「彼氏や彼女がほしいなら妥協しろ」の方角は、下じゃなくて、たぶん「横」

2022年01月30日 | モテ活

 「妥協するなら、下ではなくてにしたほうがいい」

 こないだ、

 「スペックは悪くないのに、なぜか彼氏彼女がいない人」

 について、なんでそうなっているのか推測し、語ってみたが(→こちら)、そこでの結論がそれだった。

 よく、なかなかパートナーのできない人に、

 「高望みはダメだって。もっと妥協しなきゃ」

 という「を見ろ」的なアドバイスをする人がいる。

 相手の「レベルを落とす」という発想は、たしかに、ひとつの方法ではある。

 ただそれは、そもそも失礼だし、仮にそうやったところで、じゃあモテるようになるかといえば、まあ、そう簡単でもあるまい。

 そこで、妥協するならに、すなわち、


 「自分の好みではなかったから、あまり目が行かなかった人」


 ここに視野を広げてみれば、実はそこにこそ「約束の地」は、あるやもしれないではないか。

 いや、色んな人の話を聞くと、好みでないばっかりに


 「自分を好いてくれる人」


 を我々は見逃しがちなのだ。そこを掘り下げる価値は、あるのではないか。

 と、今回の結論はここで落ち着くのだが、これには読者諸兄も、

 「まあ、言いたいことは、わからんくもないけど、それはそれで、結構むずかしくないかなあ」

 そう思われるかもしれず、これが実際、たしかに、すぐできれば世話はないのである。

 そもそも私自身、その「横へのスライド」ができずにモテない場面もあるのだから、なにをかいわんや。

 これは友人知人によく言われることだが、私は基本、底抜けなので、

 「世話好きな女性」

 の母性本能をくすぐる傾向があるらしい。

 それだけ聞くと、なにくれとサポートしてくれる女性がいるというのは、大変ありがたそうだが、人生でなにより「干渉」というものを嫌う私は、どうもそういう女性を無意識に避ける傾向がある。

 ゆえに、ときおり現れる「ホームランボール」を逃すことがあり、「なにやってるねん!」と怒られる

 私にとってそんなチャンスなど、まさに「100年に1度」というレアケースであり、たしかに「もったいない」と思わなくもないけど、そういわれたところで「世話好き」な女の人は苦手なんだよなあ。

 もっと言えば、私自身がその「世話好き」な女性に、モテたという記憶がない

 友人からは「世話好きに気にされる」と言われながら、こちらはまったく、その事実を知らない

 これはもう、友たちが壮大なウソをついているか、よっぽど私が逃げ回っているかであるが、どちらにしても結構な問題であろう。

 この件に関しては、私のなども、

 

 「兄ちゃんはええよなあ。お金なくなっても、いざとなったらヒモかジゴロにでも、なればええもん」

 

 などと言い、こんなスケコマシでもない私が、そんなことできるかいなと笑ったものだが、どうも同じことを意味していたらしい。

 なるほど、要するにジローラモさんとかじゃなくて、織田作之助とか小池重明タイプのジゴロなわけね。

  でもまあ、やはり私は何を言われたところで、「世話好き」な女子からは逃走し続けるわけだ。

 「世話」と「干渉」って、ワンセットだものなあ。

 嗚呼、これじゃあ友人サカイ君(→彼についてはこちら)と同じじゃないか。アウェーの戦いでは、力を発揮できないぞ。

 「横に妥協」論でいえば、そういう女性こそ視野に入れるべきなのだが、それがなかなか……。

 

 (続く→こちら

 

 

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矢倉は先に攻めたほうが有利 羽生善治vs佐藤康光 2002年 第50期王座戦 第1局

2022年01月27日 | 将棋・好手 妙手

 「矢倉は先に攻めたほうが有利」

 

 というのは、平成矢倉戦でよく聞いた言葉である。

 それは多少のなど気にしなくてもよいらしく、一時期あった

 「銀損定跡

 など、銀を丸一枚しても、バリバリ攻めていったりするのだから、ほとんど「穴熊の暴力」みたいなノリである。

 

 

  2012年の王座戦第4局。あの伝説の「△66銀」による千日手を受けての指し直し局。

 序盤ですでに、銀を一枚くれてやる気前の良さだが、ここから▲35歩、△55金に、じっと▲34歩と突くのが、佐藤天彦九段が披露した格調高い手で、以下端からどんどん攻めて先手が圧倒。

 


 ところが上には上がいるもので、銀損を超えた、もっとすごい形で突貫する乱暴者もいる。

 前回までは、大山康晴十五世名人引退にまつわるドラマを紹介したが(→こちら)、今回は激しい矢倉戦を紹介したい。

 

 2002年、第50期王座戦第1局

 羽生善治王座と、佐藤康光棋聖王将との一戦。

 佐藤の先手で相矢倉から、おなじみの▲46銀▲37桂型に組んで先攻。

 先手は3筋からをぶつけていくが、後手もその銀で、相手の攻め駒を責めていく。

 むかえたこの局面。

 

 

 後手が△28銀成としたところ。

 まだ戦いがはじまったばかりなのに、すでに先手の飛車がお亡くなりになっている。

 教科書だと「これにて攻めが失敗」の図であって、先手陣はにもアヤがついており、このままだと苦しそう。

 が、これが指しているのが佐藤康光となれば、そんな簡単に決まるわけもない。

 ここで冒頭の一文を、思い出してほしい。

 とにかく矢倉は……。

 

 

 

 

 ▲12歩成、△同香、▲15香が、すごい手順。

 なんと「銀損定跡」どころか、飛車を一枚、まるまるあげてしまおうという手だ。

 まともな感覚なら、苦しまぎれの「バンザイアタック」にしか見えないが、佐藤康光はここをねらっていた。

 後手も△18成銀と取るしかないが、▲12香成、△同玉に、▲33歩と打つのが痛烈な一発。

 

 

 まるで、撃たれてもかまわず、ナイフで腹をえぐりにくる、ヤクザの鉄砲玉のようだが、おそろしいことに、なんとこれで後手は受けが難しい。

 △同桂は▲13角成、△21玉、▲12銀詰み

 で取るのは、どちらでも▲13銀と浴びせ倒しを食らって、とてもしのぎ切れないだろう。

 そう、これが「緻密と見せかけて乱暴」という、佐藤康光のバイオレンス将棋である。

 こんな負かされ方をしたら、相居飛車の後手番なんて、やってられへんわ! 

 なんて、ふてくされたくなるなところだが、そこは天下の羽生善治である。

 ここで見事な受けを披露し、猛獣佐藤のかぶりつきを、ヒラリとかわしてしまうのだ。

 

 

 

 

 

 

 △22玉と寄るのが、思わず「え?」となる手。

 いや、金タダなんスけど……と心配はご無用で、もちろんこれは、後手の読み筋。

 先手はもちろん、▲32歩成と取るが、それを△同玉と、取り返した形を見ていただきたい。

 

 

 

 △32と言えば、矢倉囲いのカナメ駒であり、急所中の急所。

 その守備隊長を、こんな形でボロっと取られて大丈夫なのかといえば、次にきびしい攻めが存外ないというから、おどろきである。

 だいたいが、むこうは飛車損で攻めているのだから、これでもまだ後手が駒得だし、先手は歩切れなのも痛い。

 しかも、後手玉は左辺が広く、手順にそちらに逃げているのが大きいのだ。

 ここで先手の次の手が、▲97桂なのだから、羽生の判断が正しいことがお分かりであろう。

 この▲97桂というのは、実にさみしい手で、いわば

 

 「自分の攻めは間違ってました。読み負けてました。完敗です。もう一回、やりなおさせてください」

 

 というもの。つまりは土下座である。

 ここは、理想を言えば先手先手で攻めまくって、その反動で相手にも駒を渡すけど、

 

 「最後に▲97桂と取る手が、一歩を補充しながら自陣を安全にする【詰めろのがれの詰めろ】になってピッタリ」

 

 みたいになればいいなとか、そんな流れを想像してみたくもなるところ。

 それを、攻めが切れそうだから「勘弁してください」と▲97桂としなければならないとは、あんまりといえば、あんまりな展開である。

 さらに数手進んで、この▲12銀という手を見れば、いかに羽生の対応がすばらしかったかがわかる。

 

 

 土台がヨレて、今にもペシャンコにされそうな先手陣にくらべて、後手玉は広々として、手のつけようがない。
 
 この銀打ちも、後手が左辺に逃げていくのが見え見えなのに、反対から攻めていくなど無筋にもほどがあるのだが、それ以外に手がないのだ。

 佐藤康光ほどの使い手が、こんな空を切ったパンチを打たされる。

 それだけ、羽生のしのぎが際立っていたということだ。

 逆に言えば後手は△22玉という好手がなければ、そのまま持っていかれた可能性は大なわけで、その意味では攻めが通るかどうかは、まさに紙一重

 達人クラスでなければ、あそこからわずか数手で、後手投了してもおかしくなかったのだ。 

 それを見切った羽生が、やはりすごすぎである。以下、△97香成、▲同歩、△95桂と上部から押しつぶして圧勝。

 その後もゆるまず3連勝で、三冠をねらった佐藤康光の野望を打ち砕いたのであった。

 

 (藤井猛を脱帽させた羽生善治の受け編に続く→こちら

 

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モテないわけじゃないのに、彼氏彼女がいない人と 「好み」「好まれる」の不一致 その5

