井山裕太七冠王は実現するのか?

2013年04月27日 | 時事ネタ

 井山裕太のファンである。

 最近私が碁をおぼえてみようかと、とりあえず初心者向けの本などパラパラ読んでいることは前回(→こちら)話した。

 そこでこのところ、NHK囲碁トーナメントをはじめ、碁関係のテレビなどもちょくちょく見るのであったが、そこで井山君のファンになったのである。

 というと、碁を知ったばかりの人が、今をときめく井山棋聖を応援とはずいぶんとベタというか、アメリカ野球でいえばニューヨーク・ヤンキース、サッカーでいうならばバルセロナのファンを公言するような気恥ずかしさというようなものがないではない。

 流行りに弱いヤツというか、なんだか安易に多数派に身を寄せているような気がするではないか。

 なにせ、なにごとも「玄人」とか「通」のように振る舞いたがるのが、私の悪いクセである。ファンになるも、もうちょっとこう「いぶし銀」といわれるようなチョイスをしたいものだ、というのが本当のところなのだ。

 しかし、こればっかりは仕方がない事情があるのである。そもそものところ、まずきっかけとなったのが、テレビの『情熱大陸』だ。

 私はこの番組をさほど見る方ではないが、ファンの作家やスポーツ選手などが出るときはたまにチャンネルを合わせることもあり、これまで道尾秀介、冲方丁といった面々が出演したときは、録画して鑑賞したものであった。

 その日も、休日の夜にヒマを持て余してチャンネルを回しているところに、例のバイオリンのメロディーが流れ出した。で、そこに登場なされたのが井山裕太君なのであった。

 囲碁ファンにとって井山といえばこれから碁界を背負っていく若きスーパースターだが、将棋ファンからすると「伊緒ちゃんのダンナさん」である。碁の強さよりも、「オレの嫁取られた」という印象の方が強いのだ。

 なもんで、ここで会ったが百年目、「恋敵」の姿を拝ませてもらおうとテレビに釘付けになったわけだが、そこでの井山君の印象というのが、

 「ふわあ、井山って、ホンマにすごいんや」

 囲碁ファンには今更であろうが、まったくその強さに当てられてしまった。高尾紳路九段との棋聖戦挑戦者決定戦での戦いぶりなど、あのおとなしそうな彼のどこにそんな闘志があるのかと感嘆することしきり。

 ところが、盤をはなれると、こういっちゃなんだがちょっくらボーッとしたところもある好青年で、そこがやはり同じボンヤリ型の人間としては妙に親近感がわく。また大阪人としては、大阪出身の棋士というのもポイントが高い。

 しかしである。これがどうにも、「玄人」の私からすると困りものなのだ。

 というのも、私は将棋ファン歴は長いが、こっちでは羽生善治三冠のファンなのである。
 
 それは、子供のころ初めてテレビで見た棋士がデビューしたばかりの羽生さんだったからで、しかも初めて買った将棋の本に子供時代の(小学生名人にもなる前の本当の無名の)羽生少年が出ていたという、いわゆる「すりこみ」のせいなのだが、その後すっかり将棋界の第一人者になってしまったとあっては、ずいぶんと気恥ずかしいのである。

 なんといっても、私は野球では巨人でもなく、関西人なのに阪神タイガースでもなく、近鉄バファローズを(しかも仰木時代でなく、その前の岡本監督時代から)応援し、サッカーでは「地味」とか「過去の栄光」といわれた時代も一貫してドイツの優勝を祈り、テニスではサンプラスとアガシがナイキのオシャレなCMに出ているのをよそに、マイケル・チャンとかゴーラン・イバニセビッチといったナンバー2選手に声援を送ってきたのだ。

 別に、「オレはあえて強いヤツを応援しないぜ」みたいな反骨精神ではなく、あくまでたまたまなんだけど、それにしたってこの流れで、

 「将棋ファンなんですってね。誰を応援してますか?」

 「羽生さんです」

 「最近囲碁を覚えたとか。気になる棋士はいますか?」

 「井山裕太君です」

 ……なんなんだこれは。いかん! 断じてイカン! これでは私がただの爆裂ミーハー野郎ハリケーンボンバーではないか。

 違うのだ、そうではないのだ。私が井山君のファンになったのは、たまたまテレビで見る機会があったというだけで、別に彼が強いからとかメジャーだからとか、そういったベタベタな理由ではないのだ。

 これがもし昨年碁をはじめていたら、間違いなく張栩九段のファンになっていただろうし、2年前だったら『将棋世界』で谷川さんと対談していた坂井秀至八段を応援していただろうし、テレビの早碁がきっかけなら結城聡NHK杯選手権者に惹かれていたことだろう。

