好成績を上げるも、卒業までに4年も費やしてしまった。

 この手の「なぜ?」で昔から引っかかっているのが、郷田真隆九段のそれであり、この人はとにかく、挑戦者決定戦でよく負けている印象がある。

 タイトル6期、優勝7回はこれだけ見ればすばらしい実績だが、郷田ほどの男にしては少ないというか、正直言わせてもらいたいが、全然物足りない数字。

 デビュー初年度から挑戦者決定戦にバンバン進出しまくり、四段王位を獲得など偉業を達成しているなどから、その2、3倍はあってもおかしくないわけで、データベースウィキペディアを見るたびに、誤植を疑ってしまうクセが抜けないのだ。

 そんな郷田は、いったい挑決でどれくらい苦戦しているのか。

 私はデータを集めたりするのが苦手なので、イメージこそあれ具体的な数字はよくわからない。

 ウィキペディアなどにも載っていないので、めんどうではあるが、ここに今回数えてみることにした。

 アバウトな統計なので、間違っているところはあるだろうが、そういうときは鯖にでも当たったと思ってあきらめるのが吉であろう。

 


 ではまず、竜王戦から。

 郷田は意外なことに、竜王戦で挑戦者決定戦まで行ったことは1度しかない。

 しかも2013年の第26期でのことで、四段デビューが1990年だから、ずいぶん経ってのことなのだ。

 このときはNHK杯初優勝するなど好調だったようだが、挑決では森内俊之名人1勝2敗で敗れた。

 それはまあ、勝負だから仕方ないにしろ、この年はこれにくわえて、棋聖戦渡辺明竜王棋王王将に。

 王座戦中村太地六段にも、それぞれ挑決でやられており、これはなかなかにキツイ結果だ。

 年に3回も挑戦者決定戦まで行くのはすごいが、そこで3回とも負けてしまうのはコタエるだろう。

 

 

 

 図は竜王戦挑決、第3局の中盤戦。

 ▲86にいる飛車がスゴイ形で、△85銀とすれば取れそうだが、それには▲同飛△同飛▲64歩とするのが好手。

 

 

 △同角▲65歩と、角取りの先手で飛車の逃げる場所をつぶしてから、△28角成と逃げたところで▲86香と打てば取り返せる。

 かといって、▲64歩△82飛と先逃げしても、▲63歩成で、これもと金ができて先手が優勢だ。

 そこで郷田は△85歩と打って、▲96飛△28角成と押さえこみにかかるが、そこで▲94歩(!)が、また度肝を抜かれる構想。

 △18馬▲93銀と、なんとこっちから強引に突破して、先手が勝つのだった。

 

 

 

 郷田と仲のいい先崎学九段は、たしか王位戦だったかで挑戦権を逃したときに、

 


 「彼は昔から、ここ一番に弱かったですよ」


 

 と言ったそうだが、郷田の不思議なところは、その理由がよくわからないこと。

 勝負弱い人の定番である、メンタルに問題があるとも思えず、「フルえる」ことによって落としたところも、あまり見ないわけで、なんでやねんと首をひねることになるのだ。


 ☆竜王戦挑戦者決定戦 0勝1敗

 

 (続く

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『ベルナールトス嬢曰く』第7巻に出てきた本、何冊読んだ? その4

2024年04月02日 | 

 施川ユウキ『バーナード嬢曰く』が好きである。

 ということで、前回に続いて、

 

 「このマンガに出てきた本を何冊読んだか数えてみよう」


 
 との企画。第7巻の第4回。

 

 


 ★『ご冗談でしょうファインマンさん』R・P・ファインマン(未読)
 

 一時期、理系の本をたくさん読んだときに買って積読
 
 おもしろそうなんだけど、長くて分厚いと、つい後回しに。
 
 ユリゲラーが、自分が曲げたスプーンでコーティングしたベンツに乗ってたって噂は本当なのかな。
 
 


 ★『奇岩城』モーリス・ルブラン(読了
 

 長谷川さんの気持ちは痛いほどわかる。
 
 最初に読んだとき、ホントにホントーに腹がたったもん!
 