2022年01月24日 | モテ活
 前回(→こちら)の続き。
 
 
 「モテないわけではないのに、彼氏彼女がいない人」
 
 
 というのは、その人の能力うんぬんではなく、
 
 
 「好きになるタイプと、なられるタイプの不一致
 
 
 そこに原因があるのでは、という仮説を立ててみた。
 
 逆にいうと、「モテる」「恋人が途切れない人」というのは、
 
 
 「自分を好きにってくれる人」
 
 「自分が口説きやすいタイプの異性」
 
 
 これが一致している。
 
 その点で言えば、「イケてる」にもかかわらず「モテモテ」にはならない、ミドウ君やレリコちゃんの場合は、ちょっともったいない気がしないでもない。
 
 これに関しては、本人も周囲も「なんで?」となって、いまひとつ理由がわかってないことも多い。
 
 そりゃまあ、彼ら彼女らは
 
 
 「自分を気に入ってくれる人を好きにならない」
 
 
 というだけで、別に悪気落ち度ない
 
 あまつさえ「えり好み」とか言われて、でも、そういうわけでもないんである。
 
 よく見ると、こういった「すれ違い」は、まま見かけるものだ。
 
 A君ヤンキーBさんに好きになられるけど、怖いからダメ
 
 そんなBさん同じヤンキーC君がホの字だけど、BさんA君みたいなやさしい子がいい。
 
 そんなC君をじっと見つめる優等生Dさんだけど、C君はおとなしい女子は視界にも入らない。
 
 そんな様子を、悲しそうに見るE君という男子がいて……。
 
 嗚呼、こうして、だれも罪がないのに「一致」しないだけで、人はいくらでも、すれ違うことができる。
 
 まさに、アルトゥールシュニッツラーの名作戯曲『輪舞』ではないか。
 
 だから私は思うのだ。「モテたい」ときには妥協も必要だと。
 
 でもそれは
 
 
 「モテないんだから下を見ろ」
 
 
 ということではない。そこが本質ではない
 
 多くの人は別に「志望校を落とす」必要などないのだ。人間、10代の 
 
 
 「知性と経験値の少なさから、しか判断材料がない」
 
 
 という頃でもない限り、そんな案外、高望みはしてないもんだ。
 
 そもそも「下」を見るなんて発想が失礼だし、ぶっちゃけ下を見たからってモテるわけでもない
 
 たぶん、やるべきことは「への妥協」なのだ。
 
 今まで気がつかなかった、気がついても興味がなかったり、苦手意識があったりした異性に目を向けてみる。
 
 下ではなく、視点を今まで死角になっていた「横」にスライドさせてみる。
 
 イケイケ女子が苦手だったミドウ君は、一度彼女らとデートしてみるべきだった。
 
 そしたら、ダメはダメかもしれないけど、もしかしたら
 
 
 「あれ? 苦手と思ってたけど、話してみたら……」
 
 
 てなこともあったかもしれない。
 
 人間、接してみたら意外と、なんてケースはいくらでもある。
 
 レリコちゃんもそうだった。男は日本男児だけじゃない。
 
 「引っ張ってくれない」男も「外国人」も、つきあってみたら、そこに「日本男児の心」があるかもしれない。
 
 そこを深入りすることなく、なんとなくのイメージで判断するのは、もしかしたらチャンスを逃しているのかもしれない。
 
 この話は、各所でするとけっこう
 
 
 「あー、なるほど」
 
 「わかる」
 
 
 納得されることも多いので、それなりの説得力も、あるのではあるまいか。
 
 まあ、これだと結論として
 
 
 「モテてないのは、あんたが悪いわけやない」
 
 
 となるから受け入れやすいってのも、あるかもしれないけど、それにしてもひとつの、突破口になるやもしれないではないか。
 
 世の「なんでモテない」と首をかしげている諸君。もっと「横に妥協」してみてはどうだろう。
 
 そしたら、少しは世界が、ちがって見えるかもしれないし、賛成意見もけっこういたりもするので、よかったら参考にしてみてください。
 
 
 (続く→こちら
 
 
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モテないわけじゃないのに、彼氏彼女がいない人と 「好み」「好まれる」の不一致 その4

2022年01月23日 | モテ活
 前回(→こちら)の続き。
 
 
 「モテないわけではないのに、彼氏彼女がいない人」
 
 
 というのは、その人の能力うんぬんではなく、
 
 
 「好きになるタイプと、なられるタイプの不一致
 
 
 そこに原因があるのでは、という仮説を立ててみた。
 
 前回のミドウ君はハンサムで性格もいいのに、そういう男にねらいを定める
 
 
 「クラスのイケイケで、かわいい子」
 
 
 にまったく興味がないため、結果「モテない」ということになる。
 
 この手の話は聞いてみるとけっこうあって、友人レリコちゃんは美人でスタイルがよく、留学経験があり英語が話せるという才女。
 
 ところが、これがなかなか、に恵まれない。
 
 訊いてみるとやはり、「好きになる、なられる」のバランスが悪いよう。
 
 「できる」タイプの彼女はステータスだけなら、かなり高いが、その美点を見る男性にまったく興味がない。
 
 そこで「どんな人が好みなの?」と問うてみると、
 
 
 「グイグイ引っぱって行ってくれる人がいい」
 
 
 これを聞いたとき、思わず「あかーん!」と、ひっくり返りそうになりましたね。
 
 そらそうや。だいたい男なんて、エラそうなことを言っても、しょせんは傷つきやすい子羊ちゃんばっかしなのだ。
 
 それをつかまえて「ひっぱっていって」って、無茶ぶりにもほどがある。
 
 日本の男の子は、「英語しゃべれる美女」になんてグイグイ行けません。
 
 なので、彼女はいつも、山田耕作なみに待ちぼうけなのだ。
 
 海外経験の豊富な彼女は外国人の知り合いが多く、アドレス帳にも「Steve」「George」などあるから、
 
 
 「外国人とつきあったら?」
 
 
 水を向けてみると、
 
 
 「あかんねん。そういう人は友達はいいけど、恋人には無理。ウチ、日本男児が理想やから」
 
 
 嗚呼、やっぱり。ものの見事な「なる・なられる」不一致さんだ。
 
 もし彼女が逆に
 
 
 「イケてる女に甘えたい」
 
 
 という男性が好みなら、もうウハウハのハーレム状態だろう。
 
 それが、「日本男児」にこだわったばっかりに、なかなか相手に恵まれない。
 
 で、本人は「なんで彼氏ができひんのやろ」とボヤいている。
 
 ここまでくれば、カンのいい読者諸兄には、もうおわかりであろう。
 
 ミドウ君やレリコちゃんは「不一致」で苦労しているが、これが逆もまた真なりで、「一致」している人は、むしろその表面上のもの以上にモテることになる。
 
 友人サカイ君はぱっと見、そんなイケてる男ではない。
 
 まあ、悪いわけではないが、基本的には並みくらいである。
 
 ところがこの男がモテる。めっちゃモテる。
 
 とにかく「彼女が途切れたことがない」タイプの男なのだ。
 
 もちろん、それは彼自身の人なつっこさと、話術の妙もあるのだが、それ以上にこの男は
 
 
 「自分を気に入ってくれるタイプ」
 
 
 これを知っている強みがある。
 
 友はとにかく、
 
 
 「心にちょっとした屈託をかかえている女性」
 
 
 に好かれる。メンヘラとまではいかないが、
 
 
 「家族とうまくいってない」
 
 「閉鎖的な地方出身である」
 
 「体のどこかにコンプレックス(胸が大きいとか、背が高すぎるとか)がある」
 
 
 などといった「ちょっとした悩み」を持つ女性と、仲良くなりやすい。
 
 うまいことに、彼自身もそういった子の話を聞くのが、すごく達者なのだ。
 
 でもって、その悩みをうまく解消してあげる。
 
 端的にいえば、「そのままのキミが好き」と受け入れてあげる。
 
 それで
 
 
 「ステキ!」
 
 「あたしを理解してくれる王子様!」
 
 
 となって、恋が芽生えるパターンなのだ。
 
 彼の名言に、
 
 
 「オレは、パートに出てて、ちょっと生活に疲れてる主婦は100パー落とせる」
 
 
 というのがあり、なんだかゲスい雰囲気もあるが、これが本当なのである。
 
 いったんターゲットをしぼれば「シモヘイヘか!」と、つっこみたくなるくらい、一発必中でヒットさせるのだ。
 
 われわれ悪友は彼のことを、
 
 
 「色魔」
 
 「詐欺師」
 
 「イタリア人」
 
 
 やっかみ半分で呼んでいたが、そんな彼も1度大きな挫折を味わっており、あるとき友の一人が、
 
 
 「なんか、キミのつき合う女って、同じタイプばっかりやなあ。ワンパターンちゃんのん」
 
 
 なんてヤカラを入れたところ、
 
 
 「おう、ほんならオレ様の実力を見せたろやんけ!」
 
 
 とばかりに、いつもと違う、
 
 
 「お嬢様大学に通う女子大生」
 
 「歯医者の卵」
 
 「ベンチャー企業の女社長」
 
 
 などに果敢に突撃したが、ことごとくフラれたどころか、その中の一人から、
 
 
 「アンタはモテてるつもりか知らんが、自分がイケるとわかってる女だけしかねらわへん、ストライクゾーンのせまい男や」
 
 
 キッチリ見破られたうえ、
 
 
 「だから、チョーシこくな」
 
 「カン違いすなよ、マジで」
 
 
 そう言って詰められるという、オマケまでついた。
 
 友はそのショックから、南森町のカフェで号泣して大変だったらしいが、別にストライクゾーンがせまいうんぬん自体は、悪いことではない。
 
 単純に恋人がほしいだけなら、サカイ君の「見破る」能力はたいしたもので、大いに活用すべきである。
 
 たぶん、「恋人が途切れない」人は、意識無意識問わず、この「一致」を自覚しているのだろう。
 
 逆に言えば、サカイ君のような色事師でも、
 
 
 「自分を好きになってくれないタイプ」
 
 
 これが相手のアウェーとなると、こんな苦戦を強いられる。
 
 これで、本来なら魅力的な男子であったはずのミドウ君が「モテなかった」理由もわかろうというもの。
 
 そしてここへ来てようやく、最初の方で言った、
 
 
 「恋人が欲しければ妥協しろ」
 
 
 という、よくあるアドバイスが、間違ってるとは言わないが、少しを外していることが。
 
 妥協するなら「」を見るのではなく、どの方向に目をやるべきか、見えてくるのではあるまいか。
 
 
 
 (続く→こちら
 
 
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モテないわけじゃないのに、彼氏彼女がいない人と 「好み」「好まれる」の不一致 その3

2022年01月22日 | モテ活
 前回(→こちら)の続き。
 
 
 「モテないわけではないのに、彼氏彼女がいない人」
 
 
 というのは、その人の能力うんぬんではなく、
 
 
 「好きになるタイプと、なられるタイプの不一致
 
 
 そこに原因があるのでは、という仮説を立ててみた。
 
 顔も性格もいいのに、なぜか彼女がいない友人ミドウ君だが、クラスもかわいい女子の誘いを断っているのが原因らしい。
 
 なんともったいない! と、その理由を問うならば、
 
 
 「オレ、ああいうクラスの人気者的女子が苦手やねん」
 
 
 そうして友は、心底不思議そうに、
 
 
 「みんな、あの子らかわいいとか、つき合いたいとか言うやん。それが、オレには全然理解できひんねんなあ」
 
 
 そう首をかしげるのだ。
 
 これにはこっちが「はあ?」である。
 
 ミドウ君の拒否する「キモイの姫君」たちは、たしかにクラスの中でもかわいい方で、その自覚があるのだろう、基本的に積極的自信も満々だ。
 
 しかしだ、それにしても、かわいい女子からデート誘われて、ふつう断るか?
 