 だから、これはあくまでたまたまなのだ。本当に、めぐりあわせで井山君なのだ。

 と、そこは大いに主張したいところだが、現在井山君は張栩棋聖から棋聖位を奪い、囲碁界初の「七冠王」ロードをばく進中。

 かつて、将棋界は「羽生七冠フィーバー」に沸いたが、あのとき我々玄人のファンは、羽生さんに女性の「おっかけ」がついたなんてニュースを聞きながら、

 「フッフッフ、素人のファンはかわいいもんやのう。ワシなんぞ、羽生が無名のころ『将棋初段への道』で、原田九段に二枚落ちでボコられてたころから知ってるっちゅうのになあ」。

 などと、イヤな古参ファン風をふかしまくっていたが、嗚呼、これじゃあ逆に、私がまるで「井山七冠」に乗っかってるみたいではないか。どこをどう見ても、ど素人丸出しだ。人を呪わば穴ふたつである。

 ちがうんや、これはホンマにたまたまであって、そんな勝ってるからって安易にそれを応援するとか、そんなんちゃうねん!

 と、いくら私がここで遠吠えしようとも、古参囲碁ファンはフンと鼻を鳴らしながら、

 「本因坊の意味も知らんくせに、七冠王となったら注目ですか。フ、ど素人が」

 とニヤニヤ笑いながらバカにするのがもう目に浮かぶわけで、なんだかすごく釈然としないのだが、ファンになってしまったのは今さら変えられないわけで、もうこうなったらとことんミーハーだと思われたほうが

 「逆においしいと思え」

 の法則に殉じることとし、井山君にはぜひ七冠制覇を成し遂げてほしいものである。
 



 ■追記

 ……と締めてお終いにしようと思ってたら、井山君、昨日結城聡さんに十段取られちゃった。

 六冠になったばかりなのにすぐ五冠に後退ということで、「夢の七冠王」には一歩後退だけど、これはまだまだわかりません。

 思えば羽生さんは「あとひとつ勝てば七冠王」という大一番に敗れて、「やっぱ七冠とかありえへんよなあ」「あとひとつで七冠王でも充分に空前絶後」なんてことになったところから、棋王(対森下卓)、名人(対森下卓)、棋聖(対三浦弘行)、王位(対郷田真隆)、王座(対森けい二)、竜王(対佐藤康光)の6タイトルを、並みいる強豪が挑戦者に出てくるにもかかわらず次々しりぞけて防衛し、再び王将戦で挑戦者になって七冠王になった。

 と、今あらためて思い返しても当時の羽生さんは神がかっていたというか、七冠もさることながら、この

 「頂点手前で失敗のあと、一からのやり直しをやり遂げた」

 ことのほうが、賞賛に値するかもしれない。よくガッカリしなかったなあ。精神力がすごすぎる。だから井山君も、まだまだ全然チャンスがあると思うよ、がんばって!

 ……て、これじゃやっぱ七冠ミーハー野郎ではないか!

 ま、別にそれでもいいか。



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囲碁とはSFである その2

2013年04月25日 | コラム

 最近、碁をはじめてみた。

 前回(→こちら)も言ったが、まずは入門書を読んだところで、

 「なるほど、碁とはSFであったか」

 と、独自流に解釈して意味の分からないまま実戦譜などを盤にパチパチ並べている。とりあえずの目標は銀河帝国司令官の10級くらいである。

 さて、碁や将棋、チェスなど盤上ゲームではその勉強法というのがだいたい共通している。

 柱は3本で、「定跡や手筋を覚える」「詰将棋(詰碁、チェス・プロブレム)を解く」「とにかく実戦」この三つ。比重や量は人それぞれだが、これらをひとつでもまじめにやれば、たいていの人は中級者、まあアマチュアの初段前後にはなれるであろう。

 私が今取り組んでいるのが、とにかく実戦譜を碁盤に並べること、これだけ。

 というと、おいおい詰碁や実戦はやらないのかとっこまれそうであるが、それはまた後で。とりあえず、今は本にあるプロの対局をひたすら並べるだけ。これで実力アップを図ろうという算段である。

 というのは、私の将棋上達法からきている。

 私の腕は、将棋倶楽部24で初段という典型的な中級者(もう10年くらい指してないので、今はもっと弱いと思うが)。で、そこまで行く勉強法というのが、

 「ともかくも、プロの棋譜を並べまくる」

 ということだったからである。

 といっても、別に将棋を強くなろうと思ってやっていたわけではない。単に棋譜並べがおもしろかったから、やっていただけだ。趣味といってもいい。

 プロの棋譜には、一種独特の美しさがある。これは将棋を知らない人にはピンとこないところもあるだろうが、そこには様々なものが内包されている。

 何百年といった時の流れに洗練されて残る手筋や、それに堪えて今なお進化する定跡の数々。碁やチェスもそうだが、いわばそこには「歴史のエッセンス」が詰まっている。

 そんな人類の知の遺産の中に、棋士たちの深い読みや新しい発見、はたまた哲学や勝負魂などがミックスされ、さらにはそこに人間くさいポカやうっかりなどの不協和音などがちりばめられ、わけのわからないことになってくる。

