たったひとつの冴えたやりかた 羽生善治vs渡辺明 2012年 第60期王座戦 その4

2023年08月30日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回の続き。

 渡辺明が、最強羽生善治相手にタイトル戦で3連勝し、

 

 「ついに世代交代」

 

 との印象を強くした2010年初頭の将棋界。

 どっこい、一度はコテンパンにのされたはずの羽生は、しぶとく渡辺の前に立ちふさがり、2012年度の第60期王座戦では挑戦者に名乗りを上げる。

 初戦は渡辺が制したものの、第2局では苦戦の将棋を羽生がひっくり返し、これで1勝1敗タイスコアに。

 続く第3局は、第1局に続いて、後手の渡辺が急戦矢倉の形に組むが、今度は羽生がうまく対応。

 

 

 

 を作って、手厚く指していた羽生が、▲95金と打ったところ。

 攻め合いで行くか、場合によっては▲73馬△81飛▲63馬千日手もなくはないというところで、この催促。

 下手に攻めるより、相手に無理攻めを強要し、あます方が早いと見た指し方だ。

 飛車の逃げる場所がない後手は△87歩▲同金△86飛と飛びこんでいくが、羽生は冷静に受け止め、上部開拓を果たして勝利。

 これで2勝1敗と王座奪還に王手をかけての第4局が、これまた波乱を呼ぶ幕開けとなった。

 先手渡辺の▲76歩に、羽生は2手目△32飛(!)。

 

 

 

 今泉健司五段が考案し、升田幸三賞も獲得した「2手目△32飛戦法」。

 第2局の角交換四間飛車もおどろいたが、こっちはその3倍ビックリ。

 ただでさえ不慣れな戦法を(2008年の第49期王位戦七番勝負の第2局で深浦康市王位を相手に指して敗れているくらい)、この大一番に持ってくるあたり、まったくとんでもない度胸である。

 以下、▲26歩に△42銀(!)、▲25歩、△34歩

 そこで、▲24歩と仕掛ける手も有力だが、それは相手の研究範囲と、渡辺はスルーして天守閣美濃にかまえる。

 ちなみに、▲24歩だと、△同歩、▲同飛△88角成、▲同銀、△33角の大乱戦が一例。

 

 

 

 

 これはこれで見たかったが、こういうとき渡辺は自重することが多く、もしかしたら羽生は、そこまで織りこみ済みだったのかもしれない。

 いきなりの決戦はさけられたが、渡辺必殺の居飛車穴熊を封じたという意味では、飛車を振った甲斐もあるというもの。

 

 

 

 そこからは、対抗形らしいねじり合いが見られて、実に楽しい将棋に。

 次の手が、腕力勝負の熱戦を予想させる手厚い一着。

 

 

 

 △64金打で厚みなら負けませんよ、と。

 第2局に続いての玉頭戦で、こういうのは引いたら負けだからと、双方6筋と7筋に戦力を集中していく。

 

 

 △72飛と回って、後手は全軍躍動だが、先手も飛車角が急所の筋に通って、いつでも反撃が効く形。

 

 

 

 

 ならばと羽生は△33桂から△45桂と、こちら側からも使っていき、双方すべての駒を使った熱戦だ。

 負けじと渡辺も▲64角と切って、△同金▲54飛△同金▲同角成

 後手はそこで△67歩成と成り捨てて▲同歩△57桂不成と、激しい攻め合いに突入。

 そこからのやりとりも、とんでもなく熱いのだが、書いているとキリがないので一気に最終盤まで。

 

 

 

 先手玉は詰まず、△89金と打てば千日手にできそうだが、その瞬間に▲83飛から後手玉は詰まされてしまう。

 後手の受けもむずかしく、最悪寄せ損なっても千日手で、先手からすれば「率のいい」局面に見えたが、次の手が伝説的な一手になるのだった。

 

 

 

 

 

 

 △66銀と、中空にタダ捨てするのが、だれも思いつかないすごい手。

 これが、次に△88角成からの詰みを見せながら、同時に後手玉が△74に逃げたときの▲66桂を消す、

 

 「詰めろのがれの詰めろ」

 

 この土壇場で、とんでもない手が飛んできた。

 読んでなかった渡辺は10分ほどあった残り時間から7分を割いて、懸命に打開策を探すも発見できず、▲66同歩と取るしかなかった。

 この瞬間、やはり▲66桂が消えて、後手玉の一手スキがほどけたため、羽生は勇躍△89金

 

 

 

 ▲78飛と打つしかないが、△88金▲同飛△89金▲78金打△88金▲同金△89金、以下千日手

 負けそうだった将棋を、とっさのひらめきでドローに持ちこんだ、羽生の迫力のすさまじさよ。

 ちなみに△66銀は正確には好手ではなく、ここでは△71金(これもすごい手だ)と捨てるのが最善手。

 

 

 

 ▲同銀不成と詰めろを解除してから、△89金が正確な手順で、こっちならより確実に千日手に持ちこめた。

 △66銀には、伊藤真吾四段指摘の▲78銀上で先手が残していたようだが(イトシンやるぅ!)渡辺自身は△89金▲同銀△77銀不成で負けと読んでいたそうで、

 


 「気がついたら千日手になっていた」


 

 どっちにしても超難解だが、ここは相手の読んでない手で自分のレールに誘いこんだ、羽生の実戦的勝負術にシビれるべきところだろう。

 しかしまあ、△66銀みたいな手、ホンマによう思いつきますわ。すげえッス。

 

 (続く

 

 

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シーシュポスの神話 羽生善治vs渡辺明 2012年 第60期王座戦 その3

2023年08月29日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回の続き。

 渡辺明が、最強羽生善治相手にタイトル戦で3連勝し、

 「ついに世代交代」

 との印象を強くした2010年初頭の将棋界。

 どっこい、一度はコテンパンにのされたはずの羽生は、しぶとく渡辺の前に立ちふさがり、2012年度の第60期王座戦では挑戦者に名乗りを上げる。

 初戦は、相居飛車の難解な戦いを制して、渡辺が先勝

 これには気の早い私など「やっぱりか」と思いこんでしまったが、なかなかどうして、羽生の精神力をナメてはいけないのである。

 第2局はオープニングから波乱だった。

 先手の渡辺が、初手▲76歩と突くと、羽生は△34歩

 なるほど、横歩取りかとおさまりそうなところ、▲26歩に後手は△84歩ではなく△42飛としたのだ。

 

 

 

 まさかの角交換四間飛車で、これは、まったくの予想外。

 もちろん羽生はオールラウンドプレーヤーだから、振り飛車も指しこなすが、それにしたってここで登板とは思いもよらなかった。

 研究家の渡辺相手に、相居飛車の後手番は苦しいとみての変化球だろうが、こういうところが万能型の強みでもある。

 ただ、問題はここからだった。

 角交換型の振り飛車は、穴熊を牽制できるのがメリットのひとつだが、反面、自分から動いて行くのが、むずかしいところもあるのだ。

 双方、常にの打ちこみに気をつけないといけないからだが、この将棋では羽生がその形に足を取られてしまう。

 

 

 

 図は渡辺が、得意の穴熊に組み替えを図ったところ。

 本来なら、その前にゆさぶりをかけたかったが、先手の駒組か巧みでそうは問屋がおろさなかった。

 ここから羽生は苦しい手順を余儀なくされるのだ。

 

 

 

 

 

 △92玉と寄るのが、いばらの道の始まり。
 
 この局面の後手は、自分から仕掛ける手がない。また、敵陣にを打ちこんでを作る筋もない。

 なので、自らも角の打ちこみにそなえ、はなれ駒を作らないよう手待ちをしなければならないが、有効なパスがない状態。

 一方の先手は、その間にゆうゆうと穴熊に組んで、▲46歩▲37桂と構え、好機に▲24歩など仕掛けて行けばいい。

 これには羽生自身、

 


 「やる手がない」

 「△92玉は損で、パスしたいけど、パスがない」

 「全然、角打ちの筋がない。困り果てました」


 