 たしかに、あの子らみたいな、イケイケの女子が苦手というのはわからなくもない。
 
 でもそれは、私のような地味スットコ系男子の言うことであろう。
 
 
 「バカにされるんちゃうか」
 
 「笑われるんちゃうか」
 
 「だまされてるんちゃうか」。
 
 
 腰が引けまくっている我々ボンクラとちがい、彼のような「いい男」はちっとも、そんなことを感じる必要もない。
 
 いやむしろ、どう見たってハンサムと、かわいこちゃんで「お似合い」だ。
 
 周囲に自慢だってできるし、10代の自意識には、そういう感覚もあるもんでないんかいな。
 
 しかし、ミドウ君は、
 
 
 「いやいや、合わへんよ。オレはもっと、おとなしくてマジメなタイプが好きなんや。あんなキラキラしたん、しんどいで」
 
 
 うーむと、これには、思わずうなったものだ。
 
 そっかー、彼はせっかくモテる要素はあるのに、そこに引っかかってくる女の子にはまったく興味が持てない。
 
 だから、結果つきあえないどころか、好感度すら下げることになっている。
 
 そういや、けらえいこさんの『あたしンち』で、中学生のユズヒコ君が、クラスのアイドル的存在の里奈ちゃんについて、
 
 
 「みんな、あの子のこと、かわいいっていうけど、オレ全然わかんないんだよなー」
 
 
 なんて首をかしげるシーンがあるけど、あれか。
 
 そういやユズピも「モテる」(無自覚だけど)設定だっだなあ。
 
 じゃあ、「地味でまじめな」子とつきあえばと問うならば、
 
 
 「それが、そういう子は全然、こっちに振り向いてくれへんねん」
 
 
 トホホといった調子で、おっしゃるのである。
 
 そう、彼が好む、控え目で真面目な子はミドウ君のことを、
 
 
 「目立たない、わたしたちのような地味系女子とは関係ない世界のイケメン」
 
 
 であると、カテゴライズしており、
 
 
 「ああいう人は、イケイケのかわいい女子とつき合うもの」
 
 
 ハナから、決めつけているらしいのだ。
 
 ゆえに
 
 
 「恐れ多い」
 
 「近づく気にもなれない」
 
 
 われわれのようなボンクラ男子が、かわいい子に腰が引けるのと、まあ似たような理由で避けるのだという。
 
 どうせスクールカースト上位同士で、よろしくやってるんでしょ、と。
 
 少なくとも、ミドウ君の経験では、そうだったと。
 
 まあ、言われてみれば我々だって美人が
 
 
 「あたし、イケてる男子って逆に苦手」
 
 
 とか言っても、
 
 
 「ふざけんな! このウソつきのクソ女! じゃあ、お前明日から、金も地位も才能も無くしたほんこんさんと、つきあえるんか!」
 
 
 ってなるし(←それ、ほんこんさんに失礼だろ!)、そもそもが、
 
 
 「クラスで一番の美女に声をかけよう」
 
 
 という発想すらないのだ。
 
 だからみんな、「阿呆のふりして行け」と言うのだな。
 
 「理性」があったら、とてもそんなことはできんわけで、それは男女問わず似たようなことがあるようなのだ。
 
 さらにいえばミドウ君自体が、
 
 
 「そもそも、そういう地味な子と、オレもなにしゃべってええかも、わからんねんけどな」
 
 
 彼は苦笑しながら、
 
 
 「キミが文化系の女の子と、マンガとか小説の話で盛り上がってるん、うらやましいな思うて見てるもん」
 
 
 嗚呼、なんという哀しい、スレ違いであろうか。
 
 こっちはイケメンで、さわやかスポーツマンの彼を羨望の目で見ている裏で、
 
 
 「大島弓子ってだれ? シュトルム・ウント・ドランクってなに? いいなあ、オレもまぜてほしいなあ」
 
 
 とか、指をくわえとるのだというのだ。
 
 もし彼の好みが「かわいい人気者女子」と、わかりやすければ、もうモテモテで毎日がパラダイス
 
 逆に、彼自身がもう少し目立たなければ、ハードルが下がって、もっとナチュラルに「控え目女子」と接することができるかもしれない。
 
 でも、たしかにいるよなあ。
 
 
 剣道がうまいのに、本人は野球好きだから下手なのに野球部に入って、ずっと補欠
 
 
 みたいな子。
 
 はたからは、剣道やればいいのにと思うけど、本人が野球を「好き」なんだから、こればっかりはしょうがない。
 
 単に「能力値が高い」からモテるとかぎらないと、このときに気づかされもの。
 
 当時の経験から、私は
 
 
 「スペックは悪くないけどモテない人」
 
 
 を見ると、なにげにその人の好みをたずねることにしたのだ。
 
 そうすると、同じような話が出るわ出るわで、この
 
 
 「モテないわけではないけど不一致」問題
 
 
 なかなか根深いと、思わされるのである。
 
 
 (続く→こちら
 
 
 
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モテないわけじゃないのに、彼氏彼女がいない人と 「好み」「好まれる」の不一致 その2

2022年01月21日 | モテ活
 前回(→こちら)の続き。
 
 
 「モテないわけではないのに、彼氏彼女がいない人」
 
 
 というのは、その人の能力うんぬんではなく、
 
 
 「好きになるタイプと、なられるタイプの不一致
 
 
 そこに原因があるのでは、という仮説を立ててみた。
 
 そう考えるきっかけになったのが、高校時代のクラスメートであるミドウ君だった。
 
 ミドウ君は見た目なかなかの男前で、中学時代はサッカー部でならしたスポーツマン。
 
 性格も悪くなく、普通に考えれば、どこをどうひっくり返しても「モテる」側の男子である。
 
 ところが、彼にはこれといった浮いた話がなかった。
 
 彼女がいるとか、告白されたとかいうも聞かず、そのことはクラスの面々もなんとなく不思議に思っていた。
 
 そこで放課後、クラスの女子とおしゃべりしていたときに、訊いてみたことがある。
 
 ミドウってさあ、モテそうやのにフリーやん。女子から見て、彼はどうなん? と。
 
 そこでの返事が、なかなかに意外であった。
 
 彼女らはみな、「そりゃあねえ」と顔を合わせると、
 
 
 「ミドウ君ねえ」
 
 「見た目はいいけどね」
 
 「雰囲気もさわやかだし」
 
 
 そこだけ聞けば、いいことずくめだが、彼女らは続けて、
 
 
 「でも、なんかよくわかんないし」

 「暗そうだよね」

 「そうそう、ノリ悪そうだし」

  「てゆうか、ちょいキモイ」
 
 
 などなど、急に手厳しいことに。
 
 というか、ミドウ君クラスでこのあつかいなら、もう我々のような「ひと山いくら」なボンクラどもは、明日からどう生きていけばいいのか。
 
 ふーん、男女の感覚ってのは、わかんないもんやねえ。
 
 なんて思いながら、今度はミドウ君に訊いてみることにした。
 
 さすがに「あんた、なんでモテへんの?」とはつっこめないから、
 
 
 「ミドウってさあ、彼女とか作らへんの? モテるやろ。ほんで、その友だち紹介してくれよ」
 
 
 といった「お調子者の友だち」風にたずねてみると、
 
 
 「いやあ、オレって、あんましモテへんし」
 
 
 苦笑いする友。
 
 
 「でもさあ、向こうが誘ってくるときもあるやん。デートとか、引く手あまたっしょ」
 
 
 さらに追及してみると、
 
 
 「まあ、ねえ……それはあるけど」
 
 
 そうやろうなあ。なんのかのいって彼は
 
 
 「放課後カラオケ行こう」
 
 「今度の日曜日、2対2で遊園地どうかな」
 
 
 みたいな誘いは、それなりに受けているというのだ。
 
 まったく、うらやましいかぎりだ。
 
 そこでちょっとおどろいたのが、そのお誘いの主の中に、私がリサーチした「キモイの姫君」たちの名前もあったこと。
 
 おいおい、あの子らしっかり、この男のこと目ぇつけとるやんけ。
 
 「暗い」とか「キモい」とかケチつけときながら、やることやっとるがな!
 
 で、オレ様は無視か! 誘えよ! 映画くらいやったら、おごるのに。『ゴジラVSビオランテ』とか『ロケッティア』とかさ(←そこが誘われない理由だと早くわかるように)。
 
 それはともかく、なるほど、これであの子たちがミドウ君に、当たりがきつかった理由はわかった。
 
 袖にされて、ちょっとおもしろくなかったわけね。
 
 でも、なんで断りよったんやろ、この男も。
 
 せっかく声かけてくれたんやから、気ぃよう行ったらええものを。
 
 オレだったら華麗にエスコートするぜ、京都の納涼古本市とか(←かつてデートで女の子そっちのけで古本を選んでいて、黙って帰られたことがある男)。
 
 で、その理由を問うてみるならば、その答えというのが、
 
 
 「アハハ、オレ、ああいうクラスの人気者系女子が苦手やねん」
 
 
 (続く→こちら
 
 
 
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モテないわけじゃないのに、彼氏彼女がいない人と 「好み」「好まれる」の不一致

2022年01月20日 | モテ活
 「モテないわけではないのに、彼氏や彼女がいない人」
 
 
 というのが、なぜか存在する。
 
 「モテ問題」というのは、どうしても「ねたみひがみ」の要素が入ってくるため、ともすると
 
 
 「結局、女なんて、みんなイケメンがいいんでしょ?」
 
 「胸が大きければ、男は簡単に鼻の下のばしちゃってさ。バッカみたい」
 
 
 みたいな「結局は論」になりがちだが、もちろんのこと、そんな単純なものではない。
 
 クズみたいな男がモテモテだったり、不美人でもカッコイイ彼氏がいたり、中にはスペックは高いけど
 
 
「異性や恋愛にあんまし興味がない」
 
 
 から、ひとりで平気という人もいたりする。
 
 かくのごとく「モテ」とはなかなかに法則化しにくく複雑怪奇であるが、中でも不思議なのが、冒頭に書いたような人々のこと。
 
 まわりを見てると、結構いるんですよね。
 
 見た目は悪くない、性格もいい。
 
 大人の場合だと経済力もそれなりにあって、これといった欠点がないのに彼氏や彼女がいなくて、本人もさることながら周りの友人たちが、
 
 
 「おかしいなあ。なんで、こいつに彼女(彼氏)がいてへんねやろう」
 
 
 首をかしげたくなる人が。
 
 そこで、あれこれと考えてみたり、友人知人を観察したり、聞き取り調査を行った結果、ひとつの仮説に至ることとなった。
 
 それというのが、
 
 
 「自分が好きになるタイプと、好きになられるタイプの不一致
 
 
 これではないかと。
 
 恋愛というのは、基本として男女が、おたがいに相手のことを「好き」になり合って成立する。
 
 もちろん、そこには打算妥協もからんでこようが、原則として両者が相手に好意をもって、それが縁あってリンクしたときに「恋人」誕生ということになるわけだ。
 
 ここでポイントなのは、恋愛とは片方の「好き」はあっても、もう片方の「好き」がなければ成立しないこと。
 
 このズレこそが、「スペックは悪くないのに」問題のキモとなる。
 
 あくまで私の見立てだが、こういう人は単にモテない場合もあるが、それ以外に、
 
 
 「自分を好きになってくれる異性にピンとこない」
 
 
 といったケースが、ままあるのだ。
 
 逆に「さほどでもないのに、恋人が途絶えない」チームは、「自分を好きになってくれる人」の気持ちに敏感だ。
 
 だから、すぐにそれに乗っかってが生まれる。
 
 というと、
 
 
 「それって、要するに『選り好み』してんじゃないの? 高望みはダメだって、多少は妥協しなきゃ」
 
 
 などとアドバイスを送る、読者諸兄もおられるかもしれないが、そこである。
 
 その考え方が、ややポイントをはずしているからこそ、この問題が難しくなっているのではあるまいか。
 
 私も当初は、
 
 
 「まあ、選ぶからなんかなあ」
 
 
 と単純に考えていて、まあそれ自体は間違ってはいないのだろうけど、話を聞いていると、これは決して「選り好み」ではない。
 
 その証拠に「スペックは悪くないのに」チームの面々が
 
 
 「あの人がいいのに振り向いてくれない」
 
 
 という相手が、かならずしも美人イケメンとは限らないのだ。
 
 いやそれどころか、
 
 
 「あれ、あいつ別に、顔がいいわけじゃないけど」
 
 「キミやったら、もっと上をねらえるんちゃう?」
 
 
 みたいな人だったりする。
 
 つまりそこには、「独自性」「多様性」が感じられるわけで、特にそこに「高望み」が感じられないことも多々。
 
 なのに、なぜそこで「カップル成立」とならないのか。
 
 
 それは、たとえば「イケメン」「美人」なら、「見た目にこだわらない人」を好きになってしまう。
 
 「明るい人気者」なら「おとなしい子と、まったりしたい人」に好意を持つ。
 
 「さわやかスポーツマン」なら「パートナーとクリエイティブな話をしたい文化系女子」とお近づきになりたい。
 
 
 などといった、どう考えても振りむいてもらいにくい、「相性の悪い」相手を好んでしまうことが、あるからなのだ。
 
 
 (続く→こちら
 
 
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巨人伝説vol.10 グランド・フィナーレ 大山康晴vs高橋道雄 1992年 第50期A級順位戦 プレーオフ