 それがまるで、よくできた楽曲のような、はたまた時にはコミカルでドタバタの人間喜劇のような、そんな一幕の歌劇でも見ているような気持ちにさせられるのだ。

 そんな大げさなといわれそうだが、将棋や碁をやる方は、きっと大きくうなずいてくれることだろう。序盤の画期的新手や、終盤での奇跡的な詰み筋や、信じられないような妙手を見せられたときなど、本当にベートーベンの『運命』みたいに、ジャジャジャジャーン!という大音が聞こえるような気になるのだ。

 その証拠に、ジェイムズ・ジョイスの日本語訳などで有名な翻訳家の柳瀬尚紀氏は、羽生善治名人と森下卓八段の名人戦第一局を鑑賞して、

 「バッハの曲を聴いた心地がした」

 とコメントしておられた。

 あの一局は、最終盤で丸勝ちの将棋を、森下八段が一手ばったりの大ポカで失い、名人戦史上に残る大逆転と評されたところから、

 「バッハっちゅうよりは、かしまし娘の音楽漫才みたいやろ」

 と私は感じたものであったが、これには将棋ファンである官能作家団鬼六氏も羽生名人(当時)との対談で、

 「僕はバッハというより、チャンチキオケサを感じちゃったんですけど」

 とズバリ言い放ったが、これには名人も

 「あれ、チャンチキオケサの方が当たってるかもしれませんよ(笑)」

 と答えておられた。

 そらまあ、バッハはかっこつけすぎですわな。と、そこはいいたくはなるにしろ、本来は記号の羅列のはずの棋譜から音楽的なものを感じ取れるのは、将棋ファンなら感覚的にわかるところなのだ。

 強い人の棋譜にはそういう技術の修練と人間味のようなものが合致して、なんともいえない芸術性と「おかしみ」のようなものがにじみでているのだ。それを感じられるのが楽しい。

 いわば、小説や戯曲を読むような感覚に近いというか。一昔前はよく

 「囲碁や将棋の棋士は理系」

 なんていわれたものだが、そういう意味では私は完全に文系のファンであるといえるかもしれない。

 そうやって、特に勉強する意図もなくパチパチ並べていただけだが、えらいもので、そうやっているうちに、なんとなく自分の将棋にも影響が出てくるようになった。

 そらそうだ、スポーツでいえば解説付きでプロの試合を見て、そのビデオを見ながら自分もフォームをまねてみるようなものだ。そのうち何となく「コツ」みたいなものがわかってくるようになる。

 具体的には、「厚み」とはなにかとか、四間飛車対穴熊で、どのタイミングで64歩とつくとか、銀冠で玉が17に行ってしのいでいるとか、不利になったときのねばり方や戦線の拡大の仕方などは、実際に自分より強い人の手を鑑賞しないとわからないことが多い。

 そういう感覚が、あくまでフワッとであるがわかってくる。よく絵や書の審美眼を身につけるには、ひたすら「本物を見る」のがいいというが、それみたいなものであろうか。

 幸い、将棋の場合は手で駒を並べることによって、「体で感じる」ことができる。いわば、絵や文章における「模写」をしているようなものだ。将棋の郷田真隆九段は

 「いい手は指が覚えている」

 という名言を吐いたが、それを少しは体感できるようなのだ。自然に「筋」のところに手が行くようになります。スポーツでいう「自動化」みたいなものか。

 そうして、なにも考えずにタイトル戦などをパシパシ並べていて、あるとき24で指してみたら、初段になっていたというわけである。棋譜並べ、すごいなあ。

 ここでのコツは、あくまで気楽にやること。よく棋譜を並べる際には、

 「途中で手を止めて、次の一手をじっくりと考えてみる」

 なんてアドバイスもあるが、私はおすすめしない。そんなしんどそうなことをやっていては、どこかでイヤになるからだ。

 とにかく、ひたすらヒョイヒョイやる。それだけでOK。素人の、しかも私のようなナマケモノの勉強法のコツは、

 「とにかくハードルを下げること」。

 もちろん、熱心にやる方が上達が早いに決まっているが、残念なことに「気合い」は「上達」に比例してブーストをかけるが「挫折」のメーターもまた気合いに比例してグラフを描くようにできている。