 頭をかかえるしかない。

 後手はなにもできないどころか、角交換振り飛車の切り札である、千日手をねらうこともできないとは、なんとも悲しい展開ではないか。

 

 

 

 後手がなんの策もなく△82玉△92玉を延々とくり返す、屈辱的な「ひとり千日手」が続く間、渡辺は着々と理想形を築き上げ、ついに戦端が開く。

 2筋、1筋、3筋と次々を突き捨て、後手が受けるには△52角という、つらい手を指すしかなく、気分的には先手必勝

 

 「あの羽生が、こんな苦しい将棋を強いられるとは、渡辺が強すぎる!」

 

 感心することしきりで、実際、検討している棋士も皆先手持ちだったが、なんとか逆転のタネをまきたい後手は△95歩と、とにかくを攻める。

 穴熊相手に困ったら、とにもかくにもここを突く。内臓を売ってでも突く。

 この形は、先手が▲96歩と突いてるから、▲95同歩のあと、▲94桂の反撃があるわけだが、そんなことは言ってられない。

 逆に穴熊はここに手をつけられるだけでも、2割くらいテンションが下がるくらいのものだ。

 そこは渡辺は百も承知で、△97歩▲同銀から、しっかりと対応する。

 むかえた、この局面。

 

 

 ここで▲51角と打てば渡辺が優位を持続できたようだが、▲96香と端をサッパリさせにいったのが疑問の構想だったらしい。

 このあたりが薄くなると、後手から△86歩から△75桂という筋で、△43の角を玉頭戦に活用してくるねらいがあり、一気に厚みを増してくるからだ。

 その通り、羽生は△75桂を見せ球にしながら玉頭をうまくさばいてしまい、いつしか逆転模様。

 

 

 

 好機に△84桂と設置したのがうまく、△76桂や、△97歩の嫌がらせがうるさい。

 攻守所を変えてしまった先手は、を打ってねばるが、次からの手順が決め手になった。

 

 

 

 △25歩、▲29飛、△44銀で後手優勢。

 △25歩と、一転こちらに目を向けるのが、視野の広い発想。

 ▲25同桂は、△22飛や、△44銀から△24歩を取りに来る手があるから▲29飛と引くが、やはり△44銀と、ずっと使えなかったが、ついに始動

 ▲94歩△32飛と、これまた遊んでいた飛車まで動き出して、いかにも振り飛車らしい軽やかな活用だ。

 

 

 このあたりの駒さばきは、まったく見事なもので、これで先手が困っている。

 さすが振り飛車のスペシャリストである藤井猛九段も脱帽する「羽生の振り飛車」。

 基本は居飛車ベースのはずなのに、なんでこんな、うまく指せるんでしょうか。

 

 

 最終盤、渡辺も最後の特攻をかけるが、次の手が決め手になった。

 

 

 

 

 

 

 △61金と冷静に引いて、後手玉に寄りはない。

 以下、▲72香成△51金とこっちを取って、攻めは切れている。

 このあたり、羽生の手は震えており、この一番の重みを感じさせられる。

 最後はトン死筋のも見切って、大苦戦の将棋を腕力でものにした羽生が1勝1敗タイに押し戻す。

 

 「これは羽生さんの名局」

 

 との声も多い逆転劇だが、実はその声はまだ早かったことが、この後の展開でわかることになるのである。

 

 (続く

 

 

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死ね、名演奏家、死ね 羽生善治vs渡辺明 2012年 第60期王座戦 その2

2023年08月28日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回の続き。

 「永世七冠」をねらった竜王戦で2度、また無敵を誇ったはずの王座戦でも敗れ、

 

 「渡辺明時代」

 

 をゆるしてしまいそうになった羽生善治だが、逆襲を開始したのが2012年の第60期王座戦であった。

 ここ数年、渡辺に大きな勝負でたたかれ、19連覇(!)していた王座3タテで奪われたとあっては、ガックリきてしまいそうだが、そこを翌年、すぐさま挑戦者に名乗りをあげたのが実にしぶとい。

 昨年度は敗れたとはいえ王座戦は羽生土俵であり、ここで復讐を果たせば「まだ、終わってないぞ」のイメージをアピールできる。

 一方の渡辺も、ここを返り討ちにすればタイトル戦4連勝となり、さすがの羽生もそのダメージはさけられないと、双方、自らの棋士人生もかかった大きな勝負だった。

 第1局は羽生の先手番で相居飛車。

 矢倉模様から、後手の渡辺が急戦風の陣形を敷く。

 むかえた、この局面。

 

 

 


 羽生が一度切った2筋の歩を、再度▲24歩と合わせて、△同歩、▲同飛と飛び出したところ。

 ふつうは△23歩と受けるところで、▲28飛は単なる一手パスだから、▲34飛横歩を取って手を作っていくのだろう。

 △23步、▲34飛に、銀取りを受けて△44角が形だが、▲同飛、△同歩に▲72角の飛車銀両取りが痛打。

 また、△44步と受けるのも、▲24歩、△同歩、▲23歩、△33角、▲同飛成から、やはり▲72角で決まる。

 

 

 飛車を打ちこんでくる手にも、▲59歩▲69歩底歩で受けられるのが気持ちいい。

 陣形の差と、先手は飛車をぶん回して暴れまくれそうということで、後手が指し手に悩むと思われたが、次の手が予想できないものだった。

 

 

 

 

 △95歩と突くのが、強気の対応。

 △23歩と受けても、その後の攻めがきびしそうなのに、その歩も受けないとか大丈夫なの?

 メチャクチャに怖い形で、それこそいきなり▲22飛成から▲72角もありそうだが、羽生はもっと過激に▲42角成

 △96歩と取られて手順に切るなら流れがわかるが、ここで突然というのが、また予測不可能。

 控室でも佐藤康光王将をはじめ、みな目が点になったそうだが、当の羽生は、

 


 「え? でも他に?」


 

 このオトボケが羽生流だが、こういうとき羽生が本当にそう思っているのか、それともケムに巻いているのか、気になるところ。

 羽生は常人と感覚が違うから、本音でも周囲とズレることはあろうし、

 

 「羽生さんは感想戦では正直に語るタイプ」

 

 という声も聴くが、その一方で、これは羽生にかぎらずだが、棋士の多くがポカやウッカリは黙して認めなかったり(周囲も「ウッカリしてた?」とは訊きにくい)、また渡辺自身が言う通り、

 


 「羽生さんはむずかしい局面でも、【ま、こうですよね】とかスルーして、《訊くなよ》オーラを出してるときがある」


 

 といった意見もあって、どっちかはよくわからない。

 まあ、そこは状況を見て使い分けているのであろうけど、なんにしろ、この△95歩▲42角成の2手は、ちょっと思いつかないやりとりで、どちらも、

 

 「並の手では勝てない」

 

 という意識があるのかもしれない。

 ▲42角成△同金上に羽生は▲23歩と攻撃続行。

 以下、△44角に、▲22銀で2筋から強引に突破を図り、この局面。

 

 

 

 


 ▲23歩と打って、先手の攻めがヒットしているように見える。

 2枚桂馬と、▲21との組み合わせで、後手玉はがんじがらめで、渡辺も苦戦を自覚していた。

 ただ後手も、なんとか駒をうまくほぐしていけば、左辺に逃げ出す形も作れそう。

 そうなると、▲21の銀がスムーズな飛車成邪魔になるなど、重い形にできそうだが、その通り渡辺はうまいしのぎを見せる。

 

 

 

 

 

 △33金左と、こちらで取るのが好手。

 ダイレクトに▲22歩成をゆるすので指しにくいが、これで案外攻めが決まらない。

 ここを△21金と取ると、▲同桂成△41玉に、▲96香一歩補充するのが鈴木環那女流二段が発見した好手。

 △同香に▲53歩と挟撃態勢を作られてしまう。

 

 

 

 以下、△97香成▲34飛で、▲72角の筋もあり、これは先手の攻めが切れない。

 そこをならばと△33金左で、▲同桂成同金、▲34飛という強襲には、取れば頭金で詰みだが△82飛と引いて、ピッタリ受かっている。 

 