2022年01月14日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回(→こちら)の続き。

 

 「A級から降級したら引退」

 

 をかかげていながらも、その不屈の精神でなんどもピンチをしのいできた、69歳(!)の大山康晴十五世名人(第1回は→こちらから)。

 それどころか、1992年の第50期A級順位戦では、5勝3敗と勝ち越し、降級どころか、名人挑戦をねらえる位置につけていたのだ。

 最終戦も、当時四冠(竜王・棋聖・王位・王将)を保持していた谷川浩司相手に、ほとんど完封ペースで戦いを進める。

 このまま押し切るかに思われたところで、最後にすごい場面が飛び出した。

 

 

 先手の大山が▲53歩成としたところだが、これが波乱を呼びこんだかもしれない手。

 控室の検討陣から大盤解説場のお客さんたちまでが、一斉に悲鳴を上げた、すごい踏みこみだったのだ。

 ここが後手にとって、最後のチャンスだった。

 この手自体は、と金を作って、

 

 「▲53のと金に負けなし」

 

 の格言通りな上、角取りにもなって、きびしい手である。

 ただし穴熊相手だと、まだターゲットが遠い。

 それどころか、ここでもう1手▲52と、とを取ったとて、やはり後手の穴熊はまったく傷んでいない。

 後手はこの2手の間に、命懸けの特攻を見せられるわけで、事実△77角成という、破壊力バツグンな手がある。

 さあ、「光速の寄せ」谷川浩司の美技がみられるぞと、期待は高まり、一方の大山ファンは祈ることしかできないが、あにはからんや。

 なんとここで、後手は△41角と逃げたのだ。

 これでは、先手の▲53歩成が、まるまる通ってしまうことになり、しかない形だ。

 最終盤で、こんな勢いのない手を指しては、いかな谷川といえども勝てるわけがない。

 桐山清澄戦に続いて、またも一流棋士に

 

 「将棋にない手」

 

 を指させた大山は▲67金と打って、とどめを刺した。

 

 

 これこそが、まさに大山流の受けつぶしであり、相手に何もさせませんよと宣言した、冷たい指し方。

 将棋には伝説的な手というのがたくさんあって、

 


 「升田の△35銀」(→こちら

 「中原の▲57銀」(→こちら

 「羽生の▲52銀」

 「谷川の△77桂」(→こちら

 


 今なら藤井聡太四冠の「▲44桂」「△77同飛成」「▲41銀」とか、これは書き切れないが、この


 「大山の▲67金


 もまた、そのひとつであり、まさに「大山伝説」の最終章を飾るに、ふさわしい1手だ。

 この手で、戦意を完全に喪失した谷川は、この後すぐに投了

 



 「はじめて大山先生に本気を出してもらった気がします」


 

 という言葉を残し、その余韻も冷めやらぬまま、高橋も塚田泰明八段に敗れる(塚田は6連敗からの3連勝で奇跡的な残留)。

 3敗の南芳一九段が勝ったことから、これで谷川、南、高橋、大山の4者プレーオフに突入。

 「伝説」はまだまだ続くどころか、信じられないような

 「70歳名人

 の可能性すら出てきた。もう、笑うしかないよ。

 パラマス方式による4者プレーオフは、まず大山と高橋から。

 戦型は後手の大山が、今ではなつかしいツノ銀中飛車にすると、高橋はやはり居飛車穴熊

 

 

 

 当時の感覚では、バランスはいいものの玉のうすい後手が「勝ちにくい」形に見えたが、大山は軽快にさばいて優位を築く。

 

 

 

 

 

 

 △86歩▲同歩△87歩と急所にタタくのが、気持ちいい攻め。

 ▲同銀と取らせて、△79が浮いたところで、△46角と軽快に飛び出す。

 ▲78金と逃げるしかないが、△55金と中央を制圧して、見事な振り飛車さばけ形。

 

 

 困った高橋は▲84角と飛び出し、△73金▲同角成と切り飛ばす、苦肉の策。

 とにかく、後手のカナ駒をけずって、陣形の差でなんとかしようということだが、手を尽くして▲23飛成とつっこんだところで、△22歩▲同竜△33角の受けがピッタリ。

 

 

 竜を逃げては△45歩と角筋を通すのが絶品で、勝負どころがなくなる。

 困った高橋は▲33同竜と切り飛ばして、捨て身の特攻にかけるが、これでは苦しい。

 

 

 図ではすでに、後手が勝勢

 ここで大山に、決め手があった。

 そう、ここまで△81の地点で受けに効かしていた飛車を、ぐるりと△21に回る妙手があったのだ。

 

 

 これで次の△29飛成が受からない。

 後手はもう1枚飛車があるから、駒を埋めて守っても、手が伸びない形だ。

 こうなれば大山必勝で、

 


 「大山先生は、今が全盛期だ!」


 

 控室の棋士たちも脱帽だったが、なにか錯覚があったか、大山は△88歩と飛車の転換を逃してしまう。

 以下、▲同金に△28飛は自然な攻めだが、これだと▲78金打と補強する筋があって、先手もがんばれる。

 

 

 これでも後手優勢だろうが、体力に不安のある大山にとって、少しイヤな流れになったことは否めない。

 自然なのは△29飛成として、△77桂打のような手をねらうところだが、桂を取ったときに▲58桂と打つ手が気になる。

 手が見えなくなった大山は、苦悶に沈む。フィニッシュホールドをのがし、明らかに雰囲気がおかしい。

 そして、ここで敗着を指してしまった。

 

 

 

 △85歩と打つのが、暴発となった。

 ▲同歩△同飛▲86歩△75飛▲76歩△同金▲84銀と、たたきつけるのが痛打。

 

 

 

 △同玉▲85銀や、一回▲76銀と取ってから、△同飛▲85銀などで、飛車を取られてしまう。

 バランス型の後手陣は、こうなると弱い。

 将棋は完全に逆転したが、大山はまだあきらめず、玉を中段に泳ぎだして入玉にすべてをかける。

 その迫力に、高橋もあせらされたかもしれないが、最後まで逆転の目はなかったようだ。

 

 

 次の手を指すとき、大山は力強い手つきだったそうだが……。

 

 

 

 

 △37角成が、この手の形の手筋。

 ▲同桂と、根元を除去すれば、△同玉でも△36玉でも、逃げ切りが見えてくる。

 だが、この将棋は、高橋が勝つようにできていた。

 

 

 

 

 

 

 ▲16飛と打つのがピッタリの手で、後手玉は見事につかまっている。

 さしもの大山も、ここで投了するしかなかった。

 こうして、昭和から平成をまたぐ時期のA級順位戦を、盛り上げに盛り上げた「大山伝説」は幕を閉じた。

 その次の年、A級順位戦を一局だけ指したところで、69歳の大山はガンの再発のため入院し、「70歳」A級を目前にしながら、そのまま帰らぬ人となった。

 

 (羽生善治と佐藤康光の熱闘編に続く→こちら

 

 

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巨人伝説vol.9 受けつぶしの「▲67金」 大山康晴vs谷川浩司 1992年 第50期A級順位戦

2022年01月13日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回(→こちら)の続き。

 降級をかけた一番で、絶体絶命の将棋を「大山哲学の集大成」のような手で逆転

 またしてもA級残留を果たした大山康晴十五世名人(第1回は→こちらから)。

 

 

 何度見てもすごい▲69銀。

 

 

 ここでもう1年しのげれば、夢の「70歳A級」になるわけだが、この期の順位戦は降級どころか、まさに

 「ウィニングラン

 と呼んでいいような展開となった。

 

 「A級から落ちたら引退」

 

 と話題を呼ぶ中、大山はここで負ければ試合終了というピンチを、圧勝から大逆転まで、様々な形でクリアしてきたわけだが、まあ今年も降級をおそれながらの戦いになることが、予想されるところ。

 どころか、一度は克服したはずの肝臓ガン再手術をリーグ途中で余儀なくされるなど、不運も重なることに。

 ふつうなら、とてもトップ10プレーヤーたちの激しい戦いに、ついていける体調ではなかったはずで、今年こそいよいよ……。

 というのが、レースの途中経過であったが、ここで大山はまたもや、あきれかえるような底力を見せる。

 なんと、1992年の第50期A級順位戦では、手術前の微妙な時期に、小林健二八段を得意の受けつぶしで圧倒するなど(その将棋は→こちら)、ケタ違いのパワーを発揮。

 その勢いのまま5勝3敗で、降級なんてどこ吹く風と、勝ち越しを確定させてリーグ最終日をむかえる。

 また、ラストの相手が、6勝2敗の谷川浩司竜王ということもあって、これに勝ったうえで、やはり2敗の高橋道雄九段が敗れれば、どうだろう。

 これは降級どころか、まさかの名人挑戦の目も出てくるではないか!