 習い事やお稽古事で大事なのは「うまくなること」よりも「やめないこと」である。

 ダイエットでたとえればわかりやすいが、「絶対やせるぞ!」「1ヶ月で5キロ落とす!」なんて挑むと、やせるのも早いが、反動でリバウンドしやすいし、そうなったときの心の折れ方も大きいのは、誰しも体験したことがあるだろう。それくらい「気合い」というのは諸刃の剣なのだ。

 だから、あくまでのんびりと。ゆるい棋譜並べだけでも、そう捨てたものではない。現にそうして、実戦を10年以上指してないにもかかわらず、ただ並べるだけで私は初段になったのだ。

 こういった経験があるので、とりあえず猿のようにひたすら棋譜を並べている。気長にやれば、これとNHK杯観戦だけで、初段にはなれるはず。5年後が楽しみである。それまで続いていたらだけど。

 (この話題、さらに次回【→コチラ】に続きます)


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囲碁とはSFである

2013年04月23日 | コラム

 碁をはじめてみた。

 私は将棋ファンであるが、将棋好きにも二種類のタイプがいる。それは碁も打てる人と、打てない人。

 私は典型的な後者であり、碁のことはまったくわからないし、興味も持ったこともない。知っていることのせいぜいが『ヒカルの碁』に書いてあったこと程度。だから、こないだまでコミが6目半になっていたことすら知らなかった、まさにずぶのド素人である。

 そもそも、囲碁は将棋とくらべてとっつきにくいというイメージがある。いや、碁もルール自体はシンプルなのだが、見ていて勘所がつかみにくい。

 将棋の場合、駒の動かし方さえ覚えれば、駒の損得とか、玉の固さとか、そういったビジュアル面でどっちが勝ってそうとか判断できるし、ゴールは王様を詰ますこととハッキリしていてわかりやすい。

 囲碁の場合、そこがつかみにくい。盤面には白と黒しかなく、どこにポイントをしぼればいいのかの判断が難しい。中盤の形勢判断とかちっともわからないし、そもそもどうなれば終局なのかとかもちんぷんかんぷんだ

 実際、将棋の棋士である阿部光瑠四段など、子供のころ『ヒカルの碁』の影響で碁をはじめてみたが、ルールがよくわからないまま将棋に転向し、そのままプロになったというエピソードがある。やっぱり、囲碁は導入部にやや高い敷居があるようだ。

 そんな私がなぜ碁をやってみようかと思ったのかといえば、宮内悠介の山田正紀賞受賞SF囲碁小説『盤上の夜』と、団鬼六の『落日の譜 雁金準一物語』がえらいことおもしろかったことと、たまたま碁石と折りたたみの盤をいただいたこともあって、「これはいい機会かも」と、軽い気持ちで手を出すことになったのだ。

 一応、ざっくりしたルールは阿部四段同様『ヒカルの碁』で知ってはいたが、いかんせんそれ以上の定石やらはさっぱりわからない。

 私はこういうとき教室などよりも独学で本からはいるタイプなので、さっそく図書館に走って入門書をいくつか借りてきた。井山裕太本因坊や石倉昇九段の本などである。

 家で折り畳み盤を広げて、まずは黒石をパチリ。うむ、安物だが音は悪くない。将棋もそうだが、この駒や石を打ちおろすときの乾いた音が士気を高めるのである。

 ネット対局も悪くないが、やはりリアルの盤駒にはそれなりの良さはあるものだ。碁も将棋もよく「上達するにはいい盤を使いなさい」というが、それは営業戦略もあるけど、やはりあの「パシ!」という音が気持ちいいというのも大きいのだ。スポーツだって、バットやラケットの打球感がいいと、練習が楽しくなりますからね。

 とりあえず、本の手順に導かれるままに並べてみる。もちろん、意味はわからないが、まあよい。まずは習うより慣れろだ。

 数冊分の定石や実戦例を鑑賞してみたところ、私の持った印象は、

 「碁ってSFなんやー」

 ということであった。

 これは、『盤上の夜』に引きずられたというわけではなく、まず碁の19路盤をあらためて見たときの第一印象というのが、

 「SF映画のレーダーの画面みたい」。

 そう、ガンダムとかスタートレックに出てくる大画面のあれだ。オスカーとマーカーが、「4時の方向に敵戦艦発見。15分後には接近します!」とかやってるやつ。

 そこに碁石を置いてみると、ますますレーダーっぽくなった。黒石と白石が、まるで植民星かスペースコロニーのように画面上に勢力を作っていく。

 そうして、手が進むごとに、宇宙模様が徐々に描かれていく。星同士、コロニー同士がぶつかりあい、押し合いへしあいしながら陣取りゲームを行う。うーん、これはまさに、銀河帝国同士の宇宙戦争をレーダーで鑑賞しているみたいではないか!