 

 

 

 どうにもうまくいかず、本譜は▲33同桂成、△同金に▲45銀と押しつぶしにかかるが、これが敗着となった。

 ここは▲22歩成、△41玉、▲32と、△同金を決めてから▲45銀だった。

 あとからだと、▲32と入らない可能性があるからだが、形を決めてしまうのも指しにくく、このあたりは難解すぎるところ。

 一手の余裕を得た渡辺は、そこで△67桂の反撃。

 

 

 


 これが、単にきびしいだけでなく、先手の切り札である飛車切りを牽制し、またそもそも、どう応じるかも悩ましいところ。

 ▲67同銀、△同歩成、▲同金寄△66桂で攻めが続く。

 また、▲67同銀、△同歩成、▲同金上と厚く取るのも、△45銀、▲同歩、△78銀、▲同玉、△87飛成(!)、▲同玉、△69角の筋で詰まされてしまう。

 

 

 

 なので、これには怖くとも▲69玉と逃げるしかなく、またそれはそれで激戦だったようだが、

 


 「△67桂でシビれた」


 

 と言う羽生は、逃げる手を深く読まず(渡辺もまた▲69玉は後手が勝ちと思っていたそう)、▲67同銀と応じ、△45銀に▲66銀とがんばるが、そこで△97歩成として後手勝ちが決まった。

 以下、渡辺は羽生の特攻を、丁寧にめんどう見て先勝

 熱戦だったが、最後はやはり渡辺が抜け出す形で、これだけ見れば、

 

 「やはり渡辺時代か」

 

 との思いも強くなるわけだが、なかなかどうして、ここからの戦いがまた、一筋縄ではいかないのである。

 

 (続く

 

 

 

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なぜ「渡辺明時代」が来なかったのか 羽生善治vs渡辺明 2012年 第60期王座戦

2023年08月27日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 王座戦がいよいよ開幕する。

 前人未到の「八冠王」を目指す藤井聡太竜王名人王位叡王棋王王将棋聖(すげー)が、最後に残った王座のタイトルを取りに5番勝負へと上がってきた。

 挑戦者決定トーナメントでは、村田顕弘六段や挑戦者決定戦の豊島将之九段戦など、負けてしまってもおかしくない綱渡りもあったが、終わってしまえばしっかりと結果を出すのだから、さすがとしか言いようがない。

 ここまでくれば、もうどうあがいたって世間は「八冠王」を期待するわけで、永瀬拓矢王座も相当やりにいことであろうが、どうなるのだろうか。

 というわけで、今回からはそんな王座戦にまつわるエトセトラ。

 個人的にもっとも盛り上がった王座戦と言えば、羽生善治王座中村太地七段が戦った2013年第61期王座戦五番勝負だけど、将棋史的に重要なのはその前年のシリーズかもしれない。

 

 


 

 2012年の第60期王座戦は、渡辺明王座竜王羽生善治王位棋聖が挑んだ。

 将棋の世界には、その時代ごとの「覇者」というのが厳然と存在して、戦前なら「常勝将軍」こと木村義雄十四世名人

 長く無敵の存在として君臨し、69歳で死去するまでA級を張り続けた「大巨人」大山康晴十五世名人

 名人15期の「若き太陽」中原誠十六世名人に、21歳で名人になり将棋界に「フィーバー」を起こした谷川浩司九段

 平成の世はもちろん、羽生善治九段

 「タイトル99期」「永世七冠」をはじめ、その偉業は数え上げたらきりがなく、そのあとは藤井聡太七冠がそれを塗り替えられるか挑んでいく。

 なんてズラズラっと並べていくと、少し気になるのが渡辺明の存在だ。

 渡辺は2000年に「中学生棋士」としてデビューしてこのかた、ずっと「羽生世代」を倒しての「渡辺時代」を期待されていた。

 四段になって数年こそ、そこそこの成績だったが、2003年王座戦の挑戦者になり殻を破ると、2004年20歳竜王を獲得。

 その後は竜王こそ9連覇するも次のタイトルがなかなか取れず大爆発がなかったが、2008年の「永世竜王シリーズでは、羽生の永世七冠を3連敗からの4連勝という劇的な内容で阻止して存在をアピール。

 これが自信になったか、渡辺は羽生に対して竜王戦の4連勝なども足せば、6連勝をふくむ15勝5敗と、トリプルスコアで勝ち越していた時期もあった。

 さらに2年後に羽生が、ふたたび「永世七冠」を目指して挑戦者になったときも返り討ちにし、その勢いに乗って2011年の第59期王座戦では、またも羽生を下して二冠を獲得。

 これは3タテというスコアに加えて、羽生の王座連覇19(!)でストップさせた意味でも、大きなインパクトを残した結果となった。

 

 

 

2011年、第59期王座戦。渡辺の2連勝でむかえた第3局は、横歩取りから熱戦に。
図の▲35金は詰めろではなく、渡辺も自信はなかったらしいが、△78金に▲87竜から受けに回ったのが冷静で、羽生の20連覇を阻止。

 

 

 

 となれば、もうこれは「渡辺時代」待ったなしであり、このときは、

 

 「純粋な棋力だけなら、もはや渡辺の方が上」

 

 とまで言われたものだが、ではその後、将棋界はどうなったか。

 それこそ今、渡辺自身が藤井聡太から喰らわされたように、羽生からどんどんタイトルをはぎ取り、三冠四冠とのし上がっていったのかといえば、それがそうはならなかったのが不思議なところ。

 数字だけ見れば、渡辺が羽生を完全に「カモ」にしている結果であり、

 

 大山康晴vs升田幸三

 中原誠vs大山康晴

 羽生善治vs谷川浩司

 

 今では藤井聡太に渡辺明、豊島将之永瀬拓矢がボコられているよう、一度「格付け」が決まってしまうと、追い抜かれた方がなかなか勝てなくなるという、典型的なパターンに見えた。

 ところが、そこでゆずらなかったのが羽生の底力を見せたところ。

 一度は抜かれても、その後に差をつけさせないどころか、下手すると抜き返したりして、その強さがすさまじいと感じ入ったものだ。

 将棋の世界では、世代に奪われたタイトルを取り返すのは、至難と言われていたからだ。

 その後、将棋界は平成の間ずっとそうであったよう「羽生世代」に谷川浩司渡辺、あとは久保利明深浦康市三浦弘行木村一基がからむという安定期が相変わらず続くことになり、

 

 「流れ的には、もうちょっと渡辺が王者っぽくなっても、おかしくないのになあ」

 

 という感じでもあったのだ。

 いやもちろん、タイトル獲得31期に棋戦優勝11回三冠王名人獲得と文句なしの大棋士ではあるのだが、平成における羽生善治や今の藤井聡太のような、ちょっとシャレになってない「独裁」感までは、まだ行ってないというか。

 ともかくも、そんな、あったかもしれない「渡辺時代」にストップをかけたのが羽生の圧倒的な精神力で、失冠の翌年になる2012年、第60期王座戦五番勝負にまたも登場。

 このシリーズの結果が、この後「渡辺一強時代」をなかなか作らせなかった、大きな原因となったのである。


 (続く

 

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「硬式野球部」とか「ロック」とかが醸し出す謎の「格上」感について

2023年08月24日 | 音楽

 変わった趣味の人を見ると話を聞きたくなるのは、自分が将棋ファンだからだろう。

 ということで、前回ここで

 

 「数値などに出る《タテの評価》ならわかるけど、《ヨコの価値観》に優劣をつけようとする発想が、あまり意味がない

 

 という話をした。

 要するに「100メートルを何秒で走るか」「テストで何点取れたか」は一応(これもあくまで「一応」だけどね)優劣はつけられるが、

 

 「軟式テニスと硬式テニス」

 「アニメ映画と実写映画」

 「カポエイラと殺人空手」

 