 もう、正直なところ感動を通り越して、あきれるしかないが、ともかくも、この大山のがんばりに将棋界は沸きに沸いた。

 なんといっても、最終戦には一般マスコミも多数取材におとずれ、ある人など、


 「こんな場面を取材することができて感激してます」


 現在、A級順位戦の最終局のことを、

 「将棋界の一番長い日

 と呼ぶのは、この「大山フィーバー」があった、数シーズンの流れからなのである。

 またこの将棋が、大山最晩年の傑作ともいえる内容で、観戦者をあきれさせることとなる。

 大山の振り飛車に、谷川は居飛車穴熊にもぐって戦う。

 大山と言えば、穴熊戦も得意としており、しかもその戦い方というのも、

 「藤井システム

 のように組まれる前につぶすのではなく、組ませて、じっくり押さえこんでしまうというもの。

 居飛車穴熊は駒がかたよっているため、ふつうはそれが有効な戦略で、実際AIなんかは、そうやって穴熊を完封してしまうと一時期話題を呼んだが、人間的にはそうではない。

 久保利明九段は、たしか美濃囲いで左の銀を▲45歩▲46銀と組む「真部流」について話していたとき、


 「振り飛車7・3リードの局面でも、1手ミスしただけで1・9の敗勢になることがあるのが、穴熊を相手にしてイヤになるところ」


 といった発言をしており、序盤で先取点を取っても、それをノーミスで逃げ切るのは、人間的にはほぼムリゲーなのだ。

 

 

 これが「真部流」の美濃囲い。

 格調高く、惚れ惚れするような美しさだが、それゆえに穴熊にくらべて薄く、人間的には「勝ちにくい」戦いを余儀なくされる

 

 

 だが、それを唯一やってのけるのが、大山康晴の指しまわしで、この将棋ではそれが炸裂することになる。

 まずは序盤の仕掛けのところ。

 双方しっかりと組み合って、この場面。

 

 

 

 

 後手が△35歩と、ちょっかいをかけたところ。

 ふつうは▲同歩だが、3筋にアヤがつくのはイヤな感じ。

 一目は▲64飛のさばきだが、それには返し技があるため、そこは気をつけないといけない。

 そのあたりのことを考慮に入れて、大山は次の手を選んだ。

 

 

 

 

 

 

 ▲64飛と飛び出すのが、「おお!」という手。

 ここまで何度か書いてきたが、晩年の大山が負けるパターンに、

 

 「序盤から良くしようとして、そこで前のめりになって失敗」

 

 というのがあった。

 もともとの大山は超のつく慎重派だったが、年齢を重ねるごとに体力が落ちて、ガマンがきかなくなっていることが、その理由。

 もっとも、これは大山にかぎらない話だが、この場面ではそれが良い方に出た。

 この飛車走りには△45銀と取って、▲同歩△73角というのが、怖い筋。

 

 

 

 きれいな間接王手飛車がかかっているが、これには▲46角と打って、とりあえず受かっている。

 △64角▲同角で調子がいいから、後手は△34桂と土台の方を責めていく。

 

 

 

 

 ▲35角など逃げると、飛車がタダだが、▲37角と踏んばっても、△46歩と打たれて「オワ」。

 一見、ハマり形に見えるが、これはもちろんのこと、大山の読み筋。

 ▲63飛成と成って、△46桂▲同銀と取り返した局面を見てほしい。

 

 

 

 先手は角銀交換駒損だが、ができ、金銀4枚の「真部流」美濃囲いも美しく、また後手は△43金取りを受けないといけないため、手番もまわってきそう。

 後手の次の手は△52角なのだが、先手を取って守りたいとは言え、こんなところに貴重な大駒を使わせられれば、先手も満足だろう。

 悠々▲68竜と引き上げて、この自陣竜がまた、いかにも「受けの大山」のペースである。

 そこからも、大山は穴熊相手に、丁寧な手順を積み重ねていく。

 たとえば、この場面。

 

 


 △24歩と突いたのは、▲51歩成なら、待ってましたと△23角と転換する。

 次に△44金を取れば、角筋▲67にも届いていて、これは先手難局だが、大山は実に落ち着いたもの。

 

 

 

 ▲89歩と打つのが、おぼえておきたい手筋。

 後手は△23角と同時に、△95角から、△77角成と、二本目のムチを振り回して、突破してくるねらいもある。
 
 だから、△89同竜とさせて、その筋を消しておく。

 たった一歩で反撃の筋を消されて、くやしいことこの上ないが、△77角成を残して△79竜▲99が取れなくなる仕組み。

 かといって、ここで△99竜だと、▲89に残ったの利きをさえぎって、目一杯働くことになってしまう。

 まったく、うまいもので、この手の解説にあったのは、


 「大山はこういう、1円をコツコツためて、1万円にしていくような手を得意としている」

 

 少し進んで、▲43銀と打ったのも手厚い攻め。

 

 


 よく、勝勢になったところからの決め方や、不利になってからのねばり方に

 「棋風が出る

 なんていうが、これぞまさに大山流。

 △53金に、▲34銀成と、このあたりの制空権を確保し、△23角を防いでおく。

 後手は△52金と、懸案のと金のタネを取り払うが、▲同桂成△同角▲35成銀

 

 

 

 これぞまさに、「棋風が出た」場面である。

 大山将棋の特長として、よく語られるのが、


 「最初はバラバラだった金銀が、戦いながら自然に、玉の周りへと集まってくる」


 金銀四枚美濃に、成銀までくっついて、これはもう固さでは、後手の2枚しかない穴熊よりも勝っていると言っていい。

 なにより「厚み」が違って、後手からすれば、どこから手をつけていいのやらサッパリである。

 そこからも、大山は落ち着いた指しまわしで優位を持続させ、快勝かと思われたが、最後の最後に少しばかりドラマがあった。

 クライマックスが、この場面。

 

 

 

 

 大山が▲53歩成としたところだが、これが波乱を呼びこんだかもしれない手。

 控室の検討陣から大盤解説場のお客さんたちまでが、一斉に悲鳴を上げた、すごい踏みこみだったのだ。

 

 (続く→こちら

 

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巨人伝説vol.8 さあ、気ちがいになりなさい 大山康晴vs青野照市 1991年 第49期A級順位戦

2022年01月12日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回(→こちら)の続き。

 第49期A級順位戦で、青野照市八段と2勝同士による「の大一番」を戦う大山康晴十五世名人(第1回は→こちらから)。

 序盤にポカがあり、大きな差をつけられるが、そこから闇試合に持ちこんで、勝負は二転三転、いやニ十転三十転の、わけのわからない戦いに持ち越される。

 クライマックスはこの局面。

 

 

 

 後手玉に詰みはなく、先手玉はほぼ受けなし。

 なら青野が勝ちのようだが、ここで大山は目を疑う手を盤上に示したのだ。

 

 

 

 

 

 ▲69銀と打ったのが、ちょっと信じられない一手であり、「大山伝説」のクライマックスともいえる図だ。

 今回のシリーズについて「なげーよ、いつまでやってんの」と思われた方は、この銀打だけでもいいから、見て行ってほしい。

 なんという手だろう。

 控室からも、どよめきが起こったそうだが、この銀打ちのすごいところは、これで受かってるとは、とても思えないところだ。

 ふつうの人なら、指さない。

 他に指す手がないといっても、こんな無意味に見える手を選ぶくらいなら、投了するという人だっているはずだ。

 まさに、シカゴはコミスキー・パークの熱狂のようではないか。

 

 「ヤス・オーヤマ、クレイジー!」

 

 そこを大山があえて指したのは、単に投げ切れなかったのかもしれないが、河口俊彦八段の『大山康晴の晩節』や、そのキャリアで最後まで大山に苦しめられた内藤國雄九段など多くの人が推測するに、ここにこそまさに、大名人の将棋観が表れているのではということ。

 それはズバリ、

 

 「人は誤りを犯す生き物である」

 

 将棋というのは「逆転のゲーム」と言われるが、それは盤上に悪手比率がものすごく高く、またその穴に落ちたとき、どんなに大差であっても簡単にひっくり返ってしまうという性質があるから。

 それこそが、将棋のおもしろいところであり、不条理なところでもあるが、大山はその前提の上に、人間の「不完全さ」を考慮に入れて戦っていた。

 すなわち、将棋というゲームの、そのさらに難解な終盤戦で、秒読みプレッシャーに追いかけられながら、人が最善手を指し続けるのは至難

 もっといえば、

 

 「お前なんかに、そんなことができるわけない」

 

 河口流の表現を借りれば「軽蔑」であり、徹底した人間蔑視が大山将棋の根底に流れている。

 この▲69銀はまさにそれに殉じた手であり、もしこれで寄せられてしまえば、単なる悪あがきとして歯牙にもかけられないが、それでも大山は指した。

 この手は、もう一度言うが、こう宣言しているからだ。

 将棋はたしかに、後手が勝ちかもしれない。

 

 「だが、お前ごときが、ここで正解手を指せるわけないんだぞ」

 

 一見、みじめな命乞いのように見えて、その内実はラランドの漫才で、サーヤさんが見せるような、

 

 「コイツにできるかどうか、見てやろうぜ」

 

 という、この状況で信じられないほどの、不遜な傲慢さを振りまいた銀打なのだ。

 この推測が本当だとしたら、なんという、ふてぶてしさ。

 まさに人の心や弱さを試し、揺さぶって楽しむメフィストフェレスのような一着ではないか。

 「試された」青野は、この手に心がゆれた。

 第一感はどう考えても「勝った」だ。

 このギリギリの寄せ合いで、受けになってるかどうか怪しい手で、手番をくれたのだ。

 ふつうにやれば、勝てるはず。

 ところが、ここから青野が、おかしくなってしまう。

 それは手順を見れば明確で、△95桂と打ったのはよかったが、▲88玉、△89と、▲98玉、△99と、▲88玉、△89と、▲98玉、△99と、▲88玉、△89と、▲98玉。

 

 

 

 これだけ見ても、青野が迷っているのがわかる。

 同一手順の繰り返しで、千日手のような形だが、王手で千日手になると仕掛ける側が負け。

 この場合は、青野が手を変えないといけない。

 ルール上はそうだが、同一手順3回までならセーフという抜け穴もあり、このループの間に時間をかせぐことができる。

 1分将棋の青野は最終盤でこの「裏ワザ」を使ったが、これが結果的にはよくなかった。

 そもそも、こういった時間稼ぎは、やっている途中に

 

 「今、何回目だったっけ?」

 

 わからなくなって、パニックになりやすい。ましてや、深夜の秒読みとなればなおさらだ。

 さらにいえば、これはあまりにも、青野の人間性と相反する行為だった。

 先も言ったが、青野は常に「他力を頼まない」という信念があり、その格調高さが「信用」につながっていた。

 1990年A級順位戦最終局で、負ければ落ちるという大一番を戦う青野を先崎学四段は、こう評した。

 


 「青野には、首を洗って、人事を尽くして天命を待つ、という雰囲気がある」


 

 また河口八段の筆によれば、

 


 「青野は絶対に他力を頼まない。昇降級争いをしていて、競争相手の星を気にしない唯一の棋士である」


 

 つまり、プロは皆、感じていたわけだ。

 土壇場になった青野は強い、と。

 そのはずが、ここでは、この究極中究極ともいえる局面では、まさかのの目が出てしまった。

 ここは「ルールの抜け穴」なんかに目もくれず、堂々と踏みこめばよく、実際、それで勝ちだったのだから。

 手順のほうは、▲88玉に、△78歩成、▲同銀、△87桂成、▲同玉、△78成銀とシンプルにせまれば、これが△76角成、▲同玉、△77飛からの詰めろ

 

 受けても一手一手で、これで、むずかしいところもなく、後手が勝っていた。

 また、羽生善治九段が指摘するように、詰めろでないのを怖がらないなら、▲69銀に我々でも指せそうな△58角成でもよかった。

 その簡単な手が、どうしても指せない。

 しかも青野は、やはりというべきか、迷っているうちにループの回数がわからなくなった。

 気がついたときには、すでに「最後の1機」を使い果たしており、△78歩成からの必勝ルートに戻れなくなっていたのだ!