 というと、「幼稚か!」とつっこまれそうだが、『ヒカルの碁』の中でも、ヒカル君が、

 「この盤は宇宙なんだ。オレはここに自分の手で宇宙を作り出すんだ」

 みたいなことを言っていたではないか。いや、それどころか、石倉九段の解説によると、碁盤とは暦や占いにも使用され、19路の由来もそこからきているし、碁盤全体のイメージは宇宙からきているという。

 盤上にある点が「星」と呼ばれることも、真ん中の星が「天元」であるのも、その表れだ。

 さらには、碁盤はそれ自体は二次元の平面だが、本質的には天元を中心としたピラミッド状になっているらしく、実際は三次元の立体的な空間なのだ。

 おお、ますますSFっぽいではないか!宇宙戦争にピラミッドパワーで銀河構築。シブすぎる。板の上の宇宙。フェッセンデンか。

 将棋が、駒の性能を生かした「ソロモン攻防戦」とか「ア・バオア・クーの戦い」みたいなモビルスーツの接近戦だとすれば、碁の方はレビル将軍が指揮するところの「星号作戦」みたいなものか。うーん、ますますシブい。なんか「三連星」とか出てくるし。やっぱりSFやん。

 という私のイメージが碁の正しいとらえかたなのかどうかはわからないが、ともかくも勝手に見立てたところでは、「囲碁=銀英伝」みたいな感じである。あるいはアシモフか。

 そんな私は今のところシチョウすら今一つ理解できていない素人であり、銀河帝国の興亡というか、田中啓文さんの銀河帝国の弘法も筆の誤りといったところだが、とりあえずのところは宇宙戦線司令官アマチュア10級くらいを目指して精進したい。

 
 ■この話題、次回(→こちら)も続きます。


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一昨日は兎を見たわ。昨日は鹿、今日はあなた

2013年04月13日 | 
 ロバート・F・ヤング『たんぽぽ娘』が、やっと出版される運びとなった。
 
 ドラマ『ビブリア古書堂の事件手帖』で取り上げられて、一般にも知られるようになったそうだが、肝心の本の方は出版予定の欄にはずっと名前があったのに、ぜんぜん出る気配がない。もう、いつ出るねんと。
 
 そんな、長らく邦訳がなくて「幻の傑作」といわれていたこの『たんぽぽ娘』。
 
 かくいう私は、この作品に特別な思い入れがある。
 
 というのも、高校生のころ英語の原文で、この短編を読んだことがあるからだ。
 
 というと、未訳の作品をペーパーバックで取り寄せて英語とかロシア語のまませっせと読んでいた、古き時代のSFファンのようであるが、もちろんそんなわけではなく、英語の授業のテキストで使用されていたからなのだった。
 
 教科書に載っていたか、はたまた副読本であったか忘れたが、授業で小説を使うのがめずらしくて目を引いた。
 
 当時の私はロクに勉強もせず、授業と言えば寝る本を読むか。
 
 天気のいい日にはサボって街をぶらついているかという超絶劣等生であったが、本好きで翻訳ものの小説になじんでいたので、辞書を引き引き読んでみた。
 
 で、これがおもしろくって、そのまま通読してしまったわけだ。
 
 まともに勉強してないから、ほとんど単語をつなげているだけで、読むというよりは「古代文字解読」みたいな感じだったけど、ストーリーはだいたい取ることはできた。
 
 意外なことに、なんとこれが時間SFだったのである。
 
 ほえー、まさか死ぬほど退屈な学校の授業でSFに出会えるとは。こんな教材ばっかだったら、私ももうちょっとまじめに授業を聞くのになあ。
 
 なんてことを考えながら、このテキストを使う時間はちゃんと授業を聞いていたわけだが、そこでおもしろいことを発見することになる。
 
 授業ではテキストを読んで、だいたいのあらすじを取った後、読後感を短いレポートにまとめて一人ずつ発表するという形式をとっていたのだが、そこでのクラスメートの意見に、
 