 といったような「横並び」のものに、どっちが上とか下とか言っても、たいした意味もないし、そこで生まれる「マウントの取り合い」にも興味ないわけだ。

 なんてことを考えた、きっかけのひとつに、高校時代の思い出がある。

 今はどうか知らないけど、私が10代のころはスポーツと言えば圧倒的に野球がメジャーであった。

 たとえばサッカーが今のように普及するのは1998年ワールドカップからで、それ以前は国民的スポーツと言えばもうこれがプロ野球高校野球が圧倒的だったのである。

 そのせいか、わが母校である大阪府立S高校でも、野球部が妙にイバッていた。

 なんであんな、他の運動部より「格上」感出してたんだろうか今でも謎だが、なーんとなく「ウチらは花形クラブ」って空気感で校内を闊歩していた。

 そもそも野球に興味ない生徒にとっては、そんなもん「ゴージャス松野の今」くらい興味ない。

 加えてウチの世代のチームはなんと、公式戦で1勝もできないまま引退してたのに、それでも自信満々で本当に不思議だったのだ。

 まあ、S校は校風的に超ゆるかったから暴力的だったとか、そんな嫌な思いをしたわけでもないけど、

 

 「根拠がよくわからない」

 

 というところが、個人的な引っ掛かりではあったのだ。 

 私の感覚では野球部もテニス部も、茶道部も文芸部も同じクラブ活動にすぎないからだ。

 翻訳家で、ポールオースタースティーブンミルハウザーの名訳でも知られる柴田元幸先生は、あるエッセイでこんなことを書いている。

 


 一九六〇年代なかばのベトナムが舞台のアメリカ映画『グッドモーニング・ベトナム』では、ポルカとロックンロールが対照的に描かれている。

 ポルカは、上官が「正しい娯楽」として押しつける、圧倒的に退屈な音楽。

 ロックンロールは、上官がマユをひそめる、兵士たちに圧倒的に人気のある音楽。

 ロビン・ウィリアムズ演じる人気DJが米国放送でロックンロールをかけまくり、兵士たちは大いに盛り上がる。

 そりゃ確かに、歴史的に見ても、当時ポルカという音楽が、新しいエネルギーや創造性をみなぎらせていたとは思わない。

 明らかにロックンロールの方が、時代の息づかいを敏感に捉えた音楽であっただろう。

 でも、自分の正しさを大声で言うのはみっともないことである。ロックをそういう独善のなかに持ち込んでほしくない。

 

   ―――柴田元幸「がんばれポルカ」


 


 古いロックを愛する柴田先生だからこそ、あえて言いたくなったのだろう。

 私もあの映画におけるロビンの「独善」にはウンザリしたクチ。

 彼はきっと将来、若者にロックを「正しい娯楽」として押しつけるに違いない。あー、イヤだ、イヤだ。
 
 別に音楽に優劣なんてない。でもなんか、時にまるでロック(人によってはクラシックだったりジャズだったりそれぞれ)が「すぐれた音楽」であるかのようなアピールをする人がいる。

 音楽にはくわしくないけど、それこそロックがそういう態度を取るのは「ロックじゃねーな」という気分にはさせられる。

 実際『20世紀少年』をはじめ「ロック世代」の描く

 

 「ロックは世界を救う」

 

 みたいな作品には一様にロビンと同じ、そういう欺瞞がかくされている気がするぞ。

 ポルカもロックも、クラシックジャズアニソンも、アイドルソング演歌歌謡曲もすべてヨコに等価である。

 そこあるのは、ただ「好き」という感情だけだ。

 でもそれを、そのときたまたま「権力」があるからといって振り回すような者がいれば、そういう人とはあまり友達になりたくないものである。

 


 ★おまけ

 (ゆかいな「不発弾マニア」についてはこちら

 (「スイッチマニア」の友人についてはこちらからどうぞ)

 

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「最強」と呼ばれた男 高橋道雄vs鈴木大介 2007年 第65期B級1組順位戦

2023年08月21日 | 将棋・名局

 「高橋道雄が最強なのでは」

 

 という説が、かつての将棋界ではまことしやかに、ささやかれたものだ。

 私が将棋をおぼえたのは、ちょうど「羽生善治四段」がデビューしたころで、当時の将棋界では「群雄割拠」という言葉がよく聞かれた。

 中原誠米長邦雄2強時代に、21歳名人になった谷川浩司が新世代代表として割って入るも、まだ絶対王者というほどではなく、その間に「花の55年組」が華々しい活躍を見せる。

 タイトルホルダーを見ても、

 

 中原誠名人・王座

 米長邦雄十段

 桐山清澄棋聖

 谷川浩司棋王

 高橋道雄王位

 中村修王将

 

 バラバラで、しかもすぐ福崎文吾が米長から十段をうばい、南芳一が桐山から棋聖を、塚田泰明が中原から王座を奪取するなど、なんとも目まぐるしい話。

 2018年豊島将之九段棋聖を獲得したとき話題になったような、

 

 「七大タイトルを7人が分け合う」

 

 という状況になったのも、たしかこのころである。

 ちなみに2018年は、

 

 羽生善治竜王

 佐藤天彦名人

 高見泰地叡王

 菅井竜也王位

 中村太地王座

 渡辺明棋王

 久保利明王将

 豊島将之棋聖

 

 という面々でタイトルをひとつづつ分け合って(このときは「叡王」があるから八大タイトル)「戦国時代突入」と騒がれたものだが、たった5、6年で今はこれが一人に集中してしまっているのだから、おそろしいものである。

 そういった「だれが一番強い」と訊かれると百人百様の意見があった昭和も終わるころ、あれこれ議論していると、結局たどり着きがちだったのが冒頭のそれだ。

 

 「一番強いのは高橋

 

 名人のタイトルを取った中原や谷川を押しのけて、そんな評価を得ていたのは、それはもう高橋将棋の腰の重さゆえのこと。

 神にあたえられた才能という点では、谷川浩司の方が上かもしれないが(なんたってキャッチフレーズが「地道高道」だ)、高橋の勝ちっぷりは、それを押さえつけるだけの独特の重厚感があった。

 中でも谷川浩司から棋王をうばって二冠を達成したときや、十段戦で福崎文吾に4タテを食らわせたシリーズなどバケモノめいた強さで、なにやら歩兵が戦車に、なすすべもなく踏みつぶされていく様を見せられているようだった。

 そんな高橋将棋の特長が、もっとも出ていると感じるのがこの将棋。

 

 2007年、第65期B級1組順位戦

 高橋道雄九段鈴木大介八段と対戦。

 この一戦は鈴木が勝てばA級復帰が決まるという大一番だったが、ここで高橋は持ち味を十二分に出しまくった将棋を披露するのだ。

 後手番鈴木のゴキゲン中飛車に、高橋は急戦で対応。

 図は△75角成と後手がを作ったところ。

 

 

 


 持駒の飛車が大きいが、玉頭がやや薄く、でねらわれており気持ち悪いところ。

 なにかうまく自陣の整備ができればいいが、ここからの指しまわしが全盛期の高橋道雄を思わせるものだった。

 

 

 

 

 ▲66金としっかり打ちつけるのが、「地道高道」と呼ばれた力強い受け。

 △31馬と逃げたところで、▲56金右を払う。

 

 

 

 

 この2枚金の結束が手厚いうえに、とんでもなく固い

 中央の厚みがすばらしく、これで後手からせまる手が、まったくないのだ。

 鈴木大介は△51角と引いて転換を目指すが、▲68金と締まって、△64歩にじっと▲75歩と打つのがまた落ち着いた一手。

 

 

 

 

 後手も△41銀、△52銀△63銀と自陣を補強するが、先手も▲76金▲66歩▲57金▲67金寄として、こっちのほうが明らかに強靭になっている。

 

 

 

 

 後手は△31が動けないため、先手陣にせまる手がないのだが、その間に高橋は悠々との要塞を築き上げる。

 有効手のない後手は△32馬とするが、ここで満を持して▲35歩と仕掛け、△同歩▲45歩△同歩▲同桂とさばいて全軍躍動の理想形。

 

 

 

 先手は無敵の陣形に加えて、すべての駒がきれいにさばけ飛車も手持ちで気分はもう必勝であろう。

 その後も攻めるだけ攻めて、最後に▲69歩と「金底岩より固し」な手でとどめ。

 