 最後の最後に自分の将棋を見失った、いや失わされた青野は、△89と、▲98玉に△87桂成としてしまう。

 これは▲同玉△88飛▲96玉と逃げて、△94歩の詰めろはいかにも細く、▲87桂と受けて先手玉は寄らない。

 

 

 

 以下、△95歩▲86玉△66成銀の詰めろには、▲74飛で王手しながらしのいで先手が勝ち。いくばくもなく、青野が投了となった。

 これで大山は、またしても勝負将棋を制して残留決定。

 この棋譜を見たとき、思わずため息をついてしまったものだ。

 すごいもん勝つなあ、と。

 同時に、全盛期を知らない世代の私が、大山康晴という棋士の本当のすごさを理解した瞬間というのが、ここだったといっていい。

 伝説は、また1年続くこととなった。

 ファンは大拍手な上、本人も目標にしていただろう「70歳A級」が、いよいよ現実のものとなってきたのだ。


 (続く→こちら
 

 

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巨人伝説vol.7 総力戦 大山康晴vs青野照市 1991年 第49期A級順位戦

2022年01月11日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回(→こちら)の続き。

 1991年の第49期A級順位戦8回戦。

 負けたほうが降級一直線という、青野照市八段戦で、序盤に「一発」喰ってしまった大山康晴十五世名人(第1回は→こちらから)。

 

 

 

 この△57桂成で、一目ワザがかかっている。

 ▲同金と取るしかないが、△68角両取りが激痛。

 こんな軽率なミスで、引退を決めなければならないとは、なんたること。

 私だったら、もう泣きくずれるか、ふてくされて、とっとと投げてしまうかもしれないが、ここですべてをこらえて、グッとふんばれるのが「の一字」大山康晴だ。

 

 

 たとえば、▲63歩とたらしたのが、大山流のねばり。

 藤井猛九段によれば、

 


 「悪い時はいろいろな指し方があるが、▲63歩のようにぼんやり歩をたらす手は相当指しにくい」


 


 これが青野のあせりを誘い、疑問手が出たせいで、大山の逆襲をゆるしてしまう。

 だが今度は、ペースを握ったはずの大山が間違える。

 飛車を大きくさばくという、決め手を逃して、またも形勢は混沌

 青野は玉頭戦に持ちこみ、△33銀型左美濃の厚みを生かして、押しつぶしにかかる。

 

 

 

 大山は▲39玉から2枚のにして、懸命の防戦だが、ここでは平凡に△27銀打とすれば、先手玉はつぶれていた。

 その代わりに打った△59金が、逃げ道を封鎖しながらの銀取りで、よさげに見えたが、大山も▲37香から頑強に抵抗。

 △58金▲36香△35歩に、▲24歩△同玉▲44成桂と捨てるのが、うまい手順。

 

 

 △同飛▲32馬と、を取りながら強力なが飛びこんで、またも大山に形勢の針がかたむいた。

 抜け出したかに見えたが、先手が1手ゆるんだスキを突いて、今度は青野が猛攻をかける。

 

 

 

 △36桂と打って、△48金からバラし、手順を尽くして△47歩成と、ここで自陣の飛車にカツが入って、もうどっちが勝ちかわからない。

 かつて、先崎学九段は『週刊文春』の連載エッセイで、こう書いた。

 


 「将棋の戦いは華々しく見えるが、その本質は【地上戦】であり、沼の中での足の引っ張り合いにこそある」


 

 また、有名な郷田真隆九段の言葉に、こういうのもあった。

 


 「将棋は情念のゲーム」


 

 まさにそれを体現する、生身のぶつかり合い。

 順位戦は名人挑戦や昇級争いもいいが、真の醍醐味はまさにこういう「命がけの落としあい」にこそある。

 これぞまさに「勝負将棋」ではないか。

 両者延々と、暗闇で手探りするようにやり合いながら、むかえたのがここ。

 

 

 何度ひっくり返ったかわからない、今なら評価値の数字が、暴れ馬のように荒れ狂ったろう激戦も、とうとうクライマックスだ。

 将棋は大山が、ついに勝ちとなった。

 先手玉に詰みはないから、ここでは▲36銀と打っておけば試合終了。

 

 

 

 ▲33金、△54玉、▲64金までの詰めろだが、後手は受けがなかった。

 ところが、大山は▲45歩と、飛車取りに打つ。

 △同金でも△同飛でも、利かし得と見たかもしれないが、青野は無視して△77歩

 鈴木宏彦さんと藤井猛九段の共著『現代に生きる大山振り飛車』によると、大山はまさか、ここで飛車取りを手抜きされるとは、思わなかったらしい。

 双方、ギリギリの状態で戦っている中、またもや波乱が起きた。

 そしてそれは、大山の将棋人生を、いや将棋界の歴史そのものを、ゆるがすやもしれぬ、悪夢のような錯覚だ。

 ともかくも、▲44歩飛車を取るしかないが、青野は△54玉と、きわどくすり抜ける。 

 

 

 先手からすれば、自玉はほとんど受けなしだから、飛車を取った以上は、そこで詰みがなければ、おかしいことになる。

 ところがこの局面は、いろいろ王手しても、後手玉は意外と広く、5筋にかわす手もあるし、△35玉から、△25玉と桂馬を取った後、△24から△13へのルートが開拓されると、詰ますことはできないのだ。

 どうやら、そのあたりに大山の誤算があったようで、青野もしっかり読んではいたが、この場面で100%の確信というのも無理な話。

 

 「たのむから、詰まないでくれ!」

 

 心の中で、祈っていたことだろう。

 そして、詰みはない。なら大山の負けだ。

 大巨人に、とうとう終焉の時が来た。

 控室にいた、羽生善治佐藤康光先崎学神谷広志、そして自らも順位戦を戦い終え、観戦に加わった米長邦雄有吉道夫といった面々。

 そのだれもが、そう確信したときに、大山は16分の残り時間の14分を投入して、まさか、まさかという手を指したのである。


 (続く→こちら

 

 

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巨人伝説vol.6 マエストロを殺せ 大山康晴vs青野照市 1991年 第49期A級順位戦

2022年01月10日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回(→こちら)の続き。

 1991年の第49期A級順位戦

 開幕5連敗の大ピンチから、南芳一棋王内藤國雄九段と手強いところを破って星を戻してきた、大山康晴十五世名人だが(第1回は→こちらから)、

 

 「A級から落ちたら引退」

 

 というプレッシャーの中、試練はまだ続く。

 8回戦では、因縁の青野照市八段と当たっているからだ。

 大山と青野は、ともに2勝

 順位は大山が1枚上なのが大きく、勝てば残留だが、負けると最終戦を落とせばもちろんのこと、勝っても青野と有吉道夫九段の星次第では、陥落が決定してしまう。

 つまり、

 「自力でなんとかする」

 には両者絶対に、勝たなければならない大勝負。

 残留争いで「他力」になるというのは、処刑台に片足を乗っけたのと同じことなのだから。 

 また、大山にとってイヤなことに、最終戦で待つ真部一男八段が、すでに降級決定という状況になっている。

 真部にとって不幸なことだが、これにより最終戦は消化試合と言うことで、順位戦でもっとも恐れるべきプレッシャーとは無縁の身分となった。

 これは、大山の十八番である「心理戦」が通用しないことを意味し、また真部自身も、当時の記事の表現を借りれば、

 

 「手ぐすね引いて」

 

 最終戦を待ち構えていたという。

 真部からすれば、つらいリーグとなったが、まさか最後に、

 「大山康晴に引導を渡す」

 という大役が回ってくるとは、思ってもみなかったろう。

 もし勝てば、「大名人、現役最後の一局」として、その棋譜は長く語り継がれることになる。

 そんな将棋を、なんのしがらみや圧もなく、のびのびと戦えるなど、棋士としてこんな幸運があるだろうか!

 大山からすれば、自分の将棋人生をかけた一局を、エキシビションのように楽しまれてはかなわない。

 大名人が今の地位を築いたのは、対戦相手に対して棋力のみならず、その政治力盤外戦術など様々な手管で、マウントを取りまくった成果でもある(その模様は→こちら)。

 それが一転、今度は「獲物」の立場で、上から見おろされることになるやもしれない。

 自分が落ちてくるのを、舌なめずりしながら待たれるのは、大きな屈辱だろう。

 なんだか、こないだ読んだJ・M・クッツェー『恥辱』みたいだが、その視点からも、負けると相当に苦しいのだ。

 まさに命を懸けた大一番だが、その内容もまた、その舞台にふさわしい泥沼の戦いになる。

 戦型は大山の四間飛車に、青野は左美濃

 持久戦模様で、じっくりした戦いになるかと思いきや、序盤からいきなり波乱が起こる。

 図は大山が▲55歩と突いた局面。

 

 

 △同歩なら、▲同角からさばいていこうということで、振り飛車らしいというか、それこそ愛弟子である中田功八段の得意そうな形だ。

 だが、これが軽率だった。青野はすかさず△65桂と跳ね、大山は▲95角

 この角出が先手のねらいで、▲73角成を受ければ、そこで▲54歩と取ればうまくいっているという算段だが、これがとんだ勝手読みだった。

 青野の目がキラリと光り、すかさず△86歩と突き捨て、▲同歩に△64角と上がる。

 

 

 これが▲73角成を受けながら、次に△94歩で、を殺す手を見た切り返し。

 ▲66歩は、かまわず△94歩

 そこで、▲65歩を取りながらの角取りになって、△31角など逃げれば▲73角成だが、▲65歩△55角と出るのが、飛車取りの切り返しになってピッタリ。

 

 

 

 

 

 これで、飛車角両取りが残って、後手が必勝。

 やむをえず、△64角に先手は▲85歩と退路を開くが、△86歩とたらして、▲同角△同角▲同飛△57桂成で一丁上がり。

 

 

 

 一回▲73角と打つが、△81飛に、▲57金と取るしかなく、△68角で、きれいな飛車金両取りが決まった。

 

 

 

 先手からすれば、軽くゆさぶりをかけたつもりが、まさかの強烈なカウンターパンチが返ってきて茫然であろう。

 大山といえば、

 

 「最初のチャンスは見送る」

 

 という有名な語録もある石橋を叩いて渡らない慎重派のはずなのに、こんなことが起こってしまうとは……。

 しかも、よりにもよって「負けたら引退か」という将棋でだ。

 当時の記事によると、あまりにうまくいったので、さすがの青野も笑みを浮かべたとか。

 私もこの当時、この局面を見ながら、

 「これって、島朗七段とか、滝誠一郎六段とかなら、ここで投げんじゃね?」

 なんて思ったものだ。

 ところが、ふつうならガックリきてしまいそうなところを、ここで折れないのが大名人の大名人たるゆえんだ。

 この局面自体、後手が優勢なのは間違いないが、歩切れでもあり、見た目ほど大差ではなかったことも幸運だったようで、ここから先手はジリジリと差を詰めていく。

 