 
 「内容がよく理解できなかった」
 
 
 というものが多かったのだ。
 
 理解できないって、私のような劣等生でも楽しく読んだ短編なのに、ずっと成績のいい皆がわからないとは、どういうことなのか。
 
 なんていぶかしんだものだが、他の面々の発表も聞いてみて、なんとなくワケがわかってきた。
 
 そうか、私以外のみんなはこれがSFだということにピンときていないんだな。
 
 『たんぽぽ娘』は、先ほどもいったが、いわゆる時間SFというやつだが、そのことが読みながら、よくわかっていない子がほとんどなのだ。
 
 だからタイムリープとかによる、時間軸ズレ構成がつかめていない。
 
 文法の意味はとれる。単語も調べればわかる。
 
 けど、肝心要の物語のの部分がわからない。
 
 なぜか。それはまあ、まさか学校の授業でSFなんて出てくるとは思わないし、そもそもまともな若者はSFなんて読んでいない
 
 なんといっても、当時は「SF冬の時代」まっただなかだったのだ。時間SFといわれても、「なんですのん?」てなもん。
 
 野球のルールを知らない人が野球小説を読んでも、いまひとつツボがわからないようなものなのだ。
 
 だから、くわしくはネタバレになるから書けないけど、あの唐突に出てくる「dandelion girl」ってなんなの? なんであの人はそんなことで悩むの? と、つかみどころがないわけだ。
 
 へー、それで「読めてるのに、わからへん」ということになるんや。なるほどなー。
 
 いうまでもなく、これは別に私が読めたからかしこくて、クラスメートが阿呆というわけではない
 
 私がたまたまSFも好きで(「」と書くのは、本来はミスヲタだから。どっちにしても早川にはお世話になってます)、ハインラインの『夏への扉』とか、ジャックフィニィゲイルズバーグの春を愛す』。
 
 あとはロバートネイサンジェニィの肖像』といった作品と、なじみがあったからというだけ。
 
 単にホームグラウンドでの戦いだったというだけだが、それでも皆が首をひねる中、あざやかにストーリーを解き明かし、私のことをただの阿呆だと思っていた英語の先生同級生が「へー」と感心するのを見るのは、たいそう気持ちがよかったものだ。
 
 えっへん、オレだって、やるときはやるんだぜ!
 
 そのときの会心の記憶が残っているため、いつか邦訳されたものを読みたいなあと思っていたら、そこからまさか2013年まで待たされるとは思わなかった。
 
 長いよ! いくら時間SFでも、この待たせかたはあんまりや!
 
 でもまあ、出るというから良しとしましょう。楽しみですなあ。
 
 
 
 
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生ける伝説ロジャー・フェデラーこそ、テニス界の貴族だ

2013年04月11日 | テニス
 マルチナ・ヒンギスのテニスは、「才能」という言葉がよく似合う。

 ということで、先日は女子テニスのマルチナ・ヒンギスについて語ったが(→コチラ)、では男子で「才能」という言葉の似合う選手は誰がいたのかといえば、これは同じスイスの選手に一人いる。

 そう、ロジャー・フェデラーのことである。

 現在でも、まだ現役の選手であるにもかかわらず「レジェンド」「生ける伝説」などと呼ばれているが、古いテニス雑誌をひもとくと、2007年くらいからすでに同じように呼ばれており、

 「もし、今彼がこの瞬間テニス界から去るとしても、すでに十分すぎるほど『生きる伝説』と呼ばれるに値する選手だ」

 なんて書かれていたのだから、そのずばぬけぶりがわかるというもの。

 「すでに伝説」から、もう6年も経つのに、まだ現役バリバリでやっている。まったく、とんでもない男である。

 そんなテニス界、いやスポーツ界が誇るスーパーヒーローであるフェデラーだが意外なことにデビュー時は、かなり地味な存在であった。

 もちろん、その才能は早くから買われていたが、同世代のレイトン・ヒューイットなどにくらべるとキャラが立っていないというか、目立たないところがあり、多くいる有望な若手の中の一人という感じだった。

 そのフェデラーが名をあげたのが、2001年のウィンブルドン4回戦。

 ウィンブルドン優勝通算7回。当時、芝のコートで無敵を誇っていた絶対王者、ピート・サンプラスをフルセットで破ったのである。

 これで、「あのフェデラーというのは、なかなかやるらしい」と世界に印象づけ、その2年後(2年もインターバルがあったのか!)のウィンブルドンで見事優勝を果たすと、そこから堰を切ったように勝ち始める。

 四大大会ではフレンチ・オープンこそ、ラファエル・ナダルの台頭により、取るのに相当な苦労を強いられたものの、オーストラリアン・オープン、ウィンブルドン、USオープンに関しては、もう出ると優勝状態で、負けたところをほとんど見たことがない。

 ひとつ取れれば一流というグランドスラム大会を、17回も制し一人勝ち。もちろん、他の大会でもおそろしいほどの安定感を見せ勝ちまくる。年間勝率9割越えをなしとげたこともある。

 デビュー当時は、まさかロジャーが、もちろんいい選手だとは思ってはいたけど、さすがにここまでの選手になるとは想像もしなかった。まったく、私はいつもながら見る目がない。