 

 

 ただでさえ難攻不落な「玉落ち」の形なのに底歩まで投入。

 これぞ激辛流というか、負けない将棋というか友達をなくす手というか、鈴木大介からすればさぞ、

 

 「オレに恨みでもあるんか(泣)」

 

 と言いたかったことだろう。

 見れば見るほど血も涙もない陣形の差であり、A級昇級をこんな将棋でつぶされたら、やってられませんわな。

 

 


  (高橋道雄が名人にあと一歩までせまった戦いはこちら

  (その他の将棋記事はこちらからどうぞ)

 

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マイナー趣味と「タテ」と「ヨコ」の評価軸について

2023年08月18日 | オタク・サブカル

 変わった趣味の人を見ると話を聞きたくなるのは、自分が将棋ファンだからだろう。

 ということで、前回ここで

 

 「他人のマニアックな趣味を《》だと感じるのは、その奥深さを理解する《知性》が足りないだけという可能性は充分

 

 という話をしたが、私はそもそも「タテの評価」ならわかるが「ヨコの価値観」に優劣をつけようとする発想が、あまり意味ないなーと感じる。

 「タテの評価」というのは、そのもの数字勝敗で勘定できるもの。

 スポーツの勝敗とか営業マンの売上数とか科挙とか、そういう

 

 「同じルールで戦って優劣を評価できるもの」

 

 これはわかりやすい。数学テストで「100点」の人と「85点」の人がいれば、前者の方が「優秀」という根拠はそれなりにあるだろう。

 スポーツなら「優勝回数」とか「勝率」「勝ち点」など、なんなり差をつけるものに事欠かない。

 もちろんこれだって絶対ではないわけだが、一応の参考にはなるデータであり、そこを「優劣をつけるな」みたいな、一部の教育者みたいなことを言うつもりはない。

 一方、「ヨコの価値観」とは、そういった「絶対性」がないもの。

 テレビなどでよくある「野球サッカー」とか、

 

 「将棋持ち駒が使えるからチェスよりすぐれたゲームだ」

 

 みたいな考え方とか、そういうのでどっちが上とか下とか、死ぬほどどうでもいいのだ。

 だって、それを決める基準値なんて「好き嫌い」しかないしなあ。

 というと、

 

 「野球はサッカーより稼いでいる

 「いやいやサッカーは世界でやってるけど、野球は一部の地域でしか盛んじゃない」

 

 とか言いあったりするけど、それもなんだかなあ。

 そんなもん時代地域によって全然変わるわけで、ほとんど意味のない比較なんである。

 そもそも「ビッグマネーが動く」「競技人口が多い」とか、「そのスポーツの価値」とはまた別だ。

 それはそれで大事だけど、「野球の魅力」「サッカーの魅力」の一部にすぎないというか「おまけ」みたいなもんだし。

 それらすべて

 

 「オレは野球よりサッカーが(サッカーより野球が)好き」

 

 でいいのであって、それはのみならず、テニス卓球剣道クリケットポートボールも。

 いやさスポーツだけじゃなく将棋も囲碁アニメプロレスアイドルお笑いもすべて同じ。

 もちろん、「M-1グランプリ」のように、

 

 「好き嫌いにルールや基準を作って勝負する」

 

 という発想はアリで、それはやったらおもしろいわけだが、そういったものがないもので上下関係とか、阿呆らしいことこのうえないのだ。

 なんかねー、昔テレビで

 

 「世の男はみんな、全員大したことない。戦場カメラマンなんか、死の危険の中で仕事してるのに、あなたたちは何か命を懸けるようなことをしてるのか」

 

 みたいなことを言ってた女性タレントとかいて、別に命かけてようが、平和な日本に居ようが、

 

 「自分の仕事に誇りをもって、あるいはつらくても、自分や家族のために一所懸命働いている人」

 

 ていうのは全員が「等しく」立派なんでねーの?

 とか思う私はどうしても、こういう「勝手なルールで優劣をつける」物言いをトホホに感じてしまうのだ。

 そんなの、マダガスカルかどっかに特設リングでも作って、好きにやっててよ。 

 

 (続く

 

 

 ★おまけ

 (大槻ケンヂさんの語る「穴埋めマニア&ゴム草履マニア」の話はこちら

 (オーケンによる「昆布ふんどしマニア」についてはこちらからどうぞ)

 

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入玉模様でつかまえて 行方尚史vs佐藤康光 2001年 棋聖戦

2023年08月15日 | 将棋・名局

 入玉形の寄せ方はむずかしい。

 

 「中段玉寄せにくし」

 「玉は下段に落とせ」

 

 という格言があるように、上部脱出をもくろむ敵玉というのは、捕まえるのに苦労するもの。

 われわれのような素人だと、駒落ち指導対局で寄せをぐずっているうちにヌルヌル逃げられてくやしい思いをすることが多いだろうが、今回はそんなに憎き中段玉の仕留め方を紹介したい。

 入玉ハンター役は、前回中原誠永世十段にまんまと入られてしまったあの男に務めてもらおう。

 

 2001年の棋聖戦。

 佐藤康光九段行方尚史六段の一戦。

 角換わり腰掛け銀から先手の行方が先行し、佐藤は受けながら手に乗って上部脱出を目指す。

 むかえたこの局面。

 

 

 


 二枚飛車の追及をのらくらとかわして、後手は安全地帯に逃げこんでいる。

 △37と金がメチャクチャに強力な駒なうえに、△47にももう一枚できそうで、とても寄せられるようには見えない。

 実際、佐藤康光もここでは入玉確定と見て、「この玉は寄らない」と安心していた。たしかに、攻めのとっかかりすらなく、トライを阻止できるようには思えない。

 だが、行方の卓越した終盤力は、そのムチャぶりを見事にクリアしてしまうのである。

 

 

 

 

 

 まず▲38歩と打つのが、寄せのテクニック第一弾。

 この局面でイバっているのは△37と金だが、それを前に引きずりだして守備力を弱めようという手筋だ。

 と金など成駒は、「53のと金に負けなし」というように、できるだけ後ろにいる方が働くものなのだ。

 ただ、先手も歩切れになるし、本譜の△同と、と取られても継続手が見えないが(歩があれば▲39歩とさらに追及できる)、行方はそこであわてず▲21竜桂馬を補充。

 △47歩成でますます後手の大行進が止まらなさそうだが、そこで▲39桂がこれまた手筋の一手。

 

 

 

 

 △58と、なら▲47金▲27金で押し返して先手が勝つ。

 後手は△同と、と取るが、これでと金の守備力がガタ落ちし、さらには▲28に駒を打ってブロックする形も見えてきた。

 行方はさらに▲48銀と、もう一枚のと金にアタックをかける。

 

 

 

 

 すごい形だが、先手は敵陣に2枚のがスタンバっているから、とにかく入られるのを阻止さえできれば、どれだけ犠牲を払っても勝てるのだ。

 逆に言えば、佐藤康光はここまでくれば死に物狂いでトライするよりなく、△48と、は▲同金△58と、は▲37金で寄せられるから△46銀打と頑強に対抗。

 行方は一転、▲33竜と落ち着いて、ふたたびを補充。

 △58と、に▲28桂と王手し、△27玉▲39銀と取って上部を押さえる。

 

 

 

 

 △38歩と圧をかけたところで、▲24竜と取って行方の構想が見えてきた。

 △同銀▲17金で詰みだから、△37玉とよろけてこの局面。

 

 

 


 次に△39歩成とボロっと取られては、今度こそ入玉確定だから、この瞬間に仕留めないと先手負け。

 なので、ここでいい手を披露しないといけないのだが、そこが入玉形のおそろしさで、駒がゴチャゴチャして、効きがわかりにくいため手が見えにくい。

 プロですら「目がチカチカする」とボヤきそうな場面だが、行方尚史はすべて読み切っていたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 ▲26竜と捨てるのが、さすがの切れ味。

 △47玉と逃げるのは▲35竜引と取って、△同銀▲37金

 