 しかも、ドイル先生に怒られてもモーリスの奴ヘラヘラしてんの。

 

 「遊びやのに、コナン君がマジんなってて草」

 

 芸人気取りの大学生か! 陽キャの悪いところ出てるわー。
 
 キライなんだよー。だから今でも、ミスヲタのくせにルパンはほとんど読んでない。
 
 「愛」がないのが最悪なんよ。どついたろか、ホンマ。
 

 


 ★『マーダーポットダイアリー』マーサ・ウェルズ(未読)
 


 「あらゆる本を他人の日記だと思って読むよ!」
 

 「私小説」文化のある日本だと、すんなり入って来る発想。
 
 私が明治大正くらいの日本文学を読まないのは、きっとこの「痛い日記」を読まされる共感性羞恥が耐えられないから。

 太宰とか好きな人は、それがたまらないんだろうけど、ダメだなー。
 
 友達と朗読しながら、バンバンつっこみ入れて、笑いながら観賞すると、すげえ楽しいんだけどね。藤村とか。
 
 


 ★『映画を早送りで観る人たち ファスト映画ネタバレ――コンテンツ消費の現在形』福田豊史(未読)
 
 
 この「早送り」問題。私が若いころもあったよ。VHS倍速にしてドラマ見るとか。
 
 好きでない歌手の曲をカラオケのためだけにCD買っておぼえたり、いつの世も若者は「ついていく」ために努力しているのだ。

 まあ、私は完全に放棄してましたが。おかげで怒涛のマイナー野郎だ。 
 
 


★『虛航船団』筒井康隆(未読)
 
 外国人観光客のマナーの悪さに憤っている人は、ぜひ『農協月へ行く』を読みましょう。
 
 日本人だってそうだった。なかなかなことを、よそさんでしてたんです。コメディだけど、全然笑えない。

 で、少しずつ改善していく。こういうのは「順番」なんですね。
 
 そういや、よく本やマンガや映画の話から


 
 「物語の世界にトリップできるなら、どの作品を選ぶか」


 
 なんてテーマになることがあって『ドラえもん』だ『ハリー・ポッター』だいろいろあるけど、私は筒井の『20000トンの精液』一択。

 「バキ童チャンネル」あたりで、ぜひ大いに語りたいところだ。
 
 


 ★『ぐりとぐら』なかがわりえこ(未読)
 
 有名だけど、どんな話か全然おぼえてない。

 なんか、プレゼントがスベってたから神様を怒らせて、ぐらがぐりを殺して逃げるとか、そんな話だっけ?
 
 
 


 ★『吾輩は猫である』夏目漱石(未読)
 
 
 なぜか、水島新司先生のコミカライズ版で読んだけど、漱石の魅力が、あまりよくわからない。
 
 最初に『こころ』を読まされたせいかな。

 でも坊ちゃんとか、

 

 「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている」

 

 こんなこというヤツが主人公の物語、あんまし読みたくないじゃん。

 

 「オレって~無鉄砲だからさ~、人生で損ばっかしてるわけじゃん?」

 

 「知らんけど」しか答えはないよ!

 ずーっと松山の悪口言ってるし(なぜ松山人は怒らない?)、私の印象では坊っちゃんて、「器の小さい、イタいヤツ」にしか見えんのだよなあ。

 


 ★『タイタンの妖女』カート・ヴォネガット・ジュニア(読了)
 
 
 『ローズウォーターさんあなたに神のお恵みを』を読み終わったときの衝撃は、今でも忘れられない。
 
 『スローターハウス5』など、私に「文学」をつきつけてきた作家。


 
 「わたしを利用してくれてありがとう」


 
 というセリフにもシビれた。
 

 


 ★『5分間リアル脱出ゲームR』(未読)
 
 ミスヲタのくせに、この手の謎は全然解けない。
 
 だって、頭使うのめんどくさいんだもん。
 
  


 ★『漱石と倫敦ミイラ殺人事件』(未読)
 
 
 島田荘司は『奇想天を動かす』がすごいおもしろかったのに、ラストで急にお涙頂戴になって吃驚。

 


 ★『山田風太郎明治小說全集14 一明治十手架(下)』山田風太郎(未読)
 
 山田風太郎は全然読んだことない。
 
 絶対好きという確信はあるんだけど。 

 


 ★『The Book jojo's bizarre adventure 4th another day』乙一(未読)

 乙一さんは一時期よく読んだ。
 
 「せつなさの達人」ってキャチコピー、いまだにマジなのかイジってるのか、よくわからない。

 


 ★『ムーミン谷の仲間たち』トーベ・ヤンソン(未読)
 
 ムーミンは読んだことない。アニメも見たことない。『ドンチャック物語』は見てたけど。


 


 ★『書くことについて』スティーヴン・キング
 
 クリエイターが、どうやって自作を生み出してきたのか知るのは楽しい。

 最近、売れっ子のはずのお笑いコンビが急に解散したりして、おどろくことがあるけど、岡嶋二人おかしな二人 岡嶋二人盛衰記』を読むと、そのあたりのことがちょっと想像できたり。

 あと、ニールサイモンの同様の本のタイトルが『書いては書き直し』って、コワ!

 


(『バーナード嬢曰く』6巻の感想はこちら

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