 (続く→こちら

 

 

 

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巨人伝説vol.5 勝ち将棋、鬼のごとし 大山康晴vs内藤國雄 1991年 第49期A級順位戦

2022年01月09日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回(→こちら)の続き。

 1991年の第49期A級順位戦

 開幕5連敗と、降級(引退)一直線だった大山康晴十五世名人(第1回は→こちらから)。

 6回戦南芳一棋王を退けて、まずは待望の上にも待望だった、1勝目をあげる。

 依然、苦しい星勘定だが、順位下位の青野照市八段2勝真部一男八段全敗と苦戦しているため、これでもかなり光が見えてきた状況だ。

 それともうひとつ、大山に元気が出るのは、続く7回戦の相手が内藤國雄九段だったこと。

 内藤はA級16期(当時)、王位棋聖のタイトル4期、棋戦優勝13回という大棋士で、今期リーグも4勝2敗と、自力で挑戦権をねらえる位置にいるが、実は大山とは相性が最悪

 対戦成績は18勝48敗で、このころは10連敗中。

 しかも、A級順位戦では11回戦って、1度も勝ったことがないという、苦手を通り越してほとんど天敵であり、まったく顔も見たくない相手なのだ。

 この「顔も見たくない」というのはモノの例えではなく、実際、この2人には因縁が多い。

 内藤は将棋界で幅を利かせられるのは「名人」だけである、というシステムを見抜き(当時の名人は今では信じられないほどの権威があった)、それを独占していた大山に、強い対抗意識を持っていた。

 また大山も、将棋も人生も華やかで人気があり、また歌手活動詰将棋作家としての活動など、多才さを発揮する内藤に強い嫉妬の念を抱いていた。

 そのため、ことあるごとにぶつかり、カドを立ててきた歴史があったのだ。

 要するに、人間的な相性が悪かったのだろうが、そのパワハラで蓄積された怒り劣等感で、内藤は大山に対して意識過剰になってしまい、その力を発揮できずに敗れるのだ。

 いわゆる「憤兵は散る」だが、これは内藤だけでなく、二上達也加藤一二三など、多くの後輩棋士たちが、その犠牲になっている。

 河口俊彦八段によると、力のおとろえた大山がA級を維持できたのは、若手時代に徹底的に痛めつけておいた、これらの棋士が同じクラスに長くいたから。

 つまりは、それだけで2、3勝は確保できることになり、河口老師のボキャブラリーを借りれば

 

 「お客さん筋」

 

 を持っていたことが「68歳Aクラス」を、裏で支えていたのだと言うわけだ。

 そういう背景もあって、注目が集まったこの一番だが、今回は中盤戦のやりとりで、早くも内藤が大量リードを奪う。

 晩年の大山将棋によくあるのが、早く局面を良くしようと、つんのめって悪くなる展開。

 要は、体力が落ちて、辛抱がきかないため「早く勝ちたい」とあせってしまうわけだが、わかっていても修正できないのが、年齢によるおとろえの、むずかしさなのだろうか。

 終盤では、大山もあきらめたのか、さほど時間を使わずに指し、逆に内藤の方は腰を落として、じっくりとトドメを刺す想を練る。

 

 図の局面、すでに将棋はお終いである。

 後手玉は穴熊の深さを生かした、絶対に詰まない「ゼット」どころか、次に詰めろもかからない形。

 なので、ここから詰めろならもちろん、もう一手かけて、次に詰めろが行く攻め、いわゆる2手スキの連続で攻めてすら、問題なく後手が勝つ。
 
 そして、その手順はさほど、むずかしくもない、ときている。

 具体的な手を言えば、まず私でも思い浮かぶ△58歩成が正解。

 △48金からの詰めろなので、▲26飛と逃げ道を開けるが、そこで△48と、と捨てるのが軽妙な一手。

 

 

 ▲同玉なら、△49角が、

 

 「玉は包むように寄せよ」

 

 の格言通りの手で必至

 ▲28玉なら、△39角、▲18玉、△38と、と自然に追って、これまた受けなし。

 △48と△49角は私レベルなら難解だが、プロなら一目の筋。

 ましてや、後手を持っているのは詰将棋で鳴らし、寄せの名手と名高い内藤國雄である。

 特に問題もなく終わると思いきや、ここでまさかという手が、盤上に披露された。

 

 

 

 

 △67角と打ったのが、「え?」という手。

 △49角成までの詰めろはわかるから、大山は▲26飛と逃げるしかない。

 信じられないことだが、どうも内藤はここで飛車を上がって受ける手をウッカリしたらしいのだ。

 △49角成▲28玉でなんでもないから、△58歩成とするが、これでは攻め駒がダブって、いかにもおかしな手順。

 ▲28玉に、△48と▲64桂。

 そこまで進んだ局面を見れば、これが変調という言葉では、すまないことになっているのが、わかるであろう。

 

 この2つの図を、くらべてみてほしい。

 

 

 下が、角を打たず単に△58歩成とした図で、▲26飛△48と▲28玉で、内藤手番

 は手持ちのままで、△39角以下、後手が簡単に勝ち。

 だが、本譜の順では、同じ形で角を無意味な△67に手放し、▲64桂も入って、これは丸々1手損していることになる。

 わかりやすく整理すると、内藤から見れば現在の局面は、△58歩成▲26飛△48と▲28玉に、そこで△67角と打ったのと同じ理屈なのだ。

 下の図で、まさか△67角と打つ人はいないわけで、その代わりに先手から▲64桂が入ってるのも、メチャクチャに大きい。

 こう考えると、内藤がとんでもない錯覚をしたことが、ご理解いただけるだろう。

 それでも内藤はあきらめず、懸命に先手玉に食らいつくも、すでに将棋は勝てない流れになっていた。

 

 後手が△35歩と、上部を封鎖したところ。

 次に△29と、からの攻めがきびしく、後手玉は▲81金△同飛と取れるから依然、詰みはない。

 なら、まだ後手が勝ちそうだが、図で大山に決め手がある。

 

 

 

 ▲45馬と引くのが、攻防に見事に利いて先手勝ち。

 ▲81金からの一手スキをねらいながら、受けては△29とから王手ラッシュをかけられたとき、▲27地点に利かして、これでほぼ「ゼット」になっている。

 以下、△29と▲18玉△19と▲同玉△17香▲18金△39馬▲17金△同馬▲75香、まで大山勝ち。

 

 最初は左辺にいた大山玉が、反対側の下段まで追いつめられたが、飛車の利きがピッタリで、どうやっても寄りがない。

 まるで作ったような図で、まさに、

 

 「勝ち将棋、鬼のごとし」

 

 勝てば、名人挑戦に前進するという大一番で、天敵相手に完封勝ちペースの将棋を披露。

 そこから、まさかのポカで逆転し、最後はこんな運命的な局面で敗れてしまう……。

 私が内藤の立場だったら、耐えられないだろう。

 大ピンチを切り抜けた大山だが、まだ試練は終わらない。

 残留には最低3勝が必要で、あともう1勝、ノルマが残っている。

 そして、次の相手はこれまた因縁の、青野照市八段であった。

 

 (続く→こちら

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巨人伝説vol.4 先に動いた方が負けだ 大山康晴vs南芳一 1991年 第49期A級順位戦

2022年01月08日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回(→こちら)の続き。

 第48期A級順位戦の最終戦で降級の危機をしのぎ、またもや「現役続行」を決めた大山康晴十五世名人(第1回は→こちらから)。

 ただ、なんとか残留を決めたはいいが、いよいよおとろえは隠せなくなってきており、この期こそ本当に「ヤバいぞ」と見られていた。

 その予想は、ものの見事に当たった。

 大山は開幕局に敗れると、そのまま連敗街道に入り、たてつづけに星を落としてしまう。

 第5戦を終えて、まだ目が開かない5連敗

 さすがに、今度こそダメだろう。

 私など呑気なものだから、そう思いこんでいたのだが、ここから続く3局が、後期「大山伝説」の語り継がれるべき名局群となる。

 まずは6回戦、南芳一棋王戦。

 タイトルを持ち、ここまで4勝1敗の南は、大山と対照的に名人挑戦をねらう立場。

 しかも、大山は南に4勝11敗と大きく負け越しており、このときも5連敗中と大の苦手。数字だけ見れば、絶体絶命に見える。

 だが、この将棋は序盤から、大山がうまく指していく。

 後手で四間飛車に振ると、南の十八番である左美濃相手に、3筋からうまくさばいていく。

 苦しくなった南は、先手番ながら千日手模様で様子を見るが、大山は果敢に打開し、リードを維持したまま中盤戦へ。

 

 にアヤをつけ、と金でじっくり「真綿で首」の準備をしたところで、じっと△65歩と打って守っておく。

 ▲66角の活用や、手に乗って▲69飛と回るような反撃の威力を消して、このあたりの落ち着きはさすがである。

 ただ、このとき盤側では、少々雰囲気がアヤシイのでは、という声もあったそうだ。

 振り飛車さばけ形なのは間違いないが、南もねばっており、なかなか決め手をあたえない。

 「地蔵流」南芳一と言えば、デビュー当時はそれこそ「リトル大山」と呼ばれた、腰の重さが売りで、そう容易には倒れないのだ。

 なにかドラマが起こるぞ、と身構えたときに指された、▲85銀という手が、結果的には敗着になってしまった。

 この場合、▲85銀という手自体の好悪は、あまり問題ではないというのが、プロレベルの将棋、そして順位戦を語るのに、おもしろいところ。

 仮にここで、当時は影も形もなかったAIが、この手を「最善手」と判断したとしても、やはりそう指すべきではなかったのだ。

 一体、それはどういう意味なのか。

 問題はこれで切り合いになってしまい、流れがわかりやすくなってしまったこと。

 将棋と言うのは、指しやすいのはわかっていても、それを具体的に優勢勝勢へと結びつけるのが、むずかしいのは、皆さまもご存じの通り。

 また、そこでスッキリした順が発見できないと、むしろリードしているほうが、あせりなどから精神的に追いこまれていくというのは、まさに将棋「あるある」なのだ。

 で、この局面こそが、まさにそうではないかと。

 中盤の難所で、後手やや有利だが、じゃあどうやれば、より良くなるかは、なかなか見えない。

 なら南がやるべきことは、できるだけ局面を複雑化させたり、手を渡してプレッシャーをかけたりすること。

 まさに、大山その人が多くの修羅場で見せた勝負術の、そのお株を奪って戦うべきだったのだ。

 その意味で、▲85銀という特攻は、後手の歩切れを突いて攻めとしては有力だが、「勝負術」という点では見劣りするところがある。

 △85同歩に、▲同金、△47と、▲84歩、△同銀、▲同金に△57と

 