 

 

 △同金▲36銀からピッタリ詰み。

 

 

 △同玉しかないが、そこで▲38銀を取って、これで後手は完全に押し戻された形。

 

 

 後手も△27金とへばりつくが、▲25金△同玉▲27銀という「送りの手筋」のような形で寄り。

 まさに作ったような妙手で、さすが詰将棋の名手である行方尚史。

 あんな場所から追い落とされた佐藤康光も、これには呆然としたのではないだろうか。

 


 (豊島将之による入玉阻止の名手順はこちら

 (その他の将棋記事はこちらからどうぞ)

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夏休みアガペー日記 モーツァルト ルイ・マル 山田五郎 おおうちそのよ 登場

2023年08月12日 | 日記

 8月。ある夏休みの日記。

 朝10時起床。
 
 シャワーを浴びて、とりあえず野菜ジュースとインスタントのコーヒー

 なにげなくTVをつけると、NHKに「猛暑日」「熱中症注意」という赤文字の注意喚起が出ていていたんだけど、その同じ画面で高校野球を放送してるとか、なんのブラックジョークかとしばし黙想。
  
 朝食に紅茶、バナナ豆乳シリアル米粉パン。食べながら「OLか」とひとりでつっこむ。 
 
 食事中には優雅に音楽モーツァルトアラビア風にアレンジした『モーツァルト・イン・エジプト』。
 
 正直アラビアが強くてアマデウス感は少な目。でも企画はおもしろい。

 午前中はDVDを観る。『地下鉄のザジ』。
 
 ルイマルのスラップスティックで、パリを舞台に前半は『ウルトラマン』の「無限へのパスポート」で、後半はドリフという内容。最高
 
 なんとなくエアコンの掃除をして、昼食。エジプトつながりでコシャリを作る。

 見よう見まねだが、バターライスマカロニをぶつ切りしたものと空豆(本場ではレンズ豆)を乗せ、トマトソースをかけ、あとはテキトーに塩コショウとで味付け。
 
 エジプトソウルフードで、関西人も吃驚な炭水化物おばけ。
 
 かの地を旅したときは、50円くらいでお腹いっぱいになって、貧乏バックパッカーにはありがたかった。嗚呼、また行きたいぜ。

 食後は少し昼寝。午後からはコーヒーを飲みながら、ひたすら読書
 
 ロバートマキャモン少年時代』。ムチャクチャ分厚い「弁当箱」本だけど、ムチャクチャおもしろくてドンドン読む。
 
 ノスタルジーSFファンタジーのうまみが上手くミックスされ感動。映画版『スタンドバイミー』やレイブラッドベリが好きな方は絶対楽しめます。

 気がつけば夕方。散歩がてら、近所のスーパーへ。夏休みのせいか、若夫婦が多く、独身貴族の私はちょっとうらやましい気分になったり。
 
 とはいっても、私は若いころから結婚願望というものがまったくない男で、
 
 「結婚いいかも」
 
 とか感じた時間て、のべで40分くらいだと思う。
   
 夕食。ご飯を炊いて豚キムチを作って、インスタントの卵スープ。汗を大量にかきながらハフハフ食う。
 
 食後は銭湯に出かける。サウナ、水風呂、薬草湯などをローテーションして大いにリラックス。
 
 すっかり仕上がって、夏の夜空に「サッパリしてやったぜ! ざまあみろ!」と意味不明な雄たけびをあげ帰宅。「月がとっても青いから~♪」とか歌ってみたり。
 
 帰ってお茶しながら、YouTubeやラジオなど。

 山田五郎さんの美術ものとか、シベリア鉄道の動画とか、『ドルアーガの塔』のゲーム実況とか。
 
 フランス語の勉強動画なども見るついでにスペイン語とかイタリア語講座も観ていると、うーん仏語より、こっちやったかとか思ったり。
 
 だって、発音が明らかに簡単というか日本人向きなんだもん。
 
 フランス語はおもしろいけど、スペルの読み方とかがなかなか慣れないのだ。

 「une」「heure」とか、メチャメチャ雰囲気で発音してるよ。「ユヌ」「ウーレ」でいいの?
 
 その点スペイン語とかイタリア語は、ホント「日本語読み」でいいんだから楽だ。「日本語英語」のノリでいい。スペルもローマ字読みだしね。 

 寝る前に少し読書。おおうちそのよさんの『歩くはやさで旅したい』。
 
 タイトルがステキすぎるが、中身もグッドで、やわらかいタッチの絵柄が癒される。

 

 

 
 私はごく自然に旅をして、それでいて妙に人を惹きつける魅力を持った人のことを

 「ステキさん
 
 と呼んでいるが、

 「要するにそれって、おおうちさんのことだよなあ」

 とか思いながら眠りに落ちる。

 

 

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一号線を北上せよ 中原誠vs行方尚史 2003年 王位戦

2023年08月09日 | 将棋・名局

 入玉模様の将棋は得意か不得意が、わかれるものである。

 この話題となればやはり、はずせないのがこの人。中原誠十六世名人

 特に名人戦では、入玉に苦手意識を持つ谷川浩司九段を、独特の上部脱出戦術で苦しめるなど、その感覚は際立っていた。

 前回は佐藤康光九段が見せた「5点攻めを見ていただいたが、今回は中原流入玉術の最高傑作ともいえる将棋を紹介したい。


 
 2003年王位戦

 中原誠永世十段行方尚史六段の一戦。

 中原先手で相掛かり。双方玉を固め合って、この局面。

 

 

 

 堂々たる堅陣で「自然流」と「居飛車本格派」の若手らしい格調高い駒組だが、ここからの中原がすごいのだ。

 ふつうの感覚ではありえない、中原「不自然流」の一手とは。

 

 

 

 

 

 ▲97玉と上がるのが、「入玉の中原」の本領を発揮した驚愕の一着。

 金銀の連結が美しく、惚れ惚れするような理想形を築きながら、それを自らご破算にする玉あがり。

 なんじゃこりゃ、こんな手見たことないよ。

 だが、おかしなようで、これが存外にとがめる手がないらしく、行方は△45歩とやはり格調高く陣形を整備するが、▲86歩と突いてここから圧迫していく。

 以下、着々と上部を厚くして、今度は▲95歩とここから手をつける。

 

 

 

 後手から△95歩と端攻めするならわかるが、こちらからこじ開けていく発想がすごい。

 △同歩▲94歩とたらして、△同香なら▲61角で決まる。

 このままでは押さえこみ必至と後手は△84歩からもがくが、ゆうゆう▲95香と取って、△85歩▲同銀

 △56歩も筋の良い攻めだが、▲84歩と押さえられて上部を制圧完了

 

 

 以下、△39角▲38飛△57角成と食いつくも、あっさり▲同金△同歩成▲76銀と軽くかわして、それ以上の攻めはない。

 そこからは▲83歩成▲93歩成と、どんどん成駒を作って、先手陣は盤石。

 投了図では見事な銀冠の「姿焼き」が完成している。

 

 

 『将棋世界』のインタビュー形式の連載「我が棋士人生」で紹介されていた将棋だが、中原は最初から入玉をねらっていたようで、

 

 「行方君にも、こういう将棋を見せておかないとね」

 

 といったようなことを語って、楽しそうに笑っておられた。

 最初の図を見れば、こんなもんどう見ても

 「居飛車本格派のがっぷり四つ」

 としか思えないが、まさかそこから、こんな将棋になるとは思いもつかない。

 対戦していた行方も、さぞおどろいたことだろう。

 将棋の勝ち方には、色々あるものであるなあ。

 

 


 (中原が名人戦で谷川浩司に見せた入玉術はこちらこちら

 (その他の将棋記事はこちらからどうぞ)

 

 

 

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マイナー趣味に興味を持つのは将棋ファンだから

2023年08月06日 | オタク・サブカル

 変わった趣味の人を見ると話を聞きたくなるのは、自分が将棋ファンだからだろう。

 趣味というのは人さまざまで、「スポーツ観戦」とか「オシャレ」とか「ゲーム」「食べ歩き」などは一般に市民権を得ていて、どうということもない。

 ちょっと変わって「バードウォッチング」「プラモ作り」「コスプレ」「インド映画」とかでも、多少マニアックとはいえ普通に許容範囲であろう。

 だがこれが

 