 そのフェデラーのすごいところは、勝つだけでなく、披露するテニスも完璧なところ。

 サービスもフォアも、片手打ちのバックハンドも、一発のすごさこそライバルであるマラト・サフィンやアンディー・ロディックなどにはおとるものの、その安定感には目を見張るものがある。

 ストローク良し、ネットプレー良し、速攻もディフェンスもできる、サービスエースも取れる、小技もうまい。試合運びも巧みで、メンタルも強い。どれを取っても、そのまま指南書に載せたいくらいのもの。

 それはマッケンローのボレーや、サンプラスのブレークポイントにおけるファーストサービスなどといった、「選ばれし者のショット」ではなく、与えられた才能を大事にし、日々たゆまぬ努力をおこたらなかった男に神様がごほうびとしてあたえた、大げさにいえば彼の「人徳」までもふくめた、パーフェクトなショットなのである。

 付いたあだ名が、「史上最強のオールラウンダー」。このことに異論をはさめる者など、だれもいはしないのだ。

 フェデラーのプレーには、本当に穴がなかった。だれもが理想とするテニスを、顔色ひとつ変えずコート上で披露した。芸術的で、かつ地に足のついたパフォーマンスは観戦者のみならず、プレーヤーの心も揺さぶる。

 フェデラーのある試合を解説をしていた元テニスプレーヤー(福井烈さんだったかな?)が、

 「1日でいいから、いやたった2時間でもいいから、フェデラーと体を入れかわってみたいですねえ」。

 そう切なそうにため息をついたことがあった。

 それはテニスを愛する者なら、全員が共感できる言葉だった。1日といったあと、「いや2時間でもいいから」と言い直したところに、リアリティーを感じられるではないか。

 彼のことを「退屈なチャンピオン」と呼ぶ人もいたが、これは逆にいえばそれくらいしか、おとしめる言葉がなかったとも言える。

 これを言った人は、おそらくは自分でラケットを取って、コートに立ったことが一度もないのだろう。でなければ、こんなことをしたり顔で言えるはずなどないのだから。

 あのパーフェクトなテニスの、いったいどこが退屈だというのか。いや、仮にそうだとしても、退屈でもなんでも、みんなフェデラーになりたいんだ。たった2時間、1試合でいいから。