 という手順を見れば、なんとなく、言いたいことが伝わるかもしれない。

 先手は相当に攻めこんでいるが、後手の手を見ると、これが実にわかりやすい一本道

 どれも、読まなくても指せるというか、「この一手」という手ばかりなのだ。

 これは選択肢がなく、つらいようでいて、逆にプレッシャーのかかる戦いでは気楽な展開でもある。

 手が見えなくて、ウンウンうなって追いつめられる状況は、心身も疲弊し、持ち時間もけずられ、悪手を指す比率も高くなってしまう。

 一方、▲85銀からの折衝は、一気に寄せられてしまう恐怖こそあるものの、勝負将棋でもっとも恐ろしい、

 

 「見えない影におびえる」

 

 という、もっともミスの出やすい道を、歩かなくてもよくなったからだ。

 

 「拷問は受ける前の方が苦しい」

 

 なんてよく言われるけど、まさにそれ。

 その意味で、南の▲85銀は悪手ではないかもしれないが、大山に腹をくくらせてしまった、という意味で「敗着」となった。

 ここでは、▲11と、とか▲66歩とかで手を渡して、

 

 「どうぞ、好きに指してください」

 

 と居直れば、じらされた大山の苦悶迷走は、まだまだ続いたことだろう。

 事実、河口俊彦八段によると、


 「こりゃ勝負形になった、と、観戦記者たちは騒ぎ出したが、プロ棋士達は逆に見た。大山が勝てる流れになったと」

 

 追いつめられた大山にとっては、妄念に悩まされなくて済むスピード勝負は望むところで、しっかりと読み切って勝利へと前進する。

 

 図は大山が△66角と王手して、南が▲77桂と受けたところだが、ここでは先手玉に詰みがある。

 実戦詰将棋として、考えてみてください。

 5手目にキレイな手があって、思わずニッコリ。

 

 

 

 

 

 △77同角成、▲同金、△96桂、▲87玉、△78銀で詰み。

 この銀打が、さわやかな決め手で、ピッタリ詰んでいる。

 ▲同金△86金打

 ▲同玉△88金で詰み。

 ここで投げれば美しい投了図だったが、南は▲96玉ともう一手だけ指し、△85金打まで投了。

 ここまで、なかば死に体だった大山が、まずは片目を開けることに成功した。

 それでもまだ、圧倒的に苦しいことには変わらないが、希望は出てきた。

 ひとつは、降級をめぐる競争相手も、また星が伸びていないこと。

 もうひとつは、次の相手が内藤國雄九段だったことだ。

 

 (続く→こちら

 

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巨人伝説vol.3 大いなる幻影 大山康晴vs桐山清澄 1990年 第48期A級順位戦

2022年01月07日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 前回(→こちら)の続き。

 競争相手の青野照市八段に完敗し、最終戦に負けるとほぼ降級が決まってしまうことになった、1990年A級順位戦を戦う大山康晴十五世名人(第1回は→こちらから)。

 

 「A級から落ちたら引退

 

 を公言する大山であるから、もしかしたらこれが

 

 「現役最後の一局」

 

 になるかもしれず、ファンのみならず棋士からも注目を集め、控室から大盤解説室まで超満員にふくれ上がったそう。

 対戦相手は桐山清澄九段だが、こちらのほうもここまで大山と同じく3勝5敗

 桐山と言えば、棋王棋聖のタイトル4期にA級14期

 1981年第39期名人戦では、挑戦者にもなっている一流棋士である。

 そんな桐山でも40歳を超すと、さすがに下り坂で、この後はA級に返り咲けなかったのだから、今さらながら大山の息の長さは驚嘆しかない。

 またこの将棋は熱戦を期待されながらも、途中から大山がリードし、一方的な大差になってしまった。

 この最終戦の一斉対局を、若手時代の先崎学九段が誌上でレポートしており(今は配信で見られて本当にいい時代だなあ)、桐山の拙戦をこう表現している。

 


 「震えている感じではなく、なにか催眠術にかけられているような雰囲気」


 

 この一説からも、独特の空気感が伝わってくる。

 少なくとも桐山は、すでにまともな状態を通り越した、不思議な場所で戦っていたようなのだ。

 もちろんそれは、大山が仕組んだことであり、そこで取り上げられていたのがこの局面。

 

 

 

 桐山が▲69桂と受けたところ。

 私の棋力では正確なところまではわからないが、まだ10代だった自分がこの場面を一目見て感じたことは、

 

 「ダメだこりゃ!」

 

 という、いかりやの長さん的ガッカリ感だった。

 後手の陣形が、高美濃囲い△64角の高射砲も設置して、ほれぼれするような美しさなのに、先手の囲いは寒々しいこと、この上ない。

 なにより、この▲69桂という手が元気がなさすぎで、先手がとても勝てる気がしないではないか。

 事実、先崎四段もこの手を見て、

 


 「ここでどう指すべきかはわからない。だが、この▲69桂というのは将棋にない手である。あんまりである」


 

 解説によれば、後手は△95歩の端攻めや、舟囲いの弱点である▲87の地点をねらって、△85歩から△86歩とせまってくるのが見え見えなのに、そこを自ら退路を断つ桂打ちは、理屈から言ってもおかしい。

 という説明以上に、もう見ただけで、気持ちが押されているのがわかる。

 だから先崎も、「将棋にない手」と言ったのだ。

 ただ逆に言えば、桐山清澄ほどの一流どころに「将棋にない手」を指させた大山の威圧感(催眠術?)が、すさまじかったともいえる。

 そう、まさに大山康晴はこれまで二上達也加藤一二三内藤國雄米長邦雄といった幾多の名棋士に、そのオーラや念力によって、

 「将棋にない手」

 を指させ、ただ勝つだけでなく、相手に精神的禍根を残させ、苦しめてきた。

 河口俊彦八段によれば、

 


 チャンスで打席に入れば、だれだってヒットを打とうとする。

 だが、大山はそうではない。

 内野を見渡し、固くなり、頼むからボールが飛んでこないでくれ、と祈っている選手を見つけて、そこにゴロを打つのだ。


 

 大山の勝負術を、これほど的確に示す表現を、私は他に知らない。

 なんという意地悪で、かつ人の心というものを、知り尽くした手管だろう。

 それで一度エラーをさせれば、もう後は、まともな状態でプレーなどできない。

 この試合だけではない、この次の試合も、その次も、ずっと。

 この大修羅場では桐山が、その犠牲になったのだ。

 

 

 △56銀▲85金と打ったのが、どこまでも桐山が普通でなかったことを表す手となった。

 △65銀をボロッとタダで取られてしまっては「全駒」である。あまりにヒドイ。

 負ければおしまいの将棋を、第46期森雞二戦に続いて、またも圧勝で飾った大山康晴。

 その心の強さには「まいりました」と頭を下げるしかないが、では大山が実際に余裕をもってピンチをしのいだのかと言えば、そうではないようなのだ。

 のちの取材で、大山はこのリーグで1勝4敗になったときは、さすがに引退をリアルに考えたと語っている。

 そこで出たのが有名なセリフで、

 


 「落ちると思うと委縮する、それならBクラスにいると仮定して、勝てばA級に上がれるんだと思うほうが気楽にやれると、結論を出した」


 


 一見すごい切り替え方で、「さすがは大名人」と感心されることも多いが、私はどうも、ピンとこないところがある。

 この言葉は『大山康晴名局集』に掲載された自戦記でもふれているのだが、大山の書くものというのは、たいていが優等生的でアクがなく、どうも本音を語っているようには見えないから、というのがひとつ。

 現に『現代に生きる大山振り飛車』という本で、鈴木宏彦さんは、

 


 (大山は)自身の本音が活字になることについては周りの想像以上に警戒していた気がする。


 

 と書いており、その本音や手の内を明かさないことこそが、大山流「勝負術」の大きなファクターだったと分析している。

 それに、そもそものことを言えば、仮にBクラスから上がると思えたとて、ふつうの棋士はそこで負けても、泣くほどつらいにしろ引退しなくていいし、また来年以降もチャンスはある。

 一方、将棋をやめなければならない大山の立場は「昇級」だろうが「降級」だろうが変わらないわけで、論理として、つながってない。

 ハッキリ言ってしまえば、ほとんど意味のない考え方なんである。

 

 「どっちにしても負けたら引退やから、気楽になれるわけないですやん」

 

 もちろん大名人にそんな、ガサツなつっこみなど入れられるわけもないが、なんにしろ、さすがの大山も、負ければ将棋をやめなければならいプレッシャーが、皆無では絶対になかったはず。

 たとえば、1983年の第41期A級順位戦

 二上達也九段相手に、負けると落ちるという一番をしのいだあと、数日後に競争相手が次々敗れて残留が決まったのを知ったとき、パッと顔色が変わったとか。

 また先述の戦では終盤で、万に一つも負けることのない「全駒」のド必勝になりながらも、トドメを刺すときには「えい!」と気合を入れ、観戦していた河口俊彦七段に、

 


 「普通ならとっくに終わってるんだが。こういう将棋はなかなか指せないよ」


 

 と言って笑ったそうだ。

 鉄のようにタフな大山といえど、人生がかかった将棋では恐れ惑うものだ。

 これは別に、大名人のことを

 

 「なんか名言っぽいこと言って、カッコつけてる」

 「大山ビビってる、ヘイヘイへイ!」

 

 とバカにしたいわけではない。

 むしろ、だ。

 引退の危機にさらされ、決して平常心ではいられない中、それでも、その究極の場面でこそ普段の、いやそれ以上の力を発揮し、結果を残し、圧などなかったと、うそぶける。

 そここそが、「巨人」大山康晴の、本当のすごみなのではあるまいか。

 だからそんな、B1から昇級だと思えばうんぬん、みたいな話は、体外的に口当たりの良い、オフィシャル発言みたいなもんではないかと、どうしても感じてしまうわけだ。

 私が世の「名言」のようなものを、あまり額面通り受け止めないのは、大山ほどの偉人だって、そういうもではないか、と思うから。

 いやむしろ、そこを素直に感心するよりも、

 

 「名言とか言われてるけど、言ったオレだって、そんな風にはなかなかいかないよ」

 

 という部分こそが、人間のおもしろさであり、本当に「感動」すべきところではないか、とも感じたわけなのだ。

 万にひとつも、負けることなどありえない局面でも、「えい!」と声にしないと、手が出なかった大山の姿にこそ、私は勝負の世界のリアルを見る。
 
 将棋の魅力は盤上のそれだけでなく、そういった人間くさい「心のブレ」にこそあるのだから。

 そしてそれは「巨人」と呼ばれた男ですら、避けることはできないのだ。

 「大山勝利」の報を受けたときの様子を、先崎四段が描いている。

 


 それにしても大山−桐山戦の結果が伝えられたときの大盤解説場は凄かった。

 物凄い拍手だった。野次が飛びかっていた。廊下では、壮年のオジサンが、ハンカチに目を当てていた。びっくりした。


 

 (続く→こちら

 

 

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