 エントロピーの研究」

 「自作パソコンの電源スイッチを愛でる

 「内臓手術の動画鑑賞」

 「アイドルのライブに行ってアイドルでなく、そのファン生態だけ楽しむ」

 

 などと聞くと、さすがに「なんで?」の声が抑えられない。

 ちなみに、上記の「なんで?」は実際に私の友人が趣味でやっていることだが、大学の最初の授業で声をかけてのやりとりが、

 

 「なんか趣味とかある?」

 「エントロピーについて考察することかな」

 

 というものだったのは今でも記憶に新しく、まったくシビれるような我が青春である。悔いだらけかもしれない。

 そんな「なんで?」な趣味になぜ引っかかるかといえば、それは自分の趣味に「テニス」「旅行」といった分かりやすいもの以外で「将棋」というのがあるからだろう。

 将棋というのは、藤井聡太七冠のおかげで今でこそブームになっているが、基本的には地味なものである。

 私自身、そのことでバカにされたり、イジられたりしたことはないというか、そもそも「イジるほどの関心すら払われないほどだったが、それでもいつも不思議に思ったものだ。

 

 「将棋って、こんなにおもしろくて奥が深いのに、なかなか興味持ってくれへんなー」

 

 好きな人ならわかっていただけるだろう、将棋はメチャクチャにおもしろいゲームである。

 自分が指すのはもちろんのこと、プロ棋士の見せる序盤戦術の進化や中盤での大局観終盤で詰むや詰まざるやのドキドキや、ドラマチックな逆転劇(王座戦の挑決は激おもしろかったネ!)。

 それ以外にも江戸時代から続く歴史や、個性的な棋士のエピソード。棋士は文章のうまい人も多いから本もおもしろいし、詰将棋のクリエイティビティなども震えるような感動を味わうこともある。

 ということはだ、もまたなりではないか。

 世の中には、結構変わった趣味の持ち主というのがいる。

 「石拾い」とか「空き缶集め」とか「果物のタネ飛ばし」なんていう、私でも正直「なんで?」な人というのが。

 でもそれを、そこで斬り捨ててしまうのが、少々はばかられるのだ。

 私は「将棋奥深さ」を知っている将棋ファンだ。

 だから、たまたまみんな知らなかったり「地味」という偏見があるせいで、それを知ってくれれば、今まで将棋に感心がなかった人の何パーセントかは理解してくれるという自信がある。

 だとしたら、他の趣味もそうではないか。

 私は鉄道に興味はないが、この世界は多少メジャーなこともあって情報も多い。

 そういったを読んだりを聞いたりしていると、自分はそうでもなくても、

 「これにハマる人はおるやろな」

 ということは理解できる。

 それと同じで、それがたとえ「ゴミあさり」や「めぐり」だったとしても、こちらがそれを理解できないのは「くだらないから」「地味だから」ではなく、

 

 「単にこちらに感心がなく、そのジャンルを楽しむ知性にとぼしいから」

 

 という解釈だってなりたつわけであるというか、実際そうだと思うのだ。

 もちろん、話を聞いてもチンプンカンプンなこともあるが、

 

 「わかんねー」

 「なにが、おもろいねん」

 

 と捨ててしまいがちなところから、思わぬ「知性」が得られるチャンスがあるのだから、これを逃すのも、もったいない気もするのだ。

 実際、村崎百郎さんのゴミ漁りの話なんか、結構マジにすごいというか、その深度に感動しちゃうんで、よかったら著作を読んでみてください。

 

 (続く

 

 ★おまけ

 (大槻ケンヂさんが解説する「パイプマニア」がおもしろい)

 (オーケンによるマニアックな性の目覚めはこちらからどうぞ)

 

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振り飛車の左金活用マニュアル 大山康晴vs中原誠 1971年 第12期王位戦

2023年08月04日 | 将棋・名局

 「こういう将棋は、左側の金が遊んでしまいがちなんですよね」

 

 というのは中飛車の将棋を観戦していて、よく聞くセリフである。

 ふつうの振り飛車は玉を美濃に囲った後、▲69▲58に上がって、次に▲47金高美濃に組むのがセオリー。

 ところが、中飛車は飛車を中央の▲58に置くから▲58金左とできず、また▲56にくり出すのが理想形になるところから、6筋7筋が弱く、それをカバーするためにも▲78金とこっちに使うことが多いのだ。

 

 

 このの使い方が、なかなかに悩ましい。

 戦いになったとき遊び駒になりやすく、負けるときは置いてけぼりになったり、下手すると質駒になって、いいときに取られてしまうと最悪なのである。

 

2022年第12期リコー杯女流王座戦五番勝負の第2局。

里見香奈女流王座と加藤桃子女流三段の一戦。

すでに加藤の必勝形で、里見陣の3筋に取り残された金銀が哀しい。

 

 

 なので、振り飛車のうまい人はこの左金の活用がうまいことが多いのだが、その代表といえばやはり大山康晴十五世名人

 1971年の第12期王位戦

 大山康晴王位王将中原誠十段棋聖の一局。

 大山の2勝1敗でむかえた第4局は、後手の中原が三間飛車相手に△85歩を決めず、あえて石田流に組ませる趣向。

 むかえたこの局面。

 

 

 

 後手は棒金からの押さえこみをねらっている。

 形は▲65歩だが、△33歩と銀取りで止められて、うまくさばけない。

 このままだと大駒が圧迫されてしまうが、ここから大山はうまく局面をほぐしていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ▲79金と、こちらに使うのが大山流の金使い。

 ふつうの感覚では金は王様の近くに置いておきたいものだが、あえてこちらに使うのが達人の技で、大山も「うまい手だった」とほくそえんだとか。

 これが決戦の後、△89飛成とダイレクトに成られる手を防いでおり、後手の速い攻めを封じている。

 中原は△76歩と押さえるが、そこで▲65歩が絶好のタイミング。

 

 

 

 

 この手をなくして、振り飛車のさばきはあり得ないというくらいの突き出しだ。

 今度は△33に打つ一歩がないし、△88角成には▲同飛と取って、▲79金の存在が大きく後手からもう一押しがない。

 そこで中原は△65同金と黙って取るが、▲22角成△同玉▲66歩と打って先手好調。

 △同金▲55角だから△55金と寄るが、さらに▲56歩と追及していく。

 

 

 

 

 △同金▲45角金取り▲23銀成を見てシビれる。

 △54金と引いても、もうひとつ▲55歩が気持ちよい突き出しで、△44金▲56角がきれいに決まる。

 

 

 

 

 かといって△同金▲58飛と回られ、あとは好きなようにされてしまう。

 そうはさせじと、中原は△67角と反撃するが、一回▲23銀成とここで捨てるのが好判断で、玉を危険地帯におびき出してから▲55歩を取る。

 後手はを打ったからには△78角成飛車を取りたいが、この角がいなくなると、やはり▲56角王手銀取りが痛打。

 そこで△86飛と走って、この局面。

 

 

 後手は△23玉△41金△74銀がどれも▲56角ラインに入っており、いかにも危ない形。

 そこをかろうじて△67角が、後ろ足でカバーしているのだが、次の一手がそれを寸断する絶妙手だった。

 

 

 

  

 

 

 ▲58飛とここに回るのが、大山門下で、やはり振り飛車の達人でもある中田功八段も絶賛した、すばらしい一着。

 △同角成▲同金で、やはり▲56角が激痛。

 後手はせっかく飛車を活用しても△89飛成とできず、かといって持ち駒の飛車も打ちこむ場所もなく、先手の2枚が「より怖い二枚飛車」を完全に封じこめている。

 中原は△32玉と泣きの辛抱をするが、ここで▲56角と打って、△同角成▲同飛と邪魔なを除去。

 △33銀と血を吐くようなガマンに、口笛でも吹きながら▲54歩と突いて気分はド必勝

 