 「完璧」という言葉をこれほど体現したアスリートは、他のスポーツを探してもそう多くはないのではなかろうか。

 フェデラーのテニスはすべてが、彼自身の内面もふくめて、格調が高い。

 古き良き時代を彷彿させる優雅さと、スピーディーで適度にパワフルなものを内包させたプレーを披露する彼は、まさにテニス界の貴族だ。

 今後、フェデラーを越える選手はきっとでてくることだろう。

 だが、その彼がここまで「完璧」であるかどうかまでは、ちょっと想像できないところはある。





 ※おまけ ウィンブルドン史上に残る名勝負、2009年決勝ロジャー・フェデラー対アンディ・ロディック→こちら



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マルチナ・ヒンギスが国際テニス殿堂入り

2013年04月03日 | テニス
 マルチナヒンギス国際テニス殿堂入りを果たした。

 早すぎた引退と、その後のドーピングのゴタゴタなどもあって、その現役生活には少々モヤモヤしたところを残した彼女。

 だが、その才能実力実績、そのどれもが殿堂入りにふさわしいものであることは間違いなく、ファンとしては、よろこばしいかぎりである。 

 ヒンギスといえば、ちょうどがテニスに興味を持ったころに、デビューした選手だった。

 12歳のときにフレンチオープンジュニアの部で優勝し、


 「天才少女現る」


 という噂は聞いていたが、はじめてじっくりと試合を見たのは1996年オーストラリアンオープン準々決勝

 グランドスラム大会で初のベスト8入りを果たした彼女の相手は、南アフリカアマンダコッツァーだった。

 コッツァーは身長158センチと小柄だが、安定感は当時の女子テニス界では随一といわれていた。

 フットワークねばり強さで戦う玄人好みのスタイルは、一発の怖さこそないものの、なんとも負かしにくいタイプのプレーヤーといえた。

 女王シュテフィグラフを何度も苦しめたところから、ついたあだ名が「小さな暗殺者」というのがシブい。

 若さで走るヒンギスにとっても、やや分の悪い相手といえたが、実際に試合の方もそうなる。

 コッツァーの心身ともにブレない大人のテニスの前に、うまくさばかれてしまった。フルセットにもつれこむも、ここで惜敗

 この試合を見たときの印象としては、正直こういうものだった。


 「天才少女、たいしたことないやん」


 まだ14歳(!)ということを考慮に入れれば、当たり前といえば当たり前なのだが、デビュー間もない彼女は、いかにもが細かった。

 ショットのコントロールは下手なベテランよりもしっかりしており、さすがと思わせるものがあったが、どうもそれだけ

 目を見張るようなショットやネットプレーがあるわけでもなく、全体的に「器用貧乏」な感じだった。

 そんな彼女がブレイクしたのは、翌年のUSオープン

 4回戦で、第3シードアランチャサンチェスビカリオと対戦したヒンギスは、ここで目を見張るような成長ぶりを見せつける。

 メルボルンでは、まだ自らのイメージするテニスにが追いついていない印象だったが、このときのヒンギスはまるで別人であった。

 パワーこそ、やはりそれほど感じられないものの、まるで定規で測ったかのように、ねらったところにピッタリと飛んでいくストローク

 これが百戦錬磨のサンチェス・ビカリオを、まるで格下の選手のようにあしらっていく。

 その展開も見事で、理詰めでゲームを支配するプレーが光っていた。

 常に2手先3手先を読んで、正確に相手のをつく。見ていて、ポイントの取り方が実に巧みで頭脳的なのである。

 ヒンギスの才能は、単なるアスリートのそれに加えて、圧倒的なの良さにもあった。

 今で言えば、アグニエシュカラドワンスカのテニスに近いが、彼女のおそろしいところは、そのすごさをプレーの中でまったく感じさせないこと。

 ショットの選択や、ネットでの動きなど、すべてが当時のトッププロをしのぐハイレベルなものだが、それをまるで子供が遊んでいるかのように、軽やかにこなしてしまうのだ。

 その際たるが、バックハンド

 両手打ちダウンライン(サイドラインに沿ってストレートに打つショット)といえば、バックハンドの中で最も難易度が高いショット。

 ジョンマッケンローが言うには、



 「あれを完璧に打てるのは、アンドレ・アガシとマルチナ・ヒンギスだけ」



 とのことだが、その通り。

 ヒンギスはこのショットをあざやかに、鼻歌でも歌いながら、軽々と決めてしまうのである。

 そこにまったくの力みはない。まさに、選ばれしものの打てるショットとしか、いいようがない。

 あまりにもきれいにコートのに落ちるので、思わず知らず「はー」という、阿呆のようなため息が出るくらいだ。

 これに魅せられた私は、ビデオ録画していたこの試合を何度も何度もくり返して見た。

 昔の私は一度気に入ったものを偏執的にくり返し鑑賞するというクセがあったが、この試合がまさにそれだった。

 たぶん、30回以上観返している。同じ試合なのに、周囲の人はさぞ不思議であったろう。

 趣味ながら、自分でもラケットを握っていた私はヒンギスのプレーをまね、彼女のように頭脳的に勝ちたいと熱望していた。

 無駄な力に頼らない、スマートなプレースタイルは、私にとって理想のテニスだった。

 ここでハッキリと自分のスタイルを確立したヒンギスは、翌年から大化けする。

 年明けのオーストラリアンオープン史上最年少で優勝し、以降あらゆる女子テニスの最年少記録をぬりかえていく。

 ウィンブルドンUSオープンも制し、世界ナンバーワンにも輝いた。

 そうして、ヒンギスは確固たる時代を築いたのだが、その全盛期は意外なことに予想以上に短かった。

 その理由は、女子にもパワーテニスの時代がやってきたこと。

 ライバルだったリンゼイダベンポートを筆頭に、ウィリアムズ姉妹アメリーモレスモー、復活を果たしたジェニファーカプリアティ

 こういったで押してくる選手に、次第に勝てなくなっていった。

 テニスの質でおとるわけではないのに……。軽量型選手のつらいところである。

 くわえてヒンギスの弱点に、精神力の問題があった。

 メンタルが弱いというわけでもないようなのだが、性格的に、逆境において「にまみれてでも」という気持ちが持てないよう。

 「情熱がなくなった」という、彼女の早すぎた引退も、そんな性格によるところもあったのだろう。

 それでも全盛時代のヒンギスのテニスは天才的で、見ていて参考にしたくなるような、美しいテニスを見せてくれた。

 彼女の美は、いわゆる女子選手の華やかなそれというよりは、高度に完成された数式が持つような、一種の機能美であった。

 スーパーショットいうよりも、チェスのグランドマスターの見せる読みの入った絶妙手の美しさであり、純粋な才能のきらめきを見せてくれる選手でもあった。

 今でも、あこがれのやむことのないプレーヤーの一人である。





 ■おまけ・サンチェス戦はなかったけど、ライバルであるダベンポートとの一戦→こちら

 この二人の試合は、東レPPOの決勝など熱戦が多く楽しませてもらったものだ。


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