 

 

 

 あの押さえこまれそうだった飛車が、あざやかにさばけ、逆に後手の飛車は▲79金たった1枚によって、完全にブロックされている。

 その後大山にミスがあって少しもつれたが、中原がそれを生かせず大山が逃げ切る。

 シリーズもフルセットまでもつれこんだが、最後は大山が勝ち、第1期から続いている王位12連覇を決めたのだった。

 


 

 (「受けの大山」の神業的妙技はこちら

 (渡辺明「次の一手」問題と思いこんだほどの絶妙手はこちら

 (その他の将棋記事はこちらからどうぞ)

 

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入玉形の奥義「5点攻め」 佐藤康光vs島朗 1988年 棋王戦

2023年08月03日 | 将棋・好手 妙手

 入玉模様の将棋は、指していてなかなか難しい。

 前回は若手時代の羽生善治九段や、糸谷哲郎八段が竜王獲得時に見せた上部の厚みの作り方を紹介したが、こういう指しまわしは得意不得意かが、結構分かれるもの。

 特に双方の王様が入る相入玉になると、大変なのが「点数」の計算。

 持将棋模様になると、大駒「5点」小駒「1点」で計算し、計24点ないと負けになるというルールがある。

 双方24点あれば「持将棋」で指し直しだが、これはどうも変な話で、

 

 「王様を詰ます」

 

 から

 

 「を多く持ってるほうが勝つ」

 

 なんて、最終目標が変わってしまうという、違和感があるわけだ。

 とはいえ、そういうもんだからゴチャゴチャ言ってもしょうがなく、王様が寄らないとなると皆、せっせこ駒を集めることとなる。

 もちろん欲しいのは「5点」であり、それをどう捕なえるかは結構テクニックがあるのだ。

 

 1988年棋王戦
 
 佐藤康光四段島朗六段の一戦。

 相矢倉から、佐藤の猛攻を島がしのいで、得意の入玉模様に持っていく。

 寄せの手段をなくした佐藤もやむを得ず入って、相入玉で駒数勝負になった。

 むかえたこの局面。


 

 後手が△89竜左とすべりこんだところ。

 数えてみると、持将棋に必要な24点に先手は問題ないが、後手1点足りない。

 △89竜はそれを見越しての手で、次に△86と、と取って、▲同金△同竜▲同馬△同竜となれば24点確保でドロー

 ここで駒を取らせなければ佐藤の勝ちだが、相手は「入玉のスペシャリスト」島朗だ。
 
 どんなテクニックで貴重な1点をかっさらわれるか、わかったもんではない。

 なにがいいのか見えにくい局面だが、ここで佐藤康光が見事な「入玉形の手筋」を披露する。
 
 
 




 

 ▲99金まで佐藤の勝ち。

 このタダの金捨てが絶妙手
 
 これがいわゆる「5点攻め」で、を取られるわけにはいかないから△同竜しかないが、どちらで取ってもそこで▲98金打と強引に取りをかければ、後手に手がない。
 
 
 
 
 
 


 
 
 △同竜引▲同金△同竜となると、先手は金3枚を失ったが(-3)、飛車が手に入ったので(+5)差し引き2点の得。

 後手は1点足りないところから、さらに2点引かれたわけで、それを挽回する手段はなく投了しかない。

 ふつうなら金3枚飛車の交換は大損と見るべきだが、入玉形だとそうでない。

 その感覚の違いが、こういう将棋の難しいところなのである。
 
 
 
 (島の入玉含みなB面攻撃はこちら
 
 (中原誠の必殺入玉術はこちら
 
 (その他の将棋記事はこちらからどうぞ)
 
 
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ジョゼフ・ランザ『重力』からの思考実験

2023年08月01日 | うだ話

 「思考実験」というのは、おもしろいものである。

 映画『ダークナイト』で悪役をまかされたジョーカーは、

 

 「もしどちらか一人しか助けられない場合、【社会にとって大切な人】【あなたにとって大切な人】のどちらを選ぶか」

 

 「自分殺されるかもしれないとき、【先手必勝】で人を殺してもいいのか。もしためらうのなら、それが【死んだほうがいい】犯罪者たちならどうか」

 

 といった「心を試す」問題を突きつけることによって、人々やバットマンを苦しめた。

 これはマイケルサンデル教授の講義で有名になった「トロッコ問題」とかゲーム理論の講義に出てくる「囚人のジレンマ」みたいなネタだが、これらの分野に強いのは私も大好きなSFであり、

 

 「もしタイムトラベルが可能になって、過去に戻り自分の親を殺したら」

 

 「もし人類が滅んだあと、別の生物が【主】となった新しい生態系ができたら」

 

 「もし宇宙人が地球で犯罪を犯した場合【法】で裁くことはできるのか」

 

 といった、 シャーロットアームストロングも裸足で逃げ出す

 

 「あなたならどうしますか?」

 

 が満載で、大学のゼミディベート大会から飲み屋のウダ話まで、侃侃諤諤の議論を呼ぶのだ。

 なんて話をはじめたのは、こないだちょっと興味を惹かれる「思考実験」を読んだから。

 翻訳家柴田元幸さんによるエッセイ集『猿を探しに』の中で、こんなエピソードが紹介されていたのだ。

 ネタ元はジョゼフランザの『重力』から。

 

 1994年のこと。あるがビルから飛び降りて死んだ

 ところが死体を調べてみると、頭をで撃ち抜かれていて、どうやら死因は墜落ではなくこちらのよう。

 というのも、このビルは下に自殺防止用ネットがあって、もし撃たれてなければ自殺は成功しなかったかもしれないからだ。

 では、撃ったのはだれなのかと問うならば、ビルの向かいの建物で夫婦喧嘩が原因。

 激高した夫がピストルを取り出しを撃とうとしたが、はずれてしまう。

 それが落下中の男に、たまたま命中したのだ。

 すごい偶然の産物だったが、ではこれは「殺人事件」になるのか?

 それとも「事故」? 「殺人未遂」? 

 だとしたら、責任に対してか死体になったに対してか。

 

 てな感じでございます。

 でも、責任つっても、そもそも男は死のうとしてたし、それを殺したと言って「犯人を捕まえる」ことに意味はあるのか。

 いやいや、自殺未遂ではあるけど撃たれなければ

 

 「たぶん助かっていた」

 

 わけだし、その「あったかもしれないその後の人生」はだれかがつぐなわないといけないんじゃ……。

 さらにこの話には続きがあって、そもそも夫は銃で妻を撃つつもりなどなかった

 

 この夫婦はケンカになれば夫が「弾の入ってない銃」を振り回すのがお約束になっており、本当なら撃ってもなにも起こらないはずだったのだ。

 では、なぜが発射されたのかと問うならば、夫婦の息子が母親におこづかいを止められた腹いせに、こっそりこめておいたから。

 こうしておけば、いつも通りケンカになったとき、空砲だと思っていた父親が母親を撃って殺してくれるだろうと。

 

 うーん、じゃあ悪いのは息子

 でも、もしそうなってたとしたら「実行犯」は父親なわけだし、てゆうか死んだ男と息子は関係ないけど、やっぱりなんかに問われるのかとか。

 そうなると少年法とかもからんできそうだし、どこから手をつけたらいいものなのか……。

 

 という、なんだか法学部の試験に出てきそうな案件なのだが、なんかこういうゴチャゴチャした案件をワチャワチャ議論するのは楽しいなあ。

 みなさんは、どう考えますか?

 ちなみに、私が出した「自分なりの結論」が、柴田先生が書いていたオチとたまたま同じだったので、思わずニヤリとしてしまった。

 


 さんざん考えた末に、なのか、あるいは「なんかもう、どうでもいいよ」と思ったのか、とにかく検屍官が下した結論は「自殺」だったという。


 

 多くの思考実験同様、やはりふつうに地に足つけて考えれば、この結論に行きつくはず。

 いや、「自殺」じゃなくて、「どうでもいいよ」の方なんですけどね……。

 

 

